概観 全体の構成
具体的世界についてである。
【具体的世界】
全体としての物質概念は抽象的存在として、第一部で問題とした観念の対立
概念であった。いわゆる「物質の哲学的概念」であった。
具体的な物質とは、物質の抽象的概念に対する概念である。
具体的物質の概念は、抽象的物質概念の示す元々の存在についての概念であ
る。具体的物質の概念は、現実の個別を示す概念である。抽象的物質の現象形
態としての存在である。
抽象的物質が現象するのは、どこかに存在する抽象的存在がこの世界に現れ
る意味ではない。この世界の媒体である物質が様々な現象形態をとって現れる。
物質の現象形態が意識に反映されて、抽象的物質として認識されるのである。
【第二部の位置づけ】
第二部では具体的世界全体における人間の位置づけが課題である。
第一部で取り扱った人間の存在は主観的存在であった。第二部では人間の客
観世界での位置づけを考える。
第三部の実践の対象となる世界を確定しなくてはならない。
多面的で、構造的で、多様で、極大から極小までの時間と空間におけるこの
全体としての世界を理論的に理解し、眼前の自分が生活し、働きかけている世
界を感覚的に、主体的にとらえるために、世界の運動、発展を個人がシミュレ
ートできる世界観モデルを手にいれなければならない。
抽象的世界像ではなく、捨象した全体像により、世界を再構成しなければな
らない。いわば世界の縮尺模型を、各個別科学の成果を材料にして組み立てね
ばならない。
【科学の特性】
具体的物質についての手がかりは科学である。なぜ科学か。なぜ科学的でな
ければならないのか。
科学の限界や、驕り、環境破壊の責任が問われることがあるが、他に適当な
方法はない。
科学はひとつの「真理」によって全世界を解釈するようなことをしない。科
学には客観性、統一性、社会性がある。
科学は主観とは関わりなしの存在を前提にしている。
科学の客観性はすべてを対象間の関連として、成果も、方法も論理的に統一
している。
科学は成果を社会的に評価し、蓄積し、交流している。
個別科学の研究者はそれぞれの世界観に基づいて研究テーマ、研究方法を選 択する。その選択において世界観が有効であることが望ましい。一方「世界観」 としてまとめられる世界観は、個別科学の成果を正しく後追いすることができ るよう望まれる。世界観は対象を個別科学より先取りすることはできない。
【専門科学者へのお願い】
具体的対象をもつ個別科学の専門家は、それぞれの専門について答えなくて
はならない。専門家として一般の人々に、その専門分野の何を知っておいてほ
しいか、逆に一般の人々のその専門分野に対する要求にどの様に答えたら良い
のか。
それぞれの専門分野の成果、最新の成果、それぞれの科学としての成果を一
般に普及しなくてはならない。正確に、わかりやすく解説しなくてはならない。
成果の普及手段を多様化しなくてはならない。非科学的イデオロギーを暴かな
くてはならない。
社会全体の科学的、技術的実践が、研究活動に反映されなくてはならない。
この専門家の努力なくして、専門分野の社会的発展は望めない。科学活動へ
の人的・物質的資源、資金の配分に対する支持をえなくてはならない。
【基本的事実の確認】
注3
「世界観」としては、個別科学の成果を確認しなければならない。「クオー
クなど存在しない。」「生物は進化したのではない。人間は生物とは別の存在
である。」「経済学に法則などない。」などと主張されたのでは「世界観」を
まとめることはできない。
かといって、個別科学の個々の成果を解説しても始まらない。一人では無論
不可能である。何人いれば可能である、と言える課題でもない。
個別科学の成果に世界解釈の証明例を探しても、世界についての論理的説明
にはならない。我田引水にとどまるならまだしも、個別科学の成果の理解を歪
めたり、個別科学の研究方向までも歪めかねない。
注4
具体的物質の世界について、「世界観」で述べるべきは、個々の具体的物質
の運動の世界構造を把握できるよう、個別科学の成果、研究テーマを配列する
ことである。個別科学の成果に付け加えるべきは、個別科学の体系化を確認し、
その体系・方法の解釈である。
【基本的事実関連の整理】
