表現
通常一般に、「表現」は、われわれ人が感じ取る感覚の対象です。
次いで、「表現」は、自らの思い、感じを何らかの媒体によって伝える行為です。
この「媒体」と「行為」と、その「意味」も「表現」です。
しかし、われわれの表現と、表現の受容に関わりなく、世界は表現で満ちています。
世界は表現そのものでもあります。
表現は作用とともに世界を構成しています。
世界は表現と作用として実現しています。
世界は表現と作用として存在しています。
存在があって存在を表現するのでも、存在が表現されるのでもありません。
表現があって存在します。
世界は表現と作用の二元としてあります。
意識 は世界の表現を認識し、意識として世界を再表現しています。
存在は表現されていなければ認識できません。
物理場は相互作用で表現されて認識可能になります。
相互作用しない、表現されない物理場は認識できません。
もつれた量子も相互作用して認識可能になります。
量子は相互作用して波動性、あるいは量子性を表現して認識可能になります。
ヒトも生きているだけではなく、社会生活を担い、文化を担う人間を表現して、人間として存在します。
表現は非物質的ですが、物質の有り様です。
表現は意識や認識の対象となる以前に、作用と共に存在そのもののです。
表現と作用がなければ、すべての存在は原子、分子でもなく、エネルギーの変転でしかありません。
存在それぞれの基本単位が相互作用して互いを構成要素として実現し、すべての存在構造を実現します。
物理場は相互作用によって互いを対生成し、存在を表現します。
生物は同化と異化の物質代謝を実現し、生命を表現します。
ヒトは物質代謝を社会関係に組織し、人間性を表現します。
すべてが存在を表現し、すべての存在によって世界が表現されています。
表現は受容と双対します。
相互作用は互いを対象として、互いの表現を互いに受容します。
一体であった物は分割により、断面は互いに互いの表現を反映します。
別々の物が相互作用すると互いの作用が互いに受容され、作用の痕跡が互いに表現されます。
存在は相互作用で互いの表現を受容し、互いの区別を表現します。
区別だけでなく、その関係も表現します。
区別と関係は相補の関係です。
関係があって区別が成り立ち、区別があって関係します。
相互作用しなくて表現は実現せず、相互作用すれば互いの表現が互いに受容されます。
対象の表現の受容は対象との相互作用によって実現します。
対象と直接作用しなくとも、複数の相互作用を介して間接的に受容します。
表現は存在の区別と関係です。
表現はすべてが区別と関係です。
区別によって対象が措定され、関係が区別の基準を表現します。
措定された対象は区別と関係によって定義されます。
デジタル技術はまさに区別と関係の表現です。
区別と関係を明らかにできなければ対象が定まりません。
秩序は区別と関係の実現であり、区別と関係の維持、保存です。
存在は秩序として実現します。
秩序がなければ対象にはならず、存在せず、受容もされません。
混沌も何らかの区別を表現して対象になります。
区別と関係の表現によって、混沌と秩序も区別されます。
表現は存在です。
表現の存在は受容して確認できる存在です。
意識の表現は意識すれば全て、即受容できる存在です。
直に受容できるから意識の表現です。
感覚、感情の表現も、意識して即受容できる存在です。
感情の表現は意識を含む身体表現として即受容できる存在です。
感覚の表現は感覚媒体と感覚器が相互作用して生じた神経信号を脳で処理した意識表現として存在します。
感覚対象の表現は対象と相互作用した感覚媒体を身体の感覚器で選択た感覚表現として受容する存在です。
存在する表現の一部分を感覚器が相互作用できる範囲で受容します。
対象となる全ての存在は相互作用して存在を表現しています。
表現は全ての相互作用を表現して存在しています。
視覚を例にすれば、光は視覚対象を表現する媒体です。
何処で、どちらを見ようと任意の光景を見ることができます。
空間の何処でも光による表現で満ちています。
人は空間内の一点から、一方向からの表現だけを見ます。
何処から、何処を見ようと一つにまとまった光景を見ることができます。
