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概観 全体の構成

   目次


第14章 現象概念

 自分自身は部分としの存在であり、生かされている存在でありながら、主体 として世界を対象に働きかけている。また、全体の部分でありながら全体を反 映し、かつ自分自身を対象として認識する。
 他のものごとと、この様に運動する自分自身の存在が、世界をこの様に認識 することは単純ではなく、それなりの理解と道具、手続きが必要である。
 主体と対象の関係が相互作用の統合としてあり、対象を観察することですで に相互の関係は変化し、対象も主体も変化する。ましてや、認識を対象とし、 実践を対象とする場合に、その全過程で主体と対象の関係は変化し続ける。
 また対象も主体との関係だけに固定されてはいない。対象は他の物事ともよ り多く関係しており、変化、運動している。
 動的な主体と対象との関係にありながら対象をとらえ、概念として固定する には、動的関係を概念間の静的関係へ対応づける基準、道具が必要であり、手 続きを明らかにしておかねばならない。すなわち、基準概念、カテゴリーであ る。
 世界についての認識はこのカテゴリーを通した分析により、概念の系として 関連づけられる。概念の系の関連は、基準概念自体がもつ互いの相補性の現れ である。

 

第1節 相互作用

【存在と相互作用】
 存在は運動であり、運動として存在は現れる。存在の現れは他との関連であ り、運動は相互作用としてある。単独の相互作用はない。相互作用の連なりは 全体の連なりであり、相互作用は相互作用を内に含み、外に全体に連なる。
 運動がなんら秩序を持たない混沌のままであるなら、運動は運動ではない。 運動は相対的静止をその内に含むから運動であり、相対的静止が秩序である。 相対的静止を含む運動におて運動は対立を含む。相対的静止は一部分の運動で はない。部分としての相対的静止は、全体の運動のあり方である。

 全体が全体であるだけならば混沌である。全体が部分を持つことで対立が成 立する。全体に対立が生まれることで部分に分かれる。
 部分と全体の対立、そして部分と部分の対立として運動は秩序づけられるが、 この対立を全体は統一する。対立を統一し、秩序を与えているのが相互作用で ある。
   相互作用は独立しているわけではない。運動によって現れる要素が相互の作 用点として関係づけられる。作用によって要素の対立と、過程の統一が運動と して現れる。その「相互」という言葉から連想される関係と異なり、2つの要 素間の相互関係としてあるわけでもない。運動のもっとも単純な形式、もっと も基礎的な過程のことである。相互作用は要素間の関係ではない。双方向の作 用の関係として要素間を結びつけるのではない。
注152

【相互作用の関連】
 相互作用は全体の関連にありながら、部分が相対的に独自の運動をする関係 である。別々の物でありながら、全体の中では同じ階層に基礎をもち、単独で は存在しえない物事の間の関係である。孤立した作用などはなく、すべては程 度の差はあれ相互に作用し合っている。

 同じ運動形態の相互作用が並行して現れる。同じ相互作用も、他の相互作用 との関連の違いによって違った現れ方をする。当然のこととして異なる相互作 用も併存している。またひとつの相互作用が他の異なる相互作用との関連でま た別の相互作用をしている。相互作用は階層をなしており、一つの相互作用も その内により基本的階層の相互作用によって構成され、またより発展的な階層 の基礎となっている。

 相互作用の関係を認識するために用いるのが、基準となる概念であり、これ らは、物事の存在に関する概念、物事の運動に関する概念、そして認識に関す る概念に整理することができる。
 「存在」は本質と現象、内容と形式、個別・特殊・普遍、具象と抽象を取り 上げる。量と質は第二編第7章を参照。
 「運動」は偶然と必然を取り上げる。
 「認識」は原因・条件・結果、論理と歴史、可能性と現実性を取り上げる。

 

第2節 本質と現象

 本質とは個別、対象がそのものとして他と区別される決定的性質である。
 現象とは個別、対象の他の物事との関係における現れ方、あり方である。
 本質は持続的であり、必然的、内面的である。現象は一時的であり、偶然的、 表面的である。

【相互作用の本質と現象】
 相互作用は単独ではありえず、多様な相互作用の関連としてある。相互作用 は単なる並列的関連にはない。相互作用の関連は基本的相互作用から、より発 展的相互作用へと階層をなしている。基本的相互作用がなければ、より発展的 相互作用はありえない。
 しかし、基本的相互作用と発展的相互作用は、互いにそれぞれに対する規定 性をもつ。その規定関係の方向は固定したものではない。基本的な相互作用か らより発展的な相互作用への規定性とその逆の規定性は双方向であり、その形 式も多様である。
 相互の規定のそれぞれの強さも他との関連で異なる。同じ関連であっても、 他との関連により相互規定の関係は逆になりえる。
 相互作用の関連の規定性が本質である。相互作用の他の相互作用との関連に おける現れが現象である。

