概観 全体の構成
個別は様々な運動体であり、その運動の形態により多様な存在形態をとる。 存在の仕方、運動のあり方の問題である。
そのものの空間的広がりにおける自律性、独立性としての物象。
時間的経過における自律性、独立性としての過程。
他の諸個別との相互作用の組み合わせにおける自律性、独立性としての現象。
また、それらを特定の環境のもとで価値づけ、その価値にもとづいて構成要 素を制御するシステム。
これら個別の存在形態は無論全体の部分であり、孤立した存在ではない。し かも個別は歴史的存在であり、歴史性をもって各々の発展段階がある。
歴史的発展により、運動は反映という特殊な相互作用、機能を成立させる。 反映はさらに認識、意志へと発展する。
蛇足29
物象は空間的存在であり、全体・他に対する相対的静止としての運動形態で ある。
【物象の相互作用】
一般に物象自体構造を持ち、構成要素は各々の階層で物象外と相互作用し運 動している。しかし、同時に物象全体として統一されており、統一された構成 要素の全体が相対的静止にある。
構成要素の相互作用はそれぞれの階層の運動法則にしたがう。それぞれの相 互作用にあって、要素の他との交代もある。個々の相互作用としては他と区別 されない。個々の相互作用は普遍的な運動であり、存在である。
個々の相互作用は組合わさって物象を形成する。個々の相互作用の組み合わ せとして、物象に内在する相互作用間の相互作用が物象の運動を持続し、継続 する。他との相互作用を組み合わせる相互作用の持続=継続として物象の自律 的運動がある。他に対する水平的相互作用と、他との相互作用の組み合わせを 持続=継続する垂直的相互作用によって事象は存在する。他との普遍的な水平 的相互作用の組み合わせを継続させる、内在的な垂直的相互作用によって事象 は存在する。垂直的相互作用によって、水平的他との相互作用が規定される。
蛇足30
さらに、事象としての存在は、事象存在の個々の相互作用を統括して他と相 互作用する。事象を存在させる水平的相互作用、垂直的相互作用の統括として、 事象の独自的存在としての相互作用、事象独自の運動をする。水平・垂直的相 互作用を基礎とする統括的相互作用が事象を事象として実現する。統括的相互 作用が事象の存在の質である。統括的相互作用が事象の運動形態、存在形態を 現す。
しかし、統括的相互作用は統括する相互作用であり、統括される水平的・垂 直的相互作用があって実現される。水平的・垂直的相互作用なくして統括的相 互作用はない。
統括の作用は水平的・垂直的相互作用に作用するのではなく、他との相互作 用としてある。
事象の運動は水平的・垂直的・統括的相互作用の総体としてある。水平的相 互作用なくして存在はまったくありえない。この世界の存在は水平的相互作用 としてある。垂直的相互作用が弱まれば、事象の相互作用は水平的相互作用に 還元し、事象の存在構造が自壊する。事象の統括的相互作用は水平的・垂直的 相互作用を組み合わせる作用としてではなく、事象の他に対する、他の事象と の相互作用として作用する。
【物象の規定性】
物象は物象として相互作用をする。個々の構成要素の運動の全体が物象とし て、より発展的な運動をする。
規定された水平的相互作用は垂直的相互作用によって制御される。水平的相 互作用は垂直的相互作用によって方向づけられる。垂直的相互作用によって規 定された水平的相互作用の組み合わせは、他に対して境界を構造化する。量的 変化を質的に転化する境界面や、物質的な膜として構造化する。
水平的・垂直的相互作用の統括としての規定性は、事象の内部的規定である。 事象の存在の内部への方向性をもった規定性である。これに対し、統括された 相互作用の総体としての、他に対する相互作用が物象を対外的に規定する。他 の存在に対する事象総体の存在=運動を実現する。
物象の自律性・独立性は統括的相互作用として現れる。物象は、そのものの 存在の運動形態とは相対的に独立した、相互作用を他の物象との間で行う。物 象としての物象全体の運動は、その存在の運動のようにその物象には属さず、 他の物象との相互作用としてある。
【物象の運動】
