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概観 全体の構成

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第8章 階級

 それぞれの階層に属する人々を数えることが階級構成分析の基本ではあるが、 その上で数の変化の傾向の把握、階層分類基準そのものの検討をとおして社会 関係の質的変化をとらえる。

 

第1節 資本の蓄積と貧困化

【貧困化の意味】
 資本蓄積にともなう労働者の貧困化を経済理論の解釈の問題としてではなく、 現実の労働者の状態としてとらえなくてはならない。資本主義における貧困化 は、餓死にまで追いつめるものは例外である。労働者が引続き労働者として就 労しないことには資本の再生産は成り立たない。資本主義は資本主義市場の外 に絶対的貧困を締め出す。1985年の国連統計でも115,600万人の絶対的貧困者が おり、増加している。餓死者がでるのは戦争や自然災害によるものである。資 本制生産が原因で餓死者・病死者がでたのは、個別資本が再生産過程を無視し た一時的強蓄積を行ったためである。再生産過程の必然性ではなく、資本家の 反人間性の現れである。資本の労働者支配は絶対的な賃下げによる労働者の搾 取ではなく、剰余価値生産の関係を維持強化して永遠化することである。
 単純な生産関係では賃金を最低限に切下げ、過剰人口をつくりだすことが単 純な資本蓄積にとっては有利である。しかし、資本はその生産物価値の実現の 消費市場を必要とする。資本の循環を実現するためには消費市場を必要とし、 労働者は最も大量の消費者である。労働者を絶対的窮乏下に追いつめたのでは 資本の循環は実現できない。国内労働者を貧困状態においたまま、海外への進 出によって確保できる市場は一時的なものである。第二次世界大戦後の世界市 場では国際資本間の市場支配争いによってしか消費市場を拡大できない。

【貧困化の現れ】
 相対的過剰人口による賃金引き下げと、最終消費市場としての労働者の消費 水準の引き上げとの相反する傾向によて労働市場が変動する。
 労働者の賃金は労働者世帯の生活を維持できなくてはならない。強欲な資本 家と言えどもこれ以下に賃金を切り下げては永続的な再生産を実現できない。 労働者世帯の生活維持には社会人としての生活費と、次世代の労働者の教育、 今日では現世代の労働者の再教育費までも含む。
 貧困化は絶対的貧困ではなく、相対的貧困として拡大する。相対的貧困は賃 金水準としてだけではなく、労働環境、生活環境の悪化として質的にも現れる。 相対的貧困化を経済理論の解釈としてとらえても社会的意味はない。相対的貧 困化を欲望の拡大の結果としてとらえることは、現実の深刻な状態を無視する ものである。総中流意識化、所得格差の縮小は統計処理のごまかしによること を見なくてはならない。

 平均賃金は貧困を見えにくくする。現実の労働者は賃金の平均値にすべてが 集中しているのではない。産業によって、職種によって賃金水準が異なる。し かも産業構造の変化は労働者の再配置をともない、雇用の確保と、より高い賃 金を求めての労働者の負担を必要とする。
 また、労働者の生活は青年期、育児期、教育期、老後で消費構造が異なる。 生涯のいつの時点をとるかによって裕福・貧困の度合いは異なる。主観的判断 だけでなく、生活上不可欠な消費支出が十分に確保できているかが基本的な貧 困化の判断基準である。その不可欠の範囲、水準が年代・時代によって異なる。 それぞれの時期の窮乏は、次の時期には解決される。かつての貧困が歳と共に 過ぎ去ることが富裕化にはならない。年々のわずかな所得の拡大の保証によっ ても、富裕化にはならない。
 貧困からの逃避のための享楽、自己放棄、薬物使用の拡大は、賃金水準から の貧困化理解からはでてこない。

