理論と情報の運用は理論から求められる不足している情報を収集し、収集した情報によって旧情報を更新・訂正し、情報全体が示す対象の秩序を見通す。人々の知っている情報を可能な限りもれなく手に入れることでよりよい分析になる。その意味では得られていない情報を積極的に探す努力も必要である。秩序を法則として論理的に表現して理論化する。
例え敵対し、隠された情報であっても人が知り得たことは知り得る可能性がある。情報分析は情報戦の上に成り立つ。隠れた、隠された情報は確証がなくとも傍証から推定できる可能性がある。隠された情報であっても重要であるほど事実関係に表れやすい。物事は相互規定関係にあり、重要であるほど多くの相互規定関係からなる。ごまかしの説明は説明表現の解析、検証できた情報との相互規定関係からごまかしを見破ることが可能である。
[1019]
情勢分析は実践を見通すのが目的であり、知的探求だけでなく行動指針を導き出す。不注意による、また願望による歪みが影響しないように分析する。理論が理論自体の発展だけを目的としていないように、集めるだけを目的とした情報があふれないように評価しつつ収集する。
[1020]
情報収集は情報を得るだけが目的ではなく、どこにどのような情報があるかも知り、入手手段方法も整える。ためるのではなく収集手段方法を整えることで継続し、よりよく収集できるようになる。物事を直接検索できるなら古い情報をため込まずにすむ。百科事典の古いが信頼性の高い情報とインターネット・サイト上の信頼性は低いが個別的で、新しい情報とを相互評価する。
[1021]
公開されている情報であっても知っているとは限らない。どこでどのように公開されているかを知ることと、検索技術を磨いて情報は利用できる。
[1023]
情報を体系化することで必要十分であるかが明らかになる。全体を見渡し部分を評価することができる。体系化することで検索性は高まる。検索性を高めて情報を相互参照できる。検索性で情報を囲い込む必要がなくなる。無駄な大量の情報から必要な情報を選り分ける手間を省ける。
[1024]
【情報評価】
世界理解の基礎になる科学がもたらす情報はそのままでは知識収集に終わってしまう。科学情報を評価することで世界理解が可能になる。科学の世界で話題になるのは実証されていない仮説である。教科書に書かれていることは科学の世界では話題にならない。科学的評価は科学者間の相互批判によってなされるが、解説書は書評されることはあっても科学者間で相互批判されていない。このように日常で話題になる「科学」には非科学、反科学、似非科学を含んでいる。俗化した科学的世界観は非科学的世界観と何ら変わりはない。人それぞれの日常経験を説明し、納得するために科学は大いに利用されているが、日常世界を科学的に理解しているとは限らない。
[1025]
科学に関しても俗化した日常的世界解釈がある以上に、政治、経済、文化に関しては虚偽がまかりとおる。利益をめぐる競争社会では人を騙すことが主要な競争手段である。積極的に騙さなくとも人の誤解、無理解につけ込む。虚像、虚価値を売ることの方が元手はかからず利益は大きい。
[1026]
情報は内容だけでなく伝達過程を見通すことでも評価する。報道は内容だけでなく媒体にも意味がある。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった媒体ごとに受け手が違う。それぞれの受け手の違いに応じた内容が扱われている。さらに情報を担う企業によっても傾向が違う。政治的違いだけでなく、啓蒙的か迎合的かが違う。人権に対する姿勢、教育に対する考え方も媒体企業間で違う。新聞全国紙でも同じ事件を扱う視点も、表現も各紙で異なる。
[1027]
特に新聞全国紙など「政治的中立」「権力からの独立」をうたうこともあったが既に過去のことである。社会的影響力が大きければ権力が放置するわけはない。権力と媒体との繰り返される取引で、やがて権力が媒体の首根っこを押さえ込む。社会的力を発揮すれば他の力との相互作用で社会的相対的位置は自ずと決まる。情報評価の基礎は自らの世界理解であるが、個別の情報評価は情報媒体の評価が前提になる。同じ情報媒体であっても変化する。情報媒体内の力関係の変化はうかがい知ることができなくとも、自らの世界理解を基準に情報媒体の変化は評価できる。
[1028]
秘密情報が入手できれば情報評価は確かになる。しかし秘密情報を入手するには代償が必要であり、秘密であるほど検証は難しい。情報評価の基本は公開情報である。公開情報によって対象を、世界を理解して個別の情報を評価できる。評価自体に問題があるから、公開情報があふれていながら対立する評価が生まれる。公開情報でも評価は収集する側の問題である。
[1029]
評価基準こそ人任せにできない。生活上の確かなこと、不可欠な大切なことを基礎にして評価基準を確かめる。確かさ、大切さは世界観が明らかにする。
[1030]
情報は公開され、共有されることで多様な視点から評価できる。例え敵対関係にあっても公開情報を共有することで疑心暗鬼による危険と無駄を避けることができる。ゲーム理論は敵味方の関係でも共通の情報理解が成り立っていることを前提にしている。
[1031]
第2節 階級構成分析
社会を表現する基本的指標として産業関連表と階級構成分析がある。物の動きなら産業関連表であるが、人々の社会的動向なら階級構成分析が基本になる。「階級闘争」を否定しても、人々の生活が均一でなく、階級あるいは階層があることを否定はできまい。
[2001]
それぞれの階層に属する人々を数えることが階級構成分析の基本ではあるが、その上で数の変化、階層分類基準そのものの検討をとおして社会関係の量的、質的変化をとらえる。国勢調査等を利用して階層間の増減関係、新しい階層の出現を数量としてまずとらえる。数量変化を通して社会構造変化をとらえ、その機序を推論する。しかし基本は社会動向理解を検証するために、数値を確かめる。客観的に見て現実を理解するのではなく、主体的に実践をより確実にするために数値を検討する。社会を客観的に見ることなどできない。仮説を立てて検証する自然科学研究と同じである。
[2002]
数字は一見明白であるが実体を表しているとは限らない。一つの数字は物事の表徴の一断面を表しているのであって、物事全体を表してはいない。また物を数えること自体が対象を一定の要素として区別できることを前提にしている。企業数でも子会社、ダミー会社の定義、数え方の規定がまず前提になる。所得階層は所得金額区分が受け入れられやすいが、分位階層区分の方が物価変動の影響を受けない。数え比較するには基準を定義し、社会変化の本質的傾向を把握できる数字を対象にする。統計の解釈と社会の理解とは相補的であり、ごまかしが入り込む可能性がある。世界全体の理解に基づいて現実の社会を読み解く、それぞれの主体的実践を導くための情勢分析である。
