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第一部 第二編 一般的、論理的世界

第9章 現実存在


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第9章 現実存在


第1節 存在のまとめ

【普遍と個別】

個別があるのは普遍があるからである。逆も真である。普遍があるのは個別があるからである。個別のみであるなら混沌である。普遍のみでは運動はなく、存在はない。また、すべてが同じであり、すべてが異なるのであれば、混沌である。存在の普遍性があって存在は区別され、多様な個別を実現する。普遍の中に他ではないから個別である。普遍があるから個を区別することができる。個別を区別できるのは、個別を相互に関連させている、連関している普遍があるからである。[1001]

世界は存在するもののすべてである。すべての存在が世界である。それ以外ではない。しかし、これでは実質何も定義していない。[1002]
存在とは他との関連である。関連は世界のすべての関わり、連なりである。他との関連は相互作用として現れる。相互作用として互いを区別し、互いに連関する。関連づけられるのではなく、関連が創られるのである。「関連は個々の存在を位置づけ、存在の質を規定する。」逆である、すべては全体の中にあって相互作用によって相互に規定され、区別されるのである。関連の普遍性と、その具体的あり方が問題である。普遍は個別性をえて現実の姿を現す。普遍が実現するには、自らを否定し、差異、区別、偶然といったもので飾り立てなくてはならない。[1003]
相互作用は個別を区別し、存在を形づくる。相互作用は個別存在の存在単位を規定し、運動単位を規定する。相互作用の質は運動の質、存在の質である。複数の運動単位、複数の相互作用の重なり合った連関構造として個別存在はある。複数の相互作用が個別として自律する連関として他の連関と区別する構造を規定する。複数の相互作用連関全体が個別の存在形態である。同時に、個別を構成する相互作用の他との連関が、それぞれの相互作用の普遍として、全体との連関としてある。個別の存在・関連・相互作用として世界の運動があり、これが世界の普遍的存在であり、普遍的運動である。普遍的運動にあって、相互作用は互いを区別し、多様な個別存在を現す。どのように現すのか。[1004]


第1項 世界の構造

【相互作用の場】

相互作用は同一性と差異性の統一である。同一性がなくては相互に関係することも、区別することもできない。同一性は存在の普遍性から直接に現れる。相互作用は相互関係を実現する媒体の運動と、媒介される相互に区別する運動の統一としてある。相互作用を実現する運動は相互作用の場であり、一般的運動形態である。一般的運動形態の対称性が破れて相互に区別し、相互を特殊化する。一般的運動形態に対する特殊的運動形態として相互作用は実現する。相互作用は一般的運動形態を特殊化する新しい質の運動である。一般的運動形態を媒体として、一般的運動形態を相互作用の相互区別として部分に区別する。一般的運動形態を特殊化する運動の保存として個別の存在が実現する。他に対する自己としての個別存在は、他との相互作用の場に実現する。[1005]
陽子と中性子は強い相互作用の普遍性によって結合し、弱い相互作用を介して相互転化することで区別され、原子核を構成する。相互に区別できなくなると中性子星になる。原子核と電子は電磁場という普遍性の上で相互作用し原子を構成する。同じ電磁場によって原子と原子は電子を媒介にして分子を構成する。分子は化学反応の場で相互作用し、有機物を構成する。有機物は炭素化合物としてのアミノ酸、タンパク質を構成する。さらにタンパク質と核酸とのそれこそ相互規定、相互作用によって地上の生物を構成し、同時に物質代謝を実現する。物質代謝と遺伝の機構は地球生物の普遍性を表す。生物のエネルギー代謝はATPの合成と分解のサイクルを基本とする普遍性によって、食物連鎖を実現している。同様にアミノ酸の左巻きの旋光性も地上生物の普遍性を示している。生物の食物連鎖、エネルギー代謝は、太陽のエネルギーと低エントロピーを受入れ、地上の全エネルギー代謝をへて、宇宙空間へエネルギーを輻射し、エントロピーを排出する過程で成り立っている。生物種のうち有性生殖するものは、生殖の可能性で種が区別され、同じ種の場で生殖する。同じ人間であるから恋をする。母語が異なっても、外国語を学ぶことができる。[1006]
 すべてにつうじていることは、同一性と差異性の対立と統一である。同一性と差異性の対立と統一の重ね、積み上がった階梯としてすべてがある。同一性と差異性は同時に現れるが区別される。逆に区別とは、同一性と差異性を実現することである。同一性は個別存在にとって実現の普遍的場である。同一性としての普遍的場は相互作用によって個別を実現する。差異性は個別存在の表象である。普遍的場にあって、普遍性、すなわち対称性を破ることとして差異性が実現する。普遍性は対称性が破られることによって、部分の区別を実現する。対称性は破られても普遍性は保存されて、非対称生を個別として実現する。[1007]

【構造化・秩序化】

普遍性と個別性、同一性と差異性の重ね上げとして、全体の階層と個別の構造とが構成される。[1008]
全体のエントロピーが増大するには、全体はまずエントロピーの低い状態になければならない。始めエントロピーは低かった。全体のエントロピーの低い状態にあるにもかかわらず、部分は区別されず、一様である。始めに構造はないが、方向性が構造化の契機としてある。全体がただ一つの型=パターンとしてある。他に比べるもの、区別する物のない型は、「型」ではない型である。型は同等と差異の空間的、時間的繰り返しであるが、始めには繰り返しはありえない。始めには秩序を乱すもののない秩序しかない。[1009]
エントロピーの増減変化は、エネルギーの変化との相関としてある。しかし、エネルギーは保存されるものであり、増減はしない。エネルギーは集中した状態から散逸することで質を変える。集中は散逸過程を遡ることで言えるのであって、偏在としての集中ではない。偏在としての相対性は散逸化することによって可能になる。始めは他と比較しての集中ではなく、相対性としての集中ではなく、絶対的集中である。始めの集中の否定としての散逸化の過程で対称性が破れ、偏在が現れ、区別が秩序として表れる。[1010]
全体としてエネルギーの散逸とエントロピーの増大が並行する。部分にあってはエネルギーの散逸も、エントロピーの増大化も可逆である。エネルギーの散逸が一様ではなく、ゆらぎから差異が生じる。全体に対する部分の差異としてゆらぎが表れる。一様の散逸から、散逸が時間的差異、空間的差異として、互いに作用し、互いを区別して部分を現す。エネルギーの全体の散逸化は、同時に部分での集中を生じる。散逸過程での集中は相対的集中である。全体のエントロピーの増大化は、同時に部分での減少を生じる。エントロピーの増大化の必然性は、そのゆらぎの必然性によってエントロピー減少の必然性である。エネルギー量は不変であるのだから、エントロピーの増大化はエントロピーの減少によって相補されなくてはならない。[1011]
エネルギーの集中、エントロピーの減少としての部分は系として保存される。部分系は全体に対して開いているが、系内に閉じたエネルギーの変化としての型を保存する。[1012]
このことから、一般的にエネルギーの集中した状態、エントロピーの低い状態が質が高いと定義できる。主観的価値判断としての高低ではなく、全体の一般的方向性として質の高低が定義される。定義される質の高低によって。客観的価値判断基準が定まる。主観的価値判断基準をどう定めるかは勝手であるが、客観的価値判断基準は全体の一般的方向性によって決まる。[1013]
エントロピーの増大化過程を構造・秩序の崩壊過程としてのみ解釈する物理学者もいるが、現実の過程では構造が作り出されており、これを否定することはできない。エントロピーの増大化だけですべてが規定されているなら、エントロピーは一機に極大化、発散するだろう。熱量と温度だけで規定されているのだから。構造がどのようにして作り出されているかが解明されていないからといって否定はできない。生物進化の機構が明らかになっていないからといって、生物進化を否定する生物学者と同じである。生命は生まれ、生物は進化してきているのであって、エントロピーを減少させ、秩序を作り出し、秩序を保存してきている。検証可能性だけではなく、過程の実在性も根拠たりえる。[1014]

一般的運動形態は個別存在を媒介する普遍的運動である。特殊的運動形態は個別存在を規定し、個別存在としての相互作用である。一般的運動形態と特殊的運動形態は別個のものではなく、同時に実現されている個別的運動の質である。すべての個別存在は一般でもあり特殊でもある。それぞれの存在が物一般としては存在せず、具体的な個別として存在する。[1015]
一般的運動形態は、普遍的運動である。最も普遍的な運動は全体の散逸化と部分の構造化である。対称性が破れて構造、新たな秩序が形成される。全体として構造、秩序は必ず散逸化する。構造、秩序は一時的であり、一時的であるから再現する。永遠不変では再現のしようがない。散逸化と構造化は相反する運動であるが、同時に進行する相補的過程である。[1016]

【秩序の規定】

規定は自他の区別であり、全体における秩序の形成である。規定は観念ではなく、作用である。相互作用は相互関係として他と区別する作用であり、他との区別として自らを規定する作用である。他と区別し、自らを規定する作用を保存することが秩序である。秩序は与えられるものではなく、実現される。保存される秩序として型が表れる。秩序の実現として規定はエントロピーを減少させる。[1017]
対象として存在は、規定を保存するものであり、秩序である。対象化、秩序化はエントロピーを減少させるのであり、対象の相互作用関係の外にエントロピーを排出する。エントロピーを排出する機構として秩序が保存される。[1018]
規定は制限であるとともに解放である。対象化はまず制限である。エントロピーの増大化に対する制限である。秩序を保存する制限である。同時に、エントロピーの増大化からの解放である。秩序の崩壊過程からの解放である。修辞上の解放ではなく、秩序の実現、保存としての実在の解放である。[1019]

存在形態を獲得し、与えられた対象は、自らを規定する相互作用だけでなく、他の対象との間で新たに相互に連関し、相互に作用する。新たな相互作用の実現は、対象の存在自体を媒介する相互作用の普遍性によって保証されている。相互作用の新たな階層が実現する。対象の存在を媒介にして、相互作用の新たな階層が実現する。普遍性を規定して相互作用によって個別を実現する段階の次に、個別を組み合わせて新たな相互作用をつくりだす。新たな相互作用は、新たな秩序の実現である。[1020]

【相互作用の重層性】

相互作用一般には全体の同等性、部分の差異性が現れる。個別存在の相互作用は一般的運動形態と、特殊的運動形態の重層性をもっている。この一般と特殊は2種の区分ではない。互いに重なり合い、他とも重なる。[1021]
日常経験的個別存在は多様で大量の相互作用の統一としてある。対して宇宙では単純な個別存在が少数の相互作用によって実現されている。太陽のような恒星では水素とヘリウムとしての存在がほとんどである。水素原子の一般的運動形態はひとつの陽子とひとつの電子との相互作用として存在するが、太陽では陽子と中性子からなる原子核の相互作用、核融合反応が主要な運動形態である。対して日常経験的個別存在の代表である私たち自身は数え切れない種類の、数え切れない大量の、また未知の反応からなる相互作用系である。私たちを構成するアミノ酸は、他の動物と同じ一般的運動形態としてあるが、他の人でもない私を構成するタンパク質としてある。それも私の人生のごく一部を構成するにすぎない。物理学の基本的4つの相互作用であっても、単独では現れない。一つの原子であっても4つの相互作用系として存在し、しかも、何らかの天体なり、生物個体なりを構成している。[1022]
 相互作用の存在の重層性は、より基本的相互作用を一般的運動形態とし、より発展的相互作用としての特殊な運動形態を媒介する。相互作用の重層性は存在の質的発展の構造的基礎である。生物にあっても、発生という普遍的過程にあって、遺伝子に規定されながらも、個性的な個体を実現する。人間も人種などの区別を無意味にする普遍的人間性にありながら、個性的な、ユニークな人格を実現する。[1023]
存在は運動として、自己の外化としての自己産出と、自己の外化による自己組織化との重層性をもつ。存在形態としても、運動形態としても、運動を構造化し、発展させる過程として相互作用がある。[1024]

【相互作用の階層性】

相互作用の重層性は、一般的運動形態と特殊的運動形態としてのより発展的相互作用との間に階層関係を形成する。複雑で多様な個別存在の重層性は全体として階層構造を構成している。世界は階層構造として実現され、階層を積み上げて歴史を経てきている。単にエントロピーを増大化させる時間の経過ではなく、階層を積み上げて時代を画してきている。[1025]
より基本的相互作用はより一般的運動形態としての一つの階層としてある。相互作用は相互関係として一つの階層としてある。個別存在の運動形態は特殊化されているが、その存在は一般的相互作用によって媒介されている。相互作用は一般的運動形態として存在のあり方であり、運動の普遍性である。個別存在は局所的、局時的ではあるが局所性、局時性は普遍性を単に否定するものではない。個別存在は普遍性に対して特殊化しているのであって、普遍的に他と、全体と連関している。そうした普遍性として相互作用は積み上がる階層を構成する。相互作用は相互作用間の関連として、より発展的相互作用をつくりだす。より発展的相互作用間のより特殊な運動形態として一つの階層を積み上げる。より特殊な運動形態はより一般的運動形態を発展させた階層として積み重なる。[1026]
さらに、相互作用の発展によってより発展的な運動の作用単位、より発展的相互作用は基礎となる相互作用の特殊化したひとつの現れとして実現される。相互作用は階層をなし、多元・多次的な連関をなす。[1027]

【階層性の契機】

存在自体が普遍性と個別性の対立と統一として階層化の契機である。普遍的な相互作用の連関にありながら、他と区別する特殊な相互作用を実現しているのが個別存在である。普遍的な相互作用の階層と、特殊な相互作用との階層によって個別存在は実現する。[1028]
対称性は一つの階層を表す。対称性の破れとしての相互対象化は、それぞれの自己対象化として二重化する。他との相互対象化と自己の対象化としての二重化である。自己の対他対象化と自己自体の対象化としての二重化である。他を措定することとして同時に自己を規定、規律する。対称性を示す階層の上に対象化し、非対称な区別を実現する階層を実現する。全体の対称性の破れによって、個別存在が部分を実現する。こうして全体は階層と個別存在によって区別されながら、統一を保存する。[1029]

【個別存在と階層】

個別存在は個別存在自体のうちに階層構造をもっている。個別存在はその個別存在を含む階層、言い替えればその個別存在らが構成する階層において個別存在である。しかし、階層はより基本的階層に依存している。そして個別存在内の個別存在を構成する階層は、個別存在を取り巻く階層から分離されてはおらず、同一階層は個別存在の内外に関わらず、貫き、連関した相互作用の関連にある。[1030]
したがって、個々の個別存在について理解しようとする場合も、対象とする個別存在の階層にのみ限定してはならない。より基本的な階層からの構造も対象としなければならない。そのためには一般的な個別存在のあり方と、その個別存在の階層構造の特殊性を見ておく必要がある。[1031]
このように、個別存在と階層は対立する概念ではなく、相互作用における異なる現象形態の形式の違いである。[1032]
より基本となる個別存在の究極、すべての基本となる個別存在は、最も基本的な世界のあり方であり、その存在は部分と全体を分けることのできないものである。それは、究極物質として自然科学の追求するものと一致する。逆に、より基本となる階層からより発展的な個別存在を出現させる過程も、自然科学の対象になってきている。[1033]

【様々な階層】

階層は相互作用の機能によって特徴づけられ、存在の構造として現れ、また歴史として現れる。[1034]
階層はまず存在の階層である。物事が運動し、存在すること自体が階層を構成している。存在の階層であることによって論理の階層でもあり、論理を超える次元の階層もある。また工学技術的にも階層化が複雑なシステムを安定して構成するために有効である。コンピュータ、情報通信は階層によって複雑であっても正確なシステムを構成している。[1035]

第1に物質の構造、歴史としての階層がまずある。物質、生物、精神の階層である。個別科学の対象である。それぞれの階層のうちにさらに階層を構成する。というより、歴史的には基本となる階層の積み重ねが新しい存在形態の階層をつくり出してきたのである。基本的に階層は質的違いである。その違いの程度の量が積み重なって、ついに違いの程度量が質的に変わるのである。物理化学の対象は大きさ、エネルギー量によって区別できる階層を構成している。その物理化学の階層区分が通用しない階層として生物の階層がある。生物にも生化学反応系、細胞単位の代謝系、多細胞生物の個体の代謝系、ヒトなどの社会的物質代謝系がある。生物を超える精神にも他との反応系を対象とした感覚、感覚を対象とする知覚、知覚を対象とする意識、意識を対象とする自意識=自己がある。これら区分は公認されたものではないし、様々な異なる見解もある。しかし、このような有り様の違い、区分として階層がある。[1036]
この階層には同じ基準で区分できる階層と、区分基準を超える階層とがある。区分基準を超える階層間にも階層であるから連続性がある。歴史的連続性があり、同じ宇宙に連関する存在としての連続性がある。[1037]

