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概観 全体の構成

   目次


第7章 普遍的運動

 

第1節 運動 II

 世界の運動は絶対的な運動である。絶対的全体は絶対的運動としてある。絶 対的運動に対する相対的静止として、部分の運動がある。世界の運動は相対的 な部分の運動を含む、全体の絶対的な運動である。
注84

【運動の全体と部分】
 全体に対しての、部分が他の部分と区別される関係にあっては、部分は抽象 的、形式的存在であり、具体的な存在形態をなさない。全体に対する部分であ って、部分は全体の一部分でしかない。この関係では、部分と全体は抽象的存 在である。抽象的な全体と部分の形式的対立をこえるには、全体と部分の現わ れている場の統一性、普遍性を見なくてはならない。
注85
 絶対的運動に対立する部分の相対的運動を含んでいても、それによって否定 されることのない全体の運動として絶対的運動が現実に止揚される。思弁的絶 対性ではなく、現実の部分の運動の連続な総体の運動として、現実の絶対的運 動が全体としてある。
注86

 

第2節 質量

【存在の具体化】
 存在は他と関係し、他と関係することで全体と関係することである。全体の 一部であることが存在である。
 存在は他との関係にあって運動することである。
 他と関係しつつ運動する存在は、他との相互作用としてある。存在は全体の 運動の一部としてある。
 関係と運動は存在の不可分な性質である。他との関係は一方的な関係はあり えない。他との関係は相互の関係である。運動は単独の孤立した「無関係」で は存在ではない。運動は他との相互の作用としてあり、他との相互の作用とし て他と区別される自立した運動としてある。
 存在は運動する関係としてある。存在の運動する関係は相互作用である。
 相互作用の相対的関係は、関係の継続として具体化される。完全対称性が破 られることで、対称でない区別される関係がつくられる。完全対称性は区別さ れる関係に歪む。対称性の破れは区別される関係として、関係の継続として存 在する。
注87
 存在である相互作用としての関係の継続は、質量として具体的に現れる。

注88

【質量の不可分性】
 もっとも、最も一般的な運動としての混沌にあっては、質も量も問題にはな らない。混沌にあっては、区別はなく、部分がない。運動は混沌にあって、混 沌としての一様性を否定し、歪むことで部分として区別される運動へ発展する。 この全体に対する「区別」が質である。全体に対する「部分」が量である。
 全体から区別され、他と区別される運動の関係が質である。運動の関係の全 体が量である。質と量は運動の基本的な関係である。運動の基本的な関係とし て、質と量は一体のもの「質量」である。運動は混沌ではなく、部分として区 別される運動として質量を持つ。運動は質量を持ったものとして、全体に対立 する特殊なものとなる。
 運動は質量を持ったものとして、全体に対する部分の塊となる。全体に対す る運動の単位として質量が現れる。全体の運動の局所化として質量が現れる。

 

第3節 質

【相対的静止としての質】
 全体の運動に対する部分の静止は一定の相互作用をするものとして、現実的 存在である。一定の相互作用として存在の関係は継続する。相互作用の関係が 一定に継続する運動が静止である。静止は現実的存在であって、観念的妄想で はない。全体の運動としての存在に対し、部分の静止としての存在は普遍的存 在である。相互作用としては全体の運動の一部でありながら、相互作用の一定 の継続として関係は静止である。現実的存在の定義は「他と、それを通して全 体と関係し、その関係は相互の作用」である。
 一定に静止する相互作用として、部分の存在は特徴づけられる。静止する相 互作用関係の形式が、存在の性質として区別される。継続する相互作用関係と しての運動の静止が質である。継続する関係として、質は恒存性をもつ。相互 作用の継続する関係が静止として、運動の質である。
 質は静止によって形式化した相互関係である。

