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概観 全体の構成

   目次


第9章 人間の生活

 人間の生活は社会生活である。ヒトは人間社会に生まれ、人間社会の中で人 間へと成長し、社会活動を担う。ヒトの人間の生活の基本的過程を考える。
 社会は歴史的であり、現段階の歴史的制約は生活の隅ずみまでを規定してい る。歴史的制約のない一般的生活はありえない。支配、被支配の関係にある階 級社会の歪みは社会の、人間の生活の基本にまで浸透している。しかし、同じ 人間としての普遍的生活もありうる。生活上のそれぞれの問題が現在の歴史的 制約によるものか、普遍的生活の問題であるのかを見極めることは生活態度の 基本になる。すべての問題を同列に扱っては本質的解決にはならない。本質的 問題を現象的問題と同列に扱うことは、現実を肯定する枠組みから出られなく なる。
注88
 ここで人間生活の基本的課題を整理する。個々の問題は、歴史的到達点とし ての社会の現状を整理した後、第三部で扱う。

 

第1節 結婚

 家庭は結婚前と結婚後では、当人にとって決定的に質の異なった生活の場に なる。結婚前は一般的には被扶養者である。結婚後は扶養者である。結婚後は 扶養者であるよりも、生活者として責任が問われる。生活者としての責任は結 婚に関わらず問題であるが、結婚によって社会的責任が異なってくる。結婚は 社会的にはその家庭の担い手になることであり、扶養関係の問題ではない。
 家庭は子育ての場であり、両性の共同生活の場であり、社会生活の基本単位 である。
 家庭生活は結婚を節目としている。結婚は個人にとっても決定的な節目であ る。

【結婚の意志】
 結婚は新しい次の世代を育てる場を、生活の場として築く、新しい生活を始 める意志が基本である。
 独身であるうちは、自分の判断にともなう結果は自分で引き受ければ済んだ。
結婚により自分の影響は配偶者、そして子供へと及ぶ。生活の方向づけといっ た積極的意志判断だけでなく、何もしないことによる結果も自分たちの生活に 影響する。結果と責任を自分が引き受けるかどうかではなく、結果は自分たち の生活に現れてしまう。自由意志にもとづく契約の責任問題ではない、生活と しての結果を受け入れる意志が必要である。

 結婚には新しい他の人格と共同する意志が必要である。
 結婚により、自分の生き方と配偶者との生き方の調整が必要になる。人が異 なれば、同じ生き方、同じ生活はありえない。配偶者間で必ず調整が必要であ る。相手に応じて変えることのできる、自分の許容範囲の確信が必要である。 自分の許容範囲の大きさによって、相手の選択幅がきまる。相手の許容力に期 待したのでは、対等な人間関係は望めない。自分を変える意志をもって、結婚 を決定すべきである。
 自分の生活を変える意志がかたまれば、相手の選択が問題になる。

【相手の選択】
 姿形、体力、学歴、趣味、教養、職業、収入、生き方、目標、生活様式、家 庭環境、信条、政治的立場、政治姿勢、人間のすべての要素を尺度に、何を基 本に、どこで妥協するかは、自分自身の人間評価を公表することである。評価 基準の考慮は相手に求める以前に、自分の人間評価、自分自身の評価を行うこ とになる。相手の選択は自分の世界観、人間観の試験である。人間の選択であ り、博愛主義では選択はできない。相手をどう見るかと共に、自分自身をどう 評価し、伝えるかという問題が返ってくる。
注89
 現実の過程では、世界中のすべての異性の中から相手を選択できるわけでは ない。結婚紹介企業を利用しても、限られた相手、限られた時間での選択であ る。無限の候補者の中から、理想の相手を選択することはできない。自分の社 会関係の中からしか候補者はでてこない。