そして第2に、眼に見える物質を超えるが、私たちにとって明らかに存在する、生命や意志の階層がある。生命は生物個体としてあるが、個体だけでは生命は維持されない。永遠不滅の個体はなく、世代交代による種として生命は維持される。さらに単独種だけではなく、多様な種の物質代謝全体として生命は維持される。逆に多様化し、進化するものとして生命の普遍性がある。多様化し、進化することによって生命は維持されてきた。[1038]
意志も同様に個人によって担われる。しかし、個人の意志だけでは意志は実現しない。何ものにも規制されない意識は生理的に反応するだけである。個人間の意志と意志との対立と統一の場に意志は実現する。対立と統一をするものとして意志は実現する。対立と統一するものとして、個人の意志と集団の意志が形成される。集団と集団の意志の対立と統一として政治が実現する。[1039]

さらに第3に、論理として構成される次数の階層がある。[1040]
単純でわかりやすいのが数学の例である。点、線、面、体として幾何学的次数がある。一次方程式、二次方程式、三次方程式として代数的次数がある。数学の骨格は次数によって構成されている。[1041]
次数は階層であるが、次元は階層ではない。時空の次元は階層ではない。数と記数は別の次元を示すが階層ではない。自然数は10進法でも、2進法でも、他の記数法でも書き表すことができる。[1042]
論理にも対象を扱う一階の論理。一階の論理を対象とする二階の論理、さらに高次階の論理がある。[1043]

したがって、世界観自体も階層構造を構成し、階層の構成を中心課題のひとつとして位置づける。存在の一般的有り様としての、階層一般がまず課題としてある。次いで「超える」こととしての階層は生命を実現し、意識を実現する機構を理解する課題でもある。「超える」形式は連関を機能の関係形式として実現する。さらに、関係形式の論理関係を定義できれば、具体的な回路として構成することができる。[1044]
事物の連関の質は、それぞれの階層間で異なるが、質を実現する運動量は同じで、区別のない一体の運動である。全体の質量は一定であるが、いや、エネルギーは一定であるが、エントロピーは全体として増大化し、部分として構造化し秩序をつくりだす。運動のなす構造である質が階層間で異なることは、解釈によって区別されるのではなく、機能の違いとして実現されている。[1045]

階層は区分一般ではない。また「括り」でもない。階層は区分であり、「括り」であるが、それだけではない。具体的な世界の構造である。[1046]
階層は単なる入れ子構造でも、要素の組合せ=モジュール化でもない。要素と集合という2つの階層を区別することはできるが、階層は逐次積み重なるから階層である。集合は集合の集合へと積み重なって階層を構成する。単に要素とその要素を集めた全体である集合との関係が階層になるのではない。それは階層の契機であって、集合が次階の要素となって次階の集合を構成していることが階層である。[1047]
階層性の課題として世界の具体的連関形式として観ることが基本的である。ただ階層一般として、階層間の連関=階層間インターフェースを理解することもひとつの課題である。どのように基本的階層は「超え」られているのか。「超える」とはどのようなことなのか。[1048]

世界の具体的な階層は第二部 「具体的な物質の運動」の中心課題である。[1049]

【階層の強固さ】

存在構造としての階層では、相互作用の質が階層の違いを表し、相互作用のエネルギー水準の違いとして現れる。それぞれの階層で存在構造は規定される。物理的物質の階層の強固さは法則の強固さである。量子力学が対象とする階層と、化学が対象とする階層とは排他的に区別される。法則によって区別されるのではなく、それぞれでの相互作用の場が異なる。電磁波によって化学反応が影響を受けはするが、直接ではない。電磁波は化学反応を担う原子、電子に直接作用することで、間接に分子に作用する。[1050]
法則は普遍であり、不変である。より発展的階層の作用によって、より基本的階層の法則が変えられることはない。より発展的な階層はより基本的な階層の法則の組合せに作用し、法則の現れを変えることができるだけである。逆に基本的階層の作用はより発展的階層の運動に対して決定的な作用をする。上部構造と下部構造の相互規定関係は、2つの部分の単純な対立関係ではなく、階層間の関係である。[1051]
生命の階層は生死として強さを示す。社会的、法的に生死はとりあえず定義されている。しかし解釈の違いを残している。生死は曖昧であるにもかかわらず、生命の階層と物理化学的階層とは強固に区別される。死んだものを生き返らせることはできない。逆に生き返らせることができなくなった状態が死である。医学が進むことによって死の定義は変わらざるをえない。しかし、変わるのは定義であって、生死の絶対的な区別が変わるのではない。[1052]
論理的階層としての次数の強固さは絶対的である。次数は関係形式として定まるのであって、どのように、何によって実現されるかには関わらないのであるから。[1053]

階層構造によって構造を強固な、安定したものにするシステム技法として別名=エイリアス(alias)がある。対象間の関係を直接定義したのでは、一方の構造が変化した場合、関係の定義自体もすべて更新しなくてはならない。しかし、別名によって間接的に定義しておけば、関係の定義を更新する必要はない。同様な手法として相対位置指定・オフセット指定がある。システムの構造化・サブルーチン化による保守の容易化は、階層構造による、全体構造の強化の意味がある。階層化によって、階層構造の強さを利用するのである。階層の強固さが、階層構造をなすものの強固さを実現する。[1054]
昔からの例で言えば、本の参照先をページ数で指定するのが直接的であり、章・節・項等で指定するのが相対的である。直接的指示は参照する際に便利であるが、本の組み版が変わったときには役に立たない。章・節・項等の階層構造を本に作り込むことによって、文の参照関係が、紙の枚数関係を超えた意味の階層を構成するのである。今時の例では、ハイパー・テキストのHTMLがCSSによってテキスト構造と表現構造とに分けるのも意味の階層と表現の階層とを区別して、利便性を強化している。強さは剛性だけではない。[1055]

【論理の階層】

論理の階層例としては、クレタ人エピメニデスの「クレタ人は皆うそつきである」がある。「クレタ人は皆うそつきである」という文言は単独では論理的に何の問題もない。破綻のないこの文言が、クレタ人であるエピメニデスがうそを言っているかどうかで問題になる。文言の意味の階層と、文言が使用されるコミュニケーションの階層とが区別される。[1056]
エピメニデスが真実を言っていれば、この文言は破綻する。エピメニデスがうそを言っていれば「エピメニデス以外のクレタ人に、うそを言わない人がいる」という意味となり、真実を表す文言となる。文言の意味の階層と、文言が使用されるコミュニケーションの階層の違いによって、文言の真偽が異なる。[1057]

論理の階層は、単なることば遊ではない。また論理的であることは、非実在性を表すものでない。論理の階層を切り替えスイッチを例に確認する。スイッチは継電器=リレーでも、真空管でも、トランジスターでも同じである。すなわち、物理的階層を超えた信号の階層を論理として構成する。[1058]
切り替えスイッチは電導体の回路と電流によって構成される。どちらも物理的存在である。[1059]
回路は電流を流す。電流の流れは回路によって規定される。[1060]
回路が構成するスイッチは電流によって生じる磁気あるいは電圧によって開閉される。回路は電流によって規定される。[1061]
回路と電流は相互規定関係にある。この相互規定関係は物理的関係である。物理的相互規定関係の全体の動作としてスイッチの入・切が実現する。この回路と電流の相互規定関係全体が2つの状態の違いを規定するとともに表現する。回路が開いて電流が流れない状態と、回路が閉じて電流が流れる状態の2つである。スイッチが入か切かは物理的相互規定関係からは決まらないが、物理的相互規定関係なしには実現しない。物理的相互規定関係を介して、信号が論理の階層を実現する。物理的相互規定関係を介して論理の展開が実現される。[1062]
複数の回路を組み合わせることによって、回路が回路を制御する。回路自体が回路を規定するのである。電流の入力に対し、電流を出力する「肯定」の状態と、電流を出力しない「否定」の状態とを区別して作りだすことができる。スイッチの入と切の単純な組合せによって否定回路、連言回路、選言回路を構成できる。スイッチの切り替え回路の組合せとして、形式論理のひとつの系を構成することができる。加算回路と反転回路(フリップ・フロップ)だけでコンピュータの演算を実現できる。[1063]
電流を流す回路自体は物理的に固定されている。回路自体は不変であるにもかかわらず、電流の状態が変化する。電流の状態の変化が論理的操作を実現する。論理の展開過程が、回路の物理的動作を規定し、信号の変換を実現する。[1064]
回路も電流も物理的相互規定関係にあり、物理的階層である。物理的相互規定関係が組み合わされることによって論理の階層を実現する。論理の階層の相互関係は物理的階層によって実現される。同時に論理の階層によって物理的階層のスイッチの状態が制御される。しかし、論理の階層によって回路自体を変更することはできない。論理によって回路自体を変更するには工作機械を制御することによって可能になるのであって、論理自体によっては不可能である。[1065]
この相互規定関係を信号系として解釈、利用しようとすると複雑になる。信号系としての階層が新たに重なり、さらに情報処理系の階層の可能性が重なる。[1066]

【論理の対象化】

論理は抽象的な観念としての存在するのではない。論理はブール代数としても演算可能であり、だからこそ包含関係図=ベン図、算法=アルゴリズムとして記述可能であり、コンピュータで対象化できる。人による説明や、議論の論理は誤りを含んでも通用するいい加減さがあるが、本来の論理は実在の関係として整合性が保存される。保存される整合性としての強固さが、論理の操作可能性の保証である。論理はブラックボックス化しても信頼できる。機器・システムのブラックボックス化が自己の危険をはらむのに対し、論理のブラックボックスは信頼できる。操作可能である。[1067]
コンピュータはプログラムによって、データを対象とする処理手順を規定している。コンピュータの高級プログラム言語は、プログラムを文字列として記述する。コンピュータは文字列として記述できるものはデータとして処理可能である。逐次翻訳実行プログラムであるインタープリタはプログラム自体を対象化し、操作可能である。論理手続きであるプログラムが、自らをデータとして対象化し、操作することが可能である。プログラムを書き換えることは、コンピュータの処理をその時々で変えることができるということにとどまらない。プログラムで設定した範囲の変更、コマンドの変更も可能なのである。ただし、プログラムをデータとして変更可能ではあるが、プログラムの論理自体を論理的に変更可能かどうかはわからない。論理を破壊することは可能であるが。[1068]
一昔前の表計算プログラムのマクロは簡単なインタープリタであった。変数の値を書き換えることも、変数の記述されているセル番地を指定する値を書き換えることも、コマンドの文字列を書き換えることも可能である。ただし、インタープリタを実行できるコンピュータはプログラム内蔵の逐次実行型=ノイマン型コンピュータであり、どの実行ステップでも処理対象データと処理プログラム手順とは同一であることはできない。プログラムに含まれる書き換えのステップは、プログラム自らを書き換えることはできるが。書き換えのステップ自体を書き換えることはできない。プログラムは演算部内のデータの転送等の処理方法を規定している。書き換えの対象はプログラムの一部であっても記憶領域から演算部内にデータとして転送されてきている。データとして演算部内に転送されながら、転送することを同じステップで実行することはできない。ここで処理するものと処理されるものは物理的に明確に分けられている。書き換えのステップは処理命令の指定でありながら、処理されるデータとして存在することはできない。[1069]

【複雑さ】

より発展的存在は、より多くの階層からなり、より多くの相互作用によって実現する、複雑な存在である。この複雑さは、要素の数量、要素間の関係、要素の多様性だけで測るものではない。複雑さは要素の数ではなく、要素が他との関係、全体との関係にあって、相互規定的に可変であることである。[1070]
日常経験的対象であっても、その個別存在を構成する要素、個々の相互作用がどのように実現し、その相互作用間でどのような相互規定が組み上げられているかを追跡し、明らかにすることは不可能である。まして、全体の動きを予測することは、自分自身についてであっても不可能である。対象は私たちにとっては無限の構成要素から成り立っており、それぞれが相互作用の連関のうちにある。さらに環境条件の偶然の作用を受ける。[1071]
しかし複雑であっても、その相互作用は普遍的過程であり、相互規定も普遍的である。その普遍性によって要素を概略で規定してモデルを組立、モデルを機能させることによって、複雑な運動過程を把握することが可能になる。しかも今日、モデルを構想するだけではなく、コンピュータ・シュミレーションとして具体化できる。コンピュータで処理できる複雑さ、精緻さは増し続けている。ただし、コンピュータ・シュミレーションの要素間の関係が対象系の構造を直接反映していることは少ないい。[1072]
また実在する普遍的な存在の運動を統計的に把握することも可能である。疫学は病原体を明らかにすることも、発症のメカニズムも明らかにできないが、伝染性であるかないか、伝染の媒介者は何か、その対策を明らかにしえる。[1073]

【階層の歴史性】

階層の歴史的現れは、各階層出現の時間的順序である。歴史は単なる継続でも、繰り返しでもない。歴史には段階がある。到達点を踏まえてさらに進めることによって、新しい運動・質が積み重ねられてきたのであって、単なる継続や、清算によってではない。時代はより発展的な物質代謝を実現し、組織することで歴史を画してきた。物質進化の歴史も、生物進化の歴史も、人類社会の歴史もである。普遍的な人格、普遍的な人々の生活がありながら、その現れは時代に応じた発展段階を示す。質的にではなく、同じ質をどれだけ多くの人々によって実現されているかによって示される。前進後退、浮き沈みはあっても、社会は発展してきている。[1074]
基本的階層からより発展的階層が実現される。この順序を無視して科学は成り立たない。秩序はつくり出されたものであって、秩序ある計画を実現する過程として歴史があるのではない。「絶対理念・精神」等は最後に作られたのであって、最初ではない。[1075]


第2項 存在の現象

私たちの判断基準、思考方法が日常経験的制約、というより基礎条件となっているのだから、それを超えて、存在を普遍的に観、理解しなくてはならない。存在は客観的に一般的現象として実現している。認識の主観的現象過程を一般的現象過程に位置づけ、評価することが必要になる。この作業によって、客観的認識が成り立つ。認識の主観的現象過程を対象間の相互作用の連関秩序を反映するものとして。[1076]

【ひとつの相互作用】

ひとつの相互作用だけでは部分と部分とを区別できない。相互作用は相互を区別する質としてあり、相互に変化する量としてある。相互の関係だけでは相互の区別があるだけである。相互に区別される部分がどのように存在・運動するかは規定されず、明らかにされない。左右を区別できても左右それぞれがどのようであるかは、何も明らかにならない。左右に区別する質そのものは別に規定されている。相互作用間の相互作用が現われなければ当の相互作用に部分を区別することはない。単独の相互作用はただあるだけである。他の相互作用と連関することで、それぞれの相互作用がどのようであるかが現れる。全体の相互作用にあってそれぞれの、ひとつの相互作用は現われる。[1077]
ひとつの波は部分を区別できない。連続した変化であり、形式的に取り出した部分は他の部分と区別できない。波の運動は全体としての一般的形態であり部分を区別できない。高低、粗密として相対的に区別されるだけであり、相対の基準は規定されていない。高低、粗密の区別は相互に入れ替わり、順次入れ替わる。媒質間の関係は相対的であり、相互に入れ替わる、相互作用の基本的形態である。[1078]
波形としての形式は移動し、媒質は相互に振動するだけであり部分を区別できない。減衰するのは他との関係によってエネルギーが失われるからである。エネルギーが失われなければ、他との相互作用がなければ波形は永久に保存される。他との相互作用がなければ、存在しても他に対して現れない。鼓膜等の振動板と相互作用しなくては音は空気等の振動を実現するが、音としては実現しない。[1079]
 相互作用は単独では有りえず、他の相互作用と連関している。全体の対称性の破れとして相互作用が実現したのであり、実現する。相互作用による対称性の破れが全体を部分に区別するのであり、部分がまた全体としてその対称性が破れ、新たな部分を区別する。この繰り返しとして世界は多様化してきたのであり、そこに孤立した部分も、孤立した相互作用もありえない。他の相互作用との連関のうちで個々の相互作用は区別される。他の相互作用との連関のうちで個々の相互作用が特殊化され、対象化される。[1080]

【相互作用の連関】

相互作用は単独では存在せず、他の多く、さらには全体の相互作用との連関のうちにある。相互作用による相互の規定、区別は2つの要素の対立と統一に限らない。同じ相互作用の場に多数の要素を規定、区別する場合が通常のあり方で、量としてある。基本的に2つの要素間の相互作用が相互に連関して広がりをもつ状態である。広がりとしての相互作用の連関は、全体として他に対しての運動形態を現す。水分子間の相互作用の連関は、液滴や水流、波として他と区別された運動の形を表す。ただ、多体系として相互関係を関数関係によって表現することはできない。全体を統計的に表現している。[1081]
閉じた系の内での相互作用は系の外に対しては連関をもたない。閉じた系内の相互作用は、系の外に対しては存在しないに等しい。まるで観測問題である。観測することによって存在を現す。しかし問題は、系の閉じ方である。完全に閉じた系などやはり存在しない。閉じた系は一つ、あるいはいくつかの階層内でのみ閉じているだけであって、より基礎的階層では閉じてはいない。閉じた系とは相対的な系である。最近の宇宙論ではマザー・ユニバースとか並行宇宙が話題になるが、私たちの宇宙を一応閉じた系として、相対的に閉じてはいるが他の宇宙との連関がありえるということで仮定が成り立つのである。[1082]

