世界感から世界観へ
世界感は人が意識している世界の表現です。
世界感は主観世界です。
世界感はヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した動物一般にとっての
環世界* です。
世界観は人が世界感がを反省して論理的に表現する世界です。
世界観は客観世界です。
世界感も、世界観も世界の表現です。
世界感は
潜在 意識によって表現され、
顕在 意識に受容される世界の表現です。
世界観は顕在意識によって表現され、顕在意識間で共有できる世界の表現です。
世界の表現を受容し再表現するのは潜在意識です。
潜在意識は「無意識」とも言われますが、「無」ではなく意識はあります。
意識していなくても気がつくのは潜在意識が最重要として顕在化させるからです。
脳の意識活動のうちほとんどが潜在しています。
潜在意識が世界表現の一部である感覚信号を受容し、顕在意識として再表現します。
顕在意識として世界感は潜在意識によって表現され、意識として対象化されて再受容されます。
世界感は全ての人の意識の表現です。
人は世界の中で生活し、存在し、世界の表現を意識しています。
世界感は全ての人の意識ですが、絶対に共有することのできない表現です。
人々は世界感を共有するために世界観を表現します。
また、人それぞれが世界を確認するために自らの世界観を自らに言葉等で表現します。
元々、世界は世界自らを表現しています。
世界は存在し、その存在を表現しています。
存在すること自体が表現です。
表現しようとの意思が生じる前から表現は存在しています。
ですから、人類が誕生する遙か以前の宇宙の表現を観測することができます。
宇宙背景放射は138億年前から世界を表現し続けています。
世界に意志があって表現するのでは無く、意志などに関わり無く存在は表現しています。
人類は次々と観測技術を発展させることで、未知の表現を発見してきました。
人類が観測しなくても世界の全ては表現されています。
世界は自ら生み出した人の脳神経細胞信号を媒体に、自らを世界感として再表現しています。
世界感は意識による世界の再表現です。
表現された環境世界を人の脳が受容し、世界を意識として表現しています。
人は自らの身体動作を深部感覚として感じます。
深部感覚は筋肉、腱、関節などの内部から脳に伝えられる感覚で、運動、位置、振動等の感覚です。
人は胎児期からの身体動作による深部感覚から主感的時空感を獲得します。
身体動作の記憶を基準に次の動作を
予測* します。
動作の実行と予測の重なり工合として主感的時空感を獲得します。
人は胎児期に深部感覚だけでなく、平衡感覚、触覚、内臓覚も併せて身体感覚を獲得しています。
人は出生後に外部環境からの感覚刺激を主感的時空感に対応させて世界を意識します。
出生後は身体代謝系の平衡を維持する主体的生活が始まります。
空腹の解消等主体的動作の経験から意思を獲得し、目的を意識するようになります。
目的を意識した主体的動作の予測と実行を経験して、主感的時空感を時空間として意識します。
潜在意識が深部感覚の主感的時空感をカンバスに五感の彩り世界を描くのです。
この、主感的時空感への感覚刺激のマッピングによる世界感の表現は私的解釈です。
この解釈は実証されていませんが、他では成り立ちようが無いと考えます。
意識は脳神経信号を表現媒体とする世界の表現です。
見ることのできない背後も背中に感じられる表現として受容しています。
意識は世界の表現の一部分をを受容し、全世界を意識として再表現しています。
自分と自分を取り巻く全てからなる世界を受容します。
ただし、意識できる全世界は身体が受容できる表現だけの世界です。
感じることのできる光、音、臭い、味、力は質も、量も極限られた範囲です。
意識は意識できる世界を世界の全てとして受容します。
意識は未知の世界も未知として受容します。
意識は「無」すらも意識して表現します。
意識は意識として表現する世界を再帰して受容しています。
再帰しての表現は自己言及であり、表現主体と表現対象が循環する構造です。
世界は自らの存在表現を受容する存在として意識を実現しました。
宇宙の誕生から、物質進化、生命の誕生、生物進化を経て意識する人類を生み出しました。
意識する世界の表現はまず世界感です。
人にとって世界の存在表現は感じとして受容されます。
今まさに感覚、感情として受容している世界そのものが世界感です。
意識は受容した世界感を区別と関係で再表現します。
表現自体が区別と関係です。
区別と関係を明らかにすることで個々の存在対象を理解します。
次々変化する感覚信号の中に不変な部分を受容し、対象として表現ます。
感覚は違いを側抑制して際立たせ、輪郭すら表現します。
人は区別と関係を主にコトバで表現します。
コトバ自体が音素間の区別と関係、単語間の区別と関係による表現です。
そもそも、存在秩序は区別と関係の実現です。
区別と関係が定まらないのが混沌です。
区別と関係として秩序は実現します。
存在秩序は区別と関係を表現します。
区別と関係の普遍的表現が論理です。
論理は普遍的関係での普遍的区別を表現します。
そもそも、区別と関係の表現が普遍性です。
区別と関係が不明瞭なのは受容に問題があります。
秩序を秩序にしたがって受容しなければ、受容できなければ区別と関係は不明瞭になります。
全ての表現は区別と関係です。
受容する表現の区別と関係を明らかにし、区別と関係での再表現が論理です。
論理は区別の関係を区別し、関係での区別を肯定か否定かで表現します。
区別の関係の基本となる表現は集合関係です。
集合、空集合、補集合、和集合、積集合ですべての関係を区別できます。
区別の関係の区別はベン図での表現が端的です。
論理の普遍性は区別と関係が完全で無矛盾であることです。
完全性は区別と関係に対象の全てを含むことです。
無矛盾性は区別する全ての関係が互いに整合することです。
論理による関係で区別される表現が概念です。
論理の区別と関係の表現と、論理表現の区別と関係とは再帰する規定関係にあります。
概念の基本的表現手段はコトバです。
コトバは基本的に主語と述語の関係で論理を表現します。
コトバの全てが論理的ではありませんが、論理的でない言葉では意味が通じません。
ただし、論理を否定する論理表現にも意味はありえます。
「否定」も論理ですから、論理を否定しても論理でありえます。
論理から外れた混沌であるデタラメも「無意味」を表現します。
世界観は世界感の論理による再表現です。
世界感が織りなす世界の区別と関係を論理によって再表現します。
潜在意識が表現する世界感を、顕在意識が論理に基づいて世界観を表現します。
世界観は論理の区別と関係で表現されます。
論理による世界の理解が科学です。
科学はその対象、方法、表現、担う人の全てに普遍性が求められます。
科学は人類の地理的、歴史的、社会的経験の全てから学ぶ世界の認識です。
科学にはすべての人々の認識の成果のとりまとめとしての普遍性があります。
人が担う認識ですから科学も誤りを犯しますが、誤りを正せるのも科学です。
科学は学べるならば、理解できる普遍的認識です。
科学の発見はともかくも、理解には直感的閃きや、超能力を必要としません。
科学は論理で表現されており、区別された関係を一つづつ辿ることができます。
ただし、誰であっても、科学のすべては理解不可能です。
科学者であっても、専門外まで正しく理解できるとは限りません。
そもそも科学が明らかにできている対象は世界の極一部分です。
すべてを正しく理解できなくとも、未知のことも含めての認識が解釈です。
科学による世界理解に学びつつ、世界を解釈します。
2025.06.02