概観 全体の構成
【物質過程と生命過程の同一性と差異】
物理的物質の世界も多様であるが、生物の世界は桁違いに多様である。
ビックバンが日常的想像を絶する運動であることは違いないが、物質として の構造を変転させる生物進化はまったく異なる。物理的物質の決定論的法則性 の評価を超えている。偶然性がもつ自然の決定過程、現象過程での意味が質的 に異なる。物理的物質の法則に従いながらも生物としての運動は、物理的運動 法則からは決定されない自由度をもつ。
生命過程も物質過程に含まれる。この表現で問題なのは「含まれる」の意味 である。生命過程は物質過程から離れた存在、物質過程とは別な存在ではなく 「物質過程の一部分として存在する」と言う意味で「含まれる」。しかし、同 時に物質過程の一般的運動法則に反し、部分的に特殊な運動としてある。その 特殊性によって生物はその他の物質と質的に区別される。
生物過程は全体として物質過程から離れ、超越してはいないが、特殊である。 特殊である生物過程の個々の運動、反応は物質過程そのものである。物質的基 礎として原子、分子としての存在以外に、生命過程に物質的存在はない。おな じく、生物内の化学結合、エネルギー代謝の過程にあって、化学の法則が変化 してしまうことはない。しかし、当然のこととして、生命過程を物質過程に還 元することはできない。生命過程のそれぞれの過程を物理過程だけの法則によ って解釈、説明はできない。しかしまた、物質過程によらないで、物質過程に 働きかけるものも存在しない。
【生物の存在の物理的質】
物質過程にある物はその構造も、その構成要素も変えないことによって、そ のものとしての存在を維持する。その構造、その構成要素が変わる時は、その 物質的存在ではなくなり、別の物質的存在になる。あるいはより基本的物質的 存在に還元される。
生命過程にあっては生命個体の物質的存在は、常に変化している。ヒトの場 合でも、その体を構成する物質は入れ替わる。タンパク質はそれの構成する組 織、器官によって異なる時間的割合で、新旧の交替がおこなわれる。
生命個体は基本的に、その構成要素の物質過程としては常に変化交替し、自 らを異化している。しかし同時にその物質的構造としては維持される。さらに、 部分的に破壊された場合でも、新たな組織により修復し、しかも修復を制御し て全体構造を維持する。物理的にその構成要素がほとんど入れ替わっても、生 物個体としては同じ存在としてありつづける。同じであり続けるのは、保存さ れるのは、生物として活動し続ける構造形態である。
生命は個体の、そして種の存在を貫き通す物質の運動過程である。生命過程 は全体の物質過程の熱力学第二法則、エントロピー増大の法則、秩序から混沌 への過程にあって、部分的として秩序を構成する過程である。
【生命と生物】
「生命」と「生物」のことばの使い分けで、「生物」は個々の運動主体とし ての物質の運動を問題としており、「生命」は物理的物質に対する存在形態と しての生物の一般的ありかたを問題にする。
注26
【生物の情報処理】
人間はコミュニケーションすることで、情報機器に人格を見いだす錯覚を起 こすことすらある。情報機器の能力に幻想を抱いて向い合い、現実から逃避す ることすらある。情報は物質過程でも伝達され、システムを構成する。しかし 人間としての情報処理をするのは生物過程でである。
注27
【生物科学の問題】
生物を問題とするとき、生物の物質代謝、エネルギー代謝の物質過程の問題 はともかく、個体の生理的過程、行動過程の問題、種の進化の問題でそれらを 物質過程と同質には論じられない。
生態のデータを取るにも、再現性、データ量、実現条件等、それぞれ対象と している過程によって質的な差がある。まして、実験物理、実験化学とは異な る。
一般に常識とされていることを、動物行動学の専門家の研究成果を、非専門 家が評価、判断することはむずかしい。根拠とされる事柄ひとつひとつは判断 の対象にはなっても、事柄全体が事実なのか、特殊な条件下であったのか、観 察者の誤認によるのか、報告者のねつ造によるのか、なかなか判断できない。
しかし、関連分野の方法も含めた研究成果、専門家の間での議論、学問自体 の社会的環境から暫定的判断は下せる。時代の制約があるのはやむをえないこ とである。ただし、不注意や、怠惰、悪意による誤りを退ける努力は必 要である。
動物の運動能力の様々な測定データ、肉食獣は必要十分な捕殺しかしないな どの報告、生物界の「弱肉強食」秩序と食物連鎖の違い、「本能」という言葉 による動物行動の決定論的検討回避、ヒトの生理的早産性の過大評価、狼少女 アマラとカマラの虚偽性、等等。否定するにも、個々の事実データをあげるだ けでは十分ではない。
特に、人間の成長、教育に関する学問は、実践と不可分の過程であり、何が 正しいのか判断できないということではすまされない。自分自身の成長、教育 を対象とする場合、とりあえず判断し、実践することが必要である。さらに人 間は生物環境だけでなく、社会環境も含めて評価さされなくてはならない。例 えば、別々の境遇で成長した一卵性双生児の成長比較で、境遇の違いが生活環 境の違いとしてどれほどの意味があるか配慮しなくてはならない。