そして、当然のこととして異なる質をもった相互作用間の連関がある。異なった相互作用間の連関は異なる質のそれぞれを相互に規定する相互作用である場合と、偶然の組合せとしての連関がある。偶然の組合せとしての連関も、歴史性によって連関を実現する。量子のように個別性を規定できない階層では歴史性は成り立たない。局所的、時間的に区別される場合は、歴史性を現す。個別存在は偶然を介した過程を経ても、その原因を介して存在する。全体の歴史的過程の中に他との連関の中に結果されたものとして存在する。この場合の「歴史性」は段階としての歴史ではなく、他ではありえない現実の経過としての歴史である。歴史における「もしも」を排した、実在の連関としての歴史である。[1083]

【相互作用の重なり合】

相互作用は相互を部分として区別する関係であり、部分のうちに部分を区別する。相互作用は相互に部分を区別し区別された部分はさらに相互に区別される。相互作用は重なり合って多様化する。[1084]
複数の相互作用が重ね合わさることによって全体と部分は区別される。重ね合わせによって共通性と差異性が現われる。複数の相互作用間の共通性と差異性が運動形態の違いとして、新しい運動形態をとって現われる。相互作用のそれぞれの違いとしての差異ではない。重ね合わせによって相互に規定し合うことで、相互にそれぞれの現象形態と違った運動形態が現われる。他との連関のうちに、特殊化した運動形態として現れる。[1085]
同じ質の波であっても位相が違うだけで、位相の違いが共鳴によって唸りを生ずる。波の重なり合いとして共鳴は増幅する部分と減衰する部分を区別する。増幅、減衰はそれぞれの波の相互規定の現われである。それぞれの波の元の運動形態とは違った、振幅の違いとして、他と区別される部分として現われる。部分として他の部分と区別され、新しい運動形態として元の運動形態と区別される。部分にたいして、全体にたいして二重に区別される。区別は観察によって現われるのではなく、運動形態として存在そのものとして現われる。[1086]

私たちは、できあがった世界を見ていることにより、要素から全体を組み上げる指向にとらわれやすい。これまでの工学技術は部品を組み上げる技術が主流で、そのほとんどである。全体から部分を構成する技術は、削り込むことくらいで、質的に異なる部分を作り込む技術はほとんどない。[1087]
しかし、世界の歴史は全体の中に部分を作り込んで多様化してきた。宇宙の構造がそうである。宇宙のチリが集まって星をつくる場合も、元々チリはかつての全体が粉々になった星である。星はチリが集まるだけでなく、集まった全体が一つの全体に解け合い、やがてその内で分化し、構造をつくりだす。[1088]
多細胞生物個体の発生も、一つの受精卵からの分裂の繰り返しによって実現する。生命の発生もたぶん、タンパク質と核酸が混ざり合うだけではなく、相互作用のネットワークが全体として実現した上で、原始細胞を産み出したのであろう。[1089]
人間社会も、歴史過程の中で放散して複数の社会に分かれ、その社会がまた分業と協業を発達させて、複雑化していくことを繰り返してきた。単に人口が増えてきたのではない。[1090]

「科学は分析と総合でなければならない」、「認識は下向と上向を繰り返して深まる」といわれる。科学を批判して「西洋科学は分析ばかりである」といわれる。物事の存在も全体から部分の分化へ、部分から全体の構成へ、それぞれの方向性、その統一としてとらえなくてはならない。[1091]

【認知の現象過程】

認知も相互作用の普遍的な連関のうちにあるが、私たちにとっては重要な、特殊な過程である。認知の現象は私たちにとって3つの過程からなる。第3は私たち認知主体自体を構成する相互作用連関の過程(系)である。第1は私たち認知対象そのものの実現過程として、対象そのものの相互作用連関の過程(系)である。第2は第1と第2の連関をになう認識媒体の相互作用過程(系)である。これら3つの過程(系)はこれら過程の全体の連関の中にあって区別される。これら3つの過程は私たちの対象認知過程として、私たちにとって他と区別されるのであって、相互作用過程一般としては他と区別される特別なものではない。私たち主体にとってのみ特別な相互作用の連関過程である。[1092]
私たちが具体的に物を見る場合を例にするなら。私たちは光を見ることはできない。私たちは光を直接の対象にすることはできない。私たちは光が瞳を通過し、水晶体で屈折し、網膜の視細胞で光の受容体と化学反応しする過程で光と相互作用するのであって、光は見る対象ではなく、見る媒体である。そもそも光は粒子としても小さすぎて見ることはできない。見るには光が必要であり、光によって光を見るなどということは成り立たない。光は対象の電子との相互作用によって吸収されたり、または発せられる。それを私たちは対象が光を反射する、あるいは光を発すると言い表す。私たちの認知の場である日常経験の環境で、光は空気や水、ほこりと相互作用しながら私たちの眼に届き、視細胞で化学反応を生じる。[1093]
第1の対象である個別存在自体要素の相互作用によって自らを構成し、また他と相互作用をしている。その他との相互作用の一部として光との相互作用をし、大量の光との相互作用をし発している。[1094]
認知にとって肝心な第3の主体は、他と同じく相互作用によって自らを構成し、他とも相互作用をしている。主体は眼に届いた光の中から対象からの光を選別する。水晶体での屈折により像を網膜に結ばせ、水晶体を調節してピントを合わせることで対象からの光を選別する。さらに網膜での像の輪郭を際だたせる等の補正処理までも行う。光との相互作用によって生じた化学反応は視細胞、神経細胞内外のイオンによる電位差として、電気信号に変換される。眼で処理された信号は視神経を経由して脳の視覚中枢へ伝達され、イメージ処理され、対象を識別する。この一連の相互作用過程にあって、対象認知に障害があれば、障害を回避すべく主体は運動する。眼球を振動させたり、瞬きしたり、位置を変えたり、光との相互作用を調整する。さらに私たち人間の場合、見るための道具をも利用する。さらに対象を動かし、対象を変化させてまでして見る。[1095]
 認知の3つの過程はそれぞれに自律的な階層を異にする過程であり、その組合せは偶然によって大きく影響を受ける。それでも3つの過程が全体として統一され、連関し、主体によって制御されることによって認知が実現する。認知における対象化とは、主体がこの認知の一連の相互作用過程、3つの相互作用過程の全体性を把握することである。[1096]

認知を超えて、認識過程は対象評価の過程も重なる過程であり、第三編の課題である。[1097]

【対象の現象と認識の現象】

日常経験の世界での「現象」は直接認知しえないものであり、対象そのものではなく、間接的に媒介された対象を意味する。自然現象では蜃気楼とか、光の屈折、人魂。社会現象では流行のように。日常経験的に対象は確かな存在物として現象とは区別されているが、不変、不動の存在などはない。すべての存在は常に変化、運動しながら相対的全体として静止し、保存されているにすぎない。すべての存在は現象として現れている、と言える。[1098]
したがって「認識」について「対象の現れを見たり、聞いたりすることである。」とするなら、認識の対象はすべてが現象である。対象も、認識の過程も、認識の主体も現象である。対象も現象として認識過程に連関している。対象は主体から客観的に隔てられて存在しているのではない。ただし、現象一般としてあるのではなく、対象、媒体、主体はそれぞれに区別される個別存在であり、重層する階層にある。[1099]
対象の存在を規定する階層は、認識媒体を規定する階層とは異なる。認識媒体を規定する階層で、対象との相互作用が成り立ち、相互作用の連関のうちにあるが、対象の存在を規定する階層の一部分でしかない。光の例で言えば、対象を構成する表面の原子をめぐる電子と光の相互作用の階層での連関である。認識主体と媒体との相互作用も同様である。光は私たちと直接相互作用はしない。光は瞳、水晶体、視覚細胞内器官との間で相互作用するのであり、認識主体の認識過程の一部分で相互作用するにすぎない。[1100]

【存在単位】

世界の運動の主体が個別存在である。個別存在は全体の運動の作用点として全体の関連の中の結節点である。作用点、結節点として全体に位置づけ、規定され、被規定性が部分として区別され、他を規定し、自らを規定する。作用点として局所化され、時間的にも保存されることが存在の要件になる。保存される時間は私たちの日常経験からすれば、無に等しい短い場合も、無限に長い場合もある。全体の運動が部分の運動として相対的に静止し、他との相対的運動を担う。あるいは自律した運動として自らを規定し、他を対象化する単位が個別存在である。[1101]
そして、個別存在は発展し、より発展的な個別存在を作り出す。より発展的な個別存在を作り出すことは、そのより発展的個別存在間での相互作用、より発展的運動の相互関係として、新しいより発展的階層を作り出す。[1102]
また、より発展的な個別存在はその個別存在の内に階層を持っている。個別存在はその内と外に階層を持ち、階層の普遍として全世界と連なっている。[1103]

より発展的な個別存在は、普遍性を再獲得する。発展の過程そのものが全体の運動であり、普遍性の根拠である。その上で、特殊化した存在は、一面で普遍性を再現する。端的な例が「ミーム」である。文化の中に存在し、人から人へ伝えられる観念である。ドーキンスの利己的な遺伝子の解説で寓意されたが実在する。通常の意味での具体的個別としての実在ではないが、抽象的個別としての実在である。ドーキンスの示唆した遺伝子と相似の存在では決してない。ミームが主体となって人間を利用するのではない。人間の反映活動のうちに、人から人へと伝えられる存在としてある。「ミーム」はそれぞれの対象の反映であることを超えて、人々の個別性をも超えて、普遍性を獲得した存在である。対象を反映する観念として人の意識に存在し、人と人とのコミュニケーションの場で保存され、伝達される存在である。[1104]
例として数学特に幾何学での概念がある。三角形は辺の長さも角度も規定されなくても観念としてあり、人に理解され、伝達することができる。辺の長さや角度が規定されなくては三角形の大きさ、形は定まらない。にもかかわらず3つの頂点と3つの辺をもつ形として三角形は理解される。具体的、物理的な物の形に重ね合わせることもできるし、3人の人間関係の形象性を表すこともできる。数学の観念・対象には厳密に規定された法則があり、概念として定義される。ただし、すべての数学者、数哲学者が数学の対象の実在性を認めてはいない。[1105]


第3項 存在の構造

【階層と運動】

階層はひとつの運動形態の相対的全体における連なりである。その相対性は運動形態の一般性に応じて広い。重力は全宇宙を結びつけ、連ねている。[1106]
個々に区別される個別存在も階層構造をなしている。しかも、階層は個別存在の構造だけでなく、世界の構造でもある。[1107]

世界のあり方としての最も基本的な運動によって世界はある。すべての物の最も基本的な運動形態として世界は先ずある。この最も基本的な形態が最も基本的な物理的階層である。最も基本的な階層で物質の究極的構成単位が運動の主体として相互に関連し、全体の運動を実現している。[1108]
運動には階層の存在形態としていわば水平の運動と、階層の発展として垂直の運動とがある。水平の運動はエネルギーの質の転換と量比の変化である。この水平の運動では全体としてエントロピーは増大化する。垂直の運動は自己組織化の運動であり、階層を積み上げ、保存する運動である。この垂直の運動では部分的にエントロピーは減少する。階層は保存されなくては崩れ、消失する。階層の存在形態としての運動は量的変化として現れ、階層の発展形態としての運動は質的運動として現れる。[1109]

【存在の操作可能性】

存在は主体の対象であり、主体が操作可能な対象もあり、操作できない対象もある。そして主体自体が存在である。主体の操作可能性は、主体の階層規定によって制限されている。主体の属する、主体を構成する階層において、主体は対象を操作することができる。対象と主体とを相互に規定する階層で、対象を操作できる。主体であることを超えて離れて、対象を操作することはできない。肉体を伴わず、精神だけで対象を物理的に動かすことはできない。主体を構成する階層であっても、主体性を実現できない階層でもまた、対象を操作することはできない。主体である私たちは、道具を使わなくては原子、分子を直接操作できない。タンパク質、アミノ酸は食物として消化器内に取り込まなくては対象化できない。[1110]
対象の操作は、主体の勝手気ままにはならない。対象も主体もその属する、構成する階層の法則に従っている。従っているから階層に属し、構成されている。法則は破ることも、変えることもできない。できないから法則である。法則は組合せを変えることによって、現れを変えることができる。主体が対象を操作できるのは、法則の組合せを変えることによってである。法則によって規定された主体が、法則の組合せを変えられるのは、操作対象の階層を超える階層に、主体があるからである。[1111]
人が人を動かせるのは、物理知的道具を用いるか、人と人との合意、あるいは反発等の社会的関係の階層での相互作用を介して動かすことができる。自分の身体を動かすようには、人を動かすことはできない。[1112]
自分と対象との相互作用連関の全体を見渡す階層に立つことによって、主体としての自分を制御し、対象との相互関係を変えることで対象を動かす。主体としての制限を超えることによって、対象の操作が可能になる。相互関係であるから、多数の対象が関連しており、予測どおりに対象を操作できる保証はないが。[1113]

【存在の汲み尽くし】

存在は汲み尽くせないものか。[1114]
基本となる個別存在は、それ自体より基本となる個別存在を含まない。同じことであるが、それ自体の内に階層構造を持たない、そのようなものが存在するのか。物質の存在は場の励起された状態として、局所性が否定されるのかもしれない。[1115]
科学史上でも「究極の物質」にさらに構造があるとの発見が繰り返された。そのたびに「物質の存在否定」として、世界的に著名な成果を上げた複数の自然科学者が、物質の非存在の解釈を宣伝してきた。少なくとも私たちは今結論を出せる問題かどうかを判断して先に進むべきである。[1116]
究極の存在形態は存在一般にたどりつく。存在の構造は論理や観念の階層ではない。究極が存在するかも含めて実証の問題である。現代科学技術でも見極め切れていない。[1117]
階層構造の問題は、層の重なりの繰り返しをたどることではない。当面の一番下の層にたどりつき、その層の下にある階層を求めるというだけのものでもない。それぞれにスケールの異なる層が階層をなしている。おおざっぱに階層分けした階層のひとつひとつが、さらに細かな階層構造をもっている。一番下の階層だけでなく、現実の存在の汲み尽くせない階層性そのものが問題なのである。[1118]


第2節 現実存在

個別存在は様々な運動体としてあり、その運動の形態により多様な存在形態をとる。一般に個別存在は他の個別存在を要素として含む。個別存在のより具体的な存在の仕方、運動のあり方を整理する。[2001]
物体、個体、個物としての物象。[2002]
相互作用過程としての事象。[2003]
物象、事象の環境条件での実現としての現象。[2004]
現象の型=パターンとしての表象。[2005]
これらの区分は相対的である。私たちヒトは、日常経験からこれらの区別は絶対的違いであるかのように思いやすいが、相対的である。むしろ、個別存在の有り様のそれぞれの面の表れである。物象と事象は合わせて「物事」として日常経験の対象を指すことばになる。物事はすべて現象となって現実世界に実現する。現象には型があり、型の違いによって物事を区別する。型には型としての相関関係が成り立っている。[2006]
それでいて、個別存在は歴史的存在であり、歴史性をもって各々の発展段階にある。始めから物事の違いがあったわけではない。物事は単に繰り返しているだけではない。[2007]
歴史的発展により、運動は反映という特殊な相互作用、機能を成立させる。反映はさらに認識、意志へと発展する。[2008]


第1項 物象

「物体」は日本語では生物個体までも含まない。「事物」は事を含み、対象の存在形態の発展的区別を並列的区別としてしか表現できない。「物質」と言ってもよいが、「物質」は通常精神、意識に対する概念であり、存在のあり方を示すには適当ではない。「物体」は有形物としての意味が強すぎる。「物」ではことばとして一般的すぎる。とりあえず「物象」として個別存在の運動形態=存在形態を表現する。[2009]
物象は空間的存在であり、全体・他に対する相対的静止としての運動形態である。そのものの空間的広がりにおける区別を表す物である。一般に物の存在は空間的自律性、独立性としても理解される。不可入性が物象の存在を象徴すると考えられたこともあるが、不可入性が成り立つのは電子などのパウリの排他律が成り立つ極微の世界にあるにすぎない。身体を貫通している宇宙線を、私たちは感じることもできない。[2010]
物象は時間に対する対称性、時間に対する保存性である。時間の経過、他との相互作用の過程にあって保存される質である。しかし、これも相対的であって、永遠不滅な物象などない。そもそも、極微の尺度まで物象の有り様を追求するなら、その有り様はなくなってしまう。物象は物理化学の対象となる物であり、日常経験的に形ある物、その解釈の拡張として対象化される物である。[2011]

