概観 全体の構成
基本法則は物事の「有り様(ありさま)」の法則である。「物事」は世界全 体であり、個々のものでもある。有り様はそれらの存在、運動、歴史(発展) である。
基本法則は物事の有り様の最も一般的、本質的、抽象的法則である。
注106
基本法則である弁証法は存在=運動の法則である。このことを忘れてしまう と、形式論理の位置づけができず混乱することになる。
存在は運動することであり、運動しない存在はない。 運動は変化として現れ、変化しないものは存在しない。「不変(普遍)の理 念」であっても記号化され、放置されては単なるキズなりシミとしての存在と なり、次第に消滅する。「不変の理念」は常に他の「理念」と結びつき実現化 し、相互作用し、試され、その過程で保存される存在が不変なのである。他と 結びつかず、相互作用せず、試されない、運動しない理念は理念ではない。運 動しつつ保存される存在が「不変」であり、存在そのものは常に変化・運動す るものとしてある。
注107
世界全体あるいは個々のものの存在、運動、歴史は存在法則、運動法則、歴 史法則に分類できる。特に歴史法則はより一般的表現として発展法則と呼ぶ方 が適切である。
世界全体あるいは個々のものの存在を表す対立物の統一の法則。
運動を表す量的変化と質的変化の相互転化の法則。
発展を表す否定の否定の法則。
これら3分類の基本法則は単独で現れるものではない。3つの基本法則は相 互に依存し、相互に規定し合っている。3法則にあっても法則自体の内に存在、 運動、発展に関わる各々の面を持っている。したがって、3分類の法則を3つ の面に整理して検討する。
【全体と部分の対立としての存在】
対立物の統一の法則は何よりも存在に関する法則である。世界は全体と部分 の対立と、その統一として存在している。個々の物事は全体の運動でありなが ら、相対的静止としての個別として存在している。個別間の関係として部分が 存在し、個別間の存在関係の統一として全体が部分に対立している。
対立を含まない存在は絶対的静止であり、運動する全体としてのこの世界に は存在しない。
個別は全体の運動の中の相対的静止である。全体の運動と静止を維持する運 動の対立が統一されることで、相対的静止は成立する。
全体の運動なくして部分の運動はありえない。部分の運動は全体の運動があ って成立する。全体の運動は部分があって成り立つ。
部分の運動は全体の運動とは区別され、かつ全体の運動を、部分の運動とし て定型化することで相対的静止となる。
部分の運動は全体の運動に依存しているが、埋没はしない。全体の運動は絶 対的運動を相対的静止に分別する運動である。部分の運動は絶対的運動を相対 的静止に組織化する運動である。全体の運動と部分の運動すなわち、絶対的運 動と相対的静止とは対立し、しかも個別として統一されている。
【対称性の対象性への転化】
対称性の破れは非対称となる部分への分裂であり、非対称となる関係の内に ある。非対称をなす互いの部分の関係は存在の形である。非対称の関係は相互 関係であり、現実の過程では相互作用として現れる。相互作用は互いを対象と し、互いを対象とすることによって、自らも対象とする。すべての存在は対象 性をもっている。対象性をもたないものは、存在を超えてしまうものであり、 存在にとってはもはや存在しない。観測者も対象性をもっている。
【対立物の関係】
対立物自体が対象性である。対立関係にある存在間で互いに、そして自らを 対象として存在しているだけではない。対立関係に直接しない他の存在との関 係も同じくある。多様な重層的な相互関係にあって、対立物の関係が特別な運 動として現れる。
対立する個別の関係は、まったく独立した別個のものが衝突するのではない。 また、対立の結果としてひとつのものに統一されるのでもない。対立する個別 は相互に依存し、あるいは相互に浸透し合う関係として対立する。まったく関 係のない個別間には対立も、統一もありえない。対立は関係であり、関わるこ となしに関係ははい。背離でも背く関係にある。
現実の存在は互いに関係しあっていて、現実の相互関係の中で運動している。 抽象化した観念の無作為の組み合わせの関係を作り出しても、対象間に関係は なくとも、観念的に作り出された関係にある。恣意的に関係づけたり、対立を 持ち込むのではない。論理的関係、空間的、構造的関係、時間的関係、これら の関係を、形式的に当てはめて対立を見るのではない。特に、因果、前提と結 論、等の関係は、派生的関係であって、対立物の統一の関係として扱うことは できない。現実存在である対立関係は、対立と同時に同一、あるいは統一の関 係にある。
