「世界観体系化の試み」

事務屋の観ている世界像

[評価版]


 市川 徹
 



漠然とした、

しかも抽象的な全体から

世界の歴史と、構造をめぐり、

順次たどる

個人の生活視点まで


発展的要約 1997.9.1


続き §0.始めの始めに

概観    全体の構成

   §5.目次


課題  いただいた批判等



【世界観の試み】
 この著作は世界観を体系化しようとする試みである。
 哲学を「科学的世界観の体系」と定義する考えがある。私も哲学を同様に考える。これは「哲学書」でもある。しかしこの著作は科学の直接的成果としても、学問の成果としても認められるものでもない。一個人で世界全体を捉え、考えられる著作として具体化した”物”である。世界全体とその関連を手にできる物にすることをめざしている。
 可能であるなら書物としてではなく、電子データとして世界についての理解のネットワーク体系の一つの入り口として実現したい。個々の記述から根拠となるデータへ、専門家の論文、解説へ、具体例へ、そして反論へとリンク=ネットワーク上の関連づけし、現代の百科全書の一つの手引きとなることを期待したい。

【世界観と専門家】
 ところで、世界について、人生についての専門家はいない。哲学者といえども学者としての専門分野は限られたものである。学者の仕事として、職業として評価され、本人と家族の生活を保障している分野は「世界」「人生」に比べてほんのわずかな範囲しか占めない。
 しかし「世界」「人生」は誰でもが関わるものであり、多くの人が考え、悩み、一定の判断を下している。「世界」「人生」を考え、積極的に関わろうとするすべての人にとって、自分自身の生き方を問う課題である。例えいたとしても専門家に任せることのできない自分自身の課題である。自分に対して自分自身で果たさなくてはならない課題である。
 専門とするには広すぎ、問題が多すぎる範囲で、自分自身の生き方の指針を明らかにし、想像を超えた複雑さと多様性をもつ「世界」と「人生」について向かわなくてはならない。専門家に学びつつ、自分の生き方として引き受ける課題をここで整理する。

 それぞれの専門家から見れば、素人の知識のひけらかしにすぎないかもしれない。そうでなく、専門家の成果の何が基本的な問題であるかを評価し、その全体的関連を明かにして位置づける作業として見ていただきたい。また、誤り、不足を指摘していただきたい。

【世界観と評論家】
 世の中の何かを評論しようとするなら、少なくともここに取り上げる課題について、それぞれに自らの見解をもってほしい。評論を職業としていながら、基本的な問題を知らなかったり、意識的に無視することは職業倫理に反するだけでなく、その評論家としての社会的地位を利用した反社会的行為である。

【世界観と普通の人々】
 専門家でも、評論家でもない多くの人は、「世界」「人生」として関わる課題を一度整理する手段としてでも、私の仕事を見ていただきたい。抽象的な議論になじんでいないなら、第三部の具体的課題のうち関心のあるものから見ていただきたい。ただ、個々の課題だけでなく、その全体との関わり、より基本的課題との関わりが重要であることを留意して。

【世界観の思想性】
 この著作は思想としては社会主義・共産主義である。もっとも、「修正主義」と評価されるのかも知れない。社会主義・共産主義に反対の人も、具体的に何のどこが嫌いなのか、間違いだとするのか指摘する対象が必要であろう。
 東ヨーロッパの社会主義体制が崩壊した歴史的事実に対して今更何を、と言われる。しかし、地球環境、エネルギー消費、地域間格差、平和実現を問題にするとき、財政健全化、産業・金融政策の有効化、官僚機構の適正化を問題にするとき、民主主義、人権、生活向上、文化の発展を問題とするとき、そしてなにより人類の歴史の継承を問題にするとき、社会主義・共産主義に関わらざるをえない。
 今のままでは手だてが無くなってしまう。このまま人類が存続できなくなるのを放置するか、あるいは瓦解してから再建する途方もない犠牲を払うか。理性によって人類の展望を切り開くには、既存のイメージに関わらず、社会主義・共産主義の理想によるしかない。他に方法があるなら、提案すべきである。それがここに提起する「世界観の体系」とどれほどに違いがあるか確かめてみてほしい。

【著作としての特徴】
(1) 世界観は存在・認識・論理のどれかが基礎になるのではなく、その3つの分野の相互に補完し合った統一体として成り立つこと。
(2) 世界は相互に関連する関係のすべてであり、一つであること。
(3) 存在は相互に関係することであり、相互作用の重ね合わせとして個々の存在があること。
(4) 個々の存在には無限といえるほどの深い階層性があること。
(5) 相互の関連は運動としての存在であり、物質としてあること。
(6) 運動は方向性としてあり、運動は存在のあり方を発展させること。
(7) 人間社会は自然の物質循環中に組織される物質代謝関係であること。
(8) 精神は運動の方向性を認識し、存在関係を目的意識的に組織化すること。
(9) 人間は物質、生命、社会、精神の運動の統合としての文化を創造する類的存在であること。
(10) 価値は主観的判断によるものではなく、存在の方向性として客観的に定まるものであること。
 これらのことをすべての個別科学の成果によって明らかにしようとする。これらの内(1)(4)(5)(6)(9)は一般的にも主張されてきたことである。(2)(3)(7)(8)(10)は私が最初とは言えないが、それなりの独創性で主張するところである。


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