【生物進化論の承認】
今日、生物進化を否定する世界観は社会的にも少数の支持しかない。しかし、 生物進化の専門家以外の専門家ですら、進化論を認めて一貫させようとする試 みは少ない。特に生命の誕生の時期にさかのぼるほど、進化論に対する確信は 揺らぎ、非進化論が持ち込まれる。生物学上の個々の事柄を引き合いに出して 進化論を否定することがある。
注28
生命を神秘化する見解が繰り返し現れる。物理学者の中にまで「人間原理」 を唱えるものが現れる。
生物学の個々の分野で生命の誕生、生物の進化の構造を明らかにできていな くとも、生物学だけでなく、物理学、化学、考古学などからも生命の誕生、生 物の進化は事実として承認されている。生物学の個々の分野でどの様な進展が あっても、パラダイムの変換があっても、物理過程からの生命の誕生、生物の 進化を否定するものにはならない。
【獲得形質の不遺伝と進化】
注29
より発展的階層はより基本的階層に規定されるが、より発展的階層もより基 本的階層に対して独自の形態の運動として自己を規定する。しかしそれは、基 本的階層のあり方を変えるものではない。遺伝情報はDNA、RNA、タンパ ク質、個体組織と伝えられ、発現するのであって逆ではない。逆の情報伝達過 程は一般の生物では未発見なのではなく、原理的にないのである。
獲得形質が遺伝するのであれば、種としての普遍性がなくなる。
注30 注31
【生命の一様性】
DNAあるいはRNAの核酸の遺伝暗号によるタンパク質合成の機構は、ウ ィルス、ファージ、大腸菌からヒトにいたるまで、すべての地球生物に共通で ある。
アミノ酸、タンパク質、脂質を主要な物質的基礎としていることも、すべて の生物に共通である。
地球上の生物圏では生物は普遍的に存在する。土壌の中にも、空気中にも普 遍的に存在し、部分的環境の変化によって一時的に生存できなくなっても、再 度、あるいは新たな種が繁殖する。人間による生物物質代謝の全体が破壊され ない限り。宇宙規模での地球破壊が起きない限り。
【生命の多様性】
地球上の生物種は300万とも、500万とも言われる。それでも、未だ調査され ていない熱帯雨林にはさらに多くの種、合計3,000万種の存在が推定されるとい う。
種別の基準が、素人にも明確であるかはともかく、化学物質の多様性と違う のは、相互に変換できない質的な差である。化学物質は合成も分解もできる。 化学物質は、原子という共通の要素の組合せからなっている。しかし、生物種 は、生命合成の可能性の問題とは別に、置き換えのできない区別されたもので ある。
生物種の生活環境も90゜Cの温泉に住むものから、南極には零下20゜Cで生 活するバクテリヤや菌類がいるという。大は30mのシロナガスクジラから、1,0 00分の1mmのバクテリア、そのバクテリアにとりつくバクテリオファージがいる。
宇宙の大きさの全体と、クオークの大きさの比、ビックバンの高温、高密度 と絶対零度、星間宇宙の密度の比からすれば比べるべくもないが、ひとつの生 物種の生活環境の制限の厳しさからすれば、やはりその多様性は大きい。
【生命の複雑さ】
生物の物理的物質との大きな違いは、その構造と運動の複雑さである。
遺伝をつかさどるDNAは4種類の塩基の対が鎖状に連なり、螺旋をなして いる。人間の細胞ひとつに含まれるDNAを伸ばしてつなぎ合わせると1mにな るという。それが幾重にもたたみ込まれて、染色体としてある。その遺伝子を 持つ細胞が、ひとつの授精卵から分裂し、同じ遺伝子を複製しながら、まった く異なる機能を持つ組織、器官を形成し、1兆個の細胞によって人間が成り立 つ。人間ひとりのDNAをつなぎ合わせると200億キロメートルになるという。
遺伝子として機能する部分は、高等なほ乳類でDNAの数パーセントにすぎ ない。
運動の複雑さはロボットを例に取ればよい。直立二足歩行するために数カ所 の関節をそれぞれに動力で動かし、動かす量と強さを制御する計算をし、左右、 前後に全体のバランスをとって傾ける制御もしなくてはならない。そればかり でなく、場所、目的に合わせて運動量、方法が異なる。
【生命の合目的性の評価】
生命、生物の運動は「合目的性」、あるいは意志があるようにみえる。それ ぞれの機能は目的にあった形、能力を持っている。それぞれの目的を実現する ために進化しているように見える。しかし、生物一般に意志はない。
捕食は新陳代謝のための行動であるが、エネルギーを消費してまで捕食する のは、新陳代謝の実現が目的でも、食物が目的でもない。捕食の行動過程を実 現するものが生物として存在し、進化してきた。
生殖は個体のためのものではなく、種の保存のためのものである。しかし、 種の保存の「為」に個体が生殖をするのではなく、生殖をする種が保存され、 進化してきた。
目的意識なしに客観的に捕食、生殖の行動があり発達する。
