戻る 第三部 第三編 社会生活
概観 全体の構成
【社会運動と力】
社会は人間集団の運動である。個々人の運動を媒体として、社会の運動が実 現する。個々人の運動は相互関係によって規定されている。個人の運動とその 全体としての社会の運動は相補的で、相互に規定し合う。相互規程的対称性は 社会関係の基礎である。
人間は目的を設定し、意志を持って行動する。目的意識の対象は個々の他人 だけではなく、社会も対象になる。人間は社会的運動を目的意識的に制御しよ うとする。社会的力を、自らの目的に利用しようとする。個人の運動と社会の 運動は相互規定としての対称性が破れ、個人によって社会を規定する一方向的 運動が現れる。基礎的な社会関係の対称性が破れる。
基礎的社会関係は普遍的であり、対称性は破られるが相互規定性は保存され る。独裁者であっても社会的に規定されている。
注25
階級社会、競争社会は基本的に敵対的である。階級対立を本質的な矛盾とし、 同じ階級内でもたえず敵対的運動がある。社会主義者や共産主義者が敵対関係 を作り出すのではない。資本家と労働者の対立が労資協調、「会社あっての労 働者」といっても、追いつめられれば「雇用か賃金か」と労働者に負担が転嫁 される。逆に協調がどのように現れるか。自己犠牲が現れるのは非資本主義的 関係であり、あるいは隠された利権をめぐっての癒着の場合である。
敵対的競争社会での運動は社会的力の支配をめぐる争いである。社会的力の 支配による運動であり、支配力を得るための運動である。社会的支配力は制度 化され、権力として現れる。
【社会的力の獲得競争】
社会関係に働く力を方向づけ、利用可能な力とする権力は様々な形、様々な 場面に現れる。個々に現れる権力は社会関係がそうであるように、すべてが切 り放しがたく連関しあっている。連関した権力の全体を束ねるのが国家権力で ある。
「国際化」の今日、国家権力も単独では成立ちにくく、国家権力間の相互連 関、支配関係が国際権力とでも呼ぶべき時代である。それでも、地球規模にあ っても、国家権力は権力機構の強力な結節点である。
個々の人間関係における力関係も本人が自覚しようがしまいが、国家権力を 巡る闘いに組み込まれている。
権力を獲得する闘い、権力を行使する闘い、権力を維持する闘い、不当な権 力に抗する闘いのいずれもが権力闘争である。
【国家の力】
国家権力はその国境内においては管理、抑圧の強制力である。国境外に対し ては自らへの干渉を排する。しかし、権力の最高のものではない。国家権力は 政治家の目的にはなっても、社会的目的物にはならない。国家権力を目的とし た社会主義国の革命運動は挫折した。他方独占資本は多国籍企業として、国境 を越えて活動の場を拡張している。
徴税、財政、治安、軍事、福祉などは私企業が負担できるものではない。部 分的、一時的に利潤獲得も可能であっても、一般的、恒久的には負担の方が大 きくなる。実際に企業、個人からの徴税、人命の消費は国家権力によってしか 合理化できない。
注26
【権力の国際化】
多国籍企業にとって国家権力は手段でしかない。利益は国境を越えて、税負 担のもっとも小さい国に蓄積する。多国籍企業の本国は主要な支配市場である。 「愛国心」の問題ではなく、活動の基盤として最も有利な条件にあるから本国 と称されるだけである。
多国籍企業の支配が国家権力を超えても、国家が成り立つのは経済的支配と は別な政治的支配が有効だからである。社会関係の秩序維持には、国家権力に よる地域分割支配が有効だからである。
国家権力はそれぞれの地域での統治、強制力として機能するが孤立はできな い。それぞれの地域支配を互いに集団・相互安全保障、貿易・経済協定等とし て補完しあう。国家権力間の関係は対等ではありえない。経済力、軍事力、政 治力の違いによって支配・被支配の関係になる。支配・被支配の程度、形態は それぞれの関係によって異なる。
国家権力間の関係は地域支配に関しては相互補完的であるが、権力の国際的 行使に関しては敵対的でもありえる。
注27
