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概観 全体の構成

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第三編 人間社会

【社会の基本関係】
 生物は地球生物全体として物質代謝の連鎖を発展させてきた。タンパク質の 合成、窒素の固定からから始まる食物連鎖としてだけでなく、大気中の遊離酸 素、地表土壌の生成等として、地球環境の物質代謝過程を作り出した。人間も 地上の生物である限り、この物質代謝の連鎖から離れることはできない。

 単に物質の代謝過程を追えば、連鎖は循環し、結局物理法則にしたがって、 エントロピーを増大させるだけになる。エントロピーの増大は宇宙の運動その ものの過程、存在形態である。宇宙全体のエントロピーの増大過程にあって、 生物はエントロピーの落差の大きさを利用して、エントロピーを相対的に減少 させる運動過程を作り出した。エントロピーを減少させ、利用可能なエネルギ ーとして蓄積しなくては生物は存在・運動できない。生物は常にエントロピー を減少させる運動を継続していないと存在できない。エントロピーを減少させ る運動によって生存することができる。この即自的運動によって生物は存在す る。
 生物は生物としての存在だけではなく、個体として生長し、生殖し、さらに は動物として行動する。この個体としての運動も、生物としての存在・運動で ある。即自的運動に対する向自的運動によって、個体のあり方を制御する。
 さらに環境の変化に対応する運動によって、生物は進化してきた。環境の変 化に対して、自らを変革し、環境を変革して生物は進化してきた。存在を発展 させる運動として、生物は進化してきた。
 運動は即自的な存在を継続させるための運動、向自的な運動を制御するため の運動を統一した運動である。さらに、この総体的運動と運動自体を発展させ る発展的運動としてある。
 人間も、人間社会もこの生物の即自的、向自的、発展的運動を超越すること はできない。

【人間社会の基本関係】
 人間が生物として生き続けてきた歴史は、人間社会内部に、やはり物質代謝 の構造をつくりだしてきた。
 人間および人間社会は自然・生物環境から人間および社会の存在・運動に必 要な物を取り込み続けることによって存続している。自然の存在物を社会的物 質に転換する量と技術とを発展させてきた。社会的運動の力もこの物質代謝に よっている。
 これまで、より多くの人間を支配することで、支配者としての最高の力を利 用できた。しかし他方で、人間社会は相互扶助を社会化し、共同の社会関係も つくってきた。人間の共同関係を基礎にした価値体系を作り上げてきた。
 人間のこれからは、生物的物質代謝の延長であり続けるのか、ヒトが人間関 係による独自の価値体系によって、生物的物質代謝を止揚できるかにある。
 人類の前史を終らせ、真の人間の歴史を開始できるかどうかの画期を今、さ まよっている。いかにも、暗くなりつつある前途ではあるが。

【人間社会の把握・表現】
 人間社会は運動体であり、組織的な構造がある。
 人間社会は人間個人それぞれの社会的物質代謝過程への関連と、歴史的過程 の統一した運動としてある。社会的物質代謝を基礎にする社会的運動体の構造 と、歴史的過程の統一として人間社会はある。人間個人は社会関係にどのよう に入り込むかは自由である。しかし、社会関係から離れては生きていくことす ら、生まれることすらできない。
 こうした人間社会を把握し、把握のために表現することが様々な形で行われ てきた。基本的には2つの方法によって表現される。個々の事象による表現と、 統計量による表現である。
 個々の事象を例示することによって、対象となる社会の運動を表徴する。何 があった時代か、何があった事件か。時代・事件それぞれに多様な事象が含ま れている。時代・事件の特徴は何か、その特徴を象徴的に示す事象は何かが評 価されなくてはならない。時代・事件を評価し、その特徴の象徴的事象によっ て表現する。歴史年表を記憶しても社会史を理解したことにはならない。
 社会の運動の経過を特定の指標の変化として表現する。量的に現れる運動結 果を継続的に記録し、統計処理する。あるいは、運動状態として現れる量を記 録し、統計処理をする。
 事象による社会の表現も、統計による社会の表現も、ともに対象の評価を前 提にしており、個人的体験や、印象だけで結論づけるものではない。社会を把 握し、表現するにもその前提となる評価は科学でなくてはならない。

【社会現象の再現性】
 社会科学の場合に問題となるほとんどの現象に再現性がない。
 社会科学に限らず一般的に言って、再現性のある現象は部分的な現象、ある いは現象の特定の一面を捨象し、抽象的に関係を取り出した場合である。物理 的対象であっても現象過程の現実の条件を捨象しなくては再現性はない。世界 自体が不可逆過程にあるのだから、個々の具体的事象に再現性はない。再現性 のないことを理由に科学ではないと言うことはできない。
 再現性は限られた条件において現れる。社会現象の場合は条件が複雑で、構 造的であり、対象それぞれの他との関連が相互規定的であることによって、対 象そのものがそれぞれに特殊性を持っている。一般に「歴史は繰り返す」と言 われることも、再現性としてまったく根拠のないことではない。それぞれの対 象の特殊性から捨象することによって再現性が現れる。ただし、対象の本質的 運動としての再現性であるとは限らない。

【社会現象の複雑性】
 社会現象は個人と組織の相互関係としても充分に複雑である。個人は一人と して同じ人はいないし、時間と共にその人自体も変わる。個人間の相互関係の 組合せは現実的に無限である。組織間の関係も同様である。個人と組織の関係 はより以上に複雑である。
 社会現象は人間関係だけではない。人間関係自体が物質的関係、生物的関係 の上に成り立っている。
 これだけ複雑な社会現象は、対象を抽象化して、現象の解明に充分な程度の 類型化が必要になる。社会科学の科学性を保証するためには、抽象化、類型化 の基データと、データ化作業自体の批判的検討が可能でなければならない。