[2003]
第1項 賃金労働と資本所有
【雇用労働】
資本の本源的蓄積以来、売るものとして労働力以外に持たない労働者の役割が一貫して増大している。賃金労働は工場での生産から流通業へ広がり、農林漁業へ普遍化した。どのような産業分野でも価値を作り出し、転化するのは労働であり、労働を担って生活を実現しているのが賃金労働者である。生産、流通、管理技術が発展するほど熟練は不要になり、労働は定型化する。定型化し何をどうするかが明確になることで労働は被雇用者に担われ、労働力の対価として賃金、報酬が支払われる。時間給、月給、出来高払い、成果払いといった支払い方法にかかわらず、雇用労働が普遍化する。
[2004]
一方流通が発達し、商品取引、市場経済が社会関係の基礎になると、社会代謝を担う価値の生産、転化を目的とするのではなく、儲けの追求が人々の社会的動機になる。労働そのものの価値より、商取引の方が直接に社会的価値を手にすることになる。自らの労働で生活財を生産するには質的量的限度があるが、商取引によって多様な財を得ることができる。さらに自分の労働だけの成果には限りがあるが、人の成果を収奪すれ限りない富を得られる。富を得られればより多くの人を収奪することができる。収奪者間の競争が厳しく、失敗すれば賃金労働者以下の生活に落ち込むとはいえ収奪は人々に力を与える。
[2005]
収奪を最も純粋な効率的制度にしたのが資本主義経営である。賃金労働を搾取し、利潤によって経営を動機付けるのが資本主義経営である。日本の農業、医療、公教育のように政策的に制限されなければ、経済のあらゆる分野に資本主義経営が普及する。政策的制限も見直しが迫られ、公的分野も民営化される。
[2006]
非資本主義企業経営として残る社会代謝は統治しか残らない。立法、行政、司法は社会代謝秩序全体を統制する。統治は社会代謝を再帰して制御するので個別的社会取引関係を超えて機能する。ただし統治でも事業部門は資本主義経営が可能であり、民営化が求められる。軍隊にも傭兵部隊があり、刑務所も民営化されたりする。統治に必要な物資、エネルギーの調達、管理、公務員の人事、福利厚生も民営化可能である。権力の意志決定に関与しない公務員も賃金労働者と同じであったが、業務そのものが資本主義企業経営に外部委託され、純粋の賃金労働者によって担われるようになってきている。社会代謝を担うあらゆる労働が賃金労働者によって担われる。
[2007]
労働力しか売るもののない者は皆賃金労働者として生活する。家族の生活を支えるのは成年男子だけではない。成年女子も家庭内主婦として生活を支えることは困難になり、正規就労できなくとも非常勤就労する。高齢者も引退時期を引き延ばさなくては、老後の生活が成り立たない。
[2008]
社会主義国でも社会代謝は労働によって担われることに違いはない。働く者が自ら統治するのが労働者の国、社会主義国である。働く者が自らを統治できなければ階級関係が復活する。それも社会代謝秩序を無視する資本家よりも凶暴な社会帝国主義者を生み出す。社会帝国主義は社会代謝秩序に反する点では投機資本と同じである。
[2009]
【労働形態】
生産力の発達は生産管理技術の発達であり、同時に労務管理の発達でもある。職制が整備され、労働者間の競争が制度化される。労務管理の発達は賃金形態を多様にする。日払い賃金から月給、年俸制へ、逆に時間給へと多様化した。労働時間によって決まる賃金から出来高払い、裁量労働制へと質的にも多様化した。
[2010]
労働は本来創造的であり、自己実現である。賃金労働者が仕事を生き甲斐としてとらえることが労務管理の理想である。生き甲斐にはならなくとも自社株購入権は報酬での強力な動機づけになる。創造的労働だけではなく、定型的労働でも改善提案運動などが制度化される。裁量、待遇が工夫され画期的労務管理は新たな企業経営形態になる。
[2011]
労働形態は多様化しても労働条件は普遍的である。労働条件は社会的規制によって維持され、社会的規制の維持は労働者の要求と運動による。社会的規制がほころびれば、資本間の競争は労働条件の引き下げ競争になる。労働形態の多様化を理由に派遣労働の自由化をすれば、労働形態にかかわらず派遣労働が普及し、労働条件が引き下げられる。個々の労働条件の引き下げにとどまらず、社会的歪みとなって現れた。
[2012]
企業経営自体も雇用者によって担われるようになってきた。労務管理、生産管理、資金管理等の経営は元々資本家の仕事であった。管理技術の高度化により企業経営は専門家によって担われるようになった。企業経営の最高意志決定者から、中間管理職、下級管理職までが被雇用者によって担われている。今日の被雇用者には賃金労働者だけではなく経営者までもいる。
[2013]
このことをもって階級対立社会は消滅したことにはならない。アメリカン・ドリームは合衆国が階級を超越した国であることの証明ではない。生産性向上による労働者の生活向上は部分的、一時的である。競争社会が続く限り、勝者と敗者が必ず出る。また継続する社会に公正な競争は原理的に成り立たない。
[2014]
【資本の所有関係】
資本自体が商品化することで資本家が直接企業を所有しなくなった。資本家は企業経営などの社会的機能を担わなくなる。資本の株式会社化は企業経営と資本所有を分離し、労働者が会社株式を購入することもある。株式を所有することが資本を所有し、資本家であることにはならない。資本家は個人消費で商品取引しても、資本の回転過程での取引には加わらず、社会代謝関係からは隠れた存在になる。
[2015]
資本の商品化はより大きな利潤を求めての流動化であり、投機化である。収奪は互いの収奪となり投機化する。巨大投資資金が社会代謝の揺らぎを利用して投機利潤をあさる。生活保障のための基金までが投機に加わらなければ基金を維持できないまでになっている。国家が金融市場で資金運用する国も出てきた。投機資金は社会代謝秩序を混乱させる力を持つまでになっている。投機資金は社会代謝秩序から利益を得るのではなく、利益を得るために社会秩序を操作する。投機は資本間の収奪競争であり、社会的価値から離れた、思惑による取引であり、賭博である。投機は資本による資本の収奪として収奪の最高の発展段階である。
[2016]
