続き 第三部 第一編 現代世界
概観 全体の構成
現実の具体的な世界で生きることをあつかう。
第一部では、人間存在の有り様としての、 主体。
第二部では、世界の中に位置づけられる、 人間存在。
第三部では、日々生活している、 実践主体。
第二部までが、客観的な視点での世界についての理解であったのに対して、 第三部では主体としてのあり方を問題にする。
第三部での主体としての見方は、すでに主観ではない。主客の観照の立場で はなく、主客を統一する生活実践者である。
具体的な現実の世界を理解するにはいくつかの困難がある。
視点: 「今」この一時にはひとつの視点しか取りえないこと。社会 的立場、地位によって得られる情報が部分的、一方向であること。
情報量: 今現在、得られている情報量が限られていること。
情報の質: 今現在、得られている個々の情報の真偽を直接確認できない こと。
過程: 今現在の結果は暫定的、経過的到達点でしかないこと。
この物理的、生理的、社会的、歴史的、そして個人的制約の上で完全を目指 し、結果としての完全を求めずに生きる。
結果の「完全」を目指し、証明しようとすると「無謬主義」に陥り、結論が 先送りされたり、新たな局面での課題を理解できなくなる。
【知ること】
人生、家庭、社会、政治のどれひとつを取っても、個人の感覚的、生理的情 報収集手段では十分な情報を得ることは不可能である。利用可能な組織的、制 度的情報媒体からの情報を、その媒体の信頼度とともに評価しなくてはならな い。与えられたものも含め、得た情報をこれまでに確かめた情報と比較して、 現実世界として理解できるよう評価しなくてはならない。生情報、断片情報、 誤情報、偽情報、二次情報、情報評価、個別理論、情報理論、情報評価技法等 等を様々な分野の様々な質の情報を評価し、対象全体についての情報を得るこ とによって当面に備える。
対象について、対象から自分への関連について、自分の能力と限界に配慮し て対象を理解しなくてはならない。
【生きること】
新しい事象の発見・評価等の創造的精神活動と、食事の席につく生命維持の ための生理的活動とを、自分が生きることの同じ重要度で、生活上の対等な価 値を持つ事柄として統一しなくてはならない。
生活の目標をめざす活動も、生活を維持する活動も、どちらも実践主体の日 常の生活の中で実現される。目標と手段、形式と内容は成果物で統一されてい るだけでなく、実現過程でも統一されていなくてはならない。成果物の質とし てだけでなく、実践主体の質、人格であり、また人格を形成する方法でもある。
生き方を選択する方法は、科学の理解とは方法的にまったく異なった次元で の問題である。生き方は自然科学のように再現性を期待できない。科学として の社会科学でも、現実に進行している事象に対しては評論するしかない。しか し生き方について結論を出すのには、社会科学のように充分に検討する資料も 時間も期待できない。「生きる」ことについて、結果がでていない進行中の過 程を定式化するなど不可能である。そのようなことが可能なら、世の中とっく にまともになりえただろう。人を出し抜くことも、だますこともできなくなる のだから。
注1
「客観主義」をよしとする立場は現実逃避である。現実変革、主体的立場の 否定は現状肯定に向かう。「わかるまで、何もすべきでない」と言う立場は、 結局永遠に何もしないことにつながる。どのようなことでも始めからわかって いることなどない。どのようなことでも全体の関連の中にあり、すべてを理解 することはできない。「何もわからないまま、やりたいようにやる」のでは無 論ない。現実変革の立場とは現実を知りつつ実践し、実践しつつ知ることであ る。
注2
【実践の視点】
理想的であることは空想的になりやすい。実践的であることは主観的になり やすい。客観的であることは傍観的になりやすい。いずれも戒めとして大切で あるが、実践を否定して生きることはできない。現実を見るとき、特に社会を 見るときの視点が重要である。
「見る」ことは生理的にも受動的態度ではない。基本的に生命保持のための 積極的機能である。「見る」ことは眺めることではない。特に人間は現実を変 革する過程で人間自体を進化させ、つくりあげてきた。科学的立場と主体的立 場は両立しなければならない。特に、社会科学にあっては主体的立場、現実変 革の立場に立たなくては現実を理解することはできない。
注3
【実践の認識】
現実の問題であっても、眺めるだけでは理解できない。観照を客観的態度と 思い違いする客観主義、評論のための評論では現実を理解できない。
現実の問題について解釈が分かれる場合、そのことがらだけを問題にするの では結論はでない。現実の物事は全体との関連の中にあり、相対的関連によっ て同じ事物がまったく別の意味を持つようになる。
基本的立場によって解釈が違う場合、いずれかの立場に立たないで現実の問 題を結論づけることはできない。まず自分の立場の選択が、対象の解釈以前に 問われる。特に社会問題の場合に自らの社会的立場を無視し、隠し、中立など という立場は存在しない。たまたま違う立場による対立の場合は、まずより基 本的立場までほりさげて自ら選択した立場の評価をしなくてはならない。
現実の問題によっては、どちらの立場をとってでもよいから期限までに判断、 結論を出すことが求められる。
【実践の立場】
良くも悪くも、現実を変革する立場にたつことで現実の問題点が見えてくる。 現実を肯定し、現実変革を否定する立場は保守であり、人類の進歩に敵対する ものである。
現実変革の立場であっても人類発展の方向でなくてはならない。私利私欲の ため、既成の価値だけのための現実変革の立場もありうる。政治的には革新的 であっても、生活では保守でありうる。個人の立場だけでなく、組織のあり方 も同じである。
現実変革の立場に立たないと、次々と生起する世の中の出来事に圧倒されて しまう。
現実に基本的な部分を抑えられて生活していく中で、現実変革の立場を維持 することは意識的な努力を要する。客観主義の評論の立場からは、人類発展の ための現実変革の実践は滑稽にしか見えない。
注4 注5
【第三部の構成】
第三部は個別科学の一般化、抽象化とはまったく逆の方向に向かう。個別科 学の成果を踏まえつつ具体的、個別的、現実の世界へ向かう。
方法が違っても世界観が科学であり続けるには、全体が同じ論理によって保 証され、理論の適用条件を具体化していくことで可能になる。
現実世界は生活している世界である。生きること、実践、行動により知り、 問題意識を持ち、変革し、総括する。個人であれ組織であれ情勢を分析し、課 題を設定し、実践し、総括する。この4つの過程が現実の過程である。
4つの過程は相互に関連し、前提し合い、浸透する。
4つの過程は全体として、部分としてあり、それぞれの過程でも入れ子構造 となる。それぞれの過程自体が実践であり、それぞれに過程を含む。人生全体 にも言える過程であり、個々の行動についても言える過程であり、組織の運営 の過程でもあり、期間としての節目をなす時間的過程でもある。
世界観第三部の構成の過程でもある。第三部は現在の世界の今を対象として 確かめて4つの過程を検討する。
第一編 歴史の中で「今」の位置を確かめる。現在は歴史的にどの様に位置 づけられるのか。我彼の到達点を確認する。前提としての現実を確認する。
第二編 情勢分析の方法と課題を確認する。
第三編 課題の体系と含まれる問題を確認する。生きる、生活する上で関わ る問題である。
第四編 意識的実践の制御法を確認する。生き方、生活の仕方である。
第五編 生きること、生活することとしての総括、世界観の結論である。
続き 第三部 第一編 現代世界
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