【日常経験的物の絶対性】

物象は日常経験的物の絶対性に依拠している。絶対性は日常経験の世界での絶対性である。それでも日常経験的には絶対不動の大地ですら地震で揺らぎ、プレート・テクトニクスは薄っぺらな大地がマントルの上に浮き、漂っているとしている。[2012]
「絶対的な物」など存在しない。しかし、日常経験の世界では「確かな物」が存在する。すべてが夢、幻ではない。「物の存在が確かでないから、すべては夢、幻である」との判断は、日常経験での実践を否定してしまう。日常経験の世界は限定された世界であり、その限定の中で「絶対」が成り立つ。私たちが生き、生活できるのは日常経験の世界が「絶対に」あるからである。[2013]
問題は逆に「絶対性」を成り立たせる日常経験の範囲を限定することである。日常経験は物象の「絶対性」に依拠して成り立っている。物象の普遍性が成り立つのが日常経験の世界である。[2014]
身の回りの物は今日も明日もある。食べ物は食べるまで、保存することができる。食べられなくなったら、ゴミにするか資源化するかを決めなくてはならない。紙は燃やすまで、メモとして保存することができる。家具も廃棄するまでは機能し続ける。物象は破壊されたり、消費されない限り自らを保存する。物象は外部からの作用に対する保存性としてある。[2015]

【日常経験的物の相対性】

人は、家は手入れをしなくては壊れること、食物を放置すれば、やがて腐って食べられなくなることを知っている。日常経験の世界の「絶対性」は制限され、その制限すら揺れ動く。[2016]
物象の「絶対性」、確からしさは物象でない事象との区別としてある。川は物象ではない。しかし、その水分子は物象である。液体としての水も物象であり、氷るとより確かな物象になる。結局、手に取って見ることが基準になっている。「手に取って見る」という日常経験が基準である。その基準の延長として、道具を使って見える対象も、物象である。顕微鏡を使って、望遠鏡を使って見える対象が物象である。[2017]
日常経験基準の延長の先で物象は消える。太陽は核融合反応の塊で、輪郭も定まらない。電子の軌道も線ではなくなる。私たちは物に囲まれて生活しており、物の存在を当たり前のこととしているが、物は極限られた特殊な存在である。[2018]

【物象の相互作用】

一般に物象自体構造を持ち、構成要素は各々の階層で他の物象と相互作用し運動している。しかし、同時に物象全体として統一されており、統一された構成要素の全体が保存され、相対的静止にある。日常経験的に石や机の分子運動や、分子の構造は私たちに認識できない。[2019]
物質を構成する要素の相互作用はそれぞれの階層の運動法則にしたがう。階層それぞれの相互作用にあって、構成要素の他との交替、化学平衡、物質代謝もある。構成要素個々の相互作用としては当該の物象と他とは区別されない。個々の相互作用は普遍的な運動であり、存在である。個別の物象としては、特殊で個別的運動、存在である。[2020]
構成要素個々の相互作用は組合わさって物象を形成する。個々の相互作用の組み合わせとして、物象に内在する相互作用間の相互作用が物象の運動を媒介、実現し保存する。他との相互作用を組み合わせる相互作用の実現・保存として物象の自律的運動がある。他に対する水平的相互作用と、他との相互作用の組み合わせを媒介・実現=保存する垂直的相互作用によって物象は存在する。他との普遍的な水平的相互作用の組み合わせを保存する、内在的な垂直的統合相互作用によって物象は存在する。垂直的統合相互作用によって、水平的他との相互作用が規定される。特殊によって普遍が規定される。ここでの水平、垂直は物理空間での方向ではない。他との相互関係を水平とする方向性の関係を基準にしている。[2021]

さらに、物象としての存在は物象存在の要素、個々の相互作用を統括して他と相互作用する。物象を存在させる水平的相互作用、垂直的相互作用の統括として、物象の独自的存在としての相互作用、物象独自の運動をする。水平・垂直的相互作用を基礎とする統括的相互作用が物象を物象として実現する。統括的相互作用が物象の存在の質である。統括的相互作用が物象の運動形態を現す。[2022]
しかし、統括的相互作用は統括する相互作用であり、統括される水平的・垂直的相互作用があって実現される。水平的・垂直的相互作用なくして統括的相互作用はない。全体と部分の関係としてみるなら、水平的相互作用は部分間の相互関係であり、垂直的な相互作用は部分と全体との相互関係である。[2023]
統括の作用は水平的・垂直的相互作用に作用するのではなく、他との相互作用としてある。[2024]
物象の運動は水平的・垂直的・統括的相互作用の総体としてある。水平的相互作用なくして存在はまったくありえない。この世界の存在は水平的相互作用としてある。垂直的相互作用が弱まれば、物象の相互作用は水平的相互作用に還元し、物象の存在構造が自壊する。物象の統括的相互作用は水平的・垂直的相互作用を組み合わせる作用としてではなく、物象の他に対する、他の物象との相互作用として作用する。[2025]
分子を例にするなら、分子を構成する原子核での陽子と中性子の相互作用、さらに原子核と電子の相互作用が水平的相互作用である。原子間の相互作用=化学結合が垂直的相互作用である。分子間の相互作用である化学変化が統括的相互作用である。[2026]
人間を例にするなら、水平的相互作用は物理的、化学的、生理的相互作用である。垂直的相互作用は個体としての物質代謝系であり、免疫系、神経系、筋骨系等である。統括的相互作用は生活(労働、学習、休息、余暇等)である。[2027]

【物象の規定性】
物象は物象として相互作用をする。個々の構成要素の基礎的な運動の全体が物象として、より発展的な運動をする。[2028]
向他的・水平的相互作用は向自的・垂直的相互作用によって統御され、規定される。水平的相互作用は垂直的相互作用によって方向づけられる。垂直的相互作用によって規定された水平的相互作用の組み合わせは、他に対して境界を構造化する。量的変化を質的に転化する氷と水液との境界面や、細胞膜のように物質的な膜として構造化する。[2029]
水平的・垂直的相互作用の規定性は、物象の存在規定である。物象の自律性・自立性は統御的相互作用として現れる。これに対し、統御された相互作用の総体としての、他に対する相互作用が物象を機能的に規定する。他の存在に対する物象総体の特殊化した存在=運動を実現する。物象は、そのものの存在の運動形態とは相対的に独立した、相互作用を他の物象との間で行う。物象としての物象全体の運動は、その存在の運動のようにその物象には属さず、他の物象との相互作用としてある。物象が存在して他の物象と相互作用するのではない。他の物象と相互作用するものとして、それぞれの物象が統御される。同じ水であっても固体、液体、気体と物としての有り様を変え、その有り様によって他との相互作用のあり方を変える。[2030]

物象は個別存在として保存されるものである。しかも、個別性それぞれに対応した、相対的な局所性をもち、また不可入性、排他性をもつ。物象の局所性は、時空間のうちに特定の位置を占めることである。不可入性、排他性は物象の占める時空間にはただひとつの物象しか存在できないことである。相互に排他的であるものどうしが物象として関連し合う。排中律が成り立つのは物象間の関係である。従って局所性、不可入性、排他性の日常経験的理解では量子を物象として認めることはできない。逆に量子によって物象の局所性、不可入性は否定される。[2031]

【物象の運動】

物象としての運動は、その存在の運動としてでなく、他の物象との相互作用・関連としてあり、物象を取り巻く、相対的な全体との連関である。物象を存在させる運動と、物象の他との関係としての運動は相対的に区別される運動である。[2032]
物象を構成する要素の相互作用は物象自体の存在として必然であるが、物象の他の物象との具体的個別的関係は偶然な外的条件である。この必然と偶然の区別自体相対的であるが、明らかに区別される。物象を構成する個々の要素と他との相互作用はそれぞれの作用関係として方向性をもつが、物象として統御された、全体によっても方向が規定される。構成要素の個別的運動方向と、物象全体の方向との対立と統一としてある。[2033]

このことに関係して、人体像の腕を構成する分子の熱運動がすべて同じ方向に振動する可能性は否定しきれない。その可能性は宇宙の歴史的時間を遙かに超えた時間の内で、今起こる可能性がある。その可能性が実現すれば人体像の腕が動いても不思議ではない。とまじめな物理学者が発言している。[2034]

個々の構成要素ごとに重心がある。しかし同時に物象全体の重心もあり、全体の運動は全体の重心によって表される。逆に重力の作用を無視できる同じ比重の環境では、全体の重心は物象の運動を規定できない。もともと重心の概念自体は、存在を規定するものではない。[2035]

 物象の実現過程での他との相互関係は必然であるが、その相互関係の実現は偶然である。必然と偶然の相対性である。他との相互作用の連関なくして存在はありえないのであるから、他との相互関係は必然である。いずれかの相互作用にあるのは必然である。その相互作用がどのようにあるかは偶然である。こうした必然と偶然との関係は、蓋然性と呼んだ方がよいのかもしれない。[2036]

【内部時間】

運動には周期性をもったものがある。物理的階層では物質の普遍性によって、周期性も普遍的である。一つの周期性をもった物質の内部運動は、世界のどこでも他の周期性をもった物質の内部運動と一定比の関係にある。一定の条件では物理的周期性は一定であるとしてよい。この周期的運動を基準にして、物理的階層の時間の基準が定まる。一般的時間である。絶対的時間ではない。原子の発振、パルサーの電波は時計の基準として使われている。放射性元素の半減期も一般的時間を表す。[2037]
物理的存在は典型的物象であるが、これに対して、一般的物象の運動経過はより相対的である。物象の階層によって時間の規定性は異なる。物理的物象であっても、惑星の公転周期はそれぞれに異なるが、公転半径と公転周期の相対的関係は普遍的である。より発展的階層では運動経過は相対的で、物理的時間に一致しない。生物個体の誕生、成長、生殖、老化、死の周期の例で時間経過がそれぞれで違うのは明らかである。[2038]
周期的でない運動経過は、同じ運動であっても条件によってまったく異なることもある。落体運動であっても摩擦の違いや、風等の影響を受ける。ましてや、生物では環境条件によって大きく影響を受ける。条件によって異なる周期的でない運動経過も、継起の順は一定である。継起の順は運動の法則性に従う。この運動の法則性に従う運動経過が運動の内部時間である。生物個体の発生過程あるいは一生の過程を例に取れば明らかである。[2039]
内部時間は一般的時間に対し停止することも、逆順することも、途中で終わってしまうこともある。内部時間の規定性は外部条件によっても大きく影響される。しかし、内部時間を規定する、内部法則の継起の順は定まっている。継起の順が一定であるから内部時間の停止、逆順が表われる。[2040]

【物象の相対性】

日常経験的に物象は安定し、何時までも残る物である。同時に昔から永遠不変な物などないと戒められてきた。日常経験的尺度を超えれば、永遠不変な安定した物など存在しない。宇宙自体が歴史的に運動しており、星々の生成消滅の姿は美しい映像を見せてくれる。極微の尺度では分子は常に運動している。さらに小さな尺度では真空のエネルギーから物質・反物質が対発生・対消滅し、沸騰するような激しい運動状態にあるという。[2041]
日常経験でも温度変化に常にさらされており、風や水の影響を受けている。最近は微量な化学物質の影響が多様な社会問題にまでなっている。芸術作品、歴史的資料に限らず保存には細心の注意、最大の配慮をもってしても困難である。物象は様々な尺度と階層で、それぞれに固有の運動をしている。そしてより重要なことは、すべては相互作用として連関して運動しているということである。物象が運動単位としてあるのではなく、運動状態が物象としての存在を実現しているのである。その運動の形式が保存され、静止が実現している。運動形式の保存は、もはや日常経験的物象ではなく、事象である。物象は事象と相対的に区別されるにすぎない。[2042]


第2項 事象

事象は「物事」の「事」である。運動の現れ、運動の存在形態である。

【変化と不変】

すべては運動であり、すべては変転している。そのすべてに対し、そのすべてのうちで相対的に不変に、保存されるのが事象である。変化の中の不変であり、対立する変化と不変の統一である。そして、変化するすべても保存され、保存される意味ですべては不変である。「不変」を「保存」に置き換えただけではない。「保存」には変化に対して抗する意味がある。「何が変化であり、何が不変であるか。」ではなく、相対的に区別される変化と不変の相互関係が問題である。[2043]
変化と不変の区別は「相互規定」そのものである。すべては運動であり、相互作用であり、相互作用によって相互を規定し、全体を規定する。その規定が保存すること、その運動が継続することによって現れる区別が変化と不変である。運動であり、相互作用であるから変化であり、相互の区別として不変がある。[2044]

日常経験的には、物象の相互作用系が個別存在としての自己規定を実現する運動である。事象は過程としての個別存在である。事象・過程も変化と保存との統一であり、変化と保存との相補的関係の運動である。全体の基本的関係は保存され、内部の構成要素が変化する。他との連関は保存され、連関の仕方が変化する。事象を構成する物象は変化・置換され、保存されないが、事象としての他との相互作用関係が保存される。[2045]
物象の総体としての運動は事象の現れである。位置の移動は典型である。移動の場合物象自体は保存されるが、他に対する位置関係が変化する。他との相互作用関係の中の構成要素としての物象の変化である。単に位置が変化するという形式ではなく、位置の変化は他との相互作用状態の変化としてある。物象自体変化せず、環境条件での相関が変化する。物象の内部運動がどうであれ、物象は保存され、他との連関が変化する。[2046]
これに対し、生物個体の有り様はまさに過程である。生物個体は他の個体と区別される物象としても存在するが、非平衡系を実現する運動過程である。代謝によって構成要素が常に更新され、代謝が止まれば即死である。さらに、生物個体の給餌、休息、運動、生殖等は事象である。また、生物個体は事故や病気による過程の中断がなければ、発生、成長、老化、死の過程にある。[2047]
日常経験的には、存在は確かな物象としてあり、物象の相互作用形態として事象が起こる。しかし、日常経験的に確かな存在である物象も、追究するなら、空間的にも、時間的にも変化に対して相対的に不変な事象の表れでしかない。[2048]

【存在形態の保存】

事象はAがAでなくなり、Aであり続ける運動である。事象内の相互作用は変化であるが、対外的関係は保存される。事象内の相互作用はAがAでなくなる運動と、それに抗する運動である。対外的相互関係の継続はAがAであり続ける運動である。したがって事象は内部の相互関係が保存されている間存在し、内部関係の解消によって事象は消滅する。[2049]
事象は内部の相互作用を、他との相互作用に対して相対的に自律し、自己規定として保存する。事象の自己規定により、諸相互作用の系が内部と外部に乖離する。乖離を作りだし、保存する作用が自律を実現する。[2050]
事象は物象と異なり、運動として変化する個別存在でありながら、そこに個別存在としての形・構造が保存されている。波や渦流は流れの特殊な形態の保存である。波や渦を実現する媒体は気体や液体としての物象である。事象としての波や渦は単に特殊な運動形態であるにとどまらず、他の物象を破壊するほどの実在性を示す。津波や竜巻、台風は事象であり、形を見ることもできる。[2051]

【運動形態の継続】

個別存在の運動は個別存在の内在法則によって継起の順が規定されている。継起の順は因果関係として表れる。個別としての存在形態が保存され、個別の規定性が保存されるのであり、変化は連続的であり、変化の変化も連続的である。自己規定を保存する変化は、自己規定の否定としての他への転化ではない。連続的変化はいくつかの区別される形をとっても、形の現れる順も規定されている。[2052]
個別存在間の相互作用も個別存在相互の規定関係によって継起の順が定まる。個別存在間の相互関係の継起順は相互関係の方向性である。個別存在間であっても相互作用であり、運動であり、方向性が表れるのは当然である。[2053]
個別存在間相互の関係は個別存在間の条件、他との関係条件によって運動形態に違いがありうる。しかし、個別存在間の関係には変わりはない。個別存在間の関係は保存され、関係の仕方に変化がある。[2054]
個別存在間の相互作用が継起の順として方向性をもって運動し、個別存在間の関係が保存される運動が過程である。個別存在間の関係が外部条件によって定まる運動と、個別存在間の運動が他との相互作用に対して自律する運動と、過程の自律性には幅がある。ブラウン運動はランダム性の象徴的事象である。ランダムであっても、運動自体は継続している。粒子が保存され、他との関係が保存されているのだから。水滴の落下運動は地上での標準的な事象である。水滴の位置が地上には達しておらず、地球との重力関係が保存されている間運動は継続する。整流と乱流は明らかに区別される形であり、形を規定するのは流速の違いであるが、流れの運動自体は継続している。また流速は連続して変化するが、整流と乱流との相互変化は非連続的な変化である。[2055]
事象がその内の相互作用自体によって規定されるなら、事象自体が運動主体としてより発展的な個別存在に転化しえる。事象は内部の相互作用を内在法則化することで、一つの物象となる。物象にも内部運動として事象がある。相互作用の内在法則化とは自律の過程である。法則ができあがっていくのではなく、規定性が保存されることである。法則自体は作られるような存在ではない。保存される規定性の表れが法則である。[2056]