【貧困の事象】
 スクラップ・アンド・ビルドにより労働技能は陳腐化する。労働技能の陳腐 化に対応するための再教育、再配置による生活、精神的負担が労働者にかかる。 肉体的・精神的適応能力は個人差もあり、すべての人が耐えられるものではな い。一部の人が過労死までに追い込まれていることは、他の人も同じプレッシ ャーを受けており、ただ耐ええているにすぎない。単身赴任、サービス残業、 長距離混雑通勤と、強制されなくとも自らの意志で自らの生活、生命を破壊し なくてはならない状況が貧困以外の何物でもない。これは非人間的な状況では なく、人間的な不合理である。動物は自らの意志で生命をすり減らすような状 況に留まろうとはしない。
 労働者の生活も物質的には豊になってきてはいるが、それは社会的生活水準 として個人の努力だけで倹約できる水準をわずかに超えるものでしかない。将 来の生活に対する不安、生活環境は悪化することはあっても改善はされない。
 労働者の賃金はその社会の労働者の平均的生活を実現できるものでなくては ならない。健康的、文化的最低基準の保証が求められる。生産内容に見合った 消費ができることが社会的にも必要である。余暇利用は疎外された労働の代償 として必要である。しかし、文化・スポーツ活動もやはりサービス市場として 資本に取り込まれてしまっている。
 労働者の賃金は共働き、子供のアルバイトと複数の収入によらねば困難なま でに切り下げられてきている。同時に労働者を確保し、相対的過剰人口を実現 するだけでなく、共働きを可能にするための家事負担の軽減のために家電製品、 サービス産業の市場が拡大する。
 生活環境としての都市問題、過疎過密、土地住宅、何が添加されているかほ とんど分からない状況での食品までも汚染する公害が広がる。
 公害は社会的物質代謝過程を完全に実現することを切り捨てることによって 引き起こされる。公害は原因者である企業の防止負担ではなく、被害者の共同 負担によって対症療法的に対策が実施されてしまっている。

【相対的過剰人口】
 戦後復興以後、失業問題が深刻な社会問題になったことはないが、相対的過 剰人口がなくなったわけではない。
 婦人労働者の雇用形態、パートタイマーは雇用状況の緩衝の役割を果してき た。しかし今日では、労働コスト削減の主要な手段としての雇用形態にまでな ってきている。
 中卒就職者が減少し、大卒就職者の数を下回るまでになり、高卒就職者数ま でが減少化している。
 相対的過剰人口の圧力は弱い部分に現れる。しかし、弱い部分は稼ぎ手とし て不用不急ではなく、家庭収入の基本的部分を補填している。最も端的に過剰 人口として現れるのが障害者であり、ついで高齢者の早期退職、再雇用状況で ある。婦人の場合大卒の新規雇用状況は男性に比べて劇的に現れるが、パート タイマーの削減の方が生産調整に有効である。
 外国人労働者の増大、ソフトウエア・クライシスとあたかも労働力不足が言 われるが、問題はあっても一部の職種である。実際に就業し続けること、就職 することに相対的過剰人口の圧力が存在する。

【文化的貧困】
 経済的貧困は貧困を生み出す構造が、文化的貧困にも現れる。文化を享受す るには貧困からの脱出が必要である。他人の貧困化を代償として文化が享受さ れる。
 創造物の文化的価値が社会に平等に享受されるようになるには、作家の手を 離れ、所有者の手を離れて数十年経ってからである。その時には既に生活の中 での文化の享受ではなく、博物館、美術館での鑑賞としてでしかなくなってし まう。
 また、文化は芸術との関わりだけではない。消費量では計れない生活水準、 不安のない生活、ストレスのない生活も生活の文化程度の別の基準である。主 観的満足度ではなく、貧困構造の解釈逃避ではなく、現実の生活価値基準とし てある。

【世界市場での蓄積と貧困】
 アメリカを中心とする主要資本主義国によって構成される経済協力開発機構 (OECD)24カ国の経済規模の三十数%を企業規模上位200から300社で占め ている。
 銀行等の金融機関の合併・系列化が国内でも進み、銀行と証券との業務分離 を廃している。それら金融機関は日本銀行と大蔵省によって統制され、支援さ れている。国際通貨基金(IMF)は金融政策の調整機関としても機能してい るが、国際決裁銀行(BIS)では毎月中央銀行総裁会議が開かれ中央銀行間 の国際金融協力が図られている。アメリカ、日本、フランス、イギリス、ドイ ツ、カナダ、スイス、イタリアが国際金融の4分の3以上を握っている。
 エネルギーは北アメリカ、ヨーロッパ、日本が 全世界の消費の70%以上を 占めている。未加工のエネルギーの消費量で1990年の統計である。
 多国籍企業の世界進出、東アジアの急速な経済成長があっても、世界の生産、 エネルギー消費の不均衡、不平等は解決されるどころか拡大している。さらに 地球資源の物理的限界により、今日の水準での世界的平等を不可能になってい る。