物象としての運動は、その存在の運動としてでなく、他の物象との相互作用 としてあり、物象を取り巻く、相対的な全体との関係である。物象を存在させ る運動と、物象の他との関係としての運動は相対的に区別されるが、統一され た運動である。
物象を構成する運動は内在的に方向づけられる。物象総体の他との相互関係 は偶然的な外的条件である。個々の他との相互作用はそれぞれの作用関係とし て方向性をもつが、事象として統括されて、全体としての方向性によって方向 が規定される。
【内部時間】
運動には周期性をもったものがある。物理的階層では物質の普遍性によって、 周期性も普遍的である。一つの周期性をもった物質の内部運動は、世界のどこ でも他の周期性をもった物質の内部運動と一定比の関係にある。一定の条件で は物理的周期性は一定であるとしてよい。この周期的運動を基準にして、物理 的階層の時間の基準が定まる。一般的時間である。
これに対して、物象の運動経過はより相対的である。物象の階層によって時 間の規定性は異なる。より発展的階層では運動経過は相対的で、物理的時間に 一致しない。周期的でない運動経過は、同じ運動であっても条件によってまっ たく異なることもある。
条件によって異なる周期的でない運動経過も、継起の順は一定である。継起 の順は運動の法則性に従う。この運動の法則性に従う運動経過が運動の内部時 間である。
内部時間は物理時間に対し停止することも、逆順することも、途中で終わっ てしまうこともある。内部時間の規定性は外部条件によっても大きく影響され る。しかし、内部時間を規定する、内部法則の継起の順は定まっている。継起 の順が一定であるから内部時間の停止、逆順が表われる。
時間を通しての自律的、独自的運動形態が過程である。
過程は保存と変化の統一であり、相補的関係の運動である。全体の基本的関 係は保存され、内部の構成要素が変化する。
【運動形態の継続】
個別の運動は個別の内在法則によって継起の順が規定されている。個別間の 相互作用も個別相互の運動継起の関係によって継起の順が定まる。個別間の相 互関係の継起順は相互関係の方向性である。
個別間相互の関係は個別間の条件、他との関係条件によって運動形態に違い がありうる。しかし、個別間の関係には変わりはない。個別間の関係は保存さ れ、関係の仕方に変化がある。
個別間の相互作用が継起の順として方向性をもって運動し、個別間の関係が 保存される運動が過程である。個別間の関係が外部条件によって定まる運動と、 個別間の運動が他との相互作用に対して自律する運動と、過程の自律性には幅 がある。
過程がその内の相互作用自体によって規定されるなら、過程自体が運動主体 としてより発展的な個別に転化する。過程は内部の相互作用を内在法則化する ことで、一つの事象となる。事象にも内部運動として過程がある。
【存在形態の継続】
過程はAがAでなくなり、Aであり続ける運動である。過程内の相互作用は 相互関係を変化させ、対外的関係も変化させる。相互関係の変化はAがAでな くなる運動である。相互関係の継続はAがAであり続ける運動である。したが って過程は内部の相互関係が保存されている間存在し、内部関係の解消によっ て過程は消滅する。
過程は物象と異なり、運動に応じて変化する個別でありながら、そこに個別 としての運動が統一されている。
【再現性】
過程は自らの運動を再生産せず、生成、発展、消滅の後は他の運動形態に転 化する。しかし、過程の生成、発展、消滅は一定の条件のもとで必然的可能性 を持って現れる。また、その条件が一定であれば新たに、別に繰り返し現れる。
過程は個別間の相互関係の条件が整えば繰り返される再現性がある。
【過程の継起】
他との相互作用によって同じ運動過程でも他との関係は一定していない。他 との相互関係は偶然の組み合わせ条件によって異なり、同じ運動過程も他とそ れぞれに異なった相互作用をする。
他との関係、すなわち全体での位置によって運動過程が異なるが、それが実 在としての現れ、現象である。普遍的存在・運動であっても他との関係によっ て存在の仕方、運動のあり方は異なる。
【事象の対他関係】
