概観 全体の構成
【人類の誕生】
人間の誕生は個人の誕生ではなく、人類の誕生である。
人類の誕生は生物進化としての過程と、人間社会の成立、及び人間文化の成 立の過程として理解しなければならない。また、単に人類学的枠にとどまるこ となく、生物史、地球史、そして基本的には宇宙の歴史の視点から位置づけな ければならない。我々自身のこととなると、結論を先取りした論理が優先しが ちで、還元主義や神秘主義が入り込み易いが、戒めなければならない。。
人間の誕生を科学としてとらえようとしても限界、制約がある。他の歴史科 学と同様に実験ができない。すべてが過去のことであり、資料を集めるどころ か、ごくわずかの資料を部分的にしか利用することができない。社会、文化に 関わる資料は物としては残されていない。
したがって、考古学、人類学、生物学等いづれであっても決定的なことは言 えない。新たな資料、新たな測定方法によって、それまでの結論が否定される こともある。
しかし、これまでに得られた資料から、人類誕生までの主要な段階を歴史的 にたどることができる。生物進化の延長として人類が誕生し、社会、文化が成 立したことを否定する新たな資料が発見される可能性はまずない。
世界観にとっても人間の歴史、人間の本性を理解するためにも人類の誕生に ついての理解は不可欠である。
生物進化の延長上としてだけ人間が現れたわけではない。人類以前の進化の 要因とは異なる「社会性」と「労働」によって人類は進化した。人類の誕生に 関しては生物進化としての連続性と、変革者としての異質性の両面を見なくて はならない。
【ヒトの特徴】
他の生物と異なる人の特徴はいくつも数えられている。身体的特徴としては 直立歩行による手の発達、大脳皮質の増大、声帯の発達、無毛等があげられる。 霊長類との共通した特徴としては立体視、前肢親指が他の指に対向しているこ と等があげられる。認識能力、運動能力は一般化の方向への進化であり、一つ の能力によって他の生物よりも優位に立ってはいない。
生活上の特徴としては、ことばによるコミュニケーション、記録。道具を用 いた労働。生きて行くことに直接必要でない、遊びをする。
これら諸特徴は互いに関連し合っている。進化の過程での相補的的関係とし て。原因と結果の相互関係として。これらの関係は論理的に整理されなければ ならない。そのために、古生物学、生態学、生物学、遺伝学、心理学、人類学、 社会学、哲学各学問分野の個別的成果を、何が本質的で、何が条件となって現 れてきたのかを求めねばならない。
結論から言えば労働と社会性の発達が生物的ヒトを人類、人間へ進化させる 契機となった。しかも重要なことは、労働と社会性は相互に緊密に関係してい る。そしてこの人類への進化は、気候の寒暖の変化などの歴史を通じて条件づ けられた。地球上では人類への進化であったが、他の星では同じ形の生物であ る必然性はない。生物進化の必然的到達点として環境、自然を変革し、それら を自らの生活圏として再生産してきた。同時に、自らの内に環境、自然を反映 し世界を再構成する人類という知的生物に至った。
【ヒトの肉体的能力の獲得】
ヒトは樹上生活により手足を分化し、直立二足歩行と手で物をつかむ機能、 そして立体視を身につけた。これは霊長類の特徴である。強い握力に適した対 向性の親指、正確に距離を測る前視性の両眼は樹にぶら下がり、枝から枝へ飛 び移るのに不可欠の能力である。代わりに聴覚、臭覚は相対的に退化した。
ヒトは樹上生活から平地へ生活の場を移動し、直立二足歩行をするようにな る。直立二足歩行は脊椎の上に頭蓋骨を乗せ、頭部の重量増加を支えることが できるようになった。また移動に腕を必要としなくなり、物を持て運ぶことが できるようになった。
立体視、直立、手の使用は脳中枢神経の発達の条件であり、脳の発達が立体 視、手の作業を高度化した。これは、より発展的認識能力の可能性の獲得であ る。
注49
肉食は効率的な栄養補給であり、食物獲得の為の活動を軽減し余裕をもたら す。行動のすべてを捕食に費やさずにすみ、余裕は捕食のための準備を可能に する。
【集団生活の意義】
しかしこれらの機能や、可能性だけでは生物の一種でしかない。これら機能、 可能性を人間のものとし、人間としての生物的生き方を身につけねばならなか った。これを実現する運動が労働であり、労働を人間的にするのが社会である。
