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第三部 第二編 実践

第5章 実践主体


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第5章 実践主体

人間が社会的主体として社会と関わる具体的な有り様である。世界を認識し、世界に働きかける実践の有り様である。社会とのしっかりした関係を築くことで自らの生活は保障される。[0001]
組織運営の手引ではない。実務ではそれぞれの分野での組織の有り様があり、一般的組織論は実務の役には立たない。実務を見通す視点の整理にはなるかもしれない。[0002]


第1節 組織

【組織参加】

人は誰も意識する以前から社会組織に参加している。社会組織として意識する以前に家族としての組織の構成員である。家族は単に哺乳類の子育ての場ではない。夫婦は協同して働き、生活環境を整え、子育てをする。家庭は役割分担のある組織としてあり、経営を特に意識しなくとも収支の均衡を図り、将来に備え、それぞれの要求を満たす。組織運営に失敗すれば家庭も崩壊する。[1001]
自分の生まれた家族以外の組織へは本人なり家族が選択して参加する。新たな家族を構成する結婚でも相手の選択、居住地の選択等から始まる組織作りである。就職も社会組織の選択であり、就業は経済的連関のうちに組織を作ることから始まる。組織的関わりとしてそれぞれの生活が築かれる。[1002]
組織への参加は組織の利用と組織への依存である。それぞれの人が加わり、関係する組織は一つではないし、それぞれの組織は階層構造をなして社会全体の組織としもてある。それぞれの構成員は時と場合によって利用もし、依存もし、形式的に区別することはできない。しかし当人にとって主体性の違いは明らかである。組織の目的と構成員の目的との相関で基本的に当人の主体性が違う。それぞれの価値観、世界観に添う組織へはより主体的にかかわる。価値観、世界観の意識されようは人によって異なり、主体性も人によって異なる。世界観にとっての組織問題は主体性実現であり、組織運営への関わり様になる。[1003]

【影響力】

組織への主体的かかわりは分担する役割を担うことであるが、組織決定への影響力として評価される。決定への関与は制度的意志決定での議決権だけではない。地位に与えられた権限だけが決定権ではない。決定内容にかかわる情報を収集し、決定に関与する人々との意見交換がまずある。その上で組織制度的決定手続きに関わることで影響を行使する。[1004]
報告される情報を待つのでは影響力は小さい。情報を探して入手することで影響力は大きくなる。情報を探す手段、入手する手段は職権として与えられるだけでない。経験と知識によって情報入手手段を獲得することが影響力の基礎になる。情報は入手するためにも、理解するためにも関係する基礎知識が前提になる。[1005]
社会組織は機械のようには動かない。機械であってもそれぞれに癖もあり、経年変化もする。人の組織の場合には機械以上にそれぞれの自由度が高く、相互連関には機微がある。[1006]

組織最高の影響力は全体の方向性を決める運営への参画である。組織制度上の地位と権限を担うことで与えられた影響力を行使する。与えられた影響力にとどまらず、不測の事態に陥らないように、陥ったときに手当てできるように働きかけて影響力を強める。組織内には個人的利害取引や人の弱みを突くことで影響力を発揮する者もいる。全体の運営には組織の目的に照らした健全性を確保する責任がある。[1007]
運営に加わらない者も組織の構成員として、運営についての想像力で自らの組織的役割を評価する。全体の視点にたつことで自らの方向性を見出すことができる。[1008]

【指導力】

組織集団が大きくなれば同期をとり、方向づけるには意識的統制が必要になる。まして年齢差、性差といった生理的違いや、社会的、個人的経験の違う組織集団の運動には指導関係が必要になる。人には心身を制御するために脳があるように組織にも中枢がある。意識による心身の制御もいつもうまくいくとは限らないが。[1009]
制度的組織では指導関係も組織化され、指導する者には地位と権限が与えられる。しかし指導関係は制度的組織に限らず多様な人間集団の運動での普遍的関係である。親子関係では当然のこととして、家族間にも指導関係はある。家族の指導関係はかって家長制として制度化されていた。親しい者があつまっても集まりを主導する者が現れる。主導権の争いも指導権をめぐってである。[1010]
指導関係は固定した関係ではない。指導被指導の立場関係は課題によって逆転するし、時の経過によっても逆転する。指導内容も運動の展開によって変化する。運動における指導であり、指導自体変化する関係である。制度的指導者の地位に着いた者でも制度的に権限が与えられたのであり、全権が与えられるのではない。まして制度上の地位は人間としての優位さを示すものでもない。[1011]

指導力はまず教育力である。ただ教育では教育者と学習者との立場は分隔している。教えることで教わるが、学習者から教わるのではない。教育者は教育内容を把握しているが、学習者は内容を理解できていないから学習する。教育は学習者に可能な課題を体系的に提示する。教育者は学習者の到達度を理解し、次に進むための課題を提示する。必要なら課題をこなす手段、方法も提示する。課題をこなすのは学習者であり、学習者自らが課題をこなさなくては学習にならない。見方は教えることができても、見るのは学習者である。考え方は教えられても、考えるのは学習者であり、教育者が代わりに見たり、考えたりしても教育にはならない。教育力のない教育者は学習者の到達度を把握せず、誘導や強制に頼る。[1012]
指導は教育でありながら立場を超えて、ともに実践する関係にある。教育は実践の準備段階であるが、指導は準備を超える実践段階にある。共通の目的を実現する過程での指導関係である。指導者は指導の内容をすべて理解できているとは限らない。共通の目的を実現するための全てを理解できていなくとも、一番理解できている者が指導する。[1013]
指導は能力的到達度に依存はするが、もてる能力を発揮させることが指導である。能力的到達度を高めることは前提として、結果として期待する。指導者と被指導者の持てる力を共に発揮して実践するのが指導である。[1014]
スポーツでも指導者はルールや技術、体力作りを教育するが、指導者の役割はチームを指導することであり、競技であるなら勝利するために指導する。オーケストラでの指揮者は演奏技術を教育などしない。指揮者は曲の響きを奏でるために指揮する。[1015]
指導力も人を育てる力であり、訓練によって育つ。何もしなくても人がついてくるのは指導力とは別である。様々な人間関係に指導を意識し、指導を反省して指導力を育てる。指導されることを意識し、指導することを反省する。大きな指導権限を与えられている者程反省して謙虚になる。教育は一対一の関係が基本であるが指導は一対多、全体を対象にする。構成員間の相互関係全体を統御するのが指導である。[1016]