【恋】
 人を恋する経験は、人間にとってあった方がよい。
 恋は特定の異性に夢中になる。夢中になることは異性に限らない。対象に働 きかけ、対象の反応を理解し、対象からの働きかけに応える。対象とのこの相 互作用の過程で対象を理解し、自らを理解し、自ら力の増大を知る。夢中にな る対象を持つことは重要なことである。趣味であっても、夢中になり続けるこ とができる対象をえることは、自らの能力の開発になる。
 恋することは物事に夢中になること以上に意義がある。相手が人間であり、 異性であることによって恋することの意義は特別である。人間を対象に夢中に なることは思いどおりにならない、対等の対象を相手にすることである。対等 の人間を相手にして、しかも自らの影響力を最大にする困難は、人間を具体的 に理解する鍵となる。金では買えない経験である。
 異性を相手にすることは、親子の関係から離れて以来の生理的関係である。 性交渉に至らなくても、見つめ合うこと、触れることは人間化した生理的関係 である。人間の生理は他の動物の生理的関係と違って人間化されている。サル のマウンテイング、毛ずくろいも肉体によるコミュニケーションではあるが、 それらの意味は単純である。人間の生理的関係は、社会関係をも反映した感情 をともなう全人格的関係である。恥、嫉妬等生理的関係に根ざした感情体験が、 異性理解、人間理解を深める。
 育てられる中で与えられた人間関係に関わる価値観、感情をないまぜにして、 自らの意志による主体的人間観を形成する第2の誕生ともいえる。人に対する 様様な肯定的、否定的感情の経験と評価が恋することにはある。感情、意志、 理解に関わる肯定、否定の相反し、相補的な分類基準も含めて経験し、評価す る。相手に対して、競争相手に対して、そのほかの人との関わることが感情、 意志、理解、生理、生活と現実の人間主体としての経験と評価が、人格形成の 契機になる。

 恋は多様である。何のこだわりもなく恋する人も、恋していることを認めよ うとしない人もいる。自分の感情をそのまま相手に伝えようとする人も、自ら の感情処理にこだわる人もいる。
 普遍的な愛であっても、現れ方は多様である。それぞれの生い立ち、環境に よって愛し方、愛され方は違ってくる。愛についての理解や実践などと言うこ と以前に感覚、感情の形式が人それぞれによって異なる。自分の愛の形を絶対 化してしまったのでは破綻する。
 多様な恋に対する関わりの組合せで、恋は多様な経験である。

【結婚の形】
 結婚は社会的関係であり、結婚の社会的形がある。結婚は相手との配偶者関 係である。それまでの双方の家族に対する関係である。結婚によりそれまでの それぞれの社会関係が変わる。
注90
 人の生き方が様々であるのだから、結婚の形は多様であってよいはずである。 両性の生活に応じ、かつ一致した生活が実現できれば結婚の形は多様である。 同居、定住は絶対条件ではない。どちらが実質的、形式的主導権をとるかは、 社会的慣習どうりにはいかない。社会的慣習に合わせる努力よりも、実際の生 活を築くことに努力することが結婚である。
 家庭の経営管理は個人生活とは異なる。家庭経営は相手方に対する、被扶養 者に対する責任をともなう。共同生活に要する費用負担、家計管理は小遣いの 管理とは異なり、疾病への保障、老後まで見通せるような計画を必要とする。
 家事は分担するだけでなく、家庭としての統合された方向性、基準管理が必 要である。家事は尽きることがない。食事の支度、清掃、修繕、近所付き合い、 どれもそれぞれの家庭条件によって基準が決められ、条件による変動に対応し なくてはならない。対価負担の基準、対応時間の基準、手段選択の基準等それ ぞれの課題を生活上での位置つけ、意味づけによって各家庭ごとに定まる。生 活条件とそれぞれの価値づけによって決まり、また変化する。互いの生活条件、 全体の要求基準に対応して家庭を運営しなくてはならない。家事でも意識的な 分担と、意識的な統合と調整が必要である。
 家庭における意志決定の主導権、形も課題ごとに異なる。性による分担では なく、役割による分担によって定まる。それぞれの家庭の条件によって、時と 場合によって適当な方法、手続き、担当がある。
 結婚の持続は相手を理解できるか、理解しようとし続けられるかが問題であ る。相手を理解しようとし続けられること、相手に興味を持ち続けられること は結婚の継続にとって重要である。

