存在秩序の受容

世界の存在秩序を理解できたなら終わりです。
物事は思いどうりになり、悩み事もなくなります。
しかし、人の理解力は生物としてのヒトが生き残る環境に制限されています。
人の理解を超えた世界があります。
理解できなくとも世界の存在秩序に則って生活するしかありません。
不可知を踏まえて世界の存在秩序表現を受容して、世界を解釈します。

理解できなくても、身体は代謝秩序を実現して存在しています。
代謝秩序を実現することで生きています。
代謝秩序が崩れると病気になります。
代謝秩序が失われると死にます。
理解できない世界の存在秩序を理解しようと哲学が存在します。
理解できないから理解しようとします。
昔から知は無知を知ることととされます。
検証できるのなら理解するまでもなく、受容するしかありません。
検証できない対象を理解するには、これまでの理解を敷衍するしかありません。
検証のできない理解の関係を拡張する解釈になります。
検証できないどころか、未知が満ちる世界を、慎ましい理解力での解釈になります。

解釈は観念的思考です。
解釈する観念的思考能力は古代ギリシャの哲学者、いやそれ以前に誕生したホモサピエンスと同じです。
個人的違いはヒト以外の動物と比べて、AIと比べて違いと言えるほどではありません。
また、人類の視野は、森からサバンナへ進出してその日を生きることに追われていた時代から、加速度的に発展している科学技術的観測手段をもつ今日、どれ程広がってきたでしょうか。
今日でも宇宙の広さ、量子の振るまいにほとんどの人が戸惑うでしょう。
であっても、納得して人生を追えるには、自らの解釈を省みるしかありません。
困難に立ち向かうには自らの解釈に納得するしかありません。
納得するには慎ましい理解力だけが頼りで、それ以上は望めません。

人は物質代謝秩序を組織化することで社会的存在である人間になりました。
生きるには社会的生活が前庭になります。
60億もの人々の生活は社会経済が支えています。
厳しい自然環境でもそれなりに安全に暮らせるのも社会のおかげです。
今日の生活必需品を自足自給でまかなうことは不可能です。
戦争や格差があっても、社会を否定することはできません。
社会秩序に沿って生きます。
与えられた社会的環境条件の中でよりよく生きます。
社会的環境条件をそれぞれ担っています。
人類の一員として社会秩序に従いながら社会秩序を革新します。
自らの社会条件に従いながらも変革するバランスが問題です。
既存の社会の環境条件を受け入れなくては生活できません。
よりよく生きるには社会の環境条件の変革が社会人の課題です。
自らの能力をどう発揮し、どこで自己実現するか社会的立ち位置が問われます。
自らを社会的にどこに位置づけるかは世界の秩序解釈によります。
革命を目指さなくても、職場の制度、仕組みに対する態度が問われます。
寄生して生きる人もいますが、その人の人生解釈でしょう。
信念は世界の解釈に裏打ちされます。
解釈は価値観の問題です。
現実を変革するにしても世界を解釈しなくては方向が定まりません。
世界を解釈するだけでなく、変革することでよりよく、より確かに理解できるようになります。
しかしそれは結果であって、踏み出すには、貫くには自らの世界解釈への確信が必要です。
世界の解釈さえ定まっていれば、社会政治状況ががらりと変わっても流されません。
実践的であるほど現実の激変に戸惑ってしまうようです。
変革者なら逆に、目指す変革が成っても、さらなる変革を目指します。
歴史に終端がないのですから、変革者にとっての普遍的態度です。
自らの世界解釈の確信程度によって意志の強さが決まります。

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2025.06.10