時間的経過としてだけ現象が結果するのではない。存在そのものが現象とし て実在する。世界のすべての存在は他との関係としてあり、一つの全体の部分 として運動している。他との関係、全体との関係にあり、運動することがこの 世界に存在することである。抽象的個別の存在があって、具体的な他との関係 に現れるのではない。偶然の組み合わせによる他との具体的関係として、事象 は実在する。他との関係の組み合わせは偶然であり、その具体的関係として事 象は現象する。他との関係は偶然の組み合わせとしてあり、他との相互作用は 様々な形態となってある。内的必然性は、外的偶然性によって現象する。
現象は偶然と同じものではない。現象は偶然を通して現れてくる過程である が、偶然だけの不確かなものではない。偶然だけでは現象はありえない。必然 があるから現象する。偶然と必然とによって現象する。現象は現実そのもので ある。偶然も必然もひっくるめた現実が現象である。現象が対立するのは必然 ではなく本質である。本質の現象過程として現実がある。現象を対象とするこ とで本質と現実をとらえることができる。
現象と本質の相互作用、相互過程として現実をとらえることは、とらえたも のを現実との対応において位置づけることである。結果としてだけの現実と切 り離された本質をもて遊んでも意味はない。現実と切り離された現象を捨象し てしまった本質理解は一面的、形式的論理しか反映しない。
注121
【存在の歴史性】
個別の各々は世界の初めから存在していたのではなく、何の脈絡もなく生じ てきたのでもない。
現宇宙の起源から、宇宙の運動の始まりから、その運動の発展として生じた ものである。より基本的個別から、より発展的個別へと発展してきたものであ る。
個別の発展は単により発展的個別を積み上げるだけではなく、全体の発展と も相互に関係しつつ個々に発展してきている。
個別の構造としての発展と、個別全体としての発展が歴史性であり、個別の 構造あるいは、個別の新旧においても歴史性が現れる。
【方向性】
すべての存在は相互作用・相互に規定される関係で運動をしている。運動が 一様でなくなるとき、方向性が現れる。部分的に運動状態が変化するとき、相 対的全体の状態が連続して変化するときに方向性が現れる。部分の状態変化は、 運動自体が部分から全体に伝わる方向である。相対的状態の連続的変化は、状 態の勾配として表現される。温度勾配、濃度勾配のように。
方向性は物理空間に限らない。相互作用としての運動の自由度を次元とする 方向性である。方向性自体は目標をもたない。方向性は相対的相互作用によっ て内在的に定まる。方向性をもつ運動を評価し、制御することによって目標が 定まる。
方向性によって運動の形式が定まる。方向性をもった運動の他との相互関係 として形が現れる。形は光の集合の包含関係として視覚されるだけのものでは ない。
【自他の相互作用としての形】
内部が均一で、他との相互作用の均一な存在は、三次元空間では球体を形作 る。例えば無重力状態の均一な液体である。分子間の均等な引き合う力によっ てだけ形が決まる。他との境界に内外の相互作用を媒介する機能がある場合、 その媒体は膜として、球殻を形作る。
球体に対して外部から一様な一方向の力、例えば重力が働く場合、その方向 に突出し球形が歪み液滴になる。
球体の内部の運動がある場合も、形に歪みが生じる。例えば球体が回転運動 をすると回転面に遠心力が働き、球体は偏平する。
均一な存在が運動する場合、外部との相互作用に不均衡が生じる場合、いず れにしても一方向への運動が生じると極性ができる。極性は内部の運動に方向 性を与える。外部との相互作用として外部からの力も、極性として内部の運動 の方向性を固定化する。外部からの作用が内部運動の方向性に転化される。
極性は内部構造形成に全体としての方向性を与える。
注123
他に対して相対的に独立した個別、個別として統一されている存在は、他と の相互作用の運動の形として極性をもち、個別としての形をとる。
注124
【自己相似の形】
他との相互作用が内部の運動に対してほとんど影響しない運動、あるいは逆 に他との相互作用が決定的な運動は、極性とは別の性質をもつ形を作る。
注125