【質の普遍性】
 無限の世界であっても、すべての関係が異なるのではない。無限は無限の多 様性と同じではない。ひとつの世界の運動としてある存在は、一般的な相互関 係にあって同じものである。同じであるから相互に関係できるのであり、全体 としてひとつの世界をなしている。世界の一つの連なり関係として、世界は同 質である。同質の世界であるから、ひとつに連なる関係として世界は存在する。 全体として世界は同質の存在である。
 質をそなえた存在として、部分は普遍的な存在である。全体の存在は部分に よって普遍性を実現する。存在の普遍性は部分によって現実の存在であり、質 として実現される。
 質は永遠不変ではない。静止の継続に限界があり、全体の運動に対し絶対的 ではない。全体の運動の過程にあって、相対的に静止が実現している。全体の 運動の中での、継続する相対的運動として静止があり、質がある。他との関係 の継続、恒存する性質として質がある。質は運動の形式の継続・恒存として、 相対的静止としての存在である。
 質の関係の継続・恒存は相対的である。関係は全体の運動の過程で関係を変 える。関係自体が運動する。全体の運動として質は変化し、別の存在になる。 質は運動の関係形式として、変化して新しい質になる。

 同じである静止間の相互作用として、作用に差異が現れる。相互作用に含ま れる静止の数や、組合せによって、差異は生じる。静止間の相互作用は、相互 作用の全体としては、相対的全体の運動として同じでありながら、相互に区別 される。相互作用によって、静止は区別される質をもつ。

【質の形式】
 質は相互作用として現れる違いの形式である。質が存在するのではない。存 在するものの、相互作用の形式が質である。質は同じものでありながら、別の ものであると区別される関係の形式である。一般性と個別性を統一する現実存 在が普遍的な質である。

【質の内容】
 相互作用にあって、相互作用によって区別されるものが質である。相互作用 によって、別の作用を継起するものとして、全体と関係する。
注89

 

第4節 量

【作用のまとまりとしての量】
 世界の普遍的運動である相互作用は、相互に区別される運動の統一である。 区別される存在の相互に関係し合う運動である。相互の作用点としての部分の 集まりとしての広がりがある。相互作用として、全体の運動に占める部分の運 動の範囲がある。同一のものとして作用する静止の多さが量である。これが量 の第1である。

【作用の広がりとしての量】
 部分は単独ではない。全体に対する部分は区別される存在であり、部分は複 数の存在である。部分として区別される質は、異なる質の部分との区別でもあ る。部分は全体に対する部分であり、他の部分に対する部分でもある。他の部 分に対する、同質の部分の広がりがある。同質の部分の広がりが量の第2であ る。

【数量】
 第1の量は、まとまり・集まりとして存在が区別されて量られる。内包量で ある。数えられる数。
 第2の量は、広がりとして存在の範囲が量られる。外延量である。量られる 量。
 量は関係の内に現れる性質であって、まとまりとして計られるものである。 運動そのものではないが、運動が他に対し、全体に対しての関係のまとまりで ある。
 したがって、量は作用の形態によって量自体の違いがある。量は量られ方に よって区別がある。

【基数、順序数】
 対称との1対1対応、全単射を保存する数が基数である。
 個別・部分が互いの関係、全体との関係を保存する数が順序数である。

【数えることと、量ること】
 数えること、他と区別される対象が、区別される質によって強い独立性を持 っていること。数えることは分けることである。分ける基準が対象の性質によ るのか、数える側の都合によるのかは、数そのものの性質には関係ない。
 デジタル量として量られる。

注90

【自然数】
 数えることの関係は対象があるかないかの区別を基礎にしている。
注91
 論理的にあるかないかの組合せで数えられる。
 対象が存在する場合を何らかの記号で表記する。例えば「●」で存在を表現 する。
 対象の存在の否定を別の記号で表記する。例えば「○」で非存在を表現する。
注92
 対象の「存在」と「非存在」だけが対象の性質として、存在形態として表記 される。記号「●」と「○」だけが対象を表現する。
 次いで「存在」と「非存在」からなる関係を表記する。「非存在」○と「非 存在」○の関係は「非存在」○である。「(○<○)>○」  「非存在」○と「存在」●の関係は「存在」●である。「(○<●)>●」  「存在」●と「非存在」○の関係も「存在」●である。「(●<○)>●」  「存在」と「存在」の関係は「存在」であるが、当初の「存在」とは異なる 「存在」である。「(●<●)>(●●)」  「●」と「●●」は対象の異なる存在を表現している。非存在「○」とも表 現は区別される。
 あとは「存在」の組み合わせを順次表現することが可能になる。「●●●」 「●●●●」・・・「●●・・・●●」