早く走ったり、牙や打撃力などの肉体的な闘争手段を持たないヒトが狩猟す るには、道具を使用することとともに、集団行動が必要である。集団による狩 猟は狼、ライオン等でも行われている。
集団行動は食料獲得を容易にするとともに、相互依存関係を強め、社会性を 強める。相互依存関係の強まりは、互いの表情、叫び等を情報として共有、形 式化し、集団の状態全体と個体の関係を密にする。これは言語への発展の可能 性になる。
注50
ヒトを他の生物から区別し、人間たらしめるものは労働である。
しかし、労働だけがヒトを作ったのではない。ヒト以外にも自然に働きかけ る動物はいるし、道具を作る猿もいる。労働が人間進化にとって重要なのは、 単に原因でも結果でもない、その両方の契機としてである。労働によって人間 となったし、人間だから労働した。しかも人間の労働は社会的に結びつけられ、 伝えられ、受け継がれる。労働の社会性、社会的労働であることが重要である。 したがって、人間への進化は、生物的進化の過程に限定してしまっては一面的 になってしまう。
【物質代謝の基礎】
労働はヒトが生物としての物質代謝を担う基本的な運動である。
生物として、しかも動物として生きている限り、人間であっても食物を摂り、 体温を調節し、傷病から身を守らねばならない。生物としての生命維持の基本 的過程を否定することはできない。
生きていく上で、他の動物と同じく人間も太陽光、土地、空気、水、食糧を 必要としている。このうち地上で普遍的に得られるものを除けば、人間による 働きかけが必要である。水や自生の植物であっても、採集し、運搬し、蓄積し なくてはならない。動物は狩猟し、飼育しなくてはならない。衣料は加工しな くてはならない。住居も安全性、快適性のためには作り出さなくてはならない。 生活レベルが上がるほど、自然のまま利用できる物は少なくなる。人間として の生活のためには、基本的に何らかの生産的労働を必要としている。
【社会的物質代謝】
人間の物質代謝は社会的に実現される。協力、共同によって社会が維持され、 個体の生存が保証される。社会の基礎となる物質代謝を実現するのはヒトの働 きかけである。
食べるだけなら獲得したその場ですむ。食べるだけの行為は、社会的ではな く、動物一般の行動である。食糧も採集であれ、狩猟であれ、ヒトによる働き かけが必要である。ヒトが人間として生き、自然物を社会的に利用するために は、必ずヒトによる働きかけが必要である。自然物はヒトの働きかけによって 社会に取り入れられ、社会的物質になる。
働きかけによって自然物は社会に取り込まれる。働きかけを必要としない自 然物は社会的に価値を持たない。太陽、空気、雨水は社会的価値を持たない。 社会的価値は社会的物質の価値であり、人間にとってのみの価値である。動物 にとっては社会的物質も、自然物も何ら違いのないただの物質である。
社会的価値は、社会の物質代謝に対する有用性である。社会的有用性は人間 が働きかけることによって実現される。社会的有用性を実現する働きかけが社 会的価値を生産する。互いに有用であるから、協力、共同して働く。互いに交 換できるのは、それぞれに提供する社会的有用性のある働きである。
注51
【道具使用の意義】
道具は肉体的能力を拡張する。棒は腕を延長し、あるいは武器となる。石片、 骨片は打つ、切る能力を拡張する。やがて見る、聞く、科学的分析としての味 合う能力を道具によって飛躍的に拡張する。人は空を飛び、海に潜り、宇宙に まで飛び出すことができるようになった。
道具の使用は環境へ働きかける能力の飛躍的拡大である。自然に対する人間 の関係の質的発展である。道具の使用は環境を利用するための強力な武器であ る。環境を部分的にしろ変革し、手段として環境変革に利用する。
道具の使用は神経系の発達を促す。知識を獲得することの意味だけではなく、 眼を中心とした感覚器官、手、手指を中心とした運動器官の機能の発達をとお して、特に中枢神経系を発達させる。
自然の、物の性質を道具を媒介にして比較することができる。力、運動を物 の関係として理解できる。理論としてでなくとも、具体的に自然の関係を道具 の使用によって理解する。平衡、回転、摩擦、合力など、道具は自然の関係を 具体的な物として表現する。道具の使用は知的能力を訓練する素材を提供する。