【事象の規定】

事象は自己規定としてのみ実現するのではない。個別存在の実現も事象としての現れであるが、それだけでなく、個別存在間の連関としても事象はある。個別存在の自己規定自体が相対的である。事象は個別存在単独の運動・存在のように見えても、環境条件によっても規定されており、個別存在の自律的運動だけではない。[2057]
事象の規定関係が構造化し、構造自体を規定するようになると物象に転化する。事象の規定関係が事象を媒介する物象を構造化するのである。物理の単純な例では相転化に表れる。凝縮、凝固、結晶化で個別存在は相互関係構造を変えて物性を変え、物象として実現する。凝縮、凝固、結晶化自体事象の実現過程であるが、結果は物象の実現である。[2058]

事象は個別存在間の相互連関の保存としても実現する。一般に事象は個別存在の相互関係の組み合わせとして規定される。一般的事象は個別存在間の相互作用に表れる普遍的形式である。一般的事象は個別存在間の偶然の組み合わせであるが、形作られる形式は普遍的である。一般的事象は個別存在としての媒体の種類によらず、普遍的形態、運動形態をとる。水液であろうが油であろうが液体として存在し、運動する。[2059]

【事象の保存性】

物象の保存性は問題にならない。保存性こそ物象の本質規定であるのだから。物象に対し事象の保存性には限界があり、局所性はない。事象は局所的に実現されるが、その局所に制限はされない。事象には不可入性、排他性はない。事象は重ね合わせることができる。事象は相互作用の重なりとしてあるほうが普遍的である。事象の規定は重ね合わせることができ、重ね合わせても保存される普遍性にある。事象の様々な規定が、ひとつの個別存在として重ね合わされているのである。多様な、異なる個別存在に重ね合わされても、それぞれの事象規定は普遍的である。事象規定はそれぞれの個別存在の自己規定によって制限されない。事象は個別存在のもつ局所性に制限されない。[2060]
事象の保存性は他との連関のあり方、環境条件に影響されない普遍性にある。事象を構成する要素に対する恒存性として事象の普遍性がある。事象を構成する要素が入れ替わっても事象は保存される。。水流や渦で水分子は次々と移動し入れ替わる。また、事象を構成する要素に依存しない普遍性である。流れや渦は水であっても、油であっても、空気であっても流体力学法則を実現する。[2061]

【事象の再現性】

事象は生成、発展、消滅の後は他の運動形態に転化する。しかし、事象の生成、発展、消滅は一定の条件のもとで必然的可能性を持っている。また、その条件が一定であれば新たに、別に繰り返し現れる。さらに事象は、自らの過程を規定する構造を作りだすことで、自らの過程を再生産する。自らの運動過程を規定する構造は、自らを複製して事象を再現する。事象は再現可能で、繰り返し実現可能である規定として、普遍性を持つ。[2062]
ただし、複製としての再現は開いた系でなくては実現しない。規定を保存するだけでもエントロピーの増加を防ぎ、排出しなくてはならない。再構成するためにはエントロピーの増加を防ぐだけではなく、減少させなくてはならず、事象の系は開いていなくてはならない。[2063]
再現が可能であっても、全く同じものを複製することはできない。「全く同じものの複製」とは複製ではなく、意味自体が破綻しいている。別のもので同じように作るのが「複製」である。[2064]

【事象の普遍性】

事象は保存性として、再現性として普遍的である。もっとも単純な事象である拡散は必然ですらある。拡散の必然性は熱力学の第二法則が保証している。拡散しないことの方が特殊であり、そこには何らかの個別規定が作用している。最も単純な、普遍的な事象である拡散に対し、特殊な個別規定が実現し、保存されることの方が問題になる。事象の恒存性はどのようにして実現されるのかと。非平衡系はどのように保存されるのかと。自己組織化はどのように実現するのかと。これらの問題がすべて解き明かされなくとも、事象は実現し、保存され、再現されている。[2065]
実現し、保存され、再現される事象の普遍性は連関の形式である。原子構造が、分子構造が、細胞構造が、生物の個体組織が構成されることですべては実現され、保存され、再現される。部分の相互規定関係としてある全体の関係が、部分の相互規定関係を自己規定する形式が普遍的にある。これらの普遍的形式は法則として定義される連関である。[2066]
さらに個別の連関の形式間にも普遍性がある。空間をなす相互関係は幾何学の規定であり、時空間の関係形式として時空間の構造を定義する。数量関係は算術の規定であり、集合関係を定義する。[2067]
時空間の構造、集合関係によって事象を普遍的に定義する。定義できるのは事象に普遍性があるからである。時空間の構造、集合関係に普遍性があるのではない。普遍的でない時空間の構造、集合関係も定義することができるのだから。時空間の全体の形式と、重力の作用する局所的形式とは別の曲率で定義される。ユークリッド幾何学空間は普遍的ではなく、曲率ゼロの特殊な空間である。すべての集合の集合は定義できない。定義できるものは事象の普遍性を実現しているからである。[2068]


第3項 現象

事象の環境条件での実現が現象である。環境条件とは他との連関である。全体における場である。実現は全体の中に、局所性、局時性を獲得することである。事象は局所性、局時性をもたない規定であるが、実現するにはそれを獲得しなくてはならない。事象は普遍性を否定し、具体的に、個別的に実現される。[2069]

【現象の実現】

他との連関、全体の中での事象、物象の実現が現象である。事象、物象の連関としての現実世界とは別に本質界があって、そこから現実世界へ実現するのではない。抽象的個別の存在があって、具体的な他との関係に現れるのではない。相互に区別する事象、物象の連関として実現するのである。相互に区別する事象、物象は相互に区別する連関だけによって存在を実現するのではない。相互の区別の連関とは別の他との連関として全体のうちに実現するのである。全体の連関の内にあって、部分相互に区別することで、他とも区別されるのである。だから実践において、主観も主体として対象と相まみえるのである。[2070]
部分相互の区別は部分にとって必然の過程である。他との遭遇は相対的であり、偶然の過程である。他との連関は環境条件としてもたらされる。現象は必然の過程と偶然の過程として実現される。偶然の組み合わせによる他との具体的関係として、事象は実在する。他との関係の組み合わせは偶然であり、その具体的関係として事象は現象する。他との関係は偶然の組み合わせとしてあり、他との相互作用は様々な形態となってある。内的必然性は、外的偶然性において現象する。[2071]

【現象の対他関係】

時間的経過としてだけ現象が結果するのではない。存在そのものが現象として実在する。世界のすべての存在は他との連関としてあり、一つの全体の部分として運動している。他との関係、全体との関係にあり、運動することがこの世界に存在することである。[2072]

現象は偶然と同じものではない。現象は偶然を通して現れてくる過程であるが、偶然だけの不確かなものではない。偶然だけでは現象はありえない。必然があるから現象する。必然と偶然とによって現象する。現象は現実そのものである。必然も偶然もひっくるめた現実が現象である。現象が対立するのは必然ではなく本質である。本質の現象過程として現実がある。現象を対象とすることで本質と現実をとらえることができる。[2073]
現象と本質の実現過程として現実をとらえることは、とらえたものを現実において位置づけることである。現象としての現実と切り離された本質をもて遊んでも意味はない。現実から切り離された、現象を捨象してしまった本質理解は一面的、形式的論理しか反映しない。現象を明らかにしなくては、本質と現実を明らかにすることはできない。現象は存在論、認識論の根幹をなす問題である。[2074]

【局所性、局時性の獲得】

現象は全体の連関の中に現れることであり、他と区別されるだけではなく、他との間に位置を占める。全体をなす他との間に位置を占めることによって、他と区別され、所をえ、時をえる。場と時間とを限定される。現象は局所として、局時として実現されるのである。現象は局所性、局時性によって限定されて実現する。[2075]
局所性、局時性は時空の限定であり、偶然をともなう限定である。空間、時間における現れは、他との連関として、それ自体の規定だけでは決定されない偶然をともなう。他との連関は遭遇であって、必然的な過程ではない。[2076]

【偶然による修飾】

普遍性は対称性であり、個別存在相互を区別しない。個別として区別されるには、他との連関に、全体に位置づけられて現象することによってである。他との連関に、全体に位置づけられて現象することによる区別の獲得は、対称性を破る個別化であり、それは偶然である。普遍的存在は必然の過程にあるが、現象は偶然の過程で個別性を獲得する。必然の過程から偶然の過程への現象は確率の過程である。個別として区別される存在は、偶然の他との連関によって修飾をうける。偶然の他との違いが個別を区別する。偶然の違いがなければ区別することはできない。[2077]
世界が一つであり、普遍的統一法則を示しながらも、これ程多様であるのは、歴史的に偶然の修飾を受けてきたからである。

【必然的修飾】

現象の中に現象が組み込まれることで、組み込まれた現象は必然的な修飾を受ける。現象は存在の階層を貫いて系を構成する。現象は他に対して構造系としての連関を実現する。他との連関は構造系によって必然的に修飾される。[2078]
光は様々な波長の電磁波である。波長の違いが色の違いとして修飾されるのは、人の色彩感覚という構造系においてである。色が客観的な対象の性質ではないことは、サングラスをかけてみれば分かる。白かった対象が緑や黄色等のサングラスの色に染まる。しかし、サングラスの色に慣れると、白かった対象はやはり白く見える。また、ドップラー効果は対象との相対的運動速度によって、受け取る色を変化させる。さらに、色彩感覚は対象を含む形や、温度感覚等々とも相互に影響し合う。視覚は対象に対する構造系として対象を評価し、修飾する。偶然ではなく、必然的修飾だからこそ、対象を評価することができる。[2079]

一卵性双生児にも違いが表れる。例え他に対して全く同じであっても、向き合えば相互の関係によって違いが生じる。兄弟、姉妹と周囲から区別されようが、されまいが、同じ存在ではありえないのである。[2080]

【ランダム・ドット・ステレオグラム】
ランダム・ドット・ステレオグラムは左右に並んだ2つの点描を同時に見つめることで立体図を実現する。一見でたらめに描かれている点に対し、両眼の視焦点をそれぞれに合わすとと立体的像が見えてくる。左右の眼の視差に対応して一致する点と、一致しない点によって実際の点の位置の前後に像が見える。物理的には紙面上に存在する点であるが、両眼視することで別の奥行き位置に像が現れる。像の物理的存在の媒体は紙面上の点である。両眼視としての認識過程の相互作用の中に像は存在する。紙とインクだけであっては像は存在しない。現れた像は認識過程に現実に存在する。像の位置には点は存在しないが像は存在する。対象としての点の媒体と、両眼視によって対象を認識する視覚において像は存在する。存在させることができる。[2081]
立体視の認知システムを前提に実現する立体像であり、紙とインクだけでは2つの図でしかない。立体像は立体視の認知システムの上で実在する。[2082]
紙上の点と視認される像との関係は両眼視によって媒介され、点を媒体としての関係にある。存在の媒体と存在とは一致しないこともある。日常的には鏡像で確認できる。鏡像は対象を映しだすが、対象とは別の像である。しかも、自分を映すと左右は相関しているにも関わらず、逆転しているかのように見える。[2083]

 このような認知システムに媒介されて精神が実現される。精神の存在とはまさにこのような存在形態である。[2084]
 必然的修飾は人の感覚に表れるが、主観的なものではない。個別性を必然的な形として表す。個人を識別する方法として指紋が昔から利用されてきた。最近では虹彩や発声等も注目され、利用可能な技術が開発されている。また、シマウマやキリン等の文様も、現れるのが必然であるが、表れは偶然であり、個体を識別することが可能である。

【存在の継承性】

相互作用一般は、経過として、より前の作用はより後の作用を規定し、条件づける。偶然はあっても、より後の過程はより前の過程に規定され、条件づけられる。前の過程に規定され、条件づけられていない孤立した過程は存在しない。端緒がある場合は別として、私たちの関連できる相互作用はみな、より前の相互作用によって規定され、条件づけられている。新たに生まれたものも、生まれ出る連関を継承している。すべての存在は継承されたものである。すべての存在は継承性をもつ。[2085]

【存在の歴史性】

個別存在の各々は世界の初めから存在していたのではなく、何の脈絡もなく生じてきたのでもない。現宇宙の起源から、宇宙の運動の始まりから、その運動の発展として生じたものである。より基本的個別存在から、より発展的個別存在へと発展してきたものである。[2086]
個別存在の発展は単により発展的個別存在を積み上げるだけではなく、全体の発展とも相互に関係しつつ個々に発展してきている。生物は生物環境を作り出し、人間は社会環境を作り出して、既存の環境条件を変革する。[2087]
個別存在の構造の発展過程と、諸個別存在全体としての発展が歴史性であり、個別存在の構造あるいは、個別存在の出現系列においても歴史性が現れる。[2088]


第4項 表象

表象は現象間の具体的存在関係に表れる、現象間の境界関係である。表象=形は個別存在間の境界である。表象は形として保存される秩序を表す。保存されることで形は、時空に対する普遍的秩序を表す。[2089]

主観による対象化によっても大きさ、形は違ってくる。日常経験の対象である平滑な金属表面であっても、摩擦が生じるほどにデコボコしている。地図で海岸線の長さを測るにしても、縮尺と計測単位長によって違ってくる。また、海岸線は潮の干満、波によって刻々と変化する。主観が対象化する、日常経験の対象は、ごく限られた表象として現れる。[2090]

【表象の実現】

現象は多様な相互作用の重なりとしてある。さらに現象も重なり合って現れる。したがって、現象の形、大きさは現象を定義しなくては、定義できない。太陽の形、大きさは太陽の運動形態、存在形態を定義しなくては定義できない。太陽を光球層で定義するか、コロナまで含めるのか、太陽風をどうするのか。いずれも太陽の運動、存在である。誰でもが知っているはずのものであっても、対象の形、大きさすら一致した理解にあるとは限らない。主観による対象化による違い、不一致ではなく、対象そのものの他との相互作用の範囲が、階層の違いで異なっているのである。多様な現象それぞれの表象がある。少なくとも日常経験で対象となる個別存在は多面的であり、多くの表象を伴っている。[2091]
他との連関に実現する現象は、他に対して区別する部分としてまず表れる。現象は部分として現れる境界によって区別される。他との連関に境界づけられた部分として現象する。境界は範囲であり、形、大きさを示す表象として現れる。現象の連関における区別される部分として表象が現れる。表象それぞれは関係として区別され、区別される関係が表象一般である。[2092]
表象は私たちにとっては感覚の対象として現れる。人は視覚が主な感覚であるため、視覚としての形をイメージしやすいが、表象は視覚の形だけではない。対象は五感によって表象され、その統合として認知される。それぞれの感覚による表象を統合した表象として対象化する。視覚だけではなく、触覚によっても形は区別される。臭覚も加わると対象の個別性とともに、対象の他に対する、全体における位置も対象化される。統合された表象として、対象の雰囲気、気配もが対象化される。[2093]

表象は具体的、個別的区別にとどまらない。表象は普遍性と個別性の表れである。様々な質の普遍的規定は、他と区別されて実現することで個別性を現す。実現することで全体の中の唯一としての個別として区別される。普遍のままの質は対称であり、区別をもたない。普遍はそのままでは区別されず、他との違いを獲得し、対称性を破ることによって現実の存在として実現する。[2094]
個別として形をとる表象は、普遍性を秩序として表す。区別はされるが共通性の全くないものとしてではなく、同じものとして区別される。区別されるが普遍的である関係が秩序である。区別されなくては秩序は表れないし、普遍的でなければ秩序ではない。[2095]
抽象的関係であっても区別される個別存在は表象としてある。大きさのない点、巾のない線、角度・大きさの規定されない三角形など、幾何学的形は物象として手に取ったり、見ることはできないが表象としてある。[2096]
個別存在の表象を対象として、われわれはその表象の普遍性に秩序を見いだす。表象の示す秩序をとおして、私たちは対象の普遍性を認識することができる。[2097]

【表象の規定性】

表象は現象の現れであって、規定性を失ってはいない。現象は本質の現れであり、本質によって規定されている。同時に現象は環境条件によっても規定されている。ただし、表象の規定は普遍的な本質規定、一般的な環境条件規定だけでは決定されない。規定関係の全体、個別間の相互規定の全体によって規定される。表象の規定は規定関係全体の表れであり、しかも個別を個別として規定する個別的規定である。本質規定、環境条件規定に対する、実現規定である。個別が存在する現実自体によって規定される。全体にあって唯一の個別存在の実在を規定する。[2098]

個別現象の表象は、本質によって規定される秩序の表れである。表象にあって本質は形式的関係として現れる。表象において本質の質は捨象され、量関係のみが現れる。表象は形、大きさ、配置として規定される。いずれも全体に対する部分の関係形式である。[2099]
諸現象の本質の形式的表れとして表象は本質を捨象した形式の普遍性としてある。質的区別を超えた、形式の普遍性を表象は表わす。実在はそれぞれ唯一の個別存在であるが、同時に本質規定、環境条件規定を普遍的な型=パターンとして表す。表象は多様な個別現象に共通に現れる型=パターンである。実在として唯一の存在として他と区別されるが、同時に本質規定が同じもの、同じ環境条件にあるものは共通の型を表す。人それぞれに違う人格、個性、見目形であるが、同じ人間である。[2100]

