続き 第二部 具体的な物質の運動

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概観 全体の構成

   目次


第15章 思考概念

 思考は実践の対象と、実践についての概念の運動である。
 実践と結びつかない思惟は、検証できない概念の関連であり、思惟する者の まったくの自由であるが、当人の内のみの自由である。
 実践を場とし、また帰結とし、実践によって検証される思考は観念ではある が、現実的である。外部対象を概念として把握すること、そのことからして実 践的である。概念の主体間での交流によって、思考は社会的存在である。

 

第1節 思考の論理形式

【世界認識は矛盾である】
 運動する世界、変化発展する世界を認識することは矛盾である。
 認識は対象を概念として捉えること、固定することである。運動する対象を 静止した概念と等置せねばならない。認識そのものも変化発展する現実の運動 であり、そこに概念を静止、定着させねばならない。
 この矛盾を矛盾とし、対象との関係を一致させ続ける運動によって認識は発 展する。
 静止・固定した概念の絶対化によってこそ形式論理は成立する。静止・固定 した概念を絶対化することから形式論理から派生する誤りが発展する。

【思考形式】
 対象を概念として観念的に固定することは認識の重要な働きである。概念と して固定することは他と区別することであり、関係と関係するものどうしの異 同を明らかにすること、すなわち分析である。分析なくして認識は成り立たな い。しかし分析は総合されねばならない。区別された対象を総合すると、その 全体は概念の構造体として固定したものになる。当然運動する対象と概念構造 体との矛盾が生じるが、この矛盾を追求し、対象と概念構造体の乖離を分析す ることで運動=存在についての認識が発展する。
注169

【思考の発展】
 と言って、概念構造体を現実に合わせ、次々と打ち捨ててよいものではない。 普遍的な成果を引継ぎ、対象を新しく獲得しなければならない。対象のうちの 相対的な静止はまさに相対的であって、すべての全体が一度に変化するのでは ない。
 対象間の一元的関連だけではなく、変化する関連と普遍の関連との関係、変 化の変化として、関係の関係を高次の関連としてとらえられなくてはならない。
 この世界観自体そうでなくてはならない。

【論理関係】
 形式論理は認識を捨象し、認識の結果の概念関係を対象とすることで成立す る。
 個別論理自体は対象を持たないものを対象とする。個別論理の対象は論理操 作の対象であって、認識や実践の対象から捨象されている。個別の論理関係と して論理的に決まる操作規則を適用するというだけの抽象的存在が個別論理の 対象である。個別論理は関係自体をも対象とする。
 形式的対立は対象が限定されなくては意味をなさない。上下、左右、前後、 親子等々の形式的対立関係は相対的なものであり、対立関係だけでは真偽は意 味をなさない。対立関係が他に対して限定されることによって意味をもつ。他 に対する関係が基準になって真偽が決定される。
注170

【論理の目的】
注171
 形式論理では論理内の矛盾は許されない。許されないのは「AはAであって非 Aではない」からである。しかしAがAであることは何も意味していない、自家撞 着そのものである。恒に定まったままの存在、不変の存在はありえないし、意 味がない。全体の中にあり、変化運動として他と関係し、方向性があることに よって、全体に対する価値評価が可能になり、方向によって価値が定まる。逆 に、存在とは他と関係し、全体に含まれることであるし、価値は全体に対する 位置づけ、方向づけである。
 形式論理が論理として意味をもつのは、媒介された関係に適用されることに よってである。AがBであり、BがCであるとき、CがAでなくてはならない。Bに よって媒介されたAとCの関係で矛盾律が意味をもつ。

 

第2節 形式論理

 形式論理とは弁証法と区別するための名である。
 変化する対象全体にあって、変化しない部分を対象化することによって形式 論理は成り立つ。その意味で、科学は形式論理を基本的な方法にしなくてはな らない。
 科学の基本的方法としても、対象の全体と部分の関係は単なる包含関係では ない。全体の変化にあって保存される質を部分として対象化する。法則は変化 の中にある普遍的関係形式として求まる。そこにえられる形式の形式が形式論 理である。形式論理の成り立つ対象の存在、対象の認識、論理の検証としての 実践を対象とするのが弁証法論理である。

【形式論理の形式】
 形式論理は要素集合としての対象間の関係形式を取り扱う。形式論理の基礎 は集合論である。
 形式論理では対象の関係は機能として、関数として定義される。
 形式論理では要素間の作用は捨象される。要素集合としての概念は現実の対 象から捨象される。現実から捨象された概念は不変性、永続性を持つ。現実に は関わらない。現実と関わらない不変性、永続性が形式論理の一つの有効性の 基礎になる。(1)対象を記号として操作できる。(2)操作対象として厳密であり うる。
 不変的、永続的要素集合は記号との対応関係を不変的、永続的なものにする。 要素集合は記号体系の中で全体に位置づけられる。
 しかし、現実の対象の厳密さにはならない。逆に操作の結果と、現実の対象 の変化の結果との違いから要素集合の要素の選択、または操作の誤りが明らか になる。
 要素間の作用を扱うには、対象要素そのものを取り替える必要がある。

 形式論理では抽象概念も具象概念も区別できない。すべての論理対象を一元 的存在としてを扱う。
注172

【形式論理の基礎】
 形式論理は概念間の関係の論理である。形式論理は対象と概念の間の関係を 問題にしない。したがって、形式論理は概念自体の発展を問題にしない。
 形式論理では定義された概念は不変のものであり、変化したのでは概念の用 はなさい。定義された概念の相互の関係であるから、関係を演繹的に、帰納的 に操作しても関係の体系は変化しない。論理操作によって変化しない論理の体 系が形式論理である。論理操作によって論理的誤り、論理的欠陥が明らかにな る。論理的拡張によって対象を予測することができる。
注173