対立しているから統一されるのであり、単一のものには統一などありえない。 統一されるから対立するのである。具体的な関係があるから、現実的な関係と してあるから対立し、統一されるのである。
対立は否定ではない。対立する関係は継続であり、対立する関係での運動で ある。相互の存在を前提にしており、互いの存在に対し、自らの存在に対する 対立関係である。対立は存在の問題である。
【部分と部分の対立としての存在】
部分と部分の関係として現実の対立は存在する。絶対的全体に対する部分の 対立関係は、部分間の関係として現れる。
逆に部分の関係として全体との関係が現れる。部分は他の部分へ作用するこ とによって、また全体の一部分である自らを変えることによって全体に作用す る。
【個別における対立と統一】
個別は全体と部分の対立を実現し、統一するだけではない。部分間の対立を 統一するものとして存在する。個別における対立と統一は個別そのものの存在 を規定する。個別は他に対して自らを対立させるのではなく、個別自らの内在 する対立の統一体として存在する。
対立は過渡的な、一時的なものではない。統一の前段階として対立があるの ではない。対立の過程が統一の過程である。対立しながら統一されるものは、 永遠ではありえない。対立は相互の関係を変化させ、対立そのものを変化させ る。同時に対立も変化し、ついには新たな対立関係に転化する。
【内在する対立】
対立は片方単独ではありえず、対立するからには対になっていなければなら ない。各々の相手としてなければ対立はありえない。
しかし、現実の対立、あるいは世界の対立はこの形式的な対立ではない。時 間的、空間的に固定、形式化される対立ではない。現実の対立は運動における 対立であり、現実の運動における対立でなければ単なる形式的対立であり、統 一にはならない。また、統一される対立であるからこそ運動であり、現実のも のである。
運動における対立は相互に前提としつつ、互いに独自の運動を維持しながら、 互いの運動間で相互に作用し合う。互いの運動間の関係を変化させる。各々の 運動は互いの運動を取り込み、あるいは入り込むことで相互に浸透する。この ような互いを含む運動として、対立物は統一されている現実的存在である。
【対立関係の深まり、発展】
対立関係は運動過程として実現される関係である。一点での時間、空間で関 係を取り出すことで、固定的な、形式的な対立関係を見ることになる。そこで は形式論理が成り立ち、対立は二律背反の関係である。
現実の対立関係は固定された関係ではなく、関係を変化させる運動の内部関 係である。その関係をとりまく他との関係を引きずり込む。主要な対立関係が 発展する。
【止揚】
一つの運動過程での対立関係は、他との相互関係の中にあって、やがて、新 しい関係へ移り変わる。新しい関係への移り変わりは、古い関係の消滅として もある。この単なる移り変わりは、偶然の関係でしかない。これに対し対立関 係の運動の必然的変化は発展である。
一つの対立関係が、その前提としての統一された関係自体を再編することで、 対立関係を新しくする。新旧の対立関係の間で、関係は転化される。古い対立 関係をその存在関係まで含む全体として、新しい対立関係に転化する。新旧の 対立関係は、無関係な切り放された関係ではない。新しい対立関係には、古い 対立関係が存在の形を変えて残る。古い対立関係は、すべて清算されることは ない。
対立関係がその存在関係まで含めて新しい対立関係に転化することが止揚で ある。
新しい対立関係の形は、存在関係のどこまで深く再編するかによって異なる。 また、対立点の決まる位置によっても、新しい対立関係の形は異なる。
量的変化と質的変化の相互転化の法則は、運動の基本法則である。運動は量 的変化、あるいは質的変化としてある。量的変化、あるいは質的変化は存在= 運動のより具体的な形態である。
質は他に対して性質を示す。他との内部関係の違いを示す。
量は他に対する内部状態の違いを示す。内部状態は連続して変化する。この 場合の連続は線形であるということではない。離散的である場合も順列として 連続性がある。
【運動の量と質】
