より発展的な個別存在は、普遍性を再獲得する。発展の過程そのものが全体の運動であり、普遍性の根拠である。その上で、特殊化した存在は、一面で普遍性を再現する。端的な例が「ミーム」である。文化の中に存在し、人から人へ伝えられる観念である。ドーキンスの利己的な遺伝子の解説で寓意されたが実在する。通常の意味での具体的個別としての実在ではないが、抽象的個別としての実在である。ドーキンスの示唆した遺伝子と相似の存在では決してない。ミームが主体となって人間を利用するのではない。人間の反映活動のうちに、人から人へと伝えられる存在としてある。「ミーム」はそれぞれの対象の反映であることを超えて、人々の個別性をも超えて、普遍性を獲得した存在である。対象を反映する観念として人の意識に存在し、人と人とのコミュニケーションの場で保存され、伝達される存在である。
物象の運動は水平的・垂直的・統括的相互作用の総体としてある。水平的相互作用なくして存在はまったくありえない。この世界の存在は水平的相互作用としてある。垂直的相互作用が弱まれば、物象の相互作用は水平的相互作用に還元し、物象の存在構造が自壊する。物象の統括的相互作用は水平的・垂直的相互作用を組み合わせる作用としてではなく、物象の他に対する、他の物象との相互作用として作用する。
[2025]
分子を例にするなら、分子を構成する原子核での陽子と中性子の相互作用、さらに原子核と電子の相互作用が水平的相互作用である。原子間の相互作用=化学結合が垂直的相互作用である。分子間の相互作用である化学変化が統括的相互作用である。
[2026]
人間を例にするなら、水平的相互作用は物理的、化学的、生理的相互作用である。垂直的相互作用は個体としての物質代謝系であり、免疫系、神経系、筋骨系等である。統括的相互作用は生活(労働、学習、休息、余暇等)である。
[2027]
【物象の規定性】
物象は物象として相互作用をする。個々の構成要素の基礎的な運動の全体が物象として、より発展的な運動をする。
[2028]
向他的・水平的相互作用は向自的・垂直的相互作用によって統御され、規定される。水平的相互作用は垂直的相互作用によって方向づけられる。垂直的相互作用によって規定された水平的相互作用の組み合わせは、他に対して境界を構造化する。量的変化を質的に転化する氷と水液との境界面や、細胞膜のように物質的な膜として構造化する。
[2029]
水平的・垂直的相互作用の規定性は、物象の存在規定である。物象の自律性・自立性は統御的相互作用として現れる。これに対し、統御された相互作用の総体としての、他に対する相互作用が物象を機能的に規定する。他の存在に対する物象総体の特殊化した存在=運動を実現する。物象は、そのものの存在の運動形態とは相対的に独立した、相互作用を他の物象との間で行う。物象としての物象全体の運動は、その存在の運動のようにその物象には属さず、他の物象との相互作用としてある。物象が存在して他の物象と相互作用するのではない。他の物象と相互作用するものとして、それぞれの物象が統御される。同じ水であっても固体、液体、気体と物としての有り様を変え、その有り様によって他との相互作用のあり方を変える。
[2030]
物象は個別存在として保存されるものである。しかも、個別性それぞれに対応した、相対的な局所性をもち、また不可入性、排他性をもつ。物象の局所性は、時空間のうちに特定の位置を占めることである。不可入性、排他性は物象の占める時空間にはただひとつの物象しか存在できないことである。相互に排他的であるものどうしが物象として関連し合う。排中律が成り立つのは物象間の関係である。従って局所性、不可入性、排他性の日常経験的理解では量子を物象として認めることはできない。逆に量子によって物象の局所性、不可入性は否定される。
[2031]
【物象の運動】
物象としての運動は、その存在の運動としてでなく、他の物象との相互作用・関連としてあり、物象を取り巻く、相対的な全体との連関である。物象を存在させる運動と、物象の他との関係としての運動は相対的に区別される運動である。
[2032]
物象を構成する要素の相互作用は物象自体の存在として必然であるが、物象の他の物象との具体的個別的関係は偶然な外的条件である。この必然と偶然の区別自体相対的であるが、明らかに区別される。物象を構成する個々の要素と他との相互作用はそれぞれの作用関係として方向性をもつが、物象として統御された、全体によっても方向が規定される。構成要素の個別的運動方向と、物象全体の方向との対立と統一としてある。
[2033]
このことに関係して、人体像の腕を構成する分子の熱運動がすべて同じ方向に振動する可能性は否定しきれない。その可能性は宇宙の歴史的時間を遙かに超えた時間の内で、今起こる可能性がある。その可能性が実現すれば人体像の腕が動いても不思議ではない。とまじめな物理学者が発言している。
[2034]
個々の構成要素ごとに重心がある。しかし同時に物象全体の重心もあり、全体の運動は全体の重心によって表される。逆に重力の作用を無視できる同じ比重の環境では、全体の重心は物象の運動を規定できない。もともと重心の概念自体は、存在を規定するものではない。
[2035]
物象の実現過程での他との相互関係は必然であるが、その相互関係の実現は偶然である。必然と偶然の相対性である。他との相互作用の連関なくして存在はありえないのであるから、他との相互関係は必然である。いずれかの相互作用にあるのは必然である。その相互作用がどのようにあるかは偶然である。こうした必然と偶然との関係は、蓋然性と呼んだ方がよいのかもしれない。
[2036]
事象は「物事」の「事」である。運動の現れ、運動の存在形態である。
【変化と不変】
すべては運動であり、すべては変転している。そのすべてに対し、そのすべてのうちで相対的に不変に、保存されるのが事象である。変化の中の不変であり、対立する変化と不変の統一である。そして、変化するすべても保存され、保存される意味ですべては不変である。「不変」を「保存」に置き換えただけではない。「保存」には変化に対して抗する意味がある。「何が変化であり、何が不変であるか。」ではなく、相対的に区別される変化と不変の相互関係が問題である。
[2043]
変化と不変の区別は「相互規定」そのものである。すべては運動であり、相互作用であり、相互作用によって相互を規定し、全体を規定する。その規定が保存すること、その運動が継続することによって現れる区別が変化と不変である。運動であり、相互作用であるから変化であり、相互の区別として不変がある。
[2044]
日常経験的には、物象の相互作用系が個別存在としての自己規定を実現する運動である。事象は過程としての個別存在である。事象・過程も変化と保存との統一であり、変化と保存との相補的関係の運動である。全体の基本的関係は保存され、内部の構成要素が変化する。他との連関は保存され、連関の仕方が変化する。事象を構成する物象は変化・置換され、保存されないが、事象としての他との相互作用関係が保存される。
[2045]
物象の総体としての運動は事象の現れである。位置の移動は典型である。移動の場合物象自体は保存されるが、他に対する位置関係が変化する。他との相互作用関係の中の構成要素としての物象の変化である。単に位置が変化するという形式ではなく、位置の変化は他との相互作用状態の変化としてある。物象自体変化せず、環境条件での相関が変化する。物象の内部運動がどうであれ、物象は保存され、他との連関が変化する。
[2046]
これに対し、生物個体の有り様はまさに過程である。生物個体は他の個体と区別される物象としても存在するが、非平衡系を実現する運動過程である。代謝によって構成要素が常に更新され、代謝が止まれば即死である。さらに、生物個体の給餌、休息、運動、生殖等は事象である。また、生物個体は事故や病気による過程の中断がなければ、発生、成長、老化、死の過程にある。
[2047]
日常経験的には、存在は確かな物象としてあり、物象の相互作用形態として事象が起こる。しかし、日常経験的に確かな存在である物象も、追究するなら、空間的にも、時間的にも変化に対して相対的に不変な事象の表れでしかない。
[2048]
【存在形態の保存】
事象はAがAでなくなり、Aであり続ける運動である。事象内の相互作用は変化であるが、対外的関係は保存される。事象内の相互作用はAがAでなくなる運動と、それに抗する運動である。対外的相互関係の継続はAがAであり続ける運動である。したがって事象は内部の相互関係が保存されている間存在し、内部関係の解消によって事象は消滅する。
[2049]
事象は内部の相互作用を、他との相互作用に対して相対的に自律し、自己規定として保存する。事象の自己規定により、諸相互作用の系が内部と外部に乖離する。乖離を作りだし、保存する作用が自律を実現する。
[2050]
事象は物象と異なり、運動として変化する個別存在でありながら、そこに個別存在としての形・構造が保存されている。波や渦流は流れの特殊な形態の保存である。波や渦を実現する媒体は気体や液体としての物象である。事象としての波や渦は単に特殊な運動形態であるにとどまらず、他の物象を破壊するほどの実在性を示す。津波や竜巻、台風は事象であり、形を見ることもできる。
[2051]
【運動形態の継続】
個別存在の運動は個別存在の内在法則によって継起の順が規定されている。継起の順は因果関係として表れる。個別としての存在形態が保存され、個別の規定性が保存されるのであり、変化は連続的であり、変化の変化も連続的である。自己規定を保存する変化は、自己規定の否定としての他への転化ではない。連続的変化はいくつかの区別される形をとっても、形の現れる順も規定されている。
[2052]
個別存在間の相互作用も個別存在相互の規定関係によって継起の順が定まる。個別存在間の相互関係の継起順は相互関係の方向性である。個別存在間であっても相互作用であり、運動であり、方向性が表れるのは当然である。
[2053]
個別存在間相互の関係は個別存在間の条件、他との関係条件によって運動形態に違いがありうる。しかし、個別存在間の関係には変わりはない。個別存在間の関係は保存され、関係の仕方に変化がある。
[2054]