自家受粉しない植物は、風や動物を利用して受粉する。その利用は実に巧み な手段を用いるものもある。そうした方法は目的意識的に工夫されたのではな く、方法を実現したものが進化してきたのである。
このように、運動過程自体を生存、進化のために組織化する総体として生物 の運動の特徴がある。
こうしてできあがったフィードバック過程を認識の対象とすることによって、 目的が意識され、目的と手段の体系が価値として人間に認識される。生物の階 層、過程では、物事は部分と部分との継起的な連なりの結果として現象する。 全体を前提とし、結果を目的として先取りすることは、客観視できるようにな った意識の中で実現される。「合目的性」は実践によって媒介され、意識に反 映されるものである。
意識に反映された「合目的性」が、生命過程、生物の運動の観察に介入し、 対象を擬人化してしまう。システムとして組織された過程の客観的運動にも、 実現される結果が客観的に存在する。それを、システムの目的と認識するのは 人間であり、人間はその目的実現のために、そのシステムを利用する。システ ムの実現過程自体が、目的を持つのではないが、「目的性」とはその過程をと おし、客観的に存在する。それを「合目的性」とするのは人間の倒立した解釈 である。
「目的」「価値」を見いだし、それによって現実を方向づけようとするのは、 実践する人間である。「目的」「価値」は人間の社会的意識として存在するの であって、その外に存在するものではない。
【生命力】
生命力は自然の力である。生命力は超自然的力、神秘的力ではない。生命力 とは代謝能力、生理的制御能力、免疫能力、運動能力といった、生物体を維持 し、活動させ、種を保存させる能力の総体である。自然的な力が生物体に一体 となって働く力である。個々の力の発現の連関(メカニズム)は現代の生物学 でも明らかにしきれてはいない。しかし、これまでに科学によってとらえられ てきた自然の力で機能していることを疑う契機はなにもない。生命力は超自然 な力、神がかりな力ではない。
注32
【奇跡の根拠】
奇跡とは自然法則を破ることではない。非常に低い確率の結果を手に入れる ことである。あるいは原因と結果の誤った推論、関連づけによる誤解である。 確率の程度は事柄によって異なり、主観によって劇的に評価される。
注33
低い確率の結果を実現するには、量をこなすことによって実現の確率を高め ることができる。量をこなすには、ただ一途に量的規模を目指すのではなく、 効率を高めることも基本的な方法である。さらに、効率を高めるには条件を獲 得し、整えることも前提として必要なことである。人間はこうした方法によっ て奇跡を実現してきた。
富くじも、オリンピックの勝利も、芸術、学問の成果もこうした方法によっ ているのであり、その実現の最後に偶然がドラマを盛り上げる。何もしないで、 偶然だけで実現する奇跡など存在しない。
奇跡の問題はむしろ、奇跡を期待する事柄自体である。奇跡自体は問題にな らない。
低い確率に価値を認めるのは、全体のエントロピー増大化の過程で、部分と して組織化が行われ、秩序が現れる事柄に対してである。そこに、宇宙が構成 され、生命が誕生し、我々が存在し、文化が築かれた。そこに共感や、連帯が 感じられるのである。そこに、我々は価値を見いだすのである。
注34
【生物科学】
生物学を人文科学、社会科学と同様に「科学」としては認めない人がいる。 問題は「科学」の定義である。
「生物学では生物的現実を予測することができないから科学ではない」と主 張する人がいる。生物学は未来の予測だけではなく、過去の予測もできない。 過去の事象がたどった過程を、生物学は論証できない。過去のひとつの事象が 明らかになって、それがどのようにして変化したかを説明できない。
このことは物理学でも同じである。量子力学では不確定性原理があり、量子 力学が物質存在の基礎を扱っている。逆に生物学では個体の発生過程を明らか にしている。個体の発生過程が非常に複雑ではあるが、規則正しいものである ことを明らかにしている。すべての生命過程を明らかにはしていないが、この ことは物理学でも同様である。生物学は個体発生の規則性が破られると、どの ような結果が現れるかを説明できる。生物学が科学でなければ、誰が安心して 医学手術を受けることができるのか。
生物学と物理学、化学とが違う学問であるということは明らかである。物理 学の対象とする陽子、中性子はそれぞれ他と交換することができる。素粒子同 士交換しても同じ現象を現す。しかし生物の対象とする個体を交換したのでは 同じ結果は得られない。一卵性双生児以外、すべての個体の遺伝子が異なるか らである。
法則が一般法則として成り立つかどうか、法則が歴史法則であるかによって も科学を区別することはできない。物理学で扱うこの宇宙の物質は、ビックバ ン以来の歴史的産物である。物理学が個々の物質の歴史性を問題としていない だけのことである。一般法則の一般性は相対的である。
概観 全体の構成