指導力は説得力である。与えられた決定ではなく、自らの決定に基づいてこそ主体的実践、創造力ある実践ができる。強制ではよくても強制した課題しか達成できない。納得した上でそれぞれの能力が発揮され、反省ができる。合理的組織運営では構成員が納得できる説得が指導である。組織構成員は一様ではなく、指導者の権限だけでまとまりはしない。説得は地位や権限に基づく誘導や取引ではない。地位では下位の者が上位の者を説得する力関係もある。[1017]

指導力は判断力でもある。指導するには個々の真理を知ることだけでは足りない。必要な情報が与えられて真理を知ることはたやすいが、実践では限られた情報で判断する。現実にできることは、現在の限られた情報から未来を予測することである。限られた情報に基づいて決定するのが判断力である。また物事は多様であり、いくつもの課題には軽重の違いがある。価値を評価して決定するのも判断力である。時と場合で取り組むべき課題は変化する。運動の展開、発展の筋道を見通して決定するのも判断力である。[1018]

指導力は最終的に意志力である。利害が対立する関係での運動には一進一退がある。自然環境であっても変化し、厳しい条件に追い込まれることもある。周囲が敵対する状況、あるいは無視される状況でも、運動の課題が重要であるほど当初の決定を貫く。前進できない状況でも核心となる課題を堅持しつづけることも指導である。課題を羅列し、結果が出てから「そのことにも言及していた」というのは言い訳でしかない。指導力は核心となる課題を一貫して追及する意志力でもある。確固とした戦略と柔軟な戦略は理想であり、究極の指導であるが、その評価は結果でのことである。[1019]

【組織指導】

制度的組織には地位の上下があり、上位の者は下位の者を指導する。指導は人間の平等原理とは別の組織目的、組織運営に必要な上下の関係である。指導が不適切であるのは、指導関係そのものではなく指導の仕方の問題である。指導が強制になり、管理になったり、権限を越えた指導は組織のあり方、あるいは指導者の問題である。組織が活動していくためには指導は不可欠であり、貫かれれて組織は運営される。[1020]
組織は指導者を選ぶより指導者を育てる。指導者の資質は組織活動で訓練される。組織は指導者を意識的、制度的に育て、配置する。指導者が指導者を指名し、指導者が指導者を育てるという世襲関係ではない。指導者育成には指導者に多様な組織的地位、社会的地位を経験させる。経験の蓄積と視野を拡大するために、系統的に地位を異動させて指導者を育成する。個々の指導者を育て、世代を引き継ぐ指導者を育てる。指導者の経験は知識、人脈等として蓄積される。[1021]
組織の指導は多くの場合一人ではなく複数の指導者によって担われ、指導者間でも指導被指導の関係があり、課題によっては互いの立場を交替する。組織の構成員は皆指導的立場を経験することで、組織の指導関係は全体のものになる。どの組織であれ持続するには指導者の世代交代は必ずある。もっぱら指導される者でも指導の経験によって組織指導を理解し、受け入れる。[1022]
組織の指導力は指導者だけの力ではなく、組織の知的水準、活性度にもよる。指導者は説得できる内容と方法をもち、指導を受ける者は指導の内容を理解できる力があって実践的指導ができる。指導は一度きりではなく組織活動として継続し、組織活動が活発になるほど課題は増え、指導は増える。[1023]
指導者に指導力がないか、あるいは組織的に強制しなくてはならないなら、指導者はその地位にある者としてあらゆる手段を何でも使う。代償の提供、貸し借り、義理人情、強要等あらゆる取引手段を使う。その組織を認めて指導的地位に就いたなら、あらゆる手段を用いて指導を貫く責任がある。持ち合わせない指導力に頼っても責任は果たせない。軍隊はそもそも目的、手段が合理的でなくとも、訓練によって非合理的に納得させる。理性的に考えていては人殺しなどできない。[1024]

指導者の選抜が制度化されると被選抜技術に優れた者が選ばれる。選抜基準は個人の資質、能力、経験であろうが、制度化によって能力の表現技術が重要になる。能力の表現技術による選抜では偶然が大きく作用し、偶然の結果が与えられる報酬の差になる。組織が衰退傾向になれば指導者の選抜も責任の押し付け合いになる。[1025]
指導者選抜制度ができると指導的地位に伴う報償を目的とする者が現れる。私欲によって指導的立場に立つ者でも、その役割を果たすならあえて排除する必要はない。組織は多様な人の集まりであり、健全な人間ばかりを集めることはできない。役割を果たさない、果たせなくなった指導者には組織的、社会的に負担できる範囲で処遇の名誉的地位を別に用意する。現実の社会、公務員制度がどうであれ、個人の利益を優先するようでは、個人が集まって組織を作る意味が無い。[1026]

開かれた組織には健全な「善人」だけでなくあらゆる人間が参加する。人を出し抜く人間にとって善人の組織は与しやすい。公明正大であろうとする人間を利用することはたやすい。これを「性善説」では阻止できない。制度として「善人」が主導権を維持する保証が必要である。それは広範な情報共有と日常的な民主主義によって可能になる。民主主義をより徹底することで善と理性による指導が守られる。[1027]
善、理性による指導は地球全人類に関わる利害、課題であり、日常的な不正への対峙としてある。すべての集団、組織、階層において目的意識的に追及されるべき課題である。この課題の実現なくして今日の客観的条件を切り開くことは不可能である。20世紀は理性の時代と言われながら欲得が勝利し「善」の弱さが証明された。善による社会の実現など絵空事とされ、善による統治の実現可能性が未だに証明できていない。自然秩序としての理を社会秩序の理にするのが人類の課題である。[1028]

