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概観 全体の構成

   目次


第12章 社会発展と歴史

 社会の歴史、社会の運動を問題とするとき対象となる社会は相対的に閉じた 系である。人類も宇宙では局部的存在であり、その構成員の関係は閉じた系で ある。宇宙人との通信はおろか、その存在を認識することすらできていない。 生物的に、物質的に、宇宙としての自然に開かれた系であっても、人類の社会 関係は閉じている。社会の問題は社会内で社会的に解決されなくてはならない。

 人類史も世界観にとって基本的な問題であり、価値基準となる問題である。 すべての人々は人類史を引き継ぎ、今現在担っている。一人一人の考え、生活 も人類史の実現の過程である。社会発展と歴史も個別社会の問題として生活の 基準を問題にする。

【人類史と個別社会】
 個々の人間が人類の歴史過程によって直接規定されてはいない。人類の歴史 の到達点としての現代は百数十カ国の国家に分断され、言語、宗教、文化的に も異なっている。それぞれに相互作用し、地球環境という一つの世界を構成し てはいても、一般の個人の生活が国内外の歴史過程からの直接的影響を受けて はいない。その意味で個人は直接人類史を引き継ぐものではない。
 生きる問題は個々の社会での生活上の問題としてある。生活上の問題は個々 の属する社会と、その今日の歴史的過程の問題としてある。人類史を直接引き 継ぐ者ではないにしても、人類史を媒介する者としての生活がある。宇宙史、 自然史とは別に社会発展を新たな具体的歴史階層として問題にしなくてはなら ない。

【個別社会】
 個別社会とは地球上で個々に区別される地域社会である。構成間の相互の関 連によって相対的に自立した社会である。関連の質により、問題となる個々の 社会の範囲は異なる。地域共同体、趣味グループの意味ではない。普遍的地域 社会であり、政治権力が構成されてからは、ほぼ国家と同じ意味である。
 人類史の過程でヒト社会は拡大し、分派し地球の各地に拡散した。生産力の 発展により社会地域を拡大し、より豊かな生産を実現し、文化を形成した。そ れぞれの社会はそれぞれに発展もし、衰退もした。
 個別社会間のほとんどは他の社会と関係するが、そのの社会内の運動がその 社会の運動を基本的に支配する。地球的規模で個別社会が相互関係するように なったのは資本主義の段階に至ってからである。ヨーロッパ人が世界に進出す るまでは、地球規模での地域社会は複数各地に存在した。ヨーロッパ人が進出 してからは、社会関係は地球規模の一つの閉じた系をなすようになった。
 ここから「社会」として問題とするのは、個別社会の総体としてとらえられ る運動体である。ここでの「社会」は自然環境に対して、自然の物質循環に対 して、主体的に相互作用する人間集団である。
注114

【社会発展法則の法則特性】
 社会は発展する。社会発展には法則がある。
 社会発展の法則は現象の法則であり、法則性と条件との相互作用は相対的で ある。社会は物質過程、生物過程のさらに上の社会階層まで含めた運動過程で ある。物質過程での運動法則ですら現実には現象過程として現れる。
 物理法則であっても理想気体、摩擦の無い平面等環境から完全に孤立した時 空間等として本質を示すのであって、現実に法則はそのまま現れはしない。社 会の運動法則では本質的法則と、現象法則、環境条件のそれぞれの規定性、そ れぞれの結果に対する影響力は相対的である。
 社会のより基本的法則は、より全体を規定するが個々の事象に対する規定性 は弱い。社会の個々の事象を規定する法則は、その現象の環境、条件に対して 決定的な規定性をもたない。社会の現象を法則によって、論理的に再現するこ とはできない。社会法則は社会主体によって選択され、組み合わされて実現さ れる実践法則である。
 法則そのものを無視することはできないが、他の法則との組み合わせによっ て現象過程を変えることができる。法則を合理的に組み合わせることによって、 主体的力量を効率的に使用して目的を実現できる。
 一つの法則の現れが、環境条件によって異なるということは非科学であるこ との証明にはならない。環境条件の違いと法則の組み合わせによって、法則の 必然性を明らかにしえる。
 社会発展の過程も空間的、時間的に様々である。社会の勢力圏の広さによっ て社会発展の度合を測ることはできない。特定の権力構造が何年維持されば次 の権力との交代が起きるかを時間で測ることはできない。
注115

 すべての社会が法則通りに発展するわけではない。社会発展には結果として の必然性はない。社会には発展する法則性があるのであって、どのように発展 するかは法則だけでは決まらない。基本的に拡大再生産を実現する条件がある ことによって社会は発展する。拡大再生産が社会発展を実現する。拡大再生産 が、戦争、浪費等によって妨げられれば社会は発展しない。社会の発展法則は その構成員が実現する法則であって、結果を決定する法則ではない。外部条件 によっても社会発展の法則は実現できないこともある。条件がなく、発展でき ず滅亡する社会は数多くあった。

【社会発展法則の現れ】
 法則が法則どおり実現しないのが社会法則である。自然科学では法則どおり 実現しないものは法則ではない。社会科学の対象は、単独の法則によって決定 されるような単純な現象はない。しかも、法則を実現させる社会の人間自体に よって法則の適用組合せが変えられる。人間そのものの特性が、法則を意識的 に適用することによって自然を変革してきたのである。社会、歴史の法則は自 然法則以上に複雑な階層をとおして実現される。

【社会発展と典型】
 個々のいずれかの社会において、発展法則が典型的に現れるのではない。典 型的な発展形態をとる社会などは存在しない。社会の発展法則は基本法則であ り、その現実の現れは、それぞれの社会の条件によって多様な現れかたをする。 より典型的か、より特殊かの違いは社会の事象ごとに様々である。
 社会発展の法則は個々の事象までもを説明できない法則であるが、順次展開 する非可逆的な、全体として貫徹される法則である。現象的に社会の発展法則 に逆行する社会は滅亡する。自然環境、あるいは社会的暴力によって、逆行さ せられた社会は滅ぶ。
注116

【社会の不均等発展】
 個々の社会が相互に関係し、凡地球的社会発展の時代では、個々の地域社会 発展は相互作用によっても不均等になる。個々の社会の人間の資質、人間関係 か優れているかによって、発展する社会が決まるわけではない。社会発展の不 均等は、その時代の条件と相対関係からなる偶然によって規定される。  社会発展そのものは社会の内部的物質的力、創造的人間関係からなる現実変 革力がなくては起こりえない。社会を発展させる生産力が基本的にあって、そ の社会の存在条件によって社会の生産様式の形が与えられる。
 したがって、社会科学、そして世界観は社会発展の基本法則を明らかにする とともに、社会発展の条件を整え、偶然による逆行を未然に防ぐことをめざす。

 

第1節 階級社会と社会発展

 社会発展、社会構造の移り変わりの必然性と、それぞれの段階での社会構造 の断面が問題になる。社会全体の運動の流れとしての歴史と、社会全体の仕組 みとしての構造である。社会全体がどのような方向に向かっているのか、様々 な人々の生活の相互関係がどのようになっているかを、それぞれの問題とする 社会について捉えなくてはならない。

 

第1項 階級社会

【階級対立】
 階級社会は単に複数のグループが対立する社会ではない。また、いくつもの 階層に分類される身分社会の意味でもない。階級社会はその社会の物質代謝で ある生産関係によって階級が分けられる。構成員の相対的な形質の違いとして 分けられるのではなく、生産関係への関わり方によって、生産関係によって生 活基盤が相互に違ってくる。生産に携わる階級と所有する階級の分解、対立す る社会である。
 階級の違いを基礎にして、多様な身分制度も作られる。
 他方、社会階層は生産関係を基準とした区分ではなく、それぞれに属する人 々の特性による区分である。青年層、婦人層は生産関係に関わりのない社会階 層の区分である。

 社会的価値の生産と所有が分離することによって階級に分かれる。社会的価 値生産を担うものと、生産手段を所有する階級に分かれる。社会的価値を持つ 者と、持たない者の社会的競争で、持たない者が勝利することはまれである。 生産手段を所有する階級は、より大きな生産手段を手にし、生産を担う階級は 生産に従属し、労働することで生きのびる。
 社会的生産力の発展によって生産手段の形態は異なる。生産手段の所有の形 態も生産力の発展段階によってことなる。生産手段が生産労働と一体であるう ちは、労働力のにない手である人間そのものが所有される。農業の発達は農業 生産の基盤である農地の所有が生産手段の所有であった。工業の発達によって 資本の所有が生産手段の所有形態になった。
 社会的生産力の発展が、歴史的発展を規定することが社会発展の法則である。 生産力、生産関係を無視した社会組織は維持できない。

【階級対立の再生産】
 階級対立はできあがったら制度的に固定されてしまうものではない。対立関 係は再生産され続ける。関係が再生産されることが、階級が社会の基本的構造 であることを示す。
 生産過程で労働力を担う者は労働力の提供に応じた、労働力を提供し続けえ るだけの報酬を受ける。生産手段を所有するものは生産物のすべてを手に入れ る。生産の継続は社会的物質代謝の継続だけでなく、社会的所有関係をも再生 産する。社会的所有関係が再生産されなければ、公平な賭事と同じに勝者は一 定せず、社会関係は混沌となる。階級関係は所有関係の生産によって再生産さ れる。

 互いに対立する階級は相補的である。互いの存在を自らの存在の前提にして いる。それぞれ同じ社会に属しているが、生産関係によって互いに関係づけら れることによって区別される。生産関係に基づく対立であるが、社会関係全般 に対立関係が貫かれる。文化的、イデオロギー的価値も支配階級が主導する。 被支配階級のイデオロギー運動であっても、属する社会の規定を受ける。労働 組合も保守的でありえる。

【階級社会に属する個人】
 個々の関係では当然に例外はある。被支配階級から支配階級に移る者もいる。 その逆も多い。階級支配を強固にするためには、被支配階級の最良の部分を支 配階級に取り込む。これが支配を維持し、強化する重要な方策である。個々の 構成員の動きがどうであれ、構成される社会の構造は個々の構成員の動きによ らず維持される。
 個人の動きが社会構造の動きとして作用するには、個々人の動きが社会的集 団の運動として、社会構造そのものを変革の対象とするまでに発展した場合で ある。個人が社会構造に対して物理的に、生物的に、社会的に直接働きかけよ うとしても影響力はほとんど無である。影響力を拡大するためにテロを行って も、主観的意志は実現されず、テロ行為のうちに意志は封じられ、社会的に意 志が実現されることはない。

【階級社会の体制】
 社会的富の生産と蓄積は、富の所有と生産の保全の為の経済外的力を備える。 軍事機構、弾圧機構としての直接的経済外的力だけではない。収奪機構として イデオロギーまでも含めた体制として社会の運動が組織化され、制度化される。
 それぞれの階級社会の基本的収奪機構それ自体は歴史的発展段階を示すもの であり、歴史的発展段階の必然性を実現している。基本的収奪機構にもとづき その社会の価値体系がイデオロギーとしてその社会の構成員の生活を方向づけ る。収奪機構が体制として固まると、機構・体制を利用して本来の収奪ではな く、利権の分配による社会関係が組織される。個人的には社会制度に寄生して 生活し、社会人としての貢献、個人の担うべき社会的物質代謝過程の責務を逃 れる者が増える。組織的には価値生産ではなく投機によって、利権をかすめ取 ることによって活動するものが増える。
 収奪する側であれ社会的物質代謝をにない、経済機構を運営しようとする者 は現状を変革しようとする。しかし、利権をかすめ取り、投機によって利益を 得ている者はその現機構の変革を保守しようとする。

