注1
完璧は求めるが実現するものではない、誤りを正すことで完璧を期する。
注2
どの様な道具、機械、知識を使う場合でもその全部を理解しなくとも、一定 の基本的理解だけで使用している。必要なことは目標の理解である。実際に使 用することでよりよく理解できるようになる。
注3
例えば、法律の文言をどの様に文法的に、論理的に正確に理解しても、現実 の社会規範としてどの様に機能しているかを知らねば理解したことにはならな い。その法律が現実にどの様に運用されているかは法理論の体系内ではまった く認識できない。法文だけによる法律の理解は論理的に不可能である。論理は その論理だけで真偽を判断することはできない。
にもかかわらず現実に係わることを求められて拒否することは、現実の自ら の立場を偽るか、現実を追認しているからである。
注4
実務、仕事においても、現実変革の立場は必要である。定型化された仕事で あっても、よりよい方法が追求されねばならないし、常に変化する現実に対応 するには定型化された仕事の変革が必要である。定型化され、処理するだけの 仕事は機械にやらせるべき仕事である。
注5
歴史の解釈、現実の事象の解釈。これをいくら事細かく全世界的に、地域的 に解釈しても世界観にはならない。
世界観として社会科学から学ぶことは宣言ではなく、解釈ではなく、現実の 過程の運動の把握である。そして現実を歪める事なく、眼をそむけず、現実を 直視しない非科学的姿勢に陥らないことが何よりも大切である。
「共産主義国」の1989年からの激動をどう評価し、このことからどのような 教訓をえるのか。社会科学の関係者は反省しなくてはならない。
社会正義のよりどころを確固として保持しえたのか。これまで「社会正義」 について「現実主義」的でありすぎなかったか。本質的矛盾、現実的矛盾の位 置づけに現実離れしたところはなかったか。現実の評価には現実を反映した情 報が必要であるが、「共産主義国」の必要な情報をえるための努力は「資本主 義の最高の発展段階としての帝国主義」の悪行の情報を得るための努力と違い はなかったか。
その反省の上で今、現在から現実をどう見るのか。人類の展望をどう見いだ すのか。その方法をどう確立していくのか。世界観の今日的、現実的課題であ る。善意の人々すべての理解、共感が得られる世界観でなくてはならない。
注6
国家独占資本主義の問題、社会生活の問題、職域での問題、第三部で取り扱 う問題は現実の社会の問題である。
それでも「世界観」の中での第三部であり、一般的でなくてはならない。し かし、歴史的、社会的、何より個人的制約によって、当面は特定の個別的視点 からの一般化の努力で終るしかない。
世界と言っても日本から見た世界でしかない。しかし、人類史の中で世界を 考えることによって、日本で生活していることによる制約を克服したい。
日本と言っても都市生活する労働者からみた日本でしかない。しかし、世界 史の中で日本を考えることによって、小市民であることによる制約を克服した い。
職域と言っても極特殊な職場であり、職制上の権限も労働組合での任務も持 っていない。
生活と言っても特別な社会的経験、社会的貢献をしたわけでもない。
こうした制約のもとで「世界観第三部、具体的な人間の生き方」をとりあげ、 意味をもたせるには、一般化の努力によって普遍化することによってしかない。
注7
世界のニュースの把握ですら個人の手に余る。私にできる世界観としての現 代世界記述は印象のスケッチ程度にとどまる。
現象を把握するなら各種の年鑑等を参照する方が正確である。しかし、年鑑 などでは個々の事象を把握できても、社会の運動の構造や関連を把握すること は難しい。社会の運動の構造や関連はそれぞれの分野の理論を学ばなくてはな らない。
世界観としては運動の方向、傾向を理解しておかなくてはならない。
注8
現代帝国主義は政治経済制度の歴史的発展段階を意味する。商品市場を世界 的に普遍化し、市場を独占的に支配する資本の集中、金融資本を中心とする情 報独占、国際的生産・流通支配、賃金労働の世界的普遍化として世界を支配す る。