他との相互作用が内部の運動に対してほとんど影響しない運動は、全体構造 から内部構造を規定していく構造化が進む。細密化の過程。
他との相互作用が決定的な運動は、構成要素の構造的特徴がより大きな構造 に反映されて構造化が進む。単純な繰り返しが全体として複雑な形を作る。少 数の規則が相互作用することで全体が複雑な形を作る。
あたかも部分が全体を見通しているように形を作る。
【物理過程での反映】
個別間の相互作用が恒常化し、あるいは繰り返されることにより、その相互 作用に対応した運動が個別内に生成されることが反映である。
個別間の相互作用は各々の個別内の運動と連なり、個別内の運動を経てさら に作用し合う。相互作用は個別間の関係する時だけの運動であるのに対して、 個別内の運動は個別間の相互作用のない時にも継続する。ただ個別間の相互作 用によって、個別内の運動も特別な規定された形になる。
この内外の運動が恒常的なものになることで、個別内の相互作用によって規 定された運動は個別内に固定される。この固定とは個別間に再び関係がもたれ ると、作用に対する反作用が個別内で事前に準備されるまでになることである。
【反映の構造】
反映は運動の場に現れる。反映は反映の対象、媒体、反映像の関係としてあ る。場における個別が場に作用し、場の運動が他の個別に作用する過程である。
反映の「場」は反映媒体の運動・存在である。反映の場は一様な運動であっ て、全体的である。
個別である反映されるもの=「対象」は場に対して、方向性をもって定式化 された運動・存在である。場の運動に対して、一定の相互作用をするがそれは 主たる運動ではない。対象と場との相互作用は個別の運動・存在の方向性に対 しては影響しない。
反映対象から場への作用は他の個別に定型の作用をする。この定型の作用が 反映される「像」である。
存在・運動一般としては反映の「場」も、個別の存在も、反映も物質の同じ 運動である。相互の区別は運動形態の質である。「場」は個別に対する一様な 全体性である。
場に対する個別の作用が、場を媒体として他の個別に作用する関連が反映で ある。他の個別への作用の形が反映「像」である。
注127
【反映と反応の統一】
反映は個々の相互作用の個別内での特殊化される部分であり、個々の相互作 用の全体、特に反映に続く反作用がなければ反映は成立しない。相互作用は一 方的関係ではく双方向である。相互作用の関係の全体にあって反映は成立する。 作用に対する反応の過程で反映が形成される。
反応は相互作用での関係で一方向的関連としてある。作用が契機として引き 起こされる運動が反応である。反映は媒介された反応である。反映は直接では なく、間接的反応を引き起こす。
反映の結果として反応が引き起こされるのは、時間的経過としての形式的関 係である。反応を含む相互作用の全体の関係では、一方向からの作用は反作用 を引き起こすだけの運動にとどまる。個々の相互作用の全体の相互関係にあっ て、一方向からの作用の方向が制御され反応が起きる。反応を起こす制御の過 程で反映が成立する。制御の方向は反応の方向づけとして、相互作用の関係に よって規定される。
【反映の発展】
個別内の運動形態がより発展的階層の運動形態として発展すればするほど、 反映はより一般的なものとなる。特に生命の誕生とともに重要な意味を持つ。
他との相互作用の関係を評価し、相互作用の方向性を決定する反映機構が神 経系として発達する。さらに、相互作用を評価する関係を評価する反映機構と して、精神が発達する。
情報は発信者と受信者の間の相互作用のシステムにあって、媒介する機能と しての物質の作用である。双方向の反映の関連である発信者、受信者は一般に 人間である必要はない。発信者と受信者の間の主要な相互作用の過程に対し、 他の相互作用によってフィードバック、あるいはフィードフォアされる作用で ある。主要な相互作用の過程に対し、相互作用の発現を制御、規定する作用が 情報の機能である。主要な相互作用に対する、情報の機能を媒介する相互作用 が、情報の客観的存在である。この情報システムの中で、情報を媒介する相互 作用と同じ物理過程であっても、この情報システム外での存在は情報ではない。
