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第二部 具体的な物質の運動


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具体的世界についてである。[0001]
私たちのの生活の場であり、実践の対象として、認識の対象としてある世界についてである。私が学んできた到達点で再構成する表象世界を描いてみる。対象としてある実践世界に重ね合わせる私の世界解釈、「普遍的表象世界」の概要である。また、「第一部 一般的世界のあり方」の根拠を示す。[0002]

ここで世界についての正しい知識、最新の知識をえようと期待するのは誤りである。客体・実在世界を説明し、解説する力は私にはない。[0004]

【具体的世界】

「具体的な物質」は抽象的哲学的物質概念に対する概念である。具体的物質は抽象的哲学的物質概念として反映する元々の存在対象である。具体的物質は主体が対象とする、対象化可能な存在のすべてである。[0006]
具体的世界は個別的で偶然の作用する世界であるが、そこに秩序形式が法則として現れている。科学が対象とする世界であり、主体が直接的な対象として関わる世界であり、主観が対象化する世界である。直接的で、個別的で、偶然の作用する世界の秩序を普遍的表象として対象化する。普遍的個別によって世界全体の表象を描く。[0007]

【第二部の位置づけ】

第二部では実在世界における人間の位置づけが課題である。第一部で取り扱った人間存在は主観的存在であった。第二部では人間の客観世界での位置づけを考える。人間の世界での位置づけを確認して、第三部での実践の対象となる世界を確定する。その第三部では人間を主体として位置づける。[0008]

世界にとって人間存在は小さな存在でしかない。人間社会の発展が驚くものであっても、それは人間にとってであり世界の時間の経過、空間の大きさからしても極ごく小さな存在である。人間は自然の極くわずかな力で潰れてしまう。焼かれてしまう。溺れてしまう。[0009]
人間が人間存在を位置づけ、主張するのは世界に対してではない。人間は人間に対して、人間としての存在を位置づけ主張する。宇宙進化の目的を知的存在としての人間に求めるのは、世界ではなく人間である。人の死であっても、自然での出来事と人間の意志によるのとでは、その人にとっての意味はまったく異なる。結果だけをみて同じに論じたり、人間の位置づけを逆転させ倒錯するのも人間である。人間の命、人間のつながりをもてあそぶのも人間である。[0011]
非日常的な状況、事故とか、戦争とかにあって命のやりとりを人間が判断しなくてはならない。そこにあって、人間としての判断を維持できるかも問題だが、そうした状況に至らないようにするのも人間の責務である。状況の推移を見通すためにも、自分を含む世界全体の見通しが必要である。[0012]
多様で、多面的で、構造的で、極大から極小までの時間と空間全体をひとつの表象世界にまとめる。自分が生活し、関わる物事を解釈する基盤となる世界理解を構成する。いわば世界の縮尺模型を各個別科学の成果を材料にして組み立てる。この模型は表象であり、対象に重ね合わせて検証することができる。[0013]

【基本的事実の確認】

世界観をまとめるに当たって基本的事実を科学の成果で確認する。「原子など存在しない。」「生物は進化したのではない。」「人間は生物とは別の存在である。」「経済に法則などない。」などと主張されたのでは「世界観」をまとめることはできない。[0023]
かといって、個別科学の個々の成果を解説しても始まらない。すべての解説は一人では無論不可能である。何人いれば可能である、と言える課題でもない。しかし、一人分の力で理解できるものでなくてはならない。個別科学の成果に世界解釈の証明例を探しても、世界についての論理的説明にはならない。我田引水にとどまるならまだしも、理解を歪めてしまっては元も子もない。[0025]

世界理解の前提として必要な基本的知識を列挙する。基本的知識の列挙は、世界観として述べ立てることが何に基づいているのか、その共通理解を確認するためである。基本的知識を列挙することで基本的世界理解を獲得し、基本的世界理解に基本的知識をそれぞれ位置づける。部分から全体を理解し、全体のなかに部分を位置づけることで全体を豊かな構造として理解する。構造的、空間的だけでなく、歴史的、時間的にも全体を見通す。[0031]

