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第二部 第一編 物質
第1章 物質の有り様
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第1章 物質の有り様
主体の対象としてある物質、主観にとって主体としてある物質についてである。物質は主観、主体にとって働きかける対象としてある。働きかけるために対象を理解し、表現する。物質間の関係に主体、主観を位置づけることで主体、主観を理解、表現できる。物質間の関係、物質の有り様がすべての根拠であり、始まりである。
[0001]
【物質秩序】
普通「秩序」の意味は「現れる形式」であり、「秩序は形成され、破壊され、崩壊する」。しかし、実在論の観方では普遍秩序がまずあり、普遍秩序にしたがって現象秩序が実現し、崩壊する。普遍秩序は現象秩序に対する本質秩序、メタ秩序である。
[0002]
秩序を論理として表現したものが法則である。普通「自然には法則がある」と表現するが、「法則」は論理的に表現された秩序の形式であり、特に自然科学では数式によって表現されている。「法則」は反映され、表現されたものであって、認識された対象ではあるが、対象として実在するのではない。
[0003]
しかも、法則は実在の一面を捨象して対象化している。法則は環境条件、偶然の関係を捨象し、対象とする関係のみを抽象している。質点力学では質点が摩擦のない空間を運動する。法則は理想化された対象を表現しているのであって、実在の対象を表現していない。
[0004]
実在は理想化や抽象化に関わりなく、すべての物事として、そして全体としてある。実在を法則では捉えきれていない。実在の普遍性は秩序としてある。実在の秩序は普遍性としてある。実在の形式が秩序であり、内容が普遍性である。より普遍的秩序としてメタ秩序、本質秩序がある。対象として捉えることはできていないが、ことばの意味として本質秩序を定義できる。科学は本質秩序の存在を前提に、それを法則として捉えることを目指している。
[0005]
宇宙の始まりから物質とは別に生命が存在するとか、銀河系の外では光の速度が倍になるとかといったことはない。超能力者の手の中であれ、宇宙のどこかで普遍的秩序が破れたなら、宇宙は崩壊し存続できない。秩序の認識表現としての法則の破れはありえる。知りえていない法則はいくらでもあるのだから。しかし、秩序が破れたなら世界は成り立たない。「神」が秩序をつくったにしろ、つくられた秩序は守られるから秩序であって、「神」といえども都合で部分的変更をしたならすべての物事は成り立たない。「神」はさいころを振っても、1から6までの整数でない数は出さない。
[0006]
第1節 物質の性質
【物質の対象性】
対象性は他によって作用される、他の対象になる性質としてまずある。同時に他を対象とすることとしてある。これは他と一様な存在であることの現れである。すべては相互作用としてあり、相互の関係での対象としてある。物質はすべて対象性として全体のうちに他との関係にある。対象性のないことが存在しないことである。
[1001]
対象性は主観の解釈でも、動物の行動として初めて実現するものでもない。物質存在の基本的あり方である。
[1002]
物質は他に対する作用としてその性質を現し、作用によって区別される。物質作用の性質が内容として実現し、区別が形式を表す。物質の作用は位置、運動量、角運動量、エネルギーなどの物理量によって表すことができる。物理量のそれぞれが性質であり、それぞれの物理量、性質を基準に物質は個別として区別される。物質は複数の物理量を現し、その性質によって区別される個別として存在を現す。物質は相互作用関係を保存する担体としてある。量子であっても複数の物理量をもっている。
[1003]
ところが、日常経験で我々が対象として捉えている物質はその性質の極一部でしかなく、数え上げるのが不可能なほど多様な性質をもち、他と多様な作用関係にある。我々の感覚からして対象からの信号の極一部を感じ取り、そのわずかな信号から対象の表象を構成している。質的にも、量的にも我々の対象把握は限られたものであり、日常経験だけの対象理解では物質としての対象も捉えきれない。
[1004]
さらに、世界観にとって量子の対象性が特別な問題になる。量子の観測はマクロ物質との相互作用によって行われるが、測定と測定との間の状態が問題になる。他との相互作用がなければ、物理量は保存されているがその値は不定である。他との相互作用関係がなくては物理量の値は確定しない。物理量の値が他との相互作用過程になければ定まらないことを理由に「物質は消滅した」あるいは「観測しなくては物質は存在しない」などの解釈すら流布している。
[1005]
存在することを対象性、他との相互作用関係にあることと定義したが、量子間の相互作用と相互作用の間は粒子の存在可能性、あるいは潜在性として定義することになる。量子まで対象とする存在定義は拡張されなくてはならない。相互作用関係にない量子は存在可能性、潜在性としてあるのであって、非存在なのではない。
[1006]
力は作用の現れであるが、力は物質によって作用し、物質に対して作用する。力は物質によって媒介され、物質によって測られる。相互作用は物質間に実現し、物質は相互作用する運動としてある。物質は相互作用関係にあって互いに力を及ぼし合うのであって、その他の関係にはないし、その他の力は現れようがない。でなければエネルギーは保存されない。
[1007]
【物質の普遍性】
物質は個別として現れるが、全体と別の存在ではない。全体にあって他と区別されて個別である。区別する関係が保存される限りで個別としてある。他との区別が多様であっても、それぞれの区別で他との関係が保存される。どこでも、いつでも保存される作用・性質が個別の普遍性である。逆に個別の普遍性がどこでも、いつでも保存されることで全体の普遍性が明らかになる。個別と全体の普遍性として物質秩序が実現している。我々は物質秩序の普遍性を法則として反映し、表象する。
[1008]
