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概観 全体の構成

   目次


第13章 認識

注144

【認識と意識】
 認識は対象と主体との関係の意識化である。
 認識は対象と主体の相互作用であり、その最高の発展段階である。「対象と 主体の相互作用」と抽象してしまうが、実在として階層性はあるが、分類しき れない多様な関係の総体としてある。対象と主体の区別すらない相互関係から、 同化と異化の物質代謝過程、情報処理過程、そして主体にとって自他を絶対的 に区別する対象と主観との相互関係までを含んだ相互作用として認識はある。 そこでの認識の他の相互作用との本質的違いは対象と主体の関係そのものを対 象とすることである。一般的・基本的対象と主体との関係は互いを対象とする。 しかし、認識の関係では互いの関係を対象とする。
 「対象を認識する」問題は、対象と相互関係・相互作用できるかどうかでは なく、対象との関係を意識できるかの問題である。

【認識の媒体】
 対象と主体との関係は一対一の対応関係として形式化されるが、対象と主体 間には関係を媒介する存在がある。見る場合には光が必要であるし、人によっ ては眼鏡が必要である。対象によっては顕微鏡、望遠鏡等、また音などの様々 な運動を光の運動に変換する観測機器が必要である。
 認識は媒体間の関係もたどる。色、形、臭い、硬軟等の異なる媒体による対 象と主体間の複数の関係間の関係をたどる。縦方向の関係間の関係をたどる。
 対象からの光が、直進、屈折、振動数等光の運動として変化しているか、い ないか等をたどらねばならない。直進性の空間の歪みとの関係、媒質の性質と 速度の関係等をたどる。認識は関係の関係の関係もたどる。異なる次元の関係 もたどる。
注145

注146

【認識の認識】
 しかし、認識はそれだけではない。対象間の関係もたどるのが認識である。 「対象が存在する」「対象が存在することを観測できた」という対象と主体間 の関係だけでなく、対象間の関係として「対象がどうのように存在する」かを とらえなくてはならない。
 認識は対象と主体間の関係と、対象間の関係の意識化である。対象と主体間 の関係を縦方向の関係と見なすなら、対象間の関係は横方向の関係である。縦 横どちらをどちらと呼ぶかに関わりなく、異なった二つの方向性をもった関係 から認識は成り立つ。

【認識と実践】
 認識は関係の関係として、存在関係を超越するものではない。認識も存在関 係そのものの一つの過程である。認識は主体の存在関係・過程としての実践の 一部分である。
注147
 主体は対象を変革する実践主体としての存在である。その実践の過程で認識 が発達してきた。実践過程にあって、実践を方向づける機能として認識の役割 がある。
 実践から相対的に自立した認識であっても、実践過程で検証されなくてはな らない。

【認識の社会性】
 また、主体は自分ではない主体、すなわち自分を取り巻く多数の人々をも別 個の認識主体として認識する。認識そのものが他の人々との社会生活の中で互 いに作られてきたものであり、生物の認知の階層から、より発展した階層をな している。認識は個人的な過程ではない。主体の社会的相互関係にあって、認 識は社会的存在である。社会的認識としての関係の中に個人の認識は育てられ る。
 社会生活の中で認識は教育・訓練される。社会的認識の成果は認識手段を豊 かにする。認識方法を豊かにする。社会的認識は成果を複製・伝達・変換可能 な「ことば」等として蓄積する。認識は主体一般、その反映として社会的であ る。

【認識と存在、論理】
 認識は対象間の相互関係として、対象と主体の相互関係として、対象と主体 の存在の問題である。認識は存在関係を対象とする論理の問題である。認識は 存在、論理と三つの要素からなる相補的な関係にある。
 真理はすべての認識の全体としてある。

 

第1節 認識一般

【認識の基本構造】
 相互作用としての認識構造は、対象と主体との対応関係である。
 認識の対象は確定された質量をもたない。対象としてとらえる客体は、多様 な質とそれぞれの量をもつ複合体である。しかも対象間でも、主体との間でも 相互作用し運動している存在である。そうした対象と認識結果を1対1対応さ せることは、対象と主観との形式的関係においてのみ実現される。認識は定義 されない要素の集合としての対象を対応関係として定義する。
注148