【社会的発展の普遍性】
 生産力を基礎とした生産関係の質的発展としての歴史は、同時に普遍性の発 展でもある。階級関係が時代を画する歴史であるのに対し、社会の普遍性は積 み重なる歴史としての面を持つ。
 生産力の発展自体が連続的発展、積み重ねの歴史である。時代を画しはする が前時代の生産力を基礎に発展している。生産技術・方法・組織を引き継ぎ、 改善して生産力を高めている。
 同じく、政治、思想についても進化し、発展している。民主主義、自由、人 権等についても、完成された制度、思想としてあるのではなく、時代を経て発 展してきている。現実には逆流する時期、地域はあっても、人類の歴史を貫い て発展してきている。このことは意識的に追求されなくてはならない。「経済 的・政治的困難」を口実にして軽視することは、歴史を逆転させることになる。 人類の歴史はより意識的に前進させなければ前進せず、終わってしまう。人類 は自らの力を、自らの意志で制御しなくてはならない。

 

第2項 階級関係

 生産関係に入ることによって、互いに関係することになる人間の関係は所有 関係として現れる。生産手段の所有者と、生産手段の無所有者に大別される。 生産過程は生産関係を再生産し、所有関係を再生産する。この再生産過程を制 度的に保証する権力関係が階級関係である

【全体と個別それぞれの関係】
 階級関係は社会全体の基本的関係として社会の歴史を特徴づける。階級関係 によって歴史の過程が段階づけられる。
 階級関係は個々人の社会関係にも現れる。就職、結婚といった人生の節目だ けでなく、学校教育をどのように受けるか、職場の人間関係にどうかかわるか、 趣味のサークルの運営等をどう継続し、発展させるか。日常的な人間関係も、 社会関係として運用しようとする際に階級関係が反映される。
 個人の感情、思考についても現状をどう評価するのか、社会関係に対する態 度決定の際に、自らの行動するしないに関わって階級関係が反映する。階級関 係は経済や社会学の対象だけでなく、労働運動、政治運動の問題にとどまらず、 社会関係のあらゆる関係に反映される。

【階級関係の盛衰】
 支配関係は、一朝に完成するものではない。時代に対応した、生産力に対応 した支配技術がある。各時代の生成期、隆盛期、停滞期、腐朽期、衰退期に応 じた支配形態がある。形態と言うより様相がある。
 前時代の否定としての疾風怒涛、調整を必要としない生成期は、文化を含め 社会全体が創造的である。前時代の要素との暴力的軋轢もあった。
 安定化のための調整機構の構築される隆盛期は、社会の多様化と普遍化が進 む。
 調整機構の肥大化による疎外が進む停滞期は社会問題が多様に多く発生する。

 隆盛期から始まる腐朽が全体に浸透し調整機構そのものを犯す腐朽期は、権 力にまつわる不正が多発する。
 調整機構が機能せず、回復困難な衰退期は新しい社会関係の主体との抗争が 基本的社会問題になる。あるいは外部勢力によって支配される。
 ただ単に物質生産量によって区別されるのではない。自然の時間に比例して 進むのでもない。

【階級支配】
 完成された支配機構は支配そのものを意識させない。あるいは支配そのもの を必然と評価させる。
 被支配者は相互に競争させられ、孤立化される。競争の普遍化は、暴力を背 景とした強制を社会的に普遍化させる。弱者に対する社会的差別、無視、切捨 てがおこなわれる。
 生産関係を補完する収奪機構・制度がつくられる。
 体制を維持するための内外に対する侵略、暴力機構が国家権力機構として組 織される。

 

第3項 階級闘争

 生産力と生産関係の矛盾は生産関係の改編として解決される。社会的価値を 生産し、社会的価値を交換し、生産力に応じた社会的価値を実現する関係が作 り出されなければ、無駄な生産が行われ、価値の滞留が生じる。生産関係の改 編は、それを担う人間関係の改編である。それぞれの生活を実現するための、 利害の対立する社会関係の改編である。経済闘争だけでは決着のつかない、政 治闘争、武力衝突にも発展しかねない対立・闘争である。

【日常的階級闘争】
 基本的には既存の生産関係秩序の保守をめぐる対立である。剰余価値の帰属 をめぐる対立が基本である。現実的な剰余価値の配分をめぐる闘いであり、配 分を正当化するための理論的な闘いであり、配分についての社会的支持を形成 する闘いである。
 具体的には所得・労働条件をめぐる闘いが基本である。次に剰余価値が社会 的再生産の継続、拡大に資されるか、私消させるかの闘いである。日常的階級 闘争は、直接的には経済対立である。
 経済対立を優位に闘うために、教育が利用され、情報媒体が利用される。世 論操作が強力な社会的力として利用される。
 経済闘争の諸主体組織間で分断、切り崩しが組織戦として闘われる。利益誘 導、社会的圧力、個人的つて等が利用される。既存の支配・秩序に利益を得て いる者はこれを変革しようとする者が社会的に孤立し、同調する可能性のある 者が社会問題に無関心であるほど支配維持にとって都合がよい。
 階級闘争は社会関係の基礎をなす対立であり、社会対立が先鋭化し、破壊的 になる以前に調整することが支配にとっても、平和、人権の保障のためにも有 意である。支配階級と、被支配階級の対立だけではなく、支配階級内の利害調 整としても、対立は政治的に調整される。支配秩序は警察、軍隊によって補完 される。今日政治的調整の画期をなすのが政治選挙である。政治選挙はそれぞ れの組織、理論、経済、情報、文化、社会的力の総力の結果を数字によって表 す。政治制度、民主主義自体が選挙闘争として問われる。
 階級闘争は社会運動として、運動理論として、社会生活に関わる思想として、 引続き生活することとして闘われる。すべての社会的力によって社会関係が規 定される。

 階級闘争として一人一人の考え方、生き方が問われる。一人一人が直接的に 階級的立場に立つことだけではなく、階級的立場を無視、否定することも既存 の階級支配を肯定することになる。階級闘争を自覚するしないに関わらず、社 会関係によって生活を実現している社会的存在として階級闘争の中に存在して いる。
 社会的関係、組織を介しての一人一人に対する働きかけが基本的な階級闘争 である。人それぞれが現実の社会の中で生活している。生活基盤における人と 人のつながりとしての互いの影響力が基礎である。

【階級関係の変革】
 生産力の生産関係の矛盾が基本的関係にまで深まると、階級支配をめぐる対 立になる。生産関係を景気循環として調整することができなくなり、生産力を 実現する生産形態の発展に対応した生産関係の基本的変革を必要とするように なる。
 社会変革をもとめる運動は階級支配をめぐる階級闘争として現れる。
 権力の階級間の移動は革命である。
 社会の歴史はいくつかの段階をたどって現在に至る一連の社会運動である。 次に社会の全体的発展運動をたどる。

 

第2節 原始共同体社会

 原始共同体社会は階級社会成立以前の人間社会である。人類誕生の百数十万 年前から、数千万年前まで。地域によっては最近まで続いた。石器、骨器、木 器、土器による生活。採取、狩猟による生産。言葉によるコミニュケーション が成立し、埋葬等の宗教活動もおこなわれる。
 人間が人間を支配することのできない、人間が自然環境に支配された時代で ある。血縁と地縁によって構成される社会である。人間に支配されることのな い平等な社会といっても、いわば自然に強制された平等である。互いの人格を 認め合う平等とは異なる。
 誰彼の区別のない絶対的平等でもない。外敵から社会を守り、生産を指揮し、 もめ事を裁定するリーダーは必要である。社会が大きくなれば、リーダーの指 導も階層的になる。しかし、制度によって指導力を持つのではない。現実の生 活、行動の中で試されその地位が認められる。力の衰えたものは、次の代に替 わる。
 互いの能力、立場により、互いに協力しなくては食料も手に入らず、他の動 物、天候等の自然環境からさえも身を守ることのできない。生きるために、生 きる時代である。洞窟に残された絵画も、芸術作品として描かれた物ではない。

 自然環境が穏和であれば人口は増え、増えた人口は他の地域に移らなくては 生きていけない。

 

第3節 奴隷制社会

 農耕が始まると次の生産のために種を保存しなくてはならない。穀物が保存 されるほどに生産力が高まれば、宗教活動も装飾も発達する。所有されるべく 富の蓄積が進む。
 農耕はかんがい等の大規模工事を発達させる。農耕は測量、暦等の自然知識 を整える。大規模工事の指導力、暦等の知識の蓄積は、蓄積される富を支配す る。富は一部の指導者に独占される。土木工事、そして暦を中心とする宗教は 制度として固定する。制度として固定された支配は強制力を持つ権力である。 牧畜からは奴隷制は生まれない。
 他の社会との水、土地、富をめぐる争いは軍事力を発達させる。
 社会的生産は基本的に直接生産労働である。簡単な道具を用いた生産であり、 生産手段と労働力は分離されない。一方への富の独占集中は、他方へ生産的人 間を蓄積する。戦争の結果は水、土地、富だけでなく人間を所有物にする。人 間の所有は生産手段の所有であり、社会の富の支配者への集中をもたらす。

 奴隷一人の生産力は小さくとも、延べ何万もの奴隷を使用すれば現代技術に も対抗できる建築物を築ける。人間の精神的、肉体能力が基本的に違わないの であるから、支配力によって集中された技巧は普遍的価値を持つ工芸、絵画等 を作り出すことができる。支配、被支配の人間関係は階級社会の内で普遍的な、 人間の葛藤物語のあらゆる形式を作り出す。むろん、社会が異なればその内容 は、それぞれの時代の特色を持つが。
注117

 奴隷制生産は働き手を大量に集めるだけで効率化できない。奴隷労働は指図 されるがままの生産であり、奴隷に生産の工夫をする余裕、価値意識などもて ない。
 奴隷制は奴隷の集積が富の集積であり、支配階級は生産から遊離し、腐朽す る。腐朽した権力とますます大量になる被支配階級の矛盾は激しくなり、時に 暴動となる。

注118

 奴隷制社会は数千年続いた。地球上のいくつかの地域で古代文明を築いた。 しかし、地球規模には至らなかった。

 

第4節 封建社会

 人間に対する支配に代わって、土地の支配が封建制である。土地を排他的に 支配し、その土地を耕作させ、土地の支配に応じて生産物を搾取する。生産者 は努力によって多少の生活手段を手にいれうるが、次の収穫にはそれも土地代 に組み込まれる。土地の支配者は土地利用にも配慮する。土地改良、耕作方法 の改善など生産性が高まる。
 生産性の高まりは余剰人口を養うことができ、土地から切り離された余剰人 口は都市に流れ込み、商業、手工業を発達させる。支配者の土地争い、疫病、 気候不順さえなければ、比較的安定した社会になる。
 商品経済が発達し、地球の主だった地域との交易が行われる。
 封建社会の時代は数百年続いた。

 

第5節 資本主義社会

 資本主義以前の都市手工業にあって作業工程が分けられ分業と協業が発展す る。分業・協業体制に風力、水力、蒸気圧を動力として利用することにより、 大規模生産が可能になる。機械制生産能力は大量の原材料と販売市場を必要と する。
 人の支配、土地の支配による社会的統制から自由になった生産技術は、資本 の蓄積と市場の支配を目的とする。より発達した生産技術はより大きな価値を 生産する。生産を維持するためには商品を生産・販売し、投下資本よりより大 きな資本を回収しなくてはならない。拡大される生産を継続するには市場での 資本の回収が不可欠であり、他の資本に打ち勝って、市場の支配をより拡大す ることによって実現する。市場で敗退すれば市場の支配を失い、他の資本によっ て吸収される。資本制生産は生産拡大の競争であり、市場支配の競争によって 成り立つ。
 しかし、市場には限界がある。生産と販売は一体ではなく時間的にも、空間 的にも隔たりがある。競争の中での生産の拡大が、販売市場の規模を超えてし まえば過剰生産になる。過剰に生産された商品に投下された資本が回収されな いどころか、生産設備が過剰になる。過剰な商品が市場に吸収され、生産設備 が破壊または他の資本に吸収されるまで生産は停止、または停滞する。資本制 生産には景気循環が不可避である。経済活動は社会の物質的基礎であり、経済 循環の不況期は社会全体が脅かされる。そのしわ寄せは社会的的弱者に集中さ れる。
 資本主義生産は一方に生産手段、労働対象を集中し、それらを支配する資本 家階級、他方に労働力以外売るものを持たない労働者階級を作り出す。資本家 と労働者の階級対立が資本主義社会の基本的な社会関係になる。
 資本主義経済は世界体制であり、世界での地域間での不均等発展は富と、資 源と、人口の遍在となって矛盾を激化させる。  資本主義社会はいま我々の社会であり、特にその構造と、運動を整理する必 要がある。