道具の使用による個体の変化は、生物進化の延長線上にありながら、質的に 全く異なる進化である。それまでの進化は、身体機能を環境に適応して特殊化 した。したがってその適応には身体的限界がある。しかし、道具の使用は身体 機能を一般化することで、無限の多様性を獲得する。
これらは主体確立の物質的基礎である。
注52
【道具作りの意義】
道具を作ることは他の動物でも行う。野生のチンパンジーも適当な木の枝を 選択し、余分な小枝、葉を取り除き、アリ塚に差し込んでアリ釣りをしてアリ を食べるものがいる。道具作りは人間だけの能力ではない。生物進化の必然的 な到達点である。人間は特別な進化上の隔絶された地位にあるのではない。
道具は作られる前に目的が設定されている。目的のために利用できる物では なく、目的を実現するために作られる。因果関係が、目的と手段の関係が、使 い手に理解されていなくてはならない。逆に道具の利用によって理解される。 道具づくりは客観的対象を、客観的に理解できることの証であり、理解の契機 である。
道具作りでは、変化させることのできる自分と対象との関係が意識されてい る。対象としての環境を、変革の主体の側に取り込む。環境の制御は、環境に 対する認識を深める。道具を利用し、作り、利用する繰り返される過程で、対 象を試し、道具を試し、全体として環境を試す。道具を目的にあった物に改良 し、労働対象を目的にあった物にすることは、対象を理解し、制御するだけで なく、主体の制御と理解でもある。道具づくりは対象と主体の関係の理解の証 であり、理解の契機である。
ヒトは道具を作る道具=工具を作る。工具は再生産を前提とし、未来を予測 するものとして文化である。道具を作る道具=二次的道具は、道具使用の普遍 性の実現である。工具は製作結果だけでなく、製作過程の重要性を物質化した ものである。個々には製作結果が有用であるが、製作能力を物質的に蓄積し、 製作効率を発達させる物質的保証である。
【労働の自然変革】
労働は自然を対象化し、変革するものである。
単純な労働は、対象を変化させることを主目的とする。位置の変化としての 採集、狩猟。質の変化としての調理。過程の変化としての道具作り。
労働は自然環境を人間化する。生物が地球環境を生物化したように。ヒトは 植物を作物にして耕地を作り、動物を飼育して家畜を作り出した。
人間の社会的労働は、自然環境を社会化する。人間社会なしに、今日の自然 環境は存在しない。そして、人間は自然環境を根底から破壊する力を獲得して しまった。
【労働による自己変革】
労働は対象と労働主体の関係も変革する。人間を取り巻く自然環境が労働対 象であり、自然環境の中の、社会的に結びついた人間が労働主体である。労働 対象と労働主体の関係は、一つの物体と一人の人間の関係だけではない。
労働によってヒトは、自らの肉体的・精神的な生物的機能・能力を変革する。 単純な労働であっても、対象のみを変化させるだけではない。労働は対象と主 体の関係の変化の過程である。労働の前と後では、対象が変化するだけでなく、 対象と主体の関係が変化している。
【労働主体の対象化】
共同労働は共に働くヒトを対象化する。
共同労働は一つの労働過程を、複数のヒトによって分担する。共同労働を分 担するヒトとして、自分と他人は入れ替わることができる同質の存在である。 他人も自分と同じに感じ、同じに考え、行動するヒトである。自分の労働を統 制するように、他人の労働も共同で統制することができる。他人に対する働き かけは、共同の場において自分に対する働きかけでもある。
労働は原材料を対象とするだけでなく、ヒト自らを対象化する。ヒトはヒト 自らを認識対象とし、変革の対象とする。人間は人間社会を認識対象とし、変 革の対象とする。
労働は単に物を作るだけではなくなる。原材料、食物、建物、衣類、日用品、 道具、機械等を作り出すことだけに限定してはならない。労働の過程自体を変 革の対象とすることも労働である。ただし、質の違う労働である。
【労働による自己実現】
労働は生活に必要なものを作り出すこと、人間を作り出すこと、社会を作る ことの他に、人間の自己実現でもある。自分の生活にあって、自分の能力によ って、自分の思い描くものを実際に作り上げることである。自分の内なるもの を、自分の外に、自分の存在以外に、自分の存在とは別に作る、産出する。自 分の生活を実現するために労働し、労働が生活の一部である生活の実現は自分 の実現である。