【概念の定義】
 形式論理が有効なのは定義された概念においてであり、概念の定義そのもの 過程と、対象と概念の関係は捨象されている。概念の定義の過程は対象の概念 化のことである。概念化は抽象の過程である。
 対象と概念間の関係を1対1で対応させることが定義である。しかし、対象 は全体性を内在しており、単一の存在としてはない。対象を普遍の単一の存在 としてとらえるために、個別科学の方法がある。対象に内在する全体性を捨象 し、対象の、対象とする他との関係を抽象し、その関係の一面でのみの対象の 特質をとらえる。
 定義される対象は多様な性質を持ちうるが、定義された対象概念自体は単一 である。定義された対象概念は定義による他との関係の結節、機能、要素とし ての「点」である。定義された関係としてのみ存在するから、曖昧さは入り込 まない。
 これが個別科学の厳密性の保証である。
注174

【形式論理の帰結】
 形式論理は定義された概念の関係を明らかにする。しかし、それは対象の関 係ではない。定義において対象概念の厳密化に要したのと同じ厳密性で対象と 概念の関係を逆にたどらなくてはならない。
 対象は定義された概念として関係し、結果を出す。しかし、対象の関係の過 程は定義し尽くせない。対象は定義された概念としてだけの存在ではない。

 まず、対象を確定的に観測できない(不確定性原理)。また3つ以上の対象 間の関係を定式化できない(3体問題)。
 ついで、対象をすべて観測できない。観測結果を計算するにしても計算時間 には限界がある。
 最後に、観測資源は有限である。計算資源も有限である。

 したがって、対象として定義するには、対象の選択判断が必要であり、その 判断基準は実践的課題による。

【形式論理と弁証法】
 概念の対象との関係づけには具象化、実体化の過程が不可欠である。形式論 理の現実への適応に欠くことのできない具象化、実体化の過程は形式論理の方 法では実現できない。抽象化された概念を対象と関係づけるには、単に1対1 対応の関係を維持するだけではない。論理は概念化の方法、すなわち定義の過 程を、最後までふまえなくてはならない。定義を科学者間の約束事と定義して はならないのである。
 概念の対象は普遍的、抽象的存在だけではない。対象の存在自体が運動の現 象過程であり、歴史的過程にある。現象過程、歴史過程にある対象を概念化す るには定義の過程自体が概念と結びついていなくてはならない。現象過程、歴 史過程にある対象の概念は、その過程とともに、対応して変化するのもでなく ては対象を反映しないものになってしまう。論理は概念の発展を表現できなく てはならない。論理の各段階で概念の定義が異なるのは、論理的に誤っている からではない。概念の変化を論理的にたどれることで、概念と対象との正しい 対応関係を維持できるのである。

 

第3節 論理と関係

 運動を概念間の関係として理解するのが論理である。
 論理の基本的概念は、措定、規定、媒介、転化、止揚である。
 措定は存在として単純であり、いわば産み落とされた即自的存在である。
 規定は他とのすべての関連を明らかにする、いわば組み立てられた向自的存 在である。しかし他との関係は直接的である。
 媒介は他によって存在し、他との関連としての即・向自的存在である。
 以上の措定、規定、媒介は存在の論理的概念であり、存在は措定され、規定 され、媒介されて現実の存在としてある。
 現実の存在は他との関連の中で他への転化として質的に運動する。さらに新 たな質的存在へと止揚される。

【措定】
 措定は個別そのものの内部運動関係である。個別そのものを維持する力、求 心力、統制力によって、諸階層におけるすべての運動を個別の運動として自律 する働きである。単独ではありえない抽象的運動である。部分が相対的全体と して、他に対して個を定立する。

【規定】
 規定は個別内の運動を全体の運動の中に位置づける。他の一般的運動によっ て、当該の個別の運動が形作られる。一般的存在関係によって、当該の存在関 係が関係形式化されることが規定である。一般的運動形態が特殊化する運動過 程が規定である。規定は個別の対象化であり、個別の論理的構成であり、運動 の存在過程でもある。
 部分からすれば、規定は他との全体における諸関係の中に部分を区別する働 きである。諸規定の総括として個別の具体的な存在形態が把握される。
 規定された存在は他から区別されただけであり、他との相互関にはない。規 定された存在の他との存在関係は直接的である。規定は直接性である。
 規定は存在を組み上げる運動の個別的現れである。存在としての運動の方向 は、いわば垂直的である。
 被媒介物を媒体から区別する作用が規定性である。

【媒介】
 媒介は他との関連として、他との区別としての存在である。
注175
 存在は媒体に対して媒体を超えた存在であるが、媒体間の相互作用として媒 介されて相互に存在する。媒体は媒介されるものの普遍的存在形態である。媒 介される存在は、媒体により媒介されて他と関連する。互いにそれぞれであり、 互いの関連なくしては存在しない。
 媒介は存在間の運動の全体的現れである。存在としての運動方向は、いわば 水平的である。
 媒介はより基本的階層の運動を、より発展的階層の運動がその内に意義づけ ることである。より基本的階層内では特殊な条件の運動であっても、同一階層 の同質の運動でありながら、より発展的階層の相互作用に特別の働きをする関 係が媒介である。より基本的階層の運動としては、他と区別することができな いが、より発展的階層の運動を規定してしまう、しかし規定はより発展的階層 内の運動に因って発現するのであり、より基本的階層の運動はそれを支える基 礎を与えているに過ぎない。