【統制・規律】

社会組織は個人によって構成されるが、個人は組織に完全に一体化はしない。個人は社会組織とは一体にならず、それぞれの人格と経験とによって、その多様性によって組織の多様な役割を担う。そうした多様な個人が組織を構成するには互いの統制・規律が必要になる。統制・規律は強制になりやすいが、強制なしにも統制と規律によって組織は維持される。統制・規律の方法は組織の目的と、組織の性質によって異なる。[1029]

まず生活の基礎組織としての家庭がある。家庭は人間社会の基礎単位であるから統制・規律は太古から重要であり、様々な問題を生み、様々な物語を創り出してきた。家庭での統制・規律は今でも基本的な問題であり、社会的事件の背景をなしている。家庭での民主主義が一般社会での民主主義と相補的に作用し合っている。ただ家庭は社会の基礎単位であっても絶対不変ではなく、今日の日本では誰でもが自分の家庭を新たに組織できる。[1030]
家庭は統制・規律を破っても、一端制裁を科しても受け入れ続ける柔軟性がある。利害対立、感情対立、人格への侵犯があっても受け入れる柔軟性によって、家族は生きる拠り所になりうる。社会的人間関係が歪む程、家族関係の柔軟性は重要になる。残念ながら家庭での規律維持を担う親が家庭内の統制を乱して家庭関係を歪める。家族関係までが疎外されたり、抑圧になったりしたのでは弱者の居場所がなくなる。破綻した家族を個別に救う必要はあるが、社会制度的対策より家庭を歪ませた社会のあり方を改めるのが筋である。[1031]

社会代謝を担う生活の場として労働組織、企業組織、地域共同体、義務教育学校等がある。労働力を売って生活しなくてはならない賃金労働者にとって労働組織に加わること、企業組織に雇用されることは生活を成り立たせる必要条件である。そして労働者が労働組合に加入し団結することは労働基本権である。地域共同体へ参加し、義務教育を受けるのは生活権である。さらに社会代謝を制度的に担う公的制度組織として国家、地方自治体がある。誰もが生活するために属する公的組織である。公的組織に属することで生活権、労働権が保障され、労働者には労働基本権が認められている。[1032]
公的制度組織は基本的社会組織であるから強大な統制・規律権限が認められている。公的制度組織は殺人も死刑として正当化する。大量殺人すら戦争英雄として報奨する。公的制度組織にはその権限の大きさに応じた権威がある。少なくとも主観的価値判断に基づく処分、公定された手続きを経ない処分は公的制度組織の権限と権威を否定することになる。公的制度組織は事実、実態に基づいて規律判断をすることで公的秩序を実現する。公的制度組織構成員の排除は存在の抹消であり、死刑と同じ最終手段である。昔からの村八分は生命を奪わなくとも社会的存在、人格を否定する。[1033]
社会代謝を担う公的制度組織は基本的人権を尊重することが基本である。社会代謝は社会の存在そのものであり、人々が生きることそのものである。社会代謝を担う組織はすべての個人の社会的、経済的生活を保障するための組織である。公的制度組織では思想・信条、出自、性別等を理由とした差別は許されない。思想・信条を実質的にだけでなく、形式的にも押しつけることは許されない。公的組織に個人的好き嫌いで対応することは公私混同である。組織的地位、組織的権限であるにもかかわらず個人の好き嫌いで評価をすることは職権、権力の乱用である。[1034]

公的組織に対して構成員の自由な契約に基づく団体、同好会、政党等が任意組織としてある。それぞれの組織の性質によって統制・規律の有り様も強さも違う。組織目的によって組織の統制・規律のあり方だけでなく効果も異なる。[1035]
任意団体は契約に反した者を契約に基づき処分する。契約は個人の独立を前提にしており、個人の生物的、社会的存在を脅かすことはない。特定の任意団体の統制、規律に反対であれば別に組織を作ることができるから任意団体である。任意団体構成員の排除は対象者の存在を脅かさない。団体組織は除名によって組織を防衛する。[1036]
組織規律は組織の構成員に対する規律であるだけでなく、組織外に対して組織の自立性を主張する根拠である。組織は規律に基づき外部組織からの干渉を拒否できる。組織は規律に基づき組織の外に権利を主張できる。[1037]
一部の者の不始末を規律強化で対応するのは組織的対応ではない。規律統制権限を持つ者の官僚主義的責任回避手段でしかない。規律を強化することで大多数の健全な構成員の活動を縛ることになる。不心得者に対する制裁や、負担を大多数の健全な者に負わすことは組織に取っての負担にもなる。不心得が起きないような制度にすること、不心得が速やかに発見できる仕組みを作ることが規律統制者の仕事である。[1038]


第2節 組織運営

【主体の視点】

個人、組織ともに主体には3つの基本的視点がある。第1に全体における主体の位置づけ。第2に目的に対する主体の見通し。第3に主体自体の有り様。[2001]
全体における主体の位置づけは他との関係全体を見ることであり、主体の自己評価である。ただ始めから全体の視点をとることはできない。誰しも一つの視線、一つの視点しかとりえないのだから、多面的実践をとおして多様な視点を経験して、その総括として全体からの視点をえる。全体の視点は反省することで見えてくる。反省できない者には何時までも見えない。反省による自己評価であり、繰り返すことでより全体的になり、より正確になり、より豊かになる。全体の視点は完全性の追求である。[2002]
主体からの目的の見通しは課題を明らかにし、戦略、戦術をもつことである。目的と手段の関係を見ることである。主体のたどっていく過程を見通すことである。思慮のことである。敵を知り己を知るだけではなく、敵と己の連関関係を見通す。複雑で見通すことが困難であれば多様なシミュレーションの技術がある。昔から大事の前には演習を行っている。[2003]
主体の有り様は自己点検である。主体の内に対する視点である。持てる体力、知力、エネルギーを確認し、弱点を補い、優位点を強化する。主体の内に対する視点は健全性の追求である。[2004]
主体の3つの基本的視点は組織にあってはそれぞれの部門に分担される。分担されても各部分組織でも基本になる視点であり、個人も主体として繰り返し視点を替えて視る。3つの基本的視点から視ることで客観的に全体が見える。[2005]