資本主義の礼賛者までが投機による実体経済へ影響を口にする。「実体経済」とは社会代謝のことであり、投機が社会代謝からかけ離れた取引であり、投機が社会代謝を歪めていることを皆が認めるようになってきている。実体経済でないのは虚構経済である。
[2017]
第2項 労働の発展
【管理労働】
資本主義初期の工場制機械生産では資本家と労働者の区分は明確であった。工場、機械設備、資金の所有者が資本家であり、原材料、エネルギーを購入し、労働者を指示・監視し、生産物を売るのは資本家の仕事であった。生産管理は資本家の仕事で生産管理によってみずからの所得源泉を主張できた。資本家に雇用され生産設備を運転し、製品を生産するのが労働者であった。労働者は生産物には責任を持たないと主張された。
[2018]
生産規模の拡大により労働者間の協力調整を労働者自身が担うことが困難なまでになった。生産工程は分担され、工程間の調整、組み合わせを管理する労働が独立する。生産調整を担う労働が独立する。生産技術の発達は労働者間の協力調整手段を提供し、労働を組織化する。工程、技術を管理する労働が階層をなして組織される。階層化する労働組織、工程を統制する労働が発達する。
[2019]
経営規模の拡大は経営の専門家を必要とする。経営は人、物、金、時間、情報を管理運用する。経営のそれぞれの分門は組織的に分担され、実作業は賃金労働者によっても担われる。経営は組織を調査企画、調整、人事・労務、財務等に分担する。経営は社会主義になろうが企業、そして社会の代謝秩序を実現するのに不可欠である。
[2020]
【研究開発労働】
工業の発達は学問を教養とは別な産業として発展させた。発明・発見は新しい産業分野を開拓する。工業技術の発達は基礎科学の成果を産業により直接的に利用できるようにする。工業技術は自然変革力、手段を多様に豊かにしている。産業の発展には研究開発労働が不可欠になっている。
[2021]
数と論理による効率化追求は情報システムを作り出した。物質存在の追求は核エネルギーを取り出した。生物進化の追求は遺伝子操作を実現した。科学技術が生産を直接的に支えるようになった。非ユークリッド幾何学が一般相対性理論を支え、一般相対性理論によってGPSが機能する。日常的理解を超える量子力学が電子技術を変革する。
[2022]
発明・発見が起業の機会になり特別剰余価値をもたらす。失敗の負担を負ってまで、研究開発が新しい産業分野を成り立たせている。研究開発は失敗することの方が多いが、1件の成功が他の多くの失敗による損失を補って余りある報酬をもたらす。経済は多数の失敗損失と極少数の成功報酬からなる関係としても発展する。
[2023]
研究開発は起業家の仕事だけではなくなり、企業として研究労働者を雇用するようになった。学校で教育も行っていた科学者が企業で労働者として雇用される。科学者が直接価値生産労働に携わるようになってきた。工学者が金融工学を開拓し経済取引へ進出している。
[2024]
【情報労働】
情報技術の発達は蓄積よりも変革を繰り返す。使われるプログラム言語からして新しくなる。情報利用の有り様の変化について行けなければ、最先端を走っていた大企業ですら衰退する。情報分野は変化の激しい産業である。
[2025]
情報労働者は業務分析、仕様作成、プログラム作成、システムの運用管理を担う。コンピュータの入出力を担う単純作業から、情報組織の構築では経営形態の改革まで担う多様な人材が携わる。
[2026]
システム開発では対象業務を実務担当者と同等以上に理解する。今日のコンピュータでは例外事象を処理できず、例外的条件であってもすべての場合の処理をプログラムで定義する。実務担当者も予期しない条件を洗い出して対応処理を記述する。システムの規模が大きくなれば組合せは指数関数的に増え、一つの誤りがシステム全体を停止する。システム開発では人手不足になったからといって中途から人員を投入しても、新参者への教育負担からが増えてしまう。労働集約型というより、能力集約型の労働形態である。
[2027]
またシステム開発は処理の一段階ずつを明確に定義しながら積み上げる。論理的集中が必要であり、進捗する毎にますます集中せざるを得ない。労働強制が不要どころか、周囲が制止しなければ病気になる者までが出てくる。
[2028]
情報労働では労働時間によって賃金を決定することはできない。労働時間の総量は規制できても、個別的に規制することはできない。責任と成果によって労働が評価される。
[2029]
【生産的労働概念の拡張】
土地を耕して収穫する、獲物を捕る、工場で製品を作るることだけが生産的労働ではない。使用価値を作り出すことだけが生産的労働ではない。働くだけで価値を生産していることにはならない。不良品の生産は社会的価値の浪費であって生産的労働ではない。生産物が消費されず腐朽、老朽しては、その生産に要した労働価値は失なわれる。技術的進歩を無視した非効率な労働は同じ労力であっても生産する価値は小さい。
[2030]
企業管理、生産管理を非生産部門とみなすことはできない。当初は生産コストの削減、流通の合理化として相対的価値生産であった。しかし管理労働が社会化し管理労働の機械化、システム化はその「化」の労働として直接的価値生産になる。個人の労働管理能力が社会的価値実現過程にとって代わられる。個人の労働能力としてあったものが、誰もが指示どおり操作すれば処理可能になる。
[2031]
コンピュータの発達、特に小型化、ネットワーク化による労働の質の変化は、労働力価値理論を本源的に深化させる。情報労働は社会的代謝を効率化する社会的価値を生み出す労働である。原材料、生産手段を動かすことだけでなく、情報労働は動かす方法を動かすことによる直接的価値の生産である。手段としては間接的であるが価値生産は直接的である。ただしすべての情報労働が生産的なのではない。生産的労働をシステム化すること、社会的代謝を制御するシステム開発、運用が生産的なのである。
[2032]
第3項 貧困
【貧困と富裕】
貧困には主観的貧困と客観的貧困、相対的貧困と絶対的貧困がある。当人が自らの貧困富裕度をどのように解釈しようと主観は本人の問題である。地域的、時間的な相対的貧困富裕度は社会問題であり、絶対的貧困は人道問題である。それぞれ、本人、社会、人道の問題として区別し、現実的に評価、対応するべきで、混同してすり替えては責任逃れを許し、貧困は解消しない。客観的貧困富裕度、絶対的貧困が実在の問題である。
[2033]