 「存在」の組み合わせとして、数えられる対象の表現として「自然数」が使 われる。
 自然数はどのような記号、文字、表現形式によるかにはかかわらない。

 記号、文字として「○●」「零一二三・・・」「I II III ・・・」・・・  表現形式としてあるかないかの組合せには、組合せの場が必要である。ある かないかは、桁(ビット、各位)の状態によって区別される。桁があって対象 がない場合が「0」。桁が「0」に対し、対象がある場合が「1」。対象があ るかないかに対応して、桁が「1」と「0」で区別される。対象と1対1の関 係であり、対象と桁が対応関係にあり、対応する対象が有る関係を「1」、対 応する対象がない関係を「0」で桁を表す。
 対象があるかないかの関係で、有る対象の別の対象が有る場合は次の桁が 「1」になる。「11」になる。これは2進数ではない。対象との対応関係が 保存され、拡張されただけでありる。
 拡張された対象があるかないかの対応関係にあって、「0」と「1」の関係 が拡張される。
 ないものはなく、「0」と「0」で「0」。
               0+0=0。
 なくはない関係が「0」と「1」は「1」。
               0+1=1。
 あるものとあるもので「1」と「1」を「11」とするか、「2」とするか、 「10」とするかは表現形式の問題である。
               1+1=[11]、
 または           1+1=2、
 または           1+1=[10]。
となる。
 次の対象との対応関係は
           [11]+1=[111]、
 または       2+1=3、
 または       [10]+1=[11]。
となる。
 順次対応関係が保存される。
 対象との対応関係と対応関係間の関係によって数、自然数が定義される。 「1+1はなぜ2になるのか」は対象との対応関係が保存されるからである。 対象間の関係ではない積木と積木を接着して新たな積木を作るとき、「1+1 =1」は積木の個数であって、体積は「1+1=2」である。この場合、保存 される関係は個数ではなく体積である。数は対象間の関係ではなく、対象間の 関係の関係である。
注93

【連続量】
 運動の経過は量の変化としても現れる。
 通常運動の量的変化は連続している。運動の任意の時点から時間的に隔たっ た時点での量の比較が可能である。時間的に隔たった量の関係で、時間的隔た りを連続して小さくしていく場合、運動量も連続して変化する量を連続量とい う。時間的隔たりの極限では、隔たりは超えられる。連続量は積分によって計 算可能な量である。
 積分可能な量的関係の運動であっても、3点以上の要素間の運動は積分可能 な系として表現できない。三体問題は連立方程式として計算できない。

 連続量であっても特異点がありうる。剛体でできた回転可能な振り子は、頂 点では二方向への運動が可能である。運動量は連続して変化しえるが、その変 化の内で、いずれの方向に回転するかそれまでの連続した変化では決定されえ ない時点が特異点として現れる。

 相互作用は他次元の関係としてあり、その次元の組合せとして作用の形態は 異なる。相互作用が1つの次元では一様に作用せず、他の次元では一様に作用 する場合、この次元の組合せによる形態はベクトル量として現れる。方向性を 持った量である。組合せのすべての次元で一様に作用する場合はスカラー量で ある。方向性をもたない量。可逆性、対称性をもつ。

 相互作用の担い手である静止部分の数量は、デジタル(離散的)量であるが、 作用はアナログ(連続的)量として量られる。デジタル量は他との相互作用を 関係形式として計る量である。アナログ量は相互作用の連続的な違いとして計 る量である。

【量の量】
さらに、量は他との関係において、異なる次元の量の組合せによっても、ひと つの量として現れる。単独でも現れる相互作用が組合わさって、複合されては いても、単独の相互作用として他と関係し、区別される場合がある。単独で現 れた相互作用の量は、それぞれ量そのものの組合せが、複合した相互作用のひ とつの量として現れる。長さと時間に対する速度、速度と時間に対する加速度、 というように。
 また、相互作用の相対的全体に対する関係にあっても、量として相互の違い が現れる。同じ相互作用がまとまった作用として、どれほどまとまるか、まと まりの全体としての相対的全体に対する、相互作用の量である。密度などの量 である。