世界観での個別科学の成果の利用は、物質の運動形態の発展をたどることで
ある。いわゆる、物質進化についてである。物質進化の個々の過程で、物質の
運動形態の特徴、研究方法、解釈も考慮するが、それらの個別的課題は世界観
にとっては二次的な問題である。個別科学の成果を全体の中に位置づけ、互い
に世界の構造をより明確にするために、それら個別的課題に注意を向けておく
ことは重要であるが、世界観においては二次的である。
「個別科学の成果を解釈して「世界観」をつくる。」ことは世界を認識をす ることである。「世界観」は解釈の「仕方」に注目し、科学的方法としなくて はならない。現実に依拠すること。個別ではなく、現実の全体に依拠すること。 空間的だけでなく、歴史的、時間的に全体を見通すことが世界観の科学性の保 障である。
個別科学の成果によって世界を理解するには、必要な基本的知識の列挙がま
ず必要である。個別科学の成果が真実であるかの証明は、個別科学にまかせる
しかない。個別科学の解説はそれぞれの解説書にまかせるしかない。個別科学
の知識を列挙するのは、世界観として述べ立てることが何に基づいているのか、
その共通理解を確認するために必要だからである。
ところが、「世界観」を表現する段になると「世界観」にもとづく世界の解
釈にならざるをえない。ひとつひとつの事象を例にとるのではなく、普遍的な
存在・運動をテーマにするため「世界観」はどうにでも誤りうる。
「世界観」において科学性を保障するのは、それぞれのテーマがが具体的に
個別科学の何についてのものか明確にすること、解釈とその構造が論理的であ
ることである。
人間の推論が論理的に表現できないからといって、論理や論理的表現を無視
することは、どのように科学的知識によって修飾されていようがそれは科学で
はない。
【科学方法論の活用】
個別科学もそれぞれに方法について明らかにしており、方法論や論理を研究
対象とする専門分野がある。それぞれの学問自体の歴史を対象とする分野もあ
る。
特に数学、論理学、情報学は対象を限定はしていても、その範囲内では抽象
的対象の実証が可能で、方法論として避けられない。
また、「宇宙年」「地球年」「人生年」などの概念、いわば補助概念は個別
科学の成果を理解する上で、大変役に立つ。宇宙の歴史、地球の歴史など日常
の感覚からはなかなか見通せない。人生についても中学生には想像はできても、
見通すことはできない。それらの個々の事象を全体に、しかも詳細を全体の尺
度に応じて位置づけて理解するには、1年という時間尺度は有効である。
同様に空間尺度、論理尺度も有効である。論理尺度こそ、世界観の骨格をな
すべきものである。
【世界観の科学的限界】
個別科学の成果を整理するわけであるが、世界観としての整理の仕方が、ま
た問題である。
個別科学の成果は、われわれを驚かす知識にことかかない。素人からすれば
何でおもしろいのかいぶかる研究テーマもあるが、専門家は素人の常識を覆す
エピソードをいくらでも提供してくれる。だからといって、世界観は衝撃の強
度によって説得力が測られるものではない。奇をてらうのではなく、個々の事
実からなる全体像を提供しようとするものである。
それぞれの個別科学の目ざましい発展、そこに提供される科学知識を寄せ集 めても世界の全体像は見えないし、眼前の世界との一致はない。それぞれの科 学知識の位置づけ、整合性、方法論、科学としての完成度、見落としている穴、 成果の解釈、等の知識の多さ、多様性により簡単には世界像を手にすることは できない。
具体的物質の存在は運動であり、運動は相互作用であり、相互作用からなる
構造として存在の形式がある。これらは、運動論、関係(機能)論、構造(現
象)論、としても分類できる。
ただし、個別的物質存在を対象とするときであれ、全体としての存在を常に
念頭においておかねばならない。どのように基本的な存在であっても、全体に
位置づけられ、対象を通して全体と相互作用し、全体によって規定されている
存在なのであるから。より基本的存在であっても、より発展的存在の部分であ
るなら、より基本的存在として裸で存在するのとは違うのだ、ということを意
識しておかねばならない。
