続き 第三部 第二編 情勢

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概観 全体の構成

   目次


第2章 到達点での社会構造

 歴史的到達点としての社会の現在の構造である。歴史の流れに対する断面で ある。

 社会的物質代謝は全地球的規模で機能していて、国家の枠内だけで現在の社 会を理解することはできない。経済、政治、軍事、環境、文化、社会活動のあ らゆる分野が国際的な相互作用と大国からの影響を受けている。全地球的視野 で社会を見なくてはならないが、日常的なつながり、互いの影響力からはせい ぜい国家の枠が社会的視野にならざるをえない。国際交流の進展、職業や社会 的地位によっては世界的視野を必要とする人もより多くなっていくだろう。と りあえず主権者として政治の代表者の選挙権を行使できる国家までの視点で社 会を眺める。可能な限り国際的な見通しをもって。
 「国」あるいは「国家」をどうとらえるのか。制度として、暴力装置として とらえるだけでは十分ではない。地理的、言語的、歴史的、生活習慣の連なり として、他と区別される社会「くに」が感覚的にもある。感覚的には親しいは ずが「家」がつくと「国」は敵対的な「国家」になる。どうであれ、社会的概 念は言葉で表現するだけで対象を定義することはできない。物理的存在ですら 階層性があって、多様な相互作用の現象形態として我々に関わってる。その上、 社会的存在は法的、制度的に定義されたものであっても、運用する担当者によ ってその発現形態が異なる。
 総資本対総労働といった図式では、自らの位置と働きかける対象の位置関係 を定義したことにはならない。社会的存在にも物理的存在以上に錯綜した階層 関係がある。同じように、自然科学者が自然現象を解き明かすようには私に理 解できないように、社会科学者が解き明かすように社会を私には理解できない。 しかし、日々生活し、労働を評価され、徴税されている社会に対し「分らない」 ではすまない。ここでも、基本的な視点を確保しなくてはならない。重層的相 互関係からなる社会の階層性と、そこでの自分と対象とのの関係を日常的に確 認しなくてはならない。

 

第1節 権力の存在形態

注13

 社会権力、国家権力は支配者と被支配者に二分されて単純に存在するもので はない。社会関係を見る視点として権力、政策、制度、運用、執行のそれぞれ の実現過程について複眼的に、そして総合的にみなくてはならない。
 権力の所在、権力行使手段、権力行使過程、権力関係の現実とその主たる行 使者を可能な限り特定する。
 権力行使を理論化、正当化し、調整する政策の内容と、実施条件との整合性 を検討する。
 権力行使、政策実施を実現する制度のしくみと権限の階層組織を把握する。
 制度の運用実態として、権力・権限の行使者が現状・政策をどのように理解 し、あるいは理解していないのか、どのように職責を果たそうとしているのか を明らかにする。
 政策理念と実施過程での具体化、運用補助者を含めた実際の執行過程での実 効性を明らかする。
 権力の行使は支配的階級の意志による。支配階級の意志決定過程、権力行使、 権力維持過程を無視して、現実の権力関係を理解することはできない。権力、 政策、制度、運用、執行のすべての担い手によって、日々、個々に適用されて いる実態をみなくては現実は見えてこない。各実現過程は対立する階級の闘争 の場であり、到達点を示すものである。一方的評価では現実を見誤る。
注14

 

第1項 権力

【権力を中心とする社会関係】
 権力は階級支配の現実的社会的力である。しかし、徴税、公的資金の使用、 経済調整、治安維持、生活保障、不採算部門の経営等権力機構は社会の存立に 不可欠である。現実の社会的物質代謝を実現し続けるために、いますぐ社会的 強制力としての権力機構を廃止することはできない。それでも限られた地域、 分野、期間においては支配階級の支配をはねのけて、非支配階級による権力行 使が実現できた。一時の革新自治体の隆盛と衰退から多くのことを学ばなくて はならない。

【権力内関係】
 権力は単独の意志ではなく、支配階級の調整機構でもある。競争社会であっ ても、相互に破滅的な競争はできない。利権、政策決定をめぐり支配階級内の 調整は非政治的権力機構によって実現される。
 根回し、打診、調整は権力内の対立を覆い隠す。しかし、人事が権力間対立 を露呈する。どのように強大な権力を握った独裁者であれ、政策を実行する補 助者を必要とする。まして、民主主義を大儀とする社会では、利益集団が経済 的、社会的、政治的に別れ、それぞれの利益代表の人事をめぐって闘われる。
 支配階級内の権力闘争が現れるのは、被支配階級の力の弱さの現れである。 被支配階級の力が支配階級内の権力関係にまで影響を与えるようになると、権 力者は利用できるあらゆる手段を活用して権力支配の強化を図る。法的、政治 的、社会的、経済的制度までも変更し、反権力勢力の懐柔、分断、買収、弾圧 をし、マスコミ、ミニコミ、口コミを動員しての宣伝、世論操作が行われる。
 支配階級の統一された意志がなくとも、巧みな権力行使が行われる。それな りの能力によって、それぞれの社会的地位についている者が社会の動きに対し て自分達の利益を守るために、それぞれの専門の能力を発揮するのであるから、 事前の統一された意志がなくとも全体として統制されたごとくの運動がつくり だされる。
 これに対し、支配階級内の調整されるべき矛盾を突くことにより、階級支配 の不当性を、支配権力の不当性を社会的に明らかにすることも可能である。

 

第2項 政策

【政策理念】
 社会の基本政策として公平な租税負担、健全な経済運営、不況克服、生命財 産の保全、弱者救済、環境保護、生活環境の保全が合意されている。公式には 人権、民主主義、社会福祉が承認されている。
 しかし、階級社会では人間社会の本来の基本理念である養育、協力・共同、 相互扶助と階級対立の根元である富の独占との間に基本的矛盾がある。現代社 会の富の独占は資本主義として現れる。資本主義にとって社会的富としての資 本の蓄積に役に立たないこと、妨げることは悪である。
 次世代の養育は労働者の再生産としてなら価値がある。協力・共同は経済組 織の高度化、市場形成としてなら価値がある。相互扶助は市場の保全、資本の 負担の軽減のためなら価値がある。それ以外の生活向上は資本の社会に対する 負担、税金、社会保障分担金を増やすだけであり、悪しき政策理念である。
 利潤生産的でない分野は削減、切捨ての対象である。社会的力、社会的発言 権が利潤の生産性に基づいており、生産を実現している者たちが社会の中心、 標準的存在とされている。競争に参加しているものが社会の主人公であり、民 主主義や社会福祉は余裕のあるときの人気取でしかない。
 資本主義にとって積極的な政策は公的資金による生産基盤・社会基盤への投 資、私的危険負担の公的負担化、経済秩序の維持、戦争によってでも需要を作 り出すことである。

