続き §5.目次

戻る §3.世界観の構造と叙述の方法

概観    全体の構成


§4.世界観の私的位置づけ

 私は中学の英語でつまずき、以後克服できず職業研究者への努力を放棄した。 授業で

「This is a pen.」

を疑問文になおせと問題を出されてもクエスチョンマー クを付ければいいのか、イントネーションを変えればいいのか、どう考えても 分からない。「犬を飼う」ことが「犬を持つ」ことと同じであるとは思いもよ らない。語学は私の理解を超えていた。何故、どの様に語学を学ぶかを知らず、 一斉授業の形式を承認するうさんくささに抵抗した。それ以前の小学校の時、 IQテストで学者などになるには足りないと教えられたことも影響しているの かもしれない。
 当時は形式さえ整えば卒業できる私立大学を卒業し、事務労働者として生活 する一方「世界観」に興味を持ち続け、様々な分野の入門書、解説書等を読み、 労働学校、公開セミナー等に参加してきた。体系的研究、研究手法の指導を受 ける機会がえられなかった。
 従って、私がここで書き連ねることがらは学問的に正しい裏付けがあるわけ ではなく、今日までの専門家が一般の人々に提供してきた情報を個人的に解釈 した結果である。
 ここに一個人の解釈の成果を専門家を含めた人々に提示する。個別に指導し いただけるなら、一番私に取って嬉しいことではある。それより一般的に大切 なことは専門家それぞれが、個人に世界をこのように解釈させた一つの例から、 それぞれの研究成果を社会に提供・還元する際に、受け手の世界観の形成につ いて考慮していただくことである。この世界観での解釈の誤りを正だし、それ ぞれが持つ世界観をより良いものとするよう、これからの情報提供に役立てて いただければと思う。できることなら、それぞれの専門家の協力により一つの、 最新の成果を反映する世界観を提示する場がどこかにできればと希望する。
 無論、それが国定教科書になったり、唯一の真理と考えられるような状況に ならないような配慮は必要である。

 序の最後に、私にとっての世界観の位置づけを明らかにしておく。
 ひとつは、理論活動を職業としていない私が世界観を叙述することについて。 ひとつは、それこそ個人的な世界観叙述への思いいれである。
 私は研究者でも、技術者でも、教育者でもない、事務労働者である。専門家 がどのように研究しているのか、学会とはどのようなものかも知らない。その 私に世界観叙述の資格があるのか。
 普通なら、理論活動を希望するなら、それなりの社会的地位を獲得すべきで ある。その方が、系統だてて勉強できるし、生活、研究、情報といったあらゆ る条件が整のう。それができなかった、その努力をしなかった私が今更弁解し ても始まらない。要は、この非専門家性を唯一の特徴として、何ができるのか ということである。
 可能性としていえることは、専門家は、非専門分野でも、理論的活動であれ ば学問的誤りを犯すことができないが、私は誤りを犯しても失業する心配がな い。
 専門家は実務上、日常の非科学性、反科学性、不合理を経験できる立場にな いが、私は日々そのただなかに生活している。
 そして何よりも、世界観などという主題は学問的成果を具体的に期待できな いが、私には学問的に評価されることは、それ程現実的利益に結びつかない。
 これらによる可能性を汲み尽くせば、何か価値あるものを創造できるかもし れない。基本的な誤り、全体的な誤りがあっても、現代のデューリングになり えれば、これを批判する価値あるもののきっかけになりうる可能性がある。そ れぞれの、いや、すべての専門家の方々の批判の対象となり、それが総合され るきっかけにでもなれば幸いである。ディーツゲンになれたらわが子にも自慢 できる。

 できあがったこの「世界観」は第1に有形な世界観の表現として、人々が互 いの共通認識を確認するための素材を提供する。第2に今、個別科学の成果を 非専門家が理解するとできあがる全体像のサンプルを提供する。
 第1の意義については、表現の悪さ、メディアの問題を含め十分に機能しな いかも知れない。
 第2の意義については専門家に応えていただきたい。専門家の非専門家に対 する成果の普及努力の結果の一つはこんなものである。これからの成果の普及 努力に反映していただきたい。できればこの「世界観」の誤りを直接正すこと によって個別科学に裏打ちされた、有形な一つの科学的世界観を示してほしい。

注18

 ところで、私は組織性、規律性にとぼしく、人との協力・共同が大の苦手で ある。にもかかわらず賃金労働者である。現実の諸制度、諸組織に不満をもち、 官僚主義者を人類の敵と思い込んでいる。
 こんな私が社会と結びつき社会の役に立ちたいと思う。その課題が世界観の 表現である。人類に対して、私の子供達に対して、私の存在を証明し、社会的 存在としての義務を果たすこととして、私に世界観叙述がある。
 世界観について考え、書くことが私のもの心ついてからの生活の中心であり、 唯一持続している課題である。
 私にとって、理論的に世界観をまとめ、実践的に子供を育てることがライフ ・ワークである。

 これでは、いつまでたっても完成しない。全体を一定の水準でまとめること もむずかしい。まとまったところも、内容的に、形式的に、なおすべきところ は読み返す度に出てくる。この際、中間報告として批判を仰ぐことにする。

蛇足06


続き §5.目次

戻る §3.世界観の構造と叙述の方法

概観    全体の構成