【転化】
 転化は個別そのものの運動が形質を変えることである。あるいは関係形式が 変わることである。
 転化によって個別の存在・運動自体は変化しない。すなわち、他の個別の運 動との相互作用はあっても、消滅・吸収や、分離などはせずに、その個別の運 動のあり方が変わることである。
 転化も個別自体の運動ではあるが、そのきっかけは、他との相互作用でにあ る。他との相互作用としての運動でありながら、相互作用自体が変わるのでは なく、一方、あるいは双方の個別のあり方が変わってしまいながら、相互作用 自体は維持される関係が転化である。

【止揚】
 止揚は個別自体が個別自体の運動により、個別のあり方を変化させ、より発 展的個別となることである。対立関係が新しい統一のもとに新しい対立へと転 化することである。
 止揚は発展であり、基本的存在は継承される。基本的存在を継承しつつ、新 たな発展的存在への転化である。旧前の存在関係を否定し、新しい存在関係へ 転化する。旧前の存在は継承され、関係が改まる。
注176

【形式的対立概念】
 すべての存在は他との関連にあり、全体のうちに位置する。関連し、位置す ることによって形式的関係をもつ。
 上下、左右、前後は相互関係の相対的区別である。

【相互関係の空間】
 相互関係による区別は対立と同時に比較の関係でもある。対立する双方の関 係は質的に一定であっても、量的に変化する。量的変化の可能性が自由度であ る。特定の質的関係に対応する自由度が定まる。質的関係の数によって自由度 の数が定まる。
 相互関係は特定の質に関して捨象・数量化され、その量的関係によって対象 の運動を計算可能にする。適正に数量化された相互関係の、関係相互の関係に よって空間、時間を形式的に表現できる。形式化された相互関係の種類の数が その時空間の次数である。
注177
 対象の運動と計算結果の間に誤差が生じるときは、数量化の誤りか、質の捨 象に誤りがあるかのいずれかである。
 ただし、相互関係を数式化した場合、双方向の作用を同時に解くことはでき ない。一方の被作用を捨象して基準としなくては、他方に対する作用を計算で きない。

 

第4節 論理の展開

【対応関係】
 結局論理は、関係の形式である  1対1対応から始まる。
 1対1対応が基本である。対象間の関係、対象と概念の関係、概念間の関係。 いずれも1対1の関係が定まらなくては論理は成り立たない。
 1対1対応の1として区別するもの、ひとつの質をそなえ他と区別されるひ とつを単位とする。捨象による存在形式の措定である。ひとつの存在は実在で あり、現実の運動形態として少なくともひとつの運動形態をとる。
 このひとつの1と他との区別の形式が集合である。
 ひとつの質において区別される1と他と集合によって包含関係が定義される。
 他の質からなる1と、その他と集合からなる包含関係により、集合間の集合 関係が定義される。部分集合、補集合、和集合、共通部分、空集合がえられる。
注178
 関数、濃度、順序、無限等について数学がたどってくれる。

【置換】
 続くのは「置き換え」である。
 1対1対応関係にあって、一方を別の形式に置き換えること。対象の要素関 係から関係の関係へ移行する。別の形式の「別」であるところに飛躍がある。 「ことば」、一般的には記号による「置き換え」。この「置き換え」が関係形 式を損なわずに、置き換えてえられる多様性が論理を発展させる。量的置き換 えの発展である。
 変化の可能性はそれぞれの状態を「値」として量的関係に置換できる。量的 関係はそれぞれ可能な値として「定数」をもっている。定数間の関係は、定数 の値を可変なものとして「変数」に置換できる。変数間の関係は「関数」とし て形式化できる。関数間の関係として「式」がまとめられる。式を構造化した ものとして「モデル」が組み立てられる。モデルによって対象がシミュレーシ ョン(模擬試行)される。

蛇足33

【移行】
 論理は定式化されるが、定式化で完了するものではない。「AはBである」と 定式化して終わりであれば論理の意味は失われる。
 「AはBである」ことが持続すること、あるいは「BがCになること」、「AがC になること」がなければ論理の意味はない。変化の中での継続、固定した関係 での変化があり、その関係をたどれることが論理の意味である。
 論理関係の移行は全体の変化の場合と、論理関係の構造化の場合がある。全 体の変化は論理関係の移行としてたどることができる。AがBからCになるのは、 「A=B」であったものが「B=C」となり、そして全体として「A=C」の関係へ変化 する。
 構造化は「A=B」と「B=A」とが区別され「(A=B)=C」と「(B+A)=D」としての 関係がつくられるばあい、「C」と「D」との関係は「A」と「B」との関係とは ことなる。構造にあって関係のあり方の質・階層が異なる。論理は構造化した 関係を移行し、たどって全体を明らかにする。

【帰納】
 対象間の関係を普遍化することによって、全体を明らかにすることができる。
 対象間の関係の論理が普遍的であれば、すべての関係をたどらなくても全体 を明らかにすることができる。

【類推】
 本質的要件が同じであれば、全体が明らかにならなくとも同じ対象であろう と、類推することができる。種類の分類とは質による区別であり、未知のもの を理解する場合であろうが、既知のものを分類する場合であろうが同じことで ある。
 関係構造の形が同型であることによって論理的飛躍が可能になる。論理関係 を一つひとつたどって全体を明らかにしなくとも、既知の関係構造から未知の 関係構造を類推することができる。
 同じ「型」が本質的な現れであるかないかによって、類推の有効性は異なる。 「型」が同じであることは、同じ世界の存在であることが物質的基礎にある。 同じ原理は異なる条件にあって形式が異なっても、同じ内容の現れ方をする。 同型による類推に根拠がないとは限らない。
注179
 同型による類推によって、対象の未知の要素を予測することができる。
 類推はひとつの要素が同じであることによって関連づける連想とは異なる。