個別存在間の相互作用が継起の順として方向性をもって運動し、個別存在間の関係が保存される運動が過程である。個別存在間の関係が外部条件によって定まる運動と、個別存在間の運動が他との相互作用に対して自律する運動と、過程の自律性には幅がある。ブラウン運動はランダム性の象徴的事象である。ランダムであっても、運動自体は継続している。粒子が保存され、他との関係が保存されているのだから。水滴の落下運動は地上での標準的な事象である。水滴の位置が地上には達しておらず、地球との重力関係が保存されている間運動は継続する。整流と乱流は明らかに区別される形であり、形を規定するのは流速の違いであるが、流れの運動自体は継続している。また流速は連続して変化するが、整流と乱流との相互変化は非連続的な変化である。
[2055]
事象がその内の相互作用自体によって規定されるなら、事象自体が運動主体としてより発展的な個別存在に転化しえる。事象は内部の相互作用を内在法則化することで、一つの物象となる。物象にも内部運動として事象がある。相互作用の内在法則化とは自律の過程である。法則ができあがっていくのではなく、規定性が保存されることである。法則自体は作られるような存在ではない。保存される規定性の表れが法則である。
[2056]
【事象の規定】
事象は自己規定としてのみ実現するのではない。個別存在の実現も事象としての現れであるが、それだけでなく、個別存在間の連関としても事象はある。個別存在の自己規定自体が相対的である。事象は個別存在単独の運動・存在のように見えても、環境条件によっても規定されており、個別存在の自律的運動だけではない。
[2057]
事象の規定関係が構造化し、構造自体を規定するようになると物象に転化する。事象の規定関係が事象を媒介する物象を構造化するのである。物理の単純な例では相転化に表れる。凝縮、凝固、結晶化で個別存在は相互関係構造を変えて物性を変え、物象として実現する。凝縮、凝固、結晶化自体事象の実現過程であるが、結果は物象の実現である。
[2058]
事象は個別存在間の相互連関の保存としても実現する。一般に事象は個別存在の相互関係の組み合わせとして規定される。一般的事象は個別存在間の相互作用に表れる普遍的形式である。一般的事象は個別存在間の偶然の組み合わせであるが、形作られる形式は普遍的である。一般的事象は個別存在としての媒体の種類によらず、普遍的形態、運動形態をとる。水液であろうが油であろうが液体として存在し、運動する。
[2059]
【事象の保存性】
物象の保存性は問題にならない。保存性こそ物象の本質規定であるのだから。物象に対し事象の保存性には限界があり、局所性はない。事象は局所的に実現されるが、その局所に制限はされない。事象には不可入性、排他性はない。事象は重ね合わせることができる。事象は相互作用の重なりとしてあるほうが普遍的である。事象の規定は重ね合わせることができ、重ね合わせても保存される普遍性にある。事象の様々な規定が、ひとつの個別存在として重ね合わされているのである。多様な、異なる個別存在に重ね合わされても、それぞれの事象規定は普遍的である。事象規定はそれぞれの個別存在の自己規定によって制限されない。事象は個別存在のもつ局所性に制限されない。
[2060]
事象の保存性は他との連関のあり方、環境条件に影響されない普遍性にある。事象を構成する要素に対する恒存性として事象の普遍性がある。事象を構成する要素が入れ替わっても事象は保存される。。水流や渦で水分子は次々と移動し入れ替わる。また、事象を構成する要素に依存しない普遍性である。流れや渦は水であっても、油であっても、空気であっても流体力学法則を実現する。
[2061]
【事象の再現性】
事象は生成、発展、消滅の後は他の運動形態に転化する。しかし、事象の生成、発展、消滅は一定の条件のもとで必然的可能性を持っている。また、その条件が一定であれば新たに、別に繰り返し現れる。さらに事象は、自らの過程を規定する構造を作りだすことで、自らの過程を再生産する。自らの運動過程を規定する構造は、自らを複製して事象を再現する。事象は再現可能で、繰り返し実現可能である規定として、普遍性を持つ。
[2062]
ただし、複製としての再現は開いた系でなくては実現しない。規定を保存するだけでもエントロピーの増加を防ぎ、排出しなくてはならない。再構成するためにはエントロピーの増加を防ぐだけではなく、減少させなくてはならず、事象の系は開いていなくてはならない。
[2063]
再現が可能であっても、全く同じものを複製することはできない。「全く同じものの複製」とは複製ではなく、意味自体が破綻しいている。別のもので同じように作るのが「複製」である。
[2064]
【事象の普遍性】
事象は保存性として、再現性として普遍的である。もっとも単純な事象である拡散は必然ですらある。拡散の必然性は熱力学の第二法則が保証している。拡散しないことの方が特殊であり、そこには何らかの個別規定が作用している。最も単純な、普遍的な事象である拡散に対し、特殊な個別規定が実現し、保存されることの方が問題になる。事象の恒存性はどのようにして実現されるのかと。非平衡系はどのように保存されるのかと。自己組織化はどのように実現するのかと。これらの問題がすべて解き明かされなくとも、事象は実現し、保存され、再現されている。
[2065]
実現し、保存され、再現される事象の普遍性は連関の形式である。原子構造が、分子構造が、細胞構造が、生物の個体組織が構成されることですべては実現され、保存され、再現される。部分の相互規定関係としてある全体の関係が、部分の相互規定関係を自己規定する形式が普遍的にある。これらの普遍的形式は法則として定義される連関である。
[2066]
さらに個別の連関の形式間にも普遍性がある。空間をなす相互関係は幾何学の規定であり、時空間の関係形式として時空間の構造を定義する。数量関係は算術の規定であり、集合関係を定義する。
[2067]
時空間の構造、集合関係によって事象を普遍的に定義する。定義できるのは事象に普遍性があるからである。時空間の構造、集合関係に普遍性があるのではない。普遍的でない時空間の構造、集合関係も定義することができるのだから。時空間の全体の形式と、重力の作用する局所的形式とは別の曲率で定義される。ユークリッド幾何学空間は普遍的ではなく、曲率ゼロの特殊な空間である。すべての集合の集合は定義できない。定義できるものは事象の普遍性を実現しているからである。
[2068]
第3項 現象
事象の環境条件での実現が現象である。環境条件とは他との連関である。全体における場である。実現は全体の中に、局所性、局時性を獲得することである。事象は局所性、局時性をもたない規定であるが、実現するにはそれを獲得しなくてはならない。事象は普遍性を否定し、具体的に、個別的に実現される。
[2069]
【現象の実現】
他との連関、全体の中での事象、物象の実現が現象である。事象、物象の連関としての現実世界とは別に本質界があって、そこから現実世界へ実現するのではない。抽象的個別の存在があって、具体的な他との関係に現れるのではない。相互に区別する事象、物象の連関として実現するのである。相互に区別する事象、物象は相互に区別する連関だけによって存在を実現するのではない。相互の区別の連関とは別の他との連関として全体のうちに実現するのである。全体の連関の内にあって、部分相互に区別することで、他とも区別されるのである。だから実践において、主観も主体として対象と相まみえるのである。
[2070]
部分相互の区別は部分にとって必然の過程である。他との遭遇は相対的であり、偶然の過程である。他との連関は環境条件としてもたらされる。現象は必然の過程と偶然の過程として実現される。偶然の組み合わせによる他との具体的関係として、事象は実在する。他との関係の組み合わせは偶然であり、その具体的関係として事象は現象する。他との関係は偶然の組み合わせとしてあり、他との相互作用は様々な形態となってある。内的必然性は、外的偶然性において現象する。
[2071]
【現象の対他関係】
時間的経過としてだけ現象が結果するのではない。存在そのものが現象として実在する。世界のすべての存在は他との連関としてあり、一つの全体の部分として運動している。他との関係、全体との関係にあり、運動することがこの世界に存在することである。
[2072]
現象は偶然と同じものではない。現象は偶然を通して現れてくる過程であるが、偶然だけの不確かなものではない。偶然だけでは現象はありえない。必然があるから現象する。必然と偶然とによって現象する。現象は現実そのものである。必然も偶然もひっくるめた現実が現象である。現象が対立するのは必然ではなく本質である。本質の現象過程として現実がある。現象を対象とすることで本質と現実をとらえることができる。
[2073]
現象と本質の実現過程として現実をとらえることは、とらえたものを現実において位置づけることである。現象としての現実と切り離された本質をもて遊んでも意味はない。現実から切り離された、現象を捨象してしまった本質理解は一面的、形式的論理しか反映しない。現象を明らかにしなくては、本質と現実を明らかにすることはできない。現象は存在論、認識論の根幹をなす問題である。
[2074]
【局所性、局時性の獲得】
現象は全体の連関の中に現れることであり、他と区別されるだけではなく、他との間に位置を占める。全体をなす他との間に位置を占めることによって、他と区別され、所をえ、時をえる。場と時間とを限定される。現象は局所として、局時として実現されるのである。現象は局所性、局時性によって限定されて実現する。
[2075]
局所性、局時性は時空の限定であり、偶然をともなう限定である。空間、時間における現れは、他との連関として、それ自体の規定だけでは決定されない偶然をともなう。他との連関は遭遇であって、必然的な過程ではない。
[2076]
【偶然による修飾】
普遍性は対称性であり、個別存在相互を区別しない。個別として区別されるには、他との連関に、全体に位置づけられて現象することによってである。他との連関に、全体に位置づけられて現象することによる区別の獲得は、対称性を破る個別化であり、それは偶然である。普遍的存在は必然の過程にあるが、現象は偶然の過程で個別性を獲得する。必然の過程から偶然の過程への現象は確率の過程である。個別として区別される存在は、偶然の他との連関によって修飾をうける。偶然の他との違いが個別を区別する。偶然の違いがなければ区別することはできない。
[2077]
世界が一つであり、普遍的統一法則を示しながらも、これ程多様であるのは、歴史的に偶然の修飾を受けてきたからである。
【必然的修飾】
現象の中に現象が組み込まれることで、組み込まれた現象は必然的な修飾を受ける。現象は存在の階層を貫いて系を構成する。現象は他に対して構造系としての連関を実現する。他との連関は構造系によって必然的に修飾される。