【比】
 量の相対的比較として比がある。比の前提は同じ質であることは当然として、 量の基準が共通していなくてはならない。一定の相互作用のうちにあっての量 的現れの関係である。
 比はひっとつの量的関係の値として、他の量的関係との比較基準になる。質 的に異なる相互作用間の関係を何らかの基準によって直接的に計量しなくとも、 それぞれに現れる比によって量的関係の構造を比較することができる。

【単位】
 量的関係比を比較基準を一定に定めることによって、別々の量的関係を比較 することができる。量的関係を一定の比較基準に対する比として現すことによ り、量的関係を数の関係に対応させることができる。
 対象との対応を定め、対象間の関係が量られる。対象との対応を定めること は単位の決め方である。空間的に区別される関係では個数が単位になる。繰り 返し等の関係があれば周期を単位にする。
 連続量を対象とする場合は単位量を対応関係の基準にする。
 決められた単位量による数量化は、それだけで客観化にはならない。適切な 単位量の基準が必要である。角度は直角を単位量にしたり、便宜的に1周36 0度と定められているが、直径を基準とした周の比を単位量としたラジアンの 方が普遍的である。便宜的に定められた単位量で量ると整数比にならない関係 も、量られた関係によって単位量を決めることで対象を整数比で量ることがで きる。適当な単位で量られた量を比較し、改めて公約数を量の単位とすること で量比を自然数で表すことができる。

 単位量は目的によって決定される場合もある。連続量の変化としての音を量 る場合最大値をとる場合もあるが、再現を目的とする場合時間単位に分割して 振幅を量る。時間分割の単位を小さくすればするほど再現性は良くなる。しか し再現性を良くするとデータ量は増え、その処理と保存の技術的困難も増える。 再現の質に対する要求と、再現技術のかね合によって単位量は決定される。統 計処理をする場合もサンプル数と誤差を考慮しなくてはならない。
 単位量の決定は再現の質に影響する。数量化する意味と、数量によって再現 される意味をすり替えて、対象を量ってはならない。
 単位の飛躍する量的関係を統合して理解するためには、指数表現は数処理の 技術と、感性をうまく折り合わせる。対象の関係を再現するのに、客観的理解 を助ける。

 基本的には、一貫した単位を使用し、客観性を感性的にも保障すべきである。
 数量と計算。比較量として計算される。比較して数えられ、分けられる。変 化量として計られ、つなげられる。算術ではなく、微積分になる。無限は、数 えるのではなく、計られる。

【尺度】
 量は単位によって測られ、比較される。単位は測られ、比較される基準であ る。測り、比較する目的にょって定められた尺度と、運動そのものによって定 まる尺度とがある。長さ、重さといった量は人間の活動を基準に尺度が定めら れ、その尺度の普遍性を保証するために技術的、政治経済的努力がなされてき た。
 量る目的によって単位量を決める場合、尺、フィート等日常的長さは、身体 の長さを単位とすることで、日常生活上の量の表現に適している。対象の量的 な節、繰り返しがあるわけではない。オームストロング、天文単位、光年は、 それぞれに適した、対象間の関係に対応した単位である。特に光年は、距離と 時間を媒介し、宇宙史、宇宙構造の表現に適している。
 また自然定数として定まる物理量もある。光の速度、粒子として現れるエネ ルギー単位。
 人間の目的によって決められた尺度も、自然定数も、それぞれに相互に変換 が可能であり、相互の関係は一定である。

【無限】
 限界は質的に決定される。一定の質によって量的限界が定まる。質をともな わない限界はない。一定の質の限界を超えると、より一般的質がある。最も一 般的質として世界の存在一般がある。

 方向性は連続する延長として先を示す。運動の過程で方向として定まる限界 は、その運動過程を延長することによってその先を求めることができる。「果 て」として定まる限界のさらにその先として、過程として「果て」の先に無限 を求めることができる。過程としての仮の限界を超える無限の存在である。究 極はとらえられないが、仮の無限として考えることができる。この無限は果て をなす質を超えなくてはならない。

 無限は質的に定義された存在として規定される。質的存在の限界として限り がある。質的限界との隔たりを詰めることによって無限が定義される。明らか な限界と、その限界との隔たりの関係として無限がある。限界の定め方、隔た りの定め方によって無限は様々な極限として定義される。限界の定め方が質的 規定であり、隔たりの定め方が量的規定である。定義された質量として、無限 が規定される。
 最も一般的存在として限定した世界を超えるものとして、限りない存在であ る無限を考えることはできる。絶対的無限、真実の無限の存在を思弁すること ができる。しかし、世界一般を超えた存在は、世界の存在になんら関わりをも たない。

