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概観 全体の構成

   目次


第7章 精神活動

 人間の精神活動は労働と社会性によって、労働と社会と結びついて発展した。
 人間の精神活動の特徴は現実の物質の運動から独立した運動をすることであ る。物質の運動の現実から独立はしても、その物質の運動との関係は維持しつ づけられている。精神活動の現実性は、精神活動自体の根幹に関わるものであ る。認識、知識、意志、感情、人間の精神活動の基本となる要素は、どれをと っても現実との結びつきにおける問題である。現実と結びつかない精神活動は 末葉の、個人的な事柄である。
 人間の精神活動の特徴は社会的存在であることである。人間の精神活動は、 個々の個人の活動によって、その存在の物質的基礎を与えられている。しかし、 人間の精神活動は人間の相互作用、社会関係としてある。人間の精神活動は社 会の運動の一つの機能である。個々の人間の精神活動は社会関係と、その中で の個人の位置によって方向づけられる。
 社会を「有機体」とする、その「有機体」の中枢としての精神活動ではない。
 人間の精神活動の媒体は神経組織だけではない。ことば、及びことば等によ って表徴される概念が人間の精神活動において特に重要な役割を持つ。社会施 設、制度も人間の精神活動を媒介する。研究教育施設・制度、交通、通信施設 ・制度、これらなくして今日の人間の精神活動は存続し得ない。

 

第1節 精神の階層性

【精神活動の階層】
 物質に媒介されてはいても、精神活動は独立した運動法則をもつ。その独立 の程度は物理的運動に対する生物的運動の独立の程度とはまったく異なる違い である。
 精神活動を媒介する物は神経細胞のネットワークと、神経を含む身体の生理 的運動である。とくに精神活動に作用する生理的運動機能は感覚、自律神経系、 ホルモン系である。
 物理的運動階層に対して生物的運動階層の運動形態は独自の運動法則を実現 しているが、精神的運動階層の運動形態の生物的運動階層に対する独自性はそ れ以上に強い。生物的運動は物理的運動に媒介され、物理的運動に集束する。 生物は死ねば物理的存在に還元される。生物の行動は物理的存在に対する働き かけである。これに対し、精神活動はこれらの運動に方向性を見い出し、方向 性にしたがってこれらの運動を組織する。その結果、物理的運動法則に対する 精神的運動の自由度は、生物的運動の自由度を飛躍的に拡張している。精神的 運動も物理法則を無視することはできないが、方向性が示す目標に向かって物 理的運動を組織することができる。

【精神活動の階層性】
 精神的運動の物質的基礎は感覚細胞、神経回路網、ホルモン器官を中心とし た身体機能の統合としての生物的運動である。生物的運動としての精神活動は 体内外の環境を反映し、体内の運動を制御し、体外との相互関係を調節する。
 精神活動を生理的運動と区別する特質は外部環境の反映と、外部環境との相 互作用の統制である。
 人間の精神活動の反映は一方的な投影としての反映ではない。生活実践の中 での反映であり、生活の中で方向、方法を見つけ、実践し、検証する過程であ る。

【精神活動の物質的基礎】
 精神活動は物質に媒介されている。
 精神活動は物質の運動に対立するものではない。物質の運動は精神活動の基 礎である。精神活動がなくとも物質の運動は存在している。しかし物質の運動 なくして精神活動はありえない。
 精神活動は神経系の生理的活動を物質的基礎にしている。精神活動は主に物 質の運動を対象としている。精神活動を対象とした精神活動であっても、互い に直接結びつくのではなく、物質の運動によって媒介される。
注60   注61

【精神の生理的基礎】
 精神活動を媒介する物質的運動は生理的には神経系、特に中枢神経としての 脳、その神経細胞によって担われている。しかし、単独の神経細胞があれば精 神活動が成立するわけではない。精神活動を媒介する物質として、生きた多数 の神経細胞の相互接続の網目構造としての脳がまずなくてはならない。
 脳自体が物理的、生化学的、生理的、機能的階層構造物として活動する。脳 の運動が精神活動の物質的、生理的基礎である。しかも、脳の活動を維持する 物質代謝系としての身体がある。逆に脳は脳自体も含む身体の物質代謝系を制 御をする。
 物質的、生理的基礎としての脳だけで精神活動は成り立たない。脳へ情報を 入出力する神経系、感覚器官、運動器官が働かなくてはならない。
 身体の状態としての体内環境の変化は、直接精神活動に影響する。酸素、ア ドレナリン、エンドルフィン、アルコールの分解生成物など精神活動へ決定的 に影響する生理物質は多数ある。

【精神活動の広がり】
 精神活動は、人一人が何かを知る過程に限定できない。
 知ることだけではなく、それ以上に知ろうとすることも重要な精神活動であ る。注意力、集中力として現れる意志、それらに伴う感情も精神活動である。
 さらに、精神活動は一人一人を超えて相互作用する運動であり、その運動の 存在そのものが社会的である。

 

第2節 反映

 反映はひとつの継起的運動過程が、媒体によって他の運動に作用して像をつ くる運動である。この像は映像に限らない。光、音、臭い、味、接触等によっ て得られる情報像である。
 物理的過程として反映は一方向的な運動形式である。しかし、反映自体が運 動形態として発展するには再帰的運動形式でなくてはならない。一方向的運動 形式による結果を像としてつくるだけではなく、像を信号として元の反映対象 に作用する運動によって捕捉されなくてはならない。反映は再帰的過程=フィ ードバック系によって、物質の新しい質の運動形態、階層を創造する。

 

第1項 反映一般

【精神活動の基礎】
 精神活動の機能の基礎は反映である。生命活動を維持する身体の統制機構と しての中枢神経系の機能が、独自の発展により精神活動としての運動形態を作 り出した。精神活動の基礎は感覚からの信号により、身体活動を統制して生命 活動を維持することである。
 中枢神経系を備えた動物は対象を認識し、対象に働きかけるが反映機能は生 理的過程に属し、独自の運動形態としての精神活動にまでは発展していないも のがほとんどである。精神活動は知的生物での運動形態であり、人間において 著しく発達した。
 精神活動は対象と主体の関係にあって、主体の内に主客の関係における対象 の特徴を再構成し、対象間、あるいは対象と主体間の運動まで主観の内に再現 する。さらに主客の関係として再構成された理解に基づき、対象に対して働き かける。
 精神活動は対象を反映する過程であると同時に、対象に対する働きかけとし ての実践を統制する運動である。反映は実践により捕捉されなくてはならない。

【個別的反映】
 人間の精神活動としての反映は一人一人の生理的過程として実現されている。 一人一人の感覚、中枢神経系の運動として現実の運動である。
 感覚器官をとおして外部環境と体内環境を反映する。環境の変化を感覚器官 が信号化し、中枢神経での統合化をを経て反映像をえる。統合された反映像は 中枢神経の脳に蓄積・記憶され、他の反映像と関連づけられる。反映像は視覚 映像には限られない。感覚器官をとおしてえられる様々な質を反映した信号の 統合された像である。
 反映は感覚器官からの直接的な信号だけによるものではない。感覚器官から えられる多様な像の関連から、像間の異同の区別による統合された像がえられ る。感覚器官による直接像を超えた、メタ像がえられる。直接像の異同の区別 は、多様な区別の基準によってそれぞれに統合される。
 反映される対象は相互の関連として、統合として縦横に分類される

【反映の能動性】
 反映は鏡に写すこと、写真に撮ることとは違う。
 絵として写生することに似ている。一度に全てを反映するのではない、時間 的、空間的過程であり、より以上に重要なことは実践的であることである。
 えられる情報を選別するだけではなく、えられるであろう情報を選別して取 り込む、積極性がある。えられるであろうとは、対象についての過去に反映さ れたものと、現在の対象とを引き比べるだけではなく、現象の論理の穴を見つ け出す能力のあることを既に備えている。
 その様な少なくとも観察を通して、対象を反映させるのである。
注62