世界観、哲学での貧困問題は人間性の貧困である。人間性は物理的、生物的、社会的、精神的、文化的有り様の統合である。物理的に安全で快適な環境が保障されること。生物的に健康で傷病の手当てが保障されること。社会的に協同が保障され互いに尊重されること。精神的に知的交流の自由が保障されること。文化的に価値の創造、享受が保障されること。この全体が人間の富裕度であり、制限、否定が貧困度である。もてる能力を伸ばし、実現できることが人間の富裕度である。
[2034]
人間の富裕度を支える基礎として経済的富裕度がある。
[2035]
【経済的貧困】
資本蓄積にともなう労働者の貧困化は経済理論の解釈の問題ではなく、現実の労働者の状態である。労働者が引続き労働者として就労しないことには資本の再生産は成り立たない。資本の労働者支配は単純な搾取強化ではなく、搾取関係を強化しつつ永遠化することである。資本の労働者階級支配は個別資本の労務政策と矛盾する。
[2036]
個別の搾取関係では賃金を最低限に切下げ、過剰人口をつくりだすことが個別資本にとって有利である。しかし資本はその生産物価値を実現する消費市場を必要とする。資本の回転を実現するための消費市場で最も大量の消費者は労働者である。労働者を絶対的窮乏下に追いたのでは資本の回転は実現できなくなる。搾取強化と市場拡大が資本の富裕化、労働者の貧困化を実現する。搾取が限界に達すると新たな市場を拡大し、新たな市場条件での搾取を強化する。搾取強化と市場拡大によって今日まで資本主義は拡大し続けてきた。新たな産業、地域的拡大、海外進出と市場を拡大し、市場を掘り下げてきた。
[2037]
労働者の賃金は共働き、子供のアルバイトと複数の収入によらねば困難なまでに切り下げられてきている。働き手の拡大、低賃金化の労働者を増やし相対的過剰人口を実現する。同時に共働きを可能にするための家事負担の軽減のために家電製品、サービス産業の市場が拡大する。
[2038]
新たに市場が拡大する時期には労働者もより多く消費することができる。労働者の消費が増え絶対的生活水準が向上するが、相対的に剰余価値搾取は強化される。絶対的価値増加分と階級間の相対的価値配分が階級間の所得格差を拡大する。絶対的には消費しきれない量の財を市場に供給し、浪費できる者が消費する。食材の多様化と残飯の量が端的に示している。労働者でさえ浪費可能になるが相対的に貧困化する。新たな市場拡大期が終わり景気が悪化すれば労働者等に一機にしわ寄せされる。
[2039]
健康的、文化的最低基準が保証されて健全な労働力が再生産される。生産量だけでなく、生産物の質、内容に見合った消費によって社会代謝秩序が実現する。余暇利用は疎外された労働の代償としてあるが、文化・スポーツ活動もやはりサービス市場として資本に取り込まれる。スポーツ、リクリエーションの用具、場所さえほとんどが有料になっている。人々に社交は費用をかけなければ失礼になると思わせるまでになっている。
[2040]
統計としての平均賃金は「貧困」を見えにくくする。現実の労働者は賃金の平均値にすべてが集中しているのではない。産業によって、職種によって、雇用形態によって賃金水準が異なる。しかも産業構造の変化は労働者を再配置し雇用を求める労働者と、より高い賃金を求める労働者には就労負担を強いる。
[2041]
産業構造の変化、技術革新により労働技能は陳腐化する。労働技能の陳腐化に対応するための再教育、再配置による生活、精神的負担が労働者にかかる。肉体的・精神的適応能力は個人差もあり、すべての人が耐えられるものではない。一部の人が過労死にまでに追い込まれている状況は、他の人も同じプレッシャーを受けており、ただ耐ええているにすぎない。単身赴任、サービス残業、長距離混雑通勤と、強制されなくとも自らの意志で自らの生活、生命を削らなくてはならない状況が現代の貧困である。これは非人間的な状況ではなく、人間的な不合理である。動物は自ら生命をすり減らすような状況に進もうとはしない。
[2042]
また労働者の生活は青年期、育児・教育期、老後で消費構造が異なる。生涯のいつの時点をとるかによって貧困富裕度とその尺度は異なる。生活の各段階時期で必要になる財が異なる。それぞれの段階時期に必要な財の窮乏は次の段階時期には解決される。各段階時期に必要な財の窮乏が加齢と共に過ぎ去ることが富裕化にはならない。年々のわずかな所得の拡大によっても富裕化にはならない。一生の各段階時期での生活は世代間の違いとして表れる。貧困からの逃避のための享楽、自己放棄、薬物使用等の拡大は賃金水準上昇だけで富裕化しないことを示しており、貧しい貧困理解では理解できない。
[2043]
絶対的貧困は資本主義的再生産関係の外に押し出される。国際的収奪としての戦争は資本主義国以外で戦われるようになった。多くの餓死者がでているのは産業が、社会代謝そのものが破壊されている地域である。
[2044]
経済的に豊かな国でも資本主義的再生産関係から閉め出された失業者、老人、病人には餓死する人がいる。人里離れた所でではなく物の有り余る都会で餓死者がでる。資本主義経済は利潤追求を動機とし、福祉を目的とはしていない。利潤を生まない分野は切り捨てるのが効率である。切り捨てられた部分を救済するのが政治の役割であるが、政治自体が経済利益追求に従う。弱者、貧困者の声は社会的に発せられなくなる。
[2045]
資本が投機化することで再生産関係をも無視するようになる。消費市場の拡張よりも投機収益のために市場を収奪する。産業資本が投機資本に収奪される。正規社員が減り、臨時社員が増える。各個人が貧困化するとは限らないが、貧困階層の人々が確実に増える。
[2046]
【相対的過剰人口】
日本では戦後復興以後就職難の時代はあったが、失業問題が深刻な社会問題にならなかったが、相対的過剰人口がなくなったわけではない。外国人労働者の増大、ソフトウエア・クライシスとあたかも労働力不足が言われるが、問題はあっても一部の職種である。就職する時、定年後に就業し続け様とする時に相対的過剰人口の圧力が表れる。
[2047]
相対的過剰人口の圧力は弱い部分に現れる。しかし弱い部分は稼ぎ手として不用不急ではなく、家計の基本的部分を補填している。非正規雇用で余裕資金を稼ぐのではなく、生活資金を補填している。最も端的に過剰人口として現れるのが障害者であり、ついで高齢者である。障害者、高齢者は失業統計にすら表れない。
[2048]
婦人労働者の雇用形態、パートタイマー等の非正規就労は雇用状況緩衝の役割を果してきた。今日の非正規雇用は補助的役割ではなく、労働コスト削減の主要な手段になってきている。家庭婦人に限らず若者までが非正規労働者にならざるを得ない。