資本主義の最高の発展段階としての帝国主義は、歴史的な帝国主義の最近の、 今も存在する現代帝国主義である。帝国主義はその支配を国外にも拡張する社 会体制である。「社会主義」を掲げる帝国主義もありえた。
ナチスドイツ、日本、「共産主義」国に現れた全体主義は、個々の社会運動 を組織的、制度的、理論的に一つの支配に統合しようとする社会体制である。 それぞれの理念がどうであれ、経済、政治、軍事、文化等すべての社会運動を 統制することによって理念の実現を図る。
大国主義は自国の政治的主張・権益を他国に強要する政治姿勢である。大国 の干渉に対し自主独立を放棄する政治姿勢が事大主義である。
注9
バブル経済期の土地投機は金融機関に巨大な負債をもたらし、生産のための 資金貸し出しを困難にし、景気回復を遅らしている。
注10
だからこそ、世界一の軍事力を誇るアメリカの動員体制が思想的・政治的に 破綻してベトナムに破れ、イラクがアメリカに完敗しながらもフセインの支配 体制は存続している。
注11
ディジタル情報はそれだけでは永遠ではない。容易にコピーできるから永久 に残される可能性がある。情報機器、情報媒体、オペレーティング・システム、 データ処理・プログラムが残されることがディジタル情報の保存の前提である が。
注12
道路の監視カメラ、商店でのレジスター、クレジットカードでの買い物、銀 行の預貯金等、特別に情報収集の手間を掛けなくてもデータは蓄積されている。
一人一人の言動を追跡しなくとも、すべての電話回線を人が盗聴しなくとも、 特定の電話機の利用、特定の言葉が出てくる会話を選別し、記録することがで きる。
人々の会話や、紙に書かれたことは時と共に忘れられ、再現することが困難 になる。しかし電子情報化されたデータは媒体の寿命に関わり無く複写されて 永久に保存される。消去されるべき少年時代の悪事が永久に記録される。本人 に責任のない誤った情報が訂正されないまま残される。
個人背番号制度ができなくとも、住民票番号、社会保険番号、運転免許証番 号等の個人識別番号を互いに関連づけることによって個人の全体的データをま とめることができてしまう。
注13
「権力」には機能としての意味と、主体としての意味がある。支配・被支配 の関係を強制する機能としての権力と、行使する組織としての権力がある。
権力組織には権力の意志決定に参画する者と、執行を実現するものとがいる。
注14
福祉といっても人権侵害であったり、「民主主義」といっても多数の横暴で あったり、「共産主義」といっても独裁体制であったり。
注15
一般の官僚は自らの生活として判断しているのではない。社会的価値判断よ りも、規程・慣習に基づく仕事としての正統性が判断基準である。その誤りを 指摘することが官僚に取って痛手である。社会的に誤りであるとされても、規 程・慣習に従っているなら人の命がかかっていても誤りを認めようとしない傾 向がある。
逆に「誤り」の指摘が社会的に正統であるかは重要ではない。議員による議 会での指摘は、非のある指摘であっても官僚は恐れる。
注16
基本的に法定された権限の実現は情報処理である。法定された内容は情報と して保存され、参照される。現実からの要請は入力され、保存され、加工され、 出力される。実際に物を作り、加工するのは現業部門、あるいは民間である。
官僚は情報を独占し、取引することによって権限を実現している。官僚は情 報機器操作能力を自ら学ぶことを嫌うからだけではなく、情報化は自らの権限 を失うからOA化を積極的に進めようとはしない。せいぜいデータ処理、文書 管理、情報提供サービスとしてのOA化によって積極的な姿勢を宣伝するにす ぎない。法律、規程、基準、計画、執行状況、組織、統計データを公開しよう とはしない。
注17
官僚の私益的権力行使とともに、権力行使のサボタージュについても社会的 監視が必要である。
注18
組織活動としては意志統一、任務分担、点検、総括の4つの過程を含む。
注19