【性】
 人間の性は人間独自のものである。生殖、種の保存としての意味は他と動物 と同じであるが、人間の性はそれにとどまらない。評価としての意味ではなく、 存在形態からして人間の性は社会的であり、文化的である。
 人間の性には「さかり」がない。性交も基本は対面位である。肉体的刺激が なくとも「文化的」刺激によって性欲が励起される。人間の性関係は両性間関 係以外にもありうる。進化の過程での因果関係はともかくも、社会的に保障さ れた生活環境によって生理的条件が違ってきている。
 なにより、両性間のコミュニケーションによって、性感覚、充足感が異なる。 互の人間としての関係を実感、確認できる。

 

第2節 育児

【親子関係】
 子育ては親から子への一方的サービス、支配ではない。
 親になることは子を生むだけではたりない。人間の子供は生まれただけでは 生きていけない。親は子を生んだ後、その子を育てる。親子関係の中で、子ど もが成人していく過程で、親は親になる。
 子を育てることによって、客観的に人間の成長を振り返ることができる。子 供に対する責任は自らの社会的義務を問いなおす。地域社会と結びつく機会と なる。そして何より世代交代を保障し、人類史の継続の第一の保障になる。
 育児は双方向の関係にとどまりはしない。育児は親子関係を軸とした物理的、 生物的、社会的、人格的諸関係の重層な結節点としての関係である。人間の親 子関係は生物的な関係だけでなく、社会的関係であり、文化的関係であり、全 人格的な関係である。他のどの人間関係よりも可能性の大きな関係である。愛 憎の幅、相手の生への関与の幅、互いの生活への影響の幅、他の人間関係に比 べて、最も広い幅の中での可能性を持っている。

【生むこと】
 人間は生まれるのでも、生まれてしまうのでもなく、生むのである。生むこ とを意識しようが、計画しようが、他の動植物と決定的に違って、両性の意識 された性行動があって子が生まれる。親がどれほど自覚しているかに関わらず、 親が子を生むのである。
 子を生むことは生理的に母親にしかできない。しかし人間関係にあって、子 を生むことは男女、両親の関係を基にしてつくりだす関係である。
 人間の場合、親は子に対して全面的働き掛けを必要とする。新生児は気温、 湿度、安全等の物理的環境を整えてやらねば生存できない。
 新生児は呼吸、授乳、排せつ等の生理的条件をも整えてやらねばならない。
 人間の感覚は知識、意志とも緊密な相互関係にあり、生む段階からの教育が 必要である。
 これらの環境は社会的関係として実現される。これら全体の環境を整えるこ とが、子を生むことである。

【育てること】
 守ることと、伸ばすこと。守るだけでは能力は萎縮する。伸ばすことだけで は破綻する。
 目標を定めた訓練自体が必要な生活訓練である。集中力、継続力、計画性は 訓練によって鍛えられる。目標管理は親が中心となって、社会的援助の下で行 われる。それぞれの子に適した目標設定と援助、目標達成が確認できる訓練を 行う。挫折感よりも達成感の経験が基本的に必要である。驕りは失敗しないこ とではなく、目標と手段の選択の誤りによる。驕りは安易な目標設定と、形式 的評価による過信によってもたらされる。
 訓練は失敗の場である。失敗を経ない成功は偶然である。自力での成功、で きるようになることは、失敗しなくなることである。失敗しても取り返しので きる環境を整えることが親の、周囲の役割である。
注91
 目標は親の期待、社会的期待ではなく、それぞれの子どもの可能性を見つけ、 引き出す課題でなくてはならない。見いだせるまでは可能な限り多様な目標に 取り組むことが必要である。