【本質と現象の対立】
 本質と現象は相互作用の関連としてある物事のあり方の二面である。物事の あり方として本質と現象は乖離し、対立する場合がある。より発展的存在ほど 他との関係は多く複雑であり、現象は多様である。より発展的存在ほど本質と 現象の乖離・対立が生じやすい。
 本質は存在の内的相互作用とその構造の保存としてある。
 現象は存在の他との相互作用の現れ、実現としてある。
 存在の内的相互作用とその構造は、他との相互作用とも相互作用の関連とし てあり、内外の相互作用は互いに否定的である。内的相互作用は他に対して特 殊化であり、特殊性を保存、発展させる。他との相互作用は一般化であり、普 遍的存在へ還元させる。存在の内的相互作用と他との相互作用は基本的階層で は同一の相互作用として連続している。存在の内外として存在によって区別さ れ、存在の内で存在としての規定性にある。存在の内的相互作用とその構造と して規定され、保存されている。存在の規定性として本質はあり、他との関連 としての現象によって他と区別される形態にある。
注153
 対象の内的相互作用の関連は、関係の形式としてとらえるのではなく、本質 と現象の論理的関連としてとらえなくてはならない。

【本質と現象の統一】
 本質と現象は、対立する2つの別の物ではない。ひとつの物事の存在として 統一してある。
 個別は現実に多くの階層をなし、各々の階層において多様な相互作用として 他の物事と関係している。相互作用全体は、それぞれの作用により常に運動し ており、かつ周囲の物事と、つまり環境あるいは条件によって変化するもので ある。その全体の運動、変化が現象である。そしてその運動し、変化しつつも、 個別としての全相互作用の統一が本質である。
 本質は部分的な性質などではなく、抽象的な存在でもなく、現象として現れ ている。しかし他との相互作用の過程、個別そのものが変化すれば、当然のこ ととして、本質は変化する。現象だけの存在、本質だけの存在などはありえな い。

【本質と現象の相対性】
 本質と現象は物事の属性ではない。物事のあり方そのものが本質と現象であ る。
 相互作用の関連にはより本質的か、現象的かの相対的関連がある。本質には 比較としてより本質的関連がり、現象には比較はない。すべての存在、運動は 現象としてあり、「より現象的」などということはない。

 本質としての規定性は他との相互作用との関連で強まりもすれば、弱まりも する。存在の内的相互作用とその構造が、他との相互作用との関連で存在規定 性を失うこともある。他との相互作用との関連が構造化し、存在の規定性を実 現するようになれば、本質と現象の関係は逆転する。それまで本質であったも のが消滅し、それまで現象であったものが本質になる。それまでの本質は、新 しい本質に対しては現象となる。本質的関連は、現象的関連と相互に転化しえ る。

【本質と現象の認識】
 直接に認識されるのは現象である。相互作用の関連の一部として認識過程が ある。認識は相互作用の関連をとおして対象の相互作用を反映する。認識過程 は対象の内的相互作用と直接はしない。対象の内的相互作用の他との関連にお ける現れを認識する。直接認識するのは現象である。
 しかし、認識は現象にとどまらない。相互作用の関連をたどることによって、 対象の内的相互作用を論理的にとらえる。相互作用間の関連から、対象本来の 内的相互作用を本質として認識する。
 現実的な存在として、本質は単純であり、現象は豊で複雑である。一般的普 遍的存在として、本質や現象を語ることはできない。

 