【政策対立】
 階級対立は直接に政策的対立としては現れない。富の独占は少数者の利益で あり、多数による政策決定と相入れない。資本の本源的蓄積期、個別資本の特 別な状況においてしか資本主義のむき出しの政策は現れない。通常は資本の蓄 積をとおして社会全体が豊かになることを理念として掲げる。社会が企業が豊 かになることによって、個々に豊かになると宣伝される。資本の利益と、社会 的利益は調整可能であるとされる。資本の利益と社会的利益を調整することが、 公的権力の使命であるとされる。
 資本蓄積による利益を、格差を付けて少しずつ分配することによって利益分 配制度、組織として社会を形作ることによって政策を実現する。
 しかし、これによって人間社会の基本が保証されるものではない。対外危機 を理由に反対の声すら上がらないうちに覆されることがある。税負担の公平も、 高額所得者の負担を減らして有効需要を拡大する必要があるとか、所得税に対 して法人税の負担が大きすぎるとして税制改革が行われる。福祉にしても「バ ラマキ」と形容されることで否定の対象になる。「暴力団員への生活保護」を 理由に生活保護申請者への人権侵害が起こる。理念としての政策も日常的課題 で実現される保証はない。
 公的権力が資本蓄積のため、あるいは資本と社会の利益調整のために行使さ れている階級社会では、社会的利益擁護のためには特別の社会運動を必要とす る。社会的利益を追求する公的制度をまもり、拡張するための不断の社会的運 動・組織がなくては社会的利益は後退する。

【総論と各論】
 政策の実現には資金的、人的、社会的負担が必要である。多数の利益になる 政策でも、政策実現のためには実現を担う人間の負担を必要とする。政策実現 が環境の悪化、社会的利益の制限をともない、新たな社会的負担を必要とする 場合がある。総論での賛成が得られても、実施のための各論では結論が得られ ない場合がある。
 総論賛成、各論反対は基本的に階級対立に基づくものではない。各論反対が 生じる政策実現には議論の段階で全体の意志を確定し、実施のそれぞれの段階 で強制力をそなえた具体的到達課題を確定することが必要である。
 また議会制度のような意志決定制度によって政策が問われる場合、各論の取 り扱いが議員選出に影響してしまう。各論の賛否により地域エゴが議員選出の 基準になってしまう。政策決定に責任をとるべき者は、全体と部分の利益調整 にこそ権限を生かすべきである。個々の政策対立それだけを問題にしては、解 決のしようはない。不利益者への金銭的保証もありえるが、基本的には政策自 体の総合的調整として解決されるべきである。
 一つの政策によって不利益を被る地域があった場合、その不利益の価値基準 を別の社会的価値基準に転換できる柔軟性によって、それぞれの地域が特色を 持って発展する可能性ができる。資本蓄積だけを価値基準として選択したので は、個別の対立も金銭補償に終わり、地域の発展にはならない。

【利権と権利】
 政策の実施は利権を伴う。公共事業の実施はその事業受注者に利益をもたら す。利便性の向上は関係者に利益をもたらす。補助金の支出は直接に対象事業 に利益をもたらす。政策の変更情報、公共事業の実施計画情報、非公開の統計 情報を非公式に入手できれば、利益をえる可能性が大きくなる。政策に伴う利 益は利権として取引される。
 利権は政策立案者、政策実施者、企業の間で取引される。立法、行政、民間 の間で社会的富の分配構造がつくられ、癒着する。
 これとはまったく別に、社会的利益は権利として要求しなくてはならない。 個々の権利実現として、制度を作ることとして、制度を利用することとして社 会運動として組織されなくてはならない。社会的利益のための政策は、階級社 会では権力の担い手からは出てこない。社会的運動の中から政策化し、実現し なくてはならない。公的権力が社会的利益を実現するための政策を、自から作 り出すように、社会的運動によって追求しつづけなくてはならない。

 

第3項 制度

 制度は政策の具体化であり、また決定過程の保障であり、執行のための組織 でもある。

【決定過程の保証】
 民主主義の形式的担保は決定過程の制度である。すべての関係する者が参加 できること。意思を自由に表明できること。少数意見を尊重しつつも多数決に よって決定すること。決定の実現が尊重されること。これらを保障するのが直 接民主主義の制度である。
 専門的知識が必要な決定、時間をかけた集中した議論が必要な決定、公開が 適さない決定、個別と全体との対立的な決定には代表による決定制度が必要に なる。間接民主主義が民主主義であるためには、代表者が選出母体の代表であ ること、決定が全体に周知されること、決定過程と実施が監視できることの制 度的保証が不可欠である。

【組織制度】
 社会的決定の実現は組織によって担われる。
 対象の大きさ、複雑さ、地域的広がりによっても、必然的に組織的執行体制 が必要である。
 担当者が違っても一貫した判断がなされ、経験蓄積の必要な執行が継続され るには、複数の担当者による組織的対応が必要である。
 制度の主旨が生かされるためには、組織制度が整っていなくてはならない。 権限の定義、情報の運用、人間の配置が適切に管理されなくては制度は機能し ない。
 できあがった組織制度は組織自体による見直しだけではなく、組織関係者以 外による見直しが行われなくてはならない。制度のための組織が、組織のため の制度にならない監視が必要である。組織が効率的で、制度の主旨を生かすよ うに運営されるような制度を、あらかじめ組織内に制度化することは実際上不 可能である。組織制度に地位を得て生活している者は組織内で相互援助関係を つくる。そうした者に組織の簡素化を求めることは不可能に近い。

【制度担当者の権限】
 組織制度は固定的なものではない。人間がそれぞれの地位を担うのであるか ら、組織制度は常に変化している。実践的であるほど、組織制度は現実に対応 して変化する。組織制度の変化を最終的に決定する権限は、制度の決定者であ るが、日常的には直接の担当者によって変化する。
 制度の適用判断として、権限の行使として、権限の拡張として、さらには組 織制度、制度そのものの変更までもが行われる。制度担当者は常に制度そのも のの見直しをすることが、専門家としての社会的責務である。しかし、その権 限が制度そのものの変更までに及ぶなら、制度の民主的保証をなくすことにな る。担当者は制度見直しの提案、説明をすることとして社会的責務を果たす。

【政策の具体化】
 制度自体の問題、制度の運用の問題も含めなくては、形式的に公正、民主主 義が実現されていても実効はない。
 制度化は腐朽化の可能性を持つ。犠牲的運動によってかち取られた制度も形 式が整い機械的執行が行われると、本来の主旨が歪められることはよくある。 権力側の譲歩をかちとった制度であるほど、執行段階で巻き返される。

【社会運動と制度】
 制度要求は社会の仕組みに関する要求である。制度要求は社会的対立関係、 階級対立を反映する。より本質的な対立に関わる制度要求は政治闘争に発展す る。
 社会運動は制度化してはならない性質のものもある。個々の事案を公開で決 定しなくてはならないものは、決定過程を制度化することは必要でも、決定を 制度化してはならない。裁判制度は決定過程の制度であって、法律の機械的適 用であってはならない。本来の目的に反する執行を排除できず、そのことで本 来の目的を実現できなくなる場合は制度化は決定過程に限るべきである。決定 そのものは制度によらず、公開の会議、運動によって決定されなくてはならな い。
 制度化された権利も行使されなくてはならない。行使されない権利は無であ るばかりでなく、社会的ごまかしである。

 

第4項 運用

【運用】
 どのように民主的で多数者の生活を維持改善する政策、制度でも結果は運用 される段階でどうにでもなる。まして、決定過程、決定内容に多数者の意見が 反映されなければ運用する者、運用を左右する者によって社会の活動は勝手に 決められる。
 社会状況、経済状況の変化に対応して現行政策、制度を利用し、利益を得る ことのできる者は運用の実権を握る者である。どう転んでも得をする。制度は 周知されなくては不公平を生む。