それぞれ労働の効率は違っても、それぞれに可能な形で社会的な役割として 自ら労働して生活することが、人間として生きることである。それぞれに可能 な社会的な働きかけの場を確保することが、人間として重要である。
注53 注54
精神活動は人間の生活している世界の反映である。このことで重要なのは、 生活しているということである。対象と自分との相互関係を反映することであ る。
注55
【精神の物質的基礎の生成】
労働はヒト自らを変革する。
対象と主体の関係の変革は、主体の対象に対する働きかけの関係の変革であ り、主体のあり方の変革である。
対象に対する働きかけは、操作、認識の訓練であり、肉体的、精神的機能を 高める。
自然の運動を制御し、利用することは自然を理解することである。働きかけ の作業訓練であると同時に、世界と自分の空間的、時間的、構造的関係を体験 し、理解する。
製作作業は、思考による目的物を現実の物として実現する過程であり、因果 関係、作業過程(段取り)を客観的過程として体験し、理解する。思考による 存在を現実の存在に転化させることは、思考そのものを現実的なものに発展さ せる。
実際の目的、価値を体験し、目的設定、価値体系・判断を理解する。
【認識能力の発展】
労働の発達は、それまではヒトが関わることのなかった自然に働きかける。 自然の物を道具とする、道具に加工することで、ヒト自身が生物としても変わ る。自然を対象とし、働きかけることによって対象の変化の法則性、対象と主 体の関係の恒常性を認識による。
変化・運動の過程の認識は、ものごとの関係の認識は物の存在の認識と質的 に異なる。変化・運動、関係の認識は記憶と結びつかなくてはならない。受け 身で眺めるだけでなく、自らの肉体を使い、道具を使い働きかける実践によっ て、記憶と結びついた認識が発展する。
労働の発達による認識の発達は、認識対象を自然環境から、自然環境と主体 の関係、さらに主体そのものに向ける。認識対象の拡大は、変革対象の拡大で もある。
【認識手段の拡張】
労働手段の発展は認識手段の発展である。自然に限らないが、対象に働きか ける能力の発達は、対象をよりよく理解する。労働手段の発達は認識手段の発 達として、認識能力の発達である。生物的認識媒体以外を媒体とする認識は、 労働手段の発達によって可能になった。
注56
ヒトから人間への進化の契機、過程である。労働が社会的関係として人間を 結びつけ、社会的関係を成立させ、ヒトを社会的存在として進化させる過程に ついてである。
【ヒトの社会性】
ヒトは生物種として、もともと集団的存在である。
ヒトはヒト集団なくしては、生物としてすら生きることはできない。ヒトは まず保育されなくてはならない。ヒトは家族集団の中に生まれなければ、生命 を維持できない。ヒトは狼の乳では、栄養構成が異なり育たない。生物種保存 のための集団は、ヒトを育てるための集団となる。
生物の生活集団でも生殖や、共同しての食料の確保、外敵からの安全の確保 のために、個体間の関係を制度化する。サル社会においても階位制がある。生 理的集団を超えて、生活集団を形成する生物は社会を形成する。
生活集団としての社会にあって、生まれてきた子供は社会の構成員として訓 練教育されなくてはならない。個体間のかかわり合いの規則を身につけなくて は、集団内に受け入れられないだけでなく、生命すら保証されない。人間によ って育てられた野生の個体は、餌の分配規則、喧嘩の調停規則等を身につけて いないことにより、集団内では生活できない。
昆虫の「社会」は人間の社会とは本質的に異なる。人間の社会は生物的には 同質の、対等の個体の社会である。人間や猿は社会的役割を個体間で交替する ことができる。昆虫の場合、分業は生物的個体の特化である。人間は一定数分 かれることによって独立した社会を作りうるが、昆虫はそれぞれに分化した機 能の個体をひと揃い揃えなくては新しい集団を作ることはできない。
【生理的関係から労働関係へ】
ヒトは動物であり生存するだけでも基礎代謝としての生理的活動を行ってい る。ヒトは基礎代謝を実現するだけでも、意識的な自然への働きかけを必要と している。ヒトの生存には、基礎代謝を超えた質・量の物質代謝の活動を必要 としている。
注57
労働は人間の物質代謝の主要な過程である。物質代謝系へ自然物を取り込む のが労働である。取り込まれた生産物により物質交換をするのも労働である。 物質交換、労働を管理するのも労働である。人間の物質代謝系から自然の物質 循環系へ廃棄物を還元するのも労働を必要とするようになる。