【肉体の発育】
 人間の成長も肉体的、精神的に段階がある。肉体的、精神的訓練は子どもの 可能性を実現する過程である。見ることも成長の段階で獲得される能力である。 適切な段階に「見る」訓練をしなくては、生理的に正常でも視覚認識ができな くなる。適切な段階に用意されても、不適当な強さのストレスは後遺症を残す。
注92
 特に肉体訓練は生物的自然から離れてしまった人間にとって、意識的に取り 組まなくてはならない。人間の肉体は理性によって制御されることに注意され ねばならない。
 生理学的平衡、ホルモン調整、反射神経、自律神経、大脳による基本的中枢 制御、これらは意識しなくても日常的に働いている。しかし人間の作り出した 環境、特に社会環境にあって正常に機能することはますますむずかしくなって きている。社会的生活によって人間は単独で生活し続けることは不可能になっ ている。これを進化の過程と肯定する向きもあるが、人間の社会環境が地球上 でも限られたものであり、宇宙、海中、地中へと生活の場が拡大されていくと きには、運動能力はやはり不可欠なものである。
注93
 理性によって生活環境を改善してきた人間は、理性によって肉体も管理しな くてはならない。
 肥満、拒食といった生理、筋力、骨格、免疫といた体力、平衡感覚、リズム 感、瞬発力、持久力といった運動能力の発達・維持について、社会的、精神的 ストレスに対して意識的な、積極的な努力が必要である。
 肉体訓練は筋力だけではない。清潔、健康を維持することも肉体訓練に含ま れる。バランスの取れた食事、充分な睡眠、定期的排便は習慣化する訓練によ て身につく。習慣化した悪癖は、意識的な習慣化によって正される。筋力訓練 も強度、均衡、柔軟性の配慮によって効果的に行われる。この配慮を欠くと肉 体自体を破壊することになる。特に練習の前後の生理的順化は意識的に訓練し、 自覚することで健康が守れれ、増進される。
 肉体訓練も科学的でなくてはならない。疲労が蓄積してからの技術練習は意 味がない。意識的に、目的を明確に意識して練習することが肉体訓練にも必要 である。

【文化の継承】
 文化とは美術、音楽、伝統等といった社会的、芸術的なものばかりではない。 より基本的、日常的生活の場での文化を問題にしなくてはならない。家庭生活 環境、職場環境、教育環境、通勤通学環境、余暇環境等、そこに空間的、時間 的、対象として文化を享受する条件、環境を整えること自体が文化である。文 化的生活を求め、実現する欲求を育てることが、文化教育である。
 文化を受け入れ、継承することはだれでも基本的に可能である。しかし、文 化を発展させることのできる資質は特別であり、大切に育てるべきである。日 常生活の中に文化活動が普及し、社会制度としても整うことによって才能が発 見され、育てられる。才能あるものだけが専門家として教育されるべきではな い。そもそも才能のあるなしを的確に判断できるシステムはそうはない。それ ぞれの才能を実現することとして、文化は社会的に豊かになる。
 文化活動は、その活動に限らず世界の中で生起する問題との日常的関わりを 探り、実践することによって新しい文化を創造する。文化は人間の活動すべて に関わるものである。文化は人間の活動の方向性を示すものである。

【主体形成と節操】
 人間は労働によって自然環境に対する変革実践によって人間へと進化し、人 類史を発展させてきた。人間は変革実践主体である。主体性によって生活は自 立する。
 歪められた環境にあっても、歪みを歪みとして理解し、迎合することなく、 正しく生きることが節操である。その正しさの基準は世界史であり、人類史で ある。正しさの基準を見通せること、守れること、貫けること、その資質を育 てることで節操が鍛えられる。
 しつけは服従の訓練ではない。