【弾力的運用】
 すべてが詳細にわたって規定されている制度は現実への適応が困難である。 公的に決定するには手続きに時間ががかり、周知され、実効されるまでにはさ らに時間がかかる。対象を禁止するような場合には、抜け道をみつける者が現 れる。制度の主旨を生かして現実の変化に対応するには、運用段階の裁量の余 地が必要である。
 執行権限をもつ者によって主旨が歪められたり、拡張解釈される制度化は危 険であるが、運用の監視手段を整えての弾力的運用の余地のある制度化が必要 である。
 緊急の場合、後に補償できる問題であれば、運用の裁量を大きくして自体へ の対応を優先しなくてはならない。緊急性の程度の解釈自体を担当者が判断で きなくてはならない。

【主権の保障】
 一般の手の届かないところで決定され、実施されることのもどかしさ、無力 感が社会問題、政治問題への無関心を生む。肝心なことへの一般の民主的決定 権の行使が保障されていなくて政治的無関心を批判しても、それは現状を弁護 するものでしかない。
 すべての問題を直接民主主義によって処理することはできないが、身近な問 題からの積み上げとして、自治が実現しなくてはならない。一般的課題であっ ても、決定手続きの、決定制度のいずれかの段階で主権の行使が可能でなくて はならない。
 社会活動に参加する時間がとれない、と言うのは本人が解決すべき問題とさ れがちである。しかし、主権者が主権を行使することができないのはその社会 の問題である。すべての人が直接する社会活動に参加できないようでは、ハン ディキャップを負う者はなおさら住みにくい社会である。

 

第5項 執行

【執行】
 執行は権力、政策、制度、運用が現実に実現される過程であるが、社会的に 非公式な過程である。執行は乱用、歪曲、サボタージュによって本来の主旨と まったく反対の効果さえも生む。
 執行過程の関係者の力関係。対立する当事者の力関係によって、権力の介入、 その介入する権力のレベル、方法によって左右される。
 それぞれの執行者の権限は限られることになってはいても、すべてが規定さ れていては現実に対応することはできない。本来の主旨を現実に適応させて実 現するために、執行者には裁量権がある。権力、政策、制度、運用に矛盾があ る場合もあるし、執行者に現実がすべて正しく捉えられていない場合もある。
 執行者がどの様な立場に立つか、どの様な立場の者を執行者に任命するかに よって、適用の実現結果は違ってくる。執行者を監視する制度、運動、方法を 用意することと、執行者そのものを民主主義の実現者として訓練することが必 要である。
 現実には権限は補助者によって執行される。権限者の指示・監督の下に執行 されるべきことが、権限も責任もない補助者によって担われる。
 公正性の確保は基本的事項が記録され、公開されることによって保障される。 権限とその根拠、権限に基づく決裁内容、執行過程と結果が記録され、公開さ れなくてはならない。

【適用の監視・救済】
 執行過程そのものが監視者、第三者、オンブズマン、報道機関による問題の 把握と評価によって左右される。執行者自身の民主的訓練、自己批判、相互批 判。関係者の異議申し立ての権利、制度、運動の組織化が認められなくてはな らない。
 執行後の救済措置によって誤りが正される制度が必要である。不服処理、救 済制度、裁判によって事後にも執行の効果は左右される。
注15

 権力関係がどうであれ、政策がどう決定されても、制度がどう制定されても、 運用と執行まで社会的に評価し、働きかけねば民主主義は形骸化する。社会的 関係は運動が基本である。社会運動の担い手として自覚的に運動することは疲 れる。状況を常に注意していなくてはならないのだから。だからこそ問題意識 を持ち続けることができる。

 

第2節 日本の国家権力

 

第1項 国家権力の存在形態

【法的制度】
 国家権力は社会規範を法制度として実現してきた。国家権力は法定された国 家制度としての形式を発達させてきた。
 国家制度は国家権力の意志決定の手続き、意思の表明、意志実現の手続き形 式である。
 現実の社会的意志決定がどのようになされるかに関わらず、法定された手続 きによる決定が国家意志として公定される。国家意志は法定された手続き制度 によって実現される。法定された権限を担う、法定された組織によって執行さ れる。組織された権限の体系は、官僚組織として実現される。国家権力は官僚 によって実際に執行される。

【権限の組織】
 法定された権限と組織は歴史的に形成されてきた。現在の権限と組織は歴史 的経過の到達点としてあるのであって、完成されたものとしてあるのではない。 現実に適応し、理想を実現するために発展させる対象である。当面国家権力を 廃止することはできない。理想の実現過程で、国家権力の廃止は将来の課題と して出てくる。
 法定された権限と、組織と、手続きによって国家権力は行使されるが、それ ぞれに法定されていると第一に解釈するのはそれぞれの官僚である。官僚によ って第一次に国家権力は行使される。第二次以降の国家権力の形式的実現とし て、議会、裁判等が法定する国家意志を決定し、解釈する。実質的には官僚と の人脈、利権、社会関係を通じて国家権力の運用・利用が行われる。
 組織された権限は、それを担う官僚の社会的地位である。官僚は自らの存在 の実現を権力の行使に見い出す。官僚は地位をめぐって争い、権限をめぐって 争う。官僚にとって権限は自らの地位の証明であり、自らの社会的存在の証明 である。社会的に不用になった権限を制限、廃止することを官僚に求めること は非現実的である。
注16

 今日では国家権力は分割され、相互に牽制することによって社会的公正を保 証する建て前になっている。
 個々の権限も分割され、また検査、監査制度も法定されている。

【人材】
 官僚は選挙、任命、雇用などによって選任される。今日、官僚は支配階級か ら直接派遣されるのではない。国家権力を維持し、強化するには官僚にそれな りの能力をもつ者を登用する必要がある。むしろ、社会的能力の高い者が反権 力的社会運動に組織されることを防ぎ、それらの者を広く官僚として取り込む ことが国家権力の強化になる。

 権限、組織された権限は個人の社会的能力を拡張する。権限の行使は目的の 実現と共に、社会的力の実現である。権限を担う者にとって目的実現による評 価、あるいは見返りだけでなく、自らの能力を拡張して社会的に実現すること ができる。国家権力を手にすれば、国を動かすことができる。権限の相互関係 によって制限されるとしても、個人の能力とは比較にならない社会的力を行使 することができる。
注17

 

第2項 立法

 立法権は権力の意志決定権である。社会的意志決定は社会活動のあらゆる部 分にあるが、最高の強制力を持った立法権は国家権力の中心である。社会権力 は地域、分野によって制限されて分権化されるが、国家権力は立法権の下に束 ねられる。立法によって多数の意志が国家の意志として公定・公認される。た だし立法での多数は主権者の多数と一致するとは限らない。むしろ、権力が最 高の機能を発揮する場では、少数による多数の支配に民主的装いをするための ものになる。
 社会的影響力としての権力の集中が支配権力を行使するのであり、主権者の 数の意志によって決定されるのではない。