【単位組織】

組織は構成員の単なる集団ではない。作業単位と統制機構とで組織される。作業の規模が拡大すれば単位組織を分割する。作業単位には日常的に共同作業できる規模限界がある。数名が基礎単にになり十名を超えると統制が困難になる。人々が日常的に互いを理解できる限界がある。人の作業記憶容量は7プラス・マイナス2である。[2006]
単位組織の構成員が少なすぎると個々の能力による制限が組織の機能を規定してしまう。互いの弱点を補い合い、互いの強みを引き出し、相乗させる組織の力を発揮できない。各単位組織は担当作業の協力単位であり、また教育の単位である。[2007]
作業単位は対象分野、作業量、作業手段によってで分割される。作業単位は担当分野の質として専門性で他から区別される。作業量として担当する空間が限定される。作業手段に伴う作業過程が進捗段階で分割される。分野、空間、過程のいづれかによって、あるいはその組合せによって単位組織は分割して組織される。単位組織ごとに担当する機能を明確化することで単位組織間の協力ができる。組織は一端できあがっても、環境条件、進捗状況、主体的力量の変化に応じて組み替えられる。恒久的組織などそれこそ機械的である。[2008]
単位組織には指導者をおく。単位組織指導者は単位組織の運営の責任者であり、上級からの指導に対応する。あるいは単位組織指導者が集まって上級の組織を構成する。複数の同一階単位組織は統合され一つの上級組織をつくる。単位組織に分担された分野、空間、過程を統制する組織である。組織全体の規模によって組織階層は増える。しかし階層数は5から6が限度であり多層化しすぎると組織全体を認識ができず、統制が困難になる。階層数が限界に達したなら組織自体を分割する。会社組織であれば分社化する。処遇のために多層化するのはごまかしであり、組織の目的を不明確にし、組織の民主主義を形骸化させる。[2009]

【組織活動】

単位組織は全体と部分の関係に自らを位置づける。組織全体の運動に分担する課題を位置づける。全体と部分の関係を調整して運動するのが組織活動である。[2010]
実際の運動過程にあって位置づけ、見通すことは難しい。対象との、周囲との相互関係が次々と変化する、自らの社会的存在までが変化する過程にあって客観的に、科学的に世界を観ることは難しい。全体における主体の位置づけ、対象に対する主体の見通し、主体自体の有り様、それぞれで誤りを犯しやすい。[2011]
全体における主体の評価は主体の担う課題を提起する。主体を過大に評価すれば冒険主義に至るし、過小評価すれば虚無主義に至る。過大評価は無謀な課題に突き進み、過小評価は課題に取り合わずに厭世に落ち込む。より確かな世界観、情勢分析から課題を導き出すことで誤りを避ける。[2012]
対象に対する主体の見通しは戦略・戦術を提起する。戦略・戦術関係を無視すれば日和見主義に陥る。戦術を見失って動けなくなる右翼日和見に対して、戦略を見失って戦術だけで突き進む左翼日和見に陥る。戦術を見失えば何の手出しもできず、前に進みようがない。最も大切な戦略課題は最も困難な課題である。左翼日和見は困難を避けて華々しい成果のあがる戦術課題で自己満足する。[2013]
主体自体の有り様を評価できないと依存主義と請負主義が現れる。困難な課題は他者に依存してしまう。逆に他者との調整を怠り、運動を組織化せずに請負う。請負は負担を局所的に増大させ、破綻させる。請負では経験が組織的に蓄積しない。依存と請負は組織活動を歪める。[2014]

日常の組織活動で節操を守ることは難しい。節操が特に問われるのは敵対的関係でである。相手が見え、声が聞こえ、影響を与え合う日常生活では対立点が明確にならずに警戒心が緩む。会議、交渉といった形式がはっきりした場では対立が明かになっても、日常的に緊張を持続することは難しい。節操を守るより馴れ合うほうがたやすい。[2015]
日常的に共通する部分を基礎にして敵対する。共通する部分がなければ日常的に関係のしようがない。敵対に疲れて節操を失うと敵対関係を否定して「博愛主義」での正当化を求める。しかし今の社会では許すことのできない人間が確実に存在し、その人間は多くの場合社会的権力を持っている。その悪につながる立場の者が、自己批判もせずに同じ人間だから仲良くしようと申し出てきても、それを認めることは人間性の否定になる。悪は日常とは別のどこか見えないところにあるのではない。悪人は善人を装って、隙をついて近づいて来る。[2016]
自らの節操を確実に守るには敵対的立場の者と個人的接触を避ける。会食、リクリエーション活動等で立場上同席しなくてはならない時もけじめをつける。言い訳のためではなく、つけいらせる余地を残さないために。相手を手玉に取る手練手管があるならともかく、自分が上手と思っていても危険は避けた方がよい。特に相手が権力を持っているなら、相手の個人的能力で見くびってはならない。権力はあらゆる手練手管を用いる。[2017]