【1.対象と主体】
 対象は主体との関係で感覚として与えられる。この関係にあるのは対象と主 体、関係を媒体する物である。
 対象は定義されていない。対象は対象間で相互作用し、主体と相互作用して いる。対象間の相互作用は多様であり、階層性がある。対象と主体間の相互作 用も多様であり、階層性がある。対象間の相互作用と対象・主体間の相互作用 が区別されるのは、相互関係を認識の関係として扱うからである。認識として 扱うのは主体の主観である。
 主観はすべてを対象化する。すべての存在を対象化し、区別し、評価するの が主観である。
 主観は主体の部分である。主観は対象を外部対象とし、主体を内部対象とし て関係する。主観は対象化することで、主体から主観を区別する。主観は外部 対象を実践対象として、内部対象と区別する。主観は内部対象を媒介にして外 部対象と相互作用する。
 主観に対して外部対象と、内部対象である主体は客観的であり、客体である。 主観は客体との区別される対立関係にある。区別するのは主観である。

【2.認識の外部過程と内部過程】
 外部対象を認識する外部過程と、内部対象を認識する内部過程とを区別する ことができる。一般に外部過程が認識の過程であるが、内部過程に継承されな くては認識は成立しない。さらに内部過程は主体の存在過程として外部過程に 継承される。外部過程の内部過程への反映は、内部過程を経て外部過程にフィ ードバックされる。認識は外部過程−内部過程−外部過程の循環過程を経て、 主体の実践過程として実現される。
 個別科学は通常、認識の外部過程が問題にされる。観察、調査、実験は外部 過程の認識の問題である。認識の外部過程についても対象、主体、反映、関連、 相互作用等の問題があり、世界観にとって認識の基本的問題である。
 一方、認識の内部過程は世界観のあり方に直接する。

【3.主観と感覚対象】
 主観は対象を主体の内に取り込まれた感覚対象として受け取る。主観は外部 対象を直接に操作対象にはできない。対象を操作する、対象と相互作用するの は主体である。主観は感覚対象を操作対象にする。感覚対象は外部対象の直接 的反映である。感覚対象は直接的・即自的存在である。感覚対象は外部対象と 主体との相互関係によって規定されている。
 感覚対象の存在は外部対象から知覚対象への反映過程を媒介する。この媒介 過程が感覚である。感覚は一過性であり、感覚対象は保存されない。感覚の再 現性は外部対象の再現性であって、外部対象から独立して感覚の再現性はない。 感覚は外部対象から知覚対象への生理化学反応の過程である。
 感覚は意識・主観から独立している。感覚は主体の部分的過程である。感覚 は反射過程・自律神経系に見られるように、意志・主観からは独立した過程で ある。
 感覚対象は主体と対象とを媒介する物理的、化学的相互作用に媒介されて、 主体の内に生起する。
注149

【4.主観と知覚対象】
 外部対象は感覚対象に媒介されて知覚対象になる。感覚対象は主観の内で操 作される知覚対象になる。主観によって知覚対象は他のもろもろの知覚対象と 関係づけられる。主観はもろもろの知覚対象の要素、包含関係を体系化する。 知覚対象は関連づけられ、意識化された感覚対象である。
 知覚対象間の関係と感覚対象の関係に媒介されて、外部対象間の関係が主体 に反映される。外部対象間の関係を反映することで、知覚対象間の関係に客観 性が反映される。与えられた知覚対象は外部対象、感覚対象と1対1対1対応 の関係にある。
 知覚対象は記憶として保存される。記憶として保存される知覚対象は、外部 対象と1対1対応であった対応対象が失われる。多数の外部対象、感覚対象と 1つの知覚対象が対応する。しかし、知覚対象の記憶とともに、外部対象との 対応関係の形式は保存される。関係として1つの対応関係である。知覚対象の 保存は、外部対象に対する知覚対象の依存からの自立である。

 同種の外部対象の経験は保存された対応関係形式を容易に実現し、対応関係 を再現する。外部対象の継続性、再現性、類的存在、差異等が知覚対象に加わ る。外部対象−知覚対象間の1対1対応から外部対象−概念対象間の多対1対 応への発展を準備する。知覚は感覚対象から概念対象への反映過程のことであ る。
 知覚対象は感覚対象と直接的に対応した関連を基礎にしている。さらに、知 覚対象は外部対象の関連も対象化する。知覚対象は知覚対象間の関連も対象化 して、知覚対象を組織化する。順序、継続性、連続性等の時空間関係は知覚自 体のもつ形式ではなく、知覚の反映過程を通して獲得された、知覚対象の属性 である。
 客観性の反映した知覚対象関係の操作規則体系が論理である。論理は外部関 係の客観性を反映した操作規則である。知覚対象の操作が外部対象の運動と一 致することによって操作規則は検証される。
 対象像・イメージとしての知覚対象は、概念によって定義される。
 知覚対象は論理にしたがって操作される。