 

第1項 商品経済

 資本主義生産の前提として、社会的物質代謝の一部が商品交換として実現し ていなくてはならない。社会的物質代謝の対象である生産物が、商品として流 通していなければならない。資本主義以前でも商品取引があり、市場があり、 商人は存在した。しかし、資本主義以前の商品は支配階級内での取引であり、 社会的物質代謝の基礎部分は商品取引の対象ではなかった。奴隷制時代は人間 自体が取引の対象、商品であった。奴隷制時代、封建制時代は宝飾、香辛料等 が商品として取り引きされたが、それぞれの社会内の基本的生産物は直接支配 階級の所有に属した。
 資本主義によって商品経済は普遍的になる。取引のすべてが商品として交換 される。資本自体も商品として取引され、人格、名誉までが商品価格によって 評価され、取引される。

 

第2項 資本の本源的蓄積

 資本主義生産が開始されるには、一方に資本の蓄積、他方に賃金労働者の蓄 積が必要である。資本の再生産による蓄積に先行して、初期の資本の蓄積と大 量の賃金労働者群を作り出す資本の本源的蓄積がおこなわれる。工場制機械生 産の技術と資本の本源的蓄積によって資本主義生産が実現される。
 資本の本源的蓄積の形態は、それぞれの社会の経済的、地理的、歴史的条件 によって異なった。
 イギリスでは毛織物の工場制機械生産が起こり、それまでの農耕に代わって 羊の放牧が行われ、土地は囲い込まれ、農民は土地から追い出された。土地か ら追い出された農民は羊の毛を紡ぎ、織る労働者となる。賃金労働者の奴隷的 搾取によって資本を蓄積した。海外では外国の富を略奪し、民族を絶滅させた。 植民地支配により原材料を収奪した。
 遅れて資本主義化した地域ほど、国家権力により政治的に収奪することによっ て資本は蓄積された。国家・公有財産の払い下げや詐取が行われる。日本でも 官営工場が払い下げられ、入会い地の没収や地域の共同利用施設・財産が詐取 されて初期の資本は蓄積された。

 

第3項 資本の生産過程

【価値の転化】
 蓄積された資本は生産手段に投下され、原材料・エネルギー源を買い入れる。 さらに労働者を雇い入れて生産を行う。生産手段に投下された資本価値は、生 産過程で形を変えて生産物に分割されて転移する。原材料・エネルギー源に支 払われた資本価値は、それぞれの分が生産物に転移する。労働者を雇い入れた 賃金は、労働者に渡され、労働者は代わりに労働を担う。労働によって生産手 段、原材料・エネルギー源の価値は生産物に移され、労働の社会的価値を生産 物に結実させる。労働によって新たな価値が創造される。

 生産手段の価値が生産物に転化し、元の資本価値を回収するためには、その 生産手段によって生産される生産物全体によって価値が実現される。一定の生 産手段がどれだけの生産物を生産するかは、個々の資本の環境によってことな り、より多く、あるいはより少なく生産する。しかし、社会全体の価値転化は 競争によって平均化される。平均値は社会の競争の状態によって決まる。生産 技術の発達が早い時期は、生産手段の物理的機能限界よりも早く投下資本を回 収しなくてはならない。

 原材料・エネルギー源の価値は費やされた生産過程によって作られる生産物 にそのまま転化し、販売され回収される。無駄をなくせば生産物量が相対的に 増え、生産物単位当たりに転化される価値は小さくなる。廃棄していた副産物 を新たに原材料化して利用すれば、これもまた生産物単位当たりに転化される 価値量は小さくなる。これを従来の価格で販売できれば、より大きな価値を回 収できる。やがて、競争の過程で平均化される。
 賃金は労働者の働く能力を買い入れる。賃金の価格は労働者がその社会で生 活できる生活手段の価格で決まる。労働は労働者の生活費とは関わりなく、新 しい価値を生産する。労働の価値は生産された生産物の全体に転化し、回収さ れる。資本家は新たに生産された価値として、労働者に支払った資本とそれを 超える剰余価値を回収する。

 資本が投下した生産手段の価値全量が回収され、更新されるには個々の生産 物の生産時間よりも多くの時間を必要とする。資本価値の転化過程は生産手段、 原材料・エネルギー源、労働力によって時間的に異なる。生産手段の更新まで の期間、生産手段の価値分はため込まれなくてはならない。

【価値の生産】
 価値は社会的に交換される有用労働として生産される。社会的に交換される には互いに同じ価値として評価される。使用価値として様々な形態に生産され、 使用されるが、その使用価値を生産するために必要な社会的有用労働が価値基 準となる。それぞれの使用価値生産技術に応じた、社会的平均労働の質が価値 基準になる。

【剰余価値の搾取】
 賃金は労働力の再生産費用として社会的に決まる。それ以下では労働力を確 保できなくなる。賃金水準は労働者の平均生活費によって決まる。個々の賃金 額は賃金水準を基準に、出来高や、労働者の態度によって差をつけることがで きる。それ以上になるようなら労働者を解雇し、低賃金の労働者と交替させれ ばよい。そうでなければ他の資本との競争に勝ち残ることはできない。
 生産価値を大きくするにはより労働強度を高めること、労働時間を延長する こと、より多くの労働者を使用することの3つの方法がある。ただし、労働強 度はその時の技術水準による制約と、人間の生理的能力の限界がある。労働時 間の延長は1日24時間の絶対的制約があり、また人間の生理的限界がある。 労働者の数も人口の限界があり、資本相互に労働力確保の競争がある。また、 生産技術は直接に必要とする労働力を省くことによって生産力を高める。しか し、生産競争の下では技術は急速に普及するため、社会的平均的技術水準とし ての生産方法になる。
 生産価値を大きくするためには生産速度を高めること、交代制による連続生 産、女性・児童の労働者化が手段としてとられる。

【労働者の収奪】
 機械の生産への導入はそれまでの熟練労働を単純労働に替えた。機械生産は 熟練労働を作業部分に分け、労働を単純化し、均等化し、筋力を必要としなく なった。
 労働者は生理的な労働能力のみの提供者になる。
 単純化された労働は熟練を要さず、性別、年齢を問わない。労働者の平等な 取扱を普及し、家長の支配から女性、子供、児童を開放し、工場に招き入れる。 賃金は労働者の生活維持を基準に決定され、一家の働き手が二人になれば一人 当りの賃金は半分になる。本源的蓄積の段階で家長は一家の主たる働き手とし て売り込むことができず、妻や子供を奴隷のように資本家に売り渡さなくては ならないまでになった。

 他方、工場制機械工業の高度化は生産設備の開発、運用、保守のための技術 労働者を必要とする。市場の拡大は物流情報を処理する営業労働者を必要とす る。生産と流通の高度化は企業経営を補助する労働者を必要とする。
 社会的経済活動のすべての分野が賃金労働によってになわれ、剰余価値が収 奪される。

【賃金のコスト化】
 賃金は労働力の再生産を実現する価値として保証されなくては、労働力資源 が疲弊して再生産が不可能になる。資本家の意志に関わらず、労働者が生活し、 生産形態に応じた技術を身につけ、次代の労働者を育て、労働者が意欲的に生 産する環境を実現するための賃金が保証されなくてはならない。
 しかし資本主義生産関係にあって、ほとんどの賃金労働は直接生活手段を生 産しない。受け取った賃金は商品として社会的に流通している生活手段を購入 することによって労働力の再生産に使われる。社会的に流通している生活手段 の価値との交換によって賃金価値が実現される。賃金価値は社会的生産による 抽象的な価値で表され、労働者の直接的労働価値その物の実現としてはない。
 個々の労働者に支払われる賃金によって、その価値どうりに労働力の再生産 を実現できるかはそれぞれの労働者の責任にまかされる。賃金は直接には労働 力の再生産を保証はしない。労働者は賃金によって生活のための費用を支払う。 賃金は労働者の生活費用、コストをまかなう。支払われる賃金も他の生産手段 と共に、生産コストとして計算される。
 しかも賃金は労働力の価値としてではなく、労働力の提供による労働の価値 として擬制される。剰余価値の生産を含む労働全体に対する報酬として支払わ れる。

【利潤の生産】
 資本にとって生産手段、原材料・エネルギー、労働力への資本投下は生産コ ストである。生産物として実現される商品の価値はこの生産コストを補償し、 儲けを実現する。生産手段、原材料・エネルギー、労働力の価値はそのまま転 化されている。儲けの分は労働力の価値を超えて生産された労働の価値=剰余 価値である。
 労働力の価値としての必要労働の価値と剰余価値の比である剰余価値率はそ の生産形態の搾取の効率を示す。資本にとって剰余価値率は儲けを大きくする 一つの基礎的手段である。資本にとって重要なのは投下資本に対する剰余価値 の割合である。コストに対する儲けの率として利潤率が計算される。
 すべての社会的価値が商品として評価され、交換される資本主義社会では土 地、資金等の資産も商品として取引される。土地も資金も生産のためのコスト に算入される。資産は何らかの利益をもたらす物として評価される。資産の価 格はそれがもたらす利潤から逆算される。土地は地代として利潤の分け前を受 け取る。資金は利子として利潤の分け前を受け取る。
 資産それぞれの安定性、利用期間等の条件によって区別される儲けの率が貨 幣額で計算され、利子率として社会的資産評価基準になる。

【利潤の拡大】
 生産価値を大きくすることと、儲けを大きくすることは別の事柄である。生 産価値を大きくすることによって儲けを大きくすることができるが、生産価値 に関わらず儲けを大きくすることも可能である。
 儲けを多くするには生産の無駄をなくし、賃金の安い労働者を雇い、他より より効率的な生産技術・方法を利用することによって可能になる。
 儲けは投下資本に対する回収される剰余労働価値の比として利潤率として現 れる。利潤率は統計数字としてだけではなく、社会的評価基準として機能する。 商品化した資本は高い利潤率を求めて投資先を変更する。資本間の競争は利潤 率の高さによって決まる。

【資本の回転】
 機械生産は機械設備に投下された資金を回収するために操業時間を延長すれ ばするほど生産量は増大する。原材料費に投下された資金とは異なる回収過程 をとる。機械は停止するならその時間遊休するだけでなく自然に老朽化し、技 術革新によって陳腐化する。機械は保守時間をのぞいた時間をすべて稼働し続 ける方が生産性を高める。
 他方労働者は24時間労働し続けることはできない。機械を24時間運転す るためには、少なくとも2倍の労働者を必要とする。労働者をグループ分けし、 交代制生産が行われる。人間の生理的リズムを無視した深夜労働が行われる。

 投下された設備は更新されなくてはならない。生産手段の価値は生産物の価 値に転化され、生産物が販売されることによって貨幣として回収されなくては ならない。生産手段の価値は、その生産手段によって生産される全生産物に転 化され、回収されることで保存される。
 価値は社会的評価基準であって、物理的性質や機能ではない。それぞれの生 産手段の物理的機能が、どれだけの期間使用が可能かということではなく、そ の生産技術による生産物が実現する社会的価値によって寿命が決まる。競争者 が遅れた生産技術によっている場合は、より長く利用しより大きな労働生産物 を実現できる。生産技術の陳腐化が早ければ、物理的性能に関わらず速やかに 新技術に基づく生産手段に更新されなくてはならない。
 生産設備の更新・拡張には一定規模の資本が必要である。一定規模の資本が 蓄積するまで生産設備を更新することも、追加投資することもできない。

