本文 経過報告 ご意見・感想
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私 鈍 無 し 秀 は 才 才 か 才 天 で で し で 才 あ も も で る な な も い い ` |
ここは「世界観体系化の試み −評価版−」1995年の改訂作業場所である。これは学術論文ではない。これは世界についてのいささか"カタイ"エッセーと言った方が適切かもしれない。最近の人は固いものを食べなくなって、歯もあごもひ弱になっていると言う。ひいては頭の発達が・・・。あなたはこのカタサを噛み砕けるか !! 失礼 _○_ 当初の目標であった中学卒業生にも理解できるようにすることは、私の力量では不可能なことが分かった。
草稿段階の部分を含む作成中の草稿にもかかわらず、公開の場で作業を進めるのは無責任かもしれない。私は買いだめした図書の半分も読み終わっていないどころか、未だに「精神現象学」「大論理学」も始めの部分だけしか目を通していない。こんなことでヘーゲルの論理学を唯物論的に組替えることなど正気の沙汰ともおもえない。
しかし、世界観のまとめは終わりのない作業であり、いつになったら公表できるか明らかにできるものではない。何かの機会を待っていてもそれまでに公表できない事態に陥ることもありうる。
ともあれ、このようなサイトを閲覧する方は、心の広い、好奇心に満ちた人であろうし、それらの方々から、メール等でご批判を頂いたり、反論等のページへのリンクを用意したりすることもできる。推理小説のように結末が分かっては面白くなくなってしまう種類の文書でもないし。現在進行形での相互批判の場として、また発表の場としてインターネットを利用する試みがあっても良いのではないか。
【私の仕事】
ここでの仕事は、私にとって本来の仕事である。この社会に生かされて、私の為すべき仕事と考えている。もっともこの判断は主観的で世の中の評価とは一致していない。しかし、この仕事では生活費を稼ぐことはできない。アルバイトをせざるを得ない。私の業界では兼業は禁止され、職務専念義務が課されている。ただここでは報償を稼ぐことはできないから、営利事業ではない。
職務専念の問題では、私もまじめに仕事に取り組んだが、私の仕事は無視されたり、引継ぎもされず放置された。昇進試験では私の作文能力ではとても一人前に処遇できないと給料はピンはねされ、職員録にも私の名前はない。もうすぐ、定期昇給も延伸される。ただ、仕事で結構遊ばせてもらったのだから愚痴は言えない。最初は土方の真似をさせてもらってレベル担いで測量の真似事や図面描き、バイクも覚えた。最高に遊ばせてもらったのが2番目の職場で、大型コンピュータとインターネットをおもちゃにしていた。今はせいぜい植木の手入れくらいだが。
私の本業も世の中の基準からすれば評価にも値しないものらしいが、世の中の出版物に比べて私はそれなりに、結構楽しんでいる。
【私の課題】
より本質的なもの、より確かなものの追求は普遍性の追求である。普遍性は抽象的な存在で、どこか日常経験とは別の世界に、あるいは思惟として頭の中に中に存在しているのでもない。
世界が一つであること、世界の中の一つのものとしてすべての物事があることが究極の普遍性である。この普遍性が特殊化することですべての物事が存在している。すべてのあらゆる物事の普遍性として世界の在り方がある。世界が一つであるあり方から、すべての物事・個別のあり方まで、あり方の特殊化する様子、すなわち規定性を理解しようとするのが私の課題である。
第一部では、規定性の体系を論理によってつかむことを試みる。
第二部では、具体的な物事のあり方として、個別の現われ方を個別科学の成果に学ぶ。
第三部では、そうしてつかみ学んだ世界に対して、一主体としての自分の関わり方を整理する。
「世界観」によってすべての問題の解答を用意することなどできない。概念、論理は対象の本質を規定するのではなく、表現しようとしているに過ぎないのだから。世界観によって最低限の共通理解事項を整理し、確認しようとするに過ぎない。
【私の期待】
今日の日本、主権在民の一応の民主主義制度が保証されていながら機能せず、教育、環境、資源、経済、政治、文化に深刻な問題が提起され、さまざまな批判が溢れている。そしてこぞって責任追及をするが、問題は解決されない。このにぎやかな閉塞状況では、自らの責任を明らかにし、それぞれの問題の基本から異議申立てをする人々が必要である。それぞれの生活の場で異議申立てをする人々へ、私の仕事が少しでも役に立ってくれることを期待する。
私の課題のとらえ方について「おおざっぱで、もろもろの差し迫った理論的課題に対してまったく役に立たない」とのご批判があるのは当然と思う。しかし、私は理論で飯を食う専門家ではない。私の試みが無駄なら、「こんな無駄をしてはならない」との教訓でも明らかにしたい。
【どんさい】
「鈍才」という表現について、「このような才能によって人を評価する表現は非人間的な見方を肯定するものではないか」との批判がありえる。「どんさい」は不穏当な遊び過ぎであることは確かだが、すべての人に様々な才能が有ることも確かなことで、許すべきでないのは才能をひけらかし、才能を世の中の役に立てるのではなく、自らの出世のために使う輩である。
【ファイル構成】
ファイルは章ごとに、下の表のように構成されている。ファイル名の "??" は章番号である。
全文ダウンロードする際の便宜のため、自己解凍方式の圧縮ファイルを[ここ "vw.exe" ]に用意した。
現在中心に改定作業しているのは、第一部第二編である。
| ファイル名 | 内 容 | |
|---|---|---|
| index.htm | フレーム機能の設定ファイル | |
| index_1.htm | 上の表題、二次目次、索引ファイル | |
| index_2.htm | 左の一次目次ファイル | |
| index_3.htm | 左の一次索引ファイル | |
| vw0000.htm | 序 : この紹介 | |
| mail.htm | ご意見・感想 | |
| ../old/doku_07_10.htm | 経過報告 | |
| ../old/doku_98_06.htm | 古い経過報告 | |
| vw11??.htm | 第一部 世界の一般的なあり方 | 第一編 端緒 |
| vw12??.htm | 第二編 一般的、論理的世界 | |
| vw13??.htm | 第三編 反映される一般的世界 | |
| vw21??.htm | 第二部 具体的な物質の運動 | 第一編 物質 |
| vw22??.htm | 第二編 生命 | |
| vw23??.htm | 第三編 社会 | |
| vw31??.htm | 第三部 具体的な人間の生き方 | 第一編 現代世界 |
| vw32??.htm | 第二編 実践 | |
| vw33??.htm | 第三編 展望 | |