ヒトは相互扶助、生殖による集団から、労働の関係による社会化の過程で人 間へと進化した。労働は直接的な消費の過程から、共同した作業により一端生 産物を作り置く過程が成り立つ。自然物を自然物としての直接的消費から、自 然物を一端社会関係の内に取り込んでの間接的消費への過程で労働が社会的基 礎になり、人間が進化した。
【労働による社会結合】
共同した労働は、社会の中で協同と、分担を発展させる。共同と分担は相互 前提の関係にある。労働を共同と分担とした社会は、生殖関係を中心とした社 会を労働を中心にした社会に発展させる。生物としての物質代謝を社会的生産 と流通、消費の関係にする。
社会は経済的な発展を前提にはしない。家族が成立する以前から人間社会は 存在した。
逆に、共同と分担に基づく労働は社会的労働になる。共同と分担に基づく社 会では、ヒト個体の単独の、それだけで完結する労働の割合は減少する。部分 的な、形の上では単独の労働であっても、その成果は社会に提供されて評価さ れる。自給自足といっても、完全に孤立した生活でなければ、生活に必要な物 をすべて自給することなどない。まして、自給のための技術、子供を生み育て ることを一人でできるわけがない。
【労働手段の社会化】
道具、労働手段は、一回の労働にだけ使われるわけではない。労働手段は制 作者一人だけに使われるわけではない。社会的に共同利用され、社会的に伝承 し、社会的に改良される。労働手段は社会化される。
石器であっても規格化される。まずは社会的規格としてではなく、目的にあ った形状としての規格化である。目的に合わせる規格化は、機能に合わせた規 格化により、社会的規格になる。社会的試行錯誤を経て、社会的経験として蓄 積されることにより社会的規格になる。規格自体が社会化された概念である。 規格化された見本に習って再生産することは、その見本の形状を知ることだけ でなく、規格の意味を知る。
社会における規格化は、知識として社会によって保持され、伝達されるので ある。道具、労働手段としてだけでなく、その使い方、使うための訓練、教育 方法も含めて社会化される。
共同と分担を成立させるため、社会を維持するために、共同行動の中で意志 疎通が一般化し、意志疎通の手段が客体化される。共同の過程で意志が表現さ れる。意志の表現手段、交換手段としてことばが発展する。ことばは交換され ることで対象を特定し、概念を特定する。
社会なくしてことばは成立しないし、概念も存在しない。
労働手段の社会的発展、ことばの発展によって、文化成立の物質的基礎が整 う。
【人間の実践の可能性】
精神活動を実現してきたのは、労働である。この方向は生活によって方向づ けられている。
注58
労働は環境との相互関係を代替性のある、選択の余地のあるものとした。動 物にとっては、環境との関係は受け入れるか、別の環境を求めるしかない。労 働する人間は環境に働きかけることによって、部分的に環境を変える手段を手 にいれた。寒さに対し、火を起こす等熱を制御し、より暖かい、質、量、形の 衣服を着、建築物によって外気を防ぐ等。労働は環境との相互関係の選択手段、 選択範囲の可能性を更に拡大する。
選択の実践は人間の精神活動を鍛える。労働は対象についての理解を深める。
そして、精神活動の成果は肉体的、生理的に感覚器官、神経組織、運動器官 の発達としてて定着してきた。
さらに社会的に社会制度、社会施設、記録、言語として、精神活動そのもの の手段、精神活動の教育環境、精神活動の実践環境をつくりだしてきている。
【精神の存在】
精神活動は物質の運動に媒介されており、かつ物質の運動を反映するものと して精神活動と物質の運動は相互に浸透し合い、構造をなしている。
精神活動は動物が進化誕生するまでは、地球上には存在しなかった。精神活 動は、ヒトが進化誕生するまでは生理的運動の一部、あるいは生物生活の一部 でしかなかった。ヒト以前の精神活動は環境に従い、環境を利用するだけであ った。ヒトの精神活動もヒト以前の物質の運動を基礎としている。物理的、生 物的物質の運動なくしてヒト、人間の精神活動はありえない。