量的変化と質的変化は、運動の形態として異なった現れである。量的変化は 漸次的、連続的である。質的変化は飛躍的、非連続的である。そして様々な運 動において、量的変化と質的変化はがあるが、両者は並行して進むものではな い。また、いずれの変化も単独の変化ではない。量的変化と質的変化は運動全 体の過程の中で、相互に規定的であり、また相互に転化する。
【増減】
ものの数の増減も、他のものとの相対的転化としての量的変化と質的変化の 転化の結果である。数の増減も、無から有への転化、飛躍としてあるのではな い。有無は質の違いである。既存の数を構成するものと他のものとの関係とし てある、数を構成する既存のものの存在関係の変化として現れる。数を構成す る既存のものを存在させる運動の結果として、既存の数の変化が現れるのであ って、その運動の延長として新たな数としての増減が現れる。数え上げること によって増減が現れるのではなく、増減も対象を存在させる運動の内在的変化 の結果として現れる。
存在を形成する量的運動の質が、相互に区別される新たな質を作りだし、ま た消滅させることで新たな質の増減が数の変化として数えられる。
【量的変化】
他の物事との相互関係によって現れる内部変化としての運動である。あるい は質量の相互関係間の運動である。位置変化も他のものとの距離によって規定 される内部の量的変化として現れる。
位置変化も形式的な運動の結果ではなく、相互作用としての相対的運動の内 部運動である。相互作用のない関係では位置の変化も現れない。少なくとの光 が到達できなければ関係が成り立たない。光より速く運動するものがあったと しても、その媒介なくして位置関係はない。位置関係も対象と対象間を媒介す るものによって成り立つ運動の内在的変化である。
量的変化は他に対しては同質化、異質化の過程である。量的変化は自らに対 しては、自らの内在的質的規定の臨界との相対的位置である。
量は他に対する連続の関係である。量的変化は連続的である。
【質的変化】
質的変化は全体・他と区別する運動である。全体の運動の中で、全体の運動 とは異なる運動として質が現れる。質は全体の運動にあって、個別を存在させ る運動の現れである。個別として存在させる運動が、個別の部分としての質で ある。
存在は有無として区別される。質的変化は存在を規定する運動であり、存在 を現す運動の質間の転化として飛躍的である。質間は離散的関係である。
質的変化も相対的である。質も普遍的質と特殊的質を合わせもっている。世 界全体の存在が最も一般的質であり、部分として普遍的質がある。部分として の普遍的質はその内に様々な特殊的質の累層をなしている。普遍的質の相互の 区別が個別である。質は他に対する区別の関係である。質的変化は区別を超え る飛躍である。
【限界量】
量は一定の質の運動変化として現れるが、量によっても質が規定される。一 定の質はその相互作用に限界がある。連続した量の変化が質的変化に転化する 限界がある。この限界量での量的関係が、質を明らかにする。限界に至ってい ない量は、質による規定が弱い。限界内で量は連続した様々な値をとる。質は 限界内での量的変化を許容する。
限界量は運動の質そのものによって値が定まっている。基本的運動にあって は限界量は自然定数として一定である。自然定数は質の普遍性である。普遍的 に一定である運動が存在の質である。一定であることを基準に運動の質を比較 することができる。
しかし、発展的運動では限界量自体が変わりうる。基本的運動の限界量・自 然定数が変化してしまうのではない。より基本的な運動の許容量の組み合わせ として、発展的運動の限界量はある。より基本的運動の限界に近い運動量と、 その組み合わせを変えることによって、より発展的運動の限界量を変えること が可能になる。
【相】
質と量は一つの運動過程にあって相を現す。一つの運動過程の状態に応じた 質と量によって規定される運動形態が相となって現れる。質と量の相互の転化 が、相の変化として現れる。相の変化は存在の変化ではない。相の変化は存在 の形態の変化である。
注110
【構造】
質と量の相互転化の運動過程は2つの質の間での運動にとどまらない。運動 の質は無限の階層をなしている。2階層を超える質の運動は相互規定性を構造 として現す。階層間にまたがる相互規定性が構造である。
運動はその構造の規模、要素数、作用力として、ひとつの量的関係を他との 関係に現す。運動はその構造の機能、保存力をひとつの全体として、他と区別 される質的存在になる。
【運動の量】