物理現象も見る位置、観測位置によって現れ方は異なる。単純に、見る位置によって見える面は表か裏かが異なる。しかし、観測にかかわらず、物理秩序は普遍的である。物理秩序に普遍性があるから、座標変換が可能であり、相対性理論が導かれる。物理法則は観測者の有り様にかかわらず普遍的である。物質秩序の普遍性として宇宙の斉一性がある。斉一性は未知の時空間にも法則を適用できることを意味する。斉一性はまだ理論的に捉えることのできていない対象も、より普遍的法則によって理解可能であることを意味する。斉一性は信心ではなく、科学の経験則である。
[1009]
光速度、元素の半減期等は宇宙のどこでも一定である。少なくとも今の、この宇宙では。そして今のところこの宇宙を飛び出して確かめることはできない。陽子1個の原子は宇宙のどこでも水素原子としての性質をもっている。それぞれの言語で何と名づけようが物理的存在の普遍性がある。
[1010]
物質から切り離された存在はない。すべての存在は物質の運動によって媒介されている。より基本的な物質ほど空間的、時間的に普遍的存在である。普遍的なより基本的物質に媒介されて、相対的に特殊な、より発展的な物質の存在がある。物質の普遍性は階層としてある。
[1011]
孤立した運動、孤立した物質は存在しない。「独立事象」といえども、完全に独立していては対象として観測することもできない。「独立事象」は他との関係を捨象できる関係で対象化しているに過ぎない。
[1012]
物質世界である宇宙は極微の大きさから見渡せる限りの大きさまで多様な構造を成している。しかし、10億光年以上の大きさでは銀河の平均分布は一様、等方であるとされる。このことは「宇宙原理」と呼ばれる。銀河が一様であることは宇宙の至る所で同じように銀河が形成され、銀河を形成した過程での物質の有り様も一様であったと推測される。その推測には知的生命体の誕生も含まれる。ただ、その確率は絶対にゼロではないが、明らかにはなっていない。
[1013]
物質としての関連にない存在は主観だけである。主観だけが対象化されることのない特別な存在であり、主観は対象化するだけのものとしてある。主観は自らを対象化しても、対象化された「主観」はもはや主観ではなく対象として主観に相対する。主観の対象はすべて物質として対象化され、その主観も物質によって説明される。主観は物質世界にあって唯一の観念としての実在である。この特殊な観念としての主観に反映された物質は表象であって、この観念である「物質」で実在である物質を規定するのは観念論である。観念的物事、観念性は主観の内に封じておかなくてはならない。物質世界に観念的解釈を持ち出してはならない。物質の有り様がすべて明らかになっていないからと言って、観念を実在世界に持ち込んではならない。
[1014]
この世が夢であるとしても、この世は夢の物質としてあり、夢であるこの世も夢見る私の夢の出来事である。解釈は勝手であるが、勝手なだけである。
[1015]
【物質の連続性、逐次性】
物質は空間と時間によって互いに他と区別されるが、区別は形式であり物質は連続している。区別されることで個別としての存在形態を現す。区別される部分の運動は逐次的に伝わり、中間を飛躍する遠隔作用はない。物質の物理的作用は近接作用である。かって重力は遠隔作用とされたが、重力も光の速度で空間を伝わる、あるいは連続する空間を歪めることで作用する。作用量子としての時空間の単位が区別されるが、単位間の関連は連続している。近接作用は時間や空間を飛び越さない。同じ事であるが瞬時に無限の彼方に作用することはない。そのような遠隔力としての超能力は存在しない。
[1016]
連続であるから力学の運動は微分可能である。逆の積分も可能であるから目的因を想定することなく最小作用の原理が成り立つ。観察者の設定する起点と終点からなる全体の経路での振る舞いに最小作用を求めるなら目的論的解釈が導かれてしまう。観察者が起点と終点という意味観念を対象に被せてしまうからである。運動は連続した経路で方向を保存し、他との相互規定関係に応じて、極小区間の積分値が最小となる方向に従うに過ぎない。
[1017]
物理的現象は個別的に実現し、その個別性で規定される局所時空間で他と、全体と区別される。ところが「量子の絡み合い」は非局所的であり、絡み合った一方を観測することで在り方が決定され、遙か彼方にある他方の在り方までが決まるとされる。しかし、量子の絡み合いによっても情報を伝えているのではなく、したがって光の速度を超える伝達作用ではない。物質の作用は近接作用であり、光速を限界とし、光速を超えた速度では伝わらない。ただし、光の速度を超える現象は光源を振り回すことにより、その反射する痕跡として描くことができる。
[1018]
量子の有り様は日常経験の物質の有り様とは非常に異なっている。だからといって「量子力学が超自然的な力を証明した」などは論理にもならない。科学の成果はその対象の階層で解釈されるべきで、それぞれの階層での解釈を踏まえ、世界全体を普遍的に理解するのであって、一つの階層での解釈で世界全体を塗りつぶせるほど世界は単純ではない。逆に世界を理解するには対象のそれぞれの階層、分野に学ぶしかない。
[1019]
【物質の歴史性、非可逆性】
自然科学の特色として、可逆性、再現性があげられる。しかし、可逆性、再現性のいずれも、部分として成り立つ過程であって、条件が同じになることで再現性は可能になる。現実に実験、観察なりを同じに繰り返すこと、再現性を確保することは困難である。日常経験で同じ対象を見ることができるのは、圧倒的に多くの違いを捨象して対象化しているからにすぎない。より全体的な運動ほど環境条件の再現性は制限される。物理現象であっても、現象の条件をより広い全体に位置づけるなら、再現性や可逆性を保障できない。
[1020]
そもそも、すべての運動はエネルギー秩序の解放として無秩序へ向かう。秩序が無秩序へ向かうことも宇宙のより普遍的秩序である。そこで、孤立した系のエントロピー、全体である宇宙の無秩序の程度としてのエントロピーは増大化する。熱力学の第二法則である。宇宙全体が非可逆な運動過程にある。
[1021]
エントロピー増大化として時間の非可逆性があるが、同時に個々の過程では可逆性、再現性はあり、より個別的秩序が現れる。全体の秩序が破れることで、部分の秩序が多様化として現れる。秩序自体が発展する秩序としてある。物質の秩序は普遍的な秩序から特殊な秩序を作り出す。特殊な秩序として多様な個別を作り出す。特殊な秩序としての質を実現することとして物質の運動には歴史性がある。