[2049]
【階級構成の変化】
階級構成は労働者と資本家との階級対立といった単純な関係ではない。小規模商工業者、農漁民などの中間階級も資本主義社会成立前からあった。資本主義の発達は賃金労働を普遍化し、賃金労働を多様化した。裁量労働制や在宅勤務など労働形態も多様化している。賃金労働によって生活している人の数、株の配当によって生活している人の数を数えて比較するだけでは階級関係を、社会の有り様をとらえることはできない。
[2050]
雇用形態、労働形態としての質的変化とそれぞれの人数である量的変化を追うことで階級構成の基本がとらえられる。貧困化は絶対的窮乏の問題ではなく、社会代謝での、社会関係での相対的窮乏である。日本の都市での餓死者も食糧が手に入らないからではなく、入手手段へのこだわりや、手段を知らないでのことである。社会的手段によって餓死するのであって、食糧が無いことで餓死するのではない。貧困の表れ方の変化とその広がりを数量的にとらえることで階級構成の有り様をとらえられる。
[2051]
物質的貧困なら目に見えて分かりやすく、供給手段を探すことができる。精神的貧困は本人が自覚できない。精神的貧困は当人の問題にとどまらない、社会的病症である。精神病なら治療法を探すことができる。精神的貧困は生き方を変えることでしか救えない。生き方を変えることは人間関係の有り様、社会の有り様を、階級構成を変えることである。分析するのは変革するためである。
[2052]
第3節 情勢各論
具体的情勢分析は自然科学や社会科学を学ぶこととは違う。それぞれの生活での方向性を問うのであり、理解できたらお終いにはならない。情勢論は世界観の体系からはみ出す。世界観としては情勢全体を見渡せるよう視界に慣れるよう努める。
[3001]
情勢各論は国際情勢、国内情勢、地域情勢、職場情勢といった階層規模で分けられる。規模段階それぞれに社会代謝秩序がある。それぞれでの経済、政治、文化、そして日常の生活がある。人はそれぞれの役割、課題に応じて情勢に対するが、その背景として世界情勢の特徴をつかむ。
[3002]
実際の情勢では運動の矛盾関係、力関係の到達点、課題、方法を具体的に分析することになるが、ここは世界観での情勢論である。私が個別的情勢について語る意義も、意味も、能力もない。
[3003]
第1項 国際情勢
戦争や国際関係、外交上の事件がマスコミにも取り上げられるが、世界観では人類史上での今日の世界情勢が対象になる。
[3004]
【国際情勢の焦点】
国際問題でも中心になるのは持続可能な社会秩序の構築である。一方に投機によって浪費する者がいて、一方に餓死する人々がいる現状から持続可能な社会秩序を目指す。持続可能な社会秩序の実現を目指す者と妨げる者との力関係が国際情勢の中心にある。
[3005]
傍若無人の世界覇者アメリカ合衆国、国家統合を目指すヨーロッパ、安定成長を超え投機化する中国、大国復活を目指すロシア、アメリカ合衆国の支配から抜け出そうとする中南米諸国、石油資金で産業育成を目指す中東・イスラム、身分制度を残しながらも情報産業を育てるインド、植民地支配の影響を残し、内戦すら引きずるアフリカ諸国、東南アジア諸国、オセアニア諸国、経済的には大きな力を持ちながら政治的・文化的にアメリカ合衆国に支配される日本。
[3006]
これら国、地域の理解形容がどれほど正しいか、どのように変わっていくかが国際情勢である。国際情勢も数十年で大きく変わりえる。国、地域間の関係が変化する過程で平和、人権、自由、民主、平等、独立がどれほど前進するか。
[3007]
【国際経済】
国際情勢では経済が社会の基礎であることがごまかしようもなく明らかである。各国、各地域の経済力が国際間の力関係を規定する。経済力の基礎は生産力であり、商品経済の一般化した今日では資金力が生産力をも規定する。国際的資金力でアメリカ合衆国が特別に優位な地位にある。アメリカ合衆国は第二次世界大戦の勝利で無傷の生産力を維持し、唯一世界に資金を供給する決定的に優位な地位を得た。その後ヨーロッパ諸国、ソビエト連邦共和国の復興で相対的に優位さは失われているが、世界の決済通貨ドルを不換紙幣にし印刷するだけで資金を供給し続けている。
[3008]
そのアメリカ合衆国は世界的な農業国であるが軍需産業、情報産業、金融業に特化することで生活財の生産力を失ってきた。特化した産業はいずれも物を生産しないが、その歪んだ経済力は強力で合衆国政府の政治力をはるかに超えている。ずれも独占的な利益率の高い産業である。歪んだ合衆国の経済は障壁のない商品市場に支えられ、グローバル化として世界に市場開放を強要してきた。
[3009]
平等互恵な取引であるなら制度的制限のない方がすべての国の経済は発展する。しかしそれぞれの地域での社会代謝を発展させるのではなく、合衆国経済を支えるための自由貿易になっている。一方に資源エネルギーを浪費する国、他方に飢餓状態の国があり続けることは歴史的理由だけではない。平等互恵の国際関係ではなく収奪関係にあることを表す。働き者の国と怠け者の国があるのではない。優れた人間の国と劣った人間の国があるのではない。かって植民地化して略奪した歴史の結果だけではない。働こうにも働く手段を収奪された人々と、働かなくても浪費できる人々の収奪関係が今日の国際関係を作り出している。
[3010]
貿易、為替、国際援助、資源・エネルギー消費、食糧流通等国際経済の歪みを表す指標はたくさんある。金融、貿易等に関わる国際機関は多数あるが、そこでの発言力の偏りは経済力の差として当然のこととされる。一国一票の議決権に無理はあるにしろ、国連総会決議は偏っているとして無視するのがアメリカ合衆である。環境保護を目指した今日と議定書を無視したのもアメリカ合衆国である。
[3011]
多国籍企業の世界進出、東アジアの急速な経済成長があっても、世界の生産、エネルギー消費の不均衡、不平等は解決されるどころか拡大している。さらに地球資源の物理的限界により、今日の水準での世界的平等を不可能になっている。
[3012]
他方で、少額無担保融資(マイクロ・ファイナンス)、フェアー・トレード(公平貿易)などの個別的ではあっても新しい取組もある。中南米諸国が合衆国の経済支配から自立しようとしている。アフリカも地下資源を元に衰退しているだけではないらしい。
[3013]
【軍事支配】
軍事力は軍事費、兵器の質量、軍隊の編成によって比較される。軍事費は予算計上の違いによって金額で直接比較はできない。国によって軍事費の定義範囲が異なり、政策によって意識的に操作されている。また兵器の性能、組織の錬度は金額によって比較できない。