【資本・生産系列地図】
 資本系列と産業分野での位置、地理的位置を社会的に明らかにして、データ を常に更新していく必要がある。ただし、日本国内の証券取引所に上場してい る企業数が2,700社以上あり、個人それぞれがデータをメンテナンスできる規模 ではない。他の統計データとともに所在を確認し、全体像として見ておくくら いは必要であろう。
 独占・寡占状態にある生産分野では、1工場の事故が関連製品の産業分野に 重大な影響を与えることがある。産業連関表による経済予測だけではなく、実 際の物の生産関係を公開する必要がある。当事者企業間だけの情報では社会的 に対応できなくなる。企業経営、地域経営、国内経済計画を立案する基本資料 として、地震をはじめとする自然災害や戦争などの危機に対応するためにも公 的に整備する必要がある。
 資本家とそのとりまきを監視し、悪事を記録し混乱期に「千載一遇のチャン ス」などとして暴利をむさぼったり、公金の横領、経済撹乱を防止する必要が ある。資本家に対する報復としてではない。個人的報復は困難な時期の経済、 社会建設を破壊しかねない。

 

第2節 階級構成の変化

【全体的傾向】
 日本国の人口は急速に停滞に向かっている。平均出産数は2子以下になり、 平均寿命は伸び止まりの様子を示してはいるが、すでに定年退職後の平均余命 が十年以上になっている。
 資本の本源的蓄積以来、売れるものとして労働力以外に持たない意味での労 働者の役割が一貫して増大している。剰余価値生産の直接的生産に関わらない 部分も含めて、労働者は都市勤労者として増え続けている。

【事務労働】
 生産様式が発達し、生産が集中し、技術が高度化するにつれ生産過程の組織、 運営そのものを組織化し、高度化しなければならない。原材料の発注、在庫管 理、受注管理それぞれが一つの業務として独立するまでに生産は拡大する。生 産管理、資金管理、税務、事業運営は技術的にも専門化する。生産物を商品と して市場に供給するための営業活動が、市場規模が大きくなるほどに重要にな ってくる。
 拡大する生産に従事する労働者の出退勤管理、給与計算、福利厚生等、小規 模経営では経営者が行っていた作業を労働者を雇い入れて行わせなければなら ない。こうして直接生産に関わらない労働者が増える。直接的生産活動には従 事せず、管理的業務を担当する中間的階層ができる。
 階級としては労働力を売るものであり、労働者階級に分類されるが剰余価値 は生産しない。資本の拡大再生産にとっては必要不可欠であるが、費用として 負担しなくてはならない。仕事の内容には資本家に代わっての企業管理の要素 がある。
 事務労働者層は企業運営の中核を担うと共に、直接的生産労働、剰余価値生 産労働の搾取制度を担うものである。生産労働と剰余価値生産労働とは同じ概 念ではない。生産労働は資本の回転運動を担う広い意味での労働である。企業 が多国籍化し、市場が国際化した現在、低開発国の直接的生産労働を搾取する 機能を果たしている。国際化した事務労働者層の組織なくして、軍事的支配を 伴わない経済侵略は成り立たない。文化的生活水準落差の位置エネルギー格差 を利用した収奪の仕組みを支えている。

 事務労働者層の増大は労働者の高学歴化をもたらす。
 職制によって組織されていた事務労働者層が相互に情報によって結びつき、 生産労働者とのネットワークを築くと、職制の機能は純化し、生産管理よりも 資本の所有を維持することに絞られる。
 事務労働者の社会的、経済的地位による思想状況は動揺的であり、通常は非 政治的である。
 また商品開発、生産技術開発が技術の発達に対応た商品を供給し続けるため に必要になり、これを担う専門技術者が雇用される。さらに将来の企業技術の ために、新規発明・技術による特別剰余価値をもとめて個々の企業での基礎研 究開発が行われる。研究技術者が企業内に蓄積される。