【社会的反映】
 反映は個々の人間の運動として、個々の人間によって担われているが、個人 によってすべてが実現するものではない。人間の反映はことば、知識が基本的 に関係しており、それらは社会によって与えられる。他人が関係しない反映で あっても、ことば、知識によって人間関係、社会関係が基本にある。言うなら ば、個人単独の反映であっても、過去の他人が関与している。
 個人によって反映され、ことば等によって定着、物質化された対象の情報は 蓄積され、交換され、社会的に組織され、制度化される社会的情報活動が実現 される。反映結果は社会的に蓄積され、利用される。
 反映結果だけではなく反映過程が社会的に組織され、個人に、組織に分担さ れ、専門化される。分割され、専門化された社会的反映過程は、量的にも質的 にも社会に普及される過程で捕捉される。

 

第2項 反映過程

【主体的認識】
 反映は単独で存在する過程ではない。生物における反映の機能自体が、生物 環境と生物主体の相互作用によって、認識能力として進化してきた。対象を反 映し、対象に働きかける相互作用、再帰的過程によって認識能力を進化させて きた。実践と対になった反映過程が認識としてなりたつ。
            

【視認の例】
 そもそも、見ると言うことはどういうことか。どの段階にまで至ったとき、 見たと言うのか。
 生物学的、心理学的に認識の階層分けが、説明が十分であるかはともかく、 具体的に認識過程をたどってみる。
 (1) 光は対象から発し、あるいは反射する。
 (2) 光は光の運動法則にしたがい、瞳に到達する。
 (3) 光は水晶体で屈折し、網膜に像を結ぶ。
 (4) 光は視細胞を刺激する。
 ここまでの過程は物理、化学的な光の運動である。
 (5) 視細胞は興奮し、神経細胞に刺激を伝える。
 この間、光の量、色、対象の形に応じて、各細胞間で生理的調整が行われ、 物理的過程を補正する。
 (6) 神経刺激は脊髄で反射作用をし、運動神経に伝わる。
 (7) 反射は眼に戻り、眼筋、まぶた、瞳、水晶体を調整する。
 (8) (6)から別に大脳へ伝わる。
 (9) 大脳で初めて光の刺激が、対象の情報に変換される。形、色、さらに眼 球運動の情報と統合され対象の距離、方向等の情報になる。
 ここまでの過程が生物的運動である。ここまでの生物進化過程の歴史の中で、 見える光の範囲、眼の構造等それぞれに生物は進化してきた。
 (10) 眼以外の感覚からの情報と結合され、これまでの経験、知識、ことば と関係づけられ、対象が何であるか判断される。
 ここで認識は、文化的影響を強く受ける。先入観等の誤りが入り込む可能性 がある。ここからの過程が文化的過程である。
 (11) 対象の意味づけが行われる。
 生活情報として、科学情報として、芸術情報として等意味づけられる。どの ように意味づけられるかによって、対象との関係が違ってくる。意味づけは主 体の条件によっても違ってくる。
 (12) 不明部分の確認の為に見方を変え、あるいは対象に働きかける。
 (13) 道具を用いてこれまでの過程を検証する。
 (14) 対象の運動のうち、光との相互作用ではなかった現象を、光との相互 作用に変換して見る。電波、X線を光学的表現に変換する等。
 これらのすべての過程として、眼を用いて対象を認識することがある。

 これらの過程はそれぞれの段階から、その前の段階へ立ち帰り、再度繰り返 されより確かな認識をえる。フィードバックである。これら物理、化学、生物、 人間、文化の積み重なった構造として、人間の「見る」という感覚がある。こ れらすべてのシステムがあって、すべてが連なる可能性を持つ部分として、見 ると言う認識が行われる。

【物自体の認識構造】
 物を見ると言うとき「物から発する光、物の反射する光を見るのであって、 物自体を見ているのではない」これはへ理屈である。「見る」とは光を見るの であって、物自体は見るのではなく理解するのである。
 物があり、光があり、自分がおり、これらの間に一般的法則関係があること を前提に、三者の関係を理解するのが物を見ることである。全体の関係の中で 可能になることである。それを通常物を見ると言っているのである。

 

第3項 反映媒体

 外部環境の情報は光、音、化学物質(臭い、味)、接触(触覚、温度、湿度 等)等としてえている。これらは人間と対象との情報システムとして見た場合 の情報媒体である。しかし、これらの情報媒体はたまたま人間の対象となるこ とによって情報を媒介するのであって、一般の物理的、生物的運動過程として ある。
 精神活動の反映媒体は情報媒体の情報をより抽象化した運動階層である。

【反映媒体】
 光は人間にとって主要な情報媒体である。光は対象から発し、あるいは対象 に反射して受光細胞を刺激するだけである。目で受けた光の刺激が相互に比較 され、輪郭線、面、形、色、質感、位置等として対象を反映する。光そのもの の刺激ではなく、処理され抽象化された情報として対象が反映され、記憶され、 比較される。反映の媒体は抽象的な反映像=イメージである。
注63

【反映媒体の階層性】
 反映媒体は情報媒体によってえられた情報を抽象化した反映像であるが、反 映像はさらに抽象化の階層がある。
 反映像間の関連から、対称、繰り返し、変位等が抽象される。
注64
 感覚的理解は文化的基盤の上で直接的に与えられており、それぞれの社会で 特殊な形で行われ、独自の文化を作り出した。
 一般化、抽象化は生活条件、人間関係等、社会構造などの条件によって、各 々の社会で特殊な形で行われ、独自の文化を作り出した。
 感覚的理解は文化的基盤の上で直接与えられており、批判的訓練を受けた者 でないと客観的、論理的に理解することができない。異文化の理解には、成長 過程を過ごした文化を客観化しなくてはならない。
 芸術はこの抽象化されたイメージを、諸種の素材に捨象して担わせ、その構 造、組合せによってイメージの総体を表現するものである。

【反映媒体の特性】
 反映媒体は反映の過程を担うものであり、また反映の結果として残るもので ある。物理的存在、生物的存在とはことなる特性がある。
 反映媒体は抽象化されているが、抽象的であると同時に具象的存在である。 反映内容は抽象的であるが、存在形態は具体的である。
 反映媒体は表徴性、記録性、操作性を基本的特性として備えている。

【反映媒体の表徴性】
 反映媒体は反映内容を表徴する。反映対象を区別して現すことができる。具 体的存在・運動から抽象の程度の異なる対象までを相互に区別し、表徴する。

【反映媒体の記録性】
 反映媒体は対象を反映のうちに記録する。反映対象と、反映媒体の対応関係 を保存する。反映媒体として再現することで、反映対象を再現することができ る。

【反映媒体の操作性】
 反映媒体は操作可能である。反映媒体は反映対象からは別に操作が可能であ る。反映媒体間の組み合わせ、関連づけ、統合、抽象化が可能である。反映媒 体間の変換が可能である。情報媒体の物性には影響されない。
 したがって、反映媒体は通信が可能で、人間間の情報交換を担っている。

 

第4項 ことば

 反映の基本的な媒体が「ことば」である。「ことば」は情報媒体として音声 言語としても、文字言語としてもある。
 情報媒体である音声、文字は反映媒体として外言語である。ことばは内言語 として、人間の認識の重要な役割を担っている。外言語は個人間の関係を媒介 するだけではなく、人間関係自体を動かす。ことばはコミュニケーションの媒 体として対象を指示する。

【ことばの前身】
 ことばは生活状態の変化を表す音の中から、仲間の出す音を情報として理解 するところから始まる。始めのことば以前のことば=叫び等は環境の一部であ る。

 動物の音によるコミュニケーションでは、伝えるべき状況と発音とは直接し ている。動物の集団中では、ひとつの発音は同一の機能しか持たない。個体間 に分業があっても、発音に対する対応は集団として、一体のものとして行われ る。危険に対した時の叫び等は一斉の逃走を引き起こす。それは「危険だ」の 意味でも、「逃げろ」という命令を意味するものではない。

【ことばの前提】
 ことばは共同生活を前提にしている。孤立した個体、ヒトは話すことができ ない。話す能力の訓練としてだけでなく、共感し、共同の目標設定がなくては 話す機会がない。

 ことばは分音節の発生を要件にしている。音節のある発音の組み合わせとし て、多様な対象を区別することができる。声帯は音を出すだけではなく、音節 を区切ること、音色を変えることができるように進化した。ことばの発達と生 理的発声機能は相互作用して進化した。