[1022]
物質の運動形態、存在形式自体が歴史的に進化してきている。人類は生物進化の成果であるし、生物は化学進化の成果であるし、水素、ヘリウム以外の原子も核融合の結果として生成されてきた。生物の代謝に不可欠な金属は星の核融合によって創られ、その星の爆発によって宇宙空間にばらまかれたものが再び惑星上に集合することによってもたらされた。
[1023]
【物質の階層性】
物質は普遍的で、一様であるが単純ではない。エネルギーの高い状態から低い状態まで秩序は連続せず、段階に応じた秩序がある。宇宙自体がその始まりであるビックバンから膨張し温度が下がることによって相互作用を分化し、物質の構造を創り出してきた。普遍的な物質の有り様から、より特殊な有り様によって区別される個別的あり方を実現してきた。普遍的あり方を基礎に、普遍的あり方に媒介されて、より発展的あり方を新たな階層を実現してきた。階層はそこでの運動形態の普遍性を表し、階層内での特殊性として多様な個別を区別する。
[1024]
原子の階層では原子核と電子からなる普遍的形式がある。同時に陽子数を異にする百余種類もの元素が区別され、さらに中性子数を異にする同位体が区別される。原子の階層の上に分子の階層がある。分子の階層では原子の化学的結合としての普遍性にありながら、2つの原子の結合から高分子まで、無機物から有機物まで多様な分子の有り様を実現している。
[1025]
運動の空間的大きさの違いとしても階層はある。相互作用の組み合わせの複雑さの違いとしても階層はある。階層は形式的違いとしてではなく、質、規定性の違いとしてある。
[1026]
空間的大きさの違いに注目して宇宙構造の階層性を主系列、分子から生物への階層を枝系列として整理する見解があった。しかし今日、宇宙論の成果からすれば宇宙の歴史にそって、統一的に世界の階層性を見ることができる。分子より大きな物理構造は、より発展的階層としてではなく、区別される物理的運動形態の多様性の現れである。宇宙構造の階層性は重力の現れであって、新たな作用力なり、秩序なりを作り出してはいない。
[1027]
物質の階層性として日常経験の対象と量子の階層では様相がまったく異なる。見え方が異なるだけではなく、論理ですら同じではない。量子の「実在」、「存在」自体が日常経験の意味とは異なる。日常経験での「波」は何らかの媒体の振動として広がり、非局所性がある。一方粒子は時空間的に限られた塊であり、局所性を現す。日常経験では水分子は相互に位置を変えて波をつくるが水分子自体は波ではない。ところが量子では一般的運動形態としては波動であり、他の量子との相互作用では粒子としての性質を現す。
[1028]
波動と粒子の二重性、位置と運動量の不確定性関係、状態の重ね合わせ等、量子の個別存在形態は日常経験の対象とはまったく異なっている。これら量子の個別存在形態の特異性は実験によっても確かめられ、理論の検証にとどまらず、すでに量子コンピュータ、量子暗号として工学技術の基礎を形成しようとしている。暗号に利用できると言うことは確率的決定論ではなく、平文が確実に保存可能で、確実に解読可能なことを示している。
[1029]
第2節 物質の認識
【日常的認識】
量子力学の対象はともかく、日常経験での物質の認識は自明のように見える。古典物理学は決定論であり、どの物理量も誤差はともかく測定可能であり、計算可能である。しかしそれは理論としての古典物理学のことであって、日常的認識は実践であり、あらかじめ決定はしていない。物理的過程であっても認識を反省するならそれほど確かなものではない。認識の物理的過程を完全には制御できない。
[2001]
人の認識の基礎をなす感覚、脳の機能自体が人としての生物が生きる環境に適応している。この適応は逆に言えば限定であり、特殊化であり、信号の処理自体が客観的ではなく、主観的である。この「主観」は意識としての主観ではなく、対象への対応を都合良く処理するための「主観」的である。
[2002]
認識の客観的過程にあっても、より正確に対象の位置を知るには道具を用いて光等を媒介にして観測する。光を認識媒体にするなら、大ざっぱに対象の光との相互作用、対象からの光の空間物質との相互作用、光と道具の相互作用、道具での入力から出力までの仕組み、道具と観測者の相互作用、これら相互作用の連関として観測の関係がある。観測者が直接関係しえる、働きかけえるのは道具である。対象と認識媒体との相互作用は観測者からは独立した過程である。たとえ、光が観測者によって意識的に当てられたものであっても、対象と光との相互作用に観測者は介入できない。
[2003]
さらに、観測は直接の対象との相互作用ではなく、過去の観測である。情報は常に過去の情報である。対象から情報媒体への転化の過程、情報の認識の過程を絶対に経なければならず、えられる情報は過去のものである。光よりも早く信号を送ることは不可能であり、見えているとおりに対象が今もあるとは限らない。また主観的にも、誰も現在自分の考えていることすら知りえない。常に自分の過去に考えていたことしか知りえない。
[2004]
したがって、日常的認識であっても対象を客観的に認識するには普遍化し、一般的関係に対象を位置づけている。対象世界の普遍的一般的関係は科学的知識として学んできている。対象そのものを認識するのではなく、科学的知識としての表象を対象に重ね合わせるのである。日常的認識では科学理論の概念そのものではなく、個人的な対象認識の経験、学習経験によって修飾された科学的表象を操作する。逆に科学的概念は日常経験によって確かめられるが、確かめるほどに体験表象と一体化する。体験表象と一体化した科学的概念は強固であるほど、科学の発展によってもたらされるより普遍的概念を拒絶することになりかねない。自然科学の飛躍の度に「物質」の理解すら混乱を繰り返してきている。哲学も科学の発展に応じて組み立てなおさねばならない。
[2005]
【科学的認識】
