「何故勉強しなくてはいけないのか?」と子供に尋ねられる。家では直接に、職場でも間接的に。
勉強に疑問を持った子に分かりやすく説明するのは難しいが、明確にしておかなくてはならない。大人も答えに窮することもあるのだから。
第一に、勉強するのは生きていくためであり、第二に豊かになるためである。
第一
生きていくために勉強しなくてはならないのは、生きるためのものを手に入れるためだけではない。人類が生き延びるためである。
人は社会全体の物の生産と流通、消費の経済活動を担うことで互いの生活を支えあっている。人間は社会的人間関係の中に生まれ、育てられ、学ぶ。人間社会を離れて生き延びることはほとんど不可能であり、そこで人間として育つ赤ん坊はいないし、ことばを覚えることもできない。その人間社会で生活するには、社会的な地位を得て働き、食べ物や衣類、住まいを手に入れるために、さらに名誉を得、社会的に貢献するためにも勉強しなくてはならない。
しかし今現在より重要なことは、人類が生き延びるために学ぶことである。人口増加、エネルギー・資源消費、環境破壊、武力の効果、影響力がどれほど加速的に増大しているかを学び、この状況を克服する道を学ばなくてはならない。左の図からこれからの未来予測を読み取ってほしい。人類の危機についてこれまで何度も言われてきたことであるが、その度に何とか解決されてきた。しかし、数年のことではなく、これまでの百年の経過を見ても明らかだし、人類数十万年の歴史を見れば危機は先延ばしされることはあっても、ますます深まっていることは明らかである。
この危機的状況を解決するには、一人一人の生活のあり方を変え、社会の仕組みを変えなくてはならない。そのことを学ばなくては人類どころか子供、孫が生きていられなくなる。ただ危機が深まっていることを知るだけではなく、学問として具体的に正確に理解する必要がある。この危機の原因が我々の生活のしかた、社会のあり方にあることを学ばなくてはならない。
新しい物質、新しい道具、新しい仕事、新しい物事が社会に、生活に持ち込まれる。それらは生活を豊かにもするが、生活や健康を害することすらありえる。新しい物事が生きていくのに必要であるのか、人類の危機を深めるのではないかを判断するには、やはり学ばなくてはならない。新しい物事を拒否するだけでは、増大する人口、不足する資源、破壊される環境を守ることはできない。
学び、解決の方法を見つけ出すのは学者だけの仕事ではない。学者の仕事を理解し、評価し、施設、設備、資金、なにより人材を提供するのは我々皆である。そして、学問の成果を社会に生かすのも我々皆である。学問の成果を学んで皆に広げるために、学問の成果を実現するために、より多くの人が学ぶことによって人類の危機克服の可能性が大きくなる。
さらに、人類の知的遺産もまた加速的に増えていることは、学者の数、研究組織の数、論文の数の増え方を見てもやはり明らかである。人類の歴史を終わらせえる破壊力も加速的に増大しているが、それを防ぐための力もそれ以上に加速的に増大させなければならない。人類の知的遺産を継承し、発展させるためにも、そのことで人類の危機を克服するためにもより多くの人が、より勉強する必要がある。
第二
勉強は豊かになるためでもある。物質的な豊かさだけでなく、生活の豊かさは勉強しなくては身につかない。合理的に考え、生活するためには経験だけに頼らず、先人の知恵を学ばなくてはならない。学び方も合理的でなくてはならない。学び方も学ばなくてはならない。
知的豊かさは学ばなくては享受することはできない。自然の美しさ、豊かさは自然について学ぶほど良くわかる。絵画や彫刻、音楽や工芸品も学ぶほどにすばらしさがわかるようになる。感性的豊かさも学ばなくては手に入らない。
価値は価値を理解する力がなければ無駄になる。価値は価値を生かす力が無くては無駄になる。価値を理解し、価値を生かすには学ばなくてはならない。
学ぶ可能性は大きい。肉体的能力はそうそう限界を超えることはできない。肉体的能力の限界は道具や機械によって拡張されてきた。しかし、知的能力には限界すら見えない。人の脳の可能性は極める予測すらできていない。人の知的能力はコンピュータと通信を利用することで今まで以上に拡張可能である。また、世界の人口の数パーセントしか学校教育を受けられていない。人の、人類の知的能力をより良く発揮することができたら、人類の危機も克服できるかもしれない。知的能力は学ぶことによって伸ばすことができる。我々一人一人が学ぶことによって量的にも、質的にも貢献できる。
学校の勉強は基礎であり、効率的で有効な一つの手段ではあるが、誰でもがうまく教え、うまく学べるとは限らず、競争によって歪められてもいる。学校の勉強だけではなく、様様な生活手段、制度を学び、物事の仕組み、働き、歴史を学び、社会について学び、そして世界全体について学ぶことが勉強する課題である。世界全体から見て、それぞれの物事を評価して、それぞれの物事の価値や方向性を理解することができる。価値や方向性の理解の程度は世界の理解の程度でもある。これらの課題を一人一人がよりよく勉強し、より多くの人が勉強し、生活に生かし、生活を豊かにしていくことでしか、人類の未来を保証することはできない。