【帝国主義権力】
帝国主義は多国籍企業化の時代にあって、国家権力を全面に出した侵略政策 をとらない。今日帝国主義的直接侵略政策は、必要ないだけでなく有害である。 直接的他国の権力支配は政治的、経済的、民族的、宗教的、文化的軋轢を作り 出し、社会的不満をまとめやすくする。支配に対する抵抗が、明確な帝国支配 に対してまとまってしまう。民族的、民主的な形式をとっての権力支配の方が 直接的支配よりも有効である。
多国籍化した企業活動は国家権力と分業関係を取り結ぶ。軍事的危機に対し ては「国益」を前面にたて、国家の負担によって軍事行動で対応する。国家権 力による公的資金、制度は、多国籍企業の利益に沿って運用される。場合によ っては本国政府が手出しできない内政干渉を、多国籍企業が引き受ける場合も ある。しかし、多国籍企業の秘密を要する協定等は、本国政府に対しても無論 秘密にされる。
【社会主義の国家権力】
社会主義運動にあっても国家権力の問題は「帝国主義」概念の拡張を必要と する。社会主義権力が帝国主義化しえた。社会主義の普遍性の追求が、大国主 義、拡張主義と一体化してしまった。
また社会主義革命にあって、革命の目標としての国家権力の奪取は運動の一 つの結節点をなすに過ぎない。国家権力を奪取したからといって、万能の社会 的強制力を手にいれたことにはならない。個々の、そして総体の経済活動、社 会活動を命令や統制によって支配することはできない。それぞれの運動が関係 し合って社会関係が作り上げられるのであって、支配によって社会関係ができ あがるのではない。国家権力支配によって社会の運営はできない。武力行使は 権力行使の一手段であって最終手段ではもはやない。
【権力行使】
社会制度はその社会的存在が権力組織である。制度は法律、規則の条文文書 ではない。社会的に機能する力の拠り所である。社会制度として存続すること 自体、機能し続けること自体、人的、物質的資源を必要としている。
社会福祉等内容がなんであれ、権力行使としての社会的作用としてある。給 付は給付しないことでもある。給付基準の適用として権力が行使される。基準 の選択として、基準を満たしているかの調査として、要件の判断として権力が 行使される。権力の目的が貫かれる。給付されることだけとってみれば、権力 行使とは関わりのないサービスのように見えても、公金の支出は権力行使その ものである。
【社会的地位】
社会的存在であり被扶養者でない限り、すなわちだれしも生活していくため には就業しなくてはならず、社会的地位を占めなくてはならない。被扶養者で あっても社会的地位を占める。被扶養者でないものの社会的地位は社会的権力 を伴う。
社会的地位は地位そのものが保守的である場合と、革新的である場合がある。 権力政党と革新政党は社会的、歴史的に反対の方向性を持つが、それぞれの党 内の地位も、地位そのものに社会・歴史的な方向がある。政党でなくとも、職 業的地位であっても同様な社会的・歴私的な方向がある。労務管理部門と生産 部門では基本的な方向が逆である。権力は具体的にはそれぞれの地位での権限 の行使として実現する。
いずれかの地位につかねばならない個人の生き方の方向性と、その地位の方 向性は必ずしも一致はしない。いずれの地位も誰かが就いて機能させるように なっている。その地位に就いて、就いた人間がその地位に与えられている権力 をどう行使するかがその人の方向性である。労務管理の地位であれば首切りを 実施しなくてはならないこともある。首切りを避けるようにすることも策の一 つである。避けることができない時にどう実施するか、地位に就いたからには 最善の責任を取らなくてはならない。
【社会関係すべてにおよぶ権力闘争】
人間が社会的存在であり、社会関係に依存して生活している。個々人が社会 に対して主観的にどのような態度をとろうが、社会関係から離れることはでき ない。実践的には人間であることをやめることによって、社会関係から離れる ことは可能である。それでも、生い立ちとしての社会関係は存続し、反・非社 会関係としての抽象的、心理的社会関係にある。したがって、客観的に権力関 係から逃れることはできない。