【組織の学習教育】

組織にも世代交代があり、また組織運動自体を自然的、社会的環境に適応させ発展させるために学習・教育がある。[2018]
組織教育も実践で学ぶことが効果的である。しかし日常的実践だけで体系的、普遍的学習は難しい。体系的、普遍的学習によって日常の物事を意識し、誤りを正し、理解を容易にできるようになる。体系的、普遍的学習を個人の努力ではなく組織的、制度的に整える。一般教育では社会制度として学校がある。[2019]
組織にあった学習教育内容を体系化すること、制度を整えること、手段を提供することで組織の独自性を育てる。組織構成員の認識の一致を図り、組織の目標、課題を明確にするのに学習教育は不可欠である。[2020]
スポーツ組織にしても、個人競技であっても組織的な学習教育は練習の一部である。人間の運動は筋力とその制御だけではない。スポーツは社会的に決めた基準での運動である。単に獲物を捕る、目的地に早く達するだけではスポーツにならない。条件を定めたルールに従い、目標を意識した運動がスポーツである。意識を伴わず、形だけをまねる訓練では効果も小さい。先達の経験を継承して合理的な訓練ができ、練習を改善できる。スポーツにも知識、感情、意志を包含する学習教育が不可欠である。運動だけの学習教育だけでなく、競技の歴史、競技会の運営についても、種目独自の学習教育活動によって組織だけでなくルール、種目が発展する。スポーツ組織は肉体訓練を伴った学習教育組織である。[2021]

【事務組織】

組織は現実的運動体であり、組織活動は人と物(金)、情報の動きとしてある。人と物の動き、そしてその情報の制御は事務として担われる。[2022]
組織の目的実現のための専門的活動は専門家が担う。資格、免許が必要な仕事はそれぞれの有資格者が担う。誰に任せても担うことのできる作業も人に任せることができる。その他一切の組織活動を事務が担う。事務は組織目的実現に責任を持ち、組織活動実現を保障する。事務は組織活動全般に関わり、組織が大きく、複雑になれば専門の事務組織が必要になる。[2023]
事務は日常的に専門家等の活動を補助をする。組織が小さく単純であれば専門家が直接担う。事務部門を持つ大きな組織でも専門家も一部事務を担う。すべてを事務担当が請け負うのでは効率性、正確性が損なわれる。事務処理にも専門的知識が必要なものもある。専門的な判断、処理が必要な事務を、いちいち専門家の指示を仰いでいては仕事にならない。専門家と事務担当の間で分担調整が組織の効率を決める。[2024]
組織運営に限らず実際の活動は実際の人と物と情報を動かす。施設、設備備品、原材料、消耗品が動き、物の動きと人の動きに伴う情報が処理される。事務が専門家等と違うのは、組織の運営管理として人、物、情報の運営作業に精通することである。それぞれに人、物、情報を一元的、統一的に管理する方法を定めているのが組織的な事務である。事務処理体制を整えることが組織の基本にある。[2025]
一般的な事務取り扱いでも習熟する技術もある。子細な例で資料の丁合い、袋詰め等の作業でも膨大な量になると組織的な負担も大きくなる。作業技術は分析して組み合わせることで機械として物質化できる。今では事務全体を情報処理システムとして構築する方法が採られる。[2026]
専門家の活動を現実の社会環境に適合させるのも事務の役割である。専門的活動組織内外の一般的公的社会制度に整合させるのは事務の役割である。具体的に法的関係、契約関係、通信、物品の取引は社会制度に従がう。一般に組織活動を社会的関係に適合させる役割を事務が担う。[2027]
事務は情報も統括する。決定を準備し、記録する。情報ごとに伝えるべき対象範囲と方法を選択する。専門家による統制はあっても情報処理の実務は事務が取り扱う。[2028]
他に事務には組織管理、人事管理、福利厚生もある。世界観は運動を担う事務にも眼を向けて、世界を理解できる。[2029]


第3節 組織行動

組織行動・組織運営は意志統一、実践、点検、総括の4つの段階過程からなる。品質管理ではPDCAサイクル(Plan-Do-Check-Act cycle)として表現する。組織のさまざまな取り組み課題ごとに組織行動の4つの段階過程である。各段階は時間的に順に継起するが単純な継起ではない。総括によって次に始まる総過程に止揚され図式的には螺旋を描く運動過程である。各段階ごとにも4つの段階が重層して入れ子構造をなす。4つの段階過程は相互に関連し、必要に応じて戻ることも省略されることもあるが、組織行動全体として繰り返される。[3001]
組織行動は様々な課題をもち、課題毎に組織行動がある。一つの課題も内に幾つものより小さな課題に分けられる。したがって組織行動の各過程は重層的に連なり組織運営として統一が追求される。組織行動の4つの段階過程は組織運営として節目づけて組織的統一を実現する。組織行動は4つの段階過程を意識的にこなすことで計画的に、確実に運営できる。形式を整えることで組織運営上の欠けている部分を点検できる。形式を整えた運営の記録により総括が実質化される。[3002]

組織行動の責任は指導者だけにあるのではない。組織行動は構成員すべてがそれぞれの責任を担い、組織運営を担う。組織行動の各段階過程、その意味を構成員が理解することで自覚的組織になる。[3003]


第1項 意志統一

意志統一は目的を持った組織活動の基礎、出発点である。新たな構成員を迎えるにも組織の意志との一致がまず求められる。[3004]
意志統一は形式的には構成員それぞれの意志確認である。意志統一の内容は情勢認識、課題、戦略・戦術と構成員それぞれの課題、役割の確認である。意志統一は理論分析と情勢分析に基づき課題を明確にし、戦略・戦術、役割分担、展望を明らかにする。同時に意思統一の決定を明確にし、記録保存する。人の組織では感情を共有し、組織としての意志を固めることも力になる。[3005]

【手続】

意志統一の一般的形式は会議である。全体会議、専門会議、規模を分割する会議がある。その他に専任者による決裁、持ち回り決裁、回覧、構成員間の個々の連絡によっても意志統一は図られる。組織が大きくなれば意志統一そのものが一つの組織行動として取り組まれる。情報の収集、分析、交換、共有を図るのが意思統一である。[3006]

【情勢】

情勢認識を組織的に明らかにする。データを持ち寄り、交換し、検討し、共有する。個々の構成員の分担、能力を超えて組織的に情勢認識を深める。[3007]
客観的、主体的到達点を明らかにする。環境条件の推移を明らかにし、主体的力量を評価する。組織各部門の配置を確かめ、力関係を明らかにし、全体の動きを予測する。[3008]