電子媒体が利用できるなら、ハイパーテキスト化が有効である。一覧できる 表現形式をとり、その中の要素が別のデータ検索の直接のキーになる。データ の階層化にも、データ相互の関連表現としても有効である。検索も容易である し、理解も暗記ではなく、構造的・論理的になる。ただし、構造、論理は視覚 にだけ頼ることはできない。
注20
政治的腐敗、選挙の不正は当然のことでありながら報道されるのは極一部で ある。刑事告発でもなければマスコミは触れようとしない。
対象の美化、解釈・評価の押しつけが公然と行われている。皇室報道はタブ ーと逆タブーの典型である。
注21
例えば小選挙区制が民主主義に反する制度であることは明かであったはずが、 自民党政権から連立政権になった途端、政治改革の最優先課題として実施内容 の報道に歪小化してしまう。
白書などが発表当日に解説入りで報道される。批判的検討などの時間的余裕 はないはずである。
日本に所得格差はないと、家計調査の勤労者世帯の五分位をアメリカの所得 調査と比較して政府は発表した。単身者、企業役職者を除いた家計調査と、全 世帯を調査対象にした統計を比較している。「総中流化意識」を統計数字によ って補強し、消費税導入根拠の宣伝とした。
高齢者の人口構成が高まって勤労者数が減少していることを年金制度が破綻 する原因として挙げている。現在の勤労者が年金生活者の年金を支払っている との宣伝は、年金制度に対する政府責任を免罪するものである。年金生活者は 保険料を過去に支払い、受給の権利を手にいれていることを示さない。企業補 助金ではなく社会保障こそ国の基本政策であるべきことを問わないでいる。
注22
数と論理の追求は情報システムを作り出した。物質存在の追求は核エネルギ ーを取り出した。生物進化の追求は遺伝子治療を実現した。
注23
事業と共に情報システムの対象は変化する。部品、取引先、人員、組織等の 要素は数量自体が変化する。ほとんどの情報システムが年号が変わったとき、 消費税が導入されたときシステムの再構築が必要になった。
注24
ワードプロセッサーは単なる清書機だけではない。小規模なファイル管理シ ステムでもある。表計算は単なる集計計算機ではない。小規模なシミュレーシ ョンを手軽におこなうことができる。複雑なデータ加工を段階を追って対話処 理ができる。
いずれも作業の自動実行機能を備えるようになってきている。互いにデータ を関連づけて相互に利用できるようになってきている。
注25
人間の社会関係だけの現象として主張するのではない。ここの第三部では具 体的人間の生き方が主題である。
注26
国家権力の執行主体の非効率的な運営に対し、一部を私企業が請け負うこと によって利潤を獲得することはある。しかしそれは、官僚的非効率に対する、 あるいは受益者の高負担による利潤である。
注27
かつてのアメリカとソ連との関係は第三次世界大戦の危険をはらんだ対立で あったが、それぞれの地域での確定した支配に関しては相互補完的ですらあっ た。ベトナムで、アフガニスタンで互いに非難し、被侵略者への援助はしても、 互いの支配構造には手出しをしなかった。
日本とアメリカは経済・貿易摩擦で対立はしても、アメリカの世界支配に従 属している。日本は独自の外交政策をとれない。日本は政治的にも、軍事的に もアメリカの世界支配を補完している。
注28
日常的社会生活が権力闘争の舞台となっているのであるから、そこでの自ら の存在として権力闘争の中での位置を意識しなくてはならない。 蛇足42
注29
中国、ベトナム、キューバ等が共産党支配の国として存続していても、社会 主義実現にどれだけ前進しているかとは別の問題である。
この現実から未来の展望を開くには日常の生活から組み上げるしかない。
注30
この「社会的地位」は高い低いの価値評価に関わりない。「社会的位置」と も呼べるが「位置」としての量的違いにとどまらない、質的違いで区別される 位置である。
注31
平和の理念は歴史的に発展してきた。近世になってからもエラスムス、ルソ ー、カント。核時代になってからはストックホルム・アピール.ベルリン・ア ピール.ウィーン・アピール.ラッセル=アインシュタイン宣言.パグウォッ シュ会議.アルジェ第四回非同盟諸国首脳会議・政治宣言.国連第一回軍縮特 別総会
