世界感から世界観へ

世界感は人が意識している世界の表現です。
世界感は主観世界です。
世界観は人が世界感がを反省して論理的に表現する世界です。
世界観は客観世界です。
世界感も、世界観も世界の表現です。
世界感は人の意識として表現され、意識される世界の表現です。
世界感は世界の中で生きている全ての人の意識の表現です。
人は世界の中で生活し、存在し、世界を意識しています。

元々、世界は世界の表現のうちに世界自らを表現します。
世界は存在し、その存在を表現しています。
表現しようとの意思が生じる以前に、存在自体が表現です。
ですから、人類が誕生する遙か以前の宇宙の表現を観測することができます。
宇宙背景放射は138億年前の世界を表現しています。
技術の発達によって、より広い世界のい表現を観測できるようになります。
世界は自ら生み出した人によって、自らを世界感として表現しています。

世界感は意識による世界の再表現です。
表現された環境世界を人の脳が受容し、世界を意識として表現しています。
意識は脳神経信号を表現媒体とする世界の表現です。
意識は身体と身体の周りの世界全てを表現しています。
見ることのできない背後も背中に感じられる表現として受容しています。
意識は世界の表現を受容し、意識として世界を再表現しています。
ただし、身体が受容できる表現だけの世界です。
意識は意識として表現する世界を意識しています。
意識は自らである世界の表現を再帰して受容しています。
再帰しての表現は自己言及であり、表現主体と表現対象が循環する構造です。
世界は自らの存在表現を受容する存在として意識を実現しました。
宇宙の誕生から、物質進化、生命の誕生、生物進化を経て意識する人類を生み出しました。

意識としての世界の表現はまず世界感です。
人にとって世界の存在表現は感じとして受容されます。
今まさに感覚、感情として受容している世界そのものが世界感です。
意識は受容した世界感を区別と関係で再表現します。
表現自体が区別と関係です。
区別と関係を明らかにすることで個々の存在対象を理解します。
人は区別と関係を主にコトバで表現します。
世界の表現を受容し再表現するのは 潜在 意識です。
潜在意識は「無意識」とも言われますが、意識はあります。
気がつくのは潜在意識が最重要として顕在化する表現です。
脳の意識活動のうちほとんどが潜在しています。
潜在意識の表現する世界感が 顕在 意識です。
そもそも、存在の区別と関係は存在秩序の実現です。
区別と関係が定まらないのは混沌です。
区別と関係として秩序は実現します。
秩序は区別と関係を表現します。

区別と関係の普遍的表現が論理です。
論理の普遍性は区別と関係が完全で無矛盾であることです。
完全性は区別と関係が対象の全てを含むことです。
無矛盾性は区別する全ての関係が互いに整合することです。
論理による区別と関係の表現が概念です。
コトバによる表現を論理の区別と関係で表現して概念になります。
概念の基本的表現手段がコトバです。
コトバは基本的に主語と述語の関係で論理を表現します。
コトバの全てが論理的ではありませんが、論理的でない言葉は意味が通じません。
ただし、論理を否定する論理で表現する意味もあります。
「否定」も論理ですから、論理を否定しても論理でありえます。
論理から外れた混沌であるデタラメも「無意味」を表現します。
世界観は世界感の論理による再表現です。
潜在意識が表現する世界感を、顕在意識が論理に基づいて世界観を表現します。
世界観は論理の区別と関係で表現されます。
普遍的論理による世界の理解が科学です。
科学はその対象、方法、表現、担う人の全てに普遍性が求められます。
科学は人類の地理的、歴史的、社会的経験の全てから学ぶ世界の認識です。
科学にはすべての人々の認識の成果のとりまとめとしての普遍性があります。
科学は学べるならば、誰にでも理解できる普遍的知識です。
ただし、誰であっても、科学のすべては理解不可能です。
人が担う認識ですから科学も誤りを犯しますが、誤りを正せるのも科学です。
科学者であっても、専門外を正しく理解できるとは限りません。
そもそも科学が明らかにできている対象は世界の極一部分です。
すべてを正しく理解できなくとも、未知のことも含めての認識が解釈です。
科学による世界理解に学びつつ、世界を解釈します。

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2025.02.05