価値
価値は一般に有益性です。
価値は利益をもたらします。
誰にとっての利益か、どの様な利益か、どれ程の利益かが問われます。
価値は評価によって異なります。
価値は評価する人によって違います。
価値自体が評価によって存在を表します。
評価されなければ価値は存在しません。
価値は物事のような客観的存在ではありません。
人の命は地球より重くとも、自然災害は何のためらいもなく奪います。
人によって評価が違う価値は相対的です。
普遍的価値は秩序です。
利益をもたらすのは何らかの秩序です。
利益をもたらす作用はすべて秩序を利用しています。
法則は秩序の論理による表現です。
法則に反すれば何も実現できません。
物理的力に限らず、情報、芸術など全ての価値は秩序を表現しています。
混沌からは何も得ることはできません。
混沌は乱雑化する秩序の究極で、何らの秩序もありません。
混沌も言語秩序に取り込むなら「混沌」と表現できます。
絶対的価値は失われる秩序としてあります。
秩序が失われて、失われた秩序が仕事をなします。
エネルギーの持つ秩序が失われて、別の秩序に変わります。
世界の秩序を理解することが、価値の理解になります。
世界の秩序が普遍的価値の源泉です。
世界の全体秩序が混沌へ向かって乱雑化して、個別の秩序が実現します。
この物理法則が表現する自然秩序は否定することも、変更することもできません。
個別秩序の実現、発展は
宇宙の歴史*が表現しています。
宇宙は高温高圧で何ら区別の無い秩序状態から始まったとされます。
膨張によって温度圧力が下がることで区別が生じ、混沌へ向かって全体が乱雑化します。
全体秩序の乱雑化は互いを区別するとともに、区別を組合せて個別秩序を発展させます。
個別秩序は素粒子、原子、分子、細胞、多細胞生物を経て意識にまで発展しています。
意識は世界が表現する秩序を受容し、理解した秩序を世界観として表現します。
地球生命の全ての相互関連によって生命環境秩序を作り出し、維持しています。
人は自らの生命代謝秩序を生産・流通・消費の社会経済秩序として組織しています。
社会経済も生産によって資源を同化し、消費で異化して成り立っています。
世界の秩序にあって、人は物質代謝秩序を社会経済活動として実現しています。
人は物質代謝を生産・流通・消費の経済秩序として組織しています。
人の生物としての存在からして社会に支えられています。
子を産むこと、子を育てること、子の教育も社会に支えられるべきです。
社会的価値の本体は互いの協力です。
助け、助けられる関係が社会の基礎です。
人の労働の成果を交換します。
労働を必要としない空気、水、日射等は本来、代価なしでも享受できました。
社会的物質代謝を担う労働が人にとっての価値の源泉です。
希少価値ですら、基本的にはより多くの労働を費やします。
商品経済が発達し投機化すると希少性も歪みます。
需要と供給による価格の変動は商品取引状況の変動で価値の増減ではありません。
手仕事の作品は工業製品が安くなるほど高価にになります。
人手のかかる看護、介護等の賃金の抑制はあってはなりません。
この価値法則を無視する社会は破綻します。
物質代謝秩序としての社会経済を担う労働こそ、人にとっての価値の源泉です。
労働は人の存在秩序を支える自己実現です。
身体を維持するだけの
基礎代謝*ですら働きを必要とします。
本質的に生命などの
非平衡開放系* 秩序は常に運動し続けて維持されます。
労働は基礎代謝を超える働きです。
基礎代謝だけの存在を超えての労働によって自己を実現します。
社会的に助け合うことでより少しの労働でも生活できるようになります。
共同労働は生活に必要な分以上の価値を産むことがきます。
日常生活での社会経済的価値は商品として取引されます。
商品には使用価値と交換価値とがあります。
使用価値は商品が構成する秩序であり、使用されて失われる価値です。
使用価値は使い方によって変化し、放置しても失われます。
交換価値は他の商品と交換される価値で、交換取引を可能にします。
社会経済秩序を維持するには交換価値は等価でなくてはなりません。
交換価値は貨幣価値のようにため込むことができます。
交換が制度化された市場で、あらゆる物が交換されて価格で表現されます。
人身どころか、臓器、尊厳までが取引されます。
人身、臓器、尊厳の売買は価値を否定する取引です。
文化的価値は人が表現する秩序です。
秩序を表現して、秩序表現を受容して文化価値は享受されます。
文化価値は様々な媒体によって秩序を表現します。
秩序表現も放置すれば損なわれ、やがて失われます。
文化価値は秩序表現ですから、受容されてより新たな表現に引き継がれます。
文化価値は秩序表現ですから、その表現秩序を否定して別の秩序表現も可能です。
秩序表現である文化価値は複製も可能です。
ただ、文化価値としては初出表現、唯一の表現が評価されます。
どう生きるかは、何を成したいかは人生の価値選択です。
個人にとっての基礎的価値基準は、自らの身体代謝秩序である健康です。
自給自足ではかなわない生活水準を社会経済が満たします。
さらに、人は社会関係にあって人間として成長します。
ヒトは共同して物・道具を作り、コミュニケーションして人間になりました。
社会人としての役割を担うことも自己実現であり、自己表現です。
社会的役割の担い方が相対的価値基準になります。
既成の社会秩序への適応と変革に分かれます。
既成の社会秩序に適応して人の生活は成り立ます。
人は人間関係に連なることで尊重されます。
互いの役割を担って人間関係は成り立ちます。
既成の社会秩序も更新して維持され、変革によって更新されます。
仕事は繰り返しでも生産は原材料の消費です。
仕事の改善、変革が秩序の持続を可能にします。
担う仕事の改善は、社会制度の変革につながります。
社会制度も秩序であり、更新し続けなくては乱雑化し、混沌に至ります。
生活し続けるには整理整頓する秩序の維持が不可欠です。
権利も行使しなくては絵に表現された餅です。
適応と、変革は相補的です。
社会人としての既成制度に適応することと、既成制度を変革することは背反します。
既成の制度、組織に適応することで富み、地位を獲、社会的に評価されます。
あるいは制度、組織に寄生して適応します。
組織制度に対する適応は政治的保守、革新の違いに関わりありません。
既成の制度、組織の変革は評価にかかわらず社会に、歴史に貢献します。
評価には良い評価と悪い評価とがあります。
評価基準は人によらず、社会史、人類史、生命史、宇宙史としての世界秩序の発展です。
権限、権力を得ても変革には終わりがありません。
適応は作用の評価、変革は表現の評価と解釈できます。
適応と変革は二元の価値、二元の世界評価です。
適応の評価、変革の評価はそれぞれ社会的、歴史的にも相対評価です。
適応と変革のバランスの取り方が社会的・歴史的な絶対評価です。
生活のなかで頑張れる時も、落ち込む時もあります。
人の能力も、能力の発揮も、できるできないの正規分布があります。
身長体重だけでなく、様々な能力の分布は中央値を頂点とする釣り鐘状の
正規分布*になります。
働き者だけを集めても、やがて怠け者が出、怠け者だけを集めても働き者が出て社会を構成します。
社会にどれ程ひどい不正、不義があっても社会秩序が保たれているのは、圧倒的多数が真面目に生活しているからです。
価値は自ら創造し、実現する秩序です。
2025.08.03