【課題】

組織目的の課題、組織運営の課題を明らかにする。組織目的の課題は事業目標である。組織運営の課題は組織の強化拡大と、運営上の障害克服である。[3009]
組織全体の課題から構成員それぞれの課題までを明らかにする。課題は戦略的課題、戦術的課題に整理し、手段、方法を明らかにする。課題間の連関、優先順位を明らかにする。[3010]
目標は理想だけでなく獲得すべき目標を明確にし、客観的に評価できる指標を設定する。[3011]

【分担】

組織行動は組織構成員の行動として具体化され実現される。組織構成員の一人ひとりの役割と互いの関連を明らかにする。配置と責任の明確化により、状況変化への対応体制を明確にし、総括の基準を明らかにする。それぞれの能力評価による配置と、組織の将来を担う人材の育成を考慮して配置する。[3012]

【展望】

組織行動の展望によって前進的になる。個々の構成員が理解できる展望である。目標達成までを見通す。構成員が全体の状況が把握できるようにする。全体の中でのそれぞれの位置を明らかにする。方法、手段、過程を明らかにする。運動として、組織として、理論としての展望を明らかにする。広い視野から全体の中での各組織主体の位置づけを明らかにする。[3013]

【決定】

社会的存在として社会法規の規定を満たす形式的決定も必要であが、組織決定の必要性は形式ではなく、組織行動の基礎、基準を整えることである。組織の決定は記録を残すことだけに意味があるのではない。決定の文書化だけでは何も実現しない。[3014]
決定は構成員と組織外の人々に知らされる。社会的に存在する組織として他の様々な社会主体と関係するのであり、相互に尊重される関係をつくるには決定を公開する。[3015]
決定は点検、総括の基準になる。決定は歴史的・社会的制約の下でなされるが、決定を基準として点検し、総括する。決定に基づく実践が評価され、歴史的・社会的制約が何であったかが明らかになる。[3015]


第2項 実践過程

【戦略・戦術】

大きな組織、大きな社会運動は全体を体系化してとらえる。戦略と戦術として組織的実践を階層化する。戦略は全体の全期間に渡る方策である。戦術は部分の一時期の方策である。全体と部分が相対的であるように、戦略と戦術も相対的区分である。ただ基本戦略は通常の運動のあり方から、切迫した状況までも含む。組織のあり方も戦略に対応する部分と、戦術に対応する部分、それらの階層構造をとる。[3016]
戦略も戦術も課題、目標、方法、手段、段取りの体系である。互いの整合が図られる。戦略から戦術が位置づけられ、戦術の遂行状況によって戦略の態勢を修正する。[3016]
戦略には時空間全体を見通す力、大局観が必要である。大局観は論理的に解析しきれない、コンピュータ・プログラムで表現できない計算力である。大局観は人間が繰り返し課題に取り組む経験によって身につけるしかない。戦術は論理的段階を踏めば確実に実現できるが、論理的段階を確実に進めることが難しい。現実では偶然が作用することだけでなく、人自体が迷いながら進むように進化してきた。絶対確実なことでも疑うのが人間であり、この錯誤能力によって多様な環境に適応してきた。人間の得意な大局観も、不得意な論理的実践も自らを訓練することによってしか養われない。[3017]

【条件整備】

運動は時間的に準備段階と本段階がある。運動組織には本隊と後衛がある。[3018]
後片づけや前衛もあるが、運動を形式的に相対化して言えることであって、実践上の問題としてはない。後片づけも終わりではなくこれから取り組むべき実践課題であることにかわりはない。実践は終わることのない過程である。終わり方の大切さ、難しさが言われるが、終わった物事について言えることであって、形式的終わりであっても現実には引き続く物事の始まりである。前衛は一つの基準を設定することで前後を区別するのであり、現実は一つの基準で表せるほど単純ではない。[3019]
準備は理論、人、組織、物質、情報の準備であり、組織行動に必要な態勢を整える。計画自体の点検、計画変更への対応を準備する。机上演習、シミュレーションは実際により近い状況を想定して問題点を探る。複雑な長期的な課題遂行ほど段取りが重要になる。本段階では制御条件が制限されることを見越した準備をする。[3020]

最近問題となる危機管理は状況を想定して手順書を準備し、訓練することだけでは足りない。想定を超えた状況への対応が本来の危機管理である。想定の限界を明らかにし、想定を超えてしまう環境条件を明らかにする。環境条件の変化は突然に起きるのではなく、突然に気づくのである。自然と社会の環境条件の変化を明らかにできれば想定を事前に改訂することもできる。普通社会的環境条件は突然ではなく、何かの事件・事故をきっかけにして検討されて変更される。関連する事件・事故の情報を収集し、事態を理解しておけば社会的環境条件の変化に対応できる。[3021]
想定できない事態への対応権限を明らかにしておくことで混乱を回避する。即決断する権限をもつ者と、客観的に推移を把握できる者、指令と参謀を組み合わせる。緊急事態への対応権限は免責する。過失の責任追及はあっても、想定されない損害は免責されなくては誰も役割を引き受けない。[3022]
想定を超えた状況への対応は既存の制度を改善できる程に理解して可能になる。日常の仕事をこなすだけでなく、仕事の段取りを組み上げられるまでに通じて可能になる。権限と責任の実際での機能が理解されて制度の改善、危機対応ができる。[3023]