[2078]
光は様々な波長の電磁波である。波長の違いが色の違いとして修飾されるのは、人の色彩感覚という構造系においてである。色が客観的な対象の性質ではないことは、サングラスをかけてみれば分かる。白かった対象が緑や黄色等のサングラスの色に染まる。しかし、サングラスの色に慣れると、白かった対象はやはり白く見える。また、ドップラー効果は対象との相対的運動速度によって、受け取る色を変化させる。さらに、色彩感覚は対象を含む形や、温度感覚等々とも相互に影響し合う。視覚は対象に対する構造系として対象を評価し、修飾する。偶然ではなく、必然的修飾だからこそ、対象を評価することができる。
[2079]
一卵性双生児にも違いが表れる。例え他に対して全く同じであっても、向き合えば相互の関係によって違いが生じる。兄弟、姉妹と周囲から区別されようが、されまいが、同じ存在ではありえないのである。
[2080]
【ランダム・ドット・ステレオグラム】
ランダム・ドット・ステレオグラムは左右に並んだ2つの点描を同時に見つめることで立体図を実現する。一見でたらめに描かれている点に対し、両眼の視焦点をそれぞれに合わすとと立体的像が見えてくる。左右の眼の視差に対応して一致する点と、一致しない点によって実際の点の位置の前後に像が見える。物理的には紙面上に存在する点であるが、両眼視することで別の奥行き位置に像が現れる。像の物理的存在の媒体は紙面上の点である。両眼視としての認識過程の相互作用の中に像は存在する。紙とインクだけであっては像は存在しない。現れた像は認識過程に現実に存在する。像の位置には点は存在しないが像は存在する。対象としての点の媒体と、両眼視によって対象を認識する視覚において像は存在する。存在させることができる。
[2081]
立体視の認知システムを前提に実現する立体像であり、紙とインクだけでは2つの図でしかない。立体像は立体視の認知システムの上で実在する。
[2082]
紙上の点と視認される像との関係は両眼視によって媒介され、点を媒体としての関係にある。存在の媒体と存在とは一致しないこともある。日常的には鏡像で確認できる。鏡像は対象を映しだすが、対象とは別の像である。しかも、自分を映すと左右は相関しているにも関わらず、逆転しているかのように見える。
[2083]
このような認知システムに媒介されて精神が実現される。精神の存在とはまさにこのような存在形態である。
[2084]
必然的修飾は人の感覚に表れるが、主観的なものではない。個別性を必然的な形として表す。個人を識別する方法として指紋が昔から利用されてきた。最近では虹彩や発声等も注目され、利用可能な技術が開発されている。また、シマウマやキリン等の文様も、現れるのが必然であるが、表れは偶然であり、個体を識別することが可能である。
【存在の継承性】
相互作用一般は、経過として、より前の作用はより後の作用を規定し、条件づける。偶然はあっても、より後の過程はより前の過程に規定され、条件づけられる。前の過程に規定され、条件づけられていない孤立した過程は存在しない。端緒がある場合は別として、私たちの関連できる相互作用はみな、より前の相互作用によって規定され、条件づけられている。新たに生まれたものも、生まれ出る連関を継承している。すべての存在は継承されたものである。すべての存在は継承性をもつ。
[2085]
【存在の歴史性】
個別存在の各々は世界の初めから存在していたのではなく、何の脈絡もなく生じてきたのでもない。現宇宙の起源から、宇宙の運動の始まりから、その運動の発展として生じたものである。より基本的個別存在から、より発展的個別存在へと発展してきたものである。
[2086]
個別存在の発展は単により発展的個別存在を積み上げるだけではなく、全体の発展とも相互に関係しつつ個々に発展してきている。生物は生物環境を作り出し、人間は社会環境を作り出して、既存の環境条件を変革する。
[2087]
個別存在の構造の発展過程と、諸個別存在全体としての発展が歴史性であり、個別存在の構造あるいは、個別存在の出現系列においても歴史性が現れる。
[2088]
第4項 表象
表象は現象間の具体的存在関係に表れる、現象間の境界関係である。表象=形は個別存在間の境界である。表象は形として保存される秩序を表す。保存されることで形は、時空に対する普遍的秩序を表す。
[2089]
主観による対象化によっても大きさ、形は違ってくる。日常経験の対象である平滑な金属表面であっても、摩擦が生じるほどにデコボコしている。地図で海岸線の長さを測るにしても、縮尺と計測単位長によって違ってくる。また、海岸線は潮の干満、波によって刻々と変化する。主観が対象化する、日常経験の対象は、ごく限られた表象として現れる。
[2090]
【表象の実現】
現象は多様な相互作用の重なりとしてある。さらに現象も重なり合って現れる。したがって、現象の形、大きさは現象を定義しなくては、定義できない。太陽の形、大きさは太陽の運動形態、存在形態を定義しなくては定義できない。太陽を光球層で定義するか、コロナまで含めるのか、太陽風をどうするのか。いずれも太陽の運動、存在である。誰でもが知っているはずのものであっても、対象の形、大きさすら一致した理解にあるとは限らない。主観による対象化による違い、不一致ではなく、対象そのものの他との相互作用の範囲が、階層の違いで異なっているのである。多様な現象それぞれの表象がある。少なくとも日常経験で対象となる個別存在は多面的であり、多くの表象を伴っている。
[2091]
他との連関に実現する現象は、他に対して区別する部分としてまず表れる。現象は部分として現れる境界によって区別される。他との連関に境界づけられた部分として現象する。境界は範囲であり、形、大きさを示す表象として現れる。現象の連関における区別される部分として表象が現れる。表象それぞれは関係として区別され、区別される関係が表象一般である。
[2092]
表象は私たちにとっては感覚の対象として現れる。人は視覚が主な感覚であるため、視覚としての形をイメージしやすいが、表象は視覚の形だけではない。対象は五感によって表象され、その統合として認知される。それぞれの感覚による表象を統合した表象として対象化する。視覚だけではなく、触覚によっても形は区別される。臭覚も加わると対象の個別性とともに、対象の他に対する、全体における位置も対象化される。統合された表象として、対象の雰囲気、気配もが対象化される。
[2093]
表象は具体的、個別的区別にとどまらない。表象は普遍性と個別性の表れである。様々な質の普遍的規定は、他と区別されて実現することで個別性を現す。実現することで全体の中の唯一としての個別として区別される。普遍のままの質は対称であり、区別をもたない。普遍はそのままでは区別されず、他との違いを獲得し、対称性を破ることによって現実の存在として実現する。
[2094]
個別として形をとる表象は、普遍性を秩序として表す。区別はされるが共通性の全くないものとしてではなく、同じものとして区別される。区別されるが普遍的である関係が秩序である。区別されなくては秩序は表れないし、普遍的でなければ秩序ではない。
[2095]
抽象的関係であっても区別される個別存在は表象としてある。大きさのない点、巾のない線、角度・大きさの規定されない三角形など、幾何学的形は物象として手に取ったり、見ることはできないが表象としてある。
[2096]
個別存在の表象を対象として、われわれはその表象の普遍性に秩序を見いだす。表象の示す秩序をとおして、私たちは対象の普遍性を認識することができる。
[2097]
【表象の規定性】
表象は現象の現れであって、規定性を失ってはいない。現象は本質の現れであり、本質によって規定されている。同時に現象は環境条件によっても規定されている。ただし、表象の規定は普遍的な本質規定、一般的な環境条件規定だけでは決定されない。規定関係の全体、個別間の相互規定の全体によって規定される。表象の規定は規定関係全体の表れであり、しかも個別を個別として規定する個別的規定である。本質規定、環境条件規定に対する、実現規定である。個別が存在する現実自体によって規定される。全体にあって唯一の個別存在の実在を規定する。
[2098]
個別現象の表象は、本質によって規定される秩序の表れである。表象にあって本質は形式的関係として現れる。表象において本質の質は捨象され、量関係のみが現れる。表象は形、大きさ、配置として規定される。いずれも全体に対する部分の関係形式である。
[2099]
諸現象の本質の形式的表れとして表象は本質を捨象した形式の普遍性としてある。質的区別を超えた、形式の普遍性を表象は表わす。実在はそれぞれ唯一の個別存在であるが、同時に本質規定、環境条件規定を普遍的な型=パターンとして表す。表象は多様な個別現象に共通に現れる型=パターンである。実在として唯一の存在として他と区別されるが、同時に本質規定が同じもの、同じ環境条件にあるものは共通の型を表す。人それぞれに違う人格、個性、見目形であるが、同じ人間である。
[2100]
【秩序としての表象】
本質の規定が現象するのであるから、その規定は秩序として表れる。環境条件によって表れ方は違っても、違った形で秩序が表れる。私たちは現れた秩序から、環境条件に左右されない本質を推論する。
[2101]
最も単純な表象はあるかないかである。他との連関のうちに現象するかしないか、有るか無しかである。「有る」は「無し」を否定し、逆に「無し」は「有る」を否定する。他との連関は場としてあるのであり、相互の区別が現れれなければ、場を媒介とする区別もない。しかし、全体の連関としての場は実在するのである。全体の連関が破れることによって、相互区別が現れ、表象が表れる。表象は全体の連関に表れる。表象は相互区別として「無し」を否定する。相互区別が全体の連関に現れなければ、「有る」もないし、「無し」もない。相互区別が全体の連関に現れることで「無し」が否定され、表象が表れる。表象のあるないは抽象的な枠組み、桁におけるあるないではない。実在全体の連関に表れるかどうかのあるないである。
[2102]