【定数】
 数学方程式の変数に対する定数ではなく、世界の要素を数量化した場合に決 定される数がある。存在の質によって定まる一定の量がある。
 数学にあっては円周率(π)、自然対数の底(e)、虚数単位(i)等。物 理学にあっては光速度(c)、万有引力定数(G)、プランク定数(h)等。 これらの数は便宜的に仮定された量ではない。量を量るものの都合や、目的に よって定められたものではない。空間の構造の性質を表す普遍的な数である。

【関数】
 関数の定義:関数は変化量と別の変化量との対応関係を示すものである。

 関数の機能:関数によって変化を予測することができる。直接観測できない ことがらを、既知の変化から計算することができる。
 関数に含まれる係数を求めることで対称の変化の法則性を捨象できる。
 関数の適用:関数は明らかな対称の変化量を計算、表現するものであって、 未知の物そのもの、あるいは既知であっても対象の存在、構造を隠してしまう、 いわばブラックボックス化することになってはならない。

【物理量】
 存在とは何かを考える基本的な量である。質量など、具体的な物の存在の他 の物との関係で特定できる量はわかりやすい。
 速度など物の運動に関わる量はわかりにくくなる。その瞬間の速度とは測定 不可能な量である。速度は通常、平均値として測定される。
 エネルギー、エントロピー、熱、圧力等も物理量である。計測できる存在で ある。しかしその存在としては、分子、原子の運動の総計として測られる物で あって、分子、原子の個々の運動を測定することによっては測ることのできな い量である。

【統計量】
 数量化された対象間を比較する際、個々の要素の対応関係を比較するのでは なく代表値によって比較する。
 対象を数量化した個々の要素のデータとしての集合を様々な指標で表現する。 したがって、個々の要素のデータと統計量・指標は一致しない。一致しない程 度、頻度、程度も指標として表現される。
 統計量は傾向としての量であるが、現実的な量でもある。物理量の圧力、温 度等は統計量であるが、実際の道具を使って測ることができる。

【確率値】
 投げ上げた硬貨が落ちて、裏表どちらが出るかは、偶然である。しかし統計 を取れば、二分の一の確率に限りなく近ずく。あるいは、二分の一からの誤差 が、硬貨そのものの不均一さを示す。光、あるいは電子がスリットを通ってス クリーンに当たるとき、一つ一つの場合はランダムである。しかし、多くなれ ばなるほど干渉縞がはっきりと現れる。
 傾向として現れる量である。

 

第5節 部分 III

【部分の存在】
 部分は相対的静止として絶対的全体と区別、対立する。部分は全体の一部と して絶対的運動でありながら、相対的静止として運動する。部分は運動であり ながら静止するものとして、絶対的な運動から析出する。絶対的運動でありな がら、絶対的でない部分である。全体の一部分でありながら、全体でない部分 として運動する。絶対的な運動に対立する、相対的部分の運動主体として部分 は現実存在である。
 相互作用は全体と部分の相互作用ではなく、部分間の相互作用である。相互 作用として区別される作用主体が部分である。
 部分は全体との対立関係の形式的区別ではない。部分間の形式として区別さ れるものではない。部分は存在としての質の単位である。部分は存在単位とし ての質をもつ。
 部分は全体の内に関係する存在でありながら、それとして独立した存在であ る。「もの」としてまとまりのあるものである。運動の主体であり、運動の対 象であり、認識の対象であり、他と区別される存在一般である。

【部分の内外の区別】
 部分は相互作用の関係を担う作用点であり、相互作用によって他と区別され る存在である。全体の運動としての相互作用は部分によって区別され、部分の 相互作用は部分間を区別する。部分の相互作用間の関係が相互作用を区別する。
 全体の対称性の破れが部分を生み、部分間の対称性の破れが部分の多様性を 生む。部分の他との関係、他との相互作用は相互作用間の区別を生む。部分は 単独の相互作用ではなく、複数の相互作用によって区別される。複数の相互作 用によって区別される個々の部分は、他との相互作用に対応した内部の運動を 区別する。部分は相互作用の力点としての作用点ではなく、内部の運動と外部 の運動とを区別する。複数の相互作用は部分内に部分の区別をする。相互作用 の多様性は部分の内に構造をつくる。