第3節 内容と形式

 個別を構成する相互作用の関連総体が内容であり、その全相互関係の統一さ れた、構成関係が形式である。

【内容と形式の関係】
 相互作用は任意の組み合わせによる関係ではない。互いに作用し合う対象性 の一致がなくてはならない。作用する対象性は対象によって規定されるのでは なく、作用のあり方によって規定される。相互作用の関係は、2つの作用によ って関連するのではなく、1つの作用の双方向の現れである。双方向の1つの 作用として現れる相互の対象は、その作用の関連として存在している。
 個別を構成する相互作用は、一定の運動として持続するもの、相対的静止で あるからこそ個別を構成するものであり、その運動の関連が内容である。相対 的静止の形が形式である。
 内容は存在に含まれる相互作用としての質であり、量である。形式は存在と しての相互作用関係の構造としてあり、他との関係として現れる。存在の相互 作用の現れとして内容と形式はある。
 内容が他と質的、量的に区別されるのに対し、形式はそのものの内なる関係 として他と区別される。形式は単に外観ではない。
 内容は他との相互作用によって区別される全体性としてあり、形式は部分と して、他との違いとしてある。内容は他との関連・同一として現れ、形式は他 との異同・区別として現れる。
 内容と形式は存在のあり方の二面である。内容は形式をともない、形式は内 容をともなう。相互にふさわしい形式と内容がある。

【内容と形式の乖離】
 内容と形式の乖離は、存在の他との関連において現れる。形式は他との関連 の組み合わせによって異なる関係をもつ。内容は他との関連として存在し、保 存される。
 形式は他との相互関係として現れる形式は他との対外的関連の変化に対抗し て保存されなくてはならない。形式の自己保存は自己再生の不断の動的過程で ある。形式は内容によって内在的に規定されるが、同時に他との関連によって 外的にも規定される。
 外的規定が強まり、形式の自己保存過程が自己目的化することで、内容との 乖離が生じる。形式の内容との乖離は、内容である相互作用を形式による他と の相互作用に従属させ、変質させ、内容と形式の当初の統一は破綻する。

【運動の内容と形式】
 他との関連の変化に対して形式が保存されるのは、存在が運動であるからで ある。形式は動的でなくては保存されない。個別の運動は他との相互関係の変 化として現れる。内的相互作用の構造の継続は再構成過程として存在し、運動 している。
 存在の内容として内的相互作用構造の関係があり、形式として整う。
 保存される形式によって、対外的関連は方向づけられる。内容と形式は現実 の運動形態として統一されて実現し、存在する。方向づけられる運動は方向を もたない運動を方向づける。混沌は秩序へ向かう。存在の形成期に形式化は内 容を整え、促進する。
 存在・運動の発展は他との関連の拡大である。他との関連の拡大は関係構造 全体の保存により大きな運動を必要とする。他との関連の増大率よりも、関係 構造全体の増大率の方が大きい。他との関連に対応する関係形式と、その関係 形式間の関係をも関係構造全体としてまとめなくてはならない。内容の発展に 従属していた形式化は、形式化のための運動によって実現される。形式化の運 動が独自性を強めることは、形式化の自己目的化である。
 形式の自己目的化は他との関連の質を変え、内容としての内的相互作用関連 の運動を促進するか、阻害する。形式化が内容と齟齬し、内容に対して阻害す るようになるなら、存在そのもののあり方の問題になる。

【認識の内容と形式】
 内容と形式の関係の矛盾と発展の過程は、過程として固定的な形式として対 象の解釈基準にしてはならない。形式化の形骸化は形式そのものを破壊する。
 対象の内容と形式は、対象の内的相互作用関連の関係構造全体を具体的に明 らかにしなくてはならないし、また関係構造全体を維持する形式化の運動過程 を具体的に明らかにしなくてはならない。対象に応じて内容と形式の関係を明 らかにすべきであって、内容と形式の関係形式を対象に当てはめて対象を解釈 してはならない。
 対象間の個別比較、時間比較で内容の比較、形式の比較それぞれに比較する。 その上で内容と形式の統一としての現実を認識しなくてはならない。内容ある いは形式が一致したからといって、すべてが一致するわけではない。現実の確 かな存在は、内容と形式の統一された存在であり、統一へ向かう運動である。

 

第4節 個別・特殊・普遍

【個別の存在】
 個別は一つ一つの物事である。他と何らかの関係で区別される存在である。 具体的で他と区別される存在単位である。「個別は単独の存在である」と言わ れることがあるが、絶対的単独は存在しない。存在自体が他との関連であるの だから。
 個別は一つの性質だけではなく、多様な性質をもった存在である。個別の多 様な性質は、他との関連形式の多様さである。個別の多様な性質のうち、個別 間に共通する性質において個別は区別される。個別は他との共通する質の部分 の関係として区別される。個別を区別するのは共通の性質と、異なる性質であ る。
 個別は存在形態、個別の本質と関わりなく、形式的に区別し特定することが できる。それらを諸個別と呼ぶ。諸個別は個別として他に同じ存在がありなが ら、その個別の本性には関わりなく特定できるものである。
 個別は部分として独立していながら全体の一部である。全体の存在として全 体の運動の一部としてありながら、特定の階層において他と区別される部分的 統一形態である。一つの相互作用の過程として存在し、他と関係している。個 別はその内により基本的な個別を構成要素として含む。
注154
 諸個別は一つの運動形態として存在し、他と区別されるが、全体の運動の中 で同じ運動形態をとる存在、すなわち同じ個別も多数存在する。諸個別がまさ に一つ一つ別物であれば世界は混沌である。個別が個別として区別されるのは、 区別される同質の存在があるからである。個別は個別として区別されるが同じ 個別として全体の中にある。