ヒト、人間の精神活動も、神経系の生理的運動を物質的、生物的運動として 行っている。精神活動はその存在環境である物理的、生物的運動を対象として 存在する。精神的活動は物理的、生物的存在としての対象を精神の対象として 物理的、生物的運動形態、存在から切り放された対象として取り扱う。しかし、 精神活動の対象が物理的、生物的存在から切り放されても、精神的活動自体は、 神経の生理的活動として物理的、生物的運動形態をとりつづけている。
【物質の運動の最高の発展段階】
物理的運動、生物的運動と区別される物質の運動の、最高の発展段階が精神 的運動である。
物質の時空間的「場」における運動形態として、化学反応、分子構造の変化 としての物理的運動形態として、物質の運動を基礎にし、媒体として精神活動 はある。生命の運動としての自己保存、自己増殖、進化は、物理的運動を超え た物質代謝として統合された系の運動形態に発展した。物理的運動、生物的運 動に媒介されながら、それらを反映し、変革する運動形態として精神活動が発 展した。
【精神の自由な運動形態】
精神活動が物理的、生物的物質の運動形態と質的に異なるのは対象の無規定 性にある。物理的対象、生物的対象はそれぞれの法則にしたがって規定されて いる。しかし、精神活動の対象は法則を破りうる。対象の存在を否定すること、 論理を対象にとらわれることなく変化させることが、精神的運動形態には可能 である。物理的、生物的運動形態から、精神的運動形態は「自由」である。
精神的運動は、物質の物理的、生物的運動形態を反映しながら、物理的、生 物的運動形態から「自由」に、無規定的に運動しながら、その精神的運動形態 の存在基礎である物理的、生物的運動形態を変革しようとする。精神的運動形 態は物理的、精神的な物質の運動形態を超えて発展した、物質の運動の最高の 発展形態である。
【社会的存在である精神活動】
人間が社会生活をすることで人間であるように、精神活動も社会的存在であ る。
人間間での記録、通信、そのための記号、言語といった社会のコミュニケー ション手段を制御するものとしても精神活動はなければならない。社会構造を 維持運営するための社会的規範を実現するものとして、精神活動は方向づけら れる。精神活動は社会的に教育・訓練されなくては、生理的活動にとどまって しまう。生理的精神活動だけであっては社会は維持されない。
物質の運動としての社会関係は精神活動を規定する。精神活動は社会関係を 基礎とし、社会関係を対象とし、社会関係によって方向づけられている。
人間の生活環境として成り立った社会一般についてである。
【社会は人間性を実現する】
労働は生物をヒトにしたが、社会はヒトを人間にする。ヒトは共同生活の中 で進化してきたが、社会生活によって人間となる。社会は人間性を実現する。 人間は社会生活によって人間性を完成させ、定着させる。
人間は社会生活によって、生物的活動を人間的活動とする。
ヒトの共同生活は労働を通じて社会生活となる。
人間の活動はすべて社会的であり、人間性は社会性である。逆に、人間の社 会的でない活動は、生物的、物質的活動である。衣、食、住、生殖、人間の基 本的活動も、すべて社会性を持つ。人間は社会の中でしか、人間として生きら れない。
物質の階層、生物階層、精神階層、それぞれにおける社会性が人間の特質で ある。そして最後に個性、人格における社会性が人間の豊かさの物質的基礎で ある。各階層はその下位の階層に、存在・運動の物質的基盤を持っている。
人間は社会的物質代謝、社会関係の中で人格を陶冶し、個性を形成する。
【社会によって生かされる人間】
人間も、生物としての生活は社会的生産、流通、消費によって実現され、保 証されている。今日の人間の生活水準だけでなく、人類数十億人の生活、熱帯 から極地までに広がる生活ができるのは人間社会が機能しているからである。
ただ生きるだけでなく、よりよい生活、価値を求めての生活、それぞれに創 造する生活を実現できるのも、物質的保証を社会的に実現しているからである。 スポーツを含め、文化活動が行われる社会であるからである。新しいものを目 指す、創造する文化活動自体、社会的な教育・訓練を含めた制度、手段によっ て実現されている。文化活動の発展は、個々の活動の社会的相互作用、交流が あるからでえある。
【社会によって活動する人間】
人間は社会の構成員として生まれ、育つ。それぞれ個人の生活であっても、 社会活動の一部、一環としてある。一部の人間が反社会的であることすら、社 会の存在を前提にし、反社会的行為自体社会的である。非社会的人間は、社会 の矛盾によって歪められたのであり、社会的保護なくして生きていくことはで きない。