【婦人労働者】
 「原始女性は太陽であった」時代から、長い抑圧の時代を経て、女性問題を 社会問題として解放したことは資本主義の成果である。機械制生産の発達は肉 体的労働負担を減少させ、女性、子供を工場労働者とすることを可能にした。 しかし、肉体的、長時間競争社会にあって女性はひきつづき差別の対象である。
 女性の低賃金は、家族の主たる働き手でなかったことに始まる。そして、女 性差別によって低賃金労働者層を男性労働者層の下に位置づけることで、男性 労働者の低賃金、労働条件の下方への圧力として利用されてきた。
 結婚、出産までの一時的雇用者、パートタイマー要員、補助労働者として労 働条件を切り下げられ、身分的に安定しない条件におかれた。
 組立生産ラインでの単純繰り返し労働等、男性青年労働者に敬遠される職場 に採用される。男性より気遣いが上手であるという根拠のない評価と、男性へ の応対要員として、男女職場均等の指標を引き上げるためにも女性労働者が雇 用された。
 女性差別撤廃の運動は男性と同じ企業戦士となることを認めさせたことにな っている。しかし、一般職への採用として差別には手をつけず、剰余価値生産 労働者数を労せずに拡大することに貢献している。
 逆に被差別の立場は、職場支配から比較的自由であること、家庭内での分担 の違いによっても、女性は消費者運動、子供の教育をめぐる運動との関わりが 深く、労働組合運動を地域、地方自治体での闘争と結びつける先進的役割を果 たしてきている。
 さらに進んで女性差別撤廃の闘いは、肉体的、長時間競争社会で消耗してい る男性労働者を、家庭にも責任を持つ父親への解放の問題も提起している。母 性保護、育児休業、介護休業等は人間生活の基本を保証するもので、女性だけ の問題ではない。こうしたことを差別合理化の客観的な根拠とすることは、こ うした条件をハンディキャップとして競争相手が脱落することを喜ぶのことと 同じである。子供を育てる、家族を介護すること、その前提となる母性保護は 普遍的問題であって、運の良い悪いではすまされない。

【青年労働者】
 家族から独立した青年労働者は、安い賃金での深夜勤、交代勤務要員として、 寮生活など管理しやすい労働者として利用されている。
 青年労働者は高学歴化する。新規若年労働者は規模の大きい企業へ採用され る。中小零細企業は中高年労働者が主体になる。生産技術の更新テンポが速ま ることに対して、労働の柔軟な対応が求められる。徹底した合理化は作業内容、 共同作業関係と共に自己実現の場としての労働の意味を失う。
 青年労働者は職制秩序に馴染まない。熟練労働者との仕事の指導をとおして の相対関係がなくなる。個々の作業の継承、職場の運営分担への参加意識が希 薄になり、職場の人間関係の価値を認めなくなってきている。企業だけでなく 旧来の労働組合組織も敬遠する傾向がある。様々な人々との連帯よりも、感性 を同じくする仲間内での交流を求め、安易に転職する。フリーターとして定職 をもたない者の社会階層までできてきた。
 消費生活は豊になっても生活基盤を固めることができず、結婚の繰延べ、出 産制限など基本的には貧困がある。

 

第3節 労働の質の変化

 職場で生活していることが労働ではない。働くだけで価値を生産しているこ とにはならない。不良品の生産は社会的価値の浪費であって、生産的労働では ない。生産物が消費されず腐朽、老朽しては、その生産に要した労働は価値を 失う。技術的進歩を無視した非効率な労働は、同じ労働であっても生産する価 値は減少する。
 生産方法が改良され、生産組織が構造化し、情報システムが発達することに よって、労働の質が明らかになり、それぞれの担う労働の質が変化してきてい る。

【管理労働】
 小規模な工場制機械生産では、資本家と労働者の区分は明確であった。工場、 機械設備、資金としての資本所有者が資本家であり、雇用され生産設備を運転 し、製品を生産するのが労働者であった。そこでは原材料、エネルギーを購入 し、労働者を指示・監視し、生産物を売り渡すのは資本家の仕事であった。生 産管理は資本家の仕事で、資本家は資本の所有者としてではなく、生産管理に よって所得を主張できた。労働者は生産物には責任を持たないと主張された。

 資本自体の商品化は資本家と経営者を区分する。資本家は資本所有者として 配当を受け取る。資本に対する配当を受け取る権利として株が売買される。社 会的価値の所有を根拠として所得を得る。一方経営者は企業の運営実績に基づ いて報酬を受け取る。経営者は資本の運営を仕事とする。資本家が担っていた 経済的・社会的役割は経営者が負い、資本家は剰余価値の配分を受ける権利を 所有する。労働者搾取の実行は経営者が行い、搾取された剰余価値の配分がな される。資本家は地主と同じ不生産的立場に立つ。