【探査思考】
 思考は失敗が当たり前である。本来の失敗は取り返しのつかないことである。
 様々な可能性、方法の試行、限りない繰り返しによって成果がえられる。
 認識においても、行為においても、実践においても多様な、限りない試行の 繰り返しが必要である。感覚能力を獲得する生長過程でも、直立歩行への生長 過程でも、学習、実践すべての過程で試行は繰り返される。
注180

【論理空間】
 概念の包含関係、概念間の推移関係は双方向の関係であり、この関係による 概念の集合は構造をもつ。
 物理空間から独立した論理空間を構築することが可能である。

 

第5節 目的・価値

【継起的関連】
 継起的関連にあっては結果が原因に作用することはない。継起的関連はひと つの運動過程にあって、前段の結果が後段の原因となる。前段と後段の関係は 相対的な区別である。契機的関連は運動の素過程である。継起的関連では原因 と結果は形式的対立である。
 前段の結果だけが後段を規定する原因になるのではない。すべての運動過程 は相互に関連し、ひとつの運動過程に対して他の運動過程は条件として作用す る。継起的関連では、前段の結果が条件とともに後段の原因になる。前段の後 段に対する規定は定型的に決まるものではない。条件とともに前段が後段の過 程を規定する。
 継起的関連にあっては結果を目的とすることはない。ひとつの運動過程で、 結果が原因に作用することのない関係が継起的関連である。継起的関連の結果 を目的化することは、主観主義による誤りである。継起的関連では、目的を設 定することも、過程を変更することもできない。継起的関連では前段と後段は 直接している。継起的関連へは操作することができない。
 継起的関連は他の運動過程と相互作用の過程として全体に連なっている。継 起的関連過程間の相互作用は偶然の関連である。継起的関連の素過程に続く素 過程の関係には必然性はない。素過程の偶然の組み合わせとして、継起的関連 は他の過程と関連する。素過程間の関連は不定であり、方向性はない。素過程 間の関係としても、継起的関連の方向による目的の設定はできない。

【再帰的関連】
 再帰的関連にあっては結果が原因に作用する。再帰的関連はフィードバック 系である。再帰的関連は継起的関連の構造化によって実現される。契機的関連 の運動過程が構造化した過程として再帰的過程が構成される。基本となる素過 程の結果が再帰過程を規定し、再帰過程が基本的素過程に作用する。基本とな る素過程は時間的に保存される過程である。基本的素過程の運動要素は変化す るが過程は保存される。素過程が組み合わさった複合過程として再帰的関連が 構成される。再帰的関連は素過程に対する複合過程である。
 再帰的関連は結果そのものが原因となって新たな過程を繰り返す場合と、結 果が原因の条件として作用する場合と、原因から結果への過程に原因が作用す る場合がある。
 再帰過程が基本過程の原因として基本過程が再び繰り返される。基本的過程 の結果が、時間をさかのぼってその原因に作用するのではない。基本的過程の 繰り返し、あるいは基本的過程の継続に対して、その結果が作用するのである。
 再帰過程が基本過程の条件として基本過程に作用する。基本過程は素過程と して継続して繰り返す。再帰過程は基本過程の操作子=パラメーターとして作 用する。
 再帰過程が基本過程の組み合わせを規定する。先行する基本的素過程の結果 を引き継ぐ素過程の選択を、再帰過程が規定する。
 いずれの場合も継起的関連の原因−結果の過程にとどまらず、結果が継起的 関連過程へ再帰的に作用する過程まで含めての高次な運動過程として現れる。
 基本的素過程の連続、あるいは変化に方向性が現れる。他の運動過程との全 体的関連の場に基本的素過程が方向性をもって現れる。基本的素過程は他に対 し、生起するごとに不定な運動ではなくなる。基本的過程単独で方向性をもつ のではなく、基本的過程を制御する再帰的過程を含む系=システムとして、再 帰的関連=フィードバック系として方向性をもつ。

【目的の設定】
 再帰的関連の基本的素過程と再帰過程の複合した総過程、再帰系の方向が目 的になる。再帰的関連=フィードバック系の運動過程では、その総過程の全体 的関連の中で継起的過程の結果が目的として位置づけられる。再帰的関連とし ての複合総過程が、他の素過程との相互作用の場の中で方向をもった運動とし て現れる。
 全体の関連の中での個別の運動過程の方向として目的が現れる。目的があっ て運動が方向づけられるのではない。目的に対して運動を方向づけるのは、運 動過程から相対的に独立した主観である。目的に対する方向づけは主観の解釈 である。目的があって運動が方向づけられるとするのは、主観の解釈による転 倒である。主観解釈による目的によって決まる方向性は擬人化された幻想であ る。客観的運動としての目的は、運動の方向性として定まる。目的は主観的判 断の問題ではなく、客観的運動過程における実在である。
注181