空間内の全ての、全ての方向からの光の表現が存在します。
見えている光景だけが世界ではありません。
感覚器の受容能力の範囲を超える表現も存在します。
感覚器が相互作用しない表現も存在します。
視覚表現だけでなく、すべての存在の相互作用による表現が存在します。
表現が客観的に存在するから、任意に表現を捉えることができます。
ですから、存在は表現と作用の二元から成ります。
表現が客観的存在でないなら、存在を確かめることもできません。
人の感覚を超える極微から極大まで、あらゆる表現媒体の表現が世界に満ちて存在しています。
視覚の仕組みの説明図は、一つの瞬間に網膜に結ぶ像だけを捨象して表現しているに過ぎません。
区別と関係の秩序が表現として存在します。
光源と対象と背景によって影が生じます。
影は光源と対象と影の位置関係と光の性質によって実現する秩序を表現します。
影の表現は光源と対象と背景の位置関係が定まって存在します。
位置関係秩序が客観的に存在して影が表現されます。
影は他と相互作用しての存在ではなく、影の表現が存在します。
影の表現は光源と対象と背景の位置関係として存在します。
一般に光に満ちた空間に居て、眼を向ける方向の光景を網膜が捉えます。
あらゆる方向からの光を瞳と網膜の位置関係で定まる表現を光景として捉えます。
錯視も存在します。
視覚信号処理表現で錯視は生じ、存在します。
錯視と分かっていてもその表現を否定できません。
錯視が意識される表現として存在するから否定できません。
幻肢を含む感覚表現を存在しない幻想だと、気のせいだと否定できません。
影の存在は主観的解釈にすぎるようですが、存在の解釈自体が主観的です。
影は日常生活経験での対象ですが、量子の非局所性も物理実験を踏まえた対象です。
そして意識の存在自体が主観的解釈です。
意識は脳での神経信号処理によって表現される存在です。
表現は保存されます。
表現は相互作用で実現し、受容されますが、次の相互作用が継起するまで保存されます。
継起する相互作用まで区別と関係が変化することなく保存されます。
継起する相互作用でまた受容され、再表現されます。
宇宙マイクロ波背景放射* は138億年前の宇宙晴れ上がりの表現ですが、1964年にベル研究所のアンテナと相互作用し、その雑音表現がベンジアスとウィルソンとに受容され、プリンストン大学へ伝わり、すなわち再表現され、その表現を受容したディッケによって解釈されました。
化石は手に取れる石ですが、対象表現として石化した生物の一部、あるいは
生痕* を表現しています。化石は過去の生物の表現を受容しています。過去の生物の表現は過去の生活環境を受容し、表現しています。過去の生活環境は当時の気候を受容し、表現しています。
表現は区別と関係が、表現秩序が変わらなければ、媒体を超えて保存されます。
デジタルのデータ表現は媒体に依存しません。
映像、音響だけでなく、匂い、味、触覚もデジタルでの表現、再現を目指されます。
デジタル化は桁=ビットを区別し、組合せ関係で表現します。
アナログ表現は表現媒体と一体であり、アナログ表現は媒体に依存します。
アナログ表現は表現媒体の質に直接制限され、媒体間の複写は歪みます。
媒体を超えて保存される表現は媒体ごとに保存されます。
媒体を異にする表現の再現は複写=コピーです。
コピー機は紙の上にトナー、或いはインクの位置関係で再現します。
生命の世代交代は代謝秩序の複写です。
区別と関係の保存は数学で言うところの写像です。
区別と関係が、表現秩序が同一であれば媒体が違っても同じ表現になります。
表現は継起する相互作用で積層化して再表現されます。
相互作用は継起し、並起し相互連関します。
相互作用の相互連関を経て表現は受容され、再表現されて重なります。
相互作用が継起することで受容された表現は継起した相互作用で上書きされます。
光は電磁波であり、存在としての波長と振幅とを表現しています。
光の波長と振幅の値は相互作用した電子の表現を受容しています。
光は反射、透過すれば、そこでの電子との相互作用が上書きされた表現になります。
光は色フィルターやプリズムを透過する毎に色が変化します。
表現は相互作用連関を経て発展するとともに、相互作用関係を介して広がっています。
