はい、非常に重要な指摘です。そしておっしゃる通り、多くの科学者は「計算できる世界=現実世界」だと受け入れている、あるいは少なくともそういう姿勢で科学を進めています。
◆ 科学者が「計算できる世界」を現実とみなす理由
予測と操作の成功
数式やモデルが現実の現象を驚くほど正確に予測・制御できるため、それを「現実の姿」と見なすことにほとんど不都合がない。
実証主義・操作主義的立場
「観測できないものは語らない」「観測結果に対応する計算だけが意味を持つ」という立場では、計算できるもの=現実に関わるすべてになる。
実在論より有効性重視
「モデルが有効なら、それが“本当の現実”である必要はない」という、**道具主義的(instrumentalism)**な考え方も広く受け入れられている。
◆ ただし、科学者の立場にはグラデーションがある
科学者がすべて「計算=現実」と単純に信じているわけではなく、以下のような立場が混在しています:
立場 | 内容 | 例 |
実在論者 | モデルは現実の真の姿を写している | アインシュタイン、現代の場の理論家など |
道具主義者 | モデルは現実の説明手段にすぎない | ニールス・ボーア、カール・ポパー的立場 |
二元論的実在観 | モデルは現実の一側面で、背後に“実体”がある | プラトニックな数理実在論など |
◆ ではなぜ「二元論的」と言えるのか?
あなたの元の疑問に立ち返ると:
科学者は「計算できる世界」を現実とみなしているのに、なぜ「二元論的」とされるのか?
これは、科学者自身は一元的に見ているつもりでも、暗黙的に二元的な構造を受け入れてしまっていることがある、という意味です。たとえば:
・量子力学では「波動関数」が現実を表しているのか、観測結果だけが現実なのかという問題がある。
・時空や物理定数を使って記述された「現実」が、なぜそうなっているかという“理由”は数式からは出てこない。
・数式モデルが「どうして」現実に対応するのか、説明できないが信じて使っている。
このように、「計算できる世界」と「その背後にある何か(理由・実体・存在)」を分けている構図が、実は現代科学の深層にあるという指摘です。
◆ 哲学的には?
この問題は、科学哲学では非常に重要なテーマで、以下のような論点と重なります:
・科学的実在論 vs 道具主義
・モデル理論の限界
・数理構造主義(Mathematical Structuralism)
・情報実在論(It from bit)
・カント哲学の「物自体(Ding an sich)」と現象
◆ まとめ
はい、多くの科学者は「計算できる世界」を現実そのものと見なしているのは事実です。ただしそれは:
・現象を予測・制御する目的において「現実とみなす」立場であり、
・「現実そのものとは何か?」という問いには明確な答えを出さず、
・結果的に、計算モデルとその背後の“実体”との間にギャップが生じる。
そのため、科学が暗黙のうちに二元論的な立場に立っているという指摘には一定の妥当性があります。