【目的の転換】
 目的は運動の方向性として定まる。したがって運動の範囲によって目的は転 換される。素過程は相対的な運動過程である。すべての素過程は、現実には物 質の階層構造の中での過程である。相対的基準として設定される複合過程に方 向性が定まる。複合過程としてどれだけの範囲の素過程が構造化されるなり、 複合過程が単位となって高次の複合過程が構造化されるなりによって、方向は 転換されうる。目的の方向性の評価は、対象とする範囲によってまったく逆の 場合もありうる。
 要素過程の方向と、複合過程の方向の一致を保証するものはない。要素過程 と複合過程の不一致があるからこそ、階層として区別される。
 目的、目標が戦略的にとらえるか、戦術的にとらえるかによって違ってくる のは当然である。目的、目標は固定されたものではない。

【投機的関連】
 再帰的関連自体を操作することが投機的関連である。フィードバックに対す る、フィードフォアである。目的を設定して運動過程を方向づける操作である。 目的にしたがって再帰過程の構造を変更する。再帰過程の構造を変化させるこ とによって、複合過程の方向を変更することができる。素過程自体を変更する ことはできない。

【価値の設定】
 目的は複合総過程としての運動方向として現れる。複合総過程の運動が目的 を方向づける。運動の方向性はひとつの基準である。
 目的によって方向づけられた系では、すべてが目的によって方向づけられた 基準によって評価される。継起的関連の運動であったものも、方向づけられた 系ではその運動が評価される。それぞれの運動・存在の評価は、方向づけされ た基準に対する位置として評価される。方向づけされた基準が価値尺度であり、 それぞれ評価された位置が価値を現す。
 価値は全体の方向づけされた基準がなくては存在しない。方向づけされた基 準は再帰的運動過程によって存在する。価値も客観的存在であり、実在である。
 価値が目的や方向性と異なるのは普遍性である。目的や方向性は複合総過程 の範囲のうちで定まる。しかし、すべての過程は複合総過程を含めて全体の関 連の内にある。すべての過程は他の素過程、複合過程と相互作用する関連にあ る。目的、方向性の定まった基本過程に対し、他の素過程、複合過程は促進的 にも、抑制的にも作用する。これら他の過程の方向性まで含めて、全体の過程 が評価される。この評価の全体性が、価値の普遍性である。
 価値は対象とする基本過程に関連するすべての運動過程の評価体系として設 定される。客観的には全世界の関連の体系である。全世界の運動過程を対象と すれば、絶対的価値体系である。通常は、対象とする過程との相互作用が有効 な相対的全体における評価体系として価値が定まる。

【自由獲得の物質的基礎】
 継起的関連は必然的過程であって、自由は問題になりえない。継起的関連の 変化は偶然として現れる。再帰的関連によって継起的関連を方向づけることが できる。再帰的関連によって、継起的関連の必然性を偶然による変化ではなく、 制御によって変化させる自由が可能になる。単なる再現ではなく、制御できる 再現が自由の物質的基礎である。制御できる再現が自由の可能性である。
 目的、価値、自由には共に、運動の方向性に物質的基礎がある。

 

第6節 機能とモデル

 相互関係を結果から特徴づけたものが機能であり、機能の組合せで相互作用 を再構成しようとするものがモデルである。
注182

【機能による構造の単純化】
 機能は入力に対する出力の関係である。入力と出力は一定の関係にある。入 力から出力への過程は捨象されてしまっている。入力と出力の関係が安定して いれば、複雑な構造を単純化することができる。

【機能の限界】
 機能は入出力関係の抽象であって、入力から出力までの過程を反映するもの ではない。入力から出力までの過程の安定性を機能は保証しない。機能によっ て単純化された構造の運動は、それぞれの機能の安定性の評価をともなわなく てはならない。
注183

【機能の構造化】
 機能関係を構造化することによって、全体を模型・模範=モデルとして組み 上げることができる。モデルはひとつひとつの機能を全体の構造の中に位置づ ける。逆にひとつひとつの機能の定義が、モデルの中に実現されるかによって 評価される。
 モデルは構成要素であるそれぞれの機能と、機能の組み合わせ構造の全体と して対象を反映する。機能は対象の要素との対応関係だけを実現する。機能間 の関係は対象の要素間の関係を抽象的に実現する。
 機能は一つの結果と、それを出す原因との関係として数式で表現することが できる。数量的に入力と出力の関係を計算し、現実の相互作用を計算結果とし て予測できる。数的に次の結論を計算し、現実の相互作用との差から戻って初 めの数式関係を修正する。
 計算式として関係を定式化することにより、部分をなす個々の過程での変化 を検証しなくとも、全体の過程を検証する手段として、モデルは重要な方法で ある。モデルは現在の理解の到達点において、対象の変化を部分と同時に全体 の変化をも予測する手段として、制限されてはいつつも有効な手段である。
 大量の要素からなる運動について、個々の要素の変化が全体に対する作用を 評価するためにモデルは有効な手段である。また現実には実現できない条件で の要素と全体の関連する運動を評価することができる。再現性のない歴史的過 程を再現することができる。

【モデルの限界】
 モデルは結果から再構成された関係の体系であるから、対象からまったく独 立した観念的存在である。したがって対象を理解する手段とはなりえても、対 象を理解することにはならない。
 モデルによる予測は現実の結果と対応することによって、モデル自体の構造 を評価し直さなくてはならない。モデルは現実との対応関係によって改訂され 続けられなければ、対象を反映しないものになってしまう。

 