【主権者の意志決定】
 立法は主権者の意志決定制度である。民主主義の根幹はすべての最終決定権 が、主権者である国民にあることである。そのための通常の制度として議会が あり、最終的に国民投票がある。議会議員選挙は国民主権行使のための手段で あって、白紙委任を議会に与えるものではない。議員選挙への投票によって主 権者の意志が決定されるのではない、意向が表明されるだけである。議員の活 動と、それへの主権者の支持関係を作り出すことが選挙の前提である。
 主権者の意志決定機関として立法が機能するためには、主権者の意志が明確 になっていなくてはならない。主権者に情報が公開され、主権者間の議論によ って選択枝の明確化が日常的に行われていなくてはならない。形式的理想、形 式的民主主義としても情報公開と思想信条の自由なしに、多数決の形式で民主 主義が実現するのではない。
 議会は主権者の利害調整だけではなく、権力者間の利害調整の確定の場であ る。調整は前段階で行われる。
 議会は利害調整の場であるだけでなく、決定しなくてはならない問題を公的 に明確にする場でもある。主権者に対して、外国に対して問題を提起し、態度 を明らか資する。

【主権者の権利】
 立法は小数意見であっても、主権者としての意志の表示の権利を保証する機 能を持たなくてはならない。議事録に記録されるだけにとどまるか、マスコミ に取り上げられるか、制度を超えた社会運動にまで発展するかは実質の問題で ある。立法府で意見を表明すること、公式に記録すること、広報することは主 権者の権利であって、どの程度実現されるかは民主主義の程度を示す。
 主権者の意志決定に必要な情報提供を保障する制度として議会には調査権が ある。

【選挙制度】
 参政権は自然人にだけあるはずである。法人、団体には直接の参政権はない。 直接の参政権とは被選挙権、投票権、選挙運動権である。自然人個人が、これ ら権利を個人の権限で行使すべきである。資金、設備、人手、選挙に関わるこ とは自然人個人の単位で、自然人個人を単位とする組織で行われるべきである。 献金、選挙への人材派遣、選挙運動の請負等を企業や団体が行うなどあっては ならない。法人等の組織の参政権は、法人等の組織の通常の意志表示の方法で もって行われるに制限されるべきで、自然人個人に干渉することは許されない。

 得票率に比例した議席配分ができる選挙制度でなくてはならない。

【選挙の監視】
 形式的には選挙で選ばれた者が権力の意志を決定する。代議員の選出は権力 行使の意志決定になる。
 にもかかわらず、代議員の選出は利益誘導であったり、買収であったり、社 会関係・人間関係を利用した強制であったりする。誰もが不正選挙が行われて いることを知りながら告発しない。たまに告発されるのは特に悪質な場合か、 選挙戦がこじれた場合である。
 選挙制度自体を告発しつつ選挙をしようとすると、権力的に選挙運動に介入 される。選挙活動へ干渉し、制限し、選挙権者に有形、無形の圧力をかける。 ポスター掲示、ビラ配り、戸別訪問を制限・禁止し、取り締まりと称して干渉 する。捜査と称して尾行し、賛同者を犯罪者扱いし、圧力をかける。
 多数の有権者が不正選挙を告発しなくては、マスコミもあえて取り上げよう としない。

【衆愚政治に坑して】
 すべての主権者が、すべての問題の決定に直接関与することは技術的にでき ない。情報のすべてが公開されないし、すべての主権者に問題が周知されるま で待つことはできない。個々の人権、プライバシーは守られねばならない。利 権の絡む計画や、予算の明細までが公開されては公正な入札は行えない。現状 は秘密があるからではなく、一部の者にのみ開示されることによって利権とし て取り引きされる。
 意志の集約が必要な問題の場合、分散して決定できない場合がある。総論賛 成各論反対では実質の決定を行うことはできない。決定には地域的特性、分野 別専門性が反映されなくてはならない。
 経済活動が多国籍化し、文化も国際化している今日、他国の国家権力に対し ても傍観することはできない。特にアメリカに従属した日本は政治的価値判断 がすべてアメリカの世界支配を前提に行われている。
 制度としてだけではなく、運動として民主主義は実現されなくてはならない。 制度を作ることに参加し、制度の運用を監視しなくてはならない。形式として 定められる制度の内容を問う社会的運動が必要である。そして立法にとどまら ず、行政執行に対しても監視と、参加の運動が必要である。

【政党】
 政治における運動主体が政党である。主権者の公式の意志決定は議会にあっ ても、日常的な意志表示、政治運動は政党を通して実現される。
 立法は議員選挙をとおして委任される。議員には任期が定められる。調査権 が与えられているにせよ、議員が任期中にそれぞれの分野を専門にしている官 僚と対等に議論することは困難である。
 議員も専門家として立法権を行使できるようにするためには、政党が必要で あるし、政党外との組織的広がりが必要である。政党は本来所属議員をそれぞ れの専門に配し、専門家による支援を受け、支持者による情報を収集して政策 化する組織である。
 政党は主権者による政治運動組織であって、法定される国家制度とからは独 立していなければならない。政党は資金、情報、組織が国家権力からは独立し ていなくてはならない。税金によって政党が助成されるようなことはあっては ならない。

 

第3項 司法

【裁判制度】
 現実に発生した対立に判定を下す社会制度が裁判である。判決は主権者の意 志にもとづき、反映しなくてはならない。主権者の意志が個々の判断に反映さ れなくてはならない。
 主権者の個別の利益が介入することを制度的に排除し、価値基準はすべてに 反映されなくてはならない。主権者が主権者を裁くことが原則であり、主権者 を超越した存在を演出して権威づけて裁くことは、二重に民主主義に反する。 第1に主権者を超越した存在は幻想でしかなく、それは権力者意志の行使を許 すものである。第2に主権者の主権行使能力の維持、発達を切り捨てるもので ある。

【裁判制度の課題】
 司法制度、法の解釈、それぞれの担当裁判官、運用、執行、判決について主 権者の意志が反映されなくてはならない。そのためには現にある参審制度、裁 判官忌避権、国民審査制度、検察審査会が機能しなくてはならない。それぞれ の制度的欠陥、主権者の意志を反映させるための制度でありながら、反映しに くい制度を改善されなくてはならない。制度を活用して主権者の意志を反映さ せる現実の取り組みが運動として組織されなくてはならない。
 裁判自体の情報公開、秘密主義の排除は司法関係者だけで解決されるもので はない。
 さらに、より主権者の意志を反映させる制度、陪審制度の導入等の課題は社 会的に認められてはいない。
 現状では「高度に政治的問題であり、裁判に馴染まない」と司法権そのもの を否定し、行政の権力行使を追認してしまう。政治的、権力的タブーを許して しまっている。教育と共に裁判への政治権力の介入を防ぐには、裁判を特殊な 世界にしてしまっては実現できない。

【処分機関】
 犯罪者の処分は社会的隔離と、刑罰による更正と、処分制度による抑止とか らなる。
 再犯の可能性が高ければ拘禁しなくてはならないし、それが病的なもので有 れば入院させなくてはならない。
 裁判は処分の公正性を保証し、運用を公開するする制度的保証と、監視体制 がなくてはならない。
 報復は避けねばならず、被害者の救済と犯人の処遇とは区別されなくてはな らない。階級的犯罪においてもこの原則は守られなくてはならない。テロ、リ ンチは相手だけでなく、関係者の人間性の否定である。それ以上に階級的犯罪 に対する報復は、新しい社会建設を阻害するものである。