【5.主観と概念対象】
 論理的に操作される知覚対象は、外部対象、感覚対象の全体の論理関係の中 で操作される。外部対象、感覚対象の全体からなる世界の存在関係が知覚対象 の関係として反映される。主観に世界の存在関係が、知覚対象の操作をとおし て反映される。
 主観に反映される世界の存在関係に、個々の知覚対象を位置づけ評価したも のが概念対象である。主観の内に部分的反映であった知覚対象が、全体との関 係の内に定義されて概念対象になる。全体に位置づけ、評価された知覚対象は 主観とって概念対象である。
 知覚対象の評価は知覚対象全体と個別の知覚対象との関係、個別の知覚対象 間の関係の評価である。知覚対象の評価は知覚対象の同一性と差異の評価であ り、知覚対象の再現性、継続性、類の評価である。知覚対象の普遍性として概 念が対象化される。概念対象は知覚対象と1対多対応の関係が基本である。多 数の具体的知覚対象に対し、その普遍性として概念対象が対応する。
 概念対象は知覚対象に媒介された外部対象である。概念は諸知覚対象と諸外 部対象の対応関係の統合・総合、体系化の過程である。概念は概念対象間の論 理的関連を捨象した概念対象としての意味もある。
 概念対象は概念対象間の関連に位置づけられ、概念対象の関連全体は主体の 対象である外部対象、客体全体に対応する。
 概念対象は単一の象徴として記号化され、主観の操作対象である。しかし、 外部対象は単一ではなく多様な質量をもつ集合である。

【6.概念対象と感覚対象】
 外部対象に対する主体の関係として、概念対象は感覚対象と関係する。概念 対象との関係として感覚対象を評価する。概念対象のもつ全体性によって、錯 覚が錯覚として認識される。感覚対象間の関係の構造が認識される。
 感覚対象は知覚対象を媒介にして概念対象を規定する。概念対象は感覚対象 を評価して、外部対象と感覚対象の関係を規定的に方向づける。
 概念対象は感覚対象との相互規定の過程によって、概念対象間の関係を拡張 し、全体化する。概念対象は知覚対象から普遍性を獲得し、感覚対象から豊か さを獲得する。

【7.概念対象と外部対象】
 感覚対象と概念対象の相互規定の過程によって、概念対象の体系は外部対象 の体系を反映する。概念対象間の関係は外部対象との対応関係において世界の 存在関係を反映する。概念対象間の関係規則・操作規則は、外部関係間の運動 法則を反映する論理法則である。
 概念対象間の関係を抽象化した関係としての記号と、概念対象は対応づけら れる。記号化された概念対象は、外部対象として作られる記号規則によって外 部対象間で対応する。概念対象は記号として操作可能であり、保存が可能であ り、翻訳が可能であり、主観間の流通が可能である。
 概念対象の体系によって、外部対象の個々の運動が全体的に評価される。全 体の運動の内に個々の運動が位置づけられる。主要な運動と瑣末な運動の相対 的な区別、基本的関係と組み合わせ条件的関係の区別として、外部対象を評価 する。その評価が外部対象の価値評価である。評価される外部対象の位置の体 系が価値体系である。価値は外部対象の内にあるのではなく、概念による全体 的評価として主観に現れる客観の反映である。

【8.主観と主体】
 主観は主体を内部対象として操作する。主観は感覚対象を操作するための、 媒体操作として主体を操作する。主観は自らの存在、概念対象の外部対象への 実現のために主体を操作する。
 主観は主体に媒介された存在である。そして主観は主体を方向づける存在で ある。