 生産規模が大きくなると生産管理は分担され、組織化される。経営規模の拡 大は経営の専門家を必要とする。経営は人、物、金、時間、情報の管理運用で ある。経営のそれぞれの分門は組織によって分担される。経営者はその組織を 管理し運営する。企画・調査、調整、人事・労務、財務等に分担される。直接 労働者を搾取する仕事は労務が統括し、勤務体制を実現し、個々の職制を統制 する。その他の部門は社会的物質代謝を担う。経営は社会主義になろうが不可 欠な機能である。

【研究開発労働】
 工業の発達は、学問を教養とは別な産業として発展させた。発明・発見は新 しい産業分野を開拓する。工業技術の発達は基礎科学の成果を産業により直接 的に利用できるようにする。現実変革能力としての工業技術が、自然変革の能 力、手段を多様に豊かにしている。
注22
 発明・発見が起業の機会になり、特別剰余価値をもたらす。失敗の負担を負 ってまで、研究開発が新しい産業分野を成り立たせている。
 研究開発は起業家の仕事だけではなくなり、企業として研究労働者を雇用す るようになった。教育者として学校で研究も行っていた科学者が、企業で労働 者として雇用される。科学者が直接価値生産労働に携わるようになってきた。

【情報労働】
 専門の情報関係労働者の存在が社会的にも大きな部分を占めるようになって きた。システム・エンジニア(SE)、プログラマーといったソフトウエア・ システムの作成・運用者達である。通常はこのシステム作成・運用者と情報通 信機器の運用者(CE)を情報労働者と呼んでいる。
 情報労働の生産物は物としては生産されない。副次的にデータが書き込まれ た磁気記録媒体とシステム・操作説明書が作られるが、主たる生産物は情報処 理機能である。
 したがって、労働、作業量によって生産物に本質的な差は現れない。対象業 務の理解力とアルゴリズムの開発力、使いこなせるアルゴリズムの豊富さとそ の組み合わせ能力によって、さらに実作業への集中力によって生産効率が違っ てくる。対象業務の理解力には対象業務従事者からの聴取能力も含まれる。
 情報システムの発達は個々の労働自体を質的に変化させる。情報労働は労働 そのものの特質を分解する。情報労働はプログラミングだけではない。情報労 働はシステム運営、システム開発、システム運用、システム利用、入出力から なる。

【システム運営】
 システム運営は経営者の仕事の情報システム化である。
 事業に関わって発生する情報の動きを制御することが本質的内容である。そ の手段として情報システム化が図られる。
 事業のどの部門から情報システム化していくのか。何をデータ化するか、デ ータをどう活用するのかは企業活動をどう把握し、統制するかという経営者の 仕事である。
 システム運営は経営システムとしての企業組織での情報・データの発生と利 用、その意味を評価し、再編組織化して制御可能にする。企業組織における情 報の発生と流れとを組織化し、広義の情報処理としての情報システムを運営す る。情報機器システム、アプリケーション・ソフトウエア・システムとしての 狭義の情報処理ではない。
 どの範囲までを情報システムとして構築するか、いつ頃まで、どの程度の変 化まで対応できる情報システムを構築するかは経営者が決定すべき事項である。 情報処理技術の発達によってその対応範囲は拡大し続けてはいるが、現在の技 術、コストに基づいて情報システム化の範囲の決定、その見直しは経営者の仕 事である。システム開発担当者の仕事ではない。
注23
 情報ネットワークの発達は個別企業の情報システムとしてではなく、設計、 部品、契約、支払いまでもが企業間、システム間でデータ交換されるようにな ってきている。システム運営計画は他企業、社会標準化との調整を必要として いる。
 すべての変化に対応できる情報システムは不可能である。変化にまったく対 応できない情報システムは情報システムの価値がない。経営判断が必要になる。