 ことばは対象を分析する能力を前提にしている。一定の条件のもとでの、対 象の他との異同を見つけることのできる知的発達を前提にしている。対象の区 分基準は生活の必要性に応じ、社会環境によって異なる。生活上特定して確認 し合わねばならないことに対応して語彙が増え、文法が複雑化する。対象の分 析能力は、生産労働としての対象を変革する経験によって獲得された。

【ことばの獲得】
 赤ん坊の発声は生理的機能として自然に生じる。不具合があれば泣く。呼吸 し、声帯が振動すれば音が出る。動物の鳴き声と同じである。
 周囲の大人が声をかければ赤ん坊は反応する。発声内容ではなく、声の掛け 合いとして大人のまねをする。信号の交換として、すでに共同関係を確認する。 授乳をとおして依存関係を確認する。
 赤ん坊のことばの能力獲得も、人類のことばの獲得も同じ過程を経たものと 推定される。

【ことばの社会性】
 ことばは生理的にも、人間独自のコミュニケーション媒体である。ことばは 労働のための手段、共同のための手段だけにとどまらない。個人間のコミュニ ケーション自体が目的化する。ことばを交わし、話し合うことによって個人の 社会性を実現する。コミュニケーションによって、精神的充足がえられる。
 コミュニケーション媒体として、ことばは生理的に対象と分離している。人 間観のコミュニケーションでは、ことばは具体的対象と直接的関係をもたない。 ことばが媒介するのは、それぞれの感情、知識、意志である。ことば自体が意 味をもって交換される。コミュニケーションにあって、ことばは表現手段だけ でなく、意味を実現する。
 「梅干し」「レモン」といったことばを聞いただけでも唾液が出てくる。
 ことばによる表現は同時代に限らず、異時代とのコミュニケーションを媒介 する。記録された物によって、過去の人間、遠隔地の人間からの情報を受け取 れる。書くこと、録音することによって、未来の人間に情報を送ることができ る。

【外言語】
 ことばは個人間の社会的関係の中で、それぞれの個人の反映過程を結びつけ る。対象を反映する個人的過程は、対象を指示する社会的関係に重ね合わさる。 ことばの指示性は反映性とともに、ことばの本質的な機能である。
 対象をことばに対応づけること、置き換えることは、具体的、個別的対象を 指すだけではない。それまでにそのことばが指し示してきた対象、個人の経験 の内で、社会的関係の中で、歴史の中で指し示してきた対象と関連づけること が「ことばにする」ことである。
 人間のことばは、ことば自体媒介されるものである。ことばは周囲の人々と の交流に媒介されており、それらの人々の経験、自分自身のこれまでの経験に 媒介されている。さらに社会的歴史に媒介されている。個人的経験の対象によ って、社会的関係の中の対象によって、歴史的対象によって、ことば自体媒介 されている。

【内言語】
 人間の言葉と動物の鳴き声の違いは生理的遅延性に物質的基礎がある。中枢 神経、特に大脳資質は、生理的反射ではなく、受け入れた刺激を経験、知識と 統合する。運動の主体として、状況と統合処理した刺激に対する行動をとる。 受け入れた刺激と、反応である行動には遅延がある。
 人間の行動には反射的行動と、言葉に媒介された行動がある。反射的行動は 生理的行動と訓練された習慣的行動である。言葉に媒介された行動は初めての 経験をことばとして、象徴される過去の経験、社会的経験と比較し、判断を伴 う行動である。比較、判断に際し、ことばが機能する。環境を対象化し、過去 の経験、知識の標識としてのことばを発し、あるいは思い浮かべる。
 人間は行動に際し、かけ声をかけ、あるいは自分の行動を自分に説明すらす る。

【精神活動の媒体】
 人間の精神活動の物質的基礎として、ことばの役割は基本的なものである。 認識対象、思考対象をことばによって表現し、操作する。ことばはコミュニケ ーション手段としてだけでなく、思考の媒体として内言語である。

 ことばの存在形態は対象との直接的対応関係から、ことば間の関係に発展す る。ことばには対象に対し相対的普遍性がある。対象の類としての普遍性と個 別的対象とを関連づけるものとして、ことばは認識媒体である。
 ことばの使用は客観的認識をもたらす。ことばは対象を指し示すものとして 対象とは別の存在である。しかも主体にとって操作可能な対象である。そして、 対象世界に対応したことばの関係の中に対象を位置づける。ことばに表現する ことによって、客観的ことばの体系の中で対象を評価することができる。
 ことばは客観的認識から一般的認識をもたらす。ことばの使用は論理的認識 の基礎である。
 ことばは思考を客観化するものとして、自己を客体化する。自己を対象化し、 認識する手段としても、ことばは人間を他の動物と区別する。

【ことばの構成】
 ことばは物事を指し示す事象表現と物事の関連を表す関連表現とが基本的に ある。
 事象表現は名詞、動詞、形容詞であり、必ずしも具体的物質の存在を指し示 すものに限られない。
 関連表現は抽象化した対象間の関係を表す、代名詞、副詞、助詞である。
 さらにことばを指示することばとしてメタ表現がある。ことば、表記につい て説明する場合に使用する。
 「ことば」は外言語として音声言語と文字言語とがある。また、日常語、専 門用語、学術用語、隠語、記号等様々なレベルの体系がある。コンピューター のプログラム言語もデータの処理手順を記述する言語である。

【文化の媒体】
 ことばは個体間の意志疎通を密にする。共同生活の質を飛躍的に高める。
 生活を通じてえた様々な実践に照らされたことばとして対象を捉えることは、 認識を一般的、社会的なものにする。これは文化の成立の物質的基礎である。
 ことばの使用により認識能力を高め、経験を蓄積し、経験を交流し、学習・ 訓練を容易にする。
 一般的、社会的な認識を、ことばを用いた共同生活内で獲得する。これによ り社会の実践を個人のものにする。これは学習である。これは直接関係しない 空間的に離れた、時間的に隔たった経験を個人のものにする。
 ことばそのものも社会性を持つ。ことばの機能自体社会的である。ことばは 社会的環境となる。対象の捉え方は、対象と社会との関係によって異なりうる。 したがってことばの表現も社会のあり方によって異なりうる。

 ことばの使用は情報を一般化する。ことばによって情報交換を発達させる。

 

第3節 認識実践

 人間の認識は新しい事象とこれまでの経験した事象との比較・総合である。
 まず、比喩的に同じ事象を経験から選び出す。「……の様なものだ」で納得 する。
 これをさらに進めて、新旧両事象の共通部分と相違部分とを区別する。対立 と統一の発見である。
 他の事象とも比較して新しい事象を一般化する。こうして、次々と新しい対 象を世界の認識の一部分として取り込む。

 

第1項 個別の認識

【認識の発達】
 人間の認識能力は感覚の分化と統合、感覚の捨象と抽象としての五感を発達 させて進化してきた。人間の認識能力は生理的認識能力としても進化してきた。 最大の特徴は大脳皮質の発達として現れた情報の統合、抽象能力である。
 人間の認識は対象を概念化する。反映された対象を言語に対応させ、反映媒 体として操作可能にした。認識能力の発達と、認識成果を蓄積することによっ て個体の認識能力を超え、個体間で継承できるようになった。
 さらに、認識能力自体を対象化し、認識のための道具、認識結果を蓄積する 手段、交換する手段を発展させた。
 残念ながら、最新の成果に背を向ける人、無視する人の何と多いことか。

【認識の社会的普及】
 認識論は単に学としての認識論がどうあるべきか、どの様な構造論理でなけ ればなれないか、と言うことではない。実践と認識の統一は、その様な枠組み に閉じこめてはならない。
 社会的認識は科学者等の個人的精神活動ではない。社会のイデオロギーを背 景にした対自然、対自即対社会、対個人の認識活動の総体を対象としなくては ならない。
 社会の現実的変革という実践に対応する認識の問題は、理論水準の高さとい うこともあるが、現実的力はどれだけのレベルに科学的論理を普及しえるかと いう社会的認識の現実的存在形態、現実的存在の質量の問題である。
注65