【個別と普遍】
 同じ個別としてある諸個別はその同じということ、同じ運動、同じ性質を持 つ個別として、普遍性を同時にもっている。他との関係にあって、入れ替えて も他との関係に変化を生じない個別は同じ種の個別である。同種の個別は、他 との関係が同じであれば時間、場所に関わりなく同じ関係をになう。他との関 係を時間、場所に関わらず再現される性質が普遍である。
 普遍と個別の存在は同じではない。個別は諸個別間で区別される。諸個別間 それぞれに、他との関係で区別される存在が個別の存在形態である。普遍は諸 個別の存在形態をとおして同一の他との関係として存在する。普遍は区別され る諸個別それぞれに共通する存在である。
 普遍は諸個別のように単独では存在しない。普遍は諸個別の存在一般として 存在する。諸個別がそれぞれでありながら、他に対する関係を同じに実現し、 変化させることによって普遍は変わる。一つの個別における変化が、他の個別 でも生じるのは、その個別の存在関係の変化としての普遍的変化であるからで ある。普遍的変化は諸個別に属して起こる個別的変化とは異なる。
注155
 同じ個別でありながら、全体の中で別々にあるものとして個別は普遍である。 普遍的なものとして他と区別されるが、その同じものとして互いに個別は区別 される。

【普遍と一般と共通】
 普遍と一般は同じである。普遍と一般の違いは内容の違いではなく形式の違 い、意味あいの違いである。普遍には範囲として限定されない。一般は個別間 の関係としての広がり全体である。普遍の範囲は相対的であり、一般の範囲は 絶対的である。
 共通は複数の対象のどれでもに備わった性質の集合としてある。一つの性質 によって定義された要素の全体集合が共通である。これに対し、普遍は複数の 集合間の積集合である。

【普遍と特殊の機能分類】
 普遍性の機能としてとりあえず数え上げるなら、互換性、変換性、流通性、 保存性、発展性、関連性を挙げることができる。この逆が特殊性である。
 互換性は一つの機能が組み込まれるシステムに依存しないことである。
 変換性は媒体に依存しないことである。
 流通性は他との空間的変化と構造変化に影響されないことである。
 保存性は時間の経過に影響されないことである。
 発展性は環境・条件の構造変化に影響されないことである。
 関連性は他との関係にによって実現されることである。

【普遍と特殊の相互転化】
 2つの性質を問題とし、その性質の一方を基準にし、他方の性質の分布をグ ラフにするなら中央の盛り上がった釣り鐘状のグラフになる。頻度の高い中央 の値からの偏差の大きい離れた部分は特殊な存在であり、中央付近が普遍的存 在である。存在分布としての普遍性と特殊性の関係は固定されたものではない。 全体の分布が移動する場合と別の性質の分布との関係で変化する。
 全体が移行する場合は移行方向にある特殊はやがて普遍的存在となり、普遍 的存在はやがて特殊な存在になる。
 別の性質との関係では、当初の性質の分布で特殊な存在が、その特殊性を中 央値とする別の分布グラフを描く。性質の異なる分布間の関係で普遍と特殊は 相互に転化する。

【現象の普遍性と特殊性】
 存在の現象形態ではより基本的階層が普遍的であり、より発展的階層が特殊 的である。より基本的階層はより発展的階層の媒体である。基本的階層である 媒体を特殊化することでより発展的存在形態が実現される。より発展的階層間 の関係は媒体間の関係より抽象的である。発展段階を異にする他の存在との関 係における普遍性は抽象的普遍性である。
 より発展的現象形態は媒体の特殊性に依存しない存在の普遍性を持つ。存在 の普遍性は具体的普遍性である。
注156