第7節 コンピュータ 情報の運動過程

蛇足35

【基本素子】
蛇足36
 コンピュータは物理的に電子回路と電気とを媒体とし、プログラムによって 機能する。電子回路内の電気の状態によってデータ、情報を保持、処理し、プ ログラムによって意味づけられる。電気の二つの状態の組合せでデータを表現 する。普通「オン、オフ」と呼ばれる二つの状態である。二つの状態の組合せ が、2進数の数値表現と等値て扱われる。2進数表現は電子回路上に実現し、 処理するのに適しており、また基本要素の「真偽」の判定状態としても単純で あり、基本である。
 2値の関係は1対1であり、比較の基本である。多数間の比較であっても、 1対1の比較の繰り返しで行われる。比較の繰り返しの方法によってその処理 速度が異なることはあっても、1対1の比較が不可欠である。
 2値の関係は媒体の制限の最も少ない関係である。形式さえ整えば、媒体は なんでも構わない。石を並べても、縄を結んでも、指折り数えても、電気、光 の点滅でも媒体は問わない。媒体は2値の形式ではなく、媒体自体の保存性、 取扱易さ、価格によって決まる。さらに、通信、複写の容易さが技術的だけで なく、文化的にも重要である。

 電気の二つの状態を処理する回路として、論理回路と記憶回路がある。回路 は電源がある閉じた、つながった電気回路であり、スイッチと出力を表現する もの、例えば電球によって論理回路と、記憶回路が実現する。スイッチは機能 すれば何でもよい。事実計算機も、リレースイッチ、真空管、トランジスタと 発展してきたし、ダイオードによっても実現できる。物理的には単なるスイッ チの機能であるが、このオン、オフを0、1の組合せとして2進数による数値 処理の意味づけをしたことに意義がある。

【論理回路の基礎】
 論理回路は論理積、論理和、否定を回路として実現する。
 回路に入力として直列のスイッチを入れることによって、回路は論理積を実 現する。2つのスイッチA、Bが直列であれば、A、B両方のスイッチがオンにな っていれば回路に電気は流れ、回路に電球Cを用意すれば点灯し出力はオンに なる。一方、あるいは両方のスイッチがオフになれば回路に電気は流れず出力 もオフになる。スイッチA、B、出力Cのオン、オフの組合せを表にすれば論理積 の真理表ができる。
 回路に並列のスイッチを入れることで論理和を実現できる。2つのスイッチ A、Bいずれか、あるいは両方がオンになっていれば出力Cもオンになる。A、B 両方ともオフになれば出力Cもオフになる。
 2つの回路に相互の切り替えスイッチを入れることで否定を実現できる。一 方の回路xが切り替えスイッチDによってオンになれば、他方はの回路yはオフに なる。xがオフになればyはオンになる。

【記憶回路の基礎】
 記憶は回路の階層性によって実現される。
 2つの部分X、Yからなり一方の部分Xが「オン」であれば、他方の部分Yが 「オフ」になる相反する状態を示す、部分が交互に変換する要素で実現する。 例えばシーソーの関係である。一方Xが上がれば他方Yは下がる。2つの状態、 「オン−オフ」または「オフ−オン」の状態の組合せができる。このXが「オン」、 Yが「オフ」の状態を1、Xが「オフ」、Yが「オン」の状態を0と意味づける。 X、Yの組み合わせ状態として1あるいは0が保存される。1、0が記憶される。
 記憶は取り出されなくてはならない。XだけあるいはYだけの状態としても1、 0いずれかの状態を表現できるが、他と関連して状態を保存することはできない。
 Xの状態をZに伝えるにはXの状態をZに移す。Zの状態を変化させるにはXの状 態を変化させる。Xの状態が変化したのでは、結果としてのXの状態が変化の後 であるか前であるのかを区別できない。
 XはYとの状態の違いとしてXの状態を保存できる。
注184
 記憶は入力され、また取り出されねばならない。
 この要素は部分Xに入力があった場合は元の状態に関わらずXが「オン」、す なわち全体は1を示す。部分Yに入力があったが合は元の状態に関わらずYが 「オン」、すなわち全体が0を示す。
 記憶を取り出す時に、別の回路に「オン」の信号を流し、記憶状態が「1」 ならXからの出力「オン」との論理積「オン」を取ることによって記憶状態「1」 を出力する。記憶状態が「0」ならXからの出力「オフ」との論理積「オフ」を 取ることによって記憶状態「0」を出力する。

【演算】
 論理和の回路は2つの要素の組合せ4組のうち、3組の加算を実現する。0 +0=0、1+0=1、0+1=1である。1+1は2進数では桁上がりが生 じ1つの論理和の回路では処理できない。論理和への入力A、Bを論理積の入力 にも取り、この出力Dを桁上がりのオン、オフとし、出力Dの否定と論理和の出 力Cとの論理積を始めの桁の出力とすることによって1桁の加算回路(正確には 半加算器)が実現する。1+1の論理和Cは1。その論理積Dは1で桁上がり。 D=1の否定D=0と論理和C=1との論理積は0。よって1桁目は0第2桁は1 で1+1=10の2進数の加算が実現する。
 減算は加算の逆算であるが、回路として実現するには複雑になるため、補数 の加算として処理をする。補数を作る回路は2進数の場合、各桁の「0」「1」 値を逆にし、最下位の桁に1を加算することで補数を実現する。桁の数値を逆 にする回路は、記憶回路よりも単純である。答えが負数になる場合は、桁数を 1桁多く取っておくことにより、その最上位桁の演算結果が「0」なら答えは 「正数」、「1」ならば「負数」と区別できる。
 積算は加算の繰り返し、割算は減算の繰り返しで実現される。繰り返しを電 気的に処理することは、人間が単純計算を繰り返すのとはことなり、誤りも、 飽きもない。
 比較は減算の結果でえられる。減算の結果が「0」であれば等しい。
 すべての演算は基本的に加算回路だけで実現できる。