【実践過程としての認識】
 認識は先ず第一に本質把握である。しかしそれは手段でしかない。目的は諸 現象を具体的に理解することである。物事の本質的関係を明らかにし、目標を 実現するために必要な条件を明らかにすることである。戦略目標、戦術目標の 体系を理解し、条件、方法、手段の組み合わせを明らかにすることである。こ の認識に関わる要点は、政治情勢、課題提起に特に重要である。希望、期待を 一期に実現することはできない。自然法則、社会法則、人間の能力を無視して 目標を実現することはできない。

【知の進展】
 一つの新しい事象は、まず一面的で特殊な方法によって認識される。類推、 比喩から始まるかも知れない。数式によって表現されるかも知れない。説明も 一面的なものから始まる。その事象についての思考実験の繰り返しは事象の多 面性を示し、説明を多面的なものにし、他の事象との相互関係を明らかにする。
 第一発見の段階では直進的に論理が進められる。第二に関係する事柄につい て並進的に論理が進められる。第三にそれら論理の構造化がなされ、総体的な 事象の理解がえられる。
注66

【認識・論理の下向と上向】
 認識の基本が対象と概念の一対一対応を関係づけることであるとしても、実 践的認識過程では一期に実現できるものではない。また一対一対応にとどまる ものでもない。物事の存在・運動は相互作用の過程としてあり、対象の全体を 一挙に認識はできない。
 認識は対象の主体との関係のひとつひとつの対応関係によって対象の要素を 把握し、次いでその対象要素間の関係を把握する。主体と対象との関係様式は 多面的であり、その関係様式ごとに対象把握がおこなわれる。要素ひとつひと つが分析され、要素間の関係ひとつひとつが分析される。より基本的要素、関 係への認識として下向の過程を進む。
 対象の存在・運動は本質と現象との対立関係を内包しており、構造的に、時 間的にこの対立関係が展開される。認識はこの本質と現象の対立関係をたどる。 現象から本質へ向かう下向の認識、本質から現象へ向かう上向の認識がある。 対象自体の存在・運動が本質と現象の統一としてあるように、認識も下向と上 向の統一として対象を把握する。
 下向はより基本的関係へ向かっての分析的方法をとる。上向は基本的関係か らの総合的方法をとる。同じ対象であっても、様々な面で下向と上向は繰り返 しおこなわれることによって、対象をより基本的に、より本質的に、より全体 的に認識する。
 下向と上向は独立の過程ではなく、相補的に互いに捕捉されながらおこなわ れる。

【類推・比喩】
 比喩は理解にとって大切である。様々な関係における同一性を捨象すること で、具体的で本質的な関係の概念を獲得する。
 始めは漠然とした諸関係の中からの同一性を発見する。自分の体系に比して の、諸関係の同一性を抽出する。同一性、共通点をイメージ化して統合する。
 同一性、共通性は多様な視点でおこなわれる。内容、形式、付帯的事項、偶 然の関係として、記憶の検索手段となる。ひとつの事項も様々な視点での関連 として記憶されている。
注67

【ひらめき・ヒューリスティック】
 関連を見い出すことがひらめき=ヒューリスティックである。探査方法のア ルゴリズムではなく、発見方法としてのヒューリスティックである。
 任意の性質の関連としての、一面的論理をたどることによって欠落した対象 の存在を認識することができる。非存在の存在を認識する。問題の存在が認識 される。
 問題を認識した関連とは別の面での論理をたどることによって対象の欠落か、 あるいは対象のその面での他との関連を明らかにすることができる。複数の関 連によって欠落した関連が論理的に展開され、埋められる。
 対象自体の内的構造、論理的構造、動的構造、歴史的構造、総体的構造が、 対象の他との多様な関連に整合したとき対象の理解が得心される。多様な関連 の整合の一面でも欠けていると、対象を理解できない。
 ひらめき、得心は無から一期にえられるのではなく、多様な関連のひとつひ とつを明らかにする前過程があってえられる。

【算法・アルゴリズム】
 算法=アルゴリズムとは問題、課題の解き方の論理的な筋道である。定型化 された手段で解く、解き方の段取りである。処理手順の構成方法である。
注68
 算法は計算に限られない。基本的な操作は他と区別する位置に値を与えるこ と、比較すること、結合すること、置き換えることである。基本操作の組み合 わせとして応用的操作が可能になる。より発展的操作として順次進行、繰り返 し、条件分岐、並べ替え等がある。
 算法が定型化されてしまえば、誰がいつどこで実行しようが、機械が実行し ようが原因と結果は再現される。どのように高度で複雑な作業でも、定型化さ れてしまえば、一段階ずつ操作することで再現される。

【解析解と数値解】
 係数値の定まった方程式で表現できる線形の対象ばかりではない。あるいは 複数の方程式の解を加え、重ね合わせることによって表現できる対象ばかりで はない。現実に線形性を示すのは限られた条件でのことである。
 方程式を適応できる関数関係は4次方程式までは解ける。しかし5次方程式 は数値を当てはめ計算結果から次の数値を推測して再度計算し、これを繰り返 して求めるしかない。まして、法則が明かでなく方程式が求められていない場 合、式はあっても係数や求めるべき条件値が決定されていない場合数値解を求 めるしかない。
 多体問題のように解析解は原理的にえられない問題もある。

【実践知】
 対象の認識の確かさは対象を作り出すことである。対象の運動、機能のすべ てを制御することである。
 認識の確かさは、対象を理解できたと納得することではない。「物自体」は 知ることができないという不可知論が存在するが、人間は新しい物を作り出し ている。自然界には存在しなかった元素を作り出した。化学合成物質を作り出 した。物自体を理解できないのではなく、物自体を作り出すことができる。物 自体を作り出しているにも関わらず、知ることができないと言うのは「知る」 ことの勝手な解釈によっているにすぎない。
 新しい物質は、元素や化学合成物質に限らない。自然物を原材料として、人 間は物質の新しいあり方を日常的に作り出している。
 日常的、社会的生産は「知」によって、「知」を実現している。

【思考実験の意義】
 思考実験は対象の構造、ダイナミズムの理解と、それによるシミュレーショ ンである。思考実験は日常的感覚から捨象し、論理だけによって対象を構成し、 対象の要素間の相関関係相互作用、そして対象全体の他との相関関係、相互作 用を構想する。思考実験が特異なのは、対象となる法則なり条件を実験の過程 で保存・貫徹し捨象することである。理想状態を抽象するだけでなく、対象だ けを捨象するのである。
 理想状態の抽象は現実条件を制御することで制限つきながら実現できる。異 なる比重の物体の落下を実現するために、斜面を利用するように。しかし無限 や極限点を操作することは、対象の性質を捨象した思考実験でしかできない。
 知りえた対象の論理を組み合わせて現象を説明、再現することが思考実験で ある。頭の中だけで実現するとは限らない。紙と鉛筆を用いることも、コンピ ュータを用いることもある。
 思考実験は再現性の自由度に価値がある。条件の設定が自由であること。事 前評価ができること。事後検証できること。危険を伴わないこと。
 思考実験により条件設定が不可能な現象、認識が不可能、論理的に不可能な ことを検証する。
注69
 思考実験条件は理想状態、雑音から捨象した環境等での現象を再現できる。 現実の観測手段では認識できない現象を再現できる。
 事前評価により、過程を追っての対応を検討できる。

 思考実験は実際の実験前の計画としても意義があるが、方法論として重要な ことは、実験不可能な対象についてである。一次元の世界で見る直線運動。三 次元空間では実現できない「クラインの壺」、線分の中にある無限小区間等。 存在しない事柄として、空想として無視して良いものではなく、空間の性質を 理解するためには必要な思考実験であり。専門家は日常感覚と同等な関係とし て扱えるようになるそうである。空間の専門家でなくとも経済関係、人間関係 の連なりは3次元空間の関係として、各要素を3つの変数で表せるほど単純で はない。

 与思考実験によって与えられた条件と、その組合せによって推論すること、 その結果として多面的、多重視点的、全面的に問題点を導き出すことも重要だ が、論理的な誤りを排除することも重要である。
 事後検証も結果論ではない。思考実験により対象の正当性だけでなく、対象 の条件の妥当性、用いた論理そのものの妥当性も評価される。思考実験の与件 の過不足が明らかになることで対象の理解が進む。

