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第二部 具体的物質の運動

第三編 社会


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第三編の始めに

人は自然と社会とを環境とし、対象として生きている。自然はビックバン以来膨張することで温度を下げてきている。宇宙全体のエントロピーは増大し続けるが、温度が下がることにより部分的な秩序を構成する。宇宙の構造が作られ、地球が生まれ、生命が誕生し、進化してきた。生物の進化はヒトを生み出し、ヒトは労働と社会によって人間となった。人は生物としての物質代謝を社会的に組織し、自然を社会化し、自らを社会化することで人間となった。[0001]

人々は社会的物質代謝を社会秩序として受け入れてきた。受け入れるも受け入れないも、従い、利用するしか生きる術はない。物理的物質代謝は物理的秩序の実現であり、生物的物質代謝は生命秩序の実現である。この基礎となる物質代謝に反しようとするなら生きることも、存在することすらできない。社会的物質代謝は物理的物質代謝、生物的物質代謝を人々が協力、共同の場に組織してきた物質代謝系である。社会的に物質代謝を組織することで自然環境や外敵の中でより安定した生活を、よりゆとりのある生活を実現してきた。[0003]
社会的物質代謝は量的に拡大し、質的に発展して人の歴史を画してきた。質的発展にともない人々の有り様、生き方を変えてきた。社会的物質代謝過程は社会環境として人間を規定している。人間性を育むととともに、人それぞれの違いを社会的に規定し、人々を社会的に区別し差異をつくりだし、結びつけている。[0006]
その中で人々は社会的物質代謝を担い、利用し、解釈してきた。人々は社会的物質代謝を実現する過程でお互いに折れ合い、折り合いをつける。生き、生活するために社会的物質代謝を担い、利用するしかない。何を、どの程度で折れ合うかで人々の有り様、生き方の違いが出る。社会的発展段階に応じた人間と人間社会のを説明する制度と理論が生み出されてきた。社会の発展段階の移行期には制度と理論をめぐって激しい闘争が繰り返されてきた。[0004]
思いどおりに生きる人もいれば、不満を爆発させる人もいる。どうであっても社会的物質代謝から離れることはできない。社会的物質代謝での関係はすべての人にとって既定の関係である。これからどうするかは未定でも、これまでの社会的有り様は拒否することのできない既定の関係である。国家間の力関係、国家権力を頂点とする公権力、企業、団体の私的権力、家庭内での親権等は有り様の善悪にかかわりなく、現実の社会の有り様を決定している既定力である。今現在の社会を構成する作用は既定力としてある。[0005]

社会的物質代謝は代謝秩序であり発展する時も衰退する時もある。新しい秩序が現れれて古い秩序が衰退することで人類史は継続し、発展してきた。今日では地球規模で社会的代謝秩序を破壊する力を人類は持っている。地球規模での破綻は先延ばしされているが、未だに各地で戦闘による破壊がある。エネルギー資源、自然環境はまさに物質代謝の根幹に関わる。化学的、生物的物質代謝系への人の影響力も拡大している。経済・金融秩序は人が意図どおりに調整できる制度、組織にはなっていない。社会関係の既定力を正当化し、人々を説得し、従わせる政治や報道、文化の制度や組織、技術は発達したが、これらは社会的物質代謝を補完するものであり、代謝秩序そのものではない。科学は社会的物質代謝秩序を明らかにし、法則として表現するには未だに力不足であり、既定力から脱し、理知的に秩序を築くまでに至っていない。[0007]

今日では「経済」と言えばもっぱら商品経済であり、「資本主義」が唯一正しい有り様であるかのように理解している人が多い。「経済」に対し「社会的物質代謝」は時代にかかわらず社会を実現する普遍的運動であり、経済外的作用をも含んでいる。今日では資源、エネルギー、エントロピーにも配慮しなくては社会的物質代謝も経済も成り立たなくなる。これらの問題は経済としてだけではとらえることはできない。[0008]
社会的物質代謝は今日の「経済学理論」いわゆる「近代経済学」、「非マルクス経済学」ではとらえることはできない。政策決定には誤っていようが何らかの根拠が必要であり、その根拠を提供するものとして「近代経済学」は発達してきた。現実を説明しようとすることでは有意義な研究成果も産みだしながらも、社会的物質代謝過程をとらえることを本質的課題とはしていない。価値の実体をとらえようとせず、効用によって価値を説明するのでは物質代謝の客観的有り様を対象にできない。経済活動に限らず社会の運動を対象とし、物理化学、生物学とも整合する世界理解のためには近代経済学は技術的に過ぎる。人間労働に価値を認める「マルクス」経済学を基礎にすることで社会的物質代謝の有り様をとらえることが可能になる。「マルクス」経済学の価値論、資本論を理解しないでは経済も、社会的物質代謝もとらえることはできない。[0009]

人類のこれからは、既定の社会的物質代謝の延長であり続けるのか、理知的価値体系によって新たな秩序へ止揚できるかが問われる。人類の前史を終らせ、真の人間の歴史を開始できるかどうかの画期を今、さまよっている。この国の前途はいかにも、暗くなりつつあるが。[0010]


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