 資本の1回転ごとの利潤が一定であるなら、回転数を高くすれば同じ期間内 の利潤量はそれだけ増える。
 資本が生産を増やすことは、まず資本の回転数、生産速度を速めることで可 能になる。しかし、生産の高速化には限界がある。基本的生産の拡大は生産設 備の拡張である。

【資本制生産の普遍化】
 資本主義市場経済の発展は、工業生産以外の分野も資本主義的に再編成する。 すべての産業が資本投資と利潤の回収の市場になる。
 農業にあっても耕作面積の拡大と機械化によって土地を集約し、農民を農業 労働者と化す。農民の土地所有を残す場合であっても、農業資本から苗種・肥 料を購入し、耕作機械を借り入れることになる。
 漁業においても漁船の大型化、養殖漁業化は資本の支配を強める。

【社会的保証】
 機械制生産、工場労働、商品経済の普遍化は、それまでの家庭における子供 の養育、教育、相互扶助、人間性発達の役割を社会的に保証しなくては、社会 を維持できなくする。ここにも、労働者が社会運動に依拠し、自らを社会的に 組織しなくてはならない重要な契機がある。
 経済外的に規制されない生産は過剰生産、不況を伴う。経済活動は景気循環 をとおして調整されるが、労働条件を規制するには経済競争を超えた社会的規 制が必要である。生理的条件を無視した労働条件は、労働者を疲弊させ、人格 破壊を引き起こす。最低賃金の保障、労働時間の制限は労働者間の競争、企業 間の競争を超えて社会的に守られなくてはならない。生産のためにも労働者の 保護、保障が必要になる。
 特別に社会的に保護されなくてはならない労働条件もある。母性は労働者と して以前に、母親として保護されなくてはならない。女性の健康は次世代の健 康の前提である。授乳の手だてが保障されなくてはならない。女性であること を理由に男性との労働条件に差をつけることは社会的に禁止しなくてはならな い。子供の就業年齢は制限されなくてはならない。子供にはそれぞれの能力の 開発が保障されなくてはならない。基本的教育は公教育として、社会的に保障 されなくてはならない。
 労働市場での労働者間の競争、資本家との交渉によって労働者が人間として 生きる保障が削られてしまっては、資本主義生産の社会的基盤そのものが破壊 されてしまう。
 実現するには労働者の主体的運動がなくてはならない。政治形式上労働立法 等の手続きで政治家が主導権をとることがあっても、現実に労働者の主体的力 量が社会的に発揮される条件がなければ、立法も、実施もされない。権利も行 使されなくては、現実の力にはならない。労働組合運動は社会主義運動ではな く、もっぱら資本主義下で不可欠な社会運動である。労働運動は資本主義生産 の維持のためにも、労働者の生活のためにも不可欠な社会運動であり、労働者 自身を社会的に訓練し、組織する重要な契機である。
注119

 

第4項 資本の生産関係

 賃金労働の普遍化、賃金労働者は工場労働力として現れ、一般的労働形態と して普遍的なものになった。事務労働、営業、企画、経営までが被雇用者によっ て担われるようになった。工業以外への資本主義生産の普及は、農業労働者、 漁業動労者を必要とする。行政、教育、研究、職業のあらゆる分野が賃金労働 によって担われる。
 商品経済の普遍化は価格による評価の普遍化である。芸術も投機の対象にな る。人間臓器も商品になる。保険も商品である。
 家事労働の商品化と家事労働者の賃金労働者化、電化として家事労働が機械 化され、大きな商品市場として開発された。それは家電製品を購入するための 所得確保のための主婦の労働力化をすすめ、労働力の供給を増やし賃金単価を 切り下げた。料理を含め、日常生活のあらゆる消費物資が商品として供給され、 娯楽、余暇も商品として手にいれなくてはならない。
 行政サービスですら無料化は大量消費の無駄を促進することになってしまう。 動機づけが商品価格化されることによって実現される。
 集団保育の教育効果を目的とするのではなく、保育が市場として開拓される。 教育の場ではなく商品市場になる。福祉の商品化は相互扶助の関係を破壊する。 採算に合わない福祉は切り捨てられるか、採算に合うよう福祉環境を破壊する。 福祉施設は地方に移され、家族のつながりは分断される。
 政治が商品化し利権が売買され、議席が売買される。
 人格、人間性の商品化し、流行として次々と価値基準が取り替えられる。

 

第5項 資本主義社会の発展

【独占の形成】
 資本主義経済は生産を集積、集中する。生産規模が大きければ生産する剰余 価値も大きくなる。また、無駄をなくすることによる利潤の損失を小さくする ことができる。技術開発への投資を行うことができる。担保の大きさは融資を 有利にする。資金の余裕は資本の回転から相対的に自由な投資を可能にする。 競争にあって、より大きな資本がより優位になる。
 結果は中小の資本が競争に敗れ、いくつかの大資本によって市場が独占され る。独占化された市場では大きな初期投資が必要であり、新規参入はほとんど 不可能になる。
 市場では唯一の資本によって独占されることはまずない。歴史的に残るいく つかの資本による寡占支配になる。社会的責任を一資本が負うのではなく、社 会的な責任としておくためには複数資本による調整として、競争が残されてい た方が資本にとっては有利である。完全な独占は国営企業と同一視される。
 また、危険負担の大きな部分、採算に合わない分野が存在する。そこには中 小資本の活動の場が残される。

【金融資本】
 金融資本は資本の回転を連続化する機能として発達してきた。次の生産手段 の更新まで生産手段の価値移転・回収の期間資金は遊休するが、これを集めれ ば新規投資の規模にまでまとめることができる。産業資本の活動を制限してい た、資本の回転による制限を解消し、信用を創造した金融資本は資本運用の中 核として中心的役割を果たす。
 金融資本は設備投資を基本とする産業情報に通じ、資金操作を通して影響力 を強める。資本支配を強化し、信用調査、融資資金による締め付け、役員を派 遣するまでになる。
 他方、勤労者階級の生活不安を基礎に貯蓄、貯金、保険によって資金を回収 する。勤労者の名目賃金をインフレーションによって収奪する。インフレーショ ンは投資負担を軽減する。

 独占資本の支配は、独占価格を形成する。
 独占資本間で市場を分割し、競争を限定することで利潤を確保し、海外への 進出に向かう。

【国家独占資本主義】
 独占資本の支配は経済にとどまらない。政治、社会、文化、社会的権力のあ るところすべてに及ぶ。
 国家権力は資本にとって最も役に立つ経済外的力である。本源的蓄積の際は 後ろ盾であり、略奪の対象であった。生産、流通の社会秩序を維持するのも国 家権力である。公共事業として、産業基盤整備を税金によって行うことができ る。私的資本には危険負担が大きな大規模事業、新規事業、技術開発を国の負 担で行うことができる。
 社会福祉を本人と国の負担に押し込めることができる。

 出版、放送、通信、集会施設等のすべてが資本投資の対象になる。民主主義 の物質的保証を資本の支配の下に置くことができる。
 文化、スポーツも利潤追求の場となる。労働者の自由時間も資本市場に囲い 込まれる。
 労働組合の幹部も買い取られ、政治的地位が与えられる。

【世界支配】
 生産力の増大はより大きな市場を必要とし、国内市場から海外市場へと広が る。さらに商品輸出から資本輸出へと発展する。
 一般に天然資源は加工してから輸送した方が効率的である。廃棄される中間 生産物をわざわざ輸送する必要はない。生産規模は世界的に拡張される。
 生産の高度化による国内利潤率の低下に対して、海外では特別利潤の追求が 可能である。国際的生活水準の違いは、賃金水準の違いである。低賃金による 生産は資本に大きな利潤をもたらす。
 経済的優位だけではなく、現実には侵略として海外支配は特別な利益を資本 にもたらす。1950年代までは資源、労働力を直接に略奪した。被侵略地域のほ とんどが独立国となった今日でも、無権利労働者の搾取や、天然資源の乱開発、 公害企業の海外移転として資本の海外進出は拡大している。
 資本輸出した相手国においても国家権力と癒着し、軍事力と一体化する。領 土分割、地球資源の独占、商品市場の独占、市場支配の再分割が繰り返される。 戦争さえ武器市場の拡大となる。

 資本輸出は先進工業国へも向けられる。資本関係は錯綜し、複雑になるほど 世界の支配網は密になる。
 世界侵略の帝国主義の偽装の最先端形態が多国籍企業である。決して多国籍 企業は国家権力から独立ではない。国家権力秩序を利用する。国ごとに違う税 制、金融、法制を最も有利な組合せで利用し、制限をくぐり抜ける。
 多国籍企業の経済力は、中小国の国家財政をもしのぐ。

【労働の分化】
 機械制生産は当初一方で大量の単純労働者を必要とするが、発達した機械制 生産は他方に機械設備の保守、改良のための技術労働者をより多く必要とする ようになる。大量生産は、生産物の販売のための、営業労働者、広告労働者を 必要とする。規模を拡大する生産、多品種、大量生産、多種の多量の労働者か らなる生産組織を管理するための事務労働者も必要とする。
 直接的生産、工業生産の大規模化、機械化によって、労働の質が変化する。 一般的に肉体的労働から精神的労働へ比重が移行する。経験的労働から単純労 働と高度技術労働への分化が進む。
 単純労働では生産に対する局所化が進む。生産の全体が見えない苛立ち、労 働の創造による生きがいの喪失、労働成果物に現れる技能の誇りが奪われる。
 肉体労働は日雇い労働者、臨時工、中小零細企業労働者によって担われ、必 要に応じて切り捨てられる。
 手仕事はパートタイマー等の主婦労働者、アルバイト学生等によって担われ る。

 事務労働の高度化は情報処理の高度化として物理的力になる。段取り、作業、 材料の配置、組合せを管理することは、生産管理の知識として企業経営者の財 産であった。
 情報処理機器の発達は生産管理自体の機械化を可能にした。生産管理という 生産過程にあって最も人間的、知的部分が機械化されることになる。生産管理 は競争にあってたちまち陳腐化する。管理対象は指数的に増大する。情報処理 技術者が大量に必要とされ、不足することになる。

 企業経営にとって労務管理は生産効率上重要な問題である。管理の専門家が 統制するよりも、労働者の自主的な統制の方が効率的である。作業の質を維持 するだけでなく改善し、生産方法の変更に流動的に対応するには生産管理の責 任を労働者に負わせることが効率的である。作業への集中と周囲との連携とい う相反する要求であるが、それだけ複雑な動機付けを可能なまでに労務管理は 発達してきた。しかし他方では労働者自身の統治能力の訓練でもある。
 労働者階級内の階層分化と、拡大が進む。

【貧困化】
 絶対的貧困は輸出される。飢餓は資源収奪、産業基盤の破壊、腐敗させた政 治支配、武器によって海外に輸出される。生産力の発展の過程で生産環境の保 全は切り捨てられ公害、諸社会問題が発生したが、公害も輸出される。
 消費生活の絶対的貧困化は資本主義生産の発達により資本主義国内では現れ にくい。国内市場の拡大が経済発展にとっては不可欠である。資本主義経済の 初期の経験から学ばれ、市場運営が貧困化を回避するようになった。
 絶対的貧困化に代わって相対的貧困が現れる。生活水準は向上しても、その 水準を維持するために労働が強化され、消費が生産に従属する。生活水準維持 のために人間しか我慢できない輸送手段によって長距離通勤を甘受する。労働 者間の競争は単身赴任等として家族関係を破壊し、女性などの社会的活動を競 争によって制限する。病人、老人、障害者を家庭の中で世話をすることがます ます困難になる。過労死にまで追いつめられる労働者が現実に存在する。食品 の大量生産は食材の自然との物質代謝関係を機械化、化学化して自然の豊かさ から離れてしまう。
 国内生活の貧困化が再来する。生産力の発展は個々の生産に必要なコストを 切り下げ、相対的に人件費を押し上げる。人間の直接労働に依存する中小規模 の生産は不可能になる。低賃金を求めての生産資本の海外進出は産業を空洞化 させる。組織運営の情報化によって、中間管理層が不用になる。
 社会関係の高度化は組織・制度への寄生性を普及させる。巨大化する生産を 運営するために管理組織が増大するが、組織は人の処遇を補償しなくては成ら ず、生産にとっての必要性に関わらず組織を肥大化させ、非生産的地位を作り 出す。非生産的地位は人間性を破壊し、精神的、文化的貧困化をもたらす。
 相対的貧困化は富の配分の格差拡大として現れる。さらに、個人所有として ではなく、株式持ち合いによる法人所有の拡大は実際の施設・制度の利用機会 の格差として拡大される。個人の富として蓄積されるのではなく、社会的富と して投資され、その利用権が社会的に遍在する。所有自体を価値とするのでは なく、富の直接的享受を価値とする。
 資本主義経済活動の関わる全体において貧困化がとらえられなくてはならな い。