個別の運動、あるいは個別間の運動にあって、量的変化と質的変化は統一さ れる変化である。
個別の運動、あるいは個別自体の存在としての運動、すなわち個別内の運動 は量的な運動である。量的な変化として、他の同じ運動をする個別との間で相 互作用をし、あるいはより基本的階層、より発展的階層の個別との間で相互作 用をする。相互作用はそれぞれの内部状態の変化として現れる。この相互作用 は連続した運動である。この運動が他と区別され、個別の運動としてあるのは 個別としての一定の質を持つからである。逆に質的に変化しないから個別の運 動である。
【運動の質】
運動の階層性は運動の質を区別する。個々の階層で、運動はそれぞれの質を 区別する。区別される運動は階層間で質的に区別される。運動の質的区別は階 層間で意味がある。同じ階層間で異質の運動を関連づけても意味はない。
注111
運動の質は階層の異なった運動への転化として問題になる。質は運動階層間 の区別である。
【質的変化の量的規定】
いずれの運動も一定の質と量がある。量の連続的変化にあって、臨界量とし て質の転換が規定される。質自体の定在を規定する量の限界がある。質的変化 は質のみによって実現されるものではなく、量的変化の過程で現れる。
【量的変化の質的規定】
量的変化は、一定の質と結びついた運動である。
しかし、量的変化は連続しており、その個別としての運動の範囲にとどまら ねばならないものではない。個別である質として現れる運動を超えて運動し変 化する。量的変化はそれまでの質的規定を超え、新しい運動形態、新しい質に なる。これが質的変化である。運動全体としてみるなら、量的変化は質的変化 に転化し、個別は新しい質を持った個別、別の個別に変わる。そして新しい個 別、新しい質の運動として新しい量的変化をする。
量的変化は質に規定され、変化量、変化の形態が一定あるいは連続的である。 質的変化によって量的変化の変化量、変化の形態は非連続的に変わる。逆に量 的変化が不連続し、変化量、変化の形態が異なることが質的変化である。
運動の量は階層によって現れ方が異なる。連続した量的変化は異なった質に おいて変化量を変化させる。
【散逸構造】
量的変化は限界・臨界値をもつ。一定の質の運動過程が維持される臨界があ る。複数の質の異なる運動過程が平衡して実現し、しかも相互に規定的関係が ある場合、臨界点そのものが変化する。
注112
変化の方向を双方向に逆転させる化学反応は化学的振動である。双方向の反 応過程は複数の過程間でも現れる。個別の化学反応は単純でも、反応系全体の 運動は複雑になる。反応系は個々の化学反応の構造として、変化しつつ保存さ れる構造をもつ。質的変化の過程が保存される運動形態が散逸構造である。
【内部変化と対外変化】
個別の存在=運動は孤立していず、他との相互関係にある。しかし個別の質 として運動の内部的構造がある。個別の質は他との相互関係に対して、個別を 維持する内部運動の過程を維持している。個別は一つの質として他に対する相 互作用の主体として運動する。
内部変化は個別の質を形成し、対外変化は個別の運動を量的に示す。個別に おいても質的変化と量的変化は統一された運動であり、かつ現れる場が異なる。
個別間の運動における量的変化と、質的変化の統一の様相はまた異なる。個 別間、特に異なる質を持つ個別間の運動は、対立物の統一としての運動である。
個別間の量的変化は、相互の比較量の変化である。相互の多少、あるいは作 用力の強弱の相対的関係である。これらの変化は、その対立矛盾によって、量 的変化として現れたものである。この対立矛盾の深まり、あるいは緩和により、 量的変化が生じる。
しかし、対立矛盾の深まりは、量的変化だけでは留まらない。相互関係その ものを変化させるまでの運動になる。対立矛盾の止揚であり、質的変化である。
ここでも量的変化は質的変化に転化し、新しい運動における対立関係として、 新しい矛盾による、新しい個別間の量的変化を開始する。
ここでの質的変化は、発展である。
【古い質の保存】
発展的運動は運動自体が質的に変化する。変化の前と後で運動の質は異なる。 発展的運動は階層を積み重ねていく運動である。階層を積み重ねることが発展 である。積み重なった階層で、新しい階層は古い階層の個別存在を新たに規定 し、新たな質に変える。しかしそれは、古い質を排除することではない。古い 質は新しい質によって規定はされるが、新しい質の基礎として保存される。