【秩序としての表象】

本質の規定が現象するのであるから、その規定は秩序として表れる。環境条件によって表れ方は違っても、違った形で秩序が表れる。私たちは現れた秩序から、環境条件に左右されない本質を推論する。[2101]

最も単純な表象はあるかないかである。他との連関のうちに現象するかしないか、有るか無しかである。「有る」は「無し」を否定し、逆に「無し」は「有る」を否定する。他との連関は場としてあるのであり、相互の区別が現れれなければ、場を媒介とする区別もない。しかし、全体の連関としての場は実在するのである。全体の連関が破れることによって、相互区別が現れ、表象が表れる。表象は全体の連関に表れる。表象は相互区別として「無し」を否定する。相互区別が全体の連関に現れなければ、「有る」もないし、「無し」もない。相互区別が全体の連関に現れることで「無し」が否定され、表象が表れる。表象のあるないは抽象的な枠組み、桁におけるあるないではない。実在全体の連関に表れるかどうかのあるないである。[2102]
イメージとしては電子・陽電子の対発生・対消滅の過程である。発生した電子は「有る」であって、陽電子としては「無し」。粒子としての電子は陽電子ではない。電子と陽電子は電荷が違い、電荷以外の性質は全く同じである。電荷以外の性質は、他との連関に対しての区別である。電子が「有る」か「無し」かを陽電子との対ではなく、他との連関において、時空的に区別される位置でのあるなしは空想できるが、実在の問題ではない。陽電子との対を離れた電子の運動は、陽子や光子との相互連関としての問題であり、電子のあるなしの問題ではない。陽子との関係では電子のない状態は正孔と解釈された。正孔は陽電子ではない。[2103]

「有る・無し」の次に表れる表象秩序は、複数の表象間に表れる関係である。複数の表象間の間隔、配置、順序として表れる。間隔は距離として表れ、濃度としても表れる。配置は空間の形式的規定として表れる。順序は配置間の相対的関係、または時間の規定として表れる。これら多様な秩序としての表象は、全体の連関としての環境条件における本質の実現形式を表す。[2104]
空間の内容、質的な規定は相互作用によって規定される。[2105]

【形の契機、方向性】

すべての存在は相互作用・相互に規定される関係で運動をしている。運動が一様でなくなるとき、方向性が現れる。部分的に運動状態が変化するとき、相対的全体の状態が連続して変化するときに方向性が現れる。部分の状態変化は、運動自体が部分から全体に伝わる方向である。相対的状態の連続的変化は、状態の勾配として表現される。温度勾配、濃度勾配のように。状態の勾配は変化率として表れる。[2106]
部分と全体の相互規定関係として時空間が規定される。日常経験的世界はユークリッド空間であり、物理学がとらえているのは一般相対性理論を表象するミンコフスキー時空である。と言って許されるだろう。その中で相対的全体と部分の規定関係として個別存在の形が表れる。[2107]
方向性は物理空間に限らない。相互作用としての運動の自由度を次元とする方向性である。方向性自体は目標をもたない。方向性は相対的相互作用によって内在的に定まる。方向性をもつ運動を評価し、制御することによって目標が定まる。[2108]
方向性によって運動の形式が定まる。方向性をもった運動の他との相互関係として形が現れる。形は光の集合の包含関係として視覚されるだけのものではない。[2109]

【自他の相互作用としての形】

内部が均一で、他との相互作用の均一な存在は、三次元空間では球体を形作る。例えば無重力状態の均一な液体である。分子間の均等な引き合う力によってだけ形が決まる。他との境界に内外の相互作用を媒介する機能がある場合、その媒体は膜として、球殻を形作る。[2110]
球体に対して外部から一様な一方向の力、例えば重力が働く場合、その方向に突出し球形が歪み液滴になる。[2111]
球体の内部の運動がある場合も、形に歪みが生じる。例えば球体が回転運動をすると回転軸に直角の方向に遠心力が働き、球体は偏平する。[2112]
均一な存在が運動する場合、外部との相互作用に不均衡が生じる場合、いずれにしても一方向への運動が生じると極性ができる。極性は内部の運動に方向性を与える。外部との相互作用として外部からの力も、極性として内部の運動の方向性を固定化する。外部からの作用が内部運動の方向性に転化される。[2113]
極性は内部構造形成に全体としての方向性を与える。[2114]
発生卵の分割、構造化の過程で精子の侵入位置、重力、光、磁気、水分、栄養等いづれが方向性を与えるのかは不明であっても、分割に極性があることは明らかである。[2115]
他に対して相対的に独立した個別存在、個別存在として統一されている存在は、他との相互作用の運動の形として極性をもち、個別存在としての形をとる。[2116]
生物の進化の過程で形作られた複雑な、しかも合目的的な形は進化の方向性によっている。獲得形質が遺伝するかのような、「進化の意志」にもとづくかのような形の変化が現れる。[2117]
そして基本的に、全体と部分とが区別される時、全体の対称性が破れる時、部分間の区別としてゆらぎが生じることが必然であるようだ。ゆらぎという偶然が必然的に生じる。[2118]

【自己相似の形】

他との相互作用が内部の運動に対してほとんど影響しない運動、あるいは逆に他との相互作用が決定的な運動は、極性とは別の性質をもつ形を作る。[2119]
宇宙の泡構造、分子構造、結晶格子、雪の結晶、地形等、フラクタル図形としてコンピュータ・グラフィックでも再現される。[2120]
他との相互作用が内部の運動に対してほとんど影響しない運動は、全体構造から内部構造を規定していく構造化が進む。細密化の過程。はじめの形が繰り返される。部分の内に全体の構造が作り込まれる。[2121]
他との相互作用が決定的な運動は、構成要素の構造的特徴がより大きな構造に反映されて構造化が進む。単純な繰り返しが全体として複雑な形を作る。少数の規則が相互作用することで全体が複雑な形を作る。部分の形が全体に再現される。あたかも部分が全体を見通しているように形を作る。[2122]

生物の発生過程での細胞分裂は、形作りの両方の性質の組合せによっている。組織毎に違う細胞の機能分化としての細胞分裂が一方にあり、。同一組織内の同じ細胞の増殖過程での全体の構造化が一方にある。また、それらを特定の環境のもとで組み合わせ制御することで複雑な形になったり、異なる種であっても同じような形になる。[2123]

自己相似=フラクタル構造は価値にも現れる。価値のピンからキリまでの全体を一覧することは可能である。価値は創造にしろ、理解にしろ、追求すると追求の段階を経て、段階ごとに新たな価値の広がる次元が現れる。価値は自己相似の階梯として無限の広がり、深さを実現する。[2124]

【型としての表象】

相互規定関係は、全体の連関をなしているのであり、その規定が多様であっても、関係の仕方には共通性が表れる。全体の普遍性が表れる。多様な相互規定関係の共通性が型=パターンである。複数の同じ現象の表象であれば、同じ型として表れる。複数の同じ型として、それぞれ保存されて存在する。現象がくり返し現れれば、同じ型が再現する。[2125]
異なる事物であっても、環境条件との相互規定関係が同じであれば、同じ型が共通性として現れる。液体は何であれ液体としての型を環境条件に応じてとる。だから水の力学、油の力学にはならず、流体力学が成り立つ。生物の相同器官も、異なる種でありながら、同じ型の表れである。[2126]

【型の実在性】

型は構造として保存されることで、実在性を現す。油膜は、水と空気との環境条件にあって、油膜をつくる。生物細胞は疎水性と親水性のアミノ酸を組み合わせ、細胞膜として内外の区別を保存する。[2127]
型は機能を実現する。タンパク質酵素は、折り畳まれた構造によって、他の物質と選択的に結合する。熱などによって変成し、型が違ってしまえば酵素としての機能を果たさなくなる。[2128]

【秩序の実在性】

秩序は秩序の秩序を規定することによって秩序を保存する。秩序の秩序は現象を超える。異なる現象間で秩序は再現される。個別として区別される対象間には普遍的に自然数の関係が表れる。自然数の系は個別として区別される対象の普遍的秩序である。包含関係も乱れることのない秩序である。包含関係の普遍性によって対象の空間構造が規定される。ユークリッド空間に対して、フラクタル空間は繰り返される包含関係にある。クラインの壺の例は部分のうちに全体が繰り込まれる四次元空間にある。[2129]
表象の属性の第1は「有る」か「無し」かである。ここから自然数が導出され、形式論理が導出され、「有る」か「無し」かの連なりから幾何学が導出される。自然科学が感覚の対象を追究する学問であるのに対し、数学は知覚の対象を追究する学問である。[2130]
「有る」か「無し」かは肯定と否定である。肯定と否定と包含関係によって存在関係をを規定できる。[2131]
肯定(である)と否定(¬:でない)と包含関係=条件法(⊃:ならば)の存在規定によって連言(∧:かつ:and )と選言(∨:または:or )と同値(≡:等しい)を定義できる。命題論理のヒルベルトの公理系の例とのことである。[2132]
連言(A∧B)は¬(A⊃¬B)の省略である。[2133]
選言(A∨B)は¬A⊃Bの省略である。[2134]
同値(A≡B)は(A⊃B)∧(B⊃A)の省略である。[2135]
AとBが互いに異なる肯定であり、ここでの論理式での位置は相対的に決められるだけで互いに対称である。[2136]
この肯定に「すべての」「ひとつはある」と存在量の規定を追加した一般的公理系もある。[2137]

 本質の規定性が秩序として、他に対して保存される。他との連関にあって保存される秩序の表象が情報である。本質の具体的他との連関において表される秩序が情報である。具体的な他との連関は偶然の組合せにあるが、偶然にあっても秩序として保存される本質の表象が情報である。偶然に生じる雑音=ノイズに対して保存される秩序がすなわち情報である。ノイズの中に情報を埋め込んだものが暗号である。[2138]
情報によって物象の運動、事象が制御される。事物は情報によって表されるだけでなく、情報によって制御される。表象される秩序によって事物が制御される。生物の遺伝は、秩序の再現過程である。情報は生物によって反映され、生物個体の運動の制御として実在に作用する。[2139]

【表象と主観】

われわれにとって表象は他との相互作用、実践において重要である。主観にとって他=対象は表象として与えられ、獲得される。主観は表象を手がかりに対象の普遍性を理解し、働きかける。理解し、働きかけることで、表象が対象のどのような表れであるのか理解する。対象と表象との関係を理解することで、対象の質、量、そして環境条件を理解する。[2140]
さらに逆に、主観自体を理解する。主観自体は対象とどのように連関していて、どのような場合に誤りを犯しやすいか。何ができて、何ができないか。主観の、主体の限界を拡張するにはどうするか等。主観は表象をとおして、他と主観を理解し、主体を処する。[2141]
他に対する主観を理解することによって、他の主観を理解できる。主観の理解が対象の理解であるから、対象としての主観を、他の主観、他の主体として、他の人を理解する。そして同じ主観どうし、秩序として表象される情報を交換、共有することができる。ことば、文字、音、図、映像、表情等、多様な表現手段を用いることができるが、どのような媒体を用いても実現しているのは情報の交換、共有である。理解したからではなく、主体としての成長過程で実践し、技術も習得してきた。[2142]

【表象と仮象】

仮象は主観によって生じる。表象が現象と現象との境界としてではなく、主観による解釈として形をとったものが仮象である。錯覚も仮象である。主観にとって対象との偶然の相互連関が、対象の必然的相互作用と区別できていない表象が仮象である。[2143]


第5項 情報

通常「情報」は意味を伝えるものである。情報は意味の媒体であり、処理の対象である。「情報」は表象され、伝達され、変換され、制御に用いられる。情報学で「情報」は通信と制御の対象として定義される。しかし情報は「評価」なしに意味を担えない。「情報」は意識の対象であるが、意識とは独立に存在する。物事と同じ存在形態ではなく、物事の秩序の表象として情報は存在する。表象によって媒介される秩序が情報である。保存され、複写され、伝達され、評価される表象が情報である。表象は個別存在の他との連関を表す属性であるが、情報は個別存在間の関係として個別存在を超えている。ミームは表象ではなく、表象に媒介される情報である。[2144]
情報は実在の相互作用・運動の関係形式を表象するものであり、実在そのものの有り様を超えている。どのように超えているかをまず明らかにしなければならない。情報にとって対象となる実在は一連の相互作用連関過程である。実在の相互作用・運動は連関して全体の運動を実現しているが情報はその部分の関係を表象する。他とは区別される相互作用連関、保存するか再現する相互作用連関過程としての個別を対象化する。単純な連関過程もあれば、複雑に組織化した連関過程もある。しかし、いずれの連関過程もその内部の相互作用連関だけで孤立せず、他とも多様な相互作用連関過程にある。[2145]
単純な石ころも、多様な結晶の結合としての内部の相互作用連関だけではなく、他の石や水や空気との相互作用の過程、環境にある。光を反射し、熱交換する相互作用の過程もある。複雑な人間の場合すべての相互作用過程を挙げるだけで哲学書が完成する。[2146]
情報と情報の対象との関係をまず明らかにする。相互作用は情報にとってまず相互の反応として現れる。そして反応から情報がえられる。[2146]

【反応と情報】

非対称の相互作用は片方向の作用であるかのように表れる。地球は太陽によって暖められる。地球は太陽からの放射を受けて地球の熱循環を維持する。熱エネルギー、エントロピーの流れだけに注目すると、地球が太陽から作用を受け、反応している。太陽が地球に対して圧倒的な規模であるから一方向的な作用に見える。しかし全体は太陽を含む相互作用関係系として太陽系の重力の平衡関係にあって、熱エネルギー、エントロピーの非平衡から平衡化に向かって相互作用している。太陽熱によって地球が暖められる反応は、情報を受け取っているのではない。反応過程はすべてが情報過程ではない。反応過程は相互作用一般に現れる効果である。情報を相互作用一般に還元できない。[2147]
地上の単位面積当たりに受ける太陽エネルギーを測ることによって、太陽の温度情報をえることができる。しかし、このことは太陽からの情報を読みとったことにはならない。太陽と地球との距離。熱エネルギーを媒介する光の性質。地球の公転や自転。地球大気の性質や運動。等の前提となる情報に、測定した温度情報を組み込むことによって太陽の温度情報をえるのである。個々の反応過程がそのまま情報をになっているのではない。前提となる情報によって評価されることによって、反応が示す情報が読みとられる。[2148]
 反応を評価するには、反応系全体の関連秩序が情報系として表象されていなくてはならない。[2149]

【情報の基本過程】

情報は複数の反応間の組合せと、組合せに規定される引き続く反応の決定過程をその基礎にする。複数の反応間で、一方の反応によって、他方の反応のあり方が規定される。作用を受ける反応過程の切替=スイッチ機能が情報の基礎である。切替は切替えないことも含む選択の過程である。切替え機能そのものではなく、切り替えることによって反応過程全体の方向が規定される。規定される全体の方向が、他によって、環境によって評価される。[2150]
組合せの最も単純なものは2である。入力が1系統であっても、反応が「有り」か「無し」かの区別が必要であり、その場合「有り」か「無し」かを区別する時間的区分が前提になる。いずれにせよ区別の最小組合せである2つの状態を区別する入力に対し、同じく最低2つの区別される出力の一方が決定される過程で切替は実現する。[2151]
情報過程での反応は一つの区別される入力に対して一つの区別される出力をする。複数の入出力があっても、反応の入出力は一対一で対応する。単純な基本的型は可換な2値の一方の入力に対し、可換な2値の一方を出力する。出力を規定しない反応は情報を実現しない。反応に対し、情報は複数の入力の組合せに応じて複数の出力の可能性から一つの出力を決定する。[2152]
AならばCでは単なる反応である。AとBとの2つの可能性があり、Aが入力された時はCを出力し、Bが入力された時はDを出力する。BがAの否定であってもよい。複数の区別可能な入力が要である。入力に対して選択が決定されるのだから。単純な反応と違って情報が系として実現するには過程の全体が他によって、環境によって評価されなくてはならない。入出力の連関過程、過程全体の方向性が評価され、入出力連関が保存されるかどうかが評価される。有効であれば、入出力の連関は再現可能な過程として保存される。保存される入出力の連関過程は、生物では器官として実現する。[2153]
出力決定自体が同様に歴史的継承の結果として前提となる情報の前提になっている。反応系全体の方向付け、秩序付けが情報の前提である。情報によって方向付けられ、秩序付けられるのではない。情報が方向、秩序を決定するのではない。方向、秩序を表すものとして情報がある。[2154]
個別存在の相互作用過程の方向、他との連関形式の秩序を表す表象の形式が情報である。表象の表す方向、秩序は情報によって規定されるのではない。表象の表す方向、秩序は相互作用によって規定されている。その規定された形式が表象される情報なのである。[2155]