【認識と対象】
 運動する客体としての対象と、概念との対応関係を維持するのが認識である。 認識の対象は定義されていない要素の集合である。
 客体対象の定義されていない要素を概念化することで認識は深まる。客体対 象の運動を、対応する概念の他の概念との関係として対応づけることで認識は 確かなものになる。認識の究極は、客体対象の全体と概念関係の全体との対応 関係、多対多の対応関係を維持することである。現実の認識は客体対象との相 互作用としての主体的実践である。

 

第2節 対象と主観

 

第1項 観念一般 (表象)

 普通、観念にも二つの意味がある。対象の反映像の意味と、認識過程総体の 意味である。

【観念対象】
 感覚対象−知覚対象−概念対象として主観の対象として認識される外部対象 の反映像が観念対象である。観念対象は認識の外部過程によって主体に反映さ れた、主観の直接的対象である。観念対象は主観によって操作される対象であ る。

【認識の内部過程としての観念】
 観念対象は感覚−知覚−概念と相互に転化して運動する。観念対象の運動の 総過程が観念である。

【観念の階層】
 外部対象に直接的に規定される感覚対象、主観の操作対象として反映される 知覚対象、全体の連関のなかに個々の知覚対象を評価した概念対象も認識過程 の階層をなしている。
 しかし、観念の階層という場合は、外部対象を直接的に反映する感覚対象を 基礎にして、知覚対象の集合、集合間の包含関係、集合間の相互関係、相互関 係の関係の階層である。観念の階層性は、関係の関係として無限である。しか も、一つの頂点へ向かっての階層の積み重ねではなく、対象それぞれに階層を なし、全体として広がる、開かれた階層である。

【観念の物質的基礎】
 観念も超自然的存在ではない。感覚器官、中枢神経系を物質的基礎として存 在している。しかし、存在の物質的基礎による規定よりも、観念そのものが反 映する外部対象による規定が主である。観念の運動形態は、その物質的基礎を なす物理的運動形態を超えている。さらに、生理的運動形態をも超えた運動で ある。観念の運動形態は、存在を実現する運動によって規定されるのではなく、 観念自体の相互関係によって規定される。観念自体の相互関係は外部対象との 相互関係に依存している。無論、観念の物質的基礎がなくなれば、観念は存在 しえない。
 ただし、観念は個々の主体に依存しない。観念は主体の生理的過程だけなく、 外部対象を物質的基礎とする記号としても存在する。観念は社会の中で存在し、 運動する社会的存在でもある。

【観念の自由度】
 観念は対象間の関係を対象化する。対象間の関係は物理的関係でもあり、生 物的、社会的関係でもある。それら外部対象間の関係の反映として、対象化さ れた関係も外部関係に規定されている。しかし、外部対象間の関係に規定され た関係の関係は、外部対象間の関係に直接的に規定されない。外部対象間の関 係を否定する関係も、観念対象として関係づけることができる。観念は外部対 象間の関係にまったく規定されない自由度をもつ。ただし、関係から自由では ありえない。関係をたどって外部対象間の関係を基礎にしている。
注150

【観念の変革性】
 観念の自由度は、観念自体を混乱させるほどに自由である。観念の自由度は 外部対象による規定から自由であり、正しさを保証しない。観念の自由度が認 識の様々な誤りの原因になる。
 しかし、観念の自由度の重要性は新たな発見を受け入れることを可能にする ことにある。さらに、現実を変革する方向を見いだすことを可能にすることに ある。
 観念の自由度は外部対象の規定性に対する自由である。外部対象の一時的規 定、部分的規定にとらわれることなく、外部対象をより全体的に、外部対象の 運動の新たな発展を、既存の観念の関係の拡張として受け入れる柔軟性が観念 の自由度によって保証されている。
 観念は現実を否定することができるから、理想を描くことができる。未現実 の観念を実現することとして、現実の変革を方向づける。

 

第2項 概念一般

【概念の存在】
 概念は外部対象の反映であるが、感覚対象、知覚対象によって媒介されてい る。物質的存在としては、主体の実践過程における中枢神経を中核とする認識 器官を基礎にしている。さらに、認識主体の社会的関係にも直接依存する。 (認識主体自体が社会的存在であるが。)しかし、概念の運動は媒介するもの や物質的基礎によって規定されない。反映対象、物質的基礎による被規定関係 を否定する関連によっても概念は存在する。概念の概念は外部対象と直接的対 応関係にはない。
 概念の対応する外部対象は個別としての存在だけではない。外部対象間の関 係・構造、外部対象の集合、外部対象の運動過程とも対応する概念がある。
 概念は内部対象も反映する。
 概念は世界観の構成単位である。