【不可能(性)の証明】
 可能性は形式的、論理的、理論的、現実的可能性がある。不可能性の証明は それぞれにおいて可能な条件を証明し、その条件が成り立たないことを証明し て成り立つ。
 知ることは、知ることのできないことも知ることができる。知ることは体験、 経験できることに限られない。誰も見たこともない物の存在の有無を問題にし える。

【予知能力】
 地震予知、天気予報などに関して、動物の予知能力が問題にされることがあ る。しかし、動物には予知能力はない。
 動物は環境全体の変化の中で反応し、適応しているに過ぎない。全体の変化 の中で、一体としての変化の中で部分が反応し、部分の変化が全体の変化と同 調、同期しているにすぎない。
 それを予知能力としているのは、観察している人間である。予知能力の問題 で科学が対象とするのは、動植物の「予知能力」とされるものが、その環境の どの変化の関連に基づくものであるのかを解明することである。全体の環境変 化のどの部分を、個々の動植物が何によって知りえているのかを究明すること である。
注70

 

第2項 感覚知 (感性的認識)

【感覚機能】
 人間の認識として感性的認識も人間的過程である。視覚においても、対象の 存在、主体との関係だけを問題にしない。人間は形も認識する。
 ヒトは形を認識することを誕生後に学ぶ。形は他との区別としての輪郭の抽 出であり、対象の存在そのものではない。形は対象の他との関係を媒介して抽 象され、対象には属しない性質である。形は既に抽象化された感覚である。ヒ トの能力をはるかに超えた高精度のカメラも感光機能に優れていても直線を見 つけることはできない。カメラでえたデータは区画に分け比較されなくては、 輪郭を抽象することはできない。ヒトの眼の細胞も同じ原理で、眼の生理的機 能としては直線を見いだすことができない。ヒトの眼は生理的に対象の輪郭を とらえられない。人間の視覚は周辺の図形との関係により錯視が不断に起こる。 錯視は人間の視覚が対象を直接的に認識していないことの例証である。
 人間は道具を使用しなくては日常的なスケールでも直線を識別できない。そ れでも人間は対象が物差しであると知るると、物質の平滑さを超越する直線を その輪郭に具体的に認識する。
 形の認識は形式の認識である。他との区別による形式の認識は分析的であっ て直感ではない。
 人間の認識は統合する認識であり、えられる結果は全体的である。

【感覚の能動性】
 感覚による認識、すなわち感性は受身ではない。
注71
 生物個体の生活活動の全体系としての運動に、感覚器官を経て反映される過 程が感性的認識である。その意味で、動物的認識といいうるが、感覚的認識と して位置づけられるのは人間の認識の段階としてである。動物にとっては感性 的認識がすべてであり、それは即実践の過程である。感性的認識と措定される のは人間の認識であり、それは既に単なる動物レベルの認識ではない。

【認識の意味づけ】
 生理的反応運動としての感覚は、感覚器官への外界からの刺激から始まる一 連の継起的反応連鎖とその統合としての再帰過程であるである。
 それは、生体の活動として統制されている。意味づけが行われ、単なる継起 的反応が組織的に展開される。単なる生理的反応の運動としてはなかった運動 が現れる。
 生体の活動としての統制そのものも発展し、より高次の統制を受ける。それ が神経系による統制であり、ここで感覚器官の意味づけが行われる。
 人間は感覚を実践=現実変革の一環に組織し統制する。感覚−認識−知識− 意志−実践−からなる一方向のみのサイクルではない。体内感覚、体内環境の 認識、実践感覚いわゆる勘所、運動制御のシステムとして実践的である。
 感覚的に反映される情報は生物的、動物的、人間的、各レベルで操作され、 意味づけられるものが統制され組織される。単なる光、音、粒子、温度、圧力、 湿度等等、単なる餌、代謝の快適さ、といったことではなく、世界認識として、 すなわち実践の指針の位置を示すものとして人間の感覚はある。これこそが、 コンピュータの情報処理との決定的な違いである。

【感覚の全体性】
 感性的認識にあっても人間の場合には、それは生活に関わる一次情報である。 したがって生活活動の豊かさが、一次情報の豊さを示す。芸術性の根源がここ にある。
 もっとも、基礎的なものは生命を直接脅かす対象の認識、生命を維持するに 必要な対象の認識である。

 

第3項 論理 (理性的認識)

【悟性的認識】
 感性的認識は生活活動の発展により豊になり、社会生活によって蓄積され、 多様な対象を持つようになる。多様な対象は比較、区別され、関連づけられる。 これが広義の理性的認識である悟性的認識である。
 比較、区別は同一物に差異を見ることである。様々な対象の同一性と差異性 の区別による分類は対象全体に及び、世界全体を分類し体系化する。
 分類は対象の本質を明らかにするにまで至る。分類の蓄積が世界全体を対象 とすることで、分類の基準が全世界的になることで、個別の分類はより本質的 になる。
 悟性的認識は部分を全体の中に位置づける認識である。

【理性的認識】
 悟性的認識そのものを認識の対象とする認識が、理性的認識である。メタ認 識である。
 悟性的認識の分類方法は、具体的関連としてある。理性的認識では、対象の 本質を概念として論理的に分類する。
 理性的認識では主体と対象の関係も、客観的に認識する。
 こうした主体も含めた全体性に基づく認識であるから価値観を伴う。
 理性的認識を客観的な体系としたものが、科学認識である。科学認識の方法 は斉一性の追求、初期条件の究明、シュミレーションの実現(ディメンション 解析)である。

【法則と論理】
 論理は要素と要素の一対一の対応関係を原則とし、3つ以上の要素の関係を 対象とする場合は、いづれかの関係を一つの要素とし、要素化された関係と残 された要素との一対一の対応関係として取り扱う。いづれの関係を要素とする かは、論理的(本質−現象関係)、時間的に順序づけられる。
 現実の論理は階層をなし、複雑な構造体となっている。そこに含まれる論理 を逐次たどっていては、現象を捉えることはできない。統計的手法、あるいは、 経験からの演繹的手法を用いざるをえない。この、要素の論理を前提とし、現 実の現象の必然性の関係を定式化したものが法則である。したがって、法則は 現象を記述するものである。法則は傾向として必然性を表現する。
 理論は法則と論理によって現実を表現したものである。

 

第4節 実践 (主体的認識)

 人間の行動は動物の行動と区別される。
 対象を反映し、対象と主体の関係から自らの行動を方向づけたものが人間の 実践である。実践は精神活動の実現過程である。

 

第1項 意識

【意識の活性】
 感覚器官があり、神経系があり、それぞれの細胞が生きているだけでは精神 活動は行われない。精神活動が行われる意識がある状態は、感覚器官、神経系 が活性状態になくてはならない。精神的活性状態は体の末梢の感覚受容器から の脳の体性知覚野への刺激、視床から大脳皮質全体への刺激、中脳網様体から の脳全体に対する刺激等が継続していなくてはならない。

【意識の機能】
 どの瞬間をとっても、人間の精神活動は複数の情報を処理している。自律神 経は生理的活動を制御し、交感神経と副交感神経の対立的機能によって常に体 調の変化に対応している。脊椎での反射は脳とは別に独立して機能している。 大脳皮質が関係する情報処理も、通常複数処理されている。
 その内から、いま現在の自分にとって、もっとも重要な情報について意識が 判断し選択し受け入れる。

 並列処理されてはいても、認識として意識に選択されるのは一つである。感 覚としても五感のうち一つを選択する。ここでの選択基準でも、生物的な段階 と、人間的な知的段階がある。生物にとっては音でしかないものを、人間はこ とばとして、さらに重要なこととして概念の表徴として捉える。
 選択する感覚を、感覚器官を、なににどの様に向けるかも、第2の選択であ り、人間の特徴がある。
 人間の場合、抽象的な概念をも意識の対象にする。意識が一つの対象に集中 していると、通常のことは感覚に捉えられない。しかし集中しているときであ れ、より重要な刺激に対しては、割り込みを許している。例えば短くなったタ バコの熱さに対して等。またこれらの選択、割り込み許可が狂うこともある。

 当面の重点を選び出す能力、将来の為に現在を耐える能力は、人間の階層に おける個体間格差をなす。

 知性、感情、意志は意識活動の三つの側面である。

 