科学の認識は個別的有り様を対象とするのではなく、普遍的有り様を対象にする。科学理論そのものは理想化された対象を扱っており、その概念は具体的ではない。そして、認識から自立して対象は存在し、認識後も引き続いて対象が存在し続けること、あるいは再現することを前提にしている。にもかかわらず、観測と実在の関係が問題になる。
[2006]
科学的認識は直接的認識過程と、その解釈過程からなる。この2つの過程は相互に依存しており、しかも幾重にも重なり合い、さらに社会的にも分業し相互に依存している。
[2007]
科学の直接的認識過程は観察、実験である。観察、実験も対象についての既得の解釈に基づいて視点、方法が設定される。観察、実験はさらに測定と観測に分かれる。測定は対象と測定器との相互作用の記録であり、観測は記録と対象との関係解釈である。この測定と観測の過程には環境条件からの干渉があるのが普通であり、直接なり、間接的に記録への影響を取り除く。そこにまた作為が介入する可能性がある。測定の過程は通常相互作用を記録するものであり、対象の有り様を変えてしまう。ただし、測定にかからないことによって対象を観測する場合、対象を攪乱、擾乱することはない。観測も対象に作用する場合がある。この観測の制約は量子論の問題ではなく日常経験世界で現れる。心理学実験では実験の設定そのことが、被験者と試験者の関係が実験結果に影響を及ぼす。マスコミによる選挙予測は選挙結果に影響を及ぼす。
[2008]
そこで科学的認識は直接的観測にとどまらず、観測過程を意識的にでも、無意識にでも捨象し対象間の関係を抽象化する。対象間の相互作用によって現れる相互変化の量的関係を測定値の間の関係に求める。異なる対象間の普遍的変化関係と特殊的変化関係によって対象間の質的区別を定義する。普遍的作用と個別的作用によって対象一般の質的区分が定義される。対象化した範囲での相互規定関係として、理想化された個別対象が科学的概念として定義される。科学的概念と経験対象とがぶれることなく重なる場合もあるが、基礎的概念であるほど現実を超えた理想化が必要になる。数学、論理学の諸概念から、質点、完全剛体、遺伝子、労働、商品、貨幣、資本、作品等々。熱素や光の媒体としてのエーテル等々まであるが、これとて非科学的概念なのではなく、間違っていた科学的概念である。
[2009]
ここで個人的経験に基づく個別対象概念と科学的概念とが対照される。
[2010]
それぞれの分野で獲得された科学的概念によって対象世界の相互作用関係が説明される。科学の説明を学ぶことによって、日常経験世界表象を裏打ちする。五感で感じる他との相互作用は感覚器官で生じる。感覚器官での信号を対象との相互関係に対応させて、対象のそして対象全体である世界の表象を構成する。光を見ているのは眼であり、対象を見ているのは頭蓋骨の中の脳である。脳が身体の対象像を、対象との相互関係を反映する意識としての自らに再構成して見せているのである。身体の内外の諸感覚と脳内の諸表象との関係すべてに遅延を生じさせることなく、今このときに存在する自分を感じさせている。その世界表象を自他を含め普遍的構造体として支えるのが科学的認識である。
[2011]
直接的相互作用は観測者にとっては主観的認識である。主観的認識を客観的に評価するには、主観的、直接的相互作用を全体の関連にに相対化する。ここで主観の対象化するものとしての特殊性、非対象性を意識していないと自らの観念性を対象に被せて解釈してしまうことになる。科学史でも保存則を巡って「物質」は何度も消滅させられてきている。観念である主観を基準にしては、体験によって確認してきた主観を基準にしては対象を捉えきることはできない。対象間の相互関係に依拠することなく、これまでの主観を止揚することはできない。
[2012]
【技術的認識】
科学的認識であっても最も基本的なのは感覚による認識である。感覚とその情報処理は人の生活環境と、そこでの適応の歴史によって限られているだけではなく、調整されている。この制約を超える技術として道具と理論がある。道具は見やすいが理論の道具は論理であり、やはり訓練しないと身につかない。認識過程にも論理が貫かれるが、測定値間の関係を整理し、位置づけるのも論理である。
[2013]
個別の現象と、現象の全体とは異なった様相で現れる場合がある。個別の運動過程は偶然によっていても、全体の過程は必然的な現象として現れる。放射性同意元素は、その原子の種類によって崩壊する比が一定している。崩壊して半分の量に減るまでの時間を半減期として観測する。数個の原子では偶然が大きく作用する。まして、1個の原子の崩壊は、いつ起こるか予測はできない。測定できるのは個々の崩壊の時間的位置である。多数の測定値を統計処理することで法則性が明らかになる。
[2014]
量子の干渉実験でも個々の量子の到達位置は予測できなくとも、多数の量子の到達位置分布は分散しており、より多くの到達位置を重ね合わせれば波の干渉効果を表す。技術的に制御された実験で粒子性と波動性という日常経験では相反する概念間の関係の一面を明らかにすることができる。
[2015]
詳細を対象化できない場合は理想化が有効であるし、逆に大量の対象、データは粗視化が有効である。理想化と粗視化の有効性を保証するのは論理である。理想化は対象を現象と本質とに区別する質的規定に飛躍をともなう。本質を規定できてしまえば現象の理解は容易になるが、規定を現象に適用するにはやはり論理的経験が必要になる。粗視化は今では論理的に検証できるプログラムを組めればコンピュータが処理してくれる。技術的認識は「お手軽」という意味ではなく、日常経験と同じ確かさを保証している。
[2016]
【観測問題】
観測問題は確かに観測の問題であって、認識の問題であり実在の問題ではない。量子論的対象すなわち現代物理学が到達した最も普遍的な物質の存在=運動形態は日常経験から学んだ物事の理解を根底から覆すが、対象は厳然として実在し続けている。「実在とは何か」「物質など実在しない」などは、日常経験から学んだ古典理論の観念を対象に被せて一致していないことを主張しているに過ぎない。
[2017]
量子力学の観測問題は不確定性原理と量子の相互作用が確率的なことにある。運動学が対象にする運動の過程の有り様は座標を設定し、その位置によって表現する。動力学が対象にする運動過程の実現規定を運動量によって表現する。不確定性原理はこの位置と運動量が相補的関係にあるとする。古典理論では位置と運動量を確定することによって運動を決定論的に記述することができるが、量子にあっては位置と運動量を同時に確定できない。