【システム開発】
 システム開発は業務の情報システム化である。経験によって発達してきた仕 事の仕方をシステムとして解析し、再編することがシステム開発である。シス テムとして要素とその機能が分析、定義されるから機械の利用が可能になる。 仕事の個々の過程が情報の運動として定義されるから、電子計算機によって情 報処理が可能になる。電子計算機を導入しても、システム・エンジニア(SE) を雇ってもシステム開発はできない。仕事自体を定義するのはシステム・エン ジニアではない。仕事をこれからも担う人間である。仕事を担う人間である労 働者が、自らの仕事を定義する。雇用され、指図されるままに作業していた労 働者が、自らの作業を定義して改善する。システム開発、情報化は労働者の質 的変革が前提になる。労働者の情報労働者としての変革なくして、システム開 発の失敗例は事欠かない。

【システム運用】
 システム運用は労働者の新しい分野である。機械には整備担当者と運転者が 必要であるように、情報システムにも操作担当者が必要である。機械の操作担 当者と異なるのは作業の対象そのものにまで関係することである。運搬車の運 転手は積み荷の中身まで関係はしない。情報システムの操作者は、情報機器の 操作だけではなくデータそのもの、データの加工に関係する。
 システム運用の担当者は新たな要求に対して、システムが対応していないか らといって拒否することがたびたびある。本来システムを対応させることが、 システム運用担当者の仕事である。新たな情報処理の要求に応えるには制度、 規程との調整が必要である。なかにはシステム運用担当者が制度の決定にまで 干渉することがある。「情報化」を敬遠する経営者がそれを許してしまう。
 管理用のシステムの場合、情報システムは管理対象の状況を反映している。 システムの運用者はこの反映関係を管理しなくてはならない。管理対象の業務 過程の進捗状況と、そこからのデータ入力、データ処理の進捗状況、業務が必 要とするデータの出力を管理することで、対象業務を情報システムに反映させ ることができる。
 情報システムでのデータの修正は通常はシステム化されている。しかし、そ の方法は一つではない。単純なデータの更新は完璧におこなうことができる。 紙の文書の改竄は証拠が残る可能性があるが、電子情報の場合はほとんど証拠 を残さない。システム化されたデータを単純に更新することは許されない。決 算データを作成後に、さかのぼって個別のデータを更新してしまっては決算デ ータに反映されなくなってしまう。公の帳簿が遡及訂正を許さないように、情 報システムもデータ更新は手続き化され、その手続きに従って操作されなくて はならない。システムの運用はシステム処理がどこまで進み、どのような状態 にあるかを把握していなくてはならない。

 始めから完全な情報システムを作ることは誰にも保証できない。単純なプロ グラムミスも含まれる。設計の段階では予想されなかったデータの量、形式が 入力、加工されることはよくある。当初見逃してしまった例外、不可欠な加工 データが出てくることがある。設計ミスであるのか、仕様の不備であるのかが 争われるが、要はシステムの運用者はそれに対応しなくてはならない。

 情報技術の発達は著しい。機器の改良は数カ月単位で行われる。機器の会計 上の減価償却前に陳腐化してしまう。新しい機器、システムの導入コストと、 更新による利便性をシステムの運用者は把握しておかなくてはならない。
 システム運用はその業務自体をシステム化することができる。システムの管 理、運用のためのプログラムが作られている。情報労働そのもののシステム化 は、情報システムのあらゆる分野で行われている。

【システム利用】
 システム利用は実務そのものである。情報システムは業務のすべてをシステ ム化してはいない。例外的業務はコストと効果からしてシステム化されない。 また、情報システムへの依存は例外的業務への対応を困難にする。したがって、 例外的業務は人間が実際に対応し結果をシステムに反映させる。そのため、情 報システムとの連携を維持するための業務の調整が必要になる。例外的業務を 担当する人間は労働者である。労働者は指図に従って作業することだけにとど まることはできない。
 既存の企業の公的情報システムとまたその利用方法を活用、公的情報システ ム間を調整することによって作業効率が違ってくる。個別の情報システムでは なく、汎用の情報システムもアプリケーション・システムとして商品化されて いる。ワードプロセッサー、表計算、データベース管理、作図、通信等は情報 処理の道具である。
注24
 具体的に大きな情報システムのデータとその処理を、個人利用のパーソナル コンピュータでの処理とでの使い分けが作業能率に大きな差を生み出す。個人 の情報システムでは公式のデータである必要はない。必要な情報加工がえられ ればよい。その必要性が個別的であることによって、公式の場合に必要な形式 を整えるための試行錯誤が不要である。