【データ処理】
注185
 論理操作、記憶、演算それぞれに同じ要素の組合せによってデータ処理がで きる。要素の数を幾つ組み合わせるかによってデータの表現が決まる。1要素 では2つのデータの組合せしか区別できない。この要素数をデータをコードに して表現する桁、ビットと呼ぶ。1ビットは2つのデータを区別して表現でき る。「0」と「1」、あるいは「有る」「無い」、または「陰」「陽」。表現 形は何でもよいがコンピュータ内では電圧の「高い」「低い(アースされた状 態)」で区別、表現する。コンピュータから人間がデータを取り出して見るた めには、紙テープに穴をあけ、穴の「有る」「無し」を読み取ったり、数字や 文字に対応させ、タイプさせたり、ディスプレイ画面に表示させたりする。さ らに大量の数値データ全体の様子を把握するためにグラフにしたり、数量を位 置や色の違いとして立体的に、あるいは動画として表現する。
 4ビットでは2の4乗で16のデータのコードとして区別でき、10進数を 表現するに充分で、16進数まで表現できる。7ビットあれば2の7乗で64 のデータのコード表現ができ、アルファベットと10進数を表現できる。数千 の漢字を表現するには16ビットを充てている。このビット数が論理操作、記 憶、演算の処理単位であり、処理の目的によってビット単位は決まる。
 ビット単位のデータ信号、コードは、コンピュータの中で、論理回路の一つ の処理単位を通過することで加算されたり、記憶されたりと変換処理される。 論理回路の処理単位が順次直列につながっていれば、コードとコードの区別は 時間単位によって区切られる。ビット信号がただ連続して流れていたのでは、 コードとコードの区切りがつかない。
 論理回路の処理単位が並列につながっていれば、コード自体が平行した配線 回路に分割され、コードのビット数に対応した本数の配線が論理回路の処理単 位につながる。
 いずれにしても、データは時間で分割される。現在実用化されているコンピ ュータ内では、全体が一定の時間単位に区切られている。単位ビット数の信号 が、単位時間毎に変換処理される。単位時間はコンピュータ内の時計、水晶発 振子などの振動数によって管理されている。コンピュータの処理単位時間は振 動数、ヘルツを単位として表される。コンピュータは単位ビット数が多い方が、 単位時間が短い方が処理能力は高くなる。

 コードの対応変換は機械的に固定された回路によって処理される。回路内で は機械的、あるいは今では電子的スイッチが単位時間毎に入ったり、切れたり するだけである。二つのデータを演算する回路、一定の変換処理をする回路、 記憶回路にデータが入り、処理結果が出される。そのデータの流れは回路間の 配線と、配線を切り替えるやはりスイッチによって制御される。データの流れ を制御するスイッチをゲートと呼ぶ。ゲートの制御をする機能が処理回路毎に 用意される基本命令である。数十から数百の命令が用意されている。命令毎に 特定の回路に信号が送られ、ゲートの開閉が行われる。
 論理操作、記憶、演算はコンピュータ内ではデータと、データの流れのスイ ッチ=ゲートの開閉によって処理される。そして重要なことはゲートの開閉も データによって制御される。データ自体と、データを処理する命令もデータと して処理の対象になる。データを処理するデータ、そのデータを処理するデー タとして、データの階層構造を作ることができる。このデータの階層構造こそ がスイッチの開閉だけしかできない機械がデータを処理し、情報を処理できる 原理である。
 論理演算、記憶データの参照、記憶データの書換えがコンピュータの機械と しての機能である。ただ単なるこれらの機能が、必要なだけ繰り返されること、 大量のデータを処理できることによって、コンピュータは特別な能力を発揮す る。

【入出力過程での変換】
 入力データと出力データの意味づけが情報処理になる。入力信号を数値デー タとして、算術演算命令のデータと組み合わせて入力し、出力信号を数値に対 応させれば計算ができる。文字データと、定数と、算術演算命令のデータを組 み合わせて入力し、出力信号を文字に対応させるとアルファベットの大文字、 小文字の変換ができる。平仮名のコードの組合せと、一連の処理の組合せを指 示する命令を一つ入力すると、漢字のコードが出力される。
 入力は人間にとって意味づけられている状態を信号化し、内部コードに変換 することによって読み込まれる。キーボード入力は格子状に配線されたスイッ チの組み合わせが内部コードに変換される。
 内部コードは出力機器によって人間が直接扱うことのできる文字や記号、図 形、音、映像データと相互に変換される。文字コードは格子状の升目の状態 (ドット・マトリックス)として、あるいは輪郭線の連続と曲率の状態(アウ トライン・フォント)に変換され文字として読むことができる。
 データの意味づけの体系、情報処理を命令するデータの意味づけの体系がソ フトウエアである。コンピュータはハードウエアと呼ぶ機械とソフトウエアに よって実現されている。ハードウエアと電気と処理データだけではコンピュー タは機能しない。そして、データ意味づけの体系であるソフトウエアは、ハー ドウエアの制御、データ処理の制御だけでなく、人間の使用する言語、映像、 音の意味との対応関係も体系に取り込むことができる。データは数字、アルフ ァベット、漢字にとどまらない。光、音、その他量として、量の変化として表 現できるデータは、数値化することによってコンピュータ処理の対象になる。 文字、映像、音楽、音声、複数のメディアが同じ電気信号として統一的に処理 ができる。メディア間の意味づけの対応も関係づけることができる。
 ハードウエアの発達は目的とするデータ処理の能力だけでなく、処理結果を 人間に対して表現するための能力をも高めている。人間と直接対応するコンピ ュータは、本来のデータ処理よりも、人間とのデータのやり取りを人間に適し た方法で処理することに、より多くの能力を割くようになってきている。