イメージとしては電子・陽電子の対発生・対消滅の過程である。発生した電子は「有る」であって、陽電子としては「無し」。粒子としての電子は陽電子ではない。電子と陽電子は電荷が違い、電荷以外の性質は全く同じである。電荷以外の性質は、他との連関に対しての区別である。電子が「有る」か「無し」かを陽電子との対ではなく、他との連関において、時空的に区別される位置でのあるなしは空想できるが、実在の問題ではない。陽電子との対を離れた電子の運動は、陽子や光子との相互連関としての問題であり、電子のあるなしの問題ではない。陽子との関係では電子のない状態は正孔と解釈された。正孔は陽電子ではない。
[2103]
「有る・無し」の次に表れる表象秩序は、複数の表象間に表れる関係である。複数の表象間の間隔、配置、順序として表れる。間隔は距離として表れ、濃度としても表れる。配置は空間の形式的規定として表れる。順序は配置間の相対的関係、または時間の規定として表れる。これら多様な秩序としての表象は、全体の連関としての環境条件における本質の実現形式を表す。
[2104]
空間の内容、質的な規定は相互作用によって規定される。
[2105]
【形の契機、方向性】
すべての存在は相互作用・相互に規定される関係で運動をしている。運動が一様でなくなるとき、方向性が現れる。部分的に運動状態が変化するとき、相対的全体の状態が連続して変化するときに方向性が現れる。部分の状態変化は、運動自体が部分から全体に伝わる方向である。相対的状態の連続的変化は、状態の勾配として表現される。温度勾配、濃度勾配のように。状態の勾配は変化率として表れる。
[2106]
部分と全体の相互規定関係として時空間が規定される。日常経験的世界はユークリッド空間であり、物理学がとらえているのは一般相対性理論を表象するミンコフスキー時空である。と言って許されるだろう。その中で相対的全体と部分の規定関係として個別存在の形が表れる。
[2107]
方向性は物理空間に限らない。相互作用としての運動の自由度を次元とする方向性である。方向性自体は目標をもたない。方向性は相対的相互作用によって内在的に定まる。方向性をもつ運動を評価し、制御することによって目標が定まる。
[2108]
方向性によって運動の形式が定まる。方向性をもった運動の他との相互関係として形が現れる。形は光の集合の包含関係として視覚されるだけのものではない。
[2109]
【自他の相互作用としての形】
内部が均一で、他との相互作用の均一な存在は、三次元空間では球体を形作る。例えば無重力状態の均一な液体である。分子間の均等な引き合う力によってだけ形が決まる。他との境界に内外の相互作用を媒介する機能がある場合、その媒体は膜として、球殻を形作る。
[2110]
球体に対して外部から一様な一方向の力、例えば重力が働く場合、その方向に突出し球形が歪み液滴になる。
[2111]
球体の内部の運動がある場合も、形に歪みが生じる。例えば球体が回転運動をすると回転軸に直角の方向に遠心力が働き、球体は偏平する。
[2112]
均一な存在が運動する場合、外部との相互作用に不均衡が生じる場合、いずれにしても一方向への運動が生じると極性ができる。極性は内部の運動に方向性を与える。外部との相互作用として外部からの力も、極性として内部の運動の方向性を固定化する。外部からの作用が内部運動の方向性に転化される。
[2113]
極性は内部構造形成に全体としての方向性を与える。
[2114]
発生卵の分割、構造化の過程で精子の侵入位置、重力、光、磁気、水分、栄養等いづれが方向性を与えるのかは不明であっても、分割に極性があることは明らかである。
[2115]
他に対して相対的に独立した個別存在、個別存在として統一されている存在は、他との相互作用の運動の形として極性をもち、個別存在としての形をとる。
[2116]
生物の進化の過程で形作られた複雑な、しかも合目的的な形は進化の方向性によっている。獲得形質が遺伝するかのような、「進化の意志」にもとづくかのような形の変化が現れる。
[2117]
そして基本的に、全体と部分とが区別される時、全体の対称性が破れる時、部分間の区別としてゆらぎが生じることが必然であるようだ。ゆらぎという偶然が必然的に生じる。
[2118]
【自己相似の形】
他との相互作用が内部の運動に対してほとんど影響しない運動、あるいは逆に他との相互作用が決定的な運動は、極性とは別の性質をもつ形を作る。
[2119]
宇宙の泡構造、分子構造、結晶格子、雪の結晶、地形等、フラクタル図形としてコンピュータ・グラフィックでも再現される。
[2120]
他との相互作用が内部の運動に対してほとんど影響しない運動は、全体構造から内部構造を規定していく構造化が進む。細密化の過程。はじめの形が繰り返される。部分の内に全体の構造が作り込まれる。
[2121]
他との相互作用が決定的な運動は、構成要素の構造的特徴がより大きな構造に反映されて構造化が進む。単純な繰り返しが全体として複雑な形を作る。少数の規則が相互作用することで全体が複雑な形を作る。部分の形が全体に再現される。あたかも部分が全体を見通しているように形を作る。
[2122]
生物の発生過程での細胞分裂は、形作りの両方の性質の組合せによっている。組織毎に違う細胞の機能分化としての細胞分裂が一方にあり、。同一組織内の同じ細胞の増殖過程での全体の構造化が一方にある。また、それらを特定の環境のもとで組み合わせ制御することで複雑な形になったり、異なる種であっても同じような形になる。
[2123]
自己相似=フラクタル構造は価値にも現れる。価値のピンからキリまでの全体を一覧することは可能である。価値は創造にしろ、理解にしろ、追求すると追求の段階を経て、段階ごとに新たな価値の広がる次元が現れる。価値は自己相似の階梯として無限の広がり、深さを実現する。
[2124]
【型としての表象】
相互規定関係は、全体の連関をなしているのであり、その規定が多様であっても、関係の仕方には共通性が表れる。全体の普遍性が表れる。多様な相互規定関係の共通性が型=パターンである。複数の同じ現象の表象であれば、同じ型として表れる。複数の同じ型として、それぞれ保存されて存在する。現象がくり返し現れれば、同じ型が再現する。
[2125]
異なる事物であっても、環境条件との相互規定関係が同じであれば、同じ型が共通性として現れる。液体は何であれ液体としての型を環境条件に応じてとる。だから水の力学、油の力学にはならず、流体力学が成り立つ。生物の相同器官も、異なる種でありながら、同じ型の表れである。
[2126]
【型の実在性】
型は構造として保存されることで、実在性を現す。油膜は、水と空気との環境条件にあって、油膜をつくる。生物細胞は疎水性と親水性のアミノ酸を組み合わせ、細胞膜として内外の区別を保存する。
[2127]
型は機能を実現する。タンパク質酵素は、折り畳まれた構造によって、他の物質と選択的に結合する。熱などによって変成し、型が違ってしまえば酵素としての機能を果たさなくなる。
[2128]
【秩序の実在性】
秩序は秩序の秩序を規定することによって秩序を保存する。秩序の秩序は現象を超える。異なる現象間で秩序は再現される。個別として区別される対象間には普遍的に自然数の関係が表れる。自然数の系は個別として区別される対象の普遍的秩序である。包含関係も乱れることのない秩序である。包含関係の普遍性によって対象の空間構造が規定される。ユークリッド空間に対して、フラクタル空間は繰り返される包含関係にある。クラインの壺の例は部分のうちに全体が繰り込まれる四次元空間にある。
[2129]
表象の属性の第1は「有る」か「無し」かである。ここから自然数が導出され、形式論理が導出され、「有る」か「無し」かの連なりから幾何学が導出される。自然科学が感覚の対象を追究する学問であるのに対し、数学は知覚の対象を追究する学問である。
[2130]
「有る」か「無し」かは肯定と否定である。肯定と否定と包含関係によって存在関係をを規定できる。
[2131]
肯定(である)と否定(¬:でない)と包含関係=条件法(⊃:ならば)の存在規定によって連言(∧:かつ:and )と選言(∨:または:or )と同値(≡:等しい)を定義できる。命題論理のヒルベルトの公理系の例とのことである。
[2132]
同値(A≡B)は(A⊃B)∧(B⊃A)の省略である。
[2135]
AとBが互いに異なる肯定であり、ここでの論理式での位置は相対的に決められるだけで互いに対称である。
[2136]
この肯定に「すべての」「ひとつはある」と存在量の規定を追加した一般的公理系もある。
[2137]
本質の規定性が秩序として、他に対して保存される。他との連関にあって保存される秩序の表象が情報である。本質の具体的他との連関において表される秩序が情報である。具体的な他との連関は偶然の組合せにあるが、偶然にあっても秩序として保存される本質の表象が情報である。偶然に生じる雑音=ノイズに対して保存される秩序がすなわち情報である。ノイズの中に情報を埋め込んだものが暗号である。
[2138]
情報によって物象の運動、事象が制御される。事物は情報によって表されるだけでなく、情報によって制御される。表象される秩序によって事物が制御される。生物の遺伝は、秩序の再現過程である。情報は生物によって反映され、生物個体の運動の制御として実在に作用する。
[2139]
【表象と主観】
われわれにとって表象は他との相互作用、実践において重要である。主観にとって他=対象は表象として与えられ、獲得される。主観は表象を手がかりに対象の普遍性を理解し、働きかける。理解し、働きかけることで、表象が対象のどのような表れであるのか理解する。対象と表象との関係を理解することで、対象の質、量、そして環境条件を理解する。
[2140]
さらに逆に、主観自体を理解する。主観自体は対象とどのように連関していて、どのような場合に誤りを犯しやすいか。何ができて、何ができないか。主観の、主体の限界を拡張するにはどうするか等。主観は表象をとおして、他と主観を理解し、主体を処する。
[2141]
他に対する主観を理解することによって、他の主観を理解できる。主観の理解が対象の理解であるから、対象としての主観を、他の主観、他の主体として、他の人を理解する。そして同じ主観どうし、秩序として表象される情報を交換、共有することができる。ことば、文字、音、図、映像、表情等、多様な表現手段を用いることができるが、どのような媒体を用いても実現しているのは情報の交換、共有である。理解したからではなく、主体としての成長過程で実践し、技術も習得してきた。
[2142]
【表象と仮象】
仮象は主観によって生じる。表象が現象と現象との境界としてではなく、主観による解釈として形をとったものが仮象である。錯覚も仮象である。主観にとって対象との偶然の相互連関が、対象の必然的相互作用と区別できていない表象が仮象である。