【生産と所有の背理】
 所得と労働は基本的には一致し、現実にも部分的には一致している。理想の 社会として労働は現実変革として、人間としての存在そのものの実現であって、 所得はその活動の維持、発展を保障するものである。基本的に労働によって社 会的価値が生産され、社会的価値の配分として所得が得られる。労働が評価さ れ地位が上がれば所得が増え、残業すれば所得は増える。
 しかし現実には失業者がいて、飢餓の地域があり、どの様に労働の質量を高 めても所得の高まりと一致するのは極一部分の人である。好況で人手不足の経 済状況であっても失業者はいる。産業分野によって、地域によって、必要な技 術によって、その他の条件によって求人状況は異なり、対応できない失業者が 存在する。失業者の存在によって就業者は就業し続けるための代価を負担する。
 労働は所得のためだけではない。所得も必要であるが、社会人として自立す るために、就業が基礎である。自立には不十分であっても、社会的労働に参加 することを求める障害者、病弱者がいる。社会保障による金銭補償ではすまさ れない、人間性に関わる問題である。
 しかし他方で労働が創造でなくなり、労働が所得を得るための「犠牲」になっ た社会では労働は忌避される。

 資本主義に限らず社会の諸制度が整備されると、制度に地位を得ることによっ て所得が得られるようになる。所得は労働と関わりの無い、社会的地位の見返 りになる。不労所得は社会的地位に関わりがない。社会的地位が高いほど不労 所得も大きくなりうるが、所得の保証された地位を手に入れることは、労働し なくても可能である。

 

第6項 資本主義の社会関係

 資本主義経済体制は、機械制大工業の生産体制だけでなく、労働者階級の再 生産の保証としての労働運動、地域運動の体制が整って初めて全体が整う。
 さらに、これらの社会運動を政治制度として実現するための民主主義の運動 があいまって、歴史的に次の社会への発展の契機が整う。労働運動、地域運動、 民主主義運動を発展させる社会でなければ次の歴史時代を築くことはできない。 この運動に労働者階級の自己実現の契機がある。社会福祉が行き届き、労働そ のものが自己実現となり、余裕を持って文化を享受できる社会に暮らすことが、 けっして理想の生活ではない。それは夢であって、夢を実現するために現在の 生活を、運動を実現することが現実的な生き方である。
注120

 労働者階級の労働運動、地域運動、民主主義運動もそれだけの力で目標を獲 得はできない。到達点としての政治的決着がなされ、政治的決定に基づく執行 は公務労働によって実現される。公務員労働者自体が自ら労働者としての立場 を自覚しえているかも、社会運動の基準点である。政治的決定の過程、政治的 決定の執行の過程でも、社会運動の力量が問われる。労働者階級の統治能力の 訓練の場である。議会での論議、利権の取引、権力の行使を目的とする小市民 的政治ではなく、人類史を押し進める政治運動である。
 革命は政治権力をどの階級がとるかをめぐる闘争である。社会運動の総決算 として革命運動があるが、革命的情勢が熟しているかいないかに関わらず、社 会運動は普遍的な運動である。

【労働の疎外】
 労働は本来生きることであった。衣食住を確保することで生命を維持し、そ れを確保することが労働であり、生活であった。労働によって手の能力、精神 の能力、言葉の能力、社会的能力を実現してきた。労働として自らの存在、力 を現実に表現してきた。
 肉体労働と精神労働の社会的分離、奴隷による労働と、「市民」による支配、 祭祈者による知識の独占が歴史の始めにあった。所有と生産が分離する階級社 会で労働の疎外が始まる。資本制生産にいたって労働の疎外が最も徹底する。 労働力が労働者から離れる。生産技術の発展だけでなく、社会関係として労働 が疎外される。手工業生産の段階までは、生産者は生産過程全体を制御してい た。

 労働は人間主体の対象化であり、人間主体自らの労働能力を社会的に利用可 能な生産物に外化する。外化し、対象化した労働生産物を主体自らの消費によっ て取り戻し、主体自らの生存と発展に資する。外化、対象化は物理的過程と精 神的過程の一体となった過程であり、一体となって自己に回帰する。労働は本 来自己実現の過程であった。
 自己を回復する過程が他人との共同によって実現されるとき、人間としての 社会性も実現される。外化・対象化された自己が他人の内に再現される。疎外 されない人間関係の内で、労働は人間関係を実現する。
 所有と生産の分離によって、生産に続く自己回帰の過程が生産主体である労 働者の支配から離れる。自己を外化・対象化する過程と、外化・対象化した自 己を回復する過程の、両過程の統合としての自己実現の過程が疎外される。
 労働と労働の制御は個人的にも、社会的にも分離する。労働過程において労 働者は労働力の提供者でしかない。賃金労働は労働者を生産者としてすらなく してしまう。直接生産者である労働者が労働の成果物を所有できない。労働に よって労働を支配する力、労働を搾取する力を強めてしまう。自己の外化・対 象化としての労働そのものが、分離された所有関係を再生産し、強化する。被 支配者の労働が自らを支配する他人の力、疎外の力を強化する。

 すべての人間の社会的関係は生産関係に規定される。生活手段を得るために、 社会的生産関係内の地位を獲得し、その役割を果たすことによって自分の生活 を保障する。自分の生活の一部を売り渡すことによって、生活を実現する。

【利殖の仮象】
 資本主義の生産関係では価値は儲けを生まなくてはならない。自己増殖する ものが資本主義社会の価値である。
 資本は生産過程に投資され、剰余価値分を増殖した商品を生産する。産業資 本は生産した商品を販売することによって利潤を手にすることができる。土地 所有者は剰余価値を生まない土地を産業資本家に貸すことによって地代を手に する。土地は地代を生み出すかのように機能する。金融資本は資金を貸し出す ことによって利子を手にする。労働者であっても災害、病気、老後に備えた貯 金は利子を生む。社会的価値は剰余価値の分け前の請求権としての仮象をもつ。
 社会に対して何らかの形で提供される価値は儲けを生む。売買は安く買って 高く売られなくては売買に意味はなく、商売によって生活することはできない。
 儲けをもたらさないものは資本主義社会では価値がない。儲けを生み出さな いものは資本主義社会では社会関係に入っていくことができず、社会関係から 放棄される。儲からない物事には資金が集まらない。社会的物質代謝過程に含 まれない人間関係、精神的、文化的価値も商品価格として評価され、利殖の対 象とされる。人間自体であっても扱いは同じである。

【経済・社会政策】
 社会関係も相補的である。一方的に規定される関係ではない。経済・社会問 題の解決のための政策は目標として掲げられても、実質的には過程が重要であ る。
 税負担の軽減を目標としても、税負担は不可欠である。企業の税負担を高め ても、製品価格に転化されては政策目標は達成されても、問題が転化されるに すぎない。
 個別の問題解決の過程で、実施が目的を達するように制御する実質的な力の 方向の制御が問題である。価格に転化させず、生産力を阻害させない(いわゆ る「競争力」を阻害しない)制御が重要である。
 これを明らかにし、意識的に行わなければ現状肯定になり、社会の仕組み、 方向の変革を提起できないままになってしまう。
 現状を肯定するのではなく、しかし、現状をふまえて政策立案しなくてはな らない。現在の仕組みが・制度が悪いからといって全面否定しても解決はしな い、混乱するだけである。制度を変えるには全体との関連と、変える過程での 具体化・実施の段階を制御することが肝要である。実行力、実質権力を誰が持っ て行使するか、どのように監査(チェック)するかが主要な問題である。だか らこそ、現実の社会的力の行使をめぐる民主主義、情報公開が強調されなくて はならない。

 

第7項 資本主義社会の歴史的位置

【生産様式の矛盾】
 資本主義の下、工場制機械生産は生産力を飛躍的に発達させ、社会関係を高 度化し、自然科学を発達させ、教育を普及した。
 しかし、基本的に生産力と生産関係の矛盾の調整は競争によって解決されて いる。競争によって生産力は常に高められ、過剰生産は弱者の切り捨てによっ て解消される。
 生産と所有の分離は社会的再生産を超えて国際的規模での集積、集中となっ て歪められてきている。物質的生産の高度な発達により基本的な生活物資は大 量に生産されるが、生産地域は低賃金を求めて移動し、富の分配は先進工業国 に片寄っている。
 社会の構成員が平等な条件で生産に参加し、それぞれの生活が保障されるよ うにするためには所有関係が制限されなくてはならない。経済活動が利潤拡大 を目的とするのではなく、実質的な生活向上を目的とするよう生産関係を転換 するには、階級関係の変革しかない。
 物質的、技術的社会条件は備えていながら、他方に破滅の要素を拡大してい る。

【状況の閉塞】
 20世紀初頭には15億人であった人口が60億人を越すまでになり人道的人口抑 制のめどは立っていない。
 一方で過剰生産による暴落を防ぐために農産物が焼却処分され、他方では飢 餓地域が拡大している。地域紛争が高度な兵器供給によって支援され、兵士だ けでなく子供、老人、病人、障害者の生命・生活を破壊している。
 地球が何億年もかけて蓄積してきた化石燃料を百数十年で、しかも加速度的 に消費を拡大している。エネルギーの主要な形態である熱エネルギーの利用は 熱そのものの放出だけではなく、二酸化炭素を大気中に放出し、大気の温室効 果により地球の熱代謝を歪めている。交通の全地球規模での発達、産業エネル ギー消費は地球環境を変え、温暖化による主要都市部の水没すら懸念されてい る。
 一方に消費都市を築き、他方に砂漠を拡大している。木材の伐採、耕地の拡 大のための森林資源の破壊は地球全体の生物環境を変えるほどの規模になって きている。産業廃棄物、産業事故は地球の生物環境、物質代謝に深刻な影響を 与えつつある。
 地球環境の問題は自然保護の問題ではなく、生産様式の問題であり、経済的、 社会的、政治的問題である。

【新しい生産関係】
 工場制機械生産をこえる生産関係のほう芽が育ち始めている。生産と消費、 需要と供給の直接的関係の回復が情報システムによって可能性が出てきている。 単に最終需要と生産を結びつけたり、全体の生産計画を計算によって管理する ことで解決するほど単純なことではないが。需要の組織化された情報化と、そ れに対応する生産組織との間をネットワークすることにより新しい社会的生産 調整の可能性が出てきている。
 情報システムの発達は情報の発生部門と利用部門とをネットワークで直接結 びつける。実際に労働する者どうしが結びつけられる。生産組織は労働拠点間 の組織になる。情報を独占し、情報を伝達するだけの中間管理職は不用になる。 労務管理の実行者としての中間管理職の地位がむきだしになる。上級管理職の 職務である企画、調整も専門組織化し、互いにネットワーク化され、生産ネッ トワークと連携する。
 主権者が育成されている。主権者としての社会的権利と義務が多様な社会問 題への取り組みを通して、マスコミによる情報交換を通して実際的な力の行使 が拡大している。社会的主体としての組織的な訓練と拡大は、最終的には政治 的主権者としての組織と経験として成長する。多様な場で、形での民主主義が 発達し、社会関係のすべてに普及する。一時的、地域的交替はあっても、その ことも訓練の場として、よりしたたかな民主主義が実現される。