[3014]
兵器の発展は戦争の有り様を変えている。単に破壊力が増大しただけでなく、目的毎に特化した高性能化がある。戦争目的の正当性を謳うために破壊規模、方法手段を考慮した兵器が選択される。核兵器、生物・化学兵器といった大量破壊兵器は破壊力を制御することで実戦で使用できるよう開発されている。味方の人的損失を抑えながら敵に損害を与えるために無人化、遠隔操作化が図られる。人一人を殺傷するためにミサイルすら使われる。
[3015]
軍事行動は兵器の質と量だけではなく兵器の整備、運用、安全管理まで含めた組織、制度によって支えられる。兵站、後方支援は軍隊だけでなく民間企業にも担われている。戦闘が行われていない地域での兵站は民間企業活動に組み込む方が経済的である。ただそれにとどまらず、戦闘に民間企業が関わることは外国人部隊のように昔から行われている。
[3016]
戦略、戦術が防衛的であるか、侵略的であるかは政治宣言だけでは判断できない。兵力を海外に展開できる能力がなければ、宣言、宣伝だけで侵略することはできない。逆に海外に侵攻するには派兵のための軍備・制度を整える。これまでの侵略者も平和実現を口実として戦争を開始してきた。
[3017]
アメリカ合衆国の主張するテロとの戦いはグローバル化による世界収奪市場の防衛である。一方的巨大戦力の行使はその復讐としてテロを帰結する。武力で平和は実現できないし、民主主義も輸出できないことを力におごった者は理解しない。
[3018]
そのアメリカ合衆国は戦地でもない海外に軍事基地を構えている。国際連合が平和維持軍等を各国の軍隊によって編成、派遣しているが、アメリカ合衆国は国際連合に関係なく軍隊を世界的に展開している。そのアメリカ軍を巨大軍需産業が支え、必要としている。第二次世界大戦後、朝鮮戦争、中南米の軍事作戦、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン、そしてイラク戦争と続けている。アメリカ合衆国の軍事費負担は膨張している。直接戦費だけでなく、帰還兵、傷病兵、死亡兵に対する補償費負担は国家財政を歪ませている。戦争費用の収支論争は専門家にまかせても決着しないが、清算しなくてはならない時は確実に来る。
[3019]
【国際文化】
交通通信技術の発達は経済交流だけでなく国際交流を発展させる。グローバル化が浪費文化の国際的普及になるのか、多様な文化交流になるのかが問題になる。インター・ネットでさえ当初目的の情報共有は薄れ、文化を含めた営利取引手段になってしまっている。尊重されるべき著作権も独占販売権として取引される。
[3020]
世界市場で商品化される文化は誰にでも分かるように作られる。文化的背景、教育水準に関わらず受け入れられる分かりやすい商品が作られる。創造性よりも娯楽性が追求される。固有文化の保護は貿易障壁として攻撃される。
[3021]
文化は互いの違いを尊重し、違いと普遍性を理解することである。文化交流の発展とグローバル化は同じではない。
[3022]
第2項 国内情勢
経済、社会がどれほど国際化しても社会的強制力は国家権力としてある。政治経済、社会問題を解決しようとするとき、国家権力をめぐって争われる。
[3023]
【日本の歴史】
「日本は単一民族国家であり、天皇を戴く伝統がある。」信じるのは人それぞれであるが国家規定として成り立たない。地球人類誕生からの移動、植民の歴史によって現実の社会はある。日本でもアイヌ民族がおり、帰化人の歴史があり、連行された在日韓国人・朝鮮人が生活している。今日外国人労働者を受け入れなくては国内経済も成り立たない。国家をどう思うかではなく、国家は現実としてある。その上「純血民族」思想は人類史で様々な災禍を引き起こしてきた。
[3024]
天皇が国家権力を握ったのは歴史的に限られた時代であり、その統治も地理的に限られた地域であった。今日天皇制が認められているのは象徴としてであって統治者としてではない。日本国民の圧倒的多数は王権支配ではなく民主主義社会を支持している。そもそも社会秩序は代謝秩序を基礎に成り立つのであって、特定の者のためにあるのではない。
[3025]
第二次世界大戦により天皇を戴く大日本帝国のアジア、太平洋侵略は否定された。解釈はどうであれ事実として日本はアジア、太平洋を支配できなくなった。平和、独立、自由、民主、人権擁護の現代日本国は第二次世界大戦後に誕生した。文化伝統を受け継ぎながらも世界と交流する国家として、新しい制度、組織として出発した。
[3026]
にもかかわらず、今日の日本は与党が再軍備を目指し、第二次世界大戦の「戦犯」を神にして詣でる国家になってしまっている。日本の民主主義は日本人が主体的に獲得したものではない。戦前の国家権力を担っていた者達が反省して民主主義を受け入れたのでもない。明治期の自由民権の運動はほとんど引き継がれていない。民主主義は主権者が自力で獲得しないと身につかない。
[3027]
【日本の政治】
日本政治には単なる建前と本音の乖離ではなく、歴史的なねじれがある。現行憲法を与党が守り、野党が政権を執って改憲するのが健全な関係である。与党が憲法を変えようとし、野党が憲法を守ろうとする体制が日本の政治的ねじれの元である。
[3028]
これは第二次大戦後アメリカ合衆国主導の戦後処理による。当初軍国主義一掃を目指した民主化は共産主義中国成立に対抗して日本を反共支配の拠点にするために頓挫した。レッド・パージをおこない、戦争犯罪人が総理大臣になることを許した。戦争放棄のはずが世界で有数の軍事力をもつにいたり、海外に展開するまでになっている。
[3029]
ねじれた体制では建前の議論しかできない。ねじれを正常化するには少数野党が政権を取るか、民主制度を廃棄するしかない。どちらも誰も望まず建前の上での議論に終始し現実には手を付けられない。マスコミの影響力もあって、日本では主権者である国民の多数が政策論議の意欲を失っている。官僚がまとめ上げた政策に賛否を表明することしかしない。建前の議論では主体的政策は生まれようもない。国際政治の場で日本の果たす役割など提起できないし、担えない。日本はアメリカ合衆国の世界支配を補完し、追随している。
[3030]
【日本の経済】
日本の代謝秩序、経済秩序の特徴は資源の海外依存と高度の生産技術にある。農林水産物、工業原料共に海外依存率は高い。安全保障上の弱点であるとの見解もあるが、平和を追求するなら強みでもある。平等の経済秩序は互恵であり、相互依存の深まりが戦争を抑止する。武力による資源確保は常に侵略につながる危険をはらむ。