[2143]
第5項 情報
通常「情報」は意味を伝えるものである。情報は意味の媒体であり、処理の対象である。「情報」は表象され、伝達され、変換され、制御に用いられる。情報学で「情報」は通信と制御の対象として定義される。しかし情報は「評価」なしに意味を担えない。「情報」は意識の対象であるが、意識とは独立に存在する。物事と同じ存在形態ではなく、物事の秩序の表象として情報は存在する。表象によって媒介される秩序が情報である。保存され、複写され、伝達され、評価される表象が情報である。表象は個別存在の他との連関を表す属性であるが、情報は個別存在間の関係として個別存在を超えている。ミームは表象ではなく、表象に媒介される情報である。
[2144]
情報は実在の相互作用・運動の関係形式を表象するものであり、実在そのものの有り様を超えている。どのように超えているかをまず明らかにしなければならない。情報にとって対象となる実在は一連の相互作用連関過程である。実在の相互作用・運動は連関して全体の運動を実現しているが情報はその部分の関係を表象する。他とは区別される相互作用連関、保存するか再現する相互作用連関過程としての個別を対象化する。単純な連関過程もあれば、複雑に組織化した連関過程もある。しかし、いずれの連関過程もその内部の相互作用連関だけで孤立せず、他とも多様な相互作用連関過程にある。
[2145]
単純な石ころも、多様な結晶の結合としての内部の相互作用連関だけではなく、他の石や水や空気との相互作用の過程、環境にある。光を反射し、熱交換する相互作用の過程もある。複雑な人間の場合すべての相互作用過程を挙げるだけで哲学書が完成する。
[2146]
情報と情報の対象との関係をまず明らかにする。相互作用は情報にとってまず相互の反応として現れる。そして反応から情報がえられる。
[2146]
【反応と情報】
非対称の相互作用は片方向の作用であるかのように表れる。地球は太陽によって暖められる。地球は太陽からの放射を受けて地球の熱循環を維持する。熱エネルギー、エントロピーの流れだけに注目すると、地球が太陽から作用を受け、反応している。太陽が地球に対して圧倒的な規模であるから一方向的な作用に見える。しかし全体は太陽を含む相互作用関係系として太陽系の重力の平衡関係にあって、熱エネルギー、エントロピーの非平衡から平衡化に向かって相互作用している。太陽熱によって地球が暖められる反応は、情報を受け取っているのではない。反応過程はすべてが情報過程ではない。反応過程は相互作用一般に現れる効果である。情報を相互作用一般に還元できない。
[2147]
地上の単位面積当たりに受ける太陽エネルギーを測ることによって、太陽の温度情報をえることができる。しかし、このことは太陽からの情報を読みとったことにはならない。太陽と地球との距離。熱エネルギーを媒介する光の性質。地球の公転や自転。地球大気の性質や運動。等の前提となる情報に、測定した温度情報を組み込むことによって太陽の温度情報をえるのである。個々の反応過程がそのまま情報をになっているのではない。前提となる情報によって評価されることによって、反応が示す情報が読みとられる。
[2148]
反応を評価するには、反応系全体の関連秩序が情報系として表象されていなくてはならない。
[2149]
【情報の基本過程】
情報は複数の反応間の組合せと、組合せに規定される引き続く反応の決定過程をその基礎にする。複数の反応間で、一方の反応によって、他方の反応のあり方が規定される。作用を受ける反応過程の切替=スイッチ機能が情報の基礎である。切替は切替えないことも含む選択の過程である。切替え機能そのものではなく、切り替えることによって反応過程全体の方向が規定される。規定される全体の方向が、他によって、環境によって評価される。
[2150]
組合せの最も単純なものは2である。入力が1系統であっても、反応が「有り」か「無し」かの区別が必要であり、その場合「有り」か「無し」かを区別する時間的区分が前提になる。いずれにせよ区別の最小組合せである2つの状態を区別する入力に対し、同じく最低2つの区別される出力の一方が決定される過程で切替は実現する。
[2151]
情報過程での反応は一つの区別される入力に対して一つの区別される出力をする。複数の入出力があっても、反応の入出力は一対一で対応する。単純な基本的型は可換な2値の一方の入力に対し、可換な2値の一方を出力する。出力を規定しない反応は情報を実現しない。反応に対し、情報は複数の入力の組合せに応じて複数の出力の可能性から一つの出力を決定する。
[2152]
AならばCでは単なる反応である。AとBとの2つの可能性があり、Aが入力された時はCを出力し、Bが入力された時はDを出力する。BがAの否定であってもよい。複数の区別可能な入力が要である。入力に対して選択が決定されるのだから。単純な反応と違って情報が系として実現するには過程の全体が他によって、環境によって評価されなくてはならない。入出力の連関過程、過程全体の方向性が評価され、入出力連関が保存されるかどうかが評価される。有効であれば、入出力の連関は再現可能な過程として保存される。保存される入出力の連関過程は、生物では器官として実現する。
[2153]
出力決定自体が同様に歴史的継承の結果として前提となる情報の前提になっている。反応系全体の方向付け、秩序付けが情報の前提である。情報によって方向付けられ、秩序付けられるのではない。情報が方向、秩序を決定するのではない。方向、秩序を表すものとして情報がある。
[2154]
個別存在の相互作用過程の方向、他との連関形式の秩序を表す表象の形式が情報である。表象の表す方向、秩序は情報によって規定されるのではない。表象の表す方向、秩序は相互作用によって規定されている。その規定された形式が表象される情報なのである。
[2155]
特定の作用を受け取る入力。これは対称な2つの区別される反応状態を弁別し、保存し、伝達する。個別存在間の特定の相互作用としてすでに選択された作用である。
[2156]
入力に応じて変化するか、しないかを選択する。さらに変化する場合には、用意された選択肢を決定して切替える。選択し、決定した結果を出力する。
[2157]
この3つの過程が情報系を構成する。通信においても制御においても同じ事である。通信においては入出力過程が通信線であり、切替が通信内容・データを表現している。
[2158]
したがって、情報は即自的な存在ではない。情報は評価されなくてはならない。情報は他との関係、全体での位置を評価されなくてはならない。単に「有る」か「無し」かではなく、区別される対象が「有る」か「無し」かが評価される。区別される対象は情報を表現する桁=ビットとして抽象される。桁なしに「有る」「無し」を表現することはできない。桁は対象の区別を抽象した形式である。桁は反応過程の保存によって、反応を実現する媒体として用意される。動物の感覚受容器も、測定装置のセンサーも、物質化された桁である。
[2159]
桁が対象の区別の抽象であることは、測定精度が例示している。測定精度は連続的な形式ではなく、対象の区別である。対象の階層性の尺度である。測定精度を上げることは、少数で表せば桁を増やすことである。
[2160]
桁は抽象的な数学的形式だけではない。分子レベルの存在を測る尺度、原子レベルの尺度、原子核レベルの尺度、プランク尺度と存在の尺度がある。存在の尺度間に整数比関係は成り立たなくとも相互の規定関係の階層が明確にある。
[2161]
情報は少なくとも3つの個別存在間の相互規定関係での反映であって、全体が一つの系を前提にして評価される。一つの系としての全体に、部分の関係を評価するのであって、単独の個別存在の問題ではない。関係系での位置づけであって、一つの信号だけを対象にしてもそこには何の情報も含まれない。一つの信号は他と区別されて信号であり、他と区別される配置によって情報の値を表す。
[2162]
【表象として現れる秩序】
情報は複数の現象間相互に現れる秩序表象の第三の個別存在への反映である。
[2163]
対象間に現れるそれぞれの表象は対象規定の環境条件に実現する秩序である。対象の存在規定は対象存在の保存秩序を表わす。対象の現象規定は他との相互作用規定の実現秩序として表れる。環境、他との関係に変化があっても保存される対象規定が秩序として表象される。その変化が対象の実現を脅かすほどになれば、秩序も揺らぎ、さらに進めば対象は他に転化し、秩序も別の形になる。対象規定が保存される程度の環境、他との関係の変化が揺らぎであり、揺らぎの中で秩序は保存される。
[2164]
情報媒体は低次の情報であれば、様々な相互作用における物質の関係として現れる。高次の情報媒体は音声、文字、記号等々であるが、これらは媒体自体の物質的存在は単純であるが、媒体要素間の関係は非常に高度で、言語学一つとっても解釈すら一致していない。私たちにとって直接的に重要なのは脳を媒体とする情報系である。
[2165]
区別される複数の状態の組合せとして情報はある。組合せが情報として意味づけられる。組合せは対象によって規定されている。対象の規定性が組合せとして表象される。対象の規定性の表象は、対象の本質の表象であり秩序である。秩序は主観によって評価される形式ではなく、対象の本質、規定性の表象として表れる形式である。情報学での情報エントロピーとしての秩序は、この対象の規定性の表象形式のことである。
[2166]
第3節 認識の契機
意識があって、認識されるのではない。認識があって、対象があるのではない。対象間の関係があって、認識が成立する。認識があって意識が実現する。認識成立の契機を整理する。
[3001]
第1項 反応から反映
【保存される作用】
個別存在間の普遍的関係では普遍的相互作用が法則として実現している。個別存在間の偶然の関係では局所的、局時的相互作用が実現する。相互の組合せが局所的、局時的であるから偶然の関係である。組合せの自由度が、出会いの自由度が偶然性である。他から、全体から規定されていないから局所的である。それぞれの継承が異なるから局時的である。局所的、局時的偶然の相互作用結果がそれぞれの個別存在に保存されることが認識の契機になる。単に普遍的であれば、必然的であれば、反応関係を保存する必要はない。単に繰り返され、持続されるだけである。単に繰り返され、持続されない関係が、たまたま何度か繰り返されるから、それが同じ作用であるのか、普遍的な作用であるのかが問題になる。