こうした社会的人間にとって、自然に働きかけること以上に、社会に働きか けることが生活の中心になる。自然を相手に生きたいとするのは、社会的生活 の矛盾に疲れたからであって、人間間の結びつき、相互関係そのものを否定す るものではない。
【社会によって形成される人間】
人間は子としてうまれ、育てられる。生物的に生まれ、育つだけでなく、人 間として生まれ、育つ。人間は基本的に対等な存在として育つ。アリやハチの ように、生理的に異質な個体として集団をつくるのではない。サルと同様に個 体の能力に応じた役割を果たすものとして、基本的に対等な存在である。サル 以上に対等であるのは、出産、授乳が生活の中で比較的小さな部分しかし占め なくなったことである。母親の出産、授乳の負担量が相対的に小さくなり、社 会関係で両性間の関係が対等になりうるようになったことである。生理的両性 間の違いを前提とした上での対等な人間関係の可能性が開けてきた。サルに比 べてのことである。現代社会での男女平等ではない。しかし、現代でも男女平 等は可能性としてはある。
対等な人間関係は相手を知り、理解することによって自分自身を知り、理解 することになる。社会関係の中にあって、自分の位置を知り、理解することが できる。自分自身の決断は社会的決断である。自分だけの問題では決断など必 要ない。自分だけの問題はただ、実行すればよい。
自分自身を変えることは、自分の社会関係を変えることである。自分をより 良く変えることの持続が、自分自身の人間性形成である。社会的自分を変える ことは、社会を変えることと相補的、一体のものである。どちらか一方を変え ようとすることは非現実的である。
【社会性ゆえの個人の成立】
個人は一個体であるから個人であるのではない。社会的関係の内にあって個 人でありうる。個性は社会的性質である。同じ生物的・遺伝的性質を持ち、同 じ環境で育っても個性は異なる。同じ環境だからこそ個性が異なる。双子の兄 弟であっても、兄弟として関係し会うことによって、それぞれ互いの立場が異 なり、性格が別々に形成される。性格、個性は生理的制約を受けない部分でよ り豊かになる。生理的制約を受けない部分は社会的関係である。
一人で個性を磨き、人格を高めることはできない。社会性ゆえに個人が成立 し、個性が伸び、人格が陶冶される。
人間の社会性は人間性としてだけでなく、生物として、さらに物質的関連と しても現れる。
【社会的に拡大する物質代謝】
人間が生き、人間たるためには衣、食、住が基本的に必要である。これらは 人間社会の生産物である。人間社会によって、人間社会の中で、人間社会の関 係に基づいて生産される。衣、食、住等の基本的生活手段は、社会の中で歴史 的に利用されるようになり、社会関係の中にしっかりと組み込まれ、人間関係 の社会性はますます強くなる。
生産における労働そのものが本能によるのではなく、集団の中で学ばれる。 生産は分配、消費と結びついて社会的であると同時に、生産そのものも社会的 に分業と協業の統一として行われる。
人間は分業と協業をとおして仕事を理解し、分析能力をえる。人間関係を理 解する。そして人間性を育てる。
生産は集団−社会の構成員すべてを養うよう組織される。ヒトは生きる能力 を社会の中で一般化した。
生産は自然環境から社会、個人の必要とする物質を作り、社会関係の中に取 り入れ、利用、消費できるようにする。生産は自然環境を社会的に変革する実 践である。生産は物質代謝の社会関係における最前線である。
分配は構成員全体を養うだけでなく、次の収穫までの間のつなぎ、また次の 生産に用いる分を蓄積できなくては生産を継続できない。
消費も社会的生産に結びついて、生産のための消費が必要である。消費は個 人を養うだけでなく、社会を維持するための消費も必要としている。
【社会的物質代謝の発展】
個々の生活手段となる具体的消費物資も、ますます社会的に作られる。
人間が生き、人間たるために必要な物は社会内での生産、分配、消費として、 社会活動を通じて獲得される。その活動は、個々に個人によって担われるが、 社会全体の関わりの中で実践される。それら自体、社会の発展と共に発展する。