特定の作用を受け取る入力。これは対称な2つの区別される反応状態を弁別し、保存し、伝達する。個別存在間の特定の相互作用としてすでに選択された作用である。[2156]
入力に応じて変化するか、しないかを選択する。さらに変化する場合には、用意された選択肢を決定して切替える。選択し、決定した結果を出力する。[2157]
この3つの過程が情報系を構成する。通信においても制御においても同じ事である。通信においては入出力過程が通信線であり、切替が通信内容・データを表現している。[2158]
 したがって、情報は即自的な存在ではない。情報は評価されなくてはならない。情報は他との関係、全体での位置を評価されなくてはならない。単に「有る」か「無し」かではなく、区別される対象が「有る」か「無し」かが評価される。区別される対象は情報を表現する桁=ビットとして抽象される。桁なしに「有る」「無し」を表現することはできない。桁は対象の区別を抽象した形式である。桁は反応過程の保存によって、反応を実現する媒体として用意される。動物の感覚受容器も、測定装置のセンサーも、物質化された桁である。[2159]
桁が対象の区別の抽象であることは、測定精度が例示している。測定精度は連続的な形式ではなく、対象の区別である。対象の階層性の尺度である。測定精度を上げることは、少数で表せば桁を増やすことである。[2160]
桁は抽象的な数学的形式だけではない。分子レベルの存在を測る尺度、原子レベルの尺度、原子核レベルの尺度、プランク尺度と存在の尺度がある。存在の尺度間に整数比関係は成り立たなくとも相互の規定関係の階層が明確にある。[2161]

 情報は少なくとも3つの個別存在間の相互規定関係での反映であって、全体が一つの系を前提にして評価される。一つの系としての全体に、部分の関係を評価するのであって、単独の個別存在の問題ではない。関係系での位置づけであって、一つの信号だけを対象にしてもそこには何の情報も含まれない。一つの信号は他と区別されて信号であり、他と区別される配置によって情報の値を表す。[2162]

【表象として現れる秩序】

情報は複数の現象間相互に現れる秩序表象の第三の個別存在への反映である。[2163]
対象間に現れるそれぞれの表象は対象規定の環境条件に実現する秩序である。対象の存在規定は対象存在の保存秩序を表わす。対象の現象規定は他との相互作用規定の実現秩序として表れる。環境、他との関係に変化があっても保存される対象規定が秩序として表象される。その変化が対象の実現を脅かすほどになれば、秩序も揺らぎ、さらに進めば対象は他に転化し、秩序も別の形になる。対象規定が保存される程度の環境、他との関係の変化が揺らぎであり、揺らぎの中で秩序は保存される。[2164]

情報媒体は低次の情報であれば、様々な相互作用における物質の関係として現れる。高次の情報媒体は音声、文字、記号等々であるが、これらは媒体自体の物質的存在は単純であるが、媒体要素間の関係は非常に高度で、言語学一つとっても解釈すら一致していない。私たちにとって直接的に重要なのは脳を媒体とする情報系である。[2165]

区別される複数の状態の組合せとして情報はある。組合せが情報として意味づけられる。組合せは対象によって規定されている。対象の規定性が組合せとして表象される。対象の規定性の表象は、対象の本質の表象であり秩序である。秩序は主観によって評価される形式ではなく、対象の本質、規定性の表象として表れる形式である。情報学での情報エントロピーとしての秩序は、この対象の規定性の表象形式のことである。[2166]


第3節 認識の契機


 意識があって、認識されるのではない。認識があって、対象があるのではない。対象間の関係があって、認識が成立する。認識があって意識が実現する。認識成立の契機を整理する。[3001]

第1項 反応から反映

【保存される作用】

個別存在間の普遍的関係では普遍的相互作用が法則として実現している。個別存在間の偶然の関係では局所的、局時的相互作用が実現する。相互の組合せが局所的、局時的であるから偶然の関係である。組合せの自由度が、出会いの自由度が偶然性である。他から、全体から規定されていないから局所的である。それぞれの継承が異なるから局時的である。局所的、局時的偶然の相互作用結果がそれぞれの個別存在に保存されることが認識の契機になる。単に普遍的であれば、必然的であれば、反応関係を保存する必要はない。単に繰り返され、持続されるだけである。単に繰り返され、持続されない関係が、たまたま何度か繰り返されるから、それが同じ作用であるのか、普遍的な作用であるのかが問題になる。[3002]
相互作用は過程であるが、個別間の相互作用はそれぞれの個別の有り様にも作用する。個別存在の有り様は固定した構造ではない。個別存在の有り様は、個別にとっての普遍的相互作用の実現としてある。すべての存在は運動過程としてあり、固定した構造と見えるものは要素間の関連が不変に保たれているからである。個別間の相互作用は個別存在の保たれている不変的構成要素間の関連にも作用する。個別存在の普遍性を実現し、個別存在を不変に保っている過程に作用する。個別存在間の偶然の相互作用は局所的、局時的であるとともに、個別存在の有り様にも作用し、それぞれの個別存在に継承される。相互作用の結果がそれぞれの個別存在の有り様として保存される。相互作用による個別存在の有り様の変化は、痕跡として保存される。さらに痕跡を受け入れ保存する過程が、個別存在のあり様に組み込まれるまでになる。相互作用の過程が相互関係の構造として固定される。[3003]

日常経験的に他との相互作用は、記憶として、反応の習熟として、さらには能力の発達として保存される。感覚、運動器官も、記憶器官としての脳も、反応過程を保存する系として進化してきた。[3004]

【相互作用の保存形式】

相互作用結果の保存形式も物質の階層に応じている。[3005]
相互作用結果の保存形式の最も基本的、単純な形式は個別存在要素の配置の変化である。相互作用の結果は個別存在の形状の変化として残される。外観の変化、内部構造のひずみとして保存される。物理的保存である。剛体と剛体が衝突すると剛体内の分子の連関に作用し、作用量が大きければひずみを生ずる。さらに大きな作用を受けると、分子の連関を断ち切る。[3006]
化学反応自体は分子間の相互作用であるが、化学反応として個別存在間の相互作用が実現されれば、個別存在内の要素に化学反応の生成物が保存される。化学的保存である。[3007]
さらに個別存在内に複数の化学反応が相互に連関する化学反応系があって、個別存在間の相互作用によって反応系の個々の化学反応の連関に変化が生じたり、別の化学反応に置換される場合もある。化学的ではあるが、構造系的保存である。[3008]
生物は物理的、化学的、構造系的保存の継承としてその物質代謝系を進化させてきた。植物は日光をより効率的に受け、養分をより効率的に取り込むように個体は成長し、種は進化している。植物の中にも太陽を追って花を向けたり、虫を取り込んだり、触れると葉を動かす反応をするものもある。動物は個体としての反応系を特に進化させた生物である。動物の場合単に相互作用結果を受け入れるだけではなく、対応する運動を積極的に行う。単なる相互作用の保存を超え、相互作用自体を制御しようとする。神経系は単純な反射作用で運動を制御することを基礎にしている。反射の階層化と、階層化した全体の反射反応のパターンが個体の対象と対応関係を形成し、中枢神経系に進化した。[3009]
こう推論するのが自然の過程であるはずなのに、検証に値するデータがないと否定されている。自然科学者であっても意志や理性の問題になると神秘主義に捕らわれてしまって、自然の論理を無視してしまいたくなる者が多いようだ。[3010]
 このように物質の階層性自体が物質進化を保存している。物質進化の歴史は物質自体の構造、運動として保存されている。[3011]

【反応の一般化】

個別存在間の相互作用は各々の個別存在内の運動と連なり、個別存在内の運動を経てさらに反作用し合う。個別存在間の特定の相互作用は関係する時だけの運動であるのに対して、個別存在内の反応機構は個別存在間の特定の相互作用にない時にも保存される。個別存在内の反応機構が特定の相互作用に対する反応系として、個別存在の構成として保存される。この過程での保存は、生物にあっては細胞内の反応機構としてだけでなく、新たな反応組織の形成としてある。細胞内の反応機構として複雑な過程を組織している。特に細胞分裂は自己否定をくぐって反応機構を再生する。[3012]
特定の個別存在を対象とする反応機構、反応系であっても、対象となる個別存在のすべてと相互作用はしない。個別存在間の特定の機能的相互作用である。感覚は表象として対象をとらえる。視覚も可視光という極限られた範囲の波長の電磁波としか反応しえない。特定の機能的相互作用に対応する反応機構、反応系である。特定の表象に反応する。逆に同じ特定の機能的相互作用を実現する対象であるなら、反応系は他の個別存在であっても反応する。対象となる個別存在が同じ特定の機能的相互作用するものは、対象化する個別存在にとっては同じ存在である。カッコウの卵はホオジロにとって大きすぎても抱卵の対象であり、生まれた雛は給餌の対象である。[3013]
同じ特定の機能的相互作用が特定の対象との相互作用一般に捨象される。個別存在間の相互作用を抽象し、対象の偶然な、詳細な個別性を捨象し、一般的な作用効果に対して、個別存在内に保存される反応機構が実現する。単に表象を反映するのではなく、表象関係を作りだす。感覚は表象関係を主体につくりだした進化の成果である。[3014]
個別存在間の相互作用が直接的でなく、媒介されたものであるなら反応機構の一般化はより普遍的になる。視覚、聴覚、臭覚、味覚は光、振動、微粒子に媒介されている。これらの人の感覚は単純な媒介関係にとどまらず、経験、実践における統合として働く。そのため要素それぞれに結びつくが、個々の過程を反省するなら、対象の個別性を捨象し、普遍性を抽象していることが納得できるはずである。他人には双子を区別することができない。識別は訓練を経ねばならず、人は生まれてからその訓練を経て、さらに専門的識別は専門的な訓練を必要とする。日常経験的訓練だけでは本人と、鏡に映った象、スクリーンに映った象を見ても同じ人物であると認識してしまう。[3015]
捨象、抽象は高度な思考力などではなく、相互作用に対する反応機構の一般的機能を基礎にしている。[3016]

【反応の入出力】

個別存在の反応は入出力系でもある。相互作用の連関で反作用を実現する。力学的反作用は相互に作用する直接的反作用である。力学的反作用に対し、反応系の反作用は相互の連関自体に作用する。単に相互作用結果を保存するだけではない。反応系は自らの有り様を変え、自ら運動することによって相互作用関係自体を変える。[3017]
この過程を機能的に見る。反応系は個別存在自体に取り込まれた反応過程を対象化する。反応系は直接的反応過程を対象化し、対象との連関関係を作用過程の再現可能な系として保存する。一定の作用に対応して再現する作用過程の系を形成する。特定する再現作用過程を対象とする個別存在との作用関係に戻す。受けた作用に対する特定の再現可能な反応過程への継承、さらに再び対象との相互作用過程への作用は否定であったり、別の作用であったり、無視であったり、個別対象の有り様に応じて選択される。選択の自由度がどの程度であるか、生物進化の自然選択の場合もあり、一般的に規定されはしないが可能性はある。可能性がなければ生物の反応系は進化のしようがない。[3018]
反応系は特定の個別存在間の相互作用にとどまらず、環境条件一般に対して反応する。反応系は個別存在の有り様として自律的な反応機構を実現している。反応系は他の個別存在、環境条件一般からの作用を特定の作用として対象化し、入力とし、自らの有り様を変えて他との相互作用関係に新たな運動を出力する系である。[3019]

【反応系の機能】

生物の反応系は複雑なので、反応過程をモデル化して、基本となる動作を確認する。単純な2つの区別とその切り替えだけからなる反応系である。[3020]
 反応系の基本は入力の「有る」「無し」を区別する。対象のあるなしは直接的反応過程ではなく、反省されて初めて評価される。ここでは直接的反応過程である。反応回路は「有る」「無し」を受け容れる桁=ビットの組である。反応回路は物理的存在としてあるが、入力は対象との相互作用であり運動状態である。運動状態が物理的存在である反応回路に現れることで、反応としての機能が実現される。反応が実現されているか、いないかという運動状態が対象化される。反応系は対象が何であるかにはかかわらない。対象との関係可能性は反応回路として既にできあがっている。どのようにできあがったかは、個別科学の課題である。[3021]
反応系による制御は入力を規則的に変換することで実現される。変換が規則的でなければ制御は不可能である。入力に対する出力が一対一対応であるだけなら、直接的反応関係と同じである。複数の入力の組み合わせによって出力が選択・決定されて、制御が可能になる。[3022]
「有る」「無し」の2つの状態と、複数の入力に対する組合せが基本になる。複数の入力の最も単純な組合せ数は2である。したがって、4つの組合せが可能になる。2つの場の2つの状態の組合せである。「有る」・「有る」、「有る」・「無し」、「無し」・「有る」、「無し」・「無し」の組合せである。[3023]
そしてこれは、入力に対する出力の組合せの可能性でもある。入力「有る」に対して「有る」を出力する。または、入力「有る」に対して「無し」を出力する。入力「無し」に対して「有る」を出力する。入力「無し」に対して「有る」を出力する。これ以外の組合せはありえない。[3024]

【反応系の構造】

反応系が実現するためには3つの機能からなる構造が必要である。[3025]
(1)「有る」か「無し」かを実現する媒体。[3026]
(2)「有る」か「無し」かを判定する機構。[3027]
(3)「有る」の場合と「無し」の場合でのそれぞれの処理手続きである。[3028]
情報処理でいえば(1)はデータであり、(2)はハードウエア及びプログラム(3)はシステム規則・アルゴリズムである。[3029]
「有る」「無し」の最も単純な区別を、最も単純な肯定と否定で処理する。この関係を規定する。[3030]
(1)「有る」「無し」は桁=ビットに対応しての対象の存在状態である。対象は桁に規定された存在状態として「有る」か「無し」かである。[3031]
(2)桁の位置に対象との相互作用が「有る」か「無し」かを検知する。[3032]
(3)検知された結果により、「有る」を「有る」か「無し」かに置換する。「無し」を「有る」か「無し」かに置換する。[3033]
(4)置換結果が反応として出力される。[3034]
この4つの置換処理を組み合わせで、対象との相互作用を制御する手順がシステム規則である。[3035]
どのような置換が有効であるかによって反応系自体が選択され、保存される。入出力に対するこの3つの機能の構造形が反応系である。[3036]

【反応系の適用】

単純な反応系を基本にして対象を単純化してより基本的個別存在を追求するか、あるいは全体をひとつの存在として抽象することによって複雑な個別存在を追求する。いわゆる分析と総合も、同じ反応系によって実現される。[3037]
さらに、対象との連関にある主体としての個別存在=自己を対象化する。対象と自己との連関形式を対象化することで、自己を対象化し、連関形式を対象化した自己と対象化する自己との連関に引き写す。対象と連関する自己を対象化する。自己対象化である。自己の内に自己を含む対象を取り込む。自己言及を可能にする。[3038]
反映は対象と主体としての個別存在=自己との相互作用に現れる表象の実現である。対象の、対象間の普遍性が自己のうちに秩序として反映される。再現可能な相互作用は、対象個別との反応を反映する。相互作用間の普遍的規定関係は法則として反映される。個別の存在と法則は秩序として反映される。[3039]

【反応の対象化】

反応を対象化できる個別存在は動物である。あるいは動物である人間によって作られた情報システムである。個別存在のうちに受け容れられた反応を個別存在が対象化、自らを対象化するのであるから、動物の神経系によって、それは実現される。例えで示せば、反射反応は直接的な反応である。条件反射は、反応を対象化している。自らの部分を対象化する。自らの全体を対象化する前段階である。[3040]
 反応の対象化が反映である。反応が個別存在の反応系として個別存在のうちに反応機構として構成されるなら、反応系はその機能を反応機構自体に向けることが可能になる。反応系は相互作用する個別存在を対象化するが、それは対象である個別存在からの作用を受け入れることで対象化する。受け入れられた対象からの作用は、個別存在の内の反応過程である。他から受け入れる反応過程と、それに引き続く反応過程に質的違いはない。他から受け入れる反応過程を対象化する反応系は、その同じ対象化の機能を引き続く反応過程に向けることに質的違いはない。違いは受け入れる反応過程は相互作用の対象との相互規定関係にあるのに対し、引き続く反応過程は自らを構成する要素からなる。[3041]
個別存在の相互作用の対象との関係が、自らの内の反応系の過程として対象化される。自らの内の反応過程として個別存在の相互作用の対象が重ねられて対象化する。自らのうちへの対象化が反映である。個別存在の相互作用の多様な経験は自らのうちに対象を再構成する。[3042]