[3031]
日本の高い生産技術は世界に貢献できる。環境保全技術も急速に経済発展する国々の健全な発展に役立てることができる。技術は使われ、改良されることで社会に役立つ。
[3032]
ただし日本の食料を含む資源消費は浪費に過ぎる。残菜の廃棄量が増えることは世界中に飢餓の地域がある中で許されない。人々の食料を奪って飽食することは倫理的にだけでなく経済秩序を蝕む。農業を主体とした地方の世代交代を困難にし、都市部では家庭維持が負担になり、子を産み、育てることからして歪んでいる。
[3033]
生活が豊かになると生活の量的向上よりも質的向上が求められ、一般に産む子供の数が減り、人口は安定する。しかし政治的貧困、企業利益優先の競争社会では子育ては大きな負担になり少子化が進む。社会的保障を縮小され、労働条件は劇的に引き下げられた。労働人口の減少は社会的価値生産量の減少である。機械による生産は価値を転換するだけで創造しない。子育てする希望と、労働環境、生活環境を整えなくては人口は回復しない。資本主義のまま経済を維持するには外国人労働者を収奪するしかなくなる。
[3034]
取引の自由化と競争の激化は不正、偽装までが行われる。基準を満たさないどころか健康を害する商品すら生産、流通する。消費財であれば問題にされるが、金融商品などは詐欺と区別がつかなくなる。
[3035]
【日本の文化】
江戸時代までの日本は循環型で生活を楽しむ社会であった。江戸はすでに100万の人口を擁しながら都市衛生も進んでいた。一揆の記録から農村部の疲弊はうかがわれるが開墾も行われたし、都市部では町民文化が花開いた。何より明治維新まで250年以上戦争がなかった。
[3036]
伝統文化は博物館に保存するものではない。伝統文化は人々に担われて文化であり続ける。文化は日常生活にあって、生活での価値観にそってはぐくまれる。文化は生活する人々の創造性であり、創造の共感としてある。文化は生活にあって日常から飛躍できる楽しみである。
[3037]
明治初期に日本文化否定の動きがあったが、全面的に伝統的生活、日本文化の価値観が破壊されたのは第二次世界大戦後、アメリカ合衆国の占領から安保条約を経て従属が強まってからである。西洋合理主義を取り入れるにとどまらず、浪費を最大の価値とする反日本的文化に行き着いた。
[3038]
マスコミの発達は文化に決定的に影響している。価値基準も選択肢もマスコミによって与えられる。マスコミに報道される側もマスコミを利用するようになる。情報を漏らしたり、売り込んだり、露出を操作したりする。マスコミの利用が社会的影響力を決めるまでになっている。
[3039]
他方で世界中の珍しい物事、世界最先端の物事に居ながらにして接することができるようになった。人々の思いもよらない悩みや感動に共感できる。文化の質は競争と協同、消費と創造でまったく違い、対立する文化になる。
[3040]
第3項 地域情勢
【生活、職場地域】
地域はあらゆる人間の関わる普遍的場である。現実との確実なつながりの場である。ひとそれぞれ生活の場に対する意識は違っても、生きる上で不可欠の場である。資本主義社会の発展と共に都市勤労者階層が増大し、大家族が解体し、個人単位の生活者がふえる。かつての大家族を中心とした人間関係を取り戻そうとしても不可能である。住宅事情、勤労条件、教育条件が大家族を成り立たせない。
[3041]
地域では永住者、短期居住者、勤労者、訪問者等、人々の構成も均一ではない。都市と農村、旧市街地と新興住宅地、商店街と住宅街等地域によって人々のつながりも異なる。より積極的な地域環境の向上が図られることが生活基盤を整備し、人間関係を柔軟にする。地域の治安は生活基盤と、人間関係の総合的環境としての問題である。地域の人間関係は自治の基盤であり、日常的民主主義実現の場である。
[3042]
職場も生活地域の中にある。職場は企業活動の場だけではなく、労働者等の生活の場でもある。職場は睡眠時間以外の大部分を過ごす場であり、食事、文化活動、条件によっては育児すら関わる場である。職場周辺の人ともかかわる生活の場である。
[3043]
【地域問題】
地域の基本は生活基盤、人間関係である。時によって外部条件として環境破壊、自然災害、経済活動の変動等への対応が主要な問題になる。
[3044]
子供の教育は家庭と学校を両輪として、地域内での協力で成り立つ。子供の教育環境が親の地域問題への取り組みの端緒となる。地域外に職をもつ親も子供の教育で地域に関わる。
[3045]
地域は日常生活の場であり、急激な変革は生活破壊につながる。地域は生活条件が満たされれば保守化する。区画整理、再開発等、外部からの干渉、変化を望まない。しかし放置しておけば生活基盤は劣化する。構造物は保全しなければしまいには機能しなくなる。人口の増減、周辺地域の変化等に対応して地域は維持される。
[3046]
生活基盤として気象環境、上下水道、流通市場、廃棄物処理、交通、住宅、文化施設等は都市生活者にとっては自然環境ではない。地域の社会代謝を支える生活基盤であり放置されたら崩れる。都市計画は従来専門家なり、行政なりが全体配置・条件から線びきし決定してきたが、地域には特色や歴史があり住民運動として取り組むことが望ましい。
[3047]
【自治の基盤】
地域の人間関係は感情問題でもあり、政治問題でもある。日常的な利害関係は感情問題に発展しやすい。地域問題は生じる前にコミュニケーションが成り立っていることが問題の解決を容易にする。合意の形成、決定の実行は人間関係を深める。いつでも問題を提起できる条件は円滑な意思疎通と、共通の問題意識によって可能になる。問題の解決へ向けて決定する制度・方法は子細な問題でも取り組むことによって熟達する。地域生活で協同する機会は多様にある。
[3048]
行政需用の多様化は地域運営の主体化によって補うことができる。行政による執行と地域住民による実施とが切り分けられる。地域住民の非専門的力量でも行政が担うより効率が良い事業もある。地域起こしなど住民が主体性を発揮しなくては成り立たない。
[3049]
【地域の行事・運動】
地域には地域としての行事がある。地域の祭り、施設の催し、学校の行事等がある。職業、社会的地位、年齢、性別等様々な違いを超えて参加する行事がある。行事を節にして地域コミュニケーションのきっかけができ、深まりができる。地域の特色に応じた運動、消費者運動、PTA活動等がある。地域での組織活動は社会組織の基礎をなす。違いを超えて運動、組織訓練の場があり、経験の交流の場がある。伝統がなくても地域内で広がりのある行事には社会的価値がある。子供達への教育効果も、地域行事への大人の参加によって期待できる。