【調停機関】
 共通の権力的立場に立つ者同士であっても、利害対立はある。
 主権者の監視のもとで利害対立を審判することが、民主主義を守ることにな る。利害の対立を暴力や、社会的影響力によることなく裁定する制度として裁 判制度がなくてはならない。

【救済機関】
 どの様な民主主義社会であっても、誤りのない制度、運用、執行が常に実現 できはしない。歴史的、自然的変化によって社会は変化し、これに対応するた めには救済機関が必要である。
 現実の人間が審判する以上、えん罪の可能性はある。一般論以上に警察、検 察の恣意的な判断と、非民主的、人権否定的な捜査、取調べによるえん罪が問 題になる。階級支配を前提とし、その体制を保守、補強する立場からは、被支 配者は反階級的態度でなくとも取締りの対象とされる。起こった犯罪を事実と して究明することと、被疑者の疑いを究明することは明確に区別されなくては ならない。にもかかわらず被疑者は法規的、制度的知識や権利から孤立させら れ、長期に一方的解釈を押し付けられれば、取調べに暴力を伴わなくとも被疑 者は動揺する。犯人でなくとも、被疑者にされ、日常生活を破壊されらば社会 への信頼を失い、確信を持てなくなる。
 えん罪を救済することは無論のこととして、えん罪の原因となる憶測に基づ く捜査、取調べを防ぐこと、監視することが必要である。また、基本的な課題 として、閉鎖的な警察、検察を制度的に公開されたものにし、警察官、検察官 の思想を、一般の社会的思想状況の中での交流を通して常識化する民主化が必 要である。閉鎖的な警察学校や昇級試験制度の中での思想教育から解放すべき である。世間では知られない秘密を知り、だからこそ社会正義を守っていると の思い込みから解放しなくてはならない。
 社会的強者は制度にかかわらず自らの利益を追求しえる。司法は本来的には 弱者のための制度である。

【司法行政】
 裁判官、調査官、裁判所職員の人事、研修、裁判所の運営には主権者の意志 は反映されていない。最高裁判事は国民審査を受けるとはいえ実質内閣の任命 であり、裁判官の独立は人事権を持つ最高裁判所によって、最高裁判所の事務 局によって統制される。私信という形で下級審の裁判官への干渉が明らかにな ったことすらある。

 

第4項 行政

【権力の執行】
 行政は権力執行制度として、国家権力を現実的力として実現する。
 行政は社会活動を禁止し、許認可し、公証し、時に代執行する。
 行政は軍隊、検察、警察、刑務所といった明確な暴力機構を担う。
 立法行政としての議会運営、司法行政として裁判官の人事、裁判所の運営を 担う。
 予算編成・執行、財政、徴税により公金を運用し、金融施策により経済活動 に関与する。

【収奪機構】
 徴税機関として直接的収奪機関である。
 インフレーション政策による間接的収奪機関である。
 行財政費用は社会的に負担されなくてはならない。社会的費用の負担として 税金は不可欠である。
 公的負担は受益者が一般的な場合は租税によってまかなわれ、特殊な受益者 を対象とする場合は公共料金としてまかなわれる。問題は一般的であるか部分 的であるかの線引きに関わる。
 原理的に公的費用は生産された剰余価値によって賄われなくてはならない。 剰余価値の配分として公的機関に収納されなくてはならない。経済活動は法人 によって担われており、法人による公的費用負担が原則である。
 公的費用は社会的に負担されるべきで、自然人に対する公平さが社会的公平 とは一致しない。自然人の社会的格差は公的費用の負担と、公共サービスの実 施によって是正される。累進課税は社会的公平実現の手段である。
 現実には支払い能力のあるところから徴収される。「公平な社会負担」の建 て前によって社会的最低限の生活にも税負担がかかっている。実際には収奪の 直接的制度として徴税される。
 公的費用の負担者と受益者は一致しない。一時的投資は時間的に負担の平均 化が必要である。生活保障は世代間の負担の公平が図られなくてはならない。 地域的投資は、全体でも負担しなくてはならない。災害対応などは地域だけで は負担しきれない。
 他方、納税による市民意識の覚醒、行財政への監視といった教育的配慮も無 駄ではない。

【利権配分機構】
 補助金、社会基盤整備、公共事業として直接、間接に利権を配分する。
 公費の支出自体が利益を直接に与えるものである。さらに公的事業により社 会的、経済的環境が向上してそれぞれの利益の獲得を可能にする。こうした利 益の実現を前もって情報として提供することによって、一部の者に優先的に利 益をもたらす。
 公的資金の支出は一部企業への引き渡しであり、利権の付与である。またこ れを介して政治家への資金の提供である。官僚は天下り組織を作り、企業へ天 下り、政治家になり、公金を受け取る。

【サービス行政】
 行政は一方的な権力行使だけでなく、サービスも行う。権力の善行ではなく、 必要だからである。社会的物質循環とその条件を整えなくては社会が存続し ない。
 社会的弱者の救済、保障は本質的に社会の負担すべき事項である。保健、医 療、教育も社会的機能であり、公的に負担されるものである。
 水、エネルギーの供給は社会存続の基本的施設である。排水、廃棄物処理も 今日不可欠である。これら本来共同して対応した方が効率的であるとして、公 共事業が位置づけられた。しかし、物の性質によって対応は異なる。有害物質 はまとめられたり、薄められては処理が難しくなる。利潤追求のための市場拡 大は無駄をも利潤に変えてしまう。不必要なまでに増大する消費物資の処分を、 公的に負担していては負担しきれなくなるばかりか、資源の浪費を追認するこ とになる。
 経済変動による社会的困難は公的に対応されるべきである。失業対策、雇用 保障は社会的に負担されるものである。しかし景気対策を理由に企業活動への 補助、誘導が公的資金によって行われる。
 本来原因者が負担すべき費用も行政の公的負担で行う。公害対策、環境保全、 人災対応は当面公的負担で実施されても、原因者に求償されるべきである。

 行政は本来互助制度の部分を含む。養育、介護、保険等の社会的サービスに 行政がどの様に関わるかの判断は政治的課題である。行政そのもの社会的位置 づけと、事業効率が基準になるべきである。行政そのものの官僚性、肥大化、 費用負担等の配慮も必要である。社会的サービスを営利事業化する傾向の中で、 行政は直接事業主体になるか、許認可・指導にとどめるかは政治的判断であり、 主権者の意志によらなくてはならない。