星からの情報、遺伝情報は情報機能の比喩である。
【情報】
情報は対象と主観の間、物と物との間にあって対応関係を媒介するものであ る。
注128
【情報系】
情報の対象、情報の媒体、情報の主体として情報系は運動し、存在する。情 報の対象、媒体、主体は物理的には独立した存在でありうる。情報の対象、媒 体、主体が物理的に独立している情報系が、より普遍的情報系である。情報は 対象、媒体、主体の3つを要素とする関係系である。
情報は情報媒体の問題でも、情報媒体の意味論でもない。情報系として恒存 する関係にあって3つの要素の相互対応運動である。対象と媒体との対応関係 を主体が保存する構造である。
情報の媒体の配列、構造等の状態によって対象との1対1対応(全単射)を なす系を基礎にしている。
情報媒体そのものを情報対象とする2次情報、高次情報の系を発展させる。 複数の同じ質を対象とする情報媒体をくくって、情報対象とすることで1対1 対応の形式を維持して情報の関係としては多対1対応を実現する。
また情報対象と情報媒体の対応関係を情報対象とする系を形成する。情報の 対象になりうるものは、情報系にあって対象を定義できるあらゆるものが情報 対象になりうる。情報にとって重要なのは対象ではなく、情報系の普遍性であ る。
情報系は情報系単独では存在しない。物質的存在の相互作用の中の主体的存 在によって、主体の運動の一部分として実現される。情報系が単なる関連では なく系であるのは、情報が対象・媒体・主体と一方的に流れるのではなく、対 象・媒体・主体の情報の運動する構造があり、構造の実現が必要だからである。
注129
【情報対象】
情報対象は情報媒体によって表象される対象であるとともに、情報系によっ て操作される対象である。物理的存在だけが対象になるのではない。物質の存 在形態のあらゆる現象が情報対象になりうる。
情報対象になるかどうかは、情報主体に依存する。情報主体が情報の価値を 評価しなくては、情報対象は成り立たない。さらに情報系に取り込まれなくて は、情報は実現されない。
注130
情報対象は情報系の内に情報によって作り出されもする。情報対象間の関係 の拡張として、情報系外に対応する対象がなくても、情報対象を作り出す。
【情報媒体】
情報媒体は基礎的には物質的存在である。対象と主体間の相互作用を媒介す る物質が、情報媒体の物質的基礎である。
情報系の発展によって情報媒体も発展する。物質的存在そのものが情報対象 と1対1対応していたものが、多対1対応になる。この場合情報の保存性は、 情報媒体の物理的恒存性に依存する。情報媒体が消失してしまっては情報も失 われる。
運動が物質の存在形態であり、基本的には情報媒体も物質の状態としてある。 物質の状態は物質の運動として歴史的に発展してきた。より基本的物質の運動 の激しさから、より発展的運動の安定性を実現してきた。情報媒体もより発展 的物質によって、より不変的に存在しえる。
さらに情報媒体は物質の存在に依存せず、物質の配列としてより発展する。 配列さえ保存されれば、その物質の状態や質は問わない。配列の保存は複写の 容易性によって、情報をよりよく保存する。
注131
文字よりも普遍的配列は状態の配列としてのビット列である。「ある・なし」 の配列は媒体を問わない。より基本的物質の存在形態を利用することが、情報 媒体の操作性を高める。
注132
さらに、ビット列は保存、変換、複写、加工が容易である。操作の容易性は 誤り訂正の系を組み込みえる。操作可能な情報媒体は、蓄積、検索、通信を発 達させる物質的基礎である。
注133
ただし、ビット列はビット列の表現する情報との対応関係、情報の対象との 対応関係が保存されなくてはならない。
注134
【情報主体】
情報対象と情報媒体との対応関係を基礎にし、情報系を実現するのは情報主 体である。情報を価値づけ、情報の運動を実現する。情報主体を含む情報系を 実現するのは情報主体である。
情報は基本的に対象間の因果関係の結果として作り出される。情報対象から 情報媒体への作用として、情報媒体が結果を実現する。情報対象の反映を情報 媒体が実現する。