【反応系の対象化】

入力の組合せに対し反応系で出力を選択する。出力の選択は組合せの可能性の中から、反応系自体の被選択として選択され、継承されてくる。反応系自体が対象化されて、選択される。[3043]
入力に対して出力が対応するが、入力が一定であれば出力も一定であり、直接的反応にとどまる。実際には入力は複数あり、その組合せに対する出力の選択・決定が反応系の媒介する機能である。実際には対象からの入力は多様であり、その中から対象を捨象している。[3044]
入力の対象化は、入力の区分化である。分節化との表現もある。多様な組合せの入力をどう分別するのか。分解能は入力でも、出力でもなく、反応実践の効率によって選択される。反応実践の有効性によって、入力に対する分解能が獲得されてきた。入力に対する選択肢の区分が反応実践によって選択されてきた。入力の区分化は判断としての分節化の基礎である。[3045]
個別存在と個別存在間の相互関係を規準として対象を捨象することが対象化である。対象を捨象する反応系の機能は、そのまま反応系を対象化して、対象を抽象する。[3046]

【反応と反映】

反応は直接的相互作用の連関である。これに対して反映は反応の連関関係の対象化である。ただし、反映は反応によって実現しているのであって、他の構成要素は何も加わっていない。これは感覚からの知覚の分化である。[3047]
感覚が媒体を介するにしろ直接的相互作用の連関として実現するのに対して、知覚は対象と主体との相互関係を対象化する。対象と主体との表象関係を知覚は対象化する。主体は対象を表象をとしてとらえる。対象と主体との相互関係に対象を、感覚を媒体にしてとらえる。主体は対象を対象間の連関の中に対象化し、すべての対象と主体との全体の中に対象化する。[3048]
知覚の対象は表象である。個別存在間の相互対象化としての関係のうちに相互に区別する形式である表象が知覚の対象である。表象として区別される個別存在間の関係は個別存在自体の規定性と、個別存在間の法則性を反映する。規定性と法則性は秩序である。[3049]


第2項 反映から認識

反映は個別存在間の相互作用の個別存在内への反作用を伴う作用である。個別存在は反映を保存し、反映を組織化する。反映は個別存在の発展により、個別存在そのものを規定する反映系を構成する。他の個別存在との相互作用の結果としての反映と、それに基づく実践が個別存在の全体的運動になるのに対応して、個別存在は反映と実践とを制御する個別存在へと発展する。[3050]
反映と反応が個別存在の内の特別な組織によって担われるようになり、それまでの反応は認識へと発展する。[3051]
 認識は反映と反応の経験を組織的に蓄積することにより成立する。種において生理的に蓄積され、やがて社会的に文化として蓄積される。認識は個別存在の特殊な運動形態である。直接個別存在の存在には関わらないが、個別存在全体を統制する。[3052]

個別存在は単独ではない。他と区別されて存在し、他と連関する類的存在である。だからこそ他との関係形式としての秩序を情報として扱うのである。[3053]

【反映の対象化としての認識】

認識は特殊化した反映であり、一般化する反映である。認識は反映を個別存在内の特殊な器官の運動形態になる。その一方、個別存在の運動を統制するより発展的な運動形態になる。そして認識の対象は主体と対象との関係に一般化する。個々の反映の対象は特殊なものになるが、認識の対象はより一般的になる。[3054]
認識は認識主体によって方向づけられた反映である。他との相互関係を全体・一般に位置づけ、主体を価値づける反映である。主体と対象との関係を主観一般に位置づける。主体と対象との客観的過程を主観のうちに再現する。[3055]

【実践の過程としての認識】

反映が反応と相互作用の全関係のうちに統一されているように、認識も実践と統一されている。認識は実践の一部であるし、実践は認識を前提にしている。実践から切り離された認識は、現実存在を反映できない。認識によって方向づけされない実践は、主体の存在すら実現できなくなる。[3056]
主体は対象を主体化し、主体を対象化することで自己実現し、存在し続ける。主体としての存在は実践としての運動形態である。この運動を方向づけるのが認識であり、認識にもとづいて実践は方向づけられる。その認識も主体の存在、実践の一部である。[3057]

【認識の位置】

個別存在の特殊な運動形態としての認識は、一般的に対象を反映するものとして個別存在の発展を画するものである。部分としての主体が全体と関係する可能性を担うものである。全体を部分がその内に取り込んで、なお全体の部分でありつづける。この包含関係の矛盾を現実に解決するのが実践であり、現実存在をその部分である認識として、抽象的質において実現する。部分である主体が、概念として全体関係を自らの内に反映させ、客体の全体関係を変革の対象として対応する。[3058]
個別存在としての主体は対象を反映し、自らも含む全体と全体における主体の関係を反映する。決して、個の中に全体を反映するのではない。「全体を含む個、個の内に全体を含む」というホロニックの理解は皮相的である。現実の中でこそ個は全体を反映できるのである。現実と反映した全体とを対応させることによって、個は全体をとらえる。[3059]


第3項 情報の認識

【情報の対象化】

抽象的情報であっても媒介するものとして実体を持たねば存在できない。対象からの情報は、媒介する実体として対象化される。光、音、微粒子、文字等の表象を表すものによって情報は媒介される。情報対象は、対象化して評価するという主観的関係ではなく、生成物として、実体としてなくてはならない。[3060]
一連の相互作用連関過程を対象化する場合、直接的生成物を対象化したのでは連関に連なり相互作用になってしまう。一連の相互作用連関過程を対象化するには直接の相互連関とは別の連関として取り出さなくてはならない。方法は対象との相互作用の一部を取り出す方法と、副次生産物を取り出す方法である。一部を取り出す方法は対象との相互作用にあって、対象との相互作用を擾乱しない程度に小さな部分を取り出すのである。この2つの方法は対象化自体によって区別されるのであって、対象やその方法によって区別されるのではない。対象化自体に依存する相対的な違いである。客観的にはすべての相互作用は相互に連関しているのであるから。客体的存在のあり方ではなく、対象を主観のうちに取り込む対象化の問題である。客体を対象化することによる擾乱を最小限にし、対象の対象化する面には作用しないようにするのである。[3061]
日常経験的対象であれば、触ること、見ることで存在を確認することができる。しかし、日常経験の対象としてであって、相互作用による対象の変化は生じている。触れて対象からの抵抗を感じるということは、互を構成する原子の外核電子間斥力が働いてしまっている。マクロ的にも熱の交換が起きている。見る場合も対象が光を発するか、反射することによる対象の変化を経て見ている。日常経験ではそれら相互作用の結果を無視できる尺度で対象化しているにすぎない。[3062]
対象の他との相互作用にあって、相互作用の一部を情報として取り出す例は水銀温度計による計測がある。温度計は対象との熱平衡を実現することによって対象の温度を測る。熱平衡は高温の物体から低温の物体へ熱が移動することにより、すなわち熱を奪うことにより計測する。ただ移動する、奪う熱量が対象の熱量のほんのごく一部であるから、計測の目的を達するに許される誤差の範囲内に収まるのである。この情報の正確さは、情報取得による対象の擾乱を、情報化される対象データに反映しないように小さく押さえることである。[3063]
対象の過程から副次的に生じる生成物を対象化の媒体とする例は、見ることである。対象の光学現象を対象とするのではなく、対象の形、質感等を対象化する場合である。他との相互作用の場で光を発し、あるいは反射している。光との相互作用は対象の他との相互作用の一面である。対象の光学現象としては主要な相互作用である。日常経験の対象存在としては、光との相互作用は副次的であり、そこで発生する光は副次的生産物である。光との相互作用は、対象の形、質感を確認する上では捨象することができる。[3064]

一連の相互作用連関過程過程と副次生成物間の蓋然性、または相互作用の一部を取り出して情報とする場合の非擾乱性。 副次生成物を表象として対象化する蓋然性、または相互作用の一部を取り出して対象化する保存性。 対象として表象して対象化する蓋然性。この3つが実現することで情報処理過程が成立する。[3065]

【情報系】

情報の対象、情報の媒体、情報の主体として情報系は運動し、存在する。情報の対象、媒体、主体は物理的には独立した存在でありうる。[3066]
情報は情報媒体の問題でも、情報媒体の意味論でもない。情報系として恒存する関係にあって3つの要素の相互対応運動である。対象と媒体との対応関係を主体が保存する構造系である。[3067]

情報の媒体の配列、構造等の状態によって対象との1対1対応(全単射)をなす系を基礎にしている。[3068]
情報媒体そのものを情報対象とする二次情報、二次情報を対象化する高次情報の系を発展させる。複数の同じ質を対象とする情報媒体をくくって、情報対象とすることで1対1対応の形式を維持して情報の関係としては多対1対応を実現する。逆に、くくること自体が対象の質を抽象することである。くくって抽象することで、普遍性を表象する。[3069]
また情報対象と情報媒体の対応関係を情報対象とする系を形成する。情報の対象になりうるものは、情報系にあって対象を定義できるあらゆるものが情報対象になりうる。情報にとって重要なのは対象ではなく、情報系の普遍性である。その情報系の普遍性のうえで、個々の情報対象は評価され、位置づけられる。さらにその情報の普遍性は、個人の経験だけによるのではなく、その個人の経験自体が社会的、歴史的普遍性のうえに実現している。[3070]

情報系は情報系単独では存在しない。物質的存在の相互作用の中の主体的存在によって、主体の運動の一部分として実現される。情報系が単なる関連ではなく系であるのは、情報が対象・媒体・主体と一方的に流れるのではなく、対象・媒体・主体の情報の運動する構造があり、構造の実現が必要だからである。[3071]
ことばは情報媒体である。しかし、未知の外国語で書かれた文章は、ことばであるらしいことは理解できても内容は理解できない。情報媒体であることは理解できても情報は理解できない。翻訳辞書があり、一般的な言語文法の知識があれば、基本的情報を理解できる。辞書と一般的文法知識という、この場合の情報系を実現する手段によって未知の外国語の文章を理解できる。情報として理解されるのは外国語の意味ではなく、外国語で書かれた文章の意味である。文章の意味を理解するのは主体である。辞書や文法が文章の意味を理解するのではない。[3072]
外国語の文章が自然科学の論文で数式主体のものであったら、やはり私には理解できない。対象についての理解がなければ、情報媒体によって情報を理解することはできない。主体と対象との間に情報を授受できる構造ができていない限り、情報媒体はたんなるインクのシミを実現しているにすぎない。[3073]

【情報対象】

情報対象は情報媒体によって表象される対象であるとともに、情報系によって操作される対象である。物理的存在だけが対象になるのではない。物質の存在形態のあらゆる表象が情報対象になりうる。[3074]
情報対象になるかどうかは、情報主体に依存する。情報主体が情報の価値を評価しなくては、情報対象は成り立たない。さらに情報系に取り込まれなくては、情報は実現されない。[3075]
人間の知識対象としての自然は、無限の情報の可能性をもっているが、その存在が即情報対象にはならない。人間の認識能力の量的、質的拡大に応じて情報対象として、人間社会の情報系に取り込まれ情報として流通する。[3076]
情報対象は情報系の内に情報によって作り出されもする。情報対象間の関係の拡張として、情報系外に対応する対象がなくても、情報対象を作り出す。ここに妄想の必然性が開かれる。[3077]

【情報主体】

情報対象と情報媒体との対応関係を基礎にし、情報系を実現するのは情報主体である。情報を価値づけ、情報の運動を実現する。情報主体を含む情報系を実現するのは類的情報主体である。[3078]
情報は基本的に対象間の因果関係の結果として作り出される。情報対象から情報媒体への作用として、情報媒体が結果を実現する。情報対象の反映を情報媒体が実現する。[3079]
対象間の相互作用を因果関係として評価する基準系が情報系であり、評価するのが情報主体である。情報媒体と情報対象との対応関係を評価するのも情報主体である。情報媒体間の関係を評価するのも情報主体である。[3080]
さらに情報主体は、情報を加工して新たな情報を作り出す。情報主体の作り出す情報は、作られた情報であり、対象間の関係にあって作り出された一次情報と異なり、意識的な誤りを含みうる。[3081]

【情報媒体】

情報媒体は基礎的には物質的存在である。対象と主体間の相互作用を媒介する物質が、情報媒体の物質的基礎である。情報の保存性は、情報媒体の物理的恒存性に依存する。情報媒体が消失してしまっては情報も失われる。[3082]
情報系の発展によって情報媒体も発展する。物質的存在そのものが情報対象と1対1対応していたものが、多対1対応になる。複数の対象の普遍性が抽象されて、1つの情報媒体に関係づけられる。逆に複数の同一の情報媒体との関連によって、複数の対象の普遍性が捨象される。[3083]
運動が物質の存在形態であり、基本的には情報媒体も物質の状態としてある。物質の状態は物質の運動として歴史的に発展してきた。より基本的物質の運動の激しさから、より発展的運動の安定性を実現してきた。情報媒体もより発展的物質によってより安定化し、より不変的に存在しえる。[3084]

さらに情報媒体は物質の存在に依存せず、物質の配列としてより発展する。配列さえ保存されれば、その物質の状態や質は問わない。配列の保存は複写の容易性によって、情報をよりよく保存する。[3085]
素粒子レベルでの一定の状態の存続期間は非常に短い。生物は生理過程にあっては、常に物質代謝をおこなって個体を維持し、世代交代によって種を保存し、また進化している。人間個体は死んでも、その人の新たに獲得した知識は歴史的に残りえる。[3086]
文字そのものは情報媒体ではあるが、単独では有意な情報を持たない。文字の組み合わせ配列として単語を形成し、句を、文節を、文章を構成する。文字によって媒介される情報は、書き写され、複写され、さらに翻訳されて普遍的存在になる。[3087]

【情報表象】

文字よりも普遍的配列は状態の配列としてのビット列である。「有る・無し」の配列は媒体を問わない。より基本的物質の存在形態を利用することが、情報媒体の操作性を高める。媒体への依存から切り離され、秩序、パターンによって情報は表象される。[3088]
冗長性を削った最小表現がビット列で表される。繰り返しや、重複をなくしていくと、「有るか無いか」に捨象され、ビット列にまで圧縮される。ビット列の冗長性を削って、最小表現のビット列まで圧縮し、さらに圧縮すると元の情報を正確に再現できなくなる。[3089]
ビット列は1,0でも、石の配列でも、大小の穴(CD等)、細線,太線の組み合わせ(バーコード)、電気のオン・オフ(電気、電子回路)でも何でもよい。[3090]
さらに、ビット列は保存、変換、複写、加工が容易である。操作の容易性は誤り訂正の系を組み込みえる。操作可能な情報媒体は、蓄積、検索、通信を発達させる物質的基礎である。[3091]
操作によって生じる誤り訂正の系は複数ある。情報媒体を多重化することによって、多重化された媒体の比較で誤りの存在を確認できる。媒体を平行に操作する多重度が多くなれば、誤りの存在確認だけでなく、誤りの訂正が可能になる。[3092]
またパリティ・チェックにより、ビット列ごとの値を付加することによって誤りの存在を確認できる。数値の場合、数値列を一定の関係式による値をチェック・ビットとして付加して誤りを検出する。[3093]
誤りが確認できた場合は、同じ操作を繰り返すことによって誤りを訂正できる。[3094]
ただし、ビット列はビット列の表現する情報との対応関係、情報の対象との対応関係が保存されなくてはならない。[3095]
コンピュータでは中央処理装置、入出力装置、記録媒体、基本ソフトウエア、応用ソフトウエアのすべてが保存されなくては情報は消滅してしまう。情報媒体だけで情報は保存されるのではない。[3096]

【情報操作】

情報の操作は情報媒体の操作と、情報対象の操作である。情報媒体の操作は情報主体によって行われ、情報対象の操作はその情報系をもつ存在主体の運動として実現される。情報によってフィードバックが行われるのではなく、情報をえた主体によってフィードバック操作が行われる。[3097]
操作可能な情報媒体は、情報対象からの相対的独立性をもっている。情報媒体の操作は、主体と対象との対応関係を保存しながらおこなわれる。保存される対象との対応関係として、論理が操作を規定する。対象を直接操作しないで、対象を理解したり、人に伝えることができる。[3098]
言語は対象と直接の対応関係の中で発生し、対象構造に対応することで高度化し、言語自体を対象とすることで高次化してきた。言語は音声、文字から独立して記号化した。記号化した言語は神経系を媒体として、イメージ、概念の運動として実現される。概念化された記号は、演算され、記号処理体系を整え、計算機による操作が可能になる。[3099]

【情報空間】

情報は媒体の変換、複写という媒体操作の確立により特定の媒体への依存から解放される。情報媒体一般の上で情報独自の運動が可能になる。対称な可能性の配列として情報空間はある。[3100]
一方、情報系の高度化、普遍化が情報対象の構造に対応し、主体と対象との相互関係を反映する情報となることで、情報系の構造化が実現する。主体の対象を反映する情報系の構造が、情報空間として実現する。[3101]
情報空間の反映する対象が、主体の対象の全域に拡大することで、情報の運動は精神活動となる。情報空間は主体の価値評価系を秩序として組み込んだ世界観となる。[3102]


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