【歴史的・思想的展望】
 科学技術の発達は個々の自然過程の制御を可能にしてきた。その科学技術を 利用して社会的生産力を拡大してきた。しかしその社会関係を制御することは できないできた。社会関係は自然環境と同じに制御できないものとされてきた。 階級社会は支配の社会関係であり、自治組織としての社会ではなかった。階級 社会では社会的意識としての社会的自覚がなかった。
 しかし、資本主義社会の発展は自然環境を破壊するだけではなく、自然を制 御する技術、その技術を運用する技術を発達させた。個人意識を確立し、世界 的に普及しつつある。人権が解釈の違いが政治問題化することはあっても、地 球的規模で基本的には認められるようになってきた。資本主義社会にいたって、 個人が自分を制御することが求められるようになった。
 次代は社会が社会を制御することが求められる。人を支配するのではなく、 共同による生活関係を実現する。人間の可能性のすべて、それぞれの可能性を 発現する条件を社会的に整える時代がめざされる。

 

第6節 資本主義の階級闘争

 

第1項 階級構成

注121

 階級構成分析は階級支配関係の統計的分析である。資本主義社会では、資本 家と労働者の関係を基本とする。
 しかし資本主義社会は資本家と労働者だけの社会ではないし、資本家も様々 な規模と分野があり、労働者も産業分野によってその社会的性質が異なる。資 本家といっても雇われ経営者が増えている。かつての「共産主義国家」は労働 者・農民の国家であると宣言されたが、労働者も農民も主権者として存在しな かったし、社会の主人公でもなかった。社会関係におけるそれぞれの地位を担 う人間集団の、現実の社会的役割、機能を明らかにする必要がある。

【資本主義社会の階級構成】
 資本主義社会の階級対立の基本は労働者階級と資本家階級である。この両階 級は相補的対立関係にある。
 この他に自営業者、自作農、漁民、独立技能者、団体役員、年金生活者等の 中間階級がある。また統治機関を担う上級公務員、警察、裁判所、軍隊が別に 存在する。
 有職の中間階級は経済競争の結果、あるいは景気の調整局面で労働者になる 者もいる。労働者から中間階級、資本家階級へ移行するものも極わずかある。 身分制度と階級の違いであり、階級支配を合理化し、支配を強化する手段とし て階級間の移動がある。全体としてより少数の資本家階級とより多くの労働者 階級へ二大分化していく。

【歴史的変化と階級構成】
 経済社会の発展によって諸階級内の構成にも変化がある。当初資本家は何ら かの方法で蓄積した資金によって生産手段、原材料等を買い入れ、労働者を雇 い入れ、労働者を指揮して商品を生産する者であった。生産された商品は資本 家の所有であり、資本家の責任で販売され、資本が回転した。資本家は生産過 程で直接労働者に対する存在であった。
 工場制機械生産の発達は生産過程そのものを高度化し、生産管理の専門家を 必要とし、労働者の中から選抜した。さらに資金管理、事業計画、労務管理の 専門職をおくようになる。資本自体の増大、資金運用として資本自体が商品化 し、株式制度が発達すると、資本家は資本の所有者と企業経営者に分化する。 企業経営者には労働者から選抜された者が当たるようにもなる。
 資本主義経済の発達は資本主義的生産関係を社会の隅々にまで普及する。土 地も生産手段として資本の一部に組み込まれる。商品取引も独立した商業資本 によって担われる。資本の回転のための信用創造、資金運用のための金融資本 が資本関係の中心的位置を占めるようになる。交通、通信、教育といった公共 部門も資本の市場になる。
 資本の規模も多様である。労働者の生活水準より低い零細資本家も存在する 一方、多国籍企業を支配する資本家は中小の国家以上の経済力を備えている。

 労働者は分断され、差別されることによって自らの要求を実現することを阻 まれている。雇用規模によって、雇用形態によって、男女によって格差がつけ られている。
 労働者の産業分野によって、職種によって生産関係における社会的地位が異 なる。農林漁業の第一次産業から、製造業の第二次産業、営業・サービス等の 第三次産業へと産業の高度化と共に、労働者の構成も大きく変わってきている。

 資本主義的生産の中心であった第二次産業の労働者は賃金労働者の典型であっ たが、生産管理を担うホワイトカラーの構成が高まり、社会的役割が大きくなっ てきている。さらに企画、経営、労務管理を被雇用者が担うようになり労働者 の構成を複雑にしている。
 社会の複雑化、高度化は大量の科学技術・医療の専門家を必要とする。公務 分野の拡大は下級公務員を大量に必要とする。教育の普及、高度化は大量の教 師を必要とする。社会の補完的地位でしかなかった分野が社会的な一つの勢力 となって現れ、大きな影響力を持つようになる。これらは雇用形態の上からは 賃金労働者でありながら、社会的機能としてはそれぞれに特殊な役割を持つ。

【国際関係と階級構成】
 資本が海外進出をする国家独占資本主義の段階になると、階級関係は国内だ けでなく国際的に相互作用する。国内であっても産業の支配的企業と下請け企 業の対立は、それぞれに属する労働者間の対立を生むことがあり、労働者分断 支配の手段として利用されてきた。国際関係では労働者間の対立にとどまらず、 植民地国と被植民地国の対立として労働者間の敵対、徴兵された労働者同士の 殺し合いに発展しかねない。
 戦争でなくとも、資本間の国際的対立が国家間の対立にすりかえられる。被 植民地の労働者の搾取によって、支配国の労働者の生活水準が引き上げられる。 被搾取者として連帯し、共同して階級支配と闘うか、互いに敵対するかは国際 的階級関係を担う労働者自体の問題である。

【社会的変化と階級構成】
 工場制機械生産が普及し、雇用条件の規制が社会的に認められない時代には 成人の男性労働者に代わって、女性、児童が工場労働者として動員された。先 進資本主義国においては雇用条件は社会的に規制されるようになったが、代わっ てパートタイマー、アルバイター等の臨時雇用形態が常態化し、低賃金、無保 障の雇用条件をつくりだしている。
 労働形態も工場制機械生産が流れ作業による大量生産から、再び他品種少量 生産に対応する独立作業の形態が取り入れられつつある。生産技術の発達と共 に、労務管理技術の発達によって可能になってきている。
 工場制生産以外の職場では一カ所に集合しての労働形態だけでなく、分散し た形態が増えてきている。運輸部門、営業部門ではその職務の属性からして分 散した労働形態をとる。さらに情報システムの発達によりサテライトオフィス、 在宅勤務の形態までが可能になってきている。これら労働形態の違いは労働者 階級の社会的機能、役割をも変化させるものである。

【階級構成と社会変革】
 労働者階級の社会的特質として、社会的価値の直接的生産者であり、共同作 業によって組織的に訓練されていること、労働力以外所有する物のない身軽さ が社会変革の主体としての条件を満たすとされてきた。
 国際的階級関係の下で先進資本主義国の労働者は生活資産を所有し、直接的 価値生産から離れ、共同作業の機会を持たなくなってきている。新しい条件の 下での階級的役割が生じてきている。
 産業技術の発達は労働者の技術、技能、知識の陳腐化でもある。労働者は自 らの労働力商品を売り続けるためにも、自らの負担で生涯教育に挑まなくては ならない。増大させられる欲望、生活水準を維持するために、疾病、事故、老 後に備えるために、子供の教育のために、就業し続けるために自らの労働能力 を高めなくてはならない。
 資本の側も同様である。より高度な技術、技能、知識を持ち続ける労働者を 多量に、雇用し続ける必要がある。それも格安で。自らの雇用する労働者に生 産技術、管理技術について行けない者を雇用し続けることは負担になる。労働 者の研修は必修である。不可欠な労働者の研修を資本の負担にならずに実現す る方法が開発されてきた。OJT:日常の労働過程の中での動機づけ、技能研 修。QC:時間外の労働者の自由時間をも使っての小集団活動による啓発、改 善提案活動。配置替え、転勤による労働能力の普遍化、柔軟性、啓発。労働者 にとっては労働者間の新しい関係を築く機会でもある。
 これまで労働者の側にも、配置転換に対して自らの技術、知識の陳腐化、新 たな労働につく負担を嫌い、また労働運動への切り崩し手段として反対の方針 が原則であった。しかし、管理業務の大半を労働者が担うまでに発達してきた 生産関係、労働者の普遍的交流、労働者の生産管理能力の育成の面をとらえる なら、労働者の未来社会に対して有効なだけでなく不可欠なことである。労働 運動自体、職域の利益代表にとどまらず、普遍的な力量をつける可能性をもた らす。原則は転換されるべきである。

 

第2項 労働運動

 労働運動は社会運動の中核である。組織的訓練を受けていること、地域、産 業を超えて普遍的存在であること、経済基盤を支える階級であることとして、 労働運動は社会運動の中核である。経済関係を直接に反映する運動である。労 働力としてのみ社会関係に組み込まれ、財産権、社会的発言権を個人としては 持たず、組織としてのみ行使できる。
 他の社会運動を下支えする運動であり、連帯の要となる運動である。
 しかし、社会的位置づけからの論理的可能性であり、現実の組織形態によっ て歪められうる。

 

第3項 社会運動

 様々な生活上の要求は組織運動として実現される。消費者運動、環境保護、 人権、平和、参政権等。
 あらゆる分野の運動が新しい課題をもっている。参政権にしても普通選挙が 制度化されたからといって終わるものではない。18歳への選挙権の拡大、選挙 制度の改革、選挙権の実質的行使を組織すること。民主主義は制度だけの問題 ではない。現実の運動が伴わなくてはならない。
 運動として組織されることによって要求を現実的社会的力として実現される。 社会的発言権は組織によって保証され、権威を認められる。組織を代表するこ とによって政府の諮問機関にすら参加できる。その現実の効果が制限される事 はあっても、形式的には大衆運動の代表者を参加させざるをえないようにする ことができる。情報の収集、社会的発言権の行使、要求実現をそれぞれの権限 において追求し続けることが運動そのものへの力となる。
 組織そのものが新しい社会関係として広がる。新しい社会関係とその運動は 新しい文化の創造である。

 

第4項 国家権力

 社会的権力の最高の力が国家権力である。権威として最高なだけでなく、最 終的な処分権として死刑すら執行でき、軍事力によって他の社会的権力を圧倒 する力を持っている。
 この国家権力を行使するのが支配階級である。支配階級によって国家権力は 組織され、行使される。国家権力は立法権、行政権、司法権と大別されるがこ れは国家権力の制度的内部構造でしかない。国家権力の意志決定は国会で決ま るものではない。国会は形式的に承認を与えるに過ぎない。国会の議決内容へ の作用力、国会議員の選出への作用力は国会で決まるものではない。資本家階 級内での権力調整、利権の調整が図られている。社会運動の社会的力が反映さ れている。
 最終的国家権力の行使を巡る決定的対立点で国家権力の保持者が明らかにな る。主権在民が法規としてうたわれていても、経済政策、税制に関して資本家 は国家権力の担い手として自ら権力を譲ることはない。

 

第7節 資本主義文化

 資本主義社会関係の基調は商品取引である。社会的価値は価格によって表現 され、取り引きされる。

 生活の貧困と文化の貧困。文化的豊かさは物質的豊かさに比例しない。生活 が物質的に豊かになっても、その豊かさを手に入れるための代価、人間の生活 としての代価も大きい。労働時間、労働密度は文化的生活を求める気力さえも 萎えさせるほどである。
 文化の囲い込み、文化の均質化、地方文化の切捨て、地方文化の交流の機会 を潰し、標準文化を押しつける。国内状況だけでなく、国際的な状況はより以 上に深刻である。