[2018]
量子はいくつかの物理量を担い、その物理量によって質が規定される。個別としての量子のもつ物理量は他との相互作用過程で確定する。相互作用と相互作用の間の運動は確率的に計算されるか、可能な状態の重なり合いとしてある。重なり合った状態のいずれをとるかは相互作用過程でしか確定しない。しかも、測定されたなら固有値は分散している。理論による論理的可能量と対象存在の固有値が一致しないのは古典理論では理論に不十分性を示すものであり、隠れた変数を探すことが課題になる。しかし、量子力学では隠れた変数そのものがないことを実験的に証明しているという。
[2019]
量子力学の明らかにする物質の有り様は日常経験の物質理解とは本質的に異なる。しかし、日常経験の物質理解は量的に近似として量子力学に反するものではない。したがって、日常経験の物資理解を再構築することになる。量子力学に限らず、認知科学の発展によっても、日常経験だけの世界理解は表層的な自己中心的なものであることが明らかになってきている。「日常経験の物質の有り様が確かな実在である」とするのは主観の観念的自己絶対性を無批判に前提にした思いこみである。
[2020]
日常経験での物質概念から量子の有り様を解釈するなら、「測定しなければ物理量は確定せず、存在を消してしまう」ことになるが、これではエネルギー保存則を破ることになってしまう。遅延選択実験の解釈で未来から過去を選択できてしまうなら、熱力学第二法則による時間の非可逆性を否定することになる。量子力学の近似として、重力に関しては相対性理論の近似として日常経験の対象を相対化して位置づけることで、世界をより普遍的に理解することができる。量子力学自体が「素朴実在論」でなくとも、主観の観念的絶対性を相対化することで素朴実在論に基づく普遍的世界理解が可能になる。主観は自らの絶対性が観念性であることを自覚するなら、自らの体験から理解しかねる対象世界が偶然から物理秩序として実在しているとする二元論を受け入れることができる。
[2021]
「実在」の問題は哲学の問題ではなく、ベルの不等式を証明したアスペの実験により物理学の対象になったとされる。時空間も先験的に与えられた認知の枠組みなどではなく、物質の重力場の形式であることを一般相対性理論が明らかにしている。ならば哲学は自らの主観をそれにふさわしく位置づけ、世界の秩序をより普遍的世界表象として再構成するしかない。
[2000]
第3節 物質の運動形態(相互作用)
物質の運動形態は宇宙の「ビックバン」以来、対称性が繰り返し破れて、部分的な新しい対称性を現し、構造的、歴史的に発展してきた。
[3001]
第1項 物理化学的相互作用
【物理的相互作用】
物質の存在形態を決める相互作用として重力相互作用、強い相互作用、弱い相互作用、電磁気相互作用の4つが区別される。それぞれは重力、核力、弱い力、電磁気力として現れる。この他に第5の力として何らかの斥力の可能性が検討されているが明らかではない。
[3002]
重力は引力として経験できる。重力の到達距離に制限はない。他の相互作用に比べて作用力は小さいが、相互作用の規模が大きく宇宙の基本的な力となる。重力の偏りによって宇宙の物質は集散し銀河の分布構造を形成する。銀河は重力によいって互いに引き合い、衝突すらする。銀河自体重力によってまとまり、重力の偏りによって星が生まれる。重力によってまとまる質量に応じて星の性質が決まり、一生が決まる。恒星は重力によって高温高圧になり水素ヘリウムからより重い元素核を融合し、核融合が進むと融合できる原子核が尽き温度が下がり、高圧を維持できなくなってつぶれ、つぶれることで超新星となって爆発する。この爆発によって鉄より重い元素が作られ、宇宙にばらまかれる。宇宙全体の運動、構造を決定しているのは重力である。
[3003]
強い力は素粒子のうち陽子と中性子を核子として原子核に結びつける力である。4つの相互作用として最大の力であるが、原子核の大きさの範囲でしか作用しない。
[3004]
弱い力は原子核内の陽子、中性子が、より安定した陽子、中性子の組合せへ変換、原子核の崩壊する時に現れる。核力に比べて小さく、到達距離は原子核の直径より短い。地球内部の熱源の主要な一つである。
[3005]
核融合、核分裂によるエネルギーの解放は構成する核子数に応じた、より安定したエネルギー状態間の格差である。
[3006]
電磁気力は磁気、電気的作用として経験できる。原子核と電子が結びつき、原子を構成するのは電磁気力である。原子か結合して分子を構成するのも電磁気力である。原子同士の結合力として分子を形成し、化学変化を規定する。
[3007]
電気力と磁気力は17世紀には電磁気力の2つの違った現れであることが明らかにされた。20世紀半ばになって電磁気力は弱い力と同じ力、電磁弱相互作用の違った現れであることが明らかになった。さらに強い力との統一、重力との統一理論が探求され、宇宙の歴史的発展の力として理解されるようになった。宇宙の歴史では逆に重力によって宇宙の大規模構造ができ、重力から強い相互作用、さらに弱い相互作用、電磁相互作用が分かれて来た。
[3008]
【物質の生成】
世界の物質の構造、宇宙の物質の構造は、クオークから銀河宇宙までの空間的大きさの階層構造としてあるだけではない。現在の膨張する宇宙は、遠方の銀河ほどその距離に比例して速く遠ざかっていること。逆算するなら137億年前には全宇宙の物質、エネルギーは一点に集中してあり、その前はどうであるかは殆ど手がかりはない。「その前」の存在自体が物理学の解釈の問題になっている。特異点問題として。
[3009]
現在の宇宙が集中した一点から現在まで膨張し続ける当初の大爆発=ビックバン時には、当然今日の宇宙の構造はなっかた。ビックバン以来、宇宙の構造だけでなく物質の構造も歴史的に発展してきている。物質の構造を作り出していく過程そのものが宇宙の歴史である。超高温超高圧の宇宙が膨張し、温度圧力が下がることによっていわゆる物質が形作られる。陽子と中性子の結合によって水素とヘリウムの原子核がつくられ、原子核に電子がとらえられて原子を構成すると、それまで電子と相互作用していた光が自立した運動をするようになり、世界を光で見ることができるようになった。まだ世界を見る者はいなかったが。