【教えること 親離れ】
 親子は互いに相手の人生に責任を持つことも、とって代わることもできない。 すべてを前もって教えることもできない。生き方の計画を押しつけることはで きない。
 教える事は「今何をすべきか」を、より全体的に判断できるようにすること である。方法、手段、資料を与え、それらを利用する、それらを獲得する能力 を訓練するである。判断が空間的・時間的により全体的になることで自立が準 備される。
 自立することは子どもにとって不可欠な第一の目標である。自立の形はそれ ぞれの条件によって異なる。健常者と障害者では社会的援助の形は異なる。保 護、管理のもとに暮らさせるのではなく、それぞれに可能な社会的貢献により、 それぞれの生活が保障される社会が必要である。その社会で自立し、自分を生 かした生活ができることが個人的にも、社会的にも目標である。

【教わること 子離れ】
 結婚の選択が一時期に自分の人間性を確かめるのに対して、子育ては日常的 に、永続的に自分の人間性が試される。
 結果がでなければ善し悪しも定まらない判断を、即座に下さなくてはならな いことがある。しゃべれぬ子供が、夜中に痛みで泣きだしたとき、医者をたた き起こしてでも、処置させるべきか、可能な処置をして、様子を見るべきか。 人の一生を左右しかねない決定を自分だけの判断でしなくてはならない。
 親子のつながりは互いの成長の中で強まる。しかし、子どもの自立は独立し たそれぞれの生活の始まりである。子どもの自立と親の自立ができれば子離れ はできる。
 親が人格的に自立できない場合、親離れよりも子離れが問題になる。子ども だけではない、仕事、配偶者等、他者に従属する価値観は、子離れを困難にす る。
 子供を独立した人格として認められるように、自らの人格を見つめ直すこと が子離れである。

【人格形成】
 子育ては人間としての全生活、全人格の点検の機会である。
 子育てによって人間の基本的な能力、感情、意志、知性の具体的発現を学ぶ ことができる。
 怒りは相手のせいよりも、自分の都合による。自分の気分の機制を考慮する ことなく身近な、それも弱者である子どもに感情を爆発させることは親の身勝 手である。子供の責任ではない。
注94
 子どもを全人格的に訓練することは、親も人間に取って必要な訓練を見直し、 指導の立場からも取り組まなくてはならない。子を育てることによって、親が 育てられる。教えることにより、育てることによって内容が意識され、理解を 深める。親になることによって、自らの人格形成の条件を具体的にし、大きく することができる。

 

第3節 教育・学習

【教育の意義】
 教育の意義は社会的物質代謝の担い手の育成と、文化の継承である。
 発展した社会の物質代謝を維持するためには、社会の構成員の教育が不可欠 である。生産を維持するためにも、社会規範を維持するためにも、社会をより 発展させるためにも教育は不可欠である。教育は学習者自身だけのためのもの ではない。社会的役割を担う構成員の育成が本質的目的である。だからこそ社 会が費用等を負担するのである。
 本来、生活手段を手にするために、社会的地位を獲得するために、選別のた めに、社会的義務を猶予するために、教育があるのではない。
 子供の育成だけが教育ではない。生涯を通じて社会的歴史を引き継ぐために、 最新の成果を学ぶ。またそれぞれの立場での経験を、社会的に反映する問題意 識をもつために学ぶ。労働技術を更新するため、再就職の為だけに生涯学習が あるのではない。知的好奇心を満たすためだけに生涯学習があるのではない。
 文化の継承は社会の構成員一人一人が継承することと、専門家が継承するこ との統一としてある。文化は社会の構成員すべての生活の向上、充実を目指す ものである。社会の文化活動はすべての構成員の生活から集約され、発展の方 向が定まる。
 しかし、すべての構成員が文化のすべてにわたって継承することは不可能で ある。それぞれに分野がある。またそれぞれの分野を継承し、発展させるため には専門化も必要である。専門家の育成も教育である。専門家は社会の構成員 の中から教育される。社会の構成員一人一人の中から専門家が教育されるので ある。才能を発掘などしなくても見分けられるほどに、一人一人の資質を発現 できるような教育が普及しなくてはならない。広い人材の中から、すれた業績 を残せる専門家が育つのである。