第2項 実践知性

【知性】
 知識の個人への反映が知性である。
 知識は人類の歴史の中で蓄積されてきた。対象を区別することによって関係 づけること、変化をたどること、対象を変革することによって人類は知識を獲 得してきた。
 知識をことばにより、図形により、記号により、表現してきた。知識の整理、 交換、保存方法の拡張によって知識を普遍化してきた。
 知識の媒体であることば、図形、記号そのものの操作をも、知識として拡張 してきた。
 こうして蓄積、拡張された知識を個人に教育し、個人が学習し、個人の認識 過程で活用する能力が知性である。

【理知性】
 知性は認識の理性的な結論である。
 理性的認識の結論は、知識として体系的に蓄積される。理性的認識、体系的 蓄積は対象の相対的、全体的関係において認識、理解され蓄積される。統一的 認識方法、表現方法によって理解され、蓄積される。蓄積された知識の検索と、 探索、さらに新たな知識の獲得と、体系内への取り込み、位置づけ能力が知性 である。

 知性は対象を自己との関係で客観視している。
 対象を全体からの相対的独立として、全体の構成部分として把握する。知性 は対象を一般化し、知識の中に取り込み位置づける。対象そのものと、対象の 知識を分離し、ことば、図形、記号におきかえ、自己との関係に位置づける。 対象と自己との直接的、具体的関係を、対象の知識と自己の知識体系との関係 として客観的関係にする。

【知性の論理性】
 知性の把握する対象は意識にとって概念として定着せられる。
 ことば、図形、記号によって表現される対象は、その表現媒体であることば、 図形、記号を操作対象にする。対象そのものを操作、変革するのではなく、対 象を表す媒体を操作することで、対象の全体との相互関係、運動の過程を確か める。対象を表す媒体としてのことば、図形、記号の操作による、対象のもつ 全体における関係、機能の担い手としての対象の抽象化によって、対象は概念 化される。
 概念と対象はことば、図形、記号を媒体として相互に関係づけられる。媒体 であることば、図形、記号を操作し、さらにまた対象を操作することによって、 概念は確認され、拡張され、確定される。概念は認識過程の内で繰り返し対象 と、媒体との関係を確認され、定着せられる。

 知性は論理的である。概念の把握は論理による。
 概念は抽象化され、媒介された対象であり、論理的である。対象と概念との 媒介関係は、繰り返したどることができる。対象と概念との媒介関係は一定の 普遍的関係、全体の中に一定に位置づけられた関係として論理的である。概念 の概念間の関係は論理的である。知性はこの論理をたどることによって、対象 の対象間での関係をたどり、その関係を拡張することができる。
 対象の運動は条件に大きく影響される。対象の運動をたどっただけでは対象 の運動の相互作用、運動が実現される条件はなかなか明らかにならない。対象 の運動を概念の運動としてたどることにより、対象の運動の相互作用と、条件 の影響とを区別することができる。
 知性は概念として対象を置き換え、操作することによって、対象の関係を論 理的に理解する。
 知性は論理的に活動することによって、操作を再現可能な形式にする。

【知の方向性】
 知識なくして問題を解決できない。
 問題を理解するためには知識が必要である。対象が何であるかだけでなく、 対象が持っている問題を理解することは知的能力である。対象と即時的に結び ついた生理的認識にとどまらず、知識と結びつけ、普遍的に問題を理解する知 的能力が必要である。
 問題の解決方法、解決手段の知識も問題解決に役立つ。解決の可能性の理解 は、問題発見の重要な用件である。解決方法を見いだせない問題はそもそも問 題自体を理解できない。
 目標目的・戦略戦術・方法手段によって方向づけることは、先入観や憶測 を退ける必要があるが、無駄を回避することでもある。より積極的にここの答 えではなく問題を発見するために必要である。目標を明らかにしておくこと自 体、重要な知の働きである。
 また、方法や実践過程での論理的、技術的誤り易さを事前に評価しておくこ とで、必ず犯す誤りをより少なくすることができる。誤りを犯したときに、早 期に発見し、手早く補正することができる。実践しながらの認識を余裕のある ものにする。

【知識の利用技術】
 従来知識は表現されたものとして評価されてきた。
 しかし今日、情報処理技術の発達は知識の運動のシュミレーションを可能に し、評価は動的なものにしてきている。知識獲得、知識の適用という、現実世 界との相互作用については目度すら立っていないが、知識の獲得構造、蓄積構 造、結合、置換等についてはモデル実験ができる。従来の哲学では表現された 結果を評価するか、自省するしかなかった方法が、客観的方法を獲得した。

【知性の訓練】
 知性は論理的に運動する。知性は論理によって生まれ、訓練される。
 知性そのものも論理的に運動する。対象を論理的に操作し、実際の対象の運 動によって論理を確かめる。対象の運動の論理と知性の概念操作の論理との一 致を確かめる。
 概念操作の繰り返しによって、知性は論理操作の能力を訓練する。

 生活の知恵は記憶されていても機能しない。生活の知恵は生かされなくては ならない。そして、編み出されなくてはならない。生活の知恵を生かし、編み 出すには体系化された世界の理解の裏付けが必要である。
 賢さは知性の実践によってえられる。対象の理解だけでなく、対象をめぐる 人間関係、対象への働きかけの方法とタイミングについての理解が賢さである。 知性を実現することが賢さである。

【知性の拡張】
 人間の記憶はコンピュータの記憶とは違う。
 コンピュータには記憶の内容と共に、記憶の位置(番地指定)が基本的には 必要であり、記憶位置の指定が索引になる。人間の記憶の場合、記憶の内容自 体の関係が索引となっており、その内容と索引は社会的に、文化的に条件づけ られている。条件によって記憶は様々な形、形式で再現される。
 人間の知識は単なる記憶ではない、単なるビット単位の記号の集合でも、論 理の体系でもない。知識の獲得、体系、媒体、知識そのものが人類の歴史的遺 産を受け継いでいる。個々人が人類の全遺産を引き継ぐことはできないが、基 本的に部分的に受け継ぎ、全体で全体を引き継いでいる。したがって個々人の 知識の表現を機械に置き換えても、知識としては機能しない。
 また、人間の知識は表現された結果としてだけあるのではない。個々の知識 が具体的な感覚、抽象的な感覚と結びついており、その結びつきは意識されて いない部分が多い。
 さらに、感覚だけでなく、感覚が現実の具体的物事と連なっている。ことば で言い表せることだけが知識なのではない。体で知っていることも知識と混然 一体となっている。
 人間の知識は現実と切り離されてはいないし、実践の過程として、実際に運 動しているものである。

 

第3項 実践感情

【感情の物質的基礎】
 感情も物質的基礎の上にある。
 自律神経系及びホルモンによって調整される生理的状態を基礎にしている。 自律神経系及びホルモンは、生理的状態を体外条件に対して一定に保つ。体外 環境に対する生理的状態は、体内環境をなす。体内環境が一定に保たれている 時は、意識に反映されることはない。体内環境の変化によって意識に情動が現 れる。
 体内環境の変化は生理的状態の変化、体外環境の変化だけでなく、意識によ る自律神経への作用によっても起こりうる。
 情動は生理的感情である。情動は対象との直接的相互作用である。

【感情の直接性】
 感情は認識の無意識な結論である。
 感情は人間の意識においてのみ存在し、対象との相互作用に対し、相対的に 独立しており、保存される。感情は非人間的でも、非論理的でもない。感情も 論理的であるから、喜怒哀楽が生じる。
 笑いは本質と現象との論理的矛盾に遭遇した場合の感情表現の一つである。 本音と表現、事実と粉飾等、他人においてでも、自分自身においてであっても、 食い違いを意識した際、様々な笑いが出てくる。直接的誤り、悪意は笑いの対 象にもならない。

【怒り】
 怒りは論理の人為的歪曲に対する感情表現である。
 法則は適用することはできるが、曲げることはできない。論理は曲げること ができ、社会の規則を曲げることができる。論理を曲げて、私的利益を得よう とすることに対し怒る。事実を知っても怒りに直接結びつくことはない。怒り は悪人に対するものではない。怒りは論理を曲げることに対する感情である。 論理を理解できずに、怒りの感情を持つことはない。飼い慣らされることは、 論理的能力、知性を奪われることである。