【部分の内部構造】
 複数の相互作用は部分の内外で重なり合い、部分を共通の作用点とする。部 分を形成する複数の相互作用は、相互作用間の関係として構造をなす。部分の 相互作用は相互作用間で相互作用し、部分の構造をつくる。相互作用間の相互 作用のまとまりの関係は部分の内部構造である。
 構造は相互関係の関係である。相互関係の関係が相互関係と同程度に安定し て保存される関係にあるとき、構造として現れる。関係の関係は一次にとどま らないし、一種類の関係にとどまらない。多元多次な関係に発展する。
 そもそも相互作用は単独であるのではなく、運動全体の一部分であり、無数 の相互作用として全体の運動をなしている。それらの中で、相互作用間の相互 作用を作り出し、相互作用の集合、部分を作り出す。相互作用は相互作用間の 相互作用を生成し、部分的、そして全体的相互作用の関係を発展させる。相互 作用間の相互作用の系の発展として、部分は多様な存在形態を取るようになる。

【部分の運動形態】
 したがって、部分は幾つもの質を持ち、その質の複合したものとしての特徴 を持つ。この複数の質は、それが単独にある場合とは異なり、部分としてのま とまりによって現れ方を変化させる。部分の質は部分として統合された質とし て現れる。
 部分は全体の運動としては他と同じ全体の運動であるが、部分の内と外とで は運動の形が異なる。部分の外の運動が部分の内にはいると、部分を全体とす る運動に取り込まれる。運動は部分の内にあっては、部分を全体とする閉じら れたものとなる。全体的運動の一部分であるから運動し、存在するのである。 全体の運動としては他と区別できない開かれた構造である。しかし、部分とし ての運動は全体の運動でありつつ、全体の運動に還元されない部分として完結 した運動をする。全体に対して開かれてはいつつ、部分として閉じた運動をす るのが部分の運動形態である。

【部分の存在形式】
 部分は部分としての運動としての量を持つ。部分は様々な集合、広がりとし て作用する量をなす。部分は質と量を持つつ現実的な存在形態の単位、節であ る。
 部分は全体の絶対的運動の単なる一部分ではない。部分は全体の運動であり つつ、全体の運動でない構造をなす。しかも、部分は他と区別する境界を持つ。
 部分の運動が発展すればするほど、部分の境界は外と内とで運動を区別する だけではなく、内と外との運動を相互に変換する場となる。運動として相互に 作用し合いつつ、存在として他と隔絶する。この対立する運動を統一し相互に 変換する境界が独得の機能をする。
 部分の境界面の機能も、部分の構造によって多様なものになる。

 

第6節 矛盾

【運動の源】
 存在は運動の現れであり、運動は矛盾の現れである。
 矛盾は全体と部分との相互関係であり、部分と部分の相互関係である。全体 は全体でありながら一様ではなく、部分を区別し、部分との対立として全体が ある。部分は全体の一部分として同じ部分でありながら、別のものとして互い に部分である。

注94

【矛盾の形式】
 矛盾は形式的対立としても表されはするが、世界のあり方が対立する関係を 持っているから形式的対立としても現れる。
 左右、上下、前後と言った対立は、形式的対立である。形式的対立そのもの は矛盾ではない。形式的対立を結果する、世界のあり方の対立関係が矛盾であ る。
 世界のあり方が対立関係であるから、世界は運動し物事が存在するのである。 物事は対立する関係にあるから相互に作用し合い、相互関係をなすのである。 物事は対立する関係にあるから、運動するのである。対立しつつ関係し合う矛 盾があるから、運動があり、存在がある。矛盾のないところに存在はない。
 矛盾は固定したもの、静止したものではない。矛盾は運動として現れるもの であり、常に変化する。静止と見えるものも、相対的に運動が見えないだけで ある。平衡、均衡の状態も矛盾、対立が前提としてあり、その矛盾、対立を、 部分的、一時的に否定しているに過ぎない。すなわち、矛盾自体も運動するの である。