注32
第一部第三編第14章第6節偶然と必然、第7節原因、結果、条件、第8節 論理と歴史、第9節可能性と現実性
注33
近代合理主義の根拠になった決定論的因果関係は量子物理学によって否定さ れた。決定論は原因と結果とは普遍的に関係し「原因がわかれば結果がわかり、 結果がわかれば原因がわかる」ことを原理としている。「わからないのは原因 がまだ究明できていないからである。」この決定論では理解はできていなくと も、将来のすべての結果が現在の条件によって変更の余地なく決定されている ことになる。これでは自由は問題になりえない。決定論を前提にしたのでは、 人間の「自由」は人間の勝手な思いこみ以外には存在しない。
量子物理学の不確定性原理をめぐっての解釈は様々行われている。決定論的 因果関係が量子力学の対象に適用できないことが証明されても、日常的な因果 関係がすべて否定されてはいない。因果関係が否定されては法則自体が成り立 たず、量子力学の法則をも否定することになる。現実の存在は不変な決定論的 関係と可変な非決定論的関係が相互に否定せず、相補的であるように現象して いる。これを理解しようとしているのが階層構造の考え方と弁証法の考え方で ある。
注34
教育はまず生きる方向性を獲得するとが基礎になる。それぞれの生き方をつ かむことが教育の基礎である。生き方実現の手段・技術獲得は二次目的である。
経済的自由は生活補償ではない。自らの労働過程を基礎として生活を実現し、 向上させることのできることが基礎になくてはならない。
享楽、薬物、酒によって要求を持つことすら自から放棄することは自由の放 棄だけでなく、人間性の放棄である。
注35
自らの社会運動を「私利・私欲」を基準に方向づける自由もある。しかし、 法則、関係、論理に従わなければ、獲得した権限と保証を社会的地位と共に失 う。
注36
男の作りだした社会関係に入り込み、男と競争する女は競争・支配の社会を 認める者である。女性差別を作り出す支配秩序を肯定する者である。「遅れて きた女」と呼ばれるそうである。本人の責任ではないが。
自由は個の確立として実現する。
注37
その仲間関係として差別を醸成する環境の最も影響力の大きいものは家族、 親子関係である。親の価値観、差別観は子に当初絶対的な影響をもつ。子が理 性的判断を行えるようになってからでも、子には親の与えた差別観の影響は残 りうる。社会的差別に対する態度だけでなく、家庭内の差別は実物教育である。
直接に親が示す差別だけでなく、親の権威主義、強権的態度は差別を受入や すい性格をつくる。
家庭を取り巻く社会状況も家庭に、子どもに影響する。
注38
第二部第3編第9章生活一般の具体的実践である。第二部第四編第12章第 7節資本主義文化を踏まえる。
注39
それぞれの社会的地位によって、専門的に取り組まなくてはならない課題が ある。第2節の一般的課題は老若男女に関わらず取り組まなくてはならない。 この第3節社会的・専門的課題は普遍的ではあるが、社会的立場によって生活 上の比重の異なる課題である。
注40
仕事には段階がある。様々な職業にあっても共通する部分があるはずである。 最も普遍化された事務職を念頭に整理する。社交性、説得力、指導力などは本 来の仕事とは関わりない。
注41
実際に教育の平等、能力別クラス編成、選別教育などの問題に対して基本的 区別を明確にする。
注42
どのような制度を作っても、適応できない問題は残される。大多数が目的を 実現できていれば、その制度は価値がある。現実に多少の問題があっても全面 否定にはならない。しかし制度の形式化・固定化は内容を腐朽させるのが通常 である。どの程度弊害が深刻であるかは、社会的に評価されなくてはならない。
注43
誰でもが関わるが、主として個人的に解決しなくてはならない課題である。
注44
段取りの制御は、システム工学の課題にとどまらず、ソフトウエアとして市 販されるまでに実用化されている。そうしたノウハウの利用も検討する必要が ある。それ以前に日々段取りは改善されなくてはならない。