具体的物質は単に個別的存在なのではなく、全体との関わりとして、抽象的
存在としても有り、個々別々の存在ではないのである。
【中途からの始まり】
個人の認識も、社会の認識も、そして科学も、出発点は中途である。認識の
開始以前に認識の対象は存在していた。認識の対象は認識手段、認識方法より
も、より基本的構造をもち、認識可能な範囲をはるかに越えた存在である。観
念の世界とは異なり、現実の物質世界の認識は絶対の始めを決定できない。
認識の主体である我々は、宇宙の歴史の途中から生まれた。我々は生物を物
質的基礎として、世界の物質階層の中間に生まれた。認識は時間的(歴史的)
にも、空間的にも、対象の中途から始めざるをえない。我々の認識は、過去、
未来に向かって、より小さく、より大きい存在に向かって、より本質的存在へ、
より発展的存在へ向かって進まざるをえない。何か確実な真理を基礎として、
演繹的に認識を展開、発展させることはできない。
しかし、世界観は認識の結果を整理して、結果としてえられた始めから書き
始める。
【第二部の構成】
具体的物質は構造を前提としてより基本的存在から、より発展的存在へ検討
するのが適切である。物理学は逆に、より基本的存在を求めて発展してきてい
るが、世界を歴史的、構造的に理解するにはより基本的存在からより発展的存
在へとたどるべきである。
物質の構造の大分類は物理的階層、生物的階層、社会的階層、文化的階層の
4大分類である。この分類順はより基本的階層からより発展的階層への階層に
準じるものであると共に、世界の発展過程にも準じている。
これらを超えた階層、あるいは発展の可能性を否定はできないが、我々が問
題にしえるのはまずこの範囲内である。具体的物質についてここではこの4大
階層に対応して、第一編 物質の構造、第二編 生命の発展、第三編 人間社
会、第四編 文化の運動として位置づけ、整理する。
第一編、第二編は自然科学の対象分野であり、第三編は社会科学、第四編は
社会科学と人文科学の対象としてきたところである。ただし今日単純に割りき
ることはできない。
【世界観における自然科学】
第二部第一編、第二編は自然科学の成果の利用である。自然科学を利用して
世界観として確かめておくことは、第1に客観的世界認識の内容を確認するこ
と。第2に世界認識の形式を確認すること。第3に生きる実践のための評価基
準と実践技術を確認するためである。
【客観的世界認識内容の確認】
客観的に世界を理解することである。世界の一様性と多様性、複雑でありな
がら構成的な存在・運動の階層性、存在の歴史性と価値の基を確認することで
ある。
【認識形式の確認】
認識実践の確認である。科学方法論と社会的・個人的認識構造の確認である。
対象と主観・主体間の関係を確認し、主体・自分の位置を確認する。
【評価基準と実践技術】
科学の課題・方法・成果の評価基準を確認する。社会的認識としての科学活
動、社会的負担で行われる科学活動の評価である。
また社会問題の原因・条件・課題・戦略・戦術の評価である。
対象を利用し、対象に働きかける方法・手段の確認である。実践技術として
の必然性の認識は自由獲得の客観的条件である。
自然科学の解説書を傍らに置いて、物質の基本構造を確認する。
成果を追いかけ、解説を理解するのも大変だが、かたずけなくてはならない。
高等学校の教科書にでていることですら、入試が終われば粗方忘れてしまう。
受験科目以外の分野では、学ぶことすらしていない。いや、小学校の自然・社
会分野の教科書に出ていることすら忘れてしまっていることが何と多いことか。
その上、大学ではカリキュラムの再編で一般教養科目の評価はきわめて低い。
各階層における人間存在の問題を明らかにすることを根幹の課題として、す
べての、あるいは個々の現象の物質的基礎をたどる。
物理的運動も単なる繰り返しの寄せ集め、混沌ではない。秩序と発展が全体
を貫く。全体は全体であり、各々の専門分野の全体にはとどまらない。宇宙全
体の歴史、進化、発展の中にそれぞれの歴史、進化、発展を位置づけねばなら
ない。部分的に歴史、進化、発展を取り出してしまっては、必然性を見失い、
時間を逆転させ、観念論に陥る危険を持ち込むことになる。
概観 全体の構成