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独白 2025年

二元論の復活ページ

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二元論の科学者

何のことない、多くの物理学者は二元論者だ。
計算できる世界と、計算の元データからは理解できない“実体”世界とがあると解釈している。
この一文は、物理学者の多くが(おそらく無自覚のうちに)二元論的な世界観を持っている、という見解を述べています。つまり、「計算可能なモデル世界」と、「その背後にある本質的だが不可視な“実体”世界」の二つを区別して捉えている、という指摘です。
解説:
「計算できる世界」 これは、物理学が扱う数式やモデルで記述・予測できる世界のことです。粒子の運動、場の理論、量子力学など、現象を抽象化して数式に落とし込める領域。
「計算の元データからは理解できない“実体”世界」 一方で、このような数式的記述の背後には、数式では捉えきれない“何か”があるのではないかと考える立場。これは「実在」「本質」「物自体」などと呼ばれる哲学的な対象で、たとえば量子力学で言えば、「観測される前の波動関数の意味」や「観測による実在の確定」などがこの問題に関わってきます。
背景にある思想:二元論
この「計算できるモデル世界」と「理解できない実体世界」の二分は、哲学的には二元論(デュアリズム)に分類されます。特に有名なのはデカルトの心身二元論(精神と物質は異なる実体)ですが、ここでは:
・モデル(形式、情報、数式)
・実体(本質、存在そのもの、物理的実在)
といった区別です。
暗に批判していること:
この文は、「多くの物理学者が気づかぬうちに哲学的立場を取っている」ことを指摘しており、やや批判的な含意を含んでいる可能性があります。つまり:
物理学は“計算できる”ことに成功してきたが、それをもって“世界を理解した”と思い込んでしまうと、肝心の「実体」に目を向けることを忘れてしまう。
関連する議論:
・ニールス・ボーア vs アインシュタインの論争:量子力学の解釈に関する論争も、実体をどう捉えるかが中心でした。
・科学と実在論:科学理論が「現実の真の姿」を描いているか、あるいは単に予測の道具なのかという問題。
・情報と存在:「情報が世界の本質か?」という問いも、近年の物理学(量子情報論など)では活発に議論されています。
まとめ(言い換え):
実際のところ、多くの物理学者は無意識のうちに、世界には二つの側面があると考えているようだ。一つは、計算や数式で記述できる側面。もう一つは、それらの背後にあって、数式だけでは捉えきれない“本当の実在”だ。
多くの科学者は計算できる世界を現実世界として受け入れているのでは?
はい、非常に重要な指摘です。そしておっしゃる通り、多くの科学者は「計算できる世界=現実世界」だと受け入れている、あるいは少なくともそういう姿勢で科学を進めています。
◆ 科学者が「計算できる世界」を現実とみなす理由
予測と操作の成功 数式やモデルが現実の現象を驚くほど正確に予測・制御できるため、それを「現実の姿」と見なすことにほとんど不都合がない。
実証主義・操作主義的立場 「観測できないものは語らない」「観測結果に対応する計算だけが意味を持つ」という立場では、計算できるもの=現実に関わるすべてになる。
実在論より有効性重視 「モデルが有効なら、それが“本当の現実”である必要はない」という、**道具主義的(instrumentalism)**な考え方も広く受け入れられている。
◆ ただし、科学者の立場にはグラデーションがある
科学者がすべて「計算=現実」と単純に信じているわけではなく、以下のような立場が混在しています:
立場内容
実在論者モデルは現実の真の姿を写しているアインシュタイン、現代の場の理論家など
道具主義者モデルは現実の説明手段にすぎないニールス・ボーア、カール・ポパー的立場
二元論的実在観モデルは現実の一側面で、背後に“実体”があるプラトニックな数理実在論など
◆ ではなぜ「二元論的」と言えるのか?
あなたの元の疑問に立ち返ると:
科学者は「計算できる世界」を現実とみなしているのに、なぜ「二元論的」とされるのか?
これは、科学者自身は一元的に見ているつもりでも、暗黙的に二元的な構造を受け入れてしまっていることがある、という意味です。たとえば:
・量子力学では「波動関数」が現実を表しているのか、観測結果だけが現実なのかという問題がある。
・時空や物理定数を使って記述された「現実」が、なぜそうなっているかという“理由”は数式からは出てこない。
・数式モデルが「どうして」現実に対応するのか、説明できないが信じて使っている。
このように、「計算できる世界」と「その背後にある何か(理由・実体・存在)」を分けている構図が、実は現代科学の深層にあるという指摘です。
◆ 哲学的には?
この問題は、科学哲学では非常に重要なテーマで、以下のような論点と重なります:
・科学的実在論 vs 道具主義
・モデル理論の限界
・数理構造主義(Mathematical Structuralism)
・情報実在論(It from bit)
・カント哲学の「物自体(Ding an sich)」と現象
◆ まとめ
はい、多くの科学者は「計算できる世界」を現実そのものと見なしているのは事実です。ただしそれは:
・現象を予測・制御する目的において「現実とみなす」立場であり、
・「現実そのものとは何か?」という問いには明確な答えを出さず、
・結果的に、計算モデルとその背後の“実体”との間にギャップが生じる。
そのため、科学が暗黙のうちに二元論的な立場に立っているという指摘には一定の妥当性があります。

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