[3002]
相互作用は過程であるが、個別間の相互作用はそれぞれの個別の有り様にも作用する。個別存在の有り様は固定した構造ではない。個別存在の有り様は、個別にとっての普遍的相互作用の実現としてある。すべての存在は運動過程としてあり、固定した構造と見えるものは要素間の関連が不変に保たれているからである。個別間の相互作用は個別存在の保たれている不変的構成要素間の関連にも作用する。個別存在の普遍性を実現し、個別存在を不変に保っている過程に作用する。個別存在間の偶然の相互作用は局所的、局時的であるとともに、個別存在の有り様にも作用し、それぞれの個別存在に継承される。相互作用の結果がそれぞれの個別存在の有り様として保存される。相互作用による個別存在の有り様の変化は、痕跡として保存される。さらに痕跡を受け入れ保存する過程が、個別存在のあり様に組み込まれるまでになる。相互作用の過程が相互関係の構造として固定される。
[3003]
日常経験的に他との相互作用は、記憶として、反応の習熟として、さらには能力の発達として保存される。感覚、運動器官も、記憶器官としての脳も、反応過程を保存する系として進化してきた。
[3004]
【相互作用の保存形式】
相互作用結果の保存形式も物質の階層に応じている。
[3005]
相互作用結果の保存形式の最も基本的、単純な形式は個別存在要素の配置の変化である。相互作用の結果は個別存在の形状の変化として残される。外観の変化、内部構造のひずみとして保存される。物理的保存である。剛体と剛体が衝突すると剛体内の分子の連関に作用し、作用量が大きければひずみを生ずる。さらに大きな作用を受けると、分子の連関を断ち切る。
[3006]
化学反応自体は分子間の相互作用であるが、化学反応として個別存在間の相互作用が実現されれば、個別存在内の要素に化学反応の生成物が保存される。化学的保存である。
[3007]
さらに個別存在内に複数の化学反応が相互に連関する化学反応系があって、個別存在間の相互作用によって反応系の個々の化学反応の連関に変化が生じたり、別の化学反応に置換される場合もある。化学的ではあるが、構造系的保存である。
[3008]
生物は物理的、化学的、構造系的保存の継承としてその物質代謝系を進化させてきた。植物は日光をより効率的に受け、養分をより効率的に取り込むように個体は成長し、種は進化している。植物の中にも太陽を追って花を向けたり、虫を取り込んだり、触れると葉を動かす反応をするものもある。動物は個体としての反応系を特に進化させた生物である。動物の場合単に相互作用結果を受け入れるだけではなく、対応する運動を積極的に行う。単なる相互作用の保存を超え、相互作用自体を制御しようとする。神経系は単純な反射作用で運動を制御することを基礎にしている。反射の階層化と、階層化した全体の反射反応のパターンが個体の対象と対応関係を形成し、中枢神経系に進化した。
[3009]
こう推論するのが自然の過程であるはずなのに、検証に値するデータがないと否定されている。自然科学者であっても意志や理性の問題になると神秘主義に捕らわれてしまって、自然の論理を無視してしまいたくなる者が多いようだ。
[3010]
このように物質の階層性自体が物質進化を保存している。物質進化の歴史は物質自体の構造、運動として保存されている。
[3011]
【反応の一般化】
個別存在間の相互作用は各々の個別存在内の運動と連なり、個別存在内の運動を経てさらに反作用し合う。個別存在間の特定の相互作用は関係する時だけの運動であるのに対して、個別存在内の反応機構は個別存在間の特定の相互作用にない時にも保存される。個別存在内の反応機構が特定の相互作用に対する反応系として、個別存在の構成として保存される。この過程での保存は、生物にあっては細胞内の反応機構としてだけでなく、新たな反応組織の形成としてある。細胞内の反応機構として複雑な過程を組織している。特に細胞分裂は自己否定をくぐって反応機構を再生する。
[3012]
特定の個別存在を対象とする反応機構、反応系であっても、対象となる個別存在のすべてと相互作用はしない。個別存在間の特定の機能的相互作用である。感覚は表象として対象をとらえる。視覚も可視光という極限られた範囲の波長の電磁波としか反応しえない。特定の機能的相互作用に対応する反応機構、反応系である。特定の表象に反応する。逆に同じ特定の機能的相互作用を実現する対象であるなら、反応系は他の個別存在であっても反応する。対象となる個別存在が同じ特定の機能的相互作用するものは、対象化する個別存在にとっては同じ存在である。カッコウの卵はホオジロにとって大きすぎても抱卵の対象であり、生まれた雛は給餌の対象である。
[3013]
同じ特定の機能的相互作用が特定の対象との相互作用一般に捨象される。個別存在間の相互作用を抽象し、対象の偶然な、詳細な個別性を捨象し、一般的な作用効果に対して、個別存在内に保存される反応機構が実現する。単に表象を反映するのではなく、表象関係を作りだす。感覚は表象関係を主体につくりだした進化の成果である。
[3014]
個別存在間の相互作用が直接的でなく、媒介されたものであるなら反応機構の一般化はより普遍的になる。視覚、聴覚、臭覚、味覚は光、振動、微粒子に媒介されている。これらの人の感覚は単純な媒介関係にとどまらず、経験、実践における統合として働く。そのため要素それぞれに結びつくが、個々の過程を反省するなら、対象の個別性を捨象し、普遍性を抽象していることが納得できるはずである。他人には双子を区別することができない。識別は訓練を経ねばならず、人は生まれてからその訓練を経て、さらに専門的識別は専門的な訓練を必要とする。日常経験的訓練だけでは本人と、鏡に映った象、スクリーンに映った象を見ても同じ人物であると認識してしまう。
[3015]
捨象、抽象は高度な思考力などではなく、相互作用に対する反応機構の一般的機能を基礎にしている。
[3016]
【反応の入出力】
個別存在の反応は入出力系でもある。相互作用の連関で反作用を実現する。力学的反作用は相互に作用する直接的反作用である。力学的反作用に対し、反応系の反作用は相互の連関自体に作用する。単に相互作用結果を保存するだけではない。反応系は自らの有り様を変え、自ら運動することによって相互作用関係自体を変える。
[3017]
この過程を機能的に見る。反応系は個別存在自体に取り込まれた反応過程を対象化する。反応系は直接的反応過程を対象化し、対象との連関関係を作用過程の再現可能な系として保存する。一定の作用に対応して再現する作用過程の系を形成する。特定する再現作用過程を対象とする個別存在との作用関係に戻す。受けた作用に対する特定の再現可能な反応過程への継承、さらに再び対象との相互作用過程への作用は否定であったり、別の作用であったり、無視であったり、個別対象の有り様に応じて選択される。選択の自由度がどの程度であるか、生物進化の自然選択の場合もあり、一般的に規定されはしないが可能性はある。可能性がなければ生物の反応系は進化のしようがない。
[3018]
反応系は特定の個別存在間の相互作用にとどまらず、環境条件一般に対して反応する。反応系は個別存在の有り様として自律的な反応機構を実現している。反応系は他の個別存在、環境条件一般からの作用を特定の作用として対象化し、入力とし、自らの有り様を変えて他との相互作用関係に新たな運動を出力する系である。
[3019]
【反応系の機能】
生物の反応系は複雑なので、反応過程をモデル化して、基本となる動作を確認する。単純な2つの区別とその切り替えだけからなる反応系である。
[3020]
反応系の基本は入力の「有る」「無し」を区別する。対象のあるなしは直接的反応過程ではなく、反省されて初めて評価される。ここでは直接的反応過程である。反応回路は「有る」「無し」を受け容れる桁=ビットの組である。反応回路は物理的存在としてあるが、入力は対象との相互作用であり運動状態である。運動状態が物理的存在である反応回路に現れることで、反応としての機能が実現される。反応が実現されているか、いないかという運動状態が対象化される。反応系は対象が何であるかにはかかわらない。対象との関係可能性は反応回路として既にできあがっている。どのようにできあがったかは、個別科学の課題である。[3021]
反応系による制御は入力を規則的に変換することで実現される。変換が規則的でなければ制御は不可能である。入力に対する出力が一対一対応であるだけなら、直接的反応関係と同じである。複数の入力の組み合わせによって出力が選択・決定されて、制御が可能になる。
[3022]
「有る」「無し」の2つの状態と、複数の入力に対する組合せが基本になる。複数の入力の最も単純な組合せ数は2である。したがって、4つの組合せが可能になる。2つの場の2つの状態の組合せである。「有る」・「有る」、「有る」・「無し」、「無し」・「有る」、「無し」・「無し」の組合せである。
[3023]
そしてこれは、入力に対する出力の組合せの可能性でもある。入力「有る」に対して「有る」を出力する。または、入力「有る」に対して「無し」を出力する。入力「無し」に対して「有る」を出力する。入力「無し」に対して「有る」を出力する。これ以外の組合せはありえない。
[3024]
【反応系の構造】
反応系が実現するためには3つの機能からなる構造が必要である。
[3025]
(1)「有る」か「無し」かを実現する媒体。
[3026]
(2)「有る」か「無し」かを判定する機構。
[3027]
(3)「有る」の場合と「無し」の場合でのそれぞれの処理手続きである。
[3028]
情報処理でいえば(1)はデータであり、(2)はハードウエア及びプログラム(3)はシステム規則・アルゴリズムである。
[3029]
「有る」「無し」の最も単純な区別を、最も単純な肯定と否定で処理する。この関係を規定する。
[3030]
(1)「有る」「無し」は桁=ビットに対応しての対象の存在状態である。対象は桁に規定された存在状態として「有る」か「無し」かである。
[3031]
(2)桁の位置に対象との相互作用が「有る」か「無し」かを検知する。
[3032]
(3)検知された結果により、「有る」を「有る」か「無し」かに置換する。「無し」を「有る」か「無し」かに置換する。
[3033]
この4つの置換処理を組み合わせで、対象との相互作用を制御する手順がシステム規則である。
[3035]
どのような置換が有効であるかによって反応系自体が選択され、保存される。入出力に対するこの3つの機能の構造形が反応系である。
