「存在」の問いは通常、「何らかの対象が有るか、無いか」です。
しかし、「有る・成し」、「存在する」とは「どういうことか」が問まずわれます。
存在すること、存在の定義なしには水掛け論になってしまします。
そして、意識が問う対象が存在します。
意識は感覚、感情、記憶だけを意識でき、対象にします。
感覚、感情、記憶は意識の対象でありながら、意識の表現です。
感覚、感情、記憶は意識自らの身体に担われます。
また、感覚、感情、記憶は身体の対象との関係を表現します。
意識は感覚、感情、記憶として身体と身体の対象とを対象にします。
物質は意識を担う身体と、身体の対象です。
感覚は物質である身体を介する対象物質の表現です。
感情は物質である身体の表現です。
記憶は感覚の表現、感情の表現、物質である対象表現の再現です。
物質によって意識が存在します。
物質である脳の神経信号処理によって意識は実現し、表現されます。
意識の対象が物質として意識とともに存在します。
物質が存在して意識が実現しています。
存在は物質です。
身体は物質であり、存在は身体で物質を感じることで確かめます。
物質である感覚器官が機能しなくては存在を感じることはできません。
物質によって存在を確かめます。
感覚で受容できて存在を確かめます。
夢や妄想、錯覚が存在しなあい事は物質との関係で確かめます。
信じるだけの解釈では存在を肯定も否定もできません。
物質を基礎にする解釈ならば誤りを改めることができます。
物質を用いなければ存在を形に、表現にできません。
思い描くだけでも言語、図形、造形等物質の存在として意識します。
麻酔等で脳が機能しなければ意識することもできません。
物質は物理
場の広がりとして存在すると解釈できます。
宇宙の基本的力の場は電磁気場、弱い力の場、強い力の場、重力場の4つです。
相互作用関係の場は相互作用関係の発展によって多様化します。
素粒子場も、人間関係も、観念間、概念間の規定関係も相互関係で成り立ちます。
物理場のゆらぎが相互作用して互いを
区別し、互いを
表現します。
電子・陽電子等、量子の対生成、対消滅が端的な例です。
あるいは、場のゆらぎが区別される振動となって表現されます。
相互作用によって区別される粒子、あるいは振動が物質の
実態であり、物質の
表現です。
逆に場は相互作用関係であるとも解釈できます。
存在は物質の作用と表現として実現します。
「作用と表現」の二元論です。
物理場が区別され、表現されなくては存在を観測、認識できません。
もつれた量子は物理量が確定しなくては区別できず、相補性も観測できません。
量子がスリットを通過しても、観察できるのはスクリーンとの相互作用が確定してです。
スリットに向けての量子の射出も相互作用ですが、射出を観察する作用は射出に干渉できません。
観測、認識できる表現が存在し、その実態が存在です。
表現と作用によって場を解釈できます。
場は表現です。
数表現の桁も場です。場を表現することはできますが、桁毎の値は存在しますが桁は存在ではありません。
次元は作用を区別する表現です。
物質存在によってすべての存在が構成されます。
物質は場の相互作用によって相互に区別される存在として実現します。
存在は相互作用し、互いに区別されて実現することです。
「存在の問」は相互作用による相互区別の関係にあるかどうかです。
相互作用関係は連なり、すべての区別が連なり、全体の関係を成しています。
個々のすべての存在は他との関係で区別されています。
他との相互関係が無ければ存在しません。
すべての存在は相互に区別する関係の内にあります。
相互関係が無ければ存在を問うこともできません。
存在は他との相互作用関係にあって、全体の関係に連なっていることです。