【教育・学習の課題】
 教育・学習の課題は、文化の媒体の操作能力の訓練、知識・技能の修得、問 題の発見・解決能力の獲得である。
 文化の媒体である言葉を聞き、話し、読み、書く能力が基本である。より抽 象的記号である数の関係を取り扱う計算も必要な能力である。さらにそれらを 現実に媒介している文書、図書、通信等の媒体、道具、機器、設備、施設、そ して制度についても、その利用技術の訓練が必要である。
 知識技能の修得は文化全般にわたる基本的な知識の獲得と、それぞれの地位 に必要な専門的な訓練を必要とする。対象に働きかけるための対象の知識、方 法、過程の制御技術の修得である。
 さらに人間性の本質である主体性を確立する為も、教育・学習がある。主体 性は未来への働きかけである。

【未来への実践】
 未知への対応能力を育てることが教育である。程度の差はあれ、未知への対 応能力が人間の本質的な能力である。知識は未知の事柄を明らかにする手だて である。知識は記憶することに価値があるのではない。
 実践は未知への挑戦でもある。世界全体に繰り返しはない。現実にかかわり 合う対象に限っても、要素の組み合わせ、環境、主体的条件等の違い、変化と して新しい問題を多少なりとも含んでいる。
 知識によって対象の既知の部分と未知の部分を空間的に、時間的に、構造的 に明らかにする。物事の進行にともなう未知の要素の出現と、さらにその可能 性を予期する。未知の状態、領域に進む前に、既得の知識、道具、そして人材 の準備を整える。

【未知への対応】
 実践で基本的に必要なことは、定められたことを実現することである。手引 き書どおりに行動するだけでなく、法則を利用して目的を実現することである。 既得の知識、経験により計画し、実施することが実践の基本である。この基本 ができて未知の事柄、変化を発見できる。未知への対応ができる。

 未知への対応の第二は、アルゴリズムによる対応である。量的変化に対して は、過程の形式さえ適用すれば内容の変化に対応できる。過程の途中の処理内 容がわからなくても、忘れてしまっても形式さえ崩さなければ問題を解決でき る。
 アルゴリズムを作るには、関係するすべての要素・要件を把握し、その値の 変化の範囲を明らかにし、その関連を定式化する。手引き書を作成できるほど に対象を理解することが前段であり、あとは既知のアルゴリズムを組み合わせ る。すべてを一から創造する必要はない。

 未知への対応の第三は、ヒューリスティックによる対応である。質的違いに 対しては、どのアルゴリズムを利用するかの選択が問題になる。またアルゴリ ズム自体をどのように組み上げるのかが問題になる。論理などの抽象的形式に ついて、既知の知識・経験との共通性を発見することである。すべての事柄は 関連して一つの世界としてある。未知の事柄も既知の関連の延長上にある。

 未知への対応の最後は決断である。問題解決には期限がある。期限に間に合 わなければ、結果は何もしなかったに等しい。期限内に可能性を汲み尽くし、 当面の結論を出さなくて放たない。決断には可能性を汲み尽くしたと納得でき ることが必要である。可能性を汲み尽くさない決断は、無謀である。
 教育・学習はこれら能力を安全で、効率的に身につけることである。

 