対象間の相互作用を因果関係として評価する基準系が情報系であり、評価す るのが情報主体である。情報媒体と情報対象との対応関係を評価するのも情報 主体である。情報媒体間の関係を評価するのも情報主体である。
さらに情報主体は、情報媒体を加工して新たな情報を作り出す。情報主体の 作り出す情報は、作られた情報であり、対象間の関係にあって作り出された一 次情報と異なり、意識的な誤りを含みうる。
【情報操作】
情報の操作は情報媒体の操作と、情報対象の操作である。情報媒体の操作は 情報主体によって行われ、情報対象の操作はその情報系をもつ存在主体の運動 として実現される。情報によってフィードバックが行われるのではなく、情報 をえた主体によってフィードバック操作が行われる。
操作可能な情報媒体は、情報対象からの相対的独立性をもっている。情報媒 体の操作は、対象との対応関係を保存しながらおこなわれる。保存される対象 との対応関係として、論理が操作を規定する。対象を直接操作しないで、対象 を理解したり、人に伝えることができる。
注135
【情報空間】
情報は媒体の変換、複写という媒体操作の確立により特定の媒体への依存か ら解放される。情報媒体一般の上で情報独自の運動が可能になる。
一方、情報系の高度化、普遍化が情報対象の構造に対応し、主体と対象との 相互関係を反映する情報となることで、情報系の構造化が実現する。主体の対 象を反映する情報系の構造が、情報空間として実現する。
情報空間の反映する対象が、主体の対象の全域に拡大することで、情報の運 動は精神活動となる。
反映は個別の発展により、個別そのものを決定する運動として、より発展的 個別を作り出す。他の個別との相互作用の結果としての反映と、それに基づく 実践が個別の全体的運動になるのに対応して、個別は反映と実践とを制御する 個別へと発展する。
反映と反応が個別の内の特別な組織によって担われるようになり、それまで の反応は認識へと発展する。
認識は反映と反応の経験を組織的に蓄積することにより成立する。種におい て生理的に蓄積され、やがて社会的に文化として蓄積される。認識は個別の特 殊な運動形態である。直接個別の存在には関わらないが、個別全体を統制する。
【反映の一般化としての認識】
認識は特殊化した反映であり、一般化する反映である。認識は反映を個別内 の特殊な運動形態にする。その一方、個別の運動を統制するより発展的な運動 形態になる。そして認識の対象は一般化する。個々の反映の対象は特殊なもの になるが、認識の対象はより一般的になる。
認識は認識主体によって方向づけられた反映である。他との相互関係を全体 ・一般に位置づけ、主体を価値づける反映である。
【実践の過程としての認識】
反映が反応と相互作用の全関係のうちに統一されているように、認識も実践 と統一されている。認識は実践の一部であるし、実践は認識を前提にしている。 実践から切り離された認識は、現実存在を反映できない。認識によって方向づ けされない実践は、主体の存在を実現できない。
主体は対象を主体化し、主体を対象化することで自己実現し、存在し続ける。 主体としての存在は実践としての運動形態である。この運動を方向づけるのが 認識であり、認識にもとづいて実践は方向づけられる。その認識も主体の存在、 実践の一部である。
【認識の位置】
個別の特殊な運動形態としての認識は、一般的に対象を反映するものとして 個別の発展を画するものである。部分としての主体が全体と関係する可能性を 担うものである。全体を部分がその内に取り込んで、なお全体の部分でありつ づける。この包含関係の矛盾を現実に解決するのが実践であり、現実存在をそ の部分である認識として、抽象的質において実現する。部分である主体が、概 念として全体関係を自らの内に反映させ、客体の全体関係を変革の対象として 対応する。
個別としての主体は対象を反映し、自らも含む全体と全体における主体の関 係を反映する。決して、個の中に全体を反映するのではない。「全体を含む個、 個の内に全体を含む」というホロニックの理解は皮相的である。現実の中でこ そ個は全体を反映できるのである。現実と反映した全体とを対応させることに よって、個は全体をとらえる。
概観 全体の構成