実践的には権力闘争を意識することが課題になる。職場で、地域で、サーク ルで、家庭内で、人間関係は直接的に、間接的に権力関係を実現している。
職場での人間関係はより直接的な権力関係である。職制自体が権力支配の制 度であるが、職務自体が権力関係を程度の差をもちながら実現している。
家庭内でも夫婦間の関係は男中心の社会関係に従うか、是正するかいずれで あっても、競争による収奪体制としての男中心社会関係と連続している。子供 のしつけ、進路等、親の社会的価値観が具体的に実現される。子供、他人の人 権をどう尊重するのか、親の考え方はしかること、ほめること、子供との日常 的な接触の中で問われる。
注28
日常的対立は戦争ゲームのように敵味方が空間的に分けられてはいない。敵 対関係も多様な関係の現れであり、敵味方相互に作用し合っている。本質的敵 対関係は相互依存的であり、敵の存在なくして敵対関係は存在しない。対立関 係にあることによって非対立的関係までが激しく敵対するようになることがあ る。
強大な敵に対しても、自ら存在することで対立が成立している。自らの存在 を許していることが、敵が絶対的権力を持っていないことを示している。逆に 自らの生活自体が潔くなくては、多様な社会関係を通して攻撃されることにな る。
【日常の権力闘争】
日常的権力闘争と、国家権力闘争は結合されねばならない。国家権力闘争の 日本での集約点は選挙である。日常闘争の成果が数字で明確に評価される。日 常の政府批判や世話焼き活動は一つの契機であって、国家権力奪取のための闘 いは組織戦である。新しい人間関係を先取りして実現していく闘いが求められ る。
不正に対する闘い、越権に対する闘い、無作為、無関心に対する闘い、非協 力に対する闘い。これらを日常的に闘い、勝つこと。これが主体性を鍛え、自 治能力を証明することになり、最終的には統治能力の証明になる。職場で、そ の他の様々な要求に基づく組織での組織戦である。様々な組織の普遍的要求で の共同の闘いである。組織の共同としての、統一を築く組織運動としての闘い である。
この闘いを必要にした状況の原因を暴露する闘いによって、すべての権力闘 争が国家権力を巡る闘いへ集約される。日常的な個々の権力の獲得、統治能力 の証明無しに、選挙だけで国家権力を奪取することはできない。
【権力闘争の歴史】
これまでの権力闘争は権力者間の闘争であった。新たな階級支配のための闘 争であった。
現代日本の金権選挙も権力者間の国家権力をめぐる闘いとしてある。しかし 同時に、現在は権力支配を終わらせる歴史的闘いの時代でもある。互いの尊重 と合意に基づく社会運営を実現する政治と、その基礎になる経済的平等を実現 する社会づくりを目指す運動の現権力支配に対する闘いの時代である。
権力支配からの開放を求め、平等を目指した社会主義革命は官僚支配によっ て腐敗されてしまった。中央集権的な計画経済が原理的に不可能であるのかを 明らかにすることのできないまま、官僚に支配されて機能不全に陥ってしまっ た。経済運営の方法、政治的統治実現の方法も明らかにできないまま、旧来の 権力支配に戻ってしまった。
注29
【権力の取得】
実際に社会的権限を利用するためには、社会的地位に就くことが必要である。 職場ではより上位の職制がより大きな権限を持っている。職階制度のどの階層 から管理職であるかとの線引きの問題ではない。職を得ること自体が職制に組 み入れられることである。
職制支配に反対する立場の者が職制になることを合理化するのに、「職制に なったからといって、あなたの立場は変わるのか。あなたは、あくまで人類解 放の立場で闘い抜くのではないか」といった主意主義的な合理化が許されてき た。唯物論者の口からもっともらしく言われたのである。環境、立場に影響さ れずに、生活姿勢、意志を元のまま貫き通せる人間がどれほどいると考えたの か。