 娯楽の提供、管理。身近な娯楽・余暇環境が破壊され、対価を支払わなけれ ば利用できない。メディアの発達は娯楽の多品種、大量供給を可能にした。大 量の娯楽提供は享受者の共同幻想を実現する。現実の社会生活としての連帯で はなく、感性における疑似共通体験をとおしての連帯である。単に疑似連帯と して作用するだけでなく、社会的・政治的権利の行使に際し、その意志を容易 に操作されることになる。
 ただし、疑似連帯感の操作だけで現実の生活上の困難を回避しつづけること はできない。
 自己実現の場としての労働運動、消費者運動、地域運動、平和運動は主体的 文化創造運動でもある。

 

第1項 法律

【法治主義】
 資本主義社会での国家支配は、市民間の契約を形式的原理として社会秩序を 正当化するようになった。社会的合意に基づく統治を支配の根拠とする。その 社会的合意と執行手続を実体化したものとして法律が公布されている。実態が どうであれ、公認された法が社会規範として機能する。
 法が社会規範として公認されている形式を根拠に、法条文の解釈、適用での 歪曲が正当化される。現実の社会関係での対立は社会的に公認された法の解釈 と、適用をめぐる力関係で決まる。法をめぐる対立は法の解釈、適用の決定権 と、法そのものの立法権をめぐる対立としてある。
 法律そのものは社会的発達の到達点を示すものである。社会関係の中で獲得 されてきた普遍的権利が法に明記されてきている。条文化した権利は日常的な 行使によって確認され、新しい要素を獲得する。民主主義は多数決原理から、 決議の方法、決議の前提条件、決議の実行へとその内容を充実してきている。 支配被支配関係にあって、現実の社会関係の中で確定されている。力関係の変 化を反映している。
 法律は運用において社会的力として作用する。法律に基づく決定は、社会的 強制力に裏付けられている。法律は実行手段の裏付けを持たなくてはならない。 個人の自覚に期待することは、現実の力関係への屈服を許す。

【支配関係の規範】
 法律は基本的に支配の為につくられている。秩序維持は現支配関係を肯定し、 保守するものである。革命権を憲法に明記していても、実効される法律は現体 制維持の体系をとっている。
 法律の資本主義的特徴は、競争の自由である。競争自体が不平等である事は 問われない。手段としての競争が合法化される。

【社会規範】
 法律は権利擁護の基準である。権利として社会的に承認させるには、法的に 定めることが基本である。
 労働時間を中心とする労働条件、雇用条件を法的に制限することは資本主義 秩序維持の法の基本的機能である。企業間競争を理由に労働条件、雇用条件を 放置しては社会の存在意義自体が失われる。国民主権、基本的人権の実効が問 われる。
 さらに物質循環の社会的制御、環境保護の為の基準は生産過程だけ、消費過 程だけの問題としてしまっては解決することができない。いずれか一方の責任 を追及しても問題は解決できない。公的部門によっても解決できない。社会規 範としての法の新しい役割を社会的に定義しなくてはならない。
 特に日本のように市民革命を経験せず、戦争責任を追及せずに歴史を引きず っている場合、近代民主主義の原則すら無視される。旧来の道徳を法によって 強制する前近代的秩序の押しつけがある。封建的支配関係、意識が通用してし まう。反民主主義的、非民主主義的法運用に対抗するものとして、弱者が強者 に対する防御として社会的力によって保護、擁護するために法を実現しなくて はならない。

 

第2項 科学、技術

 科学技術は生産力を発達させる基本的な力の源泉である。それゆえ生産関係、 所有関係、社会的支配関係の影響を受ける。
 資本主義以前の生産は、量的には拡大されたが質的には保守的であった。科 学技術は資本主義の段階になって、その発達が物理的に、技術的に可能になっ た。資本主義的生産関係にあって、科学技術は意識的に発展させられた。科学 技術の産業利用が資本主義的生産拡大を可能にした。産業の発展と科学技術の 発展は資本主義の段階で相補的な関係になった。
 科学の階級性の議論を回避したとしても、科学予算の編成、人材の供給は科 学の内容によって決定され、社会的に決定される。
 科学は生産技術と結びつくことによって生産力になる。科学は生産技術と直 接結びついてはいない。科学的成果は公開され、評価され、流通していなくて は生産技術と結びつかない。
 生産管理技術は社会的財産であるが体系化されにくく、企業内に封じられが ちである。直接的生産技術と同等に生産力として実現される。資源の有効活用、 環境保護のためには、直接的生産技術よりも社会的影響力は大きい。
 基礎研究は科学技術の基礎であると共に、世界認識の基礎でもある。研究を 研究すること、研究成果を利用することも科学である。メタ研究としてやがて 研究そのものへ反作用する。還元される。論理、文学、世界観も科学的である ことによって社会的力となる。

 

第3項 教育

 教育は世代を超える継承として、生物の限界を超える手段である。
 生物の獲得した能力は遺伝として継承される。人間だけが時間、空間を超え て、世代を超えて獲得したものを継承することができるようになった。教育は 知識、職業教育にとどまらず、人間の基本的過程である。そして社会的過程で ある。
 にもかかわらず、資本主義社会での教育は基本的過程として社会的に保証さ れない。教育内容は社会的訓練と、職業教育に限られる。科学技術教育は専門 化される。

【階級支配の教育】
 階級社会にあって教育は支配階級の、支配技術の継承のためであった。被支 配階級にあっては生活の継承が教育のすべてであり、生活は生きることに限ら れていた。極特殊な個人的例外をのぞいて、教育制度は支配階級の構成員のた めのものであった。支配のための地理、歴史、体育、統制が内容であった。
 産業の発展と共に必要となった労働者の教育は、労働力の訓練と共に、支配 されるための教育も内容となる。
 現実の支配被支配関係を合理化し、自らを教育し機会さえつかめば支配する 側に立てる。個性を尊重するのではなく、人間の違いを前提にし、差別の根拠 を発見し、人を差別することによって自らを差別し、自らの生活を正当化する。 人間の差別を前提にすることによって階級支配は正当化される。競争の結果と して人間の格差が正当化される。

【選別の教育】
 教育は社会秩序に分類する要員の選別の場でもある。階級関係にあって、人 的資源の最良の部分を支配階級に取り込む必要がある。階級関係を破壊する傾 向にあるものを社会関係から切り放す、スポイルする必要がある。その他の者 に被支配を受け入れさせる必要がある。
 選別教育の原則は競争である。教育の成果には関わらず、競争の圧力に耐え る者を階級支配の要員として取り込む。競争関係に反発するもの、無視するも のは社会関係から切り放し、見せしめとする。競争に破れた者はそれぞれの社 会的配置を受け入れさせる。

【生産維持のための教育】
 生産関係の発展と共に教育が普及する。職業訓練を受け入れる基礎教育が必 要である。作業指図を受け入れるには基礎教育が必要である。より発達する技 術を応用するには専門教育が必要である。
 資本主義の前の生産労働は属人的であった。特定の技術的訓練をつんだ者が 生産者になった。生産技術を身につけていなくては生産者にはなれなかった。
 資本主義社会に至って、工場労働者には読み書き、事務労働者には計算も不 可欠な能力になった。組織運営を自己目的としない労働者に、組織された労働 を基準にしたがって担わせるには、読み書きが不可欠である。労働者に対する、 被支配階級の子弟に対する大量教育が必要になり、学校制度が作られた。学校 制度は人間性を身につけさせるものではない。人間性は社会的生活実践の中で 育つものである。

【新しい社会関係の教育】
 本来労働も、学習も自己実現の過程である。生活を意識的に組織するには教 育が無くてはならない。分析性、論理性、総合性、課題発見能力は訓練されな くては育たない。現実の教育制度が無視していても、それぞれに成長過程で自 らを訓練している。教育過程の中で、自らの能力を育てている。
 生活を意識的実践の場として、自らを教育することによって新しい社会関係 を作り、組織する教育が実現される。

 

第4項 芸術

 資本主義によって芸術は大衆化された、同時に商品化された。専門技術者と しての芸術家とそのパトロンによって実現されていた芸術が、資本主義によっ て職業芸術家として社会的に開放された。同時にその作品を商品として販売す ることによって、芸術家は生活のかてを得なくてはならなくなった。
 社会内の各状況にある人間の意識の物象化が芸術である。物象化技術と対象 の評価が芸術的能力である。作家は作品を物として創り出すと同時に、作品を 評価選択する。評論家は作品解説をすことが本業ではない。物として現された 人間意識の価値を評価することが芸術評論家の仕事である。
 物として人間意識を表現するには、手段、媒体を制限・限定することによっ て対象化する意識を際だたせる。限定した表現手段によって自己実現すること で、表現を明確化する。どのような総合芸術であっても、表現手段を制限し、 形式化を行っている。
 資本主義は芸術家と芸術媒体を多様化し、大衆化した。
 現実に対する問題意識が創造エネルギーとなる。作家の現実に対する問題意 識、評論家の問題意識が芸術価値を反映する。しかし、作品が商品として評価 される現実では、商品としての価値が優先されることも有れば、芸術家自体が 商品化されることもある。

 

第5項 イデオロギー

 一般に社会意識がイデオロギーである。狭義には特定の価値観を普遍化しよ うとする意識活動である。資本主義イデオロギーは資本主義体制での社会意識 であり。社会的価値を価格として評価し、価値は配当を生むことが前提とされ る。この疎外された価値体系に対抗する社会意識として、人間の創造性を価値 基準として取り戻し、価値を人間としての実践に置こうとする意識が対立する。 この両者の対立変化が資本主義イデオロギーの運動として現れる。

【イデオロギーの規定性】
 イデオロギーは生産関係の社会意識への反映である。生産関係を基礎として、 個々の人間が社会関係を取り結び社会構造をつくる。社会関係が個々人の意識 に反映され、個々人の意識の相互作用として社会意識の構造が形成される。生 産関係に基づく社会構造と、社会意識の構造との対応関係を下部構造と上部構 造として定義された。
 基本的に下部構造と上部構造は互いに規定する。社会意識の運動は個々人の 意識の相互作用としてあり、個々人の意識に社会的方向性を与える。社会的意 識を規定し、規定される個々人の意識は、その個人の社会的関わりを方向づけ る。個々人の社会的行動として上部構造が下部構造に作用する。

【社会意識とイデオロギー】
 下部構造の対立関係は上部構造の対立を規定する。上部構造・イデオロギー は、下部構造の対立を反映した対立関係を含む。対立関係としての下部構造の 全体に規定されるその時代のイデオロギーでありながら、イデオロギー内にも 対立が反映する。
 一方は生産関係を意識的に合理化しようとするイデオロギー、他方は生産関 係そのものを変革しようとするイデオロギーに分かれる。さらに対立関係自体 を否定し、現社会構造そのものを正当化するイデオロギーも現れる。単純に政 治的支配、被支配関係とは一致しない。

【イデオロギーの機能】
 イデオロギーは価値観の体系でもあり、動機づけの根拠でもある。同一イデ オロギー内では価値観を共有し、自分と同じ人間を互いに認め合う。
 イデオロギーは操作できれば強力な社会支配の手段になる。イデオロギーの 操作の露見はイデオロギー本来の力を実現しないどころか、敵対するイデオロ ギーを勢いづける。イデオロギーは受動的であれ、構成員が受け入れることに よってその社会的力を発揮する。構成員に自主的に選択したように思わせるこ とがイデオロギー操作の基本である。
 イデオロギーは現実の生活を保守し、合理化する価値体系である方が受け入 れられ易い。

 

第6項 政治

 資本主義の政治は封建制に敵対する社会運動として生まれた。市民階級と呼 ばれた産業資本の活動を政治的に認めることとして、それまでの領主支配を経 済的に掘り崩す過程で実現されてきた。より多数者による支配を目指すもので あった。産業資本間の競争機会の平等を実現するものであった。君主制に対す る民主主義の政治であった。したがって限界を前提とした民主主義政治であっ た。
 資本主義の政治は資本間の利害調整と、資本支配に対する労働者階級を中心 とする被支配者の政治要求との調整として社会的制度を実現するものである。 資本家階級と労働者階級の力関係の変化を反映して、普通選挙権の拡大、男女 平等、子供の権利、社会保証制度が実現されてきた。これらは労働運動の成果 であるとともに、民主化、主権者の拡大、社会福祉の充実を図らなくては資本 主義再生産そのものの維持ができなくなるという現実的問題に対応するためで もある。