【科学への依存】

科学の限界や、驕り、環境破壊の責任が問われることがあるが、他に適当な方法はない。科学はひとつの「真理」によって全世界を解釈するようなことをしない。科学には客観性、統一性、社会性としての普遍性がある。一部の量子力学解釈を除いて、科学は主観とは関わりのない存在を前提にしている。科学は世界を分科しても対象のすべてを関連させ、成果も、方法も、検証も論理的に統一している。いや、統一をめざしている。科学は成果を社会的に評価し、蓄積し、交流している。科学は普遍的な社会的認識である。[0015]
世界観は対象理解を個別科学より先取りすることはできない。ギリシャの哲学者は物の分割と分割される物との関係から「原子」を構想することもできた。物事の本質をつかみ取ろうとする天才たちの取組は、経験を超えて物事の有り様を解き明かした。ただ、実在として位置づけていない、関連のない、根拠のない、言い逃れが可能な観念としてであった。分割できない「原子」は歴史の中で次々と分割されてきた。天才でない私たちは個別科学の成果を正しく後追いすることでしか普遍的に世界を理解することができない。[0017]
個別的なそれぞれの体験からの主張は他の人に理解してもらうことはできない。他の人に説明するには共に経験できる物事を、対象を科学的に特定し、その解釈で科学を超えたり、否定したりする。説明に用いる「ことば」も日常生活に基づいて意味づけられており、非日常的物事も日常的意味で表現される。日常的物事、日常の意味は科学的に説明されなくては話は通じない。死後の世界すら生きている物質世界からの推測でなければ語ることもできない。[0000]

【世界観の科学的限界】

科学の成果を追いかけ、解説を理解するだけでも大変だが続けるしかない。教科書に出ていることですら、試験が終われば粗方忘れてしまう。受験科目以外の分野は学ぶことすらしていない。その上、学校で学んだ知識はどんどん古くなっている。[0041]
毎日のように紹介される科学の成果はわれわれを驚かす。専門家は素人の常識を覆すエピソードをいくらでも提供してくれるが、衝撃の強度が説得力でもない。他方素人からすれば何でおもしろいのかいぶかる研究テーマもある。最新の成果を評価するには、世界全体を科学的に見る眼が必要である。正確には理解できなくとも、世界理解のうちに受け入れ、位置づけることができるよう全体を見渡しておく。[0038]
それぞれの個別科学の目ざましい発展はあっても、世界の全てを明らかにできていない。科学知識を寄せ集めても世界の全体像は見えない。科学的知識であっても、最先端であるほど眼前の日常世界と一致しない。世界全体の理解は自分自身を含めた解釈としてある。解釈としての世界については第一部で扱った。この第二部では解釈の元を扱う。[0037]

【第二部の構成】

具体的物質はより基礎的存在からより発展的存在を構成し、より単純な構造からより複雑な存在を構成してきた。世界を歴史的、構造的に理解するためにより基礎的存在からより発展的存在へとたどる。[0047]
物質の構造は物理的階層、生物的階層、社会的階層、文化的階層の4つに大分類できる。この分類順はより基礎的階層からより発展的階層への階層に準じるものであると共に、世界=宇宙の発展過程にも準じている。これらを超えた階層、あるいは発展の可能性を否定はできないが、我々が問題にしえるのはまずこの範囲内である。具体的物質について、ここではこの4大階層に対応して第一編 物質、第二編 生命、第三編 人間社会、第四編 文化として整理する。[0049]

【専門科学者へのお願い】

専門家はそれぞれの専門の成果を解説して欲しい。研究者は専門分野の何をどのように理解しようとしているのかを、そして一般の誤った解釈を正して欲しい。直接にではなくとも、科学解説を専門とする人、教育を専門とする人、報道を専門とする人を介してでも。[0018]
それぞれの専門分野の最新の成果、その解釈を一般に普及することは科学自体の担う課題である。社会的に科学が成り立つためにも、科学が社会に役立つためにも、その成果を社会的に検証するためにも。さらに非科学的イデオロギーによって、人々が騙され、虐げられることのないように。[0019]
できることなら、専門の成果によってその対象世界がどのように見えているかを紹介していただけるなら、普遍的で豊かな世界観を獲得する助けになる。[0020]


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