古い質の新しい階層での現れが否定され、排除される。新旧を比較して保存 されるものと革新されるものとの違いは、偶然でも、人の気まぐれによるもの でもない。古い質の基本的階層における運動は新しい質の存在基礎としてある。
注113
【存在の肯定】
個別はまずは有るものとして存在する。他と関係し、全体に含まれるものと して存在が肯定される。
個別の内の運動と全体の運動の、改めての対立と統一である。個別を成立さ せた全体と部分の対立と統一が、個別を経て新たな過程に再び現れる。個別間 の関係として存在が現れる。
【形式的否定】
否定の形式的意味は、対象の存在を無くすることである。しかし、無から有 が生じないように、有を無にすることはできない。否定によって可能なのは、 対象を別のものに変えてしまうことである。対象を対象として関係している質 を否定するのである。
「A」の否定である「非A」は「A」でない存在であって、「B」であるか「C」 であるかは決められない。「A」の否定は「非A」の場合もあるし、「B」、「C」、 ・・・の場合もある。形式的否定は現実の過程を明らかにすることはできない。 「A」の否定が「非A」であるか、あるいは「B」、「C」、・・・のいずれであ るかは、否定される「A」の規定による。否定の仕方によって結果は異なる。否 定の対象が「対象」のいずれの質=規定であるかによって、否定の結果は異な る。
「A」の否定は「非A」である。「A」の存在は否定され残らないが「非A」と しての存在が残る。存在は否定されずに「A」としての規定が否定される。否定 は存在の仕方に関わる。存在は否定によってその構造が明らかになる。
否定は形式的であってはならず、対象の存在の仕方の違いの関係である。対 象化される存在の、対象としての質が否定される。否定されるのは、対象化さ れている質である。
【存在の否定】
存在の否定は存在そのものの否定ではない。存在は全体の一部分としてある ことであり、存在が否定されたからといって全体の一部分が一部分ではなくな り、全体に穴が空いてしまうことではない。一部分の否定が全体ではない「も の」を生み出しはしない。全体は全体でありつづける。否定は否定の対象とし ての関係において否定される。対象としての質が否定されるのであって、存在 が否定されるのではない。
「人間として否定される」のは人間としての質であって、生命体ではない。
対象化されている存在に対する否定が弁証法的否定である。
質的変化は新しい質を作り出す変化であるが、それがより発展的質を作りだ す場合と、ただ別のものになってしまう場合がある。
ただ単に別のものになってしまう質的変化は、前のものの完全な否定であり、 特に否定としての意味はない。否定は否定であり、それ以上でも以下でもない。 ところが、より発展的質を作り出す変化は、まさに発展的変化であり、運動法 則として重要である。発展変化における否定は、古い質を否定し、さらに古い 質の否定を否定することで新しい質を作り出す。
【発展と還元】
存在の否定によって否定された存在の質が基礎として保存され、否定の契機 が新しい質としての存在のあり方を変革する場合が発展である。否定された存 在の質が消滅し、より基本的存在に分別する場合が還元である。否定的対立関 係を統一した存在構造として再構成できなくては発展できず還元される。
【発展の契機】
否定の否定の法則は、発展の法則である。
否定の否定としての質的変化、発展は古い質を否定はするが、その質を継承 し古い質を包摂しつつ、それを新しい質の中に再組織する変化である。
したがって、対立物が運動を通して、新たな統一を発展的に回復される運動 の質的変化であり、量的変化を貫く発展的運動として否定の否定がある。
発展は個別そのものの発展と、個別間の関係の発展とがある。
個別は個別として運動しているが、単に自己否定による新しい自己の回復と しての運動、あるいは変化は発展ではない、単なる変化である。個別の発展は 個別の関係している現実、あるいは個別を取り巻く全体において、個別の否定 的側面を否定することである。
【否定の形式】
個別は個別の関係している現実、あるいは個別を取り巻く全体、いわば他者 との関係で、肯定的なものであるから個別としてある。これは前提でもある。