【制度と運動】
 政治は要求を制度化することを目的とするが、運動そのものも目的とする。 経済関係、社会関係は普遍的であり、一つの要求は社会的に他の要求すべてと 連なっており、社会自体が人間集団の運動体である。運動を組織すること、普 遍化することが政治運動の主要な課題になる。

 主権は拡張され、実質化される。選挙権自体が身分、財産、納税額による制 限から普通選挙権へと拡張され、女性参政権も実現され、年齢制限も拡張が目 指されている。しかし、制度的民主化だけでなく、自然人による政治を実現し、 参政権の実質的実現は政治運動として進められなくては実現しない。政治的無 関心を克服するには政治運動の普遍化と、生活の主体性の獲得、実践的生活を 目指す運動が組織されなくてはならない。
注122
 民主主義は、常に訓練されねばならない。

 政治権力は、社会権力の最高の力である。質、価値としての最高ではなく効 力が最大の力である。
 人間社会の本来の最高権力は、尊敬され、名誉あるものである。その基盤が 人間生活の実現に根ざしている限りで。部分的には尊敬される権力はありえて も、商品価格が社会の価値基準であるうちは国家権力は尊敬される権力にはな りえない。

 

第8節 社会主義・共産主義

 社会主義運動は理想の社会を築くことである。理想の社会で生活することで ある。
 どんなにまじめに、人間として理想的な生き方をしようとしても、理想の社 会で暮らすことは不可能である。特にその理想が何の苦労もない、ストレスの 無い社会であるとするなら、それはいつまでたっても空想でしかない。現在の 苦労、ストレスからの逃避願望による幻想である。
 現実的な理想の社会は、理想を追求し続けることのできる社会である。

 

第1項 理想の追求

【社会主義運動】
 社会主義運動は資本主義社会の中での運動である。目的は社会主義権力の樹 立である。どの様な社会であれ、理想を実現するために生きることが、現実的 生き方である。理想を描き、それに現在の生活を合わせよう、はめ込もうとす るのは空想的である。
 社会主義運動は最終的には国家権力をめぐる、政治闘争である。しかし、基 本は生産関係の上での生活向上と、社会的責任の追求である。日常的には道理 を通す運動である。道理を通しながら、それぞれの段階での、社会の運営を自 らの手で行い、自分たちのための権力行使を学ぶ運動である。
 主体的には組織力、教育力、政策力を育てる運動である。一般的には民主主 義を地域、職場、家庭の隅隅にまで徹底し、必然の洞察にもとづく自由を守り、 行使する。不当な権力、経済力の行使に対しては敏感に、断固として立ち向か う。人類の歴史を引き継ぎ発展させるため、地球環境を保全し、新しい文化の 創造をめざす。

 社会主義革命は国家権力の奪取である。民主主義が徹底されれば当り前の事 である。資本家の数と労働者、農民、商人の数を比べてみれば結果は明かであ る。それが阻止されてきたのがこれまでの歴史であり、国家権力を含め、様々 な権力行使によって反民主主義が続いてきた。

注123

 

第2項 「共産主義」の崩壊

 冷戦を「自由主義と共産主義の闘い」として描こうとする者が多い。しかし、 「自由主義」を掲げて「共産主義」と戦ってきた者たちのほとんどは、民主主 義にも、基本的人権にも、社会福祉にも、民族自決にも敵対してきた。「共産 主義」が全体主義であるから、平和の脅威であるから「自由主義」を選択する 人々が圧倒的多数であった。「共産主義」と戦ってきた者は「資本の自由」 「企業の自由」のために戦ってきた。共産主義と戦ってきた者たちは「自由」 「民主主義」を共産主義に対立する者として利用してきた。しかし現実には 「企業内には日本国憲法は通用しない」とまで公言する者たちである。
 「共産主義」の崩壊は彼ら「共産主義」と戦ってきた者たちの勝利で、民主 主義、基本的人権、社会福祉、民族自決も滅びたのか。「冷戦後」彼らは「自 由主義」の勝利とは言わなくなった。彼らは「資本主義が勝った」と言うよう になった。「自由主義・民主主義」の仮面を捨てて、資本主義者が公然と現れ た。
 共産主義に敵対しない人々も「共産主義は理想であるかもしれないが、実現 しようとすると全体主義に変質してしまう。計画経済では経済力が発展せず、 社会福祉や、生活向上の物質的基礎がそもそも保証できない」と教訓を得た。
 ではどうするか。
 理想を語って強引に実現しようとすると、非現実的になることは明らかにな った。人間には今の所、社会経済を制御する能力はない。少なくとも、今の人 間には民主主義を社会制度として実質化する能力はない。理想主義をかかげ、 きれいごとをやっても、実利に長けた者たちに利用されるだけである。
 この現実から出発して、現実の問題点を明らかにし、対応していくしかない。 理想を追求し、裏切られ、犠牲になった人々に対しても、我々の後を引き継ぐ 子供達に対しても。そして、我々の生活のために収奪されている、数十億の人 々のためにも。

 

第3項 競争社会

 ごまかしはあっても、今の日本ではよほどの特殊な場合を除いて飢え死にす ることはない。最低限度の文化的生活の基準をどこに置き、その実現のために 経済的、社会的、政治的に闘われているのが現状である。
 この水準を実現している活力の基は競争である。競争の現実を認める必要が ある。

【競争の功】
 競争は運動の結果の目的化であり、人間的な運動である。動物は競争などし ない。結果を目的とし、意識的に運動を方向づけることによって、人間の運動 が活性化する。目的を設定できない運動は停滞し、腐朽化する。
 競争は競争相手の存在を前提にしている。競争相手との関係は敵対的なもの に限られない。競争は仲間内でも成り立つ。競争は共同した運動の一面での関 係である。
 目標の設定によって競争過程の形態も異なる。互いにどれだけ援助しえるか、 どれだけ指導力を発揮できるかといったことも競争目的になりうる。
 競争が敵対的な関係になるのは、競争結果の帰属の仕方による。競争結果が 共同の成果として社会的なものになるか、個人に帰属するかによって関係は異 なる。

【競争の罪】
 人間の問題としてハンディキャップを持つ者との不公平がある。障害者は無 論のこと、女性は生理的に男と同じ基準では競争できない。本人には選択する ことのできない出生、成長環境の違いがある。同じ基準での競争の押しつけは 差別である。
 競争の過程で不正が行われる。不正を行う者はどこにでも現れる。公正な者 も変質する可能性を持っている。
 競争の結果は格差を生じる。競争の直接の結果だけではなく、それを引き継 ぐ者には競争の前提としての格差になる。競争の結果は相続される。富を相続 したから競争に勝てると保証されるわけではないが、可能性は富に比例して高 くなる。

 自然の問題として競争は自然を破壊する。生産は自然の変革であり、創造と 破壊の統一された過程であって、効率が優先されれば破壊が放置される。
 競争の結果資源が独占される。競争の条件が独占されるまでになる。

【競争からの救済】
 個人的ハンディキャップに対しては社会福祉と、公教育がある。人間に必要 なものの教育であって、選別のための教育ではない。競争の能力、ルールの教 育であって策略の教育ではない。援助は救貧策になってはならない。人権が無 視されてはならない。
 社会的ハンディキャップに対しては、生活資量の援助ではなく、生活手段が 援助されるべきである。
 自助努力は切り捨ての口実である。自立の条件を奪っておいて自助努力を強 要することは、援助の切り捨てを正当化するものである。

【競争の規制】
 競争は社会的に規制されなくてはならない。競争の当事者間の規制は競争の 否定である。競争そのものの規制は独占、寡占を正当化するものである。競争 のルールを規制しなくてはならない。
 競争の社会的規制は法的に明らかにされなくてはならない。理念だけにとど まってはならない。社会的強制力をともなう法によって競争されなくてはなら ない。
 実際の法規制では法技術が問題になる。競争条件の詳細を社会的に明らかに し、基準設定を現実的なものにしなくてはならない。競争条件の詳細を社会的 に明らかにすることで抜け道を塞ぐ。当面の抜け道を塞いでも、競争は新たな 抜け道を作り出す可能性がある。新たな抜け道を速やかに塞ぐ法的対応が必要 であり、司法制度、法律家だけに任される問題ではない。

 公平性を実現する競争の規制は、競争性との矛盾である。現実の競争過程は スタートとゴールが決められてはいない。現実には競争過程での規制である。 現実の社会関係の中で条件・基準が決定され、実施されなくてはならない。
 規制の執行そのものが非生産的である。社会的負担が社会的に認められる形 式と程度でなくてはならない。
 競争の規制は権力的にだけで実現することはできない。道徳や個人の自覚で もすまされない。社会意識の自覚的制御の問題である。社会意識自体が運動組 織として主体性を備えなくてはならない。
 報酬と地位・権限を区別するなどの方法は、社会的承認がなくては実現でき ない。

 

第4項 戦略

 国有、公有は公正の基礎である。しかし法制度として生産手段を国有にして も公正は実現されない。活力がそがれるだけでなく、権力をめぐる不正が増長 する。
 競争の価値基準の転換が必要である。価値基準は道徳や気持ちの問題ではな い。
 単身赴任を否定できないのは、日本のような一部である。

【客観的条件】
 高い生産力は文化の多様な発達、個人主義の普遍化を実現する。さらに公正 の確保や、民主主義手続きのための負担を可能にしている。公正や、民主主義 をより発展させる条件を高めている。
 高等教育の普及は社会的意識の教育である。社会的意識の自覚化は教育によ って実現される。
 民主主義、基本的人権の経験は社会関係をよりしなやかな、したたかな関係 を実現する。社会的復元力は民主主義によって保障される。
 所有と経営の分離し、多様な労働形態が組織化されている。情報システムの 発展は情報の共有・交換手段を提供している。
 平和の実現、社会的公正の実現、自然環境の保全、経済的貧困の救済の深刻 化は社会主義革命が実現してからなどという段階論ではすまされない。

【統一戦線】
 社会的意識の自覚的実践は、多様な社会運動の実践である。多様な社会運動 の主体が、社会のあらゆる分野で形成されることが前提である。
 社会的意識の自覚的制御は、社会的主体間の運動の調整である。
 運動の分担と調整は社会の教育水準や、情報ネットワークの整備といった一 般的な条件だけではなく、運動組織の統一した共同によって実現される。共同 できる社会目標の設定と、それぞれの分担の割り振りは統一戦線運動によって 実現される。社会の隅々にまで統一と連帯を拡大する運動が一つの独立した運 動として組織される必要がある。

【問題点】
 国内問題にとどまらず、国際的連帯を実現しなくてはならない。アジア、ア フリカ、中南アメリカに、元非同盟中立国に依拠する。しかし、その中で経済 力を高めているのは後追いをしているNIES、ASEAN諸国である。植民 地関係としてではなく、国家間の競争相手として成長してきている。国内の階 級対立、国家間の競争、国際間の階級関係は複雑である。
 国家間の外交関係、政治関係、経済関係、軍事関係よりも、直接的な人民交 流が運動として組織されなくてはならない。農産物自由化、貿易摩擦、産業空 洞化など、生活に直接する問題が提起されている。ODAの公正化、効率化、 NGO運動の発展、国際ネットワークでの相互の情報提供等手がかりはまだ小 さい。
 従来の社会主義運動が大きく変質する敗北主義的傾向、清算主義的傾向もあ れば、旧態依然として日常的運動の視点が定まらない傾向もある。「共産主義」 崩壊が問うもの、今現在、これからの課題を社会的に明らかにしなくてはなら ない。
 平和憲法によるリーダーシッップの理念は日本自体で公認されていない。 「普通の武力を行使する国家」としての国際貢献が日本の公認の政策になっ てしまっている。


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概観 全体の構成

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