【概念の社会性】
 まず、概念の物質的存在基礎である知的存在、人間が類的・社会的存在であ り、類的・社会的存在であるから知的存在へと進化してきた。その知的存在へ の進化そして、知的活動の発展の過程で概念の系を発展させてきた。概念は社 会的運動として物質的存在基礎をもつ。
 個人の経験の狭さ・偶然性をともなう知覚対象を、概念としてやりとりする ことによって普遍的定義に発展させてきた。さらに、個々には獲得できない知 覚対象までも、概念として交流することができる。また、概念としての定義を えることによって、外部対象を明確に認識できる。より高度な認識方法・抽象 的な外部対象をも社会的な概念の発展によって個々人が利用できるようになっ てきている。
 概念は見方によって方向づけられている。見方は主体の社会的あり方によっ て方向づけられている。

【概念の定義】
 認識の対象が概念として定義される。定義される概念によって実践の対象が 定まる。認識過程で外部対象は反映され、定義されて概念を形成する。同時に 実践過程で概念によって外部対象は特定される。対象を反映する結果としての 概念は、概念の一面でしかない。主体の対象は概念によって定まる。
 対象を概念によって規定するのではない。
 概念の系さらに外部対象との対応関係を知覚対象との関係として保存するこ とによって、概念対象がゆるぎなく定義される。概念は概念間の相互規定とし て、知覚対象との対応として定義される。いずれか片方では不十分である。
 概念を明確に定義することによって、思考実験、非存在の証明が可能になる。

【概念の模式】
 個々の概念は知覚対象または他の概念対象からの作用によって運動する。個 々の概念の運動の契機条件は個々の概念ごとに定まっている。知覚対象または 他の概念対象からの作用は当該の概念にとっては入力であり、契機条件を満た しているか、当該の概念の属性によって解釈される。個々の概念は他の多様な 概念と関連をもち、主体に対しても複数の作用関係をもち、主体条件に応じて の出力をおこなう。概念の出力としての作用は、他の概念に作用したり、主体 の運動を起動させたりする。
 個々の概念を模式に表現すると、操作対象を示す標記部(ラベル、インデッ クス)、概念自体の属性を示す定義部、当該概念の出力を規定する関連指定部 (ポインタ)からなる。標記部と定義部によって対象を特定する。

【1.標記部(ラベル、インデックス)】
 標記部は通常の概念「用語」に当たる。知覚対象、他の概念対象によって指 示の目標として示される。
 概念機能として全体における位置情報と、他の概念との相対的位置関連を示 す。

【2.定義部】
 定義部は概念の属性の集合である。概念対象のもつ普遍的性質を定義してい る。多様な定義の統合としてある場合には、それぞれの適用条件ごとに定義す る。または例外条件をつけて定義する。対象概念の操作出力に渡す引数を生成 する。

【3.関連指定部(ポインタ)】
 関連指定部は他の概念対象、主体の運動を指定する。引き継ぐ他の概念対象、 引き起こす主体の運動を指定する。他の概念対象、主体の運動との関連指定の 集合である。

【概念の関連】
 関連指定は多様である。
 基本となる関連指定は、対象の運動法則、機能、性質等の属性による関連を 示すことである。
 しかし、形式的・偶然的関連の方が多い。形式的関連には概念獲得の経緯、 概念の発展史、概念の発見・継承者、標記の形式・媒体等の関連がある。形式 的関連によって、個人それぞれに概念対象の意味あいの違いが現れ、概念とし てのゆらぎの可能性がある。

【概念の評価】
 個別概念は概念間の関連としての概念系に位置づけられる。概念間の関連は 本質的な関連もあれば、偶然的、形式的関連もある。本質的関連であっても、 一つの関係としてだけあるのではない。概念の系は多様な次元の関連としてあ る。個別の概念は、この多様な次元の関連の中に関係づけることとして評価さ れる。
 個々の概念は概念対象として固定はしていない。付随的関連の間に不整合を 含む。本質的関連であっても、すべての関連を明確に定義し終わってはいない。 概念対象の定義にはゆらぎがある。また外部対象自体にもゆらぎがある。概念 のゆらぎが外部対象によるのか、概念対象によるのかを評価するのも、概念系 への位置づけによって明らかにされるべきである。