【社会現象の全体性、継続性】
 社会現象を観測する場合、対象のすべてを観測対象にし、継続する時間のす べてを観測することはできない。社会現象は物理的、生物的、社会的様々な要 素が、様々に作用して多様な現象となって現れる。対象の数量化できる有意味 な事象を選択し、時間を限って観測することになる。得られる数値はサンプル の数でしかない。
 あるいは現象が完結した後、その結果としての事象を数値化することしかで きない。
 社会現象は対象の全体のすべてを継続して観測することはできない。

【社会現象と観測の客観性】
 社会科学者自体が社会的存在であり、その研究成果の発表自体が対象に対し て影響力を持つ。基礎論から現象論まですべてにおいて「客観」的な科学とし ては、社会科学はありえない。
 データの採取者、提供者、連絡者の利害が絡み、データ自体の客観性の問題、 データの秘匿、歪曲の可能性もある。
 客観性の限界を前提とした上で、統計数値が重要になる。一つの社会現象は 様々な要素の複合体としてある。その対象を一つの社会的事象として特定し、 影響を評価するために、現象した変化の量を測り、記録し、公表することが、 社会科学が科学であるために不可欠である。
 個々の社会科学研究者が、研究過程で獲得してきた研究対象の個別的データ によって理論を組み立てても、研究者間ですら討論もかみ合わない。区別され る事象と、統計データを社会的に定義・評価しなくてはならない。
 社会科学の制度として、組織的に生データ、統計数値の収集、蓄積、交換、 公開、検索、批判のための手段・方法が整備されなくてはならない。

【数値処理】
 現象を数値解析し、その手法が統計学によっているから科学的なのではない。
注74
 あるいは現象を数値化すること、数値処理が可能なことが科学なのでもない。 数値化するだけでは科学にはならない。対象となる現象の何を数量として、対 象のどの質をどのような単位によって数え、計るのかが数値自体の科学性の基 準になる。数の対象とする質をとらえることが前提になければならない。
 数学の論文ですら数式だけではない。定数、変数の定義、適用される条件を ことばで説明している。
 数えることの技術的困難さの問題もある。数えることの困難は、逐次数を数 えることから始まる。実際に数を唱えてみれば、量的限界はすぐにわかる。現 実の現象を表す数は、数えることのできる量をはるかに超えている。統計デー タは多数の調査員を必要としている。調査員の質はそれぞれに異なる。
 多くの現象はその要素を数値化しても、数えることが論理的には可能であっ ても、計算可能であるとは限らない。答えを出すのに必要な能力の計算機と、 必要な計算時間が十分にあるわけではない。
注75
 要素の数の多さ、複雑性だけが問題ではない。区画内で生じる微小な現象が 全体の結果を大きく変えることもある。区画、時間単位がそれら事象を捉ええ るだけ細かくなければならない。
 単純な関数関係にあっても、初期条件のわずかな差が結果の大きな違い、質 的な違いになる場合がある。初期条件の変化量と、結果の変化量は単純な比例 関係にあるとは限らない。
 現象は重ね合わせることによって結果の出る線形的な事象に限らない。数値 計算が必要なのは非線形な事象である。

【社会科学における統計】
 現実の因果関係が不明であるのに統計処理をしても科学にはなりえない。因 果関係を探る手段として統計が利用されるが、因果関係の関連を明らかにはし ない。
 現実過程の不可逆過程、非再現性の現象は統計によっては確率しかえられな い。管理された一定の調査条件のもとで、社会現象を統計処理することも科学 的な意味がある。確率論は条件が一定のもとでの確率であり、条件が変化する 時、特に変動期にあっては無意味である。逆に一定の連続的変化の中では有効 である。しかしそれは、一定の条件、限界のもとでの社会の運動を補足できる だけであり、いつまで捕捉できているのかを保証しない。

 現実の社会を科学的対象とする場合、統計処理だけでは立証できない。自然 科学との決定的な違いであるが、社会科学は科学ではないと結論はできない。 逆に科学の定義と有効性の問題であって、個々の分野の科学性の問題ではない。 科学は現実の運動を方法と、論理と、予測として反映させる認識であるのだか ら。
 統計予測、モデル予測、なんであれ現実の過程から現実社会の変化、運動を 学び続けるしかない。出来事と出来事、過程と過程の関係をたどるだけではな く、現象する関係から論理を見つけ出し、現象過程を論理的に組み立てること が、社会科学の役割である。論理そのものの発見が社会科学の成果である。発 展する社会運動に対する継続的な成果の積み重ねと、論理の精緻化、範囲の拡 大がめざされるべきである。現象の説明は統計学の応用演習でしかない。

 歴史の解釈、現実の事象の解釈。これをいくら事細かく、全世界的に、地域 的に精密に解釈しても世界観にはならない。
 世界観として社会科学から学ぶことは、宣言ではなく、解釈ではなく、現実 の過程の運動の把握である。歴史的方向性と現在の構造の把握である。そして 現実を歪める事なく、眼をそむけ、現実を直視しない非科学的姿勢に陥らない ことが何よりも大切である。

 社会科学も含め「科学」は社会の一構成部分として「世界観」の中に位置づ けられる。

 第三編 人間社会では、人間社会一般として社会の基本的あり方を取り上げ る。


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