【個別と特殊】
 同種の個別が諸個別として区別されるのは個別の本性とは関わりのない性質 を含みうるからである。同種の個別でも、その非本質的性質によって区別され る。
 特殊は現実の存在として、他との相互関連にあって異なった状態にある。個 別は内在的に同質の部分として区別されるが、他との関係で異なった現れ方を する。個別は他との関係で特殊化する。

【個別と集合】
 同質の個別が全体として他と区別される関係は集合である。個別間の任意の 関係として集合がある。諸々の個別間の一般的関係とは別に、同質の個別の集 まりとして他の質の個別、あるいは集合と関係する。他と区別される個別の集 まりとして集合がある。
 集合は全体に対する部分の関係ではない。集合は相対的個別間の関係である。
 関係形式として個別は集合の要素である。集合の要素として個別が定義され ることによって、集合が定義される。

【個別と類】
 互いに依存して存在する個別が類である。一般的個別は個別単独で存在し、 同種の個別には可換性がある。しかし、個別としての存在そのものが相互に依 存している個別は単独では存在できない。存在を規定する他との関係に、同種 の個別との関係がなくてはならない個別の存在が類的存在である。個別間の相 互規定性によって、それぞれの個別としての質をそなえる。生物は類的存在で あり、ヒトは最も類的存在である。
 類的存在は個別の特殊な存在である。類的存在はその内に多様な普遍性をも っている。

 

第5節 具象と抽象

【個別と具象】
 個別は多種多様な相互作用をしているが、そのすべてが個別の具象であり具 体的存在である。したがって具象は非本質的な関係を多数含んでいるが、それ だけ現実的で豊かな関係である。

【個別と抽象】
 個別としての全体の運動を個別として相対的に静止させておく関係が抽象的 個別の存在である。とりだされた抽象としての関係は、それだけでは現実的で はない。現実の多層、多様な関係を持たないのだから、具象も抽象も、全体の 中での個別の連関の区別である。
 「個別」として表現する対象も非常に抽象的な概念である。最も具体的存在 の抽象的概念である。具象は外部対象に対応する感覚対象の集まりであり、感 覚対象を知覚対象として統合している。

【実体的抽象】
 実体的抽象は存在に関する抽象である。対象の運動形態としての実在である。 質量、運動、生命、社会、精神等としてある。
 実体的抽象は基礎的存在関係を超えた関係として存在する。実体的抽象はそ の存在媒体によって規定されない。
注157
 実在はより基本的存在によって媒介されている。実在は媒体であるより基本 的存在によって存在を実現しているが、媒体によって存在の本質を規定されて はいない。媒体によって存在を実現していることは絶対的である。実在として の運動の基礎は、媒体によって実現されている。実在を実現する形式も媒体に よって規定されているが、実在としての規定はより発展的存在のあり方自体に よっている。
注158

【形式的抽象】
 形式的抽象は認識に関する抽象である。対象の存在ではなく、存在の現れと しての関連を対象とする。対象の他との存在関係としての関係、数、論理が形 式的抽象である。相互作用の関連を抽象するのではなく、相互作用の要素間、 相互作用間の関係形式の抽象である。
 形式的抽象は思考による抽象である。形式的抽象は認識によって実在性を実 現する。

【抽象と捨象】
 抽象は対象の本質的性質による他との関係を対象にする。捨象は対象の特定 の他との関係を対象にし、その他の多様な関係を捨てる。
 抽象は全体を反映するが、捨象は部分を反映する。

【抽象と観念】
 抽象も実在である。形式的抽象は観念としての存在であるが、観念自体抽象 としての存在である。観念は中枢神経系を中心とする(他に体内環境も影響す る)活動を物質的基礎としての実在である。中枢神経系の生理的活動は、抽象 的運動の方向づけなしには成り立たない。観念としてのみの存在ではない。ま た、形式的抽象も実在の対象の実体的抽象を反映している。
 観念自体抽象的な実在であるから、対象の抽象的実在を反映できる。さらに 観念は抽象的実在を離れ、形式的抽象の論理によって、実在から切り離された 抽象的観念的存在として扱うことができる。実在を反映しない抽象を観念は創 出できる。

 

第6節 偶然と必然

【運動の内因と外因】
 個別の運動について、その内的な運動、個別内の動因に因る運動は必然的な ものであり、個別以外の物からの作用による運動は偶然的なものである。逆に、 内因と外因の区別による内外の対立は偶然と必然の区別によることにもなる。 しかし偶然と必然は形式ではなく内容である。偶然性と必然性とによって現実 の運動は起こっている。現実の運動である限り、必然性のない偶然性は混沌で あり、偶然性のない必然性は発展しない。
 偶然は不確定性であり、動的である。偶然のデタラメさは確定することはで きない。確定されたデタラメは、偶然性をもたない。偶然性は過程として現れ る。
注159