【発展の源】
 矛盾の対立関係は常に変化し、強くなったり、弱くなったりする。対立関係 自体が相対的なものであり、他の対立関係と連なっており、ひとつの対立関係 としての矛盾は他の対立関係に転化もする。さらに、全体の中の個々の対立関 係が、対立関係相互に対立関係を作り出すこととして、矛盾自体が発展する。 矛盾自体運動するものである。
 矛盾は裸ではない。矛盾は単独ではなく、全体の縦横の諸関係の中にある。 ひとつの矛盾が普遍的なもので、世界のどこにあるものであっても、他との諸 関係はすべて同じではない。矛盾をなす対立関係は外に対して、他に対して、 全体に対する関係を持っており、矛盾としての対立関係よりも他との関係の方 が多く、複雑である。普遍的矛盾も他との関係についてはけっして普遍的では ない。他との関係は普遍的ではなく、偶然的である。したがって、矛盾は普遍 的なものであっても、どれも同じ様に運動し同じ様に現れるものではない。
 矛盾は対立関係として相互作用としての運動であるが、その関係の他と関係 しつつ運動するものである。他との関係を通して、全体に対立する部分として 現れる。つまり、矛盾は運動の原因でであり、他との関係を条件として現れる。

 

第7節 空間

【空間の関係】
 運動は相互作用であり、相対的関係としてある。運動は相対的関係にあって、 互いに連なり合い、そして全体と連なり、全体をなしている。この相互作用の 連なり具合いが空間である。
 相互作用の連なりによって部分の相互関係があるのであり、個々の相互作用 によって全体の相互関係がある。

 個々の相互作用は孤立しておらず、全体の相互関係の中にある。個々の相互 作用は、作用の結果として他と関連し、全体につながるのではない。個々の相 互作用はその作用の始まりから終わりまで他と連なり、全体と関係している。 存在そのものが他との関連である。個々の相互作用は、作用のあらゆる要素を 通して他と連なり、全体と関係している。常に全体と連なり、全体の一部分と して相互作用は相互関係のひとつの節をなしている。そのすべての相互作用か らなる全体の相互作用が空間である。

【空間の形式】
 空間は何かの入れ物でもないし、空の空間などもない。空間は運動の連なり 具合いの形式のひとつであって、空間というものが存在しているのではない。 空間は運動を定量化するための形式である。
 空間は距離と方向によって測られるが、これは特定の相互作用の隔たりと、 その要素を示すものである。相互作用に隔たりがあってこそ距離が問題になる。 相互作用が実際に働く要素の対があって、方向が問題になる。
 距離にしろ、方向にしろ、その定量化する単位、あるいは原点は、問題とす る相互作用によって決めるものである。距離、方向の基準は、複数の相互作用 間の関係として決めるのであって、相対的なものである。空間の絶対的基準な どはないし、絶対的空間なども実在しない。

 

第8節 時間

【時間の関係】
 時間は運動の継続である。
 時間がなければ運動がないのではなく、運動がなければ時間も問題にならな い。運動が存在するのであって、時間が存在するのではない。
 運動の経過を比較する尺度として時間が計られる。時間はなんらかの絶対的 時間があるわけではない。時間は、運動そのものに従属して決まるものであり、 複数の運動を比較することで意味づけられる。
注95

 個々の運動において問題となる時間を絶対的時間の基準とすることはできな い。個々の運動の相対的関係の全体として、全体の運動による時間を問題にで きるが、それは相対的なものである。

【時間の非可逆性】
 したがって、時間は運動の経過によって方向を持って進む。すべての運動が 全体の一部分であり、運動のすべてとして全体があるように、時間も全体とし て一定の方向を持っている。全体の運動を問題とするとき、時間は一様であり、 一定である。
 しかし、個々の運動についての時間は、一定の方向が全体の時間と同じであ っても、時間量は一様ではなく相対的である。個々の運動の時間であっても、 方向は一定であり全体と一致している。すなわち、時間の逆転はありえない。 ありうるのは運動の逆転である。運動の逆転と言っても、相対的全体の中の一 部分が相対的に逆転するのであり、運動の全体が逆転することはない。
 ひとつの運動の原因と結果が、逆に結果が原因となって元の原因が結果した 場合でも、それは運動が別の逆の運動になったのであり、時間が逆転したので はない。


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