組織行動は社会代謝から離れては成り立たず、社会代謝過程との連関によって実現し、維持される。組織行動に必要な人、物資、情報は社会代謝過程から補給される。社会代謝過程との連関を担う後衛は軍事用語では兵站とも呼ばれる。後衛は組織課題をになう本隊の環境条件を整備し支援する。課題を担う作業は注目されるが、それを支援する作業は目立たない。支援作業は不可欠なだけでなく、複雑な課題遂行過程ほど支援によって単純化できる。相手との競争には偶然の作用もあるが、支援は主体的に決定できる行動である。[3024]
長期的戦略での後衛は日常生活をも組み込むことになる。次の世代の人材育成までも含んだ運動の組織化が図られる。手段・方法の開発、理論・技術の開発までも組織しなくては長期的戦略は成り立たない。[3025]
支援はサービスの提供だけでなく。組織の目的意識を支える。精神衛生にとどまらず、動機を維持し鼓舞する。ただ支援が組織統制にまで及ぶと、組織力をそぎかねない。スポーツ競技でも種目団体のあり方が選手の成績に影響する。[3026]

【課題管理】

運動は計画通りに進行するとは限らない。特に敵対的相手のある運動では相手側の計画を狂わせることが基本である。変化する環境条件の中で戦略・戦術の組み替えも必要になる。各課題の重要度も変化する。運動の各分野、組織の各部分それぞれの優先課題が変化する。段取りは情報交換ができて変更ができる。すべてを成し遂げることは困難である。大勢に響かない課題は切り捨てるしかない。[3027]


第3項 点検

点検によって組織行動、組織運用を管理する。計画に照らして到達点を確認し、問題点を明らかにする。部分の成果を全体で共有する。到達点での成果を次段階へ生かす。組織行動経過を物理的時間で測って客観化することよりも、到達度を明らかにする。[3028]
総括のように全面的には点検できない。組織行動の各段階での最低限必要な到達点を明らかにする。[3029]
組織は複数の課題を同時並行して取り組んでおり、経過時間によって同期をとるためにも点検する。[3030]


第4項 組織総括

総括は行動の締めくくりであると共に、次の行動への準備でもある。点検が計画に定めた目標についての到達点の確認であるのに対し、総括は次の組織行動へ次元を引き上げる。[3031]

【成果】

成果は結果だけではなく、全過程を通して、客観的に評価する。運動、組織、人材、理論、ことによっては資金収支を全体として評価する。結果論、無いものねだりをしても次の展望は出てこない。清算主義では到達点からも後退する。無謬主義では主体の問題点は解決されない。[3032]

【到達点】

到達点は次の段階の現実的足場である。何が実現されたかは基本であるがそれだけではない。情勢、力関係、主体的力の変化を評価する。運営の到達点として組織の効率化、活性化、民主化、自律化を評価する。組織の強化、拡大、蓄積を評価する。他の組織との連携、連帯を評価する。理論と情報の体系化、具体化、適応力を評価する。どれだけの人員が実績を挙げ、どれほどの能力を獲得したかを評価する。指導者はどれだけ育ったかを評価する。[3033]

【問題点】

到達点の相補的関係にある問題の把握と対応を明らかにする。問題点はいつでも、どこにでもある。問題点が見えなくなったら組織的、運動の発展はない。[3034]

【展望】

組織主体の視点からの展望である。意志統一での展望に対して、より客観的展望である。互いの視点からの展望を共有し、一つの世界を組織として描き出す。より広い視野に立ってより客観的展望をもたらす。到達点から前進する情勢の可能性を明らかにする。[3035]



第4節 会議

会議は組織の公的意志決定手続きであるとともに、会議自体が組織運動の一形態である。会議を組織することも運動である。[4001]
会議はまず組織のコミュニケーションを組織内外に対して公式化する手続きである。運動体である組織のコミュニケーションは日常的に行われている。会議を開かなくては意思疎通できないようでは組織の態をなしていない。また会議自体が日常の組織活動から離れてのコミュニケーションの場である。会議の準備から議論・決定、そして決定の組織全体への徹底として会議自体が組織活動である。組織活動を画する節目として会議で日常のコミュニケーションを点検する。会議は時と場所を限ってコミュニケーションを確定する。[4002]
公的な会議は秘密会議であっても会議の存在、決定は公式である。公表内容の範囲、公表対象の範囲、公表時期は制限しても、永遠に公表しなくても会議の決定は公式であり、個人の思いや、決意とは異なる。議決者の間に誤解があっても、決定によってそれぞれの議決者の組織活動を規定する。[4003]
組織制度が整えば会議は規則に基づく権利義務として形式化する。運動主体の組織運営の一部として会議は位置づけられる。[4004]


第1項 会議の準備

会議には社会運動としての一般的会議と、組織運営のための組織会議とがある。一般的会議は情報、意見を交換し、または意思統一し、決議を目的とする開かれた会議である。組織会議は組織運営に必要な組織内の意思統一を図る閉じた会議である。[4005]

【会議の位置づけ、獲得目標】

組織会議は単なる思いつきの意見交換の場ではない。意見交換は会議以前に日常的におこなうのが健全な組織である。会議での意見は交換できるまでに整理して持ち寄る。議論対象の理解は会議の前提である。参加者は会議内容についての基礎知識を持つことで議論に加わることができる。逆に議決権者は議論内容を理解できる者で構成する。会議での決定、結論に向けて意見の違いを明らかにするのが準備である。[4006]
会議が開始されてから意見を開示するのでは、利害の対立する問題、理解を深めなければならない課題では時間が無駄であり、会議が混乱しかねない。会議は説明会、学習会ではない。一部の参加者のために説明が必要であるようでは、多数の参加者の時間まで浪費する。[4007]
組織会議は抽象的な決定を行っても意味はない。会議は組織が具体的に何をどうするかを明らかにする。会議の決定は実施するだけなく、決定を基にした総括によって組織は発展する。実施され、検証できる決定をするのが会議である。運動のそれぞれの段階で確定しておかなければならない手続きとしての決定もある。[4008]