【手続きのシステム化】
 コンピュータの機能は機械としての機能とは別にある。コンピュータが単な る計算機械ではなく、情報処理機械であるのはハードウエアではなくソフトウ エアの機能である。
 ソフトウエアはデータの集まりと、データの処理手順であるプログラムから なる。データはプログラムに対応した構造として意味を実現している。プログ ラムはデータの処理手続きを規定するものである。
 機械の処理手続きとプログラムの処理手続きの違いの本質は再帰性である。 プログラムはプログラムの実行順序、実行回数をデータの条件によって変更で きる。プログラムはプログラム自体をデータとして処理の対象にできる。この 機能によってデータを再帰的に処理するだけでなく、システム自体が再帰的に 機能する。
注186
 さらに、判断、作業、仕事の段取りの体系までも、ソフトウエアの体系に取 り込むことができる。
注187

【情報システム】
 データを処理する計算機のデータに、意味を与えるのは人間である。機械は データを処理する。人間がそのデータ処理によって情報を処理する。
 情報は生産され、蓄積され、交換される。その媒体がコンピュータであり、 通信設備である。通信設備は基本的にはコンピュータの中のデータの流れと同 じである。通信設備とコンピュータのデータの流れの違いは、電気特性やデー タコードの扱い方の違いであって、その違いは機械的に変換が可能である。コ ンピュータと通信設備は一体の物としてネットワークを実現している。

 

第8節 真理

【真理の存在】
 真理とは反映についての評価基準である。認識されたもの、認識され表現さ れたものが評価され、真理であると判断される。
 真理でないものは、錯覚か、幻覚か、想像かである。真理でないものもその 真理でない原因をそれぞれ錯覚、幻覚、想像等と明らかにされたならば、真理 に転化する。
注188
 真理は実践、認識において問題になるのであって、真理そのものが客観的存 在としてあるのではない。真理は認識としてつかむのであって、認識の対象と して捜し、認識の内に取り込むものではない。

【個別的真理】
 個々の事象、事柄について、真理を問うことはたやすい。私は「生きている」 これは真理である。私が死んでしまえば私は「生きていた」になるだけである。 「私」という言葉の示すもの「生きている」という言葉の示す状態にある事象 と表現が一致している。これを真理と言うのはたやすい。「私」という言葉が 示すものが死んでしまえば「生きている」と言うことはできない。生死の違い を問題にすることとは違う。ここに書かれた「私」という言葉と言う「私」は 一致していない。これは確かなことであり、「絶対」と言ってよい。個別的事 柄については、真理は問題にならない。

【求められる真理】
 真理を問うということは「生きるとは何か」といった意味が強調される。生 きることには真理と虚偽の存在が前提にされている。

 「生命とは何か」「人間としての生き方とは」といった問いに対する答えと しての「真理」はまた別の問題である。ここでは問題がまず始めにある。ここ ではまず「生命」「人間としての生き方」が定義されなくてはならない。その 定義が現実の存在と一致しているかどうかが真理の問題である。真理の構造が 違うのである。

 「ありのままに見る」「そのものを見る」などと言うのは意味がない。論理 構造そのものが恣意的である。「見る」とは可視光線を媒体としての対象との 相互作用であり、「ありのまま」「そのもの」を定義せずに「見る」ことを評 価しても意味はない。「見る」を生理的認識に限らず、認識一般に拡張しても 同じことである。

 同様に「究極の真理」と言ったところで「究極」なるものは存在せず、定義 できない。「真理」そのものが定義されずに、定義されていないものの「究極」 を評価することはできない。

【絶対的真理、相対的真理】
 絶対的真理が時、場所等に限定されていない真理の意味であるなら、そのよ うな真理は存在しない。すべての存在は限定されているのであるから。そのよ うな絶対的真理は存在するものにとって意味をなさない。絶対的真理は相対的 真理の対立概念として意味がある。
 真理についても相対性と絶対性は相互に浸透しあうものであって、形式的に 対立しているのではない。
 相対的真理は相対性を明らかにし、その相対性の限定内で真理であり、限定 により「絶対」に通じる。

【条件的相対性、部分的相対性、時間的相対性】
 相対的真理はその相対性によって限定されており、相対性を明らかにしなく ては真理ではなくなる。
 真理の相対性は条件によって限定される。対象を限定する条件、対象と「真 理」との関係における条件、「真理」そのものの条件によって制限される。無 条件の真理などは存在しない。
 真理の相対性は部分的である。対象とする存在は階層性をもち多面的である。 対象のすべてについて問題にすることはできない。対象のすべてを問題にしよ うとすることは、対象のすべての関係をたどって全体にいたり、対象を規定す ることができない。全体について個別的に真理を評価することはできない。
 真理の相対性は時間的である。世界は運動しており、運動を対象とする真理 はすべて制限される。普遍的運動を対象とする場合は、個々の運動ではなく、 普遍的・一般的な運動についての真理である。普遍的・一般的な運動であって も、時間は非可逆的であり、時間を遡って真理を問題にすることはできず、や はり時間的に制限される。

【客観的真理】
 真理は検証するものではなく、検証されたものである。
 真理は客体として存在するのではなく、対象と真理として主張されるものと の関係としてあるのであって、その関係が客観的存在でありうる。

蛇足37


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