それでも、より大きな権力を手に入れなくてはならない。権力を否定するた めには、権力以上の現実的な社会的力が必要である。それが公のものであれば 検察、軍隊の中にも、当然に民主的・反権力的組織内組織が必要である。権力 を否定する者が権力を持つという矛盾を自覚できる者でなくてはならない。金 の為だけで社会的地位を求めてはならない。どのように低い地位であっても、 制度化された地位は権力支配の一部である。社会的地位を得ることは、権力支 配制度を認めることである。自らが得る地位に備わる権限を、自らの力で制御 できなくてはならない。
部外者からの批判、内部の相互批判なくして健全であり続けることはできな い。批判のあり方も、権力闘争と区別できるとは限らない。正当な立場からの 批判であっても、前進的であるとは限らない。批判の仕方についても学ばなく てはならない。
【社会的地位と責任】
現実に社会生活をする中で、だれもが何等かの制度上の地位に就く。
特に何等かの選抜によって地位をえたものは、その地位の代償を支払わねば ならない。今の制度を認めてその地位に就いた者は、その地位を得たことの代 償を支払うべきである。反歴史的時代制約の下で、特に国家独占資本主義制度 の下でその地位を得たのであるから、仕事の上で、役割の上で、代償を支払う べきである。仕事の上、役割の上で支払えないのであれば、その他で支払うべ きである。その地位が高ければ高いほど、代償も高くあるべきである。
仕事の上での代償の支払はその質と、量である。社会にとって、歴史的に有 用な役割を果たす地位であれば、その地位の平均的働き以上を常に実行しなく てはならない。役割の上での代償の支払はその地位を利用し、より社会的、よ り歴史的職務を拡大し、反社会的、反歴史的職務を縮小することである。
その地位が反社会的な役割の地位であれば可能な限りのサボタージュをし、 また代わられて国家権力の追従者がその地位につくことを防ぐべきである。積 極的な代償の支払ができないならば、組織内の、組織外の積極的に代償を支払 っているものの援助をすべきである。それもできない条件にあるのであれば、 資料の収集、方法の開発、理論の発展に尽くすべきである。
すべてが不可能であるなら、地位を離れた分野で、代償を支払うべきである。 文化活動において、ボランティヤ活動において。
意識的にその地位をえた者はその代償の支払についても、理解しえる能力は あるはずである。その債務の存在すら意識しようとしない者は反社会的、反歴 史的人間である。
社会的権力は国家権力だけではない。国家権力も決して一体の物ではない。 形式的に三権分立が建前であるし、行政組織毎に、さらに担当者毎に異なった 権力行使が行われることがある。職場においても職制として権力関係が制度化 されている。家庭にあっても親子間、夫婦間の主導権争いはあるし、幼児に対 しては善し悪しに関わらない親権の行使が必要である。リーダーシップも権力 の一つの形である。
権力の行使のためには訓練も必要である。誰であっても家族、友人と行動す る。ハイキングで歩きたがらない子供、興味を引かれる物から離れようとしな い子供に対し、複数の対応策がある。目的実現の各段階に至る対応策、構成員 の納得が最大限実現できる策、組織が維持できる限界、決定した対応策の実現 可能性、これら全体の状況からの判断に基づき権力は行使されなくてはならな い。
状況を判断することも権力行使の訓練であるが、決断も訓練が必要である。 ハイキングであっても、天候、事故等により限られた情報で、優先順位を付け られない対策の中から判断する実施の訓練も必要である。後の評価を気にした り、責任回避の多数決では権力行使はできない。
判断力、決断力、実行力は権力者の個人的資質であるが、権力行使の結果は 個人の能力ではない。巨大事業を実現したからといって、その権力者の個人的 能力の実現ではない。
それぞれの社会的立場における権力行使の訓練と、逆に権力の正当性につい ての批判が必要である。形式的民主主義は衆愚政治に至るし、請負主義は組織 にとっても、運動にとっても、構成員にとっても良くない。