【世界観の確認】
 自分自身と世界の関係としての主観の対象、相互作用の対象は、概念として 反映される。個別は概念として意識に再構成される。観念を論理的に関連づけ、 体系化したものが概念である。
 概念は単に意識に反映された個別の知覚ではない。意識に再構成された世界 に位置づけられた個別の意識における存在=観念である。個別と全体の関係と 同じく、概念は世界全体の構成と関係する概念は、意識にとっては世界観の構 成単位である。
 個別の他の個別との相互作用が、意識における世界全体の構成の中で、対応 する概念間の関係として捉えることが位置づけである。反映された個別を概念 として位置づけることで、個別の反映をより確かな、意識にとってより正しい ものとすることができ、世界全体についての構成像を、より正しいものとする ことになる。

 

第3項 論理一般

【存在の関係形式】
 論理は存在の関係形式である。存在は多様な運動形態としてあり、したがっ てその関係形式である論理も多様である。そして、存在の階層性は論理の階層 性として反映される。
 論理には個々・部分の論理と全体の論理とがある。個々・部分の論理は個々 の関係の個別論理である。全体の論理は関係の総体としての論理系である。

【個別論理】
 個別の意識における反映が概念であるように、個別間の関係の反映が論理で ある。
 個別間の関係の論理は要素関係として表される。個別の質を捨象し、個別の 量と他に対する位置の関係である。
 存在単位間の関係であり、個々の関係の要素としての存在を対象にする。現 実の対象は存在単位としてもその内部により基本的階層の構造があるが、関係 だけを対象とし、その関係を担う単位としての存在の関係形式を問題にする。 存在構造ではなく、存在関係を問題にする。存在構造も構造の要素間の関係と しては、個別論理の関係の組み合わせとしてある。

【論理系】
 論理は世界の存在=運動法則の意識への反映である。したがって、世界が一 つであり、統一的なものであるからには、論理も一つの体系として世界を反映 せねばならない。
 論理は概念間の関係をつなぎ合わせ、その関係を全体として意識に再構成す る。
 個別がより基本的階層の個別間の運動によって構成されるように、論理は世 界全体だけでなく、個別の構造を明らかにするものとして、より基本的階層の 個別間の関係をも反映する。
 全体の論理は普遍的でなくてはならない。同じ条件では同じ論理が成り立た なくてはならない。時間、場所、担い手によって論理の現れ方が異なるのでは 論理ではない。超自然でもない。自然を超えた存在があったとしても、再び自 然の中での問題を扱うときは、自然の論理にしたがわなくてはならない。

【思考の論理】
 対象間の関係の形式が論理であれば、反映された概念間の関係形式も論理で ある。概念間の論理は概念操作の規則として思考の論理である。対象間の関係 形式は概念間の関係形式として、対象の相互関係を超えて拡張可能である。対 象間の相互関係を超えて対象の新しい関連を概念操作が導き出す。対象間の関 連としてはとらえられてはいない関連を、概念操作によって明らかにする。概 念操作の規則、概念間の関係形式として思考の論理がある。

【論理関係】
 存在は運動形態である。対象が存在するか存在しないかは主観の問題ではな く、客観的存在として世界の相互関係の内で運動しているかいないかの問題で ある。存在についての論理も、対象だけの存在を論じては形式のみの問題にな ってしまう。存在の論理であっても、他との関係として組み立てられなくては ならない。

【1.対象と主観要素との対応関係】
 認識は外部対象と内部対象の対応関係の問題であるが、そのうち論理は内部 対象に反映された外部対象間の関係としての存在をまず問題にする。
 存在を問題にする基本的論理は「同一律」「矛盾律」「排中律」である。
 同一律は「AはAである」と表される。この形式は循環であり論理的にも意味 をなさない。AとAに対応する外部対象が異なる場合に意味がある。最も一般的 な関係は始めの主語である「A」が外部対象を指示し、次の述語である「A」が 主語を説明する形式である。この形式の要点は「A」が他との関係、全体との関 係にあって、時間・場所が異なっても同じ関係形式が成り立つことを表してい ることである。「A」の普遍性、不変性の論理である。
 矛盾律は「Aは非Aではない」と表される。「非A」は「A」ではないとして定 義された補集合である。単に2つの異なった集合の間の関係ではない。「A」が 定義されることによって「非A」も同じく定義される関係の論理である。「A」 の集合と「非A」の集合が定義され、2つの集合に重なり合うところがないこと を示している。「矛盾」という言葉が使われているが、対象の定義そのものに よる形式的対立であって、存在矛盾を意味するものではない。
 排中律は「AはBか非Bのいずれかである」と表される。矛盾律によって定義さ れた「B」、「非B」との関係に対して、「A」はいずれかの集合としか対応関係 をもたない。異なる2つの集合「A」と「B」との関係における「A」の存在関係 を示す。