[3036]
【反応系の適用】
単純な反応系を基本にして対象を単純化してより基本的個別存在を追求するか、あるいは全体をひとつの存在として抽象することによって複雑な個別存在を追求する。いわゆる分析と総合も、同じ反応系によって実現される。
[3037]
さらに、対象との連関にある主体としての個別存在=自己を対象化する。対象と自己との連関形式を対象化することで、自己を対象化し、連関形式を対象化した自己と対象化する自己との連関に引き写す。対象と連関する自己を対象化する。自己対象化である。自己の内に自己を含む対象を取り込む。自己言及を可能にする。
[3038]
反映は対象と主体としての個別存在=自己との相互作用に現れる表象の実現である。対象の、対象間の普遍性が自己のうちに秩序として反映される。再現可能な相互作用は、対象個別との反応を反映する。相互作用間の普遍的規定関係は法則として反映される。個別の存在と法則は秩序として反映される。
[3039]
【反応の対象化】
反応を対象化できる個別存在は動物である。あるいは動物である人間によって作られた情報システムである。個別存在のうちに受け容れられた反応を個別存在が対象化、自らを対象化するのであるから、動物の神経系によって、それは実現される。例えで示せば、反射反応は直接的な反応である。条件反射は、反応を対象化している。自らの部分を対象化する。自らの全体を対象化する前段階である。
[3040]
反応の対象化が反映である。反応が個別存在の反応系として個別存在のうちに反応機構として構成されるなら、反応系はその機能を反応機構自体に向けることが可能になる。反応系は相互作用する個別存在を対象化するが、それは対象である個別存在からの作用を受け入れることで対象化する。受け入れられた対象からの作用は、個別存在の内の反応過程である。他から受け入れる反応過程と、それに引き続く反応過程に質的違いはない。他から受け入れる反応過程を対象化する反応系は、その同じ対象化の機能を引き続く反応過程に向けることに質的違いはない。違いは受け入れる反応過程は相互作用の対象との相互規定関係にあるのに対し、引き続く反応過程は自らを構成する要素からなる。[3041]
個別存在の相互作用の対象との関係が、自らの内の反応系の過程として対象化される。自らの内の反応過程として個別存在の相互作用の対象が重ねられて対象化する。自らのうちへの対象化が反映である。個別存在の相互作用の多様な経験は自らのうちに対象を再構成する。
[3042]
【反応系の対象化】
入力の組合せに対し反応系で出力を選択する。出力の選択は組合せの可能性の中から、反応系自体の被選択として選択され、継承されてくる。反応系自体が対象化されて、選択される。
[3043]
入力に対して出力が対応するが、入力が一定であれば出力も一定であり、直接的反応にとどまる。実際には入力は複数あり、その組合せに対する出力の選択・決定が反応系の媒介する機能である。実際には対象からの入力は多様であり、その中から対象を捨象している。
[3044]
入力の対象化は、入力の区分化である。分節化との表現もある。多様な組合せの入力をどう分別するのか。分解能は入力でも、出力でもなく、反応実践の効率によって選択される。反応実践の有効性によって、入力に対する分解能が獲得されてきた。入力に対する選択肢の区分が反応実践によって選択されてきた。入力の区分化は判断としての分節化の基礎である。
[3045]
個別存在と個別存在間の相互関係を規準として対象を捨象することが対象化である。対象を捨象する反応系の機能は、そのまま反応系を対象化して、対象を抽象する。
[3046]
【反応と反映】
反応は直接的相互作用の連関である。これに対して反映は反応の連関関係の対象化である。ただし、反映は反応によって実現しているのであって、他の構成要素は何も加わっていない。これは感覚からの知覚の分化である。
[3047]
感覚が媒体を介するにしろ直接的相互作用の連関として実現するのに対して、知覚は対象と主体との相互関係を対象化する。対象と主体との表象関係を知覚は対象化する。主体は対象を表象をとしてとらえる。対象と主体との相互関係に対象を、感覚を媒体にしてとらえる。主体は対象を対象間の連関の中に対象化し、すべての対象と主体との全体の中に対象化する。
[3048]
知覚の対象は表象である。個別存在間の相互対象化としての関係のうちに相互に区別する形式である表象が知覚の対象である。表象として区別される個別存在間の関係は個別存在自体の規定性と、個別存在間の法則性を反映する。規定性と法則性は秩序である。
[3049]
第2項 反映から認識
反映は個別存在間の相互作用の個別存在内への反作用を伴う作用である。個別存在は反映を保存し、反映を組織化する。反映は個別存在の発展により、個別存在そのものを規定する反映系を構成する。他の個別存在との相互作用の結果としての反映と、それに基づく実践が個別存在の全体的運動になるのに対応して、個別存在は反映と実践とを制御する個別存在へと発展する。
[3050]
反映と反応が個別存在の内の特別な組織によって担われるようになり、それまでの反応は認識へと発展する。
[3051]
認識は反映と反応の経験を組織的に蓄積することにより成立する。種において生理的に蓄積され、やがて社会的に文化として蓄積される。認識は個別存在の特殊な運動形態である。直接個別存在の存在には関わらないが、個別存在全体を統制する。
[3052]
個別存在は単独ではない。他と区別されて存在し、他と連関する類的存在である。だからこそ他との関係形式としての秩序を情報として扱うのである。
[3053]
【反映の対象化としての認識】
認識は特殊化した反映であり、一般化する反映である。認識は反映を個別存在内の特殊な器官の運動形態になる。その一方、個別存在の運動を統制するより発展的な運動形態になる。そして認識の対象は主体と対象との関係に一般化する。個々の反映の対象は特殊なものになるが、認識の対象はより一般的になる。
[3054]
認識は認識主体によって方向づけられた反映である。他との相互関係を全体・一般に位置づけ、主体を価値づける反映である。主体と対象との関係を主観一般に位置づける。主体と対象との客観的過程を主観のうちに再現する。
[3055]
【実践の過程としての認識】
反映が反応と相互作用の全関係のうちに統一されているように、認識も実践と統一されている。認識は実践の一部であるし、実践は認識を前提にしている。実践から切り離された認識は、現実存在を反映できない。認識によって方向づけされない実践は、主体の存在すら実現できなくなる。
[3056]
主体は対象を主体化し、主体を対象化することで自己実現し、存在し続ける。主体としての存在は実践としての運動形態である。この運動を方向づけるのが認識であり、認識にもとづいて実践は方向づけられる。その認識も主体の存在、実践の一部である。
[3057]
【認識の位置】
個別存在の特殊な運動形態としての認識は、一般的に対象を反映するものとして個別存在の発展を画するものである。部分としての主体が全体と関係する可能性を担うものである。全体を部分がその内に取り込んで、なお全体の部分でありつづける。この包含関係の矛盾を現実に解決するのが実践であり、現実存在をその部分である認識として、抽象的質において実現する。部分である主体が、概念として全体関係を自らの内に反映させ、客体の全体関係を変革の対象として対応する。
[3058]
個別存在としての主体は対象を反映し、自らも含む全体と全体における主体の関係を反映する。決して、個の中に全体を反映するのではない。「全体を含む個、個の内に全体を含む」というホロニックの理解は皮相的である。現実の中でこそ個は全体を反映できるのである。現実と反映した全体とを対応させることによって、個は全体をとらえる。
[3059]
第3項 情報の認識
【情報の対象化】
抽象的情報であっても媒介するものとして実体を持たねば存在できない。対象からの情報は、媒介する実体として対象化される。光、音、微粒子、文字等の表象を表すものによって情報は媒介される。情報対象は、対象化して評価するという主観的関係ではなく、生成物として、実体としてなくてはならない。
[3060]
一連の相互作用連関過程を対象化する場合、直接的生成物を対象化したのでは連関に連なり相互作用になってしまう。一連の相互作用連関過程を対象化するには直接の相互連関とは別の連関として取り出さなくてはならない。方法は対象との相互作用の一部を取り出す方法と、副次生産物を取り出す方法である。一部を取り出す方法は対象との相互作用にあって、対象との相互作用を擾乱しない程度に小さな部分を取り出すのである。この2つの方法は対象化自体によって区別されるのであって、対象やその方法によって区別されるのではない。対象化自体に依存する相対的な違いである。客観的にはすべての相互作用は相互に連関しているのであるから。客体的存在のあり方ではなく、対象を主観のうちに取り込む対象化の問題である。客体を対象化することによる擾乱を最小限にし、対象の対象化する面には作用しないようにするのである。
[3061]
日常経験的対象であれば、触ること、見ることで存在を確認することができる。しかし、日常経験の対象としてであって、相互作用による対象の変化は生じている。触れて対象からの抵抗を感じるということは、互を構成する原子の外核電子間斥力が働いてしまっている。マクロ的にも熱の交換が起きている。見る場合も対象が光を発するか、反射することによる対象の変化を経て見ている。日常経験ではそれら相互作用の結果を無視できる尺度で対象化しているにすぎない。
[3062]
対象の他との相互作用にあって、相互作用の一部を情報として取り出す例は水銀温度計による計測がある。温度計は対象との熱平衡を実現することによって対象の温度を測る。熱平衡は高温の物体から低温の物体へ熱が移動することにより、すなわち熱を奪うことにより計測する。ただ移動する、奪う熱量が対象の熱量のほんのごく一部であるから、計測の目的を達するに許される誤差の範囲内に収まるのである。この情報の正確さは、情報取得による対象の擾乱を、情報化される対象データに反映しないように小さく押さえることである。
[3063]