【行政組織】
 行政組織は地域的制約、個別の主権者の意志に関わらずに国家権力を行使す る機構である。
 担当者は実質的に直接請求の制約もなく、選挙による選別もない。政治形式 のみによって制約され、絶対的な権力を行使することができる。
 政治的決定を地域の実状に合わせる執行であるとともに、主権者の政治要求 に対する緩衝機構でもある。
 行政は執行主体としてサービスを供給するだけではく、停止・拒否もする。
 地方行政は自治権の政治的実現の制度的保障である。地域の日常的課題を主 権者が間接的に処理する制度でもある。直接的利害の調整としてではなく、直 接的利害を一定の普遍的基準によって処理する。うまく機能しないと、地域ボ スのばっこを許すことになる。
 すべての社会問題を行政によって処理することにはならない。民営化による 営利化としてではなく、主権者の直接的な処理が本来の目的を実現する場合も、 効率的な場合もある。すべてを行政の責任とすることは、行政を肥大化させ、 規制を増やすことになる。民間でも問い合わせの対応をシステム化し、問い合 わせ者本人が操作するようになってきている。情報システムの利用に限らず、 業務内容に応じた対応が工夫されなくてはならない。

【官僚】
 国家権力の直接の行使者は官僚である。
 権力の行使者は主権者の意志を実現する者で、主権者そのものが交代であた るのが理想であるが現状では不可能である。現状では官僚も職業の一つである。 現状では公共性を考慮すれば、社会的に最良の人材を充てる必要がある。しか し、職業の一つ、しかも安定し権力的魅力もある職業として様々な人材が登用 され、一般の人的構成とそれほど違いはない。
 官僚機構制度は単なる形式主義機構ではなく、行政内に権力の意志を貫かせ る制度である。決定、運営、運用を形式化することによって、個々の担当者の 判断を排除し、権力の意志を実現するための制度である。権力に対する反発は、 官僚主義に対する批判にすりかわる。
 国家機構の大規模化、高度化は官僚の数の増大であり、職種の分化である。 国家権力への忠誠度による採用はできなくなる。日本での公務員の採用は政治 的任命でなく、資格任用制であるとする建前ではあっても、採用後の任用で選 別する。下級官僚、現業部門は一般に開放される。政策決定に関与する高級官 僚は経歴の過程で審査される。
 官僚機構の支配階級の取り込みの過程が官僚の経歴の中でなされる。広く人 材を求め、有能な人材は能力実現に不満を持たぬよう支配階級への取り込みが 出身階級に関わらず必要である。

 資格任用制によって選ばれる公務員の身分は保証されなくてはならない。資 格が問題とならない限り、政治的判断で身分が脅かされることはあってはなら ない。しかし、権限をもつ者ほど資格を問題にしなくてはならない。どの様に 公正な試験制度によって任命される身分であっても、試験は客観的ではあって も公務員主体としての資質を測りきれるものではない。どの様な制度にも完全 は保証されていないし、任命後に資格を損なう場合もありうる。権限の大きい 身分ほど資格はより厳格に審査されなくてはならない。権限行使に支障を生じ る場合は、降格する必要がある。身分保証と職階は切り離さなくてはならない。 少なくとも公務員の身分は個人に属するものではない。

【決裁基準】
 官僚の公務員としての仕事の基準は公正である。法規程に対する公正、手続 きにおける公正が求められる。個々の案件を決裁する基準は現行法規である。 成文法規に基づき、文書によって個々の案件を処理し、執行全体の公正性を保 証する。執行者の恣意的判断を排除し、記録を残すことによって救済措置も含 めて公正性を保証するのが近代官僚制である。
 現行法規によって規定できない案件が生じた場合、法規改正手続きを提案す ることが正規の公務員の職責である。そして、権限の範囲内で解釈し、法規改 正による処理の違いを小さくし行政の連続性を図ることも公務員の職責である。 基準と解釈による運用こそ、全体の奉仕者としての公務員の職責である。解釈 を適正に行うために、社会全体と現実の生活を把握するよう求められる。
 個々の案件が優先されるのではなく、想定されるものも含めて公平な決裁が 求められる。個々の案件を当事者の利益だけに基づいて決裁することは許され ない。契約に基づいて決定される民間の基準とは異なる。民間は競争による契 約が基準である。個々の契約に違いがあってもむしろ当然である。しかし行政 に対象者による取り扱いの違いがあってはならない。各行政事業間での公平も 図られなくてはならない。しかし現実に、行政を私物化する者は公正を歪める ことを仕事にしている。
 現実は権限の大きい官僚ほど、政界、財界と癒着する。

 

第5項 抑圧機構

 抑圧機構は排除、強制を暴力をともなって実現する。暴力を背景に威嚇し、 抑止する。対象に応じた段階的手段を備えている。階級社会では支配階級の私 兵として機能する。治安維持も現体制の治安である。現権力がよほどに腐敗、 無力化した場合はともかく直接に軍事政権を樹立してまで現体制を維持しよと する。
 対外的にも同様である。戦争のための戦争は行わない。外国を収奪する体制 を維持するために軍事力を行使する。民族紛争、宗教戦争であっても戦争が目 的ではない。
 直接に武力を行使しない時でも、抑圧機構として機能する。
 調査、防諜、謀略は政治運動に対しては当然に、社会運動もすべてが対象に なる。反政権的な運動であれば継続的に調査し、干渉し、工作をする。
 政治戦の集約された場である選挙では、運動員の監視、適法であっても捜査 の対象として介入し、また有権者を威嚇する。
 戸別の調査、盗聴も公権力の行使として当然の様に利用され、隠されている。

【軍隊(自衛隊)】
 軍隊は武器と組織に本質的特徴がある。他の社会組織から物質的、組織的に 独立してその機能を発揮する。指揮系統も相対的に独立しており、人命も消耗 品として扱いえる独自の統制制度・機構を備えている。基地も地域的に独立し、 食料、弾薬も備蓄されている。情報も制度、組織、媒体、蓄積とすべてに独自 のものをもち、徴集兵を除いて思想的にも一般社会から隔絶されている。戒厳 令などの非常時体制はこの軍隊の独立性によって可能になる。
 警察も警棒、ピストル、ライフル等の武器を所持するが局地的、小集団に対 する威力しか持たない。これにたいして軍隊はすべての武力を行使する。核兵 器、化学兵器、生物兵器等の軍事力を規制するのは国際的世論である。第二次 世界大戦末には国際世論の監視がなかったからこそアメリカは核兵器を使用し た。核実験も開発の必要度と、国際世論の圧力の比較において実施が考慮され る。

【警察】
 警察だけでなく組織一般に複数の面がある。組織的に機能が分担されている 場合だけではなく、対象に対応した面の違いが現れる。警察の場合に戦後の民 主警察の面と公安・警備警察の面がある。公安・警備警察の組織、担当者にも 民主主義の面はありうる。
 権限の大きな任務を担う者は公的に民主主義の論理、感覚を身につけていな くてはならない。私的関係、あるいは特別な状況であっても、公開されうる場 で民主主義を免脱する発言だけによっても責任を追及される。心底反民主主義 の信奉者であればある程、公私の区別に警戒をしている。公開の場では絶対に 反・非民主主義的言動を行わない。あっても公開されぬよう、組織的に隠蔽工 作すら行う。他方で公安・警備警察の実践の場では何のためらいもなく、民主 主義を否定する。刑事警察、検察であってすら取り調べ、拘置所内では民主主 義、人権を容易に無視する。一般の公開の場では公安・警備警察も暴力団対策、 過激派対策として自らを正当化している。
 しかし、制度的に公安・警備警察を強化するためには最終的に一般の、公開 の場で法改正をしなくてはならない。本来の目的である階級支配体制の補完で はなく、一般の秩序維持を前面に掲げて法改正の趣旨説明にする。一般の日常 的な社会関係にあって受け入れれれるぎりぎりの強化策が提案される。その程 度の見積もり、支持の取りつけしだいによって法案が成立も、廃案にもなりう る。
 犯罪抑止、責任追求は社会的に不可欠の機能である。しかし、事実に基づか なくてはならない。刑事犯罪であっても、予防拘禁は禁止されているにもかか わらず、思想により警察行政の恣意的な執行が行われる。軽犯罪法違反等を口 実とした干渉は、選挙の度に行われている。
 公安・警備警察はその実態が公開されていない。犯罪捜査は当然に秘密であ りうるが、予算、一般的方法は公開されるべきである。盗聴、脅し、買収など は禁止されるべきである。