【革新・反動、改革・保守】
社会活動には社会を動かす力と、維持する力が必要である。維持する力は通 常は保守的である。動かす力は通常は革新的である。しかし、いずれも人類史 の方向を基準にするなら、改革も革新的でも、反動的でもありうる。維持も保 守的にも革新的にもなる。
どうとでも取れるのではない、歴史的評価に待つのでもない。人類史の方向 が基準である。人類史の方向は社会的生産の拡張と消費の平等である。能力に 応じて働き、必要に応じて受け取ることに向かって、歴史的段階を一つ一つ上 がってきている。この方向に向かうことが人類史の進歩の方向である。
人類史の全体の方向は豊かさの平等に向かっている。この方向への運動が 「革新」であり、逆行の運動が「反動」である。社会的利益、権利を集中・独 占しようとする方向が「反動」である。この革新と反動は方向は対立的であっ ても既存の制度・組織を変化させる。
既存の制度・組織は属する構成員に利益、権利をもたらす。運動する社会は 既存の制度・組織を少しずつでも変化させる。革新であるか、反動であるかと は別に、既存の制度・組織を改革する運動と保守の運動がある。既存の制度・ 組織をどうするかではなく、そこからの利益・権利の帰属をめぐって「改革」 と「保守」の対立方向がある。
「革新」と「反動」、「改革」と「保守」この4つの要素の組み合わせとし て現実の社会運動の主体が区別される。
権力の主体は組織である。権力の行使主体である組織それ自体が力を必要と する。
【組織の運動力】
組織は制度化された社会運動体である。組織は目的を持って制度化される。 組織は制度として組織自体を維持する運動を必要とする。組織は目的を追求す る運動と、組織を維持する運動の統一としてある。組織の目的に対して組織を 運動させる目的運動と、組織を維持させるための存立運動との二つの運動の統 合として組織はある。目的運動は外向的である。存立運動は内向的である。
目的運動であっても、構成員の運動を目的に向かって組織するには対内的運 動が必要である。存立的運動であっても、構成員を拡充・補充するためには対 外的運動が必要である。組織の内に向かっての運動と、外に向かっての運動は 組織の運動として統一されていなくてはならない。
目的運動と存立運動は相互補完的である。運動の結果として相互に作用し合 うだけではない。運動の出発点でも不可分に統一されている。組織運動を開始 するのに、どこからか始めることはできない。目的を設定することからでも、 組織を作ることからでも出発することはできない。組織全体から始めなくては ならない。相対的に小さな部分を全体として組織し、その部分的全体をより全 体的部分に発展させる。
【組織技術】
組織の力は人、金(物)、情報が物質的基礎である。しかしこの物質的基礎 は構成要素であり構成要素だけで運動は実現しない。組織技術によって構成要 素の関係が制御されなくてはならない。
組織技術は目的・課題の設定力、構成員の結集力、状況に適合する柔軟性、 組織運動を維持する補充力である。
組織力は個人の能力として、組織の能力として現れる。個人の能力は経験と して蓄積される。組織の能力は個人の経験の継承と、制度としての運動形式の 改善、訓練によって発展する。
構成員の教育の基本は既存の制度を理解し、従うことである。読み・書き・ 計算、社会のあらましは学校で教育される。専門分野もそれぞれに学校が設け られている。接遇、説得、制度つくり等の教育制度は少なく、ほとんどの場合 実務の上での訓練(OJT)として組織単位、個人の責任にまかされている。 組織が最大に力を発揮するのは、構成員が既存の制度を改善しつつ働く時であ る。
最近問題となる危機管理は状況を想定して手順書を準備し、訓練するだけで はなく、想定を超えた状況への対応が本来の危機管理であることを教えている。 想定を超えた状況への対応は、既存の制度を改善できる程に既存の制度を問題 にし、理解する通常の仕事の仕方によって訓練される。権限と責任のあり方が 構成員に理解されていなくては、制度の改善、危機対応はできない。