表現は相互作用連関を経て積み重なる毎に先行する表現は薄まり、ついには受容されなくなります。
表現はまとめても受容されます。
「世界」の表現は全てをまとめて含んで表現しています。
日常経験での対象はすべてまとめられた表現です。
表現は媒体を超え、媒体にかかわらず対象表現を包含し、置換できます。
論理や数学の概念も置換、包含によって拡張され、発展します。
多数の表現が一つの関係として受容されます。
相互作用は単独ではなく多くの相互作用が相互関係しています。
相互作用関係、相互作用関連が受容され一つの再表現になります。
相互作用の階層は表現の階層をなします。
認識は意識での表現の受容です。
認識は神経信号の感覚表現、感情表現を受容し、意識としての表現を再受容します。
意識は感覚器が受容した表現を脳で再表現し、その再表現を再受容して実現しています。
表現は受容と双対して多重化しています。
表現は存在対象の存在表現が受容される対象表現であり、認識されて表現対象を投影します。
認識は表現と受容の積み重ねです。
脳での意識は神経信号処理表現の受容です。
神経細胞の発火表現は神経細胞の刺激に対するは
イオンの流出入* 等の一連の生化学反応表現の受容です。
また、
感覚器官* の受容細胞の生化学反応表現の受容です。
感覚器官の受容細胞の生化学反応表現は感覚刺激物質との相互作用表現の受容です。
さらに先行する脳領野での表現が受容する領野へ連なります。
これは、表現と受容の連関過程の大雑把な概要でしかありません。
意識の表現は世界全体です。
意識は直接相互作用する対象だけでなく、記憶表現を対象化して表現全体、世界全体を再表現しています。
脳で受容し表現する世界は、意識にとっての全世界です。
一点からであっても、周囲をぐるっと透視すれば全体が見えます。
但し、対象世界の極一部の一面に過ぎませんが。
意識の世界表現は認識主体を基点に全方向を受容し、時空間的奥行きも表現しています。
意識は表現に意味づけし、価値づけます。
受容する対象表現に記憶表現を対応させて、意味づけます。
意識世界での対象表現の位置づけが意味づけです。
対象表現の意味づけ、価値づけは意識世界での評価です。
但し、存在対象そのものに意味や価値はありません。
意識は意味づけた対象表現を表現対象として対象化します。
表現対象は人々の意識に共有され感覚、感情、観念、概念、理念等として対象化され、外化されます。
感覚、感情、観念、概念、理念は外化されて主に言語で表現されます。
言語表現がコミュニケーションの基本ですが、様々な媒体を用いて表現対象を具現化します。創作します。
人は鑑賞でなくても常に対象表現内に表現対象を探索します。
受容する対象表現に表現対象としての意味を見いだします。
表現対象をコトバで再表現して納得し、安心します。
人は記憶表現を外化して表現します。
記憶表現は表現対象として外化され、対象操作を容易にします。
人は特に言語で表現し、表現を共有します。
符号は対象表現の媒体です。
符号の対象表現は印です。
符号は印として他と区別される関係を表現対象にします。
記号は表現対象の媒体でありながら、記号としての対象表現でもあります。
記号は表現対象としての意味を表現するとともに、対象表現として他と区別される関係を表現します。
記号の対象表現は文字で言えば字体=フォントであり、能記=シニフィアンです。
記号の表現対象は文字の字義であり、所記=シニフィエです。
記号の対象表現は国や地域文化によって異なりますが、表現対象は共通で相互翻訳できます。
表現対象は人々の認識の発展に応じてより豊かに多様化します。
人の処理対象としての情報は表現対象間の区別と関係を表現します。
処理対象としての情報は表現対象を対象化する人によって意味、価値が異なります。
広く知られた情報の価値は低く、希であるほど、秘密であるほど価値があります。
存在そのものが表現であり、相互を区別する関係を表現しています。
意識は実践主体の視点から世界を受容し、再表現しています。
人の意識である世界表現は人によって異なりますが、相互理解可能です。
なぜなら、人々の意識にある世界表現は個別的でも、対象である世界は一つです。
2025.04.09