 

第6項 言論

 言論は一般的に社会人であれば誰にでも開かれている。

【言論機関の社会的機能】
 言論機関には報道・調査機関と情報媒体の2つの機能がある。
 報道機関は社会的問題、課題を提起・報告する。報道機関は社会の事象を調 査し、記録する調査機関である。法定された制度としての政治から独立して、 社会問題を調査・報道することが言論機関の社会的機能である。既成の制度、 組織によっては見過ごされ、隠された事象を公開する機能を担っている。

 社会的、政治的意見の公表と交換、評論の媒体である。最新の知識の紹介の 場である。文化的創造の発表、紹介、評論の場である。情報の提供によって、 言論機関は社会意志の形成に決定的な影響を与えうる。

【言論機関としてのマスコミ】
 マスコミは社会化した情報伝達媒体である。
 報道は共同意思を形成する。マスコミで報道されたことが事実として互いに 確認される。マスコミに報道されることが事実のすべてにまでなる。報道され ないことは、存在しない物事になってしまう。
 マスコミによって提供される娯楽は共同幻想として感性を支配する。提供さ れる価値観による共同幻想が作られる。音楽、ドラマは流行を作り出し、人々 の志向までも方向づけてしまう。感覚的刺激で一方的に無料で提供される番組 は、職場、学校で消耗した者にとって受け入れ易い娯楽である。職場、学校で 共通の話題を提供するのもマスコミである。

【マスコミによる世論操作】
 発達したマスコミの社会的影響力は増大する。問題の取捨選択、解釈によっ て社会的意志の決定に大きく影響する。しかも複数のメディアが多様ではあっ ても基本的立場、基本的傾向として同じであれば、社会的意志はマスコミによ って決定されてしまう。
 スキャンダルは有名人をおとしめるものだけではない。反権力的運動、組織 を対象とするだけでもない。一般的、大衆的非権力的運動、組織に対してもス キャンダルは利用される。運動、組織の基本的な問題には関わりなく、「事実」 として繰り返し、多様なマスコミ、権威あるマスコミで取り上げることにより 評価を歪め、支持を堀崩す。
 マスコミの評価を変えさせるには、強力な社会的行動が必要になる。
 逆にマスコミを利用することも可能である。社会的影響力のある組織は、マ スコミ対策を専門にする部門を持っている。商品の宣伝活動ですら話題を提供 すれば費用をかけずに大きな宣伝効果を期待できる。商業活動だけではなく、 政治的にも利用される。

【言論人・記者・編集者の権能】
 記者が記者として機能できるかどうかは報道機関の本質に関わる。記者クラ ブ、記者会見、オフレコの取材、事前に用意・提供された資料によって、デー タばかりではなく、解釈までが準備された報道に真実は期待できない。
 記者が独自の学習手段、時間を保証されていなくては言論の自由・自主性は 保障されない。
 興味本位、読者・視聴者の好奇心への迎合はニュースのスキャンダラスな取 り扱いになる。読者・視聴者が歓迎しないからとの責任転嫁は報道機関の見識 が問われる。

 

第3節 日本の国家独占資本主義

【戦後史】
 現代日本資本主義は第二次世界大戦後に再建された。
 朝鮮を併合し、中国・アジア・太平洋地域を侵略し、帝国主義侵略の過程で アメリカ、イギリス、オランダと衝突した。枢軸を形成した日本、ドイツ、イ タリアが遅れた資本主義国として国家主義的に資本の本源的蓄積を強行し、そ れに対応した全体主義の社会・政治体制をとった。対する連合国側はすでに海 外植民地を支配し、あるいはアメリカのように国内市場の発展によって枢軸国 に比較して自由主義、民主主義の体制であった。連合国側に加わったソビエト も国内建設に集中し、社会主義の進歩性を残していた。そのために第二次世界 大戦は民主主義と全体主義の戦いとして一般に特徴づけられた。実質は世界列 強による世界市場の再分割争いであった。
 アジア、アフリカ、ラテンアメリカは第二次世界大戦終了までほとんどが植 民地であり、自由主義も、民主主義もなく第二次大戦後に独立を「自由と民主 主義」の国から戦いとらなくてはならなかった。

【戦争責任】
 日本は敗戦国でありながら戦争責任を総括しなかった。戦争責任は対戦国に 対してではなく、被侵略国に対してまず果たされなくてはならなかった。自ら の戦争責任を明らかにしようとしてこなかった。戦争責任を明らかにしないま ま国歌、国旗を復活させようとしてきた。日本固有の文化・伝統を引き継ぐこ とを口実に、戦争責任を明らかにしようとしない。戦争責任の追及が徴兵され 犠牲となった人々の責任追及として短絡させ、戦犯と日本全体の責任を隠して しまっている。戦争に反対して弾圧された者の存在と名誉を否定してしまって いる。
 すでに報復主義、大国主義となっていたソビエトとアメリカとの狭間で、日 本はアメリカの世界支配の下に組み込まれることで戦争責任を免罪された。日 本の国家としての戦争責任は国家間の条約取引として片付けられ、日本人はみ な「犠牲者」でしかなかった。天皇すら耐え難きを耐えた日本国民の象徴とな った。
 戦争直後の日本の平和主義、民主化を目指した憲法体制は「民主主義」国ア メリカの世界戦略の変更によってとんざさせられ、アメリカに従属した政治、 軍事、経済の安保体制が敷かれた。安保体制と憲法体制の間で揺れ動きながら も、生産設備の新規蓄積、アメリカのアジア支配の補完、労働者の搾取・収奪、 国土破壊によって経済成長を実現し、世界第二位の経済大国になった。アメリ カの世界支配の補完勢力として、アメリカの国際支配秩序への国際貢献として 軍事的にも海外進出を目指している。

 90年代になって改めて戦争責任が問われるようになり「従軍慰安婦」「外 国人の徴用」「外国人の戦時預金償還」が問題になった。

 戦争責任を問わず、独立の理念を形成せず、経済再建、経済成長を目指した 日本が今の姿である。歴史の総括なくしてアジアの信頼回復は得られない。ア ジアが経済発展の中心地になり、アメリカ・ヨーロッパの進出に負けないため との功利主義によるのではなく、人類史の発展に資するためには、アジアの被 害者の許しをえられる戦争責任の明確化が不可欠である。アジアとの人的、経 済的、政治的、文化的交流を正常なものにするための前提をつくらなくてはな らない。アジア各国の現在の支配者とではなく、すべての人々との交流がめざ されなくてはならない。
 戦争責任をあやふやにすることは、命を懸けて戦争に反対した自由主義者、 共産主義者の名誉を踏みにじるものである。自由民権運動以来でも、日本に先 進的な、主体的な社会運動があった歴史的事実を葬り去ることになる。