[3010]
地球の何倍もの恒星は、ビックバン以来生成消滅を何代かにわたって繰り返している。恒星は水素、ヘリウム原子核から熱核融合反応で次々と重い原子核をつくり、その際のエネルギー放出によって自らの重さを支える。核融合反応でつくられる原子は鉄程度の核子数60個程度までの原子核である。太陽程度の大きさの恒星は熱核融合反応で輝くだけでなく、燃え尽きて矮星になる。燃え尽きた際重力崩壊が起きると超新星爆発を起こす。この爆発による高圧の下で鉄よりも重い原子が生成される。超新星爆発の後に中性子からなる中性子星ができることも、さらにより大きな恒星では重力崩壊が進みブラックホールができることもある。逆に爆発によって吹き飛ばされたガスや塵は衝撃波などによって再び集まり、圧縮されることで新たに星を生成する。宇宙は夜空に見るように静かに回転する世界ではない。宇宙は巨大な尺度でも、極微の尺度でも激しく活動している。
[3011]
【物質の形式】
物質の存在形態は運動である。運動は相互作用として作用するそれぞれを部分として区別し、相互作用の広がりが現れる。相互作用の広がりとしての自由度の組合せが空間の形式を表す。それぞれの自由度での運動はそれぞれ一定の量、固有値をとって実現する。同時に、ひとつの運動過程は他の運動過程と一定の比で継続し、また繰り返し再現して区別される。運動過程継続の普遍的比として時間形式を表す。他と一定の比で継続する運動過程の一つを基準にして時間と空間を計る。運動過程の繰り返す長さの比が一定であることとして、長さの違いを時間として測ることができる。時間と空間は相互に規定し合う関係形式としてある。長さの計測単位基準としても一定時間に光が進む距離によって定義されている。
[3012]
それぞれの運動を表す座標系間の変換によって時空間は理解される。ニュートンの運動法則で表される時空間は、ガリレイ変換が成り立つユークリッド空間である。ここでは日常経験の多くが説明でき、宇宙探査機の軌道計算もできる。特殊相対性理論が表す時空間はローレンツ変換が成り立つミンコフスキー空間である。ここでは運動速度は光の速度で限界づけられ、質量とエネルギーは現れ方が違うだけであり、同時性が成り立たない。運動する物は基準に対して速度に応じて運動方向に縮み、時間の進みが速度に応じて遅れる。一般相対性理論が表す時空間はローレンツ変換よりも一般的な変換が成り立つリーマン空間である。ここでは慣性質量と重力質量が同等であり、重力は時空間の曲がり方で表される。そして一般相対性理論は重力赤方偏移、太陽による遠方の星からの光のわん曲、水星の近日点移動として確かめられ、膨張宇宙論やブラックホールの成り立ちをも導き出している。ガリレイ変換、ローレンツ変換、一般座標変換、これらはより普遍的な変換の順であり、そしてより普遍的時空間を表す。日常経験の時空間、質量は一般的な物質のあり方からすると特殊な条件の下にある。
[3013]
物質は時空間の形式によって互いに区別される個別の運動として現れる。時間と空間によって運動は区別され、全体に対する部分としての構造をなす。部分としての構造の連関として全体の構造が現れる。物質の存在形式は宇宙の時空間を表す。日常経験的には個別存在があって、その個別が運動するようにみえるが、そう見た方が個別間の関係を把握しやすいからに過ぎない。
[3014]
物質はいくつかの自由度をもつ運動が相互に規定し合い、相互規定関係を個別として保存する内部構造を現す。個別の他の個別との関係形式として外部構造を現す。内部、外部の区別は相対的であり、それぞれ相対的に区別される個別の構造的階層が原子、分子、結晶のようにある。
[3015]
物質の存在は運動の現象形態であり、運動はエネルギーの変化である。運動として現れるエネルギーは変化しても保存される。エネルギーの変化を内容として、秩序を形式として表す。秩序はエネルギーの変化として破れ、より低いエネルギー秩序を構成する。秩序として物質は区別され、運動形態を現す。
[3016]
物理的個別性として全体に対して他から区別される保存量として質量がある。個別として区別される物質が物理的関係に保存する物理量である。個別としての区別されていたものが物理的に一体化するなら質量も和になる。個別としての規定、質が変わっても個別性が保存される限りで質量は保存される。個別性が保存される限りで質量の保存則は成り立つ。物質と反物質が出会い、対消滅して個別性を失えば質量は保存されない。
[3017]
質量は他との区別としての相対的区別であり、他との相対的運動によって変わる。相対的に静止していれば質量は保存される。相互対象関係にあって相対速度が速くなればその相対関係にあって質量が増す。速度の限界は真空中での光の速度である。光の速度が限界としてあることで、運動が光速度に近づくと時間と空間とが縮むことになる。
[3018]
質量は他との空間的相互関係形式では空間の歪みの現れである。質量が大きいほど空間の歪みが大きい。空間の歪み具合によって他を引きつける重力が現れる。空間がゆがめば光も空間の歪みに沿って進む。
[3019]
日常経験の対象は質量は大きくても地球と太陽、月であり、速度も最大で地球脱出速度秒速約11km程であるから相対性理論の効果は非日常的な珍しい現象でしかない。それでも高速度運動による時計の遅れは衛星からの電波受信のずれを利用するGPSの位置計算に影響する。質量とエネルギーの等価性は原子核反応として利用されている。ローレンツ収縮までは今のところ日常経験には入ってきていないようである。
[3020]
物質は他と作用し、個別として現れるが、その個別性の現れは偶然である。量子では可能な状態は重なり合ってあり、他との相互作用において干渉し、あるいは一つの状態を確定して個別性を現す。日常経験の対象は原子、分子を基礎に構造化した相互作用関係として実現し、個別性を保持している。日常経験の対象は構造化して確定する相互作用過程で個別性を実現している。量子の偶然性、不確定性を超えた相互規定関係に日常経験の対象はある。ただし、相互規定関係に偶然性、不確定性は再現する。物理的物質の階層でも量子の階層を超えて、日常経験の対象物質が実現している。