労働手段、生産手段も社会的産物である。生産に用いる道具・方法は一人の 個人的発明ではない。ヒトが生まれて以来の経験知識の集積である。道具の規 格化、ということ自体社会的であるが、さらに、その道具の生産、使用方法に 至るまで、社会的に認め合われていることを示す。
物質代謝の社会的発展は生産の安定を確保し、多様性を実現する。それによ って個体数、人口の増大を実現し、生活の普遍性を実現する。採集だけで今日 の人口を維持することはできない。物質代謝の発展なくして、宇宙への人間の 進出はありえない。
労働は社会的に二重性を持つ。
【具体的労働】
労働は具体的に消費を最終目的としている。これは使用価値として社会に評 価され、社会の物質代謝に入り込む。人の生活手段として、あるいは生活手段 のためにどれ程有用であるかによって評価される。この労働は目的に対応して 特殊であり、具体的でり、個別的である。
【抽象的労働】
労働は抽象的に、社会の物質代謝の役に立つものでなければならない。人の 生活に有用であるかだけではなく、人間社会の運動にとっての有用性によって 評価される。社会を維持し、社会を運動させるものとして役立たなくてはなら ない。この労働は社会で互換できるものとして一般的である。この価値の評価 の基準となるのは、その生産物を作るのにその社会が必要とする労働量である。 その社会でそのものを作るのに必要な、その社会での平均的労働の量によって 測られる。具体的、個別的に、どれだけの労働をどのようにより少なく、より 多く費やしたかは問題にならない。
【社会的労働】
具体的労働は労働対象、労働手段、目的となる生産物によってそれぞれ質も 形も異なる。
抽象的労働は社会の物質代謝を担う人間の筋力、精神力の使用でありすべて の労働に共通している。抽象的労働は社会の物質代謝の水準によって、同質の ものとして生産物の量として評価される。具体的・個人的な労働の量としては 評価されない。
むろん、具体的労働と抽象的労働とは実践において統一されて実現される。
労働はこのように社会性を持つものであるから、さらに社会的物質代謝自体 を対象として働きかけることが、労働の重要な要素として付け加わる。個々の 人間は単に自然環境に働きかけるだけではなく、社会的物質代謝の関係、社会 的環境に対して働きかけねばならない。
個々人によって担われる人間の労働の組織として、社会の物質代謝は運動し 発展する。
【人間の性の社会性】
生物の特徴である自己複製、世代交替も、人間の場合は社会的である。
人間の発情期は通年化している。生理が季節によって影響されにくくなった のは、生活の社会的な保証による。
性交そのものが社会文化の影響を受け、生殖にとどまらない変化、発達をし ている。対面性交位は社会性の強い類人猿の一部とと人間だけのものであり、 生殖だけを目的とするのではない。人間の場合は性行為を生殖だけに還元、歪 小化できない。社会関係・文化における性の比重、影響は大きい。
人間の出産も社会的である。新生児は単独では決して生きられない。また出 産から次の世代を出産するまでの期間の長さも人間の特徴であり、社会的生活 能力の獲得の為の期間である。
【性関係の社会的発展】
人間の場合は性関係も社会的である。相手の選択は偶然のようであり、競争 によって選ばれるようではあっても、社会関係が反映している。選択基準が社 会的であり、むしろ社会関係による制約の方が大きい。動物の場合の雄の「強 さ」が生活力であっても、人間の場合の強さは腕力、体力だけが生活力ではな い。たとえ腕力であっても社会的に通用する使われ方をしなければならない。
性関係は動物にあっても生殖にとどまらず、共同する子育ての関係にまで連 続する種がある。人間関係にあっての性関係は、子育ての関係と切り離すこと はできない。また両性の関係が社会関係の重要な要素になっている。子育てに よって、人間として成長する条件をえ、成長に資する課題を多く経験する。子 育てを仲立ちとし、両性それぞれの立場から人間関係を見直すことになる。子 育ては子のために両親が関わるだけでなく、両性の社会的生活のためにも重要 な契機になる。
人間の性関係は広がりを持ち、広がりは社会関係によって実現されている。 さらには、社会関係によって性関係は歪められる場合すらある。歪められた性 関係によって、社会関係が影響されることもある。性差別として人間関係の断 絶を社会に持ち込み、また他の差別を容認し、社会関係の発展を阻害する。
概観 全体の構成