注45
母親が父親よりも職業上の社会的貢献が大きい場合もある。同じ職場でも男 性よりもより仕事のできる女性がいる。そうした女性を育児を理由に家庭に閉 じこめるのは、男社会の勝手なり理屈である。男社会の勝手な理屈が通るのは 男が悪いだけではなく、競争によってしか生活手段を得ることのできない体制 の問題である。
注46
巨大化する新興宗教組織には信仰の問題よりも組織そのものが目的、行動基 準になり社会問題化しているものがある。本来宗教は人間の本性の追求、実現 が目的であった。これらと、新興宗教あるいは集団化した宗教が社会問題化す るのは、本来の目的が構成員間の人間関係、社会関係の利権による組織拡大に 代わってしまうことである。宗教に限らず、組織の存在はその運営に関わって 利権を生ずる。人が行動すると費用がかかる。費用の受取手は費用をより多く 受け取るために、費用の支払い者に取り入る。費用の負担者と支払い者が一体 であれば問題は起きないが、一般に組織は支払い権限を持つ者は限られる。支 払い権限をもつ一部の者と、これに取り入ろうとする者の癒着は利権を生む。 組織は組織の目的以外に利権を求めて運動を開始し、腐敗を開始する。
注47
宗教は人々の日常的生活に方向性を与え、その実践による満足感を与える。 その方向性が社会的従属を甘受させる為のものであるか、よりよい生活実現の ためのものであるかは宗派によって異なる。
注48
「要求作り」は要求を捏造することではない。漠然とした不満、不安を具体 的な課題として現実化させることであり、組織全体の課題として合意すること である。
注49
スポーツ組織にしても、個人競技であっても組織的な学習教育は必要である。 人間の運動は筋力とその制御としてだけの運動ではない。スポーツは社会的に 形式化された目標を持った運動である。単に獲物を捕る、目的地に早く達する だけではスポーツにならない。条件を定めたルールに従い、目標を意識した運 動がスポーツである。意識を伴わず、形だけをまねる訓練では効果も小さい。 先輩の経験を継承しなくては、合理的な訓練はできない。スポーツにも知識、 感情、意志を包含する学習教育が不可欠である。運動だけの学習教育だけでな く、組織・競技の歴史、組織・競技会の運営についても、組織独自の学習教育 活動がなければ組織だけでなく、ルールすら衰退する。スポーツ組織は、肉体 訓練を伴った学習教育組織である。
注50
最終的・普遍的課題は第10章個々の生活課題第1節一般的課題であつかっ た。
注51
人間の能力は多様である。運動能力は種目によって比較することができる。 種目によって定義される能力はさらに肉体の様々な部位の筋力、柔軟性、代謝、 感覚、反射、制御、意識等、それらの調整力等の能力がある。また訓練、経験 によっても能力の現れ方に違いがある。
多様な質の能力の統合として個々の人間の能力が実現されている。
注52
家庭経営の能力を質として定義される人間の集合で高く評価されるものも低 く評価される者もいる。ここでの男女間の絶対的能力格差は、子を産み、母乳 を直接与えられるかの生理的違いである。家庭経営に関わる様々な能力をもつ 様々な男女の組み合わせによって、両性のどちらが、あるいは両方が働きに出 るかを決めるのが家庭内の分担としては合理的である。専業主夫・専業主婦の 選択を決定する条件は社会的評価と共に、両性のそれぞれの特性による。ある いは両性の能力を組み合わせて、生業を選択することが合理的である。
注53
ただし、目的による。日常的に頻繁に利用し、利用目的に合わせた検索、記 録体系の情報は個人で管理される。
公表したくない情報は私的に、秘密にすべき情報は公的に管理されなくては ならない。
注54
宗教の「よりどころ」は本来この主観的な価値観である。多くの場合、宗教 のこの主観的価値観が組織、職階、富によって利用され、政治的に利用されて いる。
注55
第二部 第三編 第8章 第2項 社会関係一般 【民主主義】参照