[3050]
地域は循環型社会の基礎単位である。資源回収、廃棄物収集は分別が決定的に重要であり、搬出段階で分別することが技術的には最も負担が少ない。ただ搬出段階での分別基準の徹底、人々の参加が、それこそ地域力が重要になる。
[3051]
【地域の権力関係】
地域は商工業者の営業活動と、利権とに支配されやすい。地域内にあっては地元商工業者の営業活動と不可分のものとして政治活動がになわれる。また権力欲の手近な目標にもなる。国家権力にとっては有権者を確実に掌握する単位として地域権力のおさえが基本になる。
[3052]
かつて隣組制度、連帯責任制度は個人生活の政治的統制手段であった。しかし民主主義の実質化は生活の場である地域に基礎がある。間接民主主義制度、国政の民主化だけで民主主義は実現されない。地縁関係は普遍的要素も大きく、全面的に否定されるものではない。地域は直接民主主義実現の場として重要である。
[3053]
第4項 職域情勢
【職域環境】
職域は産業連関のうちで地域的に位置づけられている。産業によって同業種、異業種との相互連関の内にあり、かつ地理的な地域性がある。就業、就職する時だけではなく、実務を担ってからこそ仕事の持つ社会的位置、社会的役割での位置を意識する。社会的代謝の中で何を担っているのか。担っている社会的代謝機能を自然的、社会的、経済的環境に位置づける。
[3054]
農業、水産業、林業、鉱業、エネルギー、建設、製造、運輸、通信、情報、流通、金融、サービス、教育、公務等産業は分野に分かれながら相互に連関している。それぞれに社会・経済主体として運動し、政治的に、文化的に機能している。それぞれに社会・経済全体の構成部分として一様に発展してはいない。国民経済全体の構造の変化による、技術の発展による、国際経済によってそれぞれの変化がある。企業規模によっても、系列によっても社会的役割が異なる。企業間の関係は資本関係、資金関係、人的関係、取引関係として経営、歴史的にある。企業は敵対しないまでも、親子会社であっても競争関係にある。
[3055]
個々の労働者にとって、担当する作業から仕事の全体を展望することは難しい。しかし全体を見ないことには労働疎外の克服の道も見えてこない。仕事を超えて社会的代謝全体、社会全体の視点から仕事、作業を見ることで労働の全体とのつながりを理解する。企業組織のほとんどすべてが被雇用者によって担われるようになり、被雇用者が社会的責任を担う。
[3056]
仕事の指揮命令系統とは別に、社会的代謝の視点から評価することによって、職域内部から社会的責任を点検する。自らの仕事に根ざして現実的、実際的問題提起ができる。内部告発になっても「営業上の秘密の漏洩」「組織の名誉棄損」との言いがかりをこえて問題提起をする。偽装等が企業に致命的な結果を招いた例はいくつもある。労働者の市民との連帯義務でもある。新しい社会を主権者として築く訓練でもある。
[3057]
【労働者の職場生活】
労働者としての主体的取り組みなくして、労働者の生活、権利を守ることはできない。労働者はサボることではなく、労働することによって自らを実現できる。
[3058]
同じ労働者でも仕事への取り組みは多様である。仕事が即自己実現の人も、仕事は生活のためで仕事以外に自己実現を求める人もいる。仕事を担うこと自体で自己を実現する人も、仕事を改革することで自己を実現する人も、職制上のより高い役職に昇格することを自己実現とする人もいる。自己実現など意識せず、仕事を、職場の人間関係を理解しようとしない人、理解できない人もいる。数十人の職場であればほとんどのタイプがそろう。やる気のある人ばかりが集まるプロの組織など、特別に選抜しなくては組織できない。組織できてもそれぞれのタイプに分かれていく。人も相互関係の中で自分の居場所に収まって変わる。どうであっても職場は生活を支え、人生の大半を過ごす場である。
[3059]
多様な人々との共同作業によってそれぞれに社会代謝を担うのであって、生理的好き嫌いで職場での人間関係を分け隔てない。仕事上での対立はあっても、個人的対立は職場では避ける。職場は個人的対立に左右されないよう、互いの役割分担を明確に整理する。個人的対立が直接対決に発展しないよう、職場の人的配置を配慮する。仕事への責任は組織的責任と道義的責任とがある。
[3060]
仕事が自己実現ではなくとも仕事を楽しむことはできる。仕事である以上労働能力の発揮であり、うまくいけば楽しい。段取りや工夫、新たな技術や練習でより困難な課題をこなした時、より優雅にこなした時は楽しい。人の仕事を手伝い、助け合うことも楽しい競争になる。
[3061]
【労働運動】
個々の労働者の抱える問題を、職制と労働組合とどちらがより把握しているか。個々の労働者が問題を抱えた時に上司に相談するか、職場委員に相談するかが力関係の指標である。
[3062]
職場委員を配置できるか、職場委員が職場に責任を持ちうるかは労働組合の基礎力量である。職場委員の質の問題であり、職場委員への教育、援助の問題である。
[3063]
職場委員が職場の問題を把握できていること。職場で提起された問題を組織に反映できること。全体の問題を職場に報告できること。職場委員が職場での支持を維持・拡大できること。職場委員の後継者を育てられること。これらは個人の資質ではなく組織運営の基本である。職場委員の役割を職場が認め、職場委員が担えるようになることが組合活動の基本である。困難はあっても組織活動の始めである。
[3064]
労働組合には御用組合も、分裂組合もある。労働運動が資本に対する労働者の闘いであるから不当労働行為や非人道的攻撃もある。未だに労働組合の存在自体を認めない企業経営者がいる。
[3065]
御用組合、分裂組合は労働者間に持ち込まれた階級闘争課題である。労働者間に賃金格差、処遇格差を作り出し競争、対立させるように、労働者組織間の競争、対立をつくりだす。実効するのは組織活動の専門家であったり、逆に組織的には動けない孤立して弱みを握られた下級職制である。闘いの基本は組織的に分かれていても、職場の労働者に依拠し、職場要求を実現することしかない。労働運動は人間社会が存続する限り続く運動である。
[3066]
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