第4節 労働

【人間生活の基礎】
 人間、及び人間社会の物質代謝を実現しているのが労働であり、ヒトを人間 として進化させ、成長させるのも労働である。
 社会的に価格づけされる価値の生産だけが労働ではない。家事労働も必要不 可欠な労働である。社会的物質代謝は生産関係の範囲にとどまらない。生活廃 棄物、量によっては人間の生理的排拙物までも、社会的に処理をして自然環境 に調和させなくては物質代謝は維持できない。
 労働は社会的物質代謝そのものが目的ではない。社会的物質代謝を維持する ことは絶対不可欠な労働ではあるが、人間生活の実現を目的として、社会的物 質代謝が維持されなくてはならない。人間生活の実現が労働本来の目的であり、 意義である。労働は生活のための代価ではない。余暇は労働の目的ではなく、 労働維持を目的としている。

【就業】
 すべての労働の能力と意志のある人間に、労働は保障されるべきである。
 労働は物質代謝を維持するための義務であると共に、自己実現の権利である。 自営業、被雇用者等の就業形態の違いを問わず、労働は社会的物質代謝を実現 する運動であり、そこに自らの社会的存在を実現する行為である。作業過程の 細分化により、それぞれの担当する位置、全体の動きは見えにくくはなるが、 私的活動と、社会的運動が労働においては統一される。
 社会によって扶養され、生かされるのでは自らの方向性は定まらない。社会 の運動との関わりがあって、自らの方向性が定まる。社会の運動と個人の活動 は、対等な統一される運動である。
 個人的なハンディキャップ、地域的なハンディキャップ、国際的なハンディ キャップにかかわらず、それぞれに就業の機会は開かれるべきであり、そのこ とによって人類社会が全体として健全に運動し、発展する。

【人間労働】
 仕事は未知への対応である。未知は既知の変化として現れる。繰り返される 仕事の変化の要因は様々であり、通常の過程では現れていなかった要因が、条 件の変化で顕在化することもある。既知の事柄を整理し、関係する要素を把握 しておくことも仕事である。変化の可能性を予測しておくことも仕事である。 変化への対応を準備しておくことも仕事である。
 仕事自体の変化もある。新しい技術、新しい要求によって仕事の方向性、基 準が変わる。こうした変化は直接仕事の中には現れない。科学技術の動向、社 会経済問題として提起され、それが社会的に普遍化されてそれぞれの仕事に影 響する。仕事の環境の変化への対応も仕事である。
 人間の組織にあって、権限にふさわしくない地位に就く者はこうした変化に 対応できない。変化に対して、地位と権限に固執し、それぞれに求められてい る対応をサボタージュしたり、対応を妨害したりする。そうした人間を変え、 あるいは代えるのも仕事である。
 個々の行程は繰り返しであっても、その組み合わせ、環境条件、主体的条件 の変化がある。事前に定式化できない変化に対応するのが人間の労働である。 どの仕事も、変化に対応することを人間の労働に求めている。

 人間は誤りを犯す。仕事の上での誤りも自分で正し、取り戻さなくてはなら ない。注意しても、また注意しきれない誤りは生じる。自分の誤りは自分で正 すのが仕事の責任である。関連する他人の誤りに対して応援するのも仕事であ る。共同による仕事は、効率だけのためにあるのではない。個々の誤りを全体 として正していく、組織的運動としてある。
 人間の労働は連帯した運動である。

 

第5節 相互扶助

【社会の共同】
 社会は競争の場でもあるが、基本となるのは相互扶助である。
 ヒトは共同し分担することで物質代謝を社会化し、自らを人間として形成し てきた。性の違い、年齢の違い、能力の違いによって分担し、共同して生活す ることが基本である。相互扶助の基本の上で競争は成り立つ。
 競争は支配、被支配としての本質的社会悪をもたらしはした。それは相互扶 助の基本までも否定し、競争が基本にまで至ったからである。