【偶然を貫く必然】
 必然性は偶然性の中で発展し、現実的なものになっていく。全体はひとつで あり、二つはない。全体の存在は二つとなく、偶然も必然もありえない。部分 は多様であり、部分間の関係は偶然である。部分の全体としてはひとつの運動 として普遍的で、無二であっても、部分間の関係は一つではなく、無限である。 部分間の関係は偶然である。
 部分間の偶然の関係にあって相対的全体の運動が発展する。偶然の関係から 関係の継続として、相対的全体の運動が実現される。偶然に対する継続として 相対的全体の運動は必然的である。必然は偶然の関係の中にあって、偶然でな い関係を実現する。

【必然を破壊する偶然】
 必然は不可避なことでも、確定したことでもない。
 必然の関係は偶然の関係の中にあり、偶然によってその継続を断ち切られる 可能性をもっている。
注160

【偶然と必然の相互転化】
 個別間の相互作用として、より発展的個別を成立させる前後の相互作用にお いても、偶然性と必然性は問題となる。また個別の発展階層によって、偶然性 と必然性はことなり、より発展的なほど個別の構造は複雑になり、その対外的 関係もふえ、その運動に偶然性が増す。
 運動の発展につれて偶然性と必然性は相互に転化する。運動の発展により、 より発展的個別は成立するが、より発展的個別の成立により偶然性は必然性に 転化する。したがって、個別は必然性の発展である。必然性として個別を成立 させる運動の固定、相対的静止に関わる。

【偶然性と統計】
 統計における母集団とサンプルの関係は恣意的であってはならず、形式的偶 然によってサンプルが決定されなくてはならない。サンプリングの偶然による 偏りを防ぐために、過去の統計による母集団の区分が利用される。
 偶然性はデタラメさを保証するものでありながら、偶然によってデタラメさ が失われることもある。個々の偶然的に決定されたサンプルによって、母集団 の全体的傾向が代表される。
 一般的に存在にはバラツキがある。バラツキは標準値が最も大きく標準から 離れるほど小さくなる。標準値からの距離は個々の存在の必然性には関わりな い。標準の存在が必然性ではない。個々の存在の必然性は分布することである。 存在を問題にする時、標準のみを対象にしてはならない。標準の運動は運動の すべてを示すものではない。標準の運動を基準にして、標準から離れた運動を 切り捨てることは、全体の存在を否定することになる。標準の運動を現す論理 で、すべての運動を代表させることは論理的ではない。
注161

 

第7節 原因・条件・結果

【原因と結果】
 原因と結果は、一つの現象の運動過程の初めと終わりの状態である。
 したがって、現実の無限の相互作用の中から対象となる現象を抽象し、評価 するものであるから現実の運動に対し部分的であり、また主観的な評価である。
 対象となる現象を抽象することは、既に因果関係を評価の基準にしており、 また対象となる現象は、階層をなす複雑な相互作用の一面を評価するに過ぎな い。
 一つの結果は次の過程の原因になる。したがって、因果関係は固定的に原因 と結果を結びつけるものではない。

【原因と条件】
 原因は運動の内部矛盾であり、条件によって規定されつつ矛盾を発展させ、 新たな統一として結果に至る。原因が同じであっても、条件が異なれば結果は 異なったものになる。
 一つの過程の結果は次の過程の原因になるだけではなく、他の過程の条件に もなる。

【結果からの原因】
 バタフライ効果は蝶の羽ばたきが、世界の気象への影響を主張する。初期値 の極わずかな違いが、結果に大きな違いをもたらすことを強調するために言わ れている。しかし、原因から結果をたどることはできるが、結果からその原因 をたどることは容易ではない。まして、結果から原因を論理的に導く法則を発 見することはほとんど不可能である。
 個々の運動過程の因果関係を取り出すことはできる。しかし、個々の因果関 係の関わり合いの組み合わせは、ほぼ無限の可能性をもつ。個々の原因が結果 に対してどれほどの規定性を持っているかを評価しなければならない。

【因果関係】
 因果関係は全体の相互関係の一部分であるから、結果は新たな運動の原因と なり、また、他の因果関係に条件として作用する。
 発展的運動にあっては同じ原因でも、前の結果とは異なった結果を出す。