しかし、個別は他者との関係の中で、個別として新しい質を作り出しつつ、 個別であり続ける保守的な質を合わせもつようになる。新しい質は古い質の否 定である。前提である肯定的個別の否定である。この新旧の質の量的関係の変 化は、やがて個別としてのこの新旧の質的関係を否定するものになる。否定の 否定は、古い個別の他者との関係を基準に否定され、新しい他者との関係の個 別として再組織する。新しい個別は古い他者との相互作用を引き継ぎながら、 古い個別を否定し、新しい個別へ発展し、他者との新しい相互作用として再現 する。
【否定の階層性】
肯定−否定−否定の否定は基本的な3つの過程からなる形式である。しかし、 現実の運動の過程は単独ではない。しかも、現実の運動過程は累層をなしてい る。否定から否定の否定への過程は直接するとは限らない。否定の過程の3段 階はいくつかの否定の3段階を含んで到達する過程もある。個々の否定過程で も肯定−否定−否定の否定の3段階を経つつ、それらの過程を含んだより全体 的過程での肯定−否定−否定の否定の過程がある。より基本的過程では否定し きれない、全体的矛盾を否定するより全体的過程がある。
まったく形式的に全体の過程を見るなら、肯定に対する否定の過程がいくつ も連なって否定の否定に至ることになる。しかし、個々の否定の過程でも否定 の否定の過程がある。ただ、個々の過程での否定される矛盾が全体的でない。 全体的矛盾は個々の部分的矛盾の否定の過程を経て深化し、全体化して否定さ れる。
個々の過程を形式的に比較するなら、否定の否定の繰り返しの過程に見えさ えする。しかし、より全体的な総過程では肯定−否定の深化の過程−否定の否 定としてより全体的、より発展的な運動の階層がある。
蛇足27
【再帰】
否定の否定によって当初措定された肯定に復帰する。しかし、復帰した肯定 は一度否定された存在である。質的に同じものを備えながら、より発展的質と して存在する。否定の否定によって、当初の質からますます隔たった質に変化 していくのではなく、質の形は再帰する。
個別間の関係の発展として、否定の否定は新しい世界を作り出すことである。
対立する異質な個別間の関係は、対立が互いの存在を前提としている、とい う意味で肯定的なものであった。しかし、対立するようになった個別間の関係 は、互いに否定的である。対立する個別間の運動は、互いの個別的運動を否定 するものである。対立する個別間の運動は、この否定的な関係、すなわち対立 関係そのものを否定するまでに発達する。
【発展の過程】
古い対立関係は肯定されたものとして成立していたが、相互の否定がやがて、 各々の運動を否定し関係そのものを否定するに至る。否定的な関係を否定する ことで、新しい全体の関係を作り出す。
新しい全体の関係は、古い関係を否定して成立したものであるが、古い関係 をなしていた個別を引き継ぎ、引き継がれる個別間の関係が新しいものになる。 個別存在の新しい質が実現する。
すなわち、一定の階層からの発展は、より発展的階層を成立させることで、 より基礎的階層における関係を、より発展的階層において再組織するものであ る。
【成長】
成長は自己を対象化する過程で実現される。
自分の存在は他を自己組織化する運動である。自己組織化する運動の質を発 展させることが成長である。
現在の自己組織化の運動過程を維持するだけの過程でも、同化と異化が統一 的に実現されている。この自己の存在過程を総体として方向づけ、現在の自己 の存在過程を否定し、新たな自己の存在過程を実現する自己の対象化の過程が 成長である。
注114
自らを否定し、自分でないものに脱皮して、自分であり続ける。当初の自分 と、否定によって生み出される自分と、全体を貫く自分と、質的に次元が異な るが否定される自分として成長する。自分の否定として自己を対象化する。自 分を対象性を持ったものとして、対象の内に自己を実現する。今の自分にない 価値を実現するために、自らの存在を変革する。
【全体の歴史性】
世界全体は多様な運動をしているが混沌ではない。様々な運動、大きさの部 分をなしているがバラバラではない。世界は統一されたひとつの全体である。
全体自体がその内に部分を構成し、部分のあり方を発展させてきている。全 体の自己否定としての部分を内に作り出した。部分の自己否定としてより全体 的な部分を構成してきた。部分を否定するより全体的部分としてのより複雑な 部分を階層的に発展させてきた。
そして我々において、部分が全体を展望するに至っている。全体の展望に立 って、我々は次の時代へ自らを変革する。
概観 全体の構成