対象の過程から副次的に生じる生成物を対象化の媒体とする例は、見ることである。対象の光学現象を対象とするのではなく、対象の形、質感等を対象化する場合である。他との相互作用の場で光を発し、あるいは反射している。光との相互作用は対象の他との相互作用の一面である。対象の光学現象としては主要な相互作用である。日常経験の対象存在としては、光との相互作用は副次的であり、そこで発生する光は副次的生産物である。光との相互作用は、対象の形、質感を確認する上では捨象することができる。
[3064]
一連の相互作用連関過程過程と副次生成物間の蓋然性、または相互作用の一部を取り出して情報とする場合の非擾乱性。 副次生成物を表象として対象化する蓋然性、または相互作用の一部を取り出して対象化する保存性。 対象として表象して対象化する蓋然性。この3つが実現することで情報処理過程が成立する。
[3065]
【情報系】
情報の対象、情報の媒体、情報の主体として情報系は運動し、存在する。情報の対象、媒体、主体は物理的には独立した存在でありうる。
[3066]
情報は情報媒体の問題でも、情報媒体の意味論でもない。情報系として恒存する関係にあって3つの要素の相互対応運動である。対象と媒体との対応関係を主体が保存する構造系である。
[3067]
情報の媒体の配列、構造等の状態によって対象との1対1対応(全単射)をなす系を基礎にしている。
[3068]
情報媒体そのものを情報対象とする二次情報、二次情報を対象化する高次情報の系を発展させる。複数の同じ質を対象とする情報媒体をくくって、情報対象とすることで1対1対応の形式を維持して情報の関係としては多対1対応を実現する。逆に、くくること自体が対象の質を抽象することである。くくって抽象することで、普遍性を表象する。
[3069]
また情報対象と情報媒体の対応関係を情報対象とする系を形成する。情報の対象になりうるものは、情報系にあって対象を定義できるあらゆるものが情報対象になりうる。情報にとって重要なのは対象ではなく、情報系の普遍性である。その情報系の普遍性のうえで、個々の情報対象は評価され、位置づけられる。さらにその情報の普遍性は、個人の経験だけによるのではなく、その個人の経験自体が社会的、歴史的普遍性のうえに実現している。
[3070]
情報系は情報系単独では存在しない。物質的存在の相互作用の中の主体的存在によって、主体の運動の一部分として実現される。情報系が単なる関連ではなく系であるのは、情報が対象・媒体・主体と一方的に流れるのではなく、対象・媒体・主体の情報の運動する構造があり、構造の実現が必要だからである。
[3071]
ことばは情報媒体である。しかし、未知の外国語で書かれた文章は、ことばであるらしいことは理解できても内容は理解できない。情報媒体であることは理解できても情報は理解できない。翻訳辞書があり、一般的な言語文法の知識があれば、基本的情報を理解できる。辞書と一般的文法知識という、この場合の情報系を実現する手段によって未知の外国語の文章を理解できる。情報として理解されるのは外国語の意味ではなく、外国語で書かれた文章の意味である。文章の意味を理解するのは主体である。辞書や文法が文章の意味を理解するのではない。
[3072]
外国語の文章が自然科学の論文で数式主体のものであったら、やはり私には理解できない。対象についての理解がなければ、情報媒体によって情報を理解することはできない。主体と対象との間に情報を授受できる構造ができていない限り、情報媒体はたんなるインクのシミを実現しているにすぎない。
[3073]
【情報対象】
情報対象は情報媒体によって表象される対象であるとともに、情報系によって操作される対象である。物理的存在だけが対象になるのではない。物質の存在形態のあらゆる表象が情報対象になりうる。
[3074]
情報対象になるかどうかは、情報主体に依存する。情報主体が情報の価値を評価しなくては、情報対象は成り立たない。さらに情報系に取り込まれなくては、情報は実現されない。
[3075]
人間の知識対象としての自然は、無限の情報の可能性をもっているが、その存在が即情報対象にはならない。人間の認識能力の量的、質的拡大に応じて情報対象として、人間社会の情報系に取り込まれ情報として流通する。
[3076]
情報対象は情報系の内に情報によって作り出されもする。情報対象間の関係の拡張として、情報系外に対応する対象がなくても、情報対象を作り出す。ここに妄想の必然性が開かれる。
[3077]
【情報主体】
情報対象と情報媒体との対応関係を基礎にし、情報系を実現するのは情報主体である。情報を価値づけ、情報の運動を実現する。情報主体を含む情報系を実現するのは類的情報主体である。
[3078]
情報は基本的に対象間の因果関係の結果として作り出される。情報対象から情報媒体への作用として、情報媒体が結果を実現する。情報対象の反映を情報媒体が実現する。
[3079]
対象間の相互作用を因果関係として評価する基準系が情報系であり、評価するのが情報主体である。情報媒体と情報対象との対応関係を評価するのも情報主体である。情報媒体間の関係を評価するのも情報主体である。
[3080]
さらに情報主体は、情報を加工して新たな情報を作り出す。情報主体の作り出す情報は、作られた情報であり、対象間の関係にあって作り出された一次情報と異なり、意識的な誤りを含みうる。
[3081]
【情報媒体】
情報媒体は基礎的には物質的存在である。対象と主体間の相互作用を媒介する物質が、情報媒体の物質的基礎である。情報の保存性は、情報媒体の物理的恒存性に依存する。情報媒体が消失してしまっては情報も失われる。
[3082]
情報系の発展によって情報媒体も発展する。物質的存在そのものが情報対象と1対1対応していたものが、多対1対応になる。複数の対象の普遍性が抽象されて、1つの情報媒体に関係づけられる。逆に複数の同一の情報媒体との関連によって、複数の対象の普遍性が捨象される。
[3083]
運動が物質の存在形態であり、基本的には情報媒体も物質の状態としてある。物質の状態は物質の運動として歴史的に発展してきた。より基本的物質の運動の激しさから、より発展的運動の安定性を実現してきた。情報媒体もより発展的物質によってより安定化し、より不変的に存在しえる。
[3084]
さらに情報媒体は物質の存在に依存せず、物質の配列としてより発展する。配列さえ保存されれば、その物質の状態や質は問わない。配列の保存は複写の容易性によって、情報をよりよく保存する。
[3085]
素粒子レベルでの一定の状態の存続期間は非常に短い。生物は生理過程にあっては、常に物質代謝をおこなって個体を維持し、世代交代によって種を保存し、また進化している。人間個体は死んでも、その人の新たに獲得した知識は歴史的に残りえる。
[3086]
文字そのものは情報媒体ではあるが、単独では有意な情報を持たない。文字の組み合わせ配列として単語を形成し、句を、文節を、文章を構成する。文字によって媒介される情報は、書き写され、複写され、さらに翻訳されて普遍的存在になる。
[3087]
【情報表象】
文字よりも普遍的配列は状態の配列としてのビット列である。「有る・無し」の配列は媒体を問わない。より基本的物質の存在形態を利用することが、情報媒体の操作性を高める。媒体への依存から切り離され、秩序、パターンによって情報は表象される。
[3088]
冗長性を削った最小表現がビット列で表される。繰り返しや、重複をなくしていくと、「有るか無いか」に捨象され、ビット列にまで圧縮される。ビット列の冗長性を削って、最小表現のビット列まで圧縮し、さらに圧縮すると元の情報を正確に再現できなくなる。
[3089]
ビット列は1,0でも、石の配列でも、大小の穴(CD等)、細線,太線の組み合わせ(バーコード)、電気のオン・オフ(電気、電子回路)でも何でもよい。
[3090]
さらに、ビット列は保存、変換、複写、加工が容易である。操作の容易性は誤り訂正の系を組み込みえる。操作可能な情報媒体は、蓄積、検索、通信を発達させる物質的基礎である。
[3091]
操作によって生じる誤り訂正の系は複数ある。情報媒体を多重化することによって、多重化された媒体の比較で誤りの存在を確認できる。媒体を平行に操作する多重度が多くなれば、誤りの存在確認だけでなく、誤りの訂正が可能になる。
[3092]
またパリティ・チェックにより、ビット列ごとの値を付加することによって誤りの存在を確認できる。数値の場合、数値列を一定の関係式による値をチェック・ビットとして付加して誤りを検出する。
[3093]
誤りが確認できた場合は、同じ操作を繰り返すことによって誤りを訂正できる。
[3094]
ただし、ビット列はビット列の表現する情報との対応関係、情報の対象との対応関係が保存されなくてはならない。
[3095]
コンピュータでは中央処理装置、入出力装置、記録媒体、基本ソフトウエア、応用ソフトウエアのすべてが保存されなくては情報は消滅してしまう。情報媒体だけで情報は保存されるのではない。
[3096]
【情報操作】
情報の操作は情報媒体の操作と、情報対象の操作である。情報媒体の操作は情報主体によって行われ、情報対象の操作はその情報系をもつ存在主体の運動として実現される。情報によってフィードバックが行われるのではなく、情報をえた主体によってフィードバック操作が行われる。
[3097]
操作可能な情報媒体は、情報対象からの相対的独立性をもっている。情報媒体の操作は、主体と対象との対応関係を保存しながらおこなわれる。保存される対象との対応関係として、論理が操作を規定する。対象を直接操作しないで、対象を理解したり、人に伝えることができる。
[3098]
言語は対象と直接の対応関係の中で発生し、対象構造に対応することで高度化し、言語自体を対象とすることで高次化してきた。言語は音声、文字から独立して記号化した。記号化した言語は神経系を媒体として、イメージ、概念の運動として実現される。概念化された記号は、演算され、記号処理体系を整え、計算機による操作が可能になる。
[3099]
【情報空間】
情報は媒体の変換、複写という媒体操作の確立により特定の媒体への依存から解放される。情報媒体一般の上で情報独自の運動が可能になる。対称な可能性の配列として情報空間はある。
[3100]
一方、情報系の高度化、普遍化が情報対象の構造に対応し、主体と対象との相互関係を反映する情報となることで、情報系の構造化が実現する。主体の対象を反映する情報系の構造が、情報空間として実現する。
[3101]
情報空間の反映する対象が、主体の対象の全域に拡大することで、情報の運動は精神活動となる。情報空間は主体の価値評価系を秩序として組み込んだ世界観となる。
[3102]
索引
次編