【恐怖】
 恐怖は全体性、方向性の喪失の感情である。
 実践は未知との対決である。自分と対象との関係は決められてはいない。日 常生活は繰り返しによって、未知との遭遇は部分的である。部分的であれば、 未知の対象に対しても、従前の例によって対応できる。しかし、日常性の延長 で対応できない未知は、自分の対応方向を明らかにできず、自分の位置づけが できなくなる。
 恐怖は未知に対して、冒険主義的に突進することを押し止める力として必要 である。恐怖に対して、対象の全体性とそこでの自分の位置づけ、方向性を可 能な限り明らかにすることによって、知性的対応が可能になる。

【愛憎】
 愛や憎しみは人間を超えるものでも、人間以外のものでもない。
 愛や憎しみは人間が誕生する前には存在しなかったし、人間以外に存在しな い。
 人間の現実における諸関係の、認識に関わる感性が愛であったり、憎しみで あったりする。
 愛や憎しみは、知性、感情、意志の統一された情動である。

【豊かさ】
 知性的で人間的であることで感情は豊になりうる。
 情動は知性的であることによって感情である。知性的な情動は普遍的な感情 である。
 自然の法則を理解することによって自然の神秘、深遠さ、美しさを理解する ことができる。感覚だけでは、夜景の美しさと星空の美しさ、大きさを区別す ることはできない。自然の法則性を理解することによって、自然の形の美しさ がより理解できる。

 芸術性は認識と実践が不可分に統一されている。作者において、製作過程に おいて、鑑賞において、作品として芸術は認識と実践の統一である。創作は対 象の認識であるとともに、認識の外化・対象化であり、実現のための実践であ る。鑑賞は認識であると同時に、生活実践である。作品は認識媒体であると同 時に、コミュニケーションを実現する。
 また、芸術は知性と、感情と、意志の統一である。

 

第4項 実践意志

【意志の物質的基礎】
 意志は法則の現象、実現を意識することによって成立する。
 法則は結果としてあるのではない。法則は裸であるのではない。法則は現実 の過程として実現するものであり、条件の圧倒的偶然の中で実現し、現象する。 そこに何等かの意志を見いだすのは、そここそが、意志が生まれる地であるか らである。法則の現象過程が意志の物質的基礎である。
 個々の部分的条件の寄せ集めとしてではなく、全体の運動を決定する法則を 捉える。意志は法則の実現を意識するだけでなく、法則の実現に価値づけし、 法則の実現を目的とすることである。
 法則に基づく現象を理解することによって、現象の現れを方向づけようとす る意志が生まれる。法則を実現するために阻害する条件を取り除き、促進する 条件を整える。法則を曲げることはできないが、条件を変えることはできる。 目的達成のための条件を整え、満たすこととして実践がある。
 その目的意識が倒立すると、あたかも法則が目的を持って作られているかの ように解釈してしまう。
 意志もまた主体と環境との相互関係の中で形づくられ、作用する。  意志だけでどうにでもなることは、主観の内以外にはない。
 「対象がなければ、意志の目標はありようがない」との形式論理の説明では 不十分である。意志の現象・運動形態から目標の存在が明らかになる。

 無意味な行為をやり遂げる意志は、歪められた意志、隷属の意志である。
 意志を持ちえないのも、従属の意志である。

【意志の方向性】
 意志は認識から実践への自分の態度である。またその逆に実践によって実現 される認識である。
 意志は知性と感情の統一された結論である。知性によって運動の方向が明ら かになり、目的が認識される。
 意志は認識の意識された結論である。目的意識によって方向づけられた実践 として意志が現れる。実現過程での様々な動揺を制し、目的に向かって集中し、 貫徹する。実践過程で感情と密接に相互作用し、到達点で一体化する。

【意志の訓練】
 意志は認識の広さ、深さ、確かさによって強められる。
 意志は環境に働きかけることによって訓練することができ、そのことによっ てのみ意志は実現できる。生理的状態をも変えることが可能になる。
 意志は目標設定などの意識的行為によっても強化される。
 困難克服の経験は状況における位置、役割を把握する主体性を鍛える。本質 ・条件・相互関係・関連事項の客観的知識を蓄積する。状況の中での認識方法、 認識手段を身につける。

 意志によって能力の差は拡大される。
 目的意識を持った行動を、倍持続すれば倍の仕事ができる。個人の時間的制 約、運動能力、知的能力の差に比べ、仕事量の差は決定的な差となる。継続は 意志に影響される。
 目的意識を持たなければ問題を認識できない。生活の中で不合理、解決すべ き問題が理解できない。課題として、試験として与えられた問題は解けても、 生活の中での問題を意識できず、解決もできない。

 

第5節 社会的精神活動

 精神活動は個人によって担われ、個人の社会的活動によって文化となる。個 人自体社会的存在であり、社会関係なくして人間、個人も生まれてこなかった。 個人の精神活動も社会関係の中で生まれ、発展してきた。社会的個人によって 担われる精神活動は社会の精神活動であり、それが文化である。

 

第1項 社会的精神の存在

 ヒトへの進化は社会性が重要な要件であった。人間の生活は社会的に保証さ れていなくてはならない。人間の精神も社会的環境によって規定されている。 こうした社会は人間個人を単位とした運動として理解される。
 他方、社会の運動としての精神活動がある。言葉は社会的に変化し、風俗に は流行があり、個人の思想も社会的に影響される。個人の精神活動とは別に社 会的精神活動が存在するものではないが、個人の精神活動が社会的に規定され て、全体として独自の運動形態をとる。
 社会有機体が存在し、頭脳に当たる人間組織が社会全体を支配するような社 会的精神ではない。社会的理性、社会的意志が、一方的に個人を支配するよう な社会精神ではない。一人一人の精神活動を媒体としての相互作用の総体とし ての社会的精神が存在する。

【社会的精神】
 社会的精神は社会関係における個人の精神活動の総体としてのありかたと、 操作の対象としての社会的精神がある。
 社会的関係として結びついた個人間の関係として実現される精神的関係があ る。社会的精神の即自的存在である。自然的社会精神とも呼べるが、純粋に自 然的である社会は人間社会としては存在しない。何らかの人間による社会関係 の操作が加わる。
 操作対象としての人間精神は、古代国家の成立とともに現れる。社会の権力 支配の対象として、操作対象の社会的精神がある。
 社会的精神は人類的規模でも存在するが、実践上問題になるのは部分的社会 的精神である。国家単位、地域、血縁、職域等の部分的単位として社会的精神 が現れる。規模別の社会的精神だけでなく、規模別内にあって、党派的対立と して社会的精神の対立が現れる。
 社会的精神にも知性も、感情も意志もある。

【社会的知性】
 社会的知性は科学者集団のことではない。
 科学者集団の精神活動も社会的に実現されている。知見の発見は誰かによっ てなされるが、社会的に認知されるには、対照される実験なり、観察によって 捕捉されなくてはならない。追試によって再現されなくてはならない。統計に よって他の事象との関連が明らかにならなくてはならない。
 科学的知識は応用され、社会的実践に実用されなくてはならない。科学的知 識によって社会的物質代謝は発展せられ、同時に環境が整えられる。
 科学的知識は解説され、普及され、教育なくてはならない。専門分野を越え て理解されるために、社会活動が合理的に実現されるために、世界観が科学的 に世界を反映するために解説し、普及する社会的活動が必要である。
 科学的知識は物理的に保存され、交換され、検索されなくてはならない。書 物、データベース、教育・研究施設・設備、通信施設・接続設備等として社会 的制度・組織が用意されなくてはならない。

【社会的感情】
 個人の感情は主に周囲の人々との関係に依存している。共感、相互理解は個 人の感情にとどまらない、社会的感情である。怒り、愛憎は主に社会的関係を 対象にしている。
 社会的感情はコミュニケーションを媒体として個人の情動に働きかける。
 群集心理は個々の人間の動きの結果として現れるのではなく、個人の感情を 方向づけるものとして、現実的な力である。

【社会的意志】
 社会的意志は社会的精神を方向づける。社会的意志は社会関係を方向づけよ うとする。数人の小集団から国家間の社会関係のすべてにおいて、社会は方向 づけられる。
 社会的精神の実生活における現れは、社会的意志としてそれぞれの生存に関 わる。