 因果関係は相互作用の構造の一部分を捨象する、時間的形式化である。

【存在形式と現象過程】
 世界がひとつであり、すべては全体の関係の中にあるのであっても、それは 存在形式である。ひとつの個別が全体に直接作用することはない。ひとつの個 別は周囲の限られた他の個別に作用するだけである。限られた他の個別に作用 すること自体は、存在形式としては全体の中での作用であって、全体の運動の 一部分として全体に影響を与えている。存在形式と現象過程は区別されねばな らない。

【相互作用と因果関係】
 相互作用の作用対象に対する作用は因果関係ではない。相互作用の作用対象 に対する作用は存在の実現である。
 相互作用の継起する過程、複合する過程として因果関係はある。相互作用過 程の経過の前後の関係として因果関係がある。
 個別の作用は遠隔力ではなく、近接作用である。現実に相互作用している関 連の中で作用しえるのであって、現実の相互関係から離れた個別に対して作用 しえない。
注162

【因果関係と統計】
 現実の運動の過程、展開は偶然のまっただ中にある。しかしそれが現実の運 動の中にある限り現実の運動法則にしてがっており、法則は偶然性を貫いて必 然性として結果する。相関関係による因果法則発見の有効性はここにある。逆 に相関関係の有意性の評価なしに、統計処理の結果を法則視してはならない。

 

第8節 論理と歴史

【歴史性と非可逆性】
 個々の運動は繰り返されることがあり、再現性がある。個々の運動の繰り返 しは形式的関係である。個々の関係形式は繰り返し現れる。
注163
 形式の再現性は、歴史的必然性を示すものではない。運動全体、すなわち世 界は一つの方向に向かう。定方向の運動として全体がまとまっている。逆戻り したり、繰り返されることのない非可逆性が歴史性である。

【歴史と時間と順序】
 歴史性は時間的経過と関係するが、一致はしない。個々の運動過程から抽象 された時間と、個々の運動とは一致するとは限らない。あるいは比例して経過 することはない。
注164
 どのような飛躍にも前段階がある。発展順序の必然性は法則性であり、論理 的である。原因と条件が整って結果が現れる。実践手段があっても、手段だけ では目的は達せられない。手段は条件を整えることができるだけである。強力 な手段だけの実践は目的をも失わさせる。

【歴史と法則性】
 歴史も運動であり法則をもっている。しかし歴史のように、より全体的な法 則は部分的な運動を通して現れるのであり、傾向として現れる。歴史法則は部 分的運動法則の合計として、結果として導き出されるものではない。
 歴史は相互作用の現実的結果であって、発展法則はそのものとして歴史に現 れはしない。歴史の発展法則は、前進と後退を繰り返して貫かれることこそ、 現実的な現れ方である。
 相対的全体の歴史的経過には再現性がある。しかし、いずれも典型的・歴史 的経過ではない。しかも、相対的全体は分離・独立たものではなく、相互に関 連している。

【歴史と論理】
 物理法則ですら歴史的に発展してきている。物理理論の発展の意味ではない。 宇宙の歴史は物理法則の発展として現れている。人間社会も宇宙の一部分であ る。物理法則だけで社会発展が実現しはしないが、物理的基礎なしに社会は存 在しない。
 歴史は法則性を持ってはいるが、個々の歴史的事象を確定的に関係づけるこ とはできない。歴史法則の論理は歴史の実現過程を決定しない。歴史法則の論 理は歴史の実現過程で現れるが、実現過程そのものではない。
注165
 歴史の法則性は、特定地域の社会発展の標準の形として現れはしない。歴史 の法則性は具体的な、偶然の条件の中で実現される。歴史の基本法則は傾向の 法則として貫かれる。
注166
 歴史は個人の実践によって担われるが、個人は歴史的発展段階によって形成 される。
注167

【歴史的到達点】
 発展する運動の論理は歴史的段階によって異なる。運動法則の発展が歴史で ある。単なる繰り返しは歴史にはならない。量的拡大は歴史にはならない。質 的変化の蓄積が歴史である。
 歴史的段階にはそれぞれの段階の運動法則がある。基本的運動法則は歴史的 に普遍であっても、歴史的段階を画する運動法則はその時代独特のものである。 各時代の運動法則の全体は、基本的運動法則をふまえた、発展した独自の運動 法則として実現される。
 歴史的に最も発展した存在を明らかにすれば、歴史的過去の運動法則も明ら かになる。逆に過去の存在を明らかにしただけでは、その後の存在を明らかに することはできない。その場合、可能性を見つけられるだけである。
注168