【2.対象の要素、集合関係】
 結局、対象の存在の問題は、外部対象を反映する概念対象が既にある概念系 のどの概念の要素となるかの問題である。既にある概念系のうちの各概念の普 遍的な他との関係を当該の概念対象が同じ他との関係としてあるかどうかの問 題である。特定の、いずれかの概念に含まれることが、存在形式を示すことで ある。
 既にあるいずれの概念とも異なる場合は、新たな概念として他の概念との関 係を定義し直すことになる。

【3.対象間の包含関係】
 概念の問題は概念間の関係の問題である。それぞれの概念は多様な内容をも っている。個々の概念間の関係は、多様なそれぞれの概念の内容のそれぞれの 概念集合への属し方の形式である。ある内容要素はいずれか一方の概念に含ま れる。ある要素は両方の概念に含まれる。他の要素はいずれの概念にも含まれ ない。要素の含み方によって概念集合間の関係が明らかになる。
 要素による集合への属し方のふるい分けは、逆に対象概念の属性の判断であ る。
 対象要素の包含関係を介して、対象間の関係が推理される。

【4.対象間の転化過程】
 「A」が「A」でなくなり「B」になる、「A」から「B」への転化の過程も論理 的過程である。包含関係の論理ではなく、外部対象の運動法則を反映する論理 である。

 

第4項 法則の認識

 個別の本質的運動の形式が法則である。しかし本質的運動であっても、単独 であるわけではない。本質的でない運動とともに相互に作用し、他の個別との 相互作用もある。本質的運動は本質的運動のみによって個別としてあるわけで はない。
 本質的運動は個別そのものであるが、いずれも固定的なものではなく、また 別々の物でもない。本質的運動も他の運動との相互作用によって変化してしま うこともある。そこでは個別としての形も変化する。しかし個別として維持さ れる限り本質的運動も維持され、それが個別の法則である。
 本質的運動は本質でない運動として、他の個別との間で相互に作用し合って おり、本質的運動だけで個別の運動は決まらない。時には、本質的運動が他の 作用によって、まったく異なった動きをすることもありうる。しかしそこに本 質的運動が維持される限り、個別の法則が貫かれる。
 より発展的個別ほど、法則は傾向の法則として現れる。またどんな基本的な 個別であっても、法則だけで現実の運動を決定することはできない。そこには、 非本質的運動との相互作用があるから。

 

第3節 主観と主体

【知識の認識】
 自分自身の存在そのものが人間の社会的運動によって支えられ、形成されて いるように、自分自身の論理、認識、観念も社会的成果物の上に成り立ってい る。
 世界についての認識も、自分自身の成長過程を過ごした社会で形成され、そ こでの社会的な世界認識を知識として与えられてきている。知識は社会の世界 認識の成果物である。
 自分自身も個人という社会的存在であり、概念も言語という社会的存在とし て存在し、確かめられる。論理も法則の社会的評価である。
 人間個人としての自分自身すべてが、周囲から与えられたものでありながら、 世界を対象とし、主体として生きようとするものとして世界観を位置づけ、そ の前提に知識を置かねばならない。知識は周囲から与えられたものでありなが ら、主体性を実現する過程で再検討、差異確認され、変革されるものとしてあ る。知識は社会から与えられ、実践によって社会に帰されるものである。

【感情の認識】
 感情は主体の主観的状態である。感覚過程、知覚過程、概念過程をとおした、 主観的状態であり、その記憶である。
 感情は感覚過程にのみ依存するものではない。概念によって形成される価値 体系にも依存しており、認識、実践の全過程の運動状態としてある。物理的、 生理的、精神的、文化的状態によって形成される。
 感情は主体の運動の方向性と、運動の強さに影響し、その総合性は運動の豊 かさを規定する。