【社会意志の操作】
 即自的社会意志は、社会的意志による操作の対象である。
 即時的社会意志自体も、うわさ、流行、量的影響、多様な媒体の相互関係等 として方向性がある。即時的社会意志も自立的な運動をしている。
 この即時的社会意志が操作の対象になる。
 最も原始的な操作は方向の強制である。物理的強制、強要は肉体を対象とし、 人間関係を対象とする。
 社会的強制は排除、差別、隔離として行われる。
 最も洗練された操作が情報操作である。情報の統制、遮断、隠匿、偽情報等 がある。
 そしていずれの手段でも基本になるのが情報収集である。公的調査から、盗 聴、監視、スパイ等。そしてそれらの集中と管理が社会的意志を操作する基礎 情報になる。
 不正な手段を利用するしないに関わらず、社会的意志の操作は社会生活の基 本に関わる。公正な社会的意志の実現をめざすには、不正な社会的意志への対 応は必然的に必要になる。

 

第2項 社会的認識

【社会的認識】
 理論なるものはそのものとしては存在しない。科学者の頭の中にも存在はし ない。科学者の頭の中にあるとされる理論は反映された法則の作用の連鎖の記 憶であり、理論となるにはその科学者のことばによって表現されねばならず− 声に出すかはともかく−ことばという物質的、社会的存在を媒体になったもの である。ことばによって一度実現されたものであっても、次に実現される場合 は、再びことばによる確認という、その表現によって規定された関係の中のこ とばによって確かめられる。文章化、発表、教授等として。単に学会の発表ルー ルとしてだけではない。
 つまり理論とは現実の法則体系の社会的認識への反映である。

【了解】
 科学者、研究者が議論し主張するのは、互いに一致していないからである。 互いに異なった主張であるから論争する。真理は一つである。主張が科学者、 研究者の数ほどあれば、そのほとんどが真理でないことになる。研究途中では ほとんど全部が真理ではない。万が一議論の前に真理があるとすれば、まった くの偶然でしかない。
 互いに異なっていつつ、一致を目指して論争し、論争できるのは、その基礎 に一致する見解があるからである。論争途上で真理はほとんど無いのに比べ、 一致した見解は真理の集積である。科学が常に論争しているからと言って、真 理を捉えていないのではない。
 しかし、一致する見解であることも、真理であることの保証にはならない。 互いに一致していると思い込んでいても、個々には思い違いの方が多い。

【社会的認識実現】
 社会的認識がいかに発達しても、個別的認識が同様に発達はしない。
 社会的認識が普遍性をもつのに対し、個別的認識は極在的である。どんなに 科学技術が進歩しても、すべてに生かされはしない。政策的に制限されること もあるし、普及に障害があることもある。そして忘れられがちなのが利用技術 である。いわゆる、「How to」である。目的、課題、方法、手段がとらえられ ていなければならないが、科学技術は通常そのうちの一つを単独ででしか提供 しない。

【情報勾配】
 自然科学、社会科学、人文科学の成果それだけではなく工学や先進的経験が 社会の隅々で実践されている。しかし、科学の成果は即時にすべての部門に行 き渡るものではない。それぞれの世界や社会の規模に限らず、一国、地域社会、 企業内でも最新の成果が開発や実践の場に行き渡ってはいない。
 最新の知見に限らず、知識・情報の普及の格差が地域社会、専門社会観の認 識の勾配となって現れる。この落差を利用して、現実社会での商売も、人材の 格付けも行われている。
 はしこい人は個人的開発能力、理解力、応用力等に関わらず最新の成果への 接触権によって、この勾配の大きさを利用して生活する。
 勾配をならす努力に社会的価値がある。情報勾配をならすことが、社会的に 必要である。
注72

 

第3項 社会的意志決定

 過程、方法は様々であっても、社会的意志は決定され、強制力を持っている。 社会的意志決定を無視して、個人的生活は成り立たない。正・不正に関わらず、 社会的意志決定には基本的な過程がある。
 社会的意志決定は政治問題だけのことではない。また政治問題も政党、官僚 機構だけの問題ではなく、マスコミやミニコミまでもが社会的に相互作用して いる。

【社会的認識の提示】
 社会的認識は具体的に提示される。社会的媒体を通して、解釈、課題、方策 が提示される。
 社会的認識の提示は個人による場合も、集団、組織による場合もある。
 社会的意志決定のためには、決定されるべき内容が具体的に提示される。

【社会的認識提示の評価】
 社会的媒体によって提示された理解、課題、方策は社会的に評価される。
 考え方が多様であるなら、それぞれに多様であるはずである。それぞれの内 容の評価とともに、多様性が全体をとらえているかも評価しなくてはならない。
注73
 社会的認識の提示主体そのものが評価される。組織、集団、個人が社会的に 評価され、評価が社会的影響力を変化させる。

【社会の意志】
 社会の意志は多数決で決定されるものではない。社会の統一意志があるわけ ではない。多様な個人、集団間で、多様なレベルで矛盾しながらも現実に実現 されていく意志がある。社会の意志は現実の社会組織、社会の運動を通して現 れる。制度的決定、世論調査はひとつの方法であるが一つの指標でしかない。
 情報処理機器(電子計算機・通信等システム)が発達し、全構成員の意志表 示を短時間に集計できるようになっても、それで社会の意志決定が妥当に行わ れるものではない。個々の問題について共通の理解がえられていなければ、投 票は意味をなさない。いつの時点でも、完全な共通理解を求めることは不可能 である。理解のための能力、環境、手段の壁がある。問題の決定、解決に、十 分な範囲の関係者と、関係者間の十分な深さの共通理解が必要である。形式的 決定は実践に際して破綻する。
 社会の意志は個人によってではなく、現実の社会の運動過程で決定される。 社会の意志を決議文だけで知ることはできない。社会の意志、方向性を理解す るには、その社会の全体にわたる構造と、機能、すなわち全体の運動法則を知 らねばならない。この非決定的な決定基準を、現実の妥当な基準に合わせるこ とが社会の意志決定過程の運営の課題であり、民主主義の本体である。

【社会的意志決定手続】
 最も原始的な社会的意志決定は専決である。経験豊かな長老の公正な専決は、 即自的社会では当然な意志決定手続きであった。
 独裁者による専決も社会的に正当化されなくては、社会的実行力を備えるこ とはできない。独裁者は意志決定手続き過程を巧みに操作することによって決 定権を占有する。
 民主的意志決定は多数決によってのみ実現されるものではない。多様な解釈 の提示、課題の提示、方策の選択枝の提示がなされ、比較検討がなければ、民 主主義は実現されない。
 また民主主義は直接制に限られない。総論賛成、各論反対では決定は実行さ れない。実行される決定のためには、実践的な決裁階位が必要である。社会的 実践過程で評価された者による代議制・階位制によって、決定が民主性、実効 性をもつ。

【社会制度の発達】
 社会制度の発達の歴史は、社会的意志決定の民主化の歴史である。歴史的段 階のそれぞれの社会で意志決定の制度の発達が繰り返された。人類史の過程で も、地域的にも社会制度の発達は進歩と破壊を繰り返して、次第に発展しつつ、 いまだに繰り返されている。
 社会制度の進歩の度合いは、歴史の発展段階とは別に繰り返される。

 

第4項 文化の物質的基礎

【文化の存在】
 文化を構成する要素は個々の人間であり、社会である。ことば、図形、記号 等およびその媒体と、その社会的媒体自体の運動である。個々の人間、社会、 社会的媒体の環境として作り上げられた社会施設・制度である。
 文化は出来上り、固定された物ではない。社会の精神活動として、実際に活 動中である。時代的に区切り、過去の文化を問題にすることができるが、それ も活動中であった文化の意味であって、歴史書の内に固定されたものではない。

【文化的価値】
 文化は社会活動の内の精神的部分であり、社会的価値体系を含む。一つの社 会の価値体系は一つとは限らない。一つの社会の価値体系が一つであることの 方が異常である。抽象的には、一つの社会にはひとつの価値の現象形態がある が、それは他の社会と比較する際にひとつに数えられるのであって、具体的に その社会内で対立する価値体系は一つとは見なされない。


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