情報処理の制度化はコンピューター・通信にだけ依存するものではない。書 式、書類のつづり方から、保存管理する組織、部屋、棚、箱の空間、内容表示、 検索方法、利用権限、廃棄手続きまで含めて制度化される。物理的条件、情報 環境・技術の変化に対応して改善が図られる。経験が蓄積され、改善され続け た書類は内容の意味を理解していない担当者に記入されても、順次段取りが遂 行されるように仕事を制御することができる。また、一覧性が高まる。
【組織的運動の継続】
組織的運動の力は構成員の力の統合としてある。さらに、構成員の経験の継 承発展として組織的運動の蓄積が力になる。組織的運動の力は、継続されなく ては衰退する。組織の力は構成員の活動とその訓練、経験の継承、制度の改善 として維持される。知識だけで組織の力を構成することはできない。知識なら 組織、経営に関する書籍も十分にある。それらを活用できる現実に運動する組 織自体が基本である。衰退しないから継続するのではなく、組織は運動を継続 することによって力を実現する。すべての有機体のエネルギー代謝と同じ運動 形式である。
成果としての前進がなくとも、目的に向かっての方向性のある運動の継続は 組織の力である。後退する局面でも、運動を継続できることはその組織に力が ある。力のない組織は継続できず、瓦解する。
組織、組織運動の継続は目的に直接する部分だけでは成り立たない。用語表 現は不適切であるが兵站・後方支援(ロジスティックス)は組織の維持だけで はなく、運動そのものを規定する。運動の水準、効率を規定する。
社会的影響力は決定、執行、統制への関わりの有り様である。
【決定への関与】
決定への関与は制度的意志決定への議決権だけではない。地位に与えられた 権限だけが決定権ではない。決定への関与には情報に接することのできること、 決定の関与者と情報交換できることが前提になる。その上で組織的決定手続き の運営に関わることで決定に影響をもつことができる。
情報に接する情報隣接権(情報アクセス)は制度上だけの権利ではない。関 係する基礎知識がなくては情報は生かされない。関連情報がどこにあり、どう 入手するかがわかっていなくてはならない。
【執行への関与】
社会的運動の執行は組織的に行われる。組織の運営と、実際の作業によって 執行される。組織制度上の地位と権限、実行能力によって基本的に執行への影 響力は決まる。さらに組織制度のあり方、実際の運用のあり方の理解によって 執行への関与の程度を変えることができる。全体を動かすにも勘所、ツボを心 得ている、いないでは大きく違う。
執行の経験は実践力、判断力を鍛える。
【統制への関与】
組織的運動は統制される。進捗状況が点検され、状況の変化が点検され、結 果が点検される。評価は運動の継続を規定する。評価は構成員にとっては地位、 権限を変更する。
評価には主観的要素がある。すべての情報が反映されるとは限らない。敵対 的関係があれば、恣意的評価がなされる。統制への関与も社会的影響力の維持、 拡大の基本的要素である。
【影響力の実現】
決定、執行、統制いづれもそれぞれの個人の組織力と、組織の運営への関与 の仕方が、その影響力を規定する。制度・組織の理解、制度・組織が運営され るときの個々の動き・過程の理解、人材の配置とその人との交流関係、これら が影響力の物質的基礎である。コネとツボを把握することが影響力を強める。
【カリスマ性】
すべての構成員と直接接触できないほどに大きくなった組織では、それぞれ の構成員の評価は評判となって伝わる。自然発生的な評判は操作の対象になる。
実績は本人には経験の蓄積であり、自信になる。実績の評価は権限と情報を もたらし、信頼をもたらす。実績は脚色され、伝説化されもする。
人格イメージは形成され、人格イメージは本人にも作用する。生理的能力を 超えて、社会的能力として影響力は拡大する。10章 個々の生活課題
戻る 第三部 第三編 社会生活
概観 全体の構成