【意志の認識】
 自分自身も対象との相互作用によって変化発展する運動体である。
 しかし、その運動を通じて自分自身は統一性と一貫性を持った存在であるこ とが認識せられ、普遍的な自分自身を変化する対象との関係として認識する。
 この自分自身の普遍性を認識した上で、対象との相互作用を意識的なものと していくものが意志である。対象との相互作用に統一性を持たせ、一貫性を持 たせようとするものが意志である。

【実践の認識】
 自分の対象との相互作用の中で、意識的なものが実践である。
 諸相互作用のうち意志によって方向づけられ、意識して統制されるものが実 践である。
 自分では意識しない、意識できない多様、複雑な相互作用によって存在し、 運動しているが、自分の統一性・一貫性として追求される相互作用が実践であ る。実践は認識と結びつき、一体の過程としてある。
 自分自身の存在が実践の過程である。自分でないものを取り入れ、自分を自 分でない新しいものとして創り出す。単なる代謝過程としてだけでなく、他に 対する自分の位置づけとしての価値判断と、目的設定にしたがって自らを方向 づけて変えていく。実践は自分を形成している物質、エネルギー、情報の流れ を変えることにより、自分以外の物質、エネルギー、情報の流れを変革する。

【価値の認識】
 特定の運動の、その運動を構成する全相互作用のうちにあって、運動の方向 を基準として相互関係を順位づけ、あるいは比較したものが価値である。
 したがって運動によって価値は異なり、相対的なものである。より広い全体 性にもとづく価値体系が、より普遍的価値である。価値は運動を明らかにする ことによって決まる。
 認識できるとすれば、全世界の運動が最高の価値と言いうる。しかしこの最 高の価値は比ぶるもののない意味のない価値である。
 また、運動を構成する相互作用には、諸階層があり、順位づけは異階層間で 単純に比較することはできない。
 価値が重要なのは主体にとってである。客観的存在として価値があるわけで はない。その意味で価値は主観的・観念的存在である。しかし主観・観念が主 体としての現実の運動に結びついている限り、価値は現実存在である。まして、 社会的存在として生活の場を共有し、ともに社会的運動の実践者であれば共通 の価値をもつ。その価値は社会的実在である。創造することで自らを実現する 生活では、創造されるものは生産物であると同時に、価値の実在である。

 

第4節 認識の可能性

 認識の可能性には、いくつかの段階がある。

【形式的可能性】
 対象と認識主体が関連しているならば、形式的にはすべて認識可能である。 しかしそれだけでは実質的に認識の可能性を判断できない段階がある。関連が あれば関係を辿る論理によって認識可能である。欠けている関係も補うことが 可能である。関連していなくても認識可能な場合がある。

【論理的可能性】
 なくしてしまった物は認識できない。なくした物は消滅したわけではなく、 見つければ認識できる。しかし見つけるまでは認識不可能であり、実質的に認 識できない。見つける手段があるなら、今関連していなくとも手段を手に入れ ることで認識可能になる。関連を明らかにできれば、論理的に認識可能である。
 無限の彼方、限りなく小さな存在も論理的に認識できる。

【物理的可能性】
 空に見上げる太陽は数分前の太陽の光である。夜空の恒星は何万年から百数 十億年前の状態を見せている。光の波長より小さなものを光で照らして見るこ とはできない。物理現象は物理法則によって物理的認識を制限されている。

【現実的可能性】
 しかし現実には、実践的認識可能性が重要な問題である。認識可能な現実的 条件があるのか、認識する意志があるのか。
 認識可能な現実的条件とは、形式的、論理的、物質的認識可能性だけでなく、 環境、手段、問題意識を含めた条件である。見ようとしなくては、見ることは できない。

【検証】
 実験・観測による検証が真理とは限らない。実験過程で見落とされた条件に よって、実験結果の評価における誤りによって。実験には対照実験がなくては ならない。
 実験・観測によらなくとも真理を確認できる。線分の両端から、内側に向か って60度の角度で引かれた半直線は、基準となる線分と同じ長さのところで、 他端からの線分と交わるか?平面の上でなら交わる。これはすべての場合を確 かめなくても真理である。ただし、空間が曲がっていないことが前提である。 論理的に限定された関係では、論理だけによって真理は認識可能である。

注151


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