【入出力】
 入出力は既存の労働形態をとどめている。伝票の入力、出力帳票の管理・配 布。情報関連業務といっても肉体労働である。永遠になくなることのない作業 である。しかし、この作業もシステム化される部分が拡大している。伝票を起 こすことをシステム化することが行われている。データを伝票に記入するので はなく、直接データを読みとってしまう。入力という作業に限るなら、その担 当者は物をかざすという作業だけをすることになる。起伝という事務労働者の 仕事が、商品を読取機にかざす肉体労働に置き換わる。
 一方では、入力だけでなく情報媒体作成の作業までが変質する。これまで作 家が文章を作り、秘書がタイプし、文選工が活字を拾い、編集者が体裁を整え、 校正者が誤りを正し、印刷工が印刷をしていた。今では作家が自ら入力し、版 下のデータ作成まで行うことが可能になっている。データの伝達だけが目的で あれば、通信システムによって文書媒体の作成そのものが不用になる。しかも その保存、検索、加工、転送が容易である。  【生産的労働概念の拡張】
 電子計算機の発達、特に小型化、ネットワーク化による労働の質の変化は、 労働力価値理論の本源的深化を必要とする。情報労働による生産性の向上も、 社会的物質代謝を効率的にする社会的価値を生み出す労働である。
 情報労働は労働時間によって賃金を決定することはできない。労働時間を規 制することもできない。責任と効果によって労働が評価されなくてはならない。
 企業管理を、生産管理を非生産部門と分類し続けることはできない。当初は 生産コストの合理化、流通の合理化として相対的価値生産であったが、管理労 働が社会化するにおよんで管理労働の機械化、システム化はその「化」の労働 の直接的価値生産と見なくてはならない。個人の労働管理能力が社会的価値実 現の過程になる。個人の労働能力としてあったものが、誰もが指示どおり操作 すれば処理可能になる。
 情報労働は支配、管理者側の仕事として片付けるわけにはいかない。労働者 の生産的仕事である。この視点なくして「社会主義国」の経済発展の停滞を経 済学的に理解できない。単に官僚主義の悪弊と片付けることはできない。
 物、原材料、生産手段を動かすことだけでなく、動かす方法を動かすことに よる直接的価値の生産である。手段としては間接的であるが、価値生産は直接 的である。
 心情的に理解できるとか、誤りであるとかの問題ではない。現実社会の過程 を分析するための理論でありえるかが問題である。国家間、地域間の生産力格 差、帝国主義的収奪だけから導出できる生産力の差ではない。
 資本家、企業家の労働とされてきたものが、労働者の労働として拡大され、 直接的生産過程に組み込まれてきたのである。
 この過程を認めなくては、ソフトウエアー技術者の労働に対する態度を理解 することはできない。自らの労働の創造性に対する満足感を理解することはで きない。

 

第4節 労働運動の階級的位置

 「労働運動、労働組合運動は体制化し、体制補完物に変質する」といった評 価がある。しかし現実の社会で社会的活動をしている組織、個人で体制にまっ たく関わりなく活動、生活できる存在はない。体制の変革を目指して体制から 離れようとする者は、その働きかけの対象、手段をも失ってしまう。体制は人 による人の支配であり、体制変革は人の支配をなくす、敵味方を問わず人に働 きかけることによって現実的変革の運動になる。体制の外から体制を変革しよ うとするなら、人と人の連なりを無視し、体制の象徴物に対する暴力的破壊し か手段は残されない。
 現実の労働運動の現状はともかく、労働運動以上に普遍的で、組織、規律、 資金をそなえた社会運動は存在しない。なにより労働運動は生産関係に直接関 わっている。労働運動によらないで、次代の生産関係を築くことができようは ずはない。労働運動に依拠しないで体制変革の運動、一人一人が自己変革する 運動を実現できようがない。
 労働運動がその他の社会運動の中核となり、組織として対等に結びつくこと によって体制変革の運動は成り立つ。
 労働運動が企業内組合に絡め取られ、労働貴族が支配し、若年労働者の組織 率が低下し、日常活動が形蓋化・沈滞しているのが現状であっても、職場から 始まらなくては何も進まない。労働者も含めマスコミ等の影響力が絶大である のなら、マスコミの眼を労働運動に向けざるをえないような斬新な、建設的な 労働運動を構築しなくてはならない。


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