【安保・企業体制】
 日本の資本主義体制の基本は安保体制と企業支配体制である。
 これを基本にゆすり、たかりの政治経済が実現されている。

 安保体制は超法規的体制であり、思想的にも日本の支配階級ですら否定する ものはいない。安保体制は即世界体制であり、日本の存立条件とされている。 アメリカとの経済摩擦、貿易摩擦がいかに激しく日本の発言力がいかに強まっ たとしても、日本の支配層は安保体制を変えようとはしない。

 企業支配体制は、欧米の企業からさえこれからの企業経営戦略の手本とされ たが、労働者を企業内労働組合によって分断、囲い込み、単身赴任、長時間労 働といった生活犠牲を強い、過労死に至るまで搾取しする。労働者は企業以外 に活動の場を持てず、仕事が自己実現の場として思想的に管理され、TQC活 動として制度化されている。企業活動に関われないものは人間として否定され る。社会保障は次々に切り下げられ、家庭での生活、趣味の活動、老後の生活 保障は個人の負担で実現するしかない。

 企業内に民主主義はない。企業内の秩序維持、思想統制は憲法にはしたがわ ない。必要で有れば公権力を利用しても企業は保護される。
 企業あって人々の生活が成り立つのであるから、企業のための産業基盤整備 は公金で負担するのは当然である。進んで進出してくれた企業に補助金を出し、 減免税をすることは当然である。企業がつぶれては地域経済が成り立たない。
 企業も重要な社会的存在であり、政治に参加する資格を持つ。政治選挙も企 業選挙であり、資金、人力、設備も企業負担である。

【政治体制】
 こうした支配体制で政治家など必要はない。「民主主義」政治体制を取り繕 うための政治家は、公金と利権の調整者でしかなくなる。政治家とは利権調整 を行うものであり、その地位を金で買うのは当然の取引ということになる。
 企業も公金と利権を手にいれ競争を有利にしようとする。公共投資が行われ れば地価が上がる、上がる前に情報を入手し土地を購入すれば確実にもうかる。 土地が買い占められ、都市部の地価は急上昇する。
 食管制度は農民の買収制度であった。米の自由化によって揺らぎつつあるが、 減少する農民を米価維持の補助金によって買収してきた。米価を政治的に決定 する権限を有する議員に農民は投票してきた。農業近代化のためにはほとんど 投資されなかった。
 企業の政治利用が日本の政治経済制度を形成してきた。財界は個々の政治問 題に批判的注文を公表するが、規制・談合をやめようとはしない。ODAを通 して海外にまで広げている。
 主な政党間の政策対立は利権対立を覆い隠すためのものでしかない。理念を 失った「社会主義」者は社会的地位以外に守るものを失い翼賛体制が復活した。

【政策】
 戦後生産設備、資本蓄積のための傾斜配分方式による重化学工業の育成。産 業構造改編のための補助金支給。生産基盤整備のための工業地域開発、生産流 通のための鉄道経営、高速道路網の整備これらは税金、預貯金を投入して実現 された。

 企業税制は補助金と同じである。税として剰余価値を公的資金として集め補 助金として使用する。徴税されない剰余価値は内部留保され、生産設備の急速 な更新、新技術の導入を実現した。税制も大衆の課税負担を増大させてきてい る。

 産業基盤整備の受益者には負担を求めないどころか、税の減免措置すらとら れる。他方で、本来公金で負担すべき生活環境整備、社会保障、社会福祉、環 境保全は受益者負担が原則とされる。

【天皇制】
 主権在民の民主主義国家でありながら日本は王政を戴いている。戦後処理の 都合によって残された明治以来の天皇制が、日本の太古からの伝統を受け継ぐ ものに祭り上げられた。古墳すら考古学の対象ではなく、祭祈の対象である。 今日の天皇制は明治以来のものであり、日本古来の伝統ではない。
 「日本国民の統合の象徴」ではなく、象徴として利用されている。主権在民、 皆公平な社会であるはずの日本が、選挙で選ばれてもいない賢き方を戴いてい るのである。彼らの戦争責任も問わずに。日本の支配の高位にたどりついた者 ですら、食事を共にするのに緊張するというのであるから、天皇その人でなく 天皇制の持つ威力は一般国民に対して侮れない。

 

第4節 日本の文化

【アメリカの支配】
 文化においてもアメリカの影響は著しい。スポーツ、映画、風俗はアメリカ からの輸入が中心である。
 技術的に最も進んでいるのがアメリカであるから、アメリカの影響が大きい ことは当然である。しかし、文化は技術ばかりに依存しない。かえって文化は 歴史的伝統が重要である。にもかかわらずアメリカ文化がたちまち流入して来 る。

【暴力と退廃風俗】
 アメリカに比べて治安の良さは日本の良さである。しかし、暴力と、退廃風 俗が社会的住わけをしていない状況は逆にアメリカ以上に退廃している。子供 文化への暴力と性風俗の進入は、子供が担っているわけではない。商品化され た性を子供や感性の異なる人々の生活する公共の場に、公然と持ち込むことが 許されている。
 文化はそれぞれに感覚と経験の共有と分有によって豊かになっている。。共 有できる者同士は共有領域を拡大し、その他の者に対しては遮断し、隠す。
 衣服は身体保護のためばかりではない。身を隠すこと、身を見せ触れること、 身を装うこととして文化を形成してきた。見せること、触れること、隠すこと、 装うこととしてそれぞれの人間関係に対する本人の姿勢を表現している。にも かかわらず、性表現の自由として隠すことを尊ぶ人に対して、価値観を育てつ つある子供に対して露出する。性の個人的価値観を人に強要することは、一種 の暴力であり、文化の破壊である。同じ人であっても、恋人に対して、配偶者 に対して、子供に対して、親しい人に対して、その他の人に対してそれぞれに 違った性表現がある。自らの性の表現だけでなく、相手からの表現の受け入れ、 媒体の利用、受け入れもそれぞれにある。共感できる者どおし探り合えばよい のであって、公の場で己の立場を主張すべきではない。商品としての性表現は 営利のためでしかない。

【残された伝統文化】
 伝統文化は商品化して存続するが、非常に高価になってしまった。工芸品は ガラスケースにしまわれ、日常的に利用できない。
 休暇を取って時間を作り、都心まで出かけなくては公演を鑑賞することがで きない。世界で最高の入場料に税金までも払わなくてはならない。

【健康】
 拒食症で死亡するまでに、自らを追いつめるまでに、美的基準の画一化が進 んでいる。
 大気汚染の規制を産業優先で先延ばしし、交通環境の整備を放棄し、アメリ カには輸出制限をしても、自動車産業のために国内販売制限を考慮しない。
 流通のため、市場価格のための食品添加物。大量生産のための化学農法は有 害物質を添加し、食品の本来の味を失わせている。
 時間と施設を金で手にいれざるをえないスポーツ環境は、自然からますます 切り離されていく。


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