【歴史と実践】
 歴史性、歴史的必然は過去のことではなく、現在の実践によって現れる。
 歴史法則の論理は変更することができない。発展には段階がある。基本的段 階が整わなくては発展は実現しない。基本的段階を整えることを、政策的に実 行することはできるが、政策によって基本的段階を無視することはできない。
 歴史の実現過程は変更可能である。歴史法則に従う実践も、逆らう実践も現 実にある。実践を放棄して歴史法則は実現しない。歴史の前進に逆らう現在の 利益の方が現実的である。建設よりも寄生、破壊の方が安易である。現在の利 益を制限してまで実践することで歴史法則は実現する。現在の利益を制限する 必然性を歴史的に明らかにすることで歴史的実践が実現する。
 歴史的実践は歴史法則に従い、歴史法則の論理を実現することである。
 実践の誤りは批判され、克服されるべきものであり、避難されるべきもので はない。
蛇足32

 

第9節 可能性と現実性

【現実性】
 現実性は概念と外部対象との関係である。概念は外部対象と対応し、外部対 象の実現されるべき目標として理念である。理念は外部対象として実現される べく、外部対象を反映する。現実性は理念とその対象の運動との一致の評価で あり、一致の程度が問題になる。
 現実性の程度は可能性の程度との比較である。理念は現実性と可能性を合わ せもつ。可能性がすべて実現されて現実となる。

【可能性】
 可能性の評価は主観の問題である。主観による概念間の関係の評価であるか ら、あらゆる可能性を認めることができる。主観の存在自体を否定することも 可能である。世界の運動法則、あるいは世界についての認識を否定する可能性、 すなわち不可能も含む可能性も主観は承認することができる。これは不可能性 である。論理的に矛盾する概念は、観念的にも不可能と評価される。
 可能性はどれだけの不可能を明らかにしたかによって現れる。不可能である ことを確かめることによって、可能性は確かなものになる。
 可能性は偶然の組み合わせとして客観的条件でもある。必然も絶対的には実 現していないから必然なのである。必然は偶然を退け、可能性を汲み尽くすこ とによって実現する。

【不可能性】
 不可能性には対象の運動法則、認識の論理を否定する無条件的不可能性と、 一定の条件さえ整えば実現の可能性がある条件付き不可能性がある。
 関係の組み合わせは無限にある。外部対象として存在することも、存在しな いことも組み合わせることができる。しかし、現実の関連を実現しない組み合 わせは、外部対象として存在しない。存在することが現実の関連を実現するこ とであるから。現実の関連を実現しない組み合わせ・関係は無条件的不可能性 である。無条件的不可能性は観念としてのみ存在可能である。
 現実の関連として実現されていないが、関係形式が現実の関連と連続した関 係は、現実との関連さえあれば実現する可能性がある。現実との関連が整わな い不可能性が条件付き不可能性である。条件付き不可能性の存在構造は、他の 現実の存在と同じ関連にある。条件付き不可能性は、内部の論理に矛盾はない。

【抽象的可能性】
 条件付き不可能性は、条件が満たされれば可能性へ転化する。それは形式的 抽象的可能性になる。現実の運動とまだ結びついていない可能性であり、概念 あるいはイメージの運動としての存在である。抽象的可能性は現実の運動に対 応するだけで、現実の運動の実現とは結びつかない。抽象的可能性は現実の運 動によって確かめられることもない。
 しかし、運動形式が現実の運動に対応するようになると、形式的抽象的可能 性は、現実的可能性へと転化する。抽象的可能性は現実の運動によって担われ、 現実の必然性と偶然性の入り交わる運動過程にはいることにより、実在的可能 性に転化する。

【実在的可能性】
 実在的可能性は現実の運動の多層多様な相互関係の中にある。実在的可能性 は偶然の阻害条件を取り除くことによって、現実性へと必然的に転化する。
 現実は実現の過程である。諸々の部分の関連は偶然の組み合わせである。そ れぞれの部分の存在は現実の過程であり、実現された存在である。既存の実在 が偶然の関連ではなく、必然的関連を実現することで実在を実現し続ける。実 在的可能性は実現されなくては可能性にとどまる。

 主観から評価すれば、運動は可能性から現実性への転化の過程である。この 転化がなければどの様な可能性も不可能性にとどまる。可能性は汲み尽くされ ねば不可能である。現実性への条件をすべて整えねば可能性は実現しない。


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