【競争と共同】
 競争は全面否定すべき事ではない。
 競争は社会発展を方向づけ、人の共同を活性化する積極的意義がある。ライ バル関係は緊張を生む。栄誉は努力への社会的評価である。
 競争の否定すべきは、社会的格差を結果し、ひき続く競争を不平等にするこ とである。以前の競争の結果がひき続く競争の手段となるなら、競争は競争で なくなる。支配・被支配の社会では、競争は競争でなく、支配収奪の手段にな る。そこでの相互扶助は被支配者の間の救済か、支配収奪を隠ぺいするための 策になる。
 競争のための競争社会では、弱者の社会的自立はありえない。競争に参加し える一定の強者が社会的自立の基準になる。競争に参加できないものは見捨て られる。
注95
 相互扶助を基礎に、ハンディキャップを負うものであっても自立できること が社会的基準にならなくてはならない。
注96

 

第6節 政治

【政治の日常性】
 政治は国政、地方自治の問題だけではない。政治参加は選挙での投票、請願 署名だけではない。政治は日常的問題である。権力は人間関係における強制力 であり、国家権力だけではない。政治権力は社会制度としての、人間関係に対 する強制力である。社会を物質代謝としてだけではなく、社会制度を動かす政 治の運動として捉える必要がある。
 家庭内、友人間、男女間、サークル等権力の行使を目的としない集団、組織 にも権力関係はある。しかしそれは政治権力ではない。そこにも、社会制度、 政治権力の影響、介入はありえるが、基本的には政治権力とは区別される。

【政治支配】
 職場、生産管理機構=職制、労働組合等にあっては、政治権力の問題は現実 的である。政治権力の根幹は生産関係の支配であり、職場、職制機構、労働組 合はまさに生産関係の日常的な場である。
 政権党の政治支配だけが政治ではない。政治が権力の問題であるのだから、 政治権力とその他の権力とは分かちがたいものである。労働組合内であっても 政党支持の押しつけ、政党選挙への動員、政党への強制的カンパが公然と行わ れている。

【政治参加】
 現実の社会は民主主義実現の場である。他人を動かす力として権力が行使さ れる社会では、民主主義の実現が政治課題である。民主主義は多数決制度だけ ではない。声の大きい人の意見がとおってしまう。与えられた権限を行使しな いで社会的地位を占め続ける者。与えられた権限以上の、あるいは与えられた 権限の範囲を超えて行使する者。こうした者によって民主主義は破壊される。
 発言の場は利用されなくてはならない。他と異なる意見、見解があったら、 全体の結論に関わらず明らかにすることが構成員の義務である。多様な視点か らの検討が議論を有効にし、現実的な決定を保証し、実行後の総括を実践的な ものにする。

【情報の政治的力】
 政治は情報の制御でもある。情報を独占し、禁止し、歪め、漏らし、盗むこ とによって政治的力になる。組織的、地域的、分野的情報の偏りが利権をとも ない、政治的力になる。経済利権は仕事の配分の決定権としてだけでなく、公 共事業の計画に関与し、情報を得ることによっても政治的力として利用される。
注97
 民主主義の実現には、情報の発生源同士の情報交換が必要である。情報パニ ックは、情報不足の状態に突然に部分的情報が流れることによって起こる。情 報が公開されることによってパニックが起こるのではない。

【政治の共通課題】
 平和、独立は個人の力だけではどうすることもできない。しかし戦争し、干 渉する権力を持つ者も、決して別世界の存在でも、独立した存在でもない。戦 争は社会的物質代謝の直接的破壊である。干渉は社会的物質代謝を外圧によっ て歪めるものである。社会的物質代謝を破壊し、歪めることは長期的には破綻 する。
 社会的物質代謝=経済の健全な発展と、日常的民主主義の運動が平和と独立 を守る。

【政治運動と制度】
 民主主義は日常的な運動によって実現される。日常的社会関係の中で民主主 義は試される。国家の民主化闘争も、身近な民主主義運動の積み重ねによって 実現される。
 制度つくりは運動の一つの目標であり、運動の橋頭堡になるが本体は運動で ある。制度ができても活用されないなら力にはならない。制度ができても、制 度に寄りかかっては運動は衰退する。


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