一般的会議には組織会議以外に手段としての役割がある。決議を採択するだけでなく、決定へ向けて組織は結集され、議論によって組織的理解が深まる。参加者の議論対象についての理解水準をより高い段階に引き上げる。啓蒙の手段、契機としての会議がある。[4009]
会議は一般的に注目を集め、議論を衝撃的なものにすることで社会的影響を創り出す。実際に人が動き集まることで社会的運動を具体的に眼に見えるようにする。「爆弾質問」など事前に公表せず、衝撃によって混乱する隙を突く手段もある。「議論はした、決定された」ことで民主的に見えるアリバイ工作にもなる。[4010]

また組織が大きくなれば一回の会議で決定手続きが終わることはない。大きな会議では分科会、あるいは公式非公式な準備会議が開かれる。ピラミッド型に組織された会議では課題が提起され、基礎をなす会議から部分的決定が積み上げられて最終決定が全体として行われる。[4011]
それぞれの会議の時期と組織上の位置づけによって、それぞれの会議での課題の意義は異なる。それぞれの会議に位置づけ、獲得目標がある。社会運動は単に継続するだけでなく、時節を区切って全体の体制、共有する情報を確認する。組織手続として段階ごとに全体で確認し、公式化して進められる。定例的に開催される会議であっても、その回毎の獲得目標がある。[4012]

【書記】

会議の運営は書記の仕事である。事前に議事関係事項の根拠、関係法令を確認しておく。専門用語の正式表記と定義を確認しておく。会議の資料を集め、配布する。会議参加者間の調整をして時間、場所を設定する。会議の進行を想定し、式次第を周知する。座席配置や会議役員の事前了承等、議事進行の障害を取り除く可能な準備をする。会議の議事を集約、整理して提示する。会議に必要な設備、物品を揃え、点検する。小さな会議では参加者が分担して担うが、書記としての基本的役割である。[4013]
会議での書記の役割は議事録の作成と、確認手続きである。全発言の速記録、逐語記録が必要な場合もあれば、討論要旨のまとめ、あるいは結論だけを記録する場合もある。議事録の承認では議論の過程が無視されることも、結論が変わっててしまうこともある。[4014]
会議終了後は記録の保存、会議結果の広報、組織の連絡調整をする。会議決定に基づいて日常の組織活動を点検する。[4015]
書記の活動は個人に依存しては組織活動にならない。組織的に援助し、情報を提供し、書記を育てることも組織活動である。[4016]


第2項 会議の運営

【議長】

議長は会議参加者の意志を会議に反映させることと、会議の目標を実現することに責任があり、そのための権限が与えられている。手続き、規程を守るだけではなく、会議を成功させる責任を負う。[4017]
議長は会議の民主的運営と会議の目的実現とを折り合わせる。民主主義に必要な議論には限界はなく、会議は一定の結論を出すことが役割である。意見が出なければ議論は成り立たず、堂々巡りする議論、水掛け論では結論は出ない。採決されずに決定されるなら発言力の大きな者、多数者の発言だけで結論になってしまう。議長に議論を深めさせる見識があればともかく、役割は皆が納得できる、受け入れることのできる結論を出すことである。[4018]

【議事録】

議事録あるいは議事要録の作成は書記の仕事であるが、書記が文書化するだけでは記録の一つでしかない。議決権者の承認をえて議事録になる。[4019]
重要な会議では専門の速記者が記録する。録音、録画技術の発達によって記録も容易になってきている。しかし検索技術には限界があり、検証するには結局会議にかかった時間以上の時間を費やすことになる。要約しながらの記録は会議への参加技術である。項目だけを記録したのでは結論がどうであったか思い出せないことにもなる。発言者の語尾をはっきりメモする習慣づけが役に立つ。議論対象について事前に理解し、専門用語も知っておかなければ聞き取ることもできない。議事進行時刻のメモも議論の重点を客観的に評価する役に立つ。[4020]

【敵対する会議】

敵対者は会議原則を歪めることで有利な立場に立とうとさえする。通知を遅らせることから、議事録を改ざんすることまで。発言者、決議権者を閉め出したり、代議員権の無効を主張したり、発言指名を避けたり、野次り倒したり。暴力さえふるってくる。[4021]
会議での獲得目標を実現することが第一であるが、敵対者の不当性を明らかにし、民主主義を実現することも目的であり、手段になる。敵対者に勝利することも重要であるが、常に勝てる条件にあるわけではない。敵対的関係にあっても、常に基本として追求しなくてはならない課題は組織内での支持をより広く獲得することであり、さらに重要なことは組織運営においても、課題の追求においても民主主義の立場に立ち、民主主義を押し進めていることを事実でもって示すことである。[4022]
真っ当な結論を出せないような会議でも、真っ当な少数意見が存在し、民主的手続を求める意見が存在することを示し、記録し、広報する。最も大切なことは民主主義、自由、正義を守ろうとしているのがどちらであるかをより広く明らかにすることである。大切なのは会議の目的に対し積極的であるのはどちらであるかを広く明らかにすることである。暴力、多数決によって会議で負けるのはやむをえない。しかし最低限、真っ当な意見が存在することを示すことはできる。[4023]
会議の運営を歪める敵対者には組織的に対応する。敵対者の策動を可能な限り早く正確に知って共有する。代表会議では代表の選出母体の支持を確実なものにする。発言者の配置、発言内容、求めるべき議事進行、獲得目標等について互いに確認しておく。会議後には会議の内容・様子、結論、主張を広報する。事前事後の組織的取り組みによって会議を運動の中に位置づける。[4024]


第3項 会議の総括

会議自体が組織運動であり総括される。会議で運動を総括し、会議自体を総括する。会議の到達点、決定の意義を総括する。[4025]
会議の内容が深まること、組織そして運動の展望が開けること、会議と組織と運動の民主主義の発展状況を総括する。[4026]
理想の総括は互いの健闘をたたえ合い、顕彰することだろう。なれ合いでなく自己批判、相互批判が率直にできるほどに信頼し合うことで可能になる。組織を私物化しようとする不心得者や皮肉屋によっては白けてしまうが、小さな取り組みでも成功を経験することで組織全体が少しずつ発展する。[4027]


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