[3021]
量子としての物質は重なり合った状態から相互作用過程に至ることで個別性を現すが、確定する複数の相互作用過程はもはや重なり合わない。相互作用過程で確定された状態は重なり合うことなく、混合状態をとる。量子は重なり合った状態では干渉可能であるが、相互作用過程で確定した状態では干渉できない。相互作用過程でのそれぞれの状態は混合するだけである。それぞれの相互作用過程での個別性はそれぞれの過程で規定され、区別される。それぞれの相互作用過程での個別間の関係づけることで混合状態を解釈し、観測することができる。
[3022]
物理的個別が他との相互関係で自らを相対的に保存する性質が慣性である。すべての物質は他と相互に作用し合い、相互作用関係で自らを相対的に保存する。相対的に静止していれば静止し続けるし、相互関係に変化がなければ等速直線運動を続ける。
[3023]
物理的個別間の相互作用の基本的形式が作用と反作用である。一方からの作用があれば必ず同時に他方からの作用が実現する。衝突は直接的相互作用であるが、離れている物どうしの引力も必ず双方向の作用である。また輻射も一方に高温、他方に低温の物質がなければ実現しない。
[3024]
このような解釈は物理学にとっては何の役にも立たない。物理学の問題は物理学の内で必要十分に規定されているのだから。解釈が必要なのは物理的世界を含んだ世界全体の理解にとってである。物理を無視して世界を理解することはできない。
[3025]
【物質の構造】
日常経験の対象物質は原子、分子とその構成物としてある。光などの電磁波、その他の放射線も日常経験の対象物質と物理的相互作用することからしてやはり物質である。物質の運動単位形態として知的生物としての人は地上で最も発展的な物質の運動形態である。その人も生物として細胞によって構成されている。細胞は分子によって構成されている。分子は原子によって構成されている。原子は原子核と、電子によって構成されている。原子核は陽子と中性子によって構成されている。陽子、中性子は他の量子とともにクオークによって構成されている。ただし、クオークは分解して取り出すことは原理的にできないとされている。クオーク以外の存在単位はそれどれ単独個体として存在している。
[3026]
人からクオークまでの存在単位は順次その存在スケールを小さくしてある。この系列とは別に、物質の個別存在形式が宇宙の構造を構成している。地球は他の惑星や星くずとともに恒星である太陽を回る太陽系を構成している。太陽は他の恒星とともに渦巻く銀河系を構成し、地上からは天の川としてみることができる。銀河系は他の銀河と引き合い、銀河団を構成する。銀河団はさらに銀河団と連なり宇宙空間に詰め込まれた泡のような構造を構成している。
[3027]
相互作用によって区別される物質の存在単位の基礎としてクオークが想定される。クオークは3つか2つずつ組み合わさって陽子や中性子、電子等を構成する。クオークによって構成される量子と光などを素粒子として階層区分することができる。素粒子の運動の特徴は、種類が多いこと、相互に転化し合うこと、時間と空間が相対的関係にあることである。
[3028]
相互作用を区別できる最小の時空から、銀河集団の連なりとしての宇宙まで、素粒子レベルの運動が基本である。しかもその運動はとどまることなく激しい。素粒子のそれぞれは電気的性質プラスとマイナスだけが違う物質と反物質の組がある。電子と陽電子、陽子と反陽子のように。その組合せとして原子と反原子、分子と反分子もある。物質と反物質は出会うと対消滅し、その全質量をエネルギーに転化する。逆にエネルギーから物質と反物質は対発生する。分子や原子の存在しない真空でもいたるところで電子と陽電子の対発生、対消滅は生じ、観測にかからない対発生、対消滅で真空でも沸騰する様な激しい反応にあるとされる。また、陽子や電子、ニュートリノ、光の寿命は長いが中性子は900秒、その他の素粒子の平均寿命は一万分の一秒以下である。それぞれ寿命が尽きても消滅するのではなく、他の素粒子と相互作用して他の素粒子に転化しあっているという。
[3029]
物質優位の宇宙で相対的に安定した物質の存在構造が原子である。素粒子の階層での運動に比べ、原子の階層では時空間構造が安定して表れる。素粒子である陽子、中性子、電子の安定性が基礎にあるが、中性子は陽子と相互転化しその平均寿命よりも構成された原子は安定な構造としてある。
[3030]
【化学的相互作用】
原子、分子は物の構造として地球などの惑星世界の存在の基本である。原子、分子の物理的運動は相互に作用するが相互作用の過程は継起的で、循環する場合もその繰り返しにとどまる。原子、分子からなる物理的相互作用としての運動は日常経験世界の存在の基本であり、環境であり、舞台である。原子、分子は日常経験の世界の土台をなすが、人の直接の対象にはならない。科学技術の発達は量子作用までも日常的に利用するまでになっているが、やはり特殊な分野での利用であって化学的作用の利用が基本である。物理的存在は日常的には化学的作用によって対象化される。原子核と結びついた電子の運動、この電子と電磁波からなる運動が化学的相互作用である。
[3031]
化学的相互作用は分子を構成し、また分子の再構成としてある。分子を再構成する過程が化学反応である。原子の結合の仕方である化学結合を環境とのエネルギー収支によって変化させる。環境のエネルギーが高い場合と、低い場合とで化学結合の仕方が違う。エネルギーの高低に応じた化学結合の秩序がある。
[3032]
また、原子によって化学結合を実現する電子数、結合可能数に違いがある。原子の種類、結合の組み合わせによって多様な種類の分子ができる。しかも結合の違いが立体構造の違いを生じ、同じ原子から構成されていても化学的に性質の異なる分子がある。単純な分子から複雑な分子、化学的機能の多様な分子がつくられる過程を化学進化と呼ぶ。
[3033]
第2項 生物的相互作用
「生物まで物質として扱うことはできない」という反論もあろうが、生物とて、意識とて物理化学的物質に媒介されている。意識の対象としての物質性、物質の対象性を無視しては、主観の観念性に目を奪われてしまう。
[3034]
【生物的相互作用の基礎】
生物の生理的運動、物質代謝、エネルギー代謝は、化学反応の生理的統御として現れる。化学反応に依存しない化学反応を統御する主体を想定すると神秘主義に陥ってしまう。化学反応の相互規定関係が安定し、他との相互作用に対して保存されることで個別として自律する運動系が実現する。自己組織化の基本的実現形式である。
[3035]
生物物質代謝の統制は多数の相互規定関係の複雑な、微妙な構造としてある。自己保存する規定関係、再現性を保証する規定関係が幾重もの階層構造をなして成り立っている。膜自体が疎水性の分子と親水性の分子が組み合わさり、並ぶ。しかも膜として内外の区別を保存する。生化学反応は酵素によって反応効率を高め、反応の再現を確実に制御する。生物の最も発展的な自己保存の形式は遺伝である。
[3036]
これらによる複雑な自己統御する物質代謝系は長い物質進化の過程を経て、前段の成果を引き継いで蓄積し、ついに地球型生命を相対的全体として細胞にまとめ上げた。細胞の物質代謝は当然に独立したものではなく、環境との相互作用過程にあり、環境にょって制限されながらも、環境に対しても作用する相互作用過程にある。環境との相互作用過程で生物の多様化が実現してきた。生物個体間の相互作用は食物連鎖、生殖を経ての世代交代としてあり、生態系の変化として現れる。
[3037]
生物の運動過程は循環が基礎であり、循環の繰り返しにとどまらず、循環の過程を制御する過程に生物の質がある。エネルギー代謝も、物質代謝も循環する過程としてある。運動を制御する運動が継起的に関連するだけでなく、存在構造として組織されることに生物の特徴がある。
[3038]
生物の活動は地球環境を生物的に変革している。地上の酸素分子は生物によって単離され、太陽エネルギーを石炭、石油として固定した。生物にとって有害な太陽からの紫外線等を防ぐのも酸素原子が結合した上空のオゾン分子によってである。
[3039]
【生物的相互作用の発展】
生物は基本的に細胞構造をもつ。単細胞生物から多細胞生物まですべて細胞を単位とした物質代謝系である。例外は細胞に寄生するウイルスであり、ウイルスは自己増殖するが、なかには結晶にもなるものがあるが、細胞がなければウイルスは自己増殖できず、細胞が地球生物の基本である。細胞は一つの細胞から、生体を構成しながら役割を分担し、機能分化する。
[3040]
生物はタンパク質、脂質、核酸を物質的基礎とし、それらを組織化した物質の運動形態である。それらの物質単独の運動とは異なる相互依存、全体を自己として組織化する運動体である。
[3041]
生物はそれぞれの細胞がそれぞれに進化するだけではなく、相互依存関係にある。食物連鎖だけではなく、共生、寄生もあり、生存競争は進化に特別な作用さえする。さらにミトコンドリアや葉緑体はかつてその祖先であった単独の単細胞生物が他の単細胞生物内に取り込まれ、細胞内器官として一体化したとされている。
[3042]
生物は生物としてあり続けるため、体外との相互作用をし、生体の保存と、運動のために必要な物質を取入れ、不用な物質を排せつする。生体の保存と、運動において、環境との相互作用を生体の構造として組織化する。全体の相互作用を調整するホルモン、神経系が発達する。
[3043]
第3項 文化的相互作用
【文化的相互作用の基礎】
生物から進化したヒトは生物としての生活の場の中から、人相互の関係を相互依存的な社会として組織した。
[3044]
人間社会は社会生活をする人、および社会に取り込まれた物を存在の物質的基礎とした物質の運動形態である。物質は人の新陳代謝としての物質過程にとどまらず、生産物として社会的物質に加工され、自然から社会関係の中に取り込まれる。
[3045]
社会的物質代謝は経済活動として組織され、社会の価値体系の骨格をなす。社会の物質代謝に必要な物が社会関係に取り込まれることによって社会的物質に転化する。自然物としての有用性、使用価値の担い手から、社会的物質代謝を担う社会的価値物へ転化する。
[3046]
社会的に結びついた人は人に依存しないと生活も生きることもできない。特に新生児は親、特に母親に養育されなくては生き残れない。また集団での行動は集団秩序の維持が必要になる。互いの行為行動、感情を理解し、調整して秩序をつくりだす。このコミュニケーション能力として人の精神は著しく発達した。
[3047]
さらに、人は環境に主体的に働きかける中で道具を利用し、道具を作り出し、環境の変化を予測し、対応を準備する能力を発達させた。対象間の相互関係秩序と主体との相互関係秩序を法則として理解する論理能力である。
[3048]
人の社会性と環境変革能力の発達は精神を発達させた。精神活動までも含む社会的物質階層のうえに文化を創造した。地球上では物質は文化にまで発展してきた。文化は人間社会を存在の物質的基礎としている、物質の最高に発展した運動形態である。
[3049]
【文化的相互作用の発展】
人の相互作用は、相互に依存する社会化された物質代謝としての生産関係としてある。人の物質代謝は社会的生産関係なしに維持されない。人の生存を可能にしているのは社会性である。人の利用する物質はすべて社会的関係に取り込まれる。都市では水や空気ですら浄化されなくては循環しなくなっている。
[3050]
社会的認識により、対象を言語で表現することができ、コミュニケーションが可能になる。言語はコミュニケーションだけではなく、知識の共有、伝達、蓄積を可能にする。言語は思考の媒体として文化の基礎をなす。言語は生物的遺伝によらず、獲得した能力を伝えることができる。
[3051]
社会関係での相互認識は行為、行動の対立と協調の過程で訓練される。他の動物では本能でしかなかった行為、行動が意識化され、情動をともなった経験を共有して強化する。愛憎は社会化された本能である。
[3052]
文化的方向性は社会的価値基準としてある。社会的方向性に沿うことが社会的評価を受け、価値をもたらす。ただし、社会的方向性は歴史的であり、短期的方向と長期的方向では全く逆の方向になることがある